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英語でさるく 那須省一のブログ

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初めての料理教室

20260412-1775963508.jpg 私はこれまで料理教室と名のつくものに足を運んだことは一度もない。前回記した通り、悲しいほどの料理音痴の私は現役時代は外食(eating out)で何とか乗り切ってきた。なにしろ、コンビニなどで売っている袋入りのお味噌汁を手にして、具材をお椀にいれ、お湯を注いで食し、なんだかやけに薄味の味噌汁だなあと思いながら食べ切ったような男である。お味噌が同封されているのを知らなかったのだ。
 教えている高校の家庭科のH先生と雑談していたら、近くの公民館で毎月一回料理教室を主宰していますよ、来ませんかと誘われた。次回はパスタを作るという。渡りに船だ。二つ返事で行きますと応じた。それが昨日、催された。中高年の男性が多いと聞いていたので、私のような者でもそう敷居は高くないことを願って参加した。
20260412-1775963569.jpg 参加者は私を含め総勢9人。H先生の説明を聞きながら、まず、「簡単パン」を作った。私はパンを作ったことなどなく、昔からどうやってパンを作るのか皆目見当もつかなかった。まずボールにバターをこすりつけ、そこに強力粉(300g)を入れた。続いて牛乳やイースト、砂糖、塩などをかき混ぜたものを加えた。私は強力粉を間近に見たのは初めて。帰宅後、ネットで検索すると、「強力粉はタンパク質含有量が11.5%〜13%程度と高く、硬質小麦から作られる小麦粉」とある。「水を加えて練るとグルテンが多く生成され、モチモチとした弾力のある食感になるため、食パン、ピザ生地、パスタなどのパンや生地作りに適している」と載っている。私はボールの中でこねる役目を仰せつかったが、なかなか上手にこねることができず往生した。
 続いて主役のパスタ作り。アサリを利用したボンゴレビアンコというパスタ。私はアサリが大好きでスーパーの魚売り場に出ている時にはよく買い求め、味噌汁に入れて頂いているが、イタリア語ではボンゴレということを初めて知った。H先生のメモ書きによると、料理の前に暗い場所で3%の塩水に1時間以上浸して砂を吐かせるとある。知らなんだ。私はいつもちゃちゃっと洗って鍋にぶち込んでいた。よしこれからは塩水に1時間浸して味噌汁に入れよう。
 レパートリーの少ない私でもパスタは時々作っている。アサリを放り込むこともある。それ故、この日の教室はとても参考になった。まず、ソースの作り方。フライパンにオリーブオイル、にんにく、鷹の爪を入れて弱火でじっくり加熱して、にんにくの香りや鷹の爪の辛みを移す。にんにくが色づいてきたらアサリを入れ、中火にして白ワインを加えると教わった。そうか、白ワインを入れるのか、おっとその前ににんにくや鷹の爪で香りや辛みをつけるのか。ニンニクは時々八百屋さんで入手しているが、鷹の爪は買い求めたことはない。これからは探してみよう。改めてネットで調べてみると、乾燥唐辛子である鷹の爪は「脂肪燃焼に役立ち、抗酸化作用のビタミンEやカリウムなどの栄養素が豊富」と載っている。食べないでか!
 さて、問題の味は? これが実に美味だった。いくらでも食べられそうだった。簡単パンも美味かった。料理の仕方を学んでお腹いっぱい美味いものを食べられて参加費が1,500円とは。次回もできるだけ参加したいと思った次第だった。ごちそうさまでした!

