英語でさるく 那須省一のブログ
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台湾に行きたし!
- 2026-06-21 (Sun)
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ワールドカップ。日本の代表チームは日曜日のグループリーグ2戦目の戦いに臨み、チュニジアに4対0で圧勝し、決勝トーナメント進出に大きく前進した。
民放のテレビで見ていたが、解説者はかつてのエースストライカー、本田圭佑氏。率直な物言いで人気の解説者となっているようだが、彼が日本選手をさん付けで丁寧に呼んでいたのが印象に残った。いいと思った。昨今のスポーツ中継ではまず耳にしない呼称だろう。
◇
今期は高校だけの仕事となっており、ずいぶん楽になった。楽すぎるなと思うこともあるが、私と同期の人たちの多くは仕事を辞め、楽隠居の身かと思えば、複雑な心境になることも。この歳でまだ仕事があることの幸運を神様に感謝すべしとも思うが、今の仕事は人生の終わりにさしかかった身に相応しいかと考えると迷いが出てくる。やがて手がけたいと願っていることはあるが、諸事情からまだ時期尚早。果たして実現できるか否かも分からない。
あと少し頑張れば夏休みの時期となる。久しぶりに台湾に行けないかなと考え始めている。パソコンを開くと、台湾を含めた海外の旅、それもグルメ満載のYouTubeが次から次にアップされてくる。地上波のテレビが到底伝えることができない面白い話題をたっぷり味わうことができる。私が台湾で食べたいと思っているのは安くて美味い朝飯。台北の大学に一か月間、短期語学留学していた当時、毎朝足を運んだ庶民的な朝飯屋が懐かしい。喧噪の中で食べた豆乳、卵焼き、それと・・・、ウーン残念、七年近い空白を挟んでいるからか、すぐには思い出せない。それで拙ブログをスクロールしてみる。
短期語学留学していたのは、2019年4月。その頃のブログで次のように書いている。――台北での滞在も残り少なくなった。最近の朝食は咸豆漿に、卵焼きの「定番」に肉野菜が入った包子も追加注文している。それでも日本円の勘定だとわずか285円。私はいつも7時過ぎには利用しているが、少し遅く行くと店の外にまで行列ができている。厨房では5,6人の人が忙しく立ち働いているが、お店のお兄ちゃんは私がいつも食べるものを覚えてくれ、最近は私の顔を見ると上記の品を出してくれるようになった。――そうか日本円だと285円。いくら何でも安すぎだろ!さすがに今ではこの金額では食べられないだろうなあ。
ブログによると、台湾を最後に訪問したのは2019年7月。語学留学生の修了式の案内が届いたので、金もないのに無理して出かけた。今度の旅では大学を再訪し、お世話になった先生方にも挨拶したい。肝心の中国語が全然上達していないことは恥ずかしいが、これは仕方ない。努力していないわけではないが、外国語の学習は粘り強く継続するしかない。本当はまた語学留学して中国語を学ぶ手もあるのかなと考えているが、お金もかかるし、私の中国語の拙い力とうまく合致する短期のコースを見つけるのは至難の業だろう。
とにかく、懐かしい台湾の情緒たっぷりの朝飯を食べ、中国語の会話を楽しみ、何か今後の学習の仕方の参考になるものとの出会いがあればと願っている。あとは私の得意技、行き当たりばったりの旅でのセレンディピティ(serendipity)に期待しよう。とりあえずはネットで往復のエアチケットの予約をしなければ・・・と思いつつあるが、思うだけで、なかなか実行に移せない。本当に行く気があるのやら!
