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英語でさるく 那須省一のブログ

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お肉も断捨離

 前項に続き、パソコンの悩み。YouTubeにアクセスできなくなった。どうもキャッシュと呼ばれるものが災いしているようだ。ネットでキャッシュを調べると、「一度読み込んだデータや情報を一時的に保存し、次回から素早く表示・処理できるようにする仕組みのこと」とある。データをため込み過ぎると、「端末のストレージ容量が圧迫され、アプリやブラウザの動作が重くなる」とも書いてある。
 アナログ人間の私には分かったような分からないような・・・。それでパソコンに向かい悪戦苦闘していたが。「キャッシュされた画像とファイル」を「今すぐクリア」しようと何度トライしたことか。残念ながら最後の「今すぐクリア」というコマンドにどうしてもたどり着けない。お手上げだ。
 それで何度も何度もトライしているうちに、「お気に入り」のリストが消えてしまった。なんじゃこりゃあという心境だ。普段アクセスしていた米大リーグや外国語学習のサイトのアドレスが見えなくなってしまったのだ。しっちゃかめっちゃか。不快指数が爆上がりだ。 
                  ◇
 肥満を意識するのは衣替えでズボンを履き替えようとする時だろうか。腹回りがきつくなっていることを実感せざるを得ない。半年前には楽にベルトを締めていたのに、ウエストがきつい。お腹をぐっと引き締めてやっとホックがかかる。危険信号だ。ウエストをしぼらなければ。どうすんべ? そうだ、私には腹筋道具がある!
 この話題も過去に何度書いたことか。ブログを振り返ってみると、何度か書いている。腹筋道具の写真まで付けて。この道具は大阪勤務時代に東京転勤のプレゼントとして同僚たちがプレゼントしてくれたものだ。福岡住まいとなっても思い出しては使い、すぐに忘れてほたっていた(放置していた)。2013年7月には次のように書いている。
 ――荷物を片していて、すっかり忘れていたものが出てきた。腹筋を鍛える健康器具だ。板の間に置いて、その上に横になり、足を器具の突端の下に入れれば、支えてくれる人がいなくても一人で腹筋ができる簡単至極な器具だ。これは大阪から東京に転勤(復帰)する時に同僚たちがプレゼントしてくれたものだ。いいものが出てきた。これでこれから腹筋をして、たるんだ体を鍛え直そう!――
 そう書いて13年以上の歳月が流れている。そして今またほこりをかぶっていた腹筋道具を取り出して腹筋のトレーニングを始めることにした。だが、年齢を重ねたこと、お腹に余分な脂肪がついたことなどが重なり、仰向けに寝転んだ後、上半身を起こすのが至難の業になってしまっていた。以前はそう苦しむことなく10回ぐらいは楽に起き上がれたような気がするが・・・。とにかく今は一回でも起き上がるのがとても苦しい。情けない。
                   ◇
 大リーグもプロ野球も佳境に入りつつある。プロ野球はとっくに見切りをつけていたと思っていたが、セリーグが首位阪神のこのところの低迷で2位巨人が猛追しつつあり、最近また興味を取り戻した。巨人が逆転優勝することにでもなれば・・・。いやまさか、まあ阪神が何とか逃げ切って優勝するだろう。日本シリーズに進出するかは分からないが。

原稿ではこれが No1,000!