音痴は歌だけでは

 見よう見まねで台所に立っている。レパートリーがごく限られているので、ここであれこれと書くのははばかられる。ただ、先日、ズームで催している英語小説を読む教室で、受講生から「次に書く本の中でそうした厨房の苦労話などもエピソードとして添えれば、読者に受けるかもしれませんよ」と指摘された。その時は、え、まさかと思ったが、あとで考えるとそういう手もあるかなと思い始めた。おそらく次に出すとしたら、英中韓の三か国語の学習読本の類の本を書きたいと願っているが、自分のような中高年の男性が手にとれば案外面白いと思ってもらえるかもしれないのでは。
 まあ、そんなことはともかくとして、少しは料理の腕をあげなければ始まらない。かくのような思いもあり、時々は新しい料理に「挑戦」している。挑戦とはいっても、普通の人から見たら、ごく当たり前の料理だろうが、「料理音痴」の私にはそうしたものさえ実に難関。若い頃から料理に興味を覚え、台所に立っていたらなあと悔いることもしばしば。いや、悔いると書くのは大げさか。もっとやっておけば良かったと反省するといったところか。
 最近トライしたのが「鳥の唐揚げ」。好きな食べ物だ。好きだが、自分で作ったことは一度もないし、どうやって料理するのか分からない。何気なくYouTubeを眺めていたら、鶏の唐揚げが出てきた。よし、これを作ろうと何度も何度も見返した。悲しいかな、英語の表現なら二三度見れば記憶に残るが、どうしたものか、料理の材料名、調味料名、手順は全然記憶に残らない。本当に残らない。まあ、何とかなるだろうと思い、いつものスーパーに買い物に出かけ、適当に材料を買い求めた。
 そして台所に立った。ガスレンジに火をつけ、レシピの手順に忠実に従って料理した(つもりだった)。だが、現れ出たのは、食欲をそそるとはとても思えないごつごつした唐揚げ。フライパンから箸でつまんで食してみる。特段まずくはないが、ご飯が進む代物ではない。正直に白状すると、レシピに書かれた内容はうろ覚え、手順もいい加減にした結果だった。深く反省して、次はプリンアウトしたものを手に料理しようと思っている。
 上記の唐揚げに使った調味料の一つは「かたくり粉」。私はこれまで何度このかたくり粉や小麦粉の類を購入したか分からない。恥ずかしながら白状すると、使い切ったことは一度もない。いや、使い切るどころか、開封することなく、賞味期限切れを迎え、可燃ゴミとして何度捨てたことか。それで一度ぐらいはかたくり粉をきちんと使って料理したかった。だから鳥の唐揚げにこだわった次第だ。
 途中で放棄した調味料としてはその他、多々ある。料理酒しかり、みりんしかり、胡椒しかり、マヨネーズしかり。最後までしっかり使い尽くしているものは醤油とらっきょう酢ぐらいだ。あ、無調整豆乳もあった。
 さて、かたくり粉だ。消費期限切れのやつと最近購入したものがある。ネットで調べると消費期限切れでも見た目で異常がなければ使えるとある。冷蔵庫の中になぜか、エノキダケが入っている。エノキダケのレシピをネットで検索したら、幸いなるかな、かたくり粉で簡単にぱりっと揚げれば美味いとある。よし、酒(焼酎)の肴にしよう。レシピをプリントアウトした。さて、これぐらいは何とか及第点に仕上げたいと願っている。

「空気を読む」(read the air)