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「物言わぬ民」
- 2026-06-14 (Sun)
- 総合
ズームを活用して毎月2回、日曜日夜に催している英語教室。最近読み始めたのはドイツ在住の作家、多和田葉子氏の作品『献灯使』(2014年)で、その英訳本 “The Emissary” を一緒に読んでいる。正直に書くと、英訳本には原作とは異なる部分があり、誤訳の可能性大と思えなくもない。私も過去に何冊か翻訳に取り組んだことがあり、翻訳の難しさは承知しているから、あまり声高に言いたくはないのだが・・・。
とはいえ、翻訳者の苦労(工夫)の跡がうかがえる訳文もあり、受講生と一緒に楽しく読ませて頂いている。物語は近未来の超高齢化社会となっている日本で、義郞という名の曾祖父が無名という名のひ孫を慈しんで育てている。二人の他に家族はいるようなのだが、普段はこの二人だけの暮らしだ。義郞の年齢は軽く100歳を超えているが、家事一切を引き受けている。読んでいくと、この頃の日本は超高齢者が貴重な労働力となっていることが分かる。70,80台の人はそもそも高齢者ではなく、「若い老人」と呼ばれている。
私は普段「120歳まで生きるだろう」と「豪語」している。根拠は何もない。ただ、漠然とそうなって欲しい、そうなるのではと思っているだけのことだ。ただ、ここ最近はちょっと自信がなくなりつつある。背中右の帯状疱疹が一向に完治する気配はないし、歩く速度もだいぶ遅くなったような気がする。体力は確実に落ちてきているのか。だから、この小説を読んで100歳をとうに過ぎた人々が元気に活動している描写に接すると悪い気はしない。
もう一つ。この小説は超高齢者が元気な反面、子供たちが頼りない。無名もそうだ。軟体動物のように心許ない。無名は小学生だが、少し歩くと疲れが出て、義郞が自転車で送り迎えすることになる。無名はなぜか両親や祖父母とは離れて暮らしており、どうやら、曾祖父母世代がひ孫を育てているのが珍しくない時代のようだ。この時代は日本政府は鎖国政策をとっており、外国とは没交渉であり、英語を始め外国語(外来語)が排斥されている。
話の本線とは関係ないところで私がちょっと考えさせられたのは無名が義郞に連れられて歯医者に行き、診察治療をしてもらい、歯医者に丁重にお礼を述べるシーン。原文だと「無名は『僕の歯に優しくしてありがとう』などとすました顔でお礼を言ったので義郞は胃がひっくりかえるほど驚いた」とある。
私が興味を覚えたのは、無名の子供らしからぬ大人びた所作というか礼儀作法に義郞が驚いたことではなく、そもそもこういう描写が成り立つ背景だ。著者がこの描写をしたのは、おそらく日本では業務というかサービスを受けた際に顧客(消費者)が相手方にきちんと礼を述べることが段々と希薄になっていることが脳裏にあったのではないかと、私は思っている。だからこそ、古い人間の代表格のような義郞でもひ孫の礼儀正しさに虚を突かれた思いがしたのではないか。
普段の生活で日本人は「無口」になってしまったと私は思っている。スーパーやコンビニなどで支払いを済ませ、商品を手にレジを去る際、果たしていかほどの人が店員さんに対し、「ありがとう」の一言を添えているだろうか。多くの人が無言で立ち去っているのではないだろうか。病院でもしかり、図書館でもしかり。日本人はいつから「物言わぬ民」になってしまったのだろうかと私は思うのだ。
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"the best player that’s ever walked this earth"
- 2026-06-05 (Fri)
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例によって、中国語の熟語表現。毎朝、NHKラジオの講座を聴いて起床しており、これが分からないともやもやした気分で一日をスタートすることになる。奥歯に物が挟まったような心持ちと言えばいいだろうか。つい最近は、カタカナ表記だと「メイカイ イエンシャオ」という音声が流れてきた。メイカイとはさて? 全然明解でも明快でもない。
イエンシャオのシャオは確か、笑う(xiào)という語があったような気もするが、イエンはさて何だろう。中日辞典でイエンという語のピンイン表記を調べたが、色々ありすぎて閉口した。笑うに関係する語は顔か目だろう。目はyǎnと辞書にある。「目が笑う」なら合致する。メイカイは苦闘の末に眉开(méi kāi)という語にたどり着いた。「眉を開く」という意で「相好を崩す」に近い意か。