 非常勤講師で教えている高校での授業は従来型の授業で、女子大で教えていた頃と異なり、パソコンを持ち込んでパワーポイントを駆使しての授業ではない。それでたまにはパワーポイントを使おうかと思い立ち、USBメモリーを持ち出して過去のパワーポイントを参考に、新たに教材を作ろうと試みた。USBメモリーをパソコンに差し込んだところまでは良かったが、ところがどっこい、それから先がどうも上手くいかない。
 そもそもファイルをどう作るか、作ったファイルを束ねるものをどうするか、はてあれは何と呼んでいたっけ? 思い出せない。情けない。女子大で教えていた頃は毎日のようにパワーポイントをアップデイトして講義に活用していた。調べたことを手元に残せるから、同じ講座を何年も連続して担当する時にはとても重宝していた。
 数日間、悶々としてパソコンに向かって悪戦苦闘した。一向に埒が明かない。YouTubeをのぞけばこうした類のパソコンの困りごとに懇切丁寧に答えてくれるものがあるが、アナログ人間の私はどうも苦手でお手上げ状態。幸いというか、非常勤講師の仕事をさせてもらっている高校にパソコンに詳しい先生がいることを思い出し、その先生に相談してみた。先生は私の疑問を聞くと「それって簡単ですよ」とさっと私の疑問点を解決してくれた。私が名前を忘れていたのはフォルダーというものだった。フォルダーを作り、名前をつけ、作ったパワーポイントなり資料をさくっとそのフォルダーに保存する。
 以前は難なく自分で処理していた事務作業。それをすっかり忘れていた。年齢による記憶力の低下、ぼけの始まり、よく分からないが、要するに、パソコンの基本的な機能に習熟していないということだろう。確かに見よう見まねで身につけてきたことだから、致し方ないと言えなくもない。本当は基礎から教わりたいと思ってないこともないのだが、年とともに段々億劫になってきている。ワードにこの文章を打ち込み、ブログを立ち上げ、写真があれば写真とともにアップする作業を何とかこなしているが、これとてやっとのことでやっつけているに過ぎない。
                  ◇
 壁にかけているカレンダーを見やると、来週(今週)の日曜から水曜まで赤い数字が並んでいる。嗚呼、これがラジオなどで時々耳にするようになったシルバーウィークと呼ばれる連休か。ゴールデンウィークには及ばないものの、通常では望めない休日が続くからシルバーウィークというのはすぐに理解できた。
 といっても私には何の予定もない。春先に出かけたお気に入りの玉名温泉のホテルが頭に浮かんだが、さすがに予約客で一杯だろう。背中の帯状疱疹を癒やせるなら何でもしたいのだが、住んでいる地元に散歩気分でふらっと出かけられる温泉がないのが残念だ。いっそのこと、宮崎までまた足を伸ばそうかとも考えたが、先月帰ったばかりだし、宮崎も混み合っていることだろう。
                  ◇
 このブログの原稿には毎回ノンブルをふって、保存している。ふと気づくとこの原稿がNo1,000。ブログ上に回数は書いておらず、1,000回の記念すべき項でも特段の感慨はない。

日傘と水飴

20260911-1789109841.jpg 前回の項で携帯の日傘を電車内に忘れた失態について書いた。恐れていた通り、日傘は出て来なかった。それで仕方なく百均に行ったが、日傘は置いてなかった。チェーン店の薬屋さんをのぞいたら置いてあった。値段は手頃な2,178円。失ったものはもっと高かった記憶があるが、これもまたどこかで忘れそうな気がするのでよしとしよう。
 新しい日傘を差しながら、ふと思った。日傘は英語では何と言うのだろうか。真っ先に頭に浮かぶのはsun umbrella だろうか。普通の辞書には載っていないようだが、ネットで調べると日傘の意味でこの語が紹介されている。parasol という語もあった。parasol はsun を頭に付け加えなくてもいいようだ。携帯日傘なら folding sun umbrella や folding parasol か。parasol と聞けば海辺の光景を想起するが、本来、日傘を意味する語らしい。
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 九月の声を聞いたものの何だか気の抜けた日々を過ごしている。まだ高校で週3日、英語を教えているのでこれが規律正しい生活を送る手立てになっているが、来年はどうなるか分からない。神様のprovidence(思し召し、差配)を信じる私は「漂うこと雲の如し、流れること水のごとく」生きたいと願っているが、どうなることやら・・・。
 些末なことにこだわりたくないのだが、最近右手の肌荒れが酷くなる一方だった。主因は台所仕事の洗剤にあることは以前、皮膚科の先生に指摘されていたので承知していた。ゴム手袋が肌にしっくりこなかったので、素手で洗剤を使っていたのが災いしたのだろう。右手の甲が赤く腫れ、痛みも無視できないほどになっていたため、ドラッグストアで手荒れを処置する薬を買い求め、それを患部に朝夜塗ってみた。嬉しいことに効果があったようで、数日後の今はだいぶ良くなり、手荒れが気にならなくなった。そのうちまた悩まされることになるのかもしれないが、取り急ぎ、酷い状態から解放されただけで嬉しく思っている。
                  ◇
 関西に住む新聞社勤務時代の同僚から珍品が贈られてきた。尼崎名産の水飴。早速頂いた。とても甘くて上品な味。説明書を読んで驚いた。「お米を原料として麦芽糖化した無添加の自然食品」と記されていたからだ。え、お米だけでこれだけの甘さを醸し出しているのか。水飴は瓶に入っており、向こう六か月ほどは日持ちがするとも。毎日ちょっとずつ楽しもう。  
                  ◇
 トランプ米大統領がまたまたとんでもないことを表明した。11月の中間選挙で与党・共和党が上下両院で多数派を維持できれば、全ての成人の米市民に1人5千ドル(約77万円)の「ご褒美」を付与すると宣ったのだ。あきれ果てて口あんぐりだ。普通の国で国政を預かる為政者が、いやどのような自治体であっても、大事な選挙の結果を左右するであろう、あのようなことを表明すれば、法的に厳しく処罰されるのはないだろうか。
 民主主義が深く根差していたとは言い難い、かつて勤務していたアフリカでも耳にしたことはない類の為政者の勝手気ままな「暴言」。アメリカという国は遂に落ちるところまで落ちてしまったのか。やがて来る大統領選で民主党候補が政権を奪還しても、取り返しのつかない事態に至っているのではないか。かの国はもはや「丘の上の輝ける町(国)」ではない!