 間もなく春休みも終わり、再び教壇に立つ日が戻って来る。去年一年間の反省を踏まえ、生徒たちに英語を学ぶことの楽しさを伝えたいと考え、またそう願っている。
 クリスチャンの端くれであると思っている私は毎朝、英語で書かれた祈祷書(devotional)を読んで一日をスタートさせている。"Walking in Grace 2026” という祈祷書だ。アメリカに暮らす52人の敬虔なクリスチャンが日替わりで信仰にまつわる身辺雑記を書いている。ノンネイティブの私には英語表現の勉強にもなっている。
 NHKラジオの英会話講座にも依然、大いにお世話になっている。生きた英語の発音は絶えず、耳から「栄養分」を取り込むことが大切だと思う。早朝の英会話講座は先に書いた無慈悲な放送時間の変更の影響を受けておらず、毎朝6時45分にはスマホラジオに向き合うのが日課。先日、おやっと思う英語表現がラジオから流れてきて少し驚いた。
 「空気を読む」という表現。このいかにも日本語的な表現を英語ではどう言うかということについては以前に拙ブログで書いたことがあったなと思い、過去の記事をスクロールしてみると、2024年8月に書いていた。その箇所を再録するとーー。
 NHKラジオの英会話講座を聴いていたら「空気を読む」という表現を英語ではどう言うかということが説明されていた。まあ、まさか read the air はないかと思いながら、考えていると read the room という表現が紹介されていた。これは思いつかなかった。直訳だと「部屋を読む」。そうか、自分がいるその部屋、その場の空気を上手に読み切ると解釈して、英語だと read the roomというイディオムが誕生したわけか。英語ネイティブ話者でないと思いつかないなと思った。
 これで一件落着と考えていたが、先日の放送ではまさかの read the airが正しい英訳表現として流れていた。言葉は生き物だから、世の人々が、多くの人々がそういう使い方をするようになれば、その表現が「市民権」を得ることは承知している。若者が好んでつかう「やばい」も今では好意的というか肯定的な意味合いで使われる。「鳥肌が立つ」も今では肯定的に使われることが一般的になったようだ。
 それで read the air もついに正しい実践的な英語表現の仲間入りしたのかと思った。日本語の「サラリーマン」がいつの間にか英語でも “salaryman” として「認知」されたように。とりあえず、ChatGPTに尋ねてみよう。以下の答えが返ってきた。
 The Japanese expression 空気を読む (kūki wo yomu) translates literally as “read the air.” In Japanese, that metaphor feels natural and widely understood. However, in English, “reading the air” sounds unusual and is not idiomatic. Native speakers would almost always say: “read the room” → understand the mood, atmosphere, or unspoken feelings of people present.
 次の指摘も興味深く読んだ。Interestingly, your Japanese phrase can sometimes imply strong social pressure to conform, which “read the room” doesn’t always fully capture. So even though they’re close, they’re not perfectly identical in cultural nuance. 「空気を読む」と “read the room” の間には微妙なニュアンスの差があることも読み取る必要があるということか。

羅針盤いずこや?

 4月。新年度がスタートした。私は今年度の仕事は高校一本で行くことになった。午前中は中学校、急いで駅に歩き、午後から高校で授業という慌ただしさからは解放される。高校の授業では色々と反省、考えさせられることがあったので、そうしたものを活かし、充実の一年としようと心に誓っている。温泉に浸かりながらそんなことを考えた。
 それにしても、世の中を見渡すと暗澹たる思いに沈むことが増えた。一昔前ならアメリカがイスラエルとつるんでイランを空爆するなどとは想像しづらかった。中東全体が火の海になると危ぶんだ。既にそうなりつつあるのかもしれない。トランプ米大統領はイラン空爆の目的、すなわちイランの核開発の能力を崩壊させたとして、ちかく米軍を戦線から撤退させる意向を語っている。石油危機を引き起こしているイランによるホルムズ湾の封鎖についても、石油を必要としている国々が自分たちの軍で原油を奪い取れと信じ難い無責任発言を繰り返している。
 米軍に深刻な人的被害が出始め、自身の政権への批判の声が高まる前に早いとこ、危ない戦闘の現場から逃げだそうという魂胆は見え見えだ。米軍が手を引くことで紛争が沈静化し、イランの一般の人々の犠牲がこれ以上増えないことは歓迎したいが、力は正義とばかりに気に入らない他国を攻撃する、それを結果的に容認したことの「報い」を国際社会はこれから受けることになるのか。ロシアの侵略を受けているウクライナへの余波も心配だ。
 他方、改善の気運が一向にみえない日中関係も憂鬱。正直、中国のことはよく分からない。私が東京の新聞社に就職し、国際部(当時は外報部と呼ばれた)に配属された1980年代は中国は今ほどの重要性は有していなかったように思う。地方支局勤務を経て、希望通りに国際部に配属された時、同期の記者は私を含めて5人いたが、中国語専門つまり将来の中国勤務を志望していた者は皆無だった。いくつかの転勤を経て、国際部をのぞくと、配属された若手記者は圧倒的に中国語専門の記者だったことに驚いたことを覚えている。国際社会に占める中国、そして日中関係の重要性が増したことを物語っている。
 今福岡に暮らし、日々の国際ニュースは読売新聞やネットの報道を中心にフォローしているが、正直、中国の政権の動向はよく分からない。気になるのは近年、政権幹部の理解に苦しむ反日、嫌日の発言の数々だ。高市政権になってからは憎悪感さえ漏れ伝わってくるように感じている。為政者から憎悪感むき出しの発言が繰り返される二国間関係が正常であるはずがない。気軽にこうした素朴な疑問を尋ねることができた尊敬する中国通の先輩記者は物故者となっており、残念至極。
 読売新聞の文化欄の「思潮」に興味深い記事が載っていた。文化部記者が出版されたばかりの論壇誌をざっくり解説した記事だ。興味深そうな論点がいくつか紹介されていたが、要するに日中関係が対等で良好だった時期は歴史上ほとんどなかったのだという。日本はかつて中国から漢字や仏教、食文化などを取り入れ、恩恵を受けたことはよく知られている。だから日中関係は「一衣帯水」「同文同種」とその緊密さをよく指摘されるが、日本の政治・外交はそうした情緒的な発想から脱却して、国家としての戦略に基づいた関係構築が求められているのだという。戦略なき「対話」の呼びかけは不毛だと断じていた。