「眉开眼笑」(méi kāi yǎn xiào)とはつまり「目を細めて笑う」「非常に嬉しそうな様子」を意味した四文字熟語だった。問題はこの熟語をいつまでも覚えていられるかどうかだ。
◇
間もなくサッカーのワールドカップが開幕する。日本列島はまた熱狂の渦に巻き込まれるのだろう。今年は予選リーグを勝ち抜いてベスト8どころか、優勝をも期待するような雰囲気だ。日本の代表チームが内外でそれだけ有力視されている証左でもあろうが、予選段階で好成績をあげようものなら、ボルテージは一気に上がるのだろう。私は野球派だが、ワールドカップは別。テレビの前で熱心に観戦するのは必至だ。
とその前に今回はまた大谷翔平君のことを書きたい。というのも大谷選手が出場した試合で二刀流のプレーで再び大活躍を見せた。米国の大リーグ関係者からも賛辞の嵐だった。投げては6回無失点、6奪三振で6勝目を挙げた。規定投球回数に1回だけ足りないものの、防御率はダントツの0.74。防御率2点台でも優秀な成績と評される中、開幕から10試合に先発し、0点台の防御率とは。トップバッターとしての打者成績は5打数3安打で打率は遂に3割に達した。
試合終了後にのぞいた大リーグのホームページでは大谷選手のことを “7 reasons Ohtani might really be 'the best player that's ever walked this earth'” と見出しでうたい上げていた。チームメイトの正捕手であるウィル・スミス選手が “He’s the best player that’s ever walked this earth.” と評しており、そこから見出しを取ったようだ。「この地球の大地を歩いた史上最高のプレーヤー」とは何とも凄い表現だ。要するに大リーグの長い歴史を遡っても唯一無二の存在だと評しているのだ。これ以上の称賛があるだろうか。いや、あるか。“Ohtani might really be 'the best athlete that's ever walked this earth'” とすれば、あらゆるスポーツで彼ほどのアスリートは存在しなかったということになるだろう。人柄のほどは知る由もないが、それを含めてもそうかもしれない。
この見出しが印象に残ったのは高校の授業の中で、on earth という強調表現を説明したばかりだったこともある。こちらは例えば “What on earth are you doing?”(君は一体全体、何をやっているんだ?)とあきれるような時によく使われる表現だ。this earth にはそういう意味合いはないかと思う。
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切り干しダイコン
- 2026-05-29 (Fri)
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毎朝、日課として目を通しているキリスト教の祈祷書(devotional)。米国で発行され、敬虔なクリスチャンの方々の手になるもので、英語の勉強にもなっている。
先日の筆者はガレージセールでの体験を綴っていた。古い道具類を売りさばいていた家の主人は筆者の顔を凝視し、「ひょっとして昔、○○通りに住んでいませんでしたか?」と尋ねた。英文では “Did you used to live over on ○○ street?” となっていた。急いで読んでいたら、読み飛ばしていただろう。だが、じっくり読んでいると、違和感は禁じ得ない。Did you と始めたら、続くのはuse to live …とすべきではないか。参考までにChatGptで確認すると、やはりDid you used to live …という言い方は文法的でなく、無理があるので、素直に“Did you use to live over on ○○ street?” とすべしとのご託宣。
ただし、個人的には “Did you used to live over on ○○ street?” でも良さそうな気がしてならない。特に口語ではこう言ってきたような気もする。ウーン、悩ましい・・。