携帯日傘を置き忘れ

 前項で切り干しダイコンについて書いた。その項をアップした直後に、あれ、以前に似たようなことを書いたことがあるような・・・。そうだとしたら、恥ずかしい。物書きの端くれとしてやってはいけないミスだ。それで過去のブログをスクロールしてみると、嗚呼、なんということだ。全く同じことを書いているのではないか。それもたかだか3か月前に。らっきょう酢とか干し椎茸などの効能についても何度か書いてはいるが、それはその都度書きたくなる新しい状況があったから、今回の切り干しダイコンの話とは別物。
 古希を過ぎて肉体的な衰えは自覚せざるを得ないが、脳機能も確実に衰えているようだ。どうすんべ? いや、どうもこうもない。現状を自覚して気をつけていくしかない。最近は情けない失敗が増えているような気がしてならない。つい最近も電車の座席にお気に入りの携帯日傘を忘れてしまった。改札口のところで気づいたが、ときすでに遅し。一応、駅事務所で急ぎ遺失物のライン登録をしたが、まあ、届け出はないだろう。まだ、暑さは続くようだ。新しい携帯日傘を買い求めるしか手はないようだ。百均でものぞくか。
                  ◇
 最近はあまり中国語のことを書いていない。興味・関心がなくなったわけではない。NHKラジオの中国語講座はできるだけ聴取を続けている。まあしかし、かつての一生懸命さはないかもしれない。進歩の度合いが急ブレーキをかけたように「停滞」しているからだろう。言い訳ではないが、中国語や韓国語学習の熱意が下がったのは、頼みの綱としているNHKラジオの語学放送が信じ難い未明の時間帯に変更になったことも一因しているかと思う。
 そう思いながら、中国語の講座に耳を傾けると、「私は猫よりも犬が好き」という比較表現を説明していた。一度はどこかで学習したはずだが、すっかり忘れていた。比較だから「比」(bǐ)という語を使えばいいのだといった程度のことは覚えていた。しかし、上記の文章の場合は次のような文章になるという。比起猫我更喜欢狗。·日本語の語順に忠実に「我比猫喜欢狗。」とすると、どうやら「私は猫と比べて、犬が好き」となり、猫が犬を好きな以上に、私の方が犬のことを好きだ」というへんてこな文意となるのだとか。そういうことを講師の方はおっしゃっていた。
 だから、そういう誤解を防ぐためには、「比起猫我更喜欢狗。」と言うべきだと。「比起」(bǐqǐ)という語句を文頭に置くと、私は猫と犬を比較すると、猫よりも犬の方が好きと明確に伝えられるとか。なるほど。それはよく分かった。しかし、普通に「私は猫よりも犬が好き」(我比猫喜欢狗。)で十分その意が伝わるような気がするが、どうもそうではないようだ。同様に、「私は彼よりスキーが好きです(彼もスキーを好きだが、私の方がもっとスキーを好きだ)は「我比他喜欢滑雪。」となり、「私は彼よりもスキーが好きだ(彼といるよりスキーをしていたいような意)の場合は「比起他我更喜欢滑雪。」となるのだとか。
 日本語で普通に「私は彼よりスキーが好きです」と言えば、「私は彼といるよりスキーをしていたい」ような意味になるかと思うが、よく分からない。いずれにせよ、久しぶりに中国語をパソコンで入力しようと思ったら、その方法を忘れていた。これも情けなやだ。何回かトライしてやっと思い出した次第。