また一句

20260327-1774601866.jpg 玉名温泉まで持参した文庫本を読み終えた。いろいろ考えさせられることがあった。備忘録のブログだから、感想をここに記しておきたい。『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著、河出文庫 2018年)。タイトルには袖見出しのような「記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?」という文言もみえる。
 脳科学者の恩蔵氏は最愛の母がアルツハイマー型認知症と診断された。門外漢の私が何とか理解できたことを以下に列挙すると、脳内で「今ここ」で起きていることを長期に記憶する部位は「海馬」と呼ばれる。年を重ねると誰でも脳が全体的に少しずつ萎縮するが、初期のアルツハイマー型認知症の人は海馬の萎縮が著しい。海馬は「記憶の中枢」とも呼ばれるが、記憶の貯蔵庫の役割は上部にある大脳皮質が担っている。海馬が傷つくと大脳皮質に保存されている記憶を呼び起こすのが困難になるとか。
 結論的に書けば、認知症となり、以前のことが思い出せなくなり、新しいことも覚えられなくなっても、認知症は“その人らしさ”までも奪ってしまう病ではないと脳科学者の恩蔵氏は説いている。さらに言えば、認知症の人には「理性は失われても感情は残っている」と言われるように、この感情こそが人間のモラルや理性の源らしい。感情を司るシステムは海馬の隣にある扁桃体が担う。理性だけでは対応できない状況下、力を発揮するのが感情だとか。アルツハイマー病では物事の理解力、判断力、記憶力といった能力は損なわれるが、感情は残っており、感情が作る“その人らしさ”もある。
 アルツハイマー病のリスクファクターの第一位は年齢だという。恩蔵氏は訴えている。「高齢化社会が進めば当然人口の中でこの病を持つ人の比率が高くなる。それは、誰もがこの病気と無縁ではいられなくなるということだ」。思い返せば、私の亡き母、亡き長姉も晩年は認知症となり、じれったい思いを抱きながら接してきた。明日は我が身ということだろう。母や姉の分まで精一杯健康に生きたい、生きねばならぬと思う。
                  ◇
 玉名温泉のトロン湯に連日何度も浸かっている。背中の帯状疱疹にどれほどの効能があるのか分からないが、じんわりと癒やしてくれているような気がしないでもない。私の他に湯治客はいないようで、私一人でお湯を独占することもしばしば。ぼけっとした頭でお湯の中に寝そべっていて、あ、そうだ、前回ここの湯に浸かっているときには拙い句をひねっていたことを思い出した。たかだか3か月ほど前のことだが、記憶もあやふや。
 このブログを振り返ってみると、以下の句があった。――木々枯れて 古希の身体に 痛みなお―― 師走、露天風呂からみえた光景を読んだ句だ。今回は特段の思いも浮かばないでいる。思案のあげくに浮かんだ一句は――ふと気づく 湯煙先に 山桜――。今回初めて気がついたのだが、露天風呂のすぐそばに桜の木があり、花を一杯咲かせていた。山桜と記したが、詳しくは知らない。今春、まともに見た初めての桜かもしれない。
 明日はまた在来線で福岡に戻る。久しく会っていない高校・大学の先輩からメールがあり、彼の研究室で再会することになった。彼は農学博士でこれまでも貴重な健康生活の助言を頂いてきている。認知症に関しても、予防策などあるのか尋ねてみようかしら。