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何度も書いている通り、早朝目覚めると、スマホのラジオ機能を活用し、NHKラジオの語学講座(韓国語から中国語)を聴いている。特に中国語の講座の最後に講師の先生が宿題として出題する諺や慣用句が楽しみだ。一度しか読まれないので、耳の鍛錬にいい。
声調を無視したアルファベット表記だと “moming qimiao” という音が流れてきた。敢えてカタカナで書くと「モーミン チーミャオ」という音に近い。スマホの検索機能を使って調べていたら、「莫名其妙」(mòmíng qímiào)という表現が出てきた。「何が何だかさっぱり分からない」「不思議である」という意味合いと紹介されていた。これはさすがに中国語の漢字を見ても、その意味合いを正しく推測するのは難しいかと思う。
いろいろ調べていたら、「ちんぷんかんぷん」の語源ではないかいう説があった。もっとも「ちんぷんかんぷん」の語源は諸説あるとの由。例えば中国語の聞き間違い説。中国語で「聞いても分からない、見ても分からない」という意味である「听不懂看不懂」(tīngbùdǒng kànbùdǒng)が日本人の耳には「ティンブードン カンブードン」と聞こえたことから、「ちんぷんかんぷん」となったのではないかという説だ。なんとなくそう思えなくもない。
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職場のある古賀市で有志により月一回催されている料理教室。今月は「かつ丼」だった。かつ丼はきちんと作ったことはないので、講師のH先生の説明に真剣に耳を傾けた。豚肉は筋を切り、薄力粉やパン粉をまぶす、調味料は醤油やみりん、和風だしで作ることなどを教えてもらった。サイドディッシュで「キャベツの即席わさび漬け」の作り方も。私には当面「かつ丼」は無理だが、「キャベツの即席わさび漬け」はすぐにできそう。
最近目覚めた食材がある。こんなことをここで披露するのは恥ずかしいが、備忘録のブログだからきちんと書いておきたい。それは「切り干しダイコン」。これまでその存在を意識したことなどない食材だ。水で戻してフライパンで炒めて食したら、予想をはるかに上回る美味だった。切り干しダイコンはカルシウムや鉄分、食物繊維が豊富で栄養の「宝庫」だとか。しかもその安さよ。嗚呼、もっと早く「気づき」たかった!
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「愚公移山」
- 2026-05-22 (Fri)
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少し前に中国語の学習について、「音を聴いて声調を含めたピンイン表記を正確に思い浮かべるのは(音感の鈍い私には)至難の業」と書いた。平日はスマホのラジオから流れてくる中国語の音を聴いて、その語句(四文字熟語のケースが多い)を想起しようともがいている。面白いのは、一群のその音を耳にして、スマホの検索機能で調べると、そう苦労せずにその語句に行き当たる幸運がままあることだ。中国語と日本語は発音が大きく乖離した言語だと思っているが、案外、その「距離」は近いのではないかと感じたりもしている。
最近の一例を挙げる。スマホのスピーカーから「ユーゴン イーシャン(yugong yishan)」という音が流れてきた。これだけでは何のことやらさっぱり分からない。例によって漢字を推測した。yuという音で「愚」をすぐに思いつくのは私にはできない。声調を度外視すれば、yuの発音からは「迂」や「于」「余」「魚」「雨」「浴」「欲」など幾多もある。gongや yi、shanもしかり。スマホの検索機能であれこれやっていて、「愚公移山」という語句に行き着いた。人工知能(AI)恐るべしだ。以下の説明があった。――中国の故事成語である「愚公移山」(ぐこういざん)のことだと思われます。どんなに困難なことや一見不可能に思えることでも、地道に努力を続ければいつかは必ず達成できる、という意味を持ちます――
とにかく、初めて出合う中国語の格言を聴き、その「音」からそう苦労することなく漢字を推測できたことは嬉しかった。漢字文化圏に暮らす日本人ならではの喜びだろう。
「愚公移山」で「石の上にも三年」ということわざを思う人もいるかもしれない。愚公とは「愚かな人」という意味ではなく、架空の老人の名前のようだ。現実には地道な努力だけで「山を移す」ことなど不可能だろう。確か、聖書に似たような文言があったことを思い出し、ネットで調べると、マタイ伝にあった。英文では “Faith will move mountains.” という言葉だった。「信念は山をも動かす」が定訳とか。
こうした言葉に接すると私はいつも思い出す小説がある。英米文学を専攻した学生時代に卒論のテーマに選んだ英作家、サマセット・モームの代表作 “Of Human Bondage”(邦訳『人間の絆』)だ。主人公の若者は生まれつき片足が不自由。両親を亡くして孤児となり、牧師の叔父に引き取られる。不自由な足から解放されるよう願う日々を送るが、厳格な叔父から諭された言葉が聖書のこの言葉だった。若者は必死に祈り続けるが、毎朝目覚めると不自由な足に変化はない。それで信仰心を失うことになる。
◇
最近は大リーグすなわち大谷翔平君のことをあまり書いていないが、もちろん、ずっと熱心にフォローしている。一時はちょっと打撃が湿っていたが、二刀流プレーヤーとして再び比類なき活躍を見せ始めている。
日本時間木曜日の対パドレス戦では投手として先発し、5回を投げて無失点に抑え、打っては先頭打者ホームランをかっ飛ばし、ライバルチームを突き放した。防御率はダントツのトップで、MVPはともかく、初めてのサイヤング賞受賞も夢ではなくなった。ホームラン王に二度輝いたこともある打者が投手にとって最高の栄誉であるサイヤング賞まで獲得することになれば、彼を形容する賛辞は地球上に存在しなくなるかもしれない。
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“fashionably late”
- 2026-05-20 (Wed)
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日々購読している新聞を読む喜び、楽しさは人それぞれだろう。ひと頃は紙の新聞はネット情報に押され、電子新聞となるかなどして消滅の途にあるとささやかれてもいた。私が記者として現役の間は大丈夫だろうと思っていた時期もあったが、AI(人工知能)が信じ難い発展・進化を遂げつつある昨今、紙の新聞の前途は容易ならざるようだ。
とはいえ、私にとっては紙の新聞は今なお、思わぬ妙味を提供してくれる存在だ。例えば、火曜日の朝刊のスポーツ面。読売新聞専属の評論家の堀内恒夫氏が『ホリさんの言わせてもらうよ』と題したコラムで、巨人の低迷している、本来なら大黒柱である戸郷投手について手厳しく論じていた。見出しを拾うだけで内容は容易に類推できる。「戸郷 ゼロから見直して」「投げ急ぎ フォーム修正を」。巨人の大エースだった堀内氏には戸郷投手の不振が看過できないことがよくうかがえる。
面白かったのはその不振にあえいでいた戸郷投手が火曜日夜の試合で首位ヤクルトを相手に7回を投げ無失点の力投を見せ、今季の初勝利を挙げたこと。学生の頃までは巨人ファンだった私も今は巨人のゲームを熱心に見ることは皆無に近い。パリーグのゲームの方が面白いとさえ感じている。だから、堀内氏のコラムを読んだ時は「へえ、そうなんだ、戸郷は抜本的な立て直しに迫られているんだな」程度の印象で読んだ。そしてその夜のゲームで上記のように彼は快投を演じた。私はゲームを見ていないのでよく分からないが、読売新聞の野球欄の戦評を読むと、「決め球のフォークボールがさえた」とある。私が堀内氏だったら複雑な心境で戸郷投手の快投を見守ったかもしれない。
読売新聞で必ず読むのは国際面ではなく、「暮らし」面に掲載される、読者のお悩み相談に識者が答える「人生案内」。系列の英字新聞「ジャパン・ニュース」でもその翻訳が “Troubleshooter” として紹介されている。外国人読者に人気のコラムだ。
読売新聞を読んでいて、時に挙を突かれることがある。上記の堀内氏のコラムが掲載された同じ日に「教育・投書」面に載っていた、英語表現を紹介する小さなコラム「街で使える英会話*パーティー編」が目に入った。普段は滅多に読まないコラムだが、たまたまこの日は目に飛び込んできた。見出し的な文言におやっと思ったからだ。まず、英語で “fashionably late” という語句があり、続いて「かっこよく遅刻する」という意味が紹介されていた。「へえー、そういう意味合いなんだ。まさにかっこよい表現だな」と感じた。でも、このコラムは確か子供向けの英語教室的なものだったのではないかな、今では大人も対象に含んでいるのかなと思った。