再び玉名温泉

20260324-1774335722.jpg 3月もいよいよ最終週に突入。ずっと3月が続いて欲しいと願ってしまう。4月になればまた仕事が再開するからだ・・・などと情けないことを綴っている自分が情けない。でも、これは正直な気持ちだ。
 私は今再び玉名温泉のとあるホテルにいる。背中の帯状疱疹を癒やすため、そして何より、去りゆく旧年度の仕事の疲れを解くために、温泉の湯に浸かっている。昨日午後、最寄り駅から在来線で玉名駅まで。新幹線に乗車して新玉名駅ではなく、在来線で来られるのが嬉しい。前にも書いたかと思うが、私が泊まっているホテル周辺は喫茶店の類が皆無のようで物悲しくなるのだが、比較的安価に泊まれるのと、何より湯がいい。素人だから身体のどこに効くとか具体的に例証できないのが残念だが、少なくとも私の帯状疱疹に病んでいる背中には良さそうに思える。だから、ここに来れば朝午後深夜の三度も浸かる。
 今回は四五日、投宿する予定だ。週末も部屋の空きがあれば延長しても構わないと思っているが、週末までは無理だろう。今回も先週末は空きがなく、ネットでいろいろ探っていて、奇跡的に予約を入れることができた。前回はビジネスホテルのような狭い一室に閉じ込められたが、今回は和室で広々としており、大きな窓から外を一望できる。ベッドも二つ、ウォッシュレットのトイレもなぜか二つ、私にはもったいない部屋だ。これで一泊6,000円!
 このホテルに滞留している間に読む本も持参してきた。一つは主宰しているズームの英語教室で読んでいるオー・ヘンリー賞の作品集で、これを読み終えたいと考えている。その後に読みたい小説も目処がついている。日本語で書かれた小説で英訳本も出版されている。英訳本を日本語の原作と比べながら読むと楽しいかなと思わせる作品だ。言葉遊びが面白い作品で、読んでいて、ルイス・キャロルのあの有名な小説 “Alice’s Adventures in Wonderland”(邦訳『不思議の国のアリス』を思い出した。英語教室で読み始めたら、次の作品のことも追い追い書いていきたいと考えている。
                  ◇
 NHKラジオの外国語講座の番組が今月末から、放送時間帯が激変することを先に書いた。現行朝8時から放送されているのが「まいにちハングル講座」。その直前は「まいにちイタリア語」講座。イタリア語講座の最後に流れている案内が耳に入った。イタリア語講座はこれからは夜中というか未明というか午前2時15分から放送されるとか。そんな時間帯に起きていて講座に耳を傾ける人がいるものだろうか。もちろん、「ラジル★ラジル」という名のネット経由の無料配信サービスを活用すれば、過去一週間分の番組を自分の好きな時間帯に何度でも聴くことができる。だから、これまで同様の時間帯で聴取も可能。NHKのコスト削減のための不可避の措置とはいえ、長年早朝の時間帯に耳を傾けていた人たちは複雑な心境になるかもしれない。スポーツに例えれば、それまでチームのレギュラーだった選手が来月からは控えに回ってくれと言われたような感じだろうか。
 私がほぼ毎朝聴いている「ラジオ英会話」はこれまで同様、朝6時45分からの放送が維持される。とりあえずは私の朝の習慣に変わりはないが、正直に書くと、後で聞き返すと、あれ、こんな内容だったかなと思うこともしばしば。脳内はまだ眠っているからか。

可愛いEちゃん!