それはともかく、私はこの表現を知らなかった。そう思いながら、一応、辞書をひくと、なんと載っているではないか、昔からある表現のようだ。訳は「(注目を集めるために予定より)少し遅れて」とある。要するに定刻通り、あるいは定刻より前にパーティー会場に着くのはやぼで、少し遅れて姿を見せるのが粋というわけのようだ。「君たちがパーティーに来てくれて嬉しいよ!」と歓迎するホストに、到着した客は笑顔で応じる。”Sorry we’re a bit late, but we wanted to be fashionably late.(少し遅れてしまってごめんね。でもあえてかっこよく遅刻したくてね)という訳が載っていた。
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いとこを見舞う2
- 2026-05-12 (Tue)
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難病に伏せっている幼馴染みのいとこを見舞ったことを前回の項で書いた。読み返してみて、私の心中に去来した思いなどは書いていないことに気づいた。書きづらかったこともあるが、やはり、そうした思いの一つや二つはきちんと記しておくべきかなと思った。このブログは私にとって備忘録。何年も経過して、嗚呼、あの頃はそういう思いをしていたんだなと再認識するためにもきちんと書いておきたい。
それでここに記す。いとこはこの四年ほどベッドに寝たきり状態。言葉を発することはできない。詳しく尋ねたことはないが、おそらく筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病なのだろう。手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気のようだ。コロナ禍もあってずっと見舞いを控えていたのだが、抜本的治療法のない難病だと知って、気軽に見舞いに行く気は失せていた。
ただ、何もせず、座してばかりはいられない。私は行き当たりばったりのいい加減な人生を送っているが、これでも毎朝神様に祈りを捧げるクリスチャンの端くれではある。田舎の神社に手を合わせる神道も大切に思っている。だから、毎朝、いとこの名前を口の端に乗せ、神様に安寧を祈った。可能ならば、彼が存命のうちに画期的な治療薬が見つかり、回復することが可能になるようなことにならないものか。そう神様にひたすら祈り続けている。
いことの奥さんのKちゃんにホテルの前で拾ってもらい、病院を訪れた。彼の容体は今は安定しており、個室から四人部屋に移っていた。「よぉ、T、久しぶり、悪いな、長いこと顔を見せないで。今日、やっとこさ来たよ」と声をかけた。いとこの耳元でKちゃんが私が来たことをささやいてくれている。目の動きを追うと、なんとなく私のことを認識してくれているみたいな。私はTの額に右手で触れる。奇跡的にでも回復してくれとの祈りを込めて。Tは間違いなく果報者だ。日々一生懸命に尽くしてくれる伴侶がいる。私には望むべくもない幸せだ。
所定の面会時間が過ぎたので、Tにまた来るからと言葉をかけて病室を去った。Tには成人の子供が3人。長女のAちゃんが私たちの前に来ていた。もう何年も会っていなかったのでAちゃんとは分からなかった。次女のSちゃんとは帰途の車の中で電話で少しだけ話した。彼女とも何年も会っていない。人生とは悲しいかな、そんなものだろう。
本来は土曜日に福岡に戻る予定だったが、土曜日も延泊した。理由は実に単純明快。私が宮崎で定宿にしているホテルは宮崎でも安い部類に属するが、ここの鉱泉風呂が好きなことに加えて、今回は朝食ビュッフェ(920円)に郷土料理の冷や汁がお目見えしていたこと。私は栄養価満点の冷や汁が好物。駅前の土産物店で売っているパックに入ったものを購入して自宅で作ることもあるが、なかなか上手に作れない。それが好きなだけ食える朝食ビュッフェは有り難い。この冷や汁食いたさでもう一泊した次第。
駅前の土産物店ではもちろん、冷や汁のパックを大量に買い込んだ。福岡でしばらくは堪能できる。もっとも県外の人にこの冷や汁がどう映るか。そう有名な郷土料理でもない。「貧乏くさい」と案外、敬遠される可能性が大かもしれない。まあ、そんなことはどうでも良い。良さを知っている人にしか分からない味だろう!
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