20260310-1773112967.jpg 朝夕はまだ寒いが、日中は春がすぐそこまで近づいているような気配を感じることが増えてきた。学校でも卒業式(終業式)シーズンを迎え、慌ただしい雰囲気だ。非常勤講師の身にはあまり関係はないが、任期終わりが近づき、来月からの新年度ははてさてどうしようかと思いを巡らしている。お金の問題ではない。いや、お金の問題もないことはないが、仕事は欲しい。それで子供たちの成長(学力)に貢献することができれば願ったり叶ったりではある。いずれにしろ、こちらは先方からの要請(依頼)がなければ動けない。しばし、様子見だ。古希を過ぎた独り身。少額の年金だけで糊口を凌ぐことは無理な話ではない。
20260315-1773565970.jpg なんだか話が暗くなってきたが、気分は悪くない。3月は行事が格段に増えることもあり、仕事(授業)がない日が続く。その分、報酬はなくなるが、読書なり散歩なり、好きなことを気楽にやれるのは有り難い。ずっとこのままでもいいやと思わなくもない。90歳までは働きたい、働かねばと願っているわりには意志薄弱か。
 とまあ、戯れ言はともかく、ごく最近、できうる限り現役で頑張りたいと思うできごとがあった。横浜から姪っ子夫妻が赤ん坊(女の子)を連れて会いに来てくれたのだ。昨年夏に生まれたEちゃん。これまでラインメールで日々の成長は写真を見て癒やされていたが、実際に会うのは初めてのこと。ほぼ毎日のようにスマホの画面で見ていたとはいえ、やはり実物は異なる。思ったより小さいのにちょっと驚き、しかし、抱っこしてみると、思いのほかずっしりと重いのにこれまたびっくり。いや、そんなことより、実に可愛いかった。私の年寄り顔を見て泣くのではないかと恐れていたが、はにかみ、慣れるにつれ、笑顔を見せるようになった。
 独身の私が孫を抱っこすることは一生ないが、そんなことは普段、意識せずに暮らしている。Eちゃんを抱いて、あやして、ふと思った。世の高齢の男はこういう喜びを味わい、人生の意義を感じているんだろうなあと。姪っ子の赤ちゃんを見て、世の普通の人たちの幸せを感じることになろうとは! 風来坊の私を神様が憐れみ、このような喜びを付与してくださったのだろう。Eちゃんが成人する、20歳になるまで頑張るとしたなら、私は92歳になっている。その頃まで現役でいたいと願う。まあ、公立の学校で教壇に立っているのは無理だろうが、私の夢はその頃はどこかで私設の語学堂みたいなものを設け、地域の老若男女に英中韓の三か国語を教えること。英はともかく、中韓はまだとても人様に教えるレベルに達していない。諦めてはいない。少しずつ前進して、いつか、これなら教えることのできるレベルではと思えるほどに上達したい。
 問題は体力というか健康。視力が弱ってきており、今、この項はソファーに座り、膝の上でパソコンを裸眼で打てているが、最近は細かい字は虫眼鏡で拡大して確認することが増えた。他の身体上はそう問題はないように思える。いや、ある。背中右の帯状疱疹の違和感はまだ消えていない。日中は何ら気になることはないが、明け方、ベッドの上でちょっとした違和感を今もなお感じている。いつ完治するのだろうと思う。
 とまあ、いろいろ願いかつ悩みは尽きないが、日々元気に仕事に励むことができる幸運を神様に感謝して生きている。「努力は足し算、感謝は掛け算」。主イエス様と郷里の銀鏡神社に感謝だ!

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