切り干しダイコン

 福岡はまだ真夏のような猛暑が続いている。いや、日本中がそうかもしれない。私は暑さに弱いということはないが、さすがに「もう勘弁してくれ」と言いたくなる。以前に書いたことがあるが、温暖化の進行で日本は温帯ではなく、亜熱帯の域に入りつつあるのでないかと危惧する。国内各地で被害をもたらしている線状降水帯による豪雨も江戸や明治時代、いや、大正、昭和時代には考えられなかったようなものだろう。令和の今の日本ではそれが日常茶飯事になりつつある。昔の人はこんな時、「長生きはしたくないねえ」とぼやいたことだろう。
 令和に暮らしている私は「お迎え」がまだ当分来そうにはないようだから、そんなありがたくないものにも付き合っていかねばならない。幸い、福岡の地は大地震や豪雨被害はいまのところ無縁のようだが、いつまでもそういうわけにはいかないだろう。心のどこかに常にそうした緊急事態に備える気持ちを抱いておかねば。幸か不幸か独り身の私は自分一人の身を案じるだけでいい。いや、本当はそうはなりたくなかったのだが・・・。
                  ◇
 毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書 “Walking in Grace 2026” に次の一節。
 Baptism, by default, is a communal event, not a private one. 意味合いはだいたい推量できた。「洗礼は個人的な行事ではなく共同体の行事である」。現代の日本人には「個人的な」と訳すよりも「プライベートな」とした方がぴったり来るかもしれない。私がちょっと戸惑ったのはこれではなく、by defaul という語句だ。以前にも辞書等で調べた記憶があるが、どうもピタッとくる訳語を見つけきらなかったようだ。上記の文章でまた迷ってしまった。
 私の(電子)辞書にはどうも良さそうな訳語が載っていない。ネットで検索してみた。あった。「初期設定で」「自動的に」「消極的な理由で(他に選択肢がないため結果的に)」といった意味が紹介されていた。つまりby default は「本来(当然そうあるべき姿として)」や「基本として」「自然とそうなるものとして」という意味を持つ。上記の文章は従って「洗礼は本来、共同体の行事である」と訳せる。これでようやく理解できた(ような気がする)。
                  ◇
 この夏はよく飲んだ。といっても昔ほどではないが、ほぼ毎晩、時には日が高いうちから飲んだ。大好きなビールは自宅では飲まないようにしているが、関西の知人が缶ビールのボックスを送ってくれたこともあり、これ幸いと連日飲んだ。ウイスキーや焼酎のハイボールも飲んだ。久しぶりに飲んだウイスキーのハイボールが嬉しかった。
 肴はスーパーで買ってきた刺身。さすがに健康面を考えて野菜もできるだけ食べようとしたが、私はどうも野菜が勝手が悪い。キャベツにしろレタスにしろ、残すところなく食べきったことは皆無に近い。もったいない。近頃はまりつつあるのが郷土の切り干しダイコン。切り干しダイコンはどこかで滋養たっぷりと書いてあって、気になっていた。椎茸もそうだが、乾燥させると生よりも滋養がぐんと上がる食品なのだろう。それに安い。倉碗デカ、いや食らわんでか!
 かくして今日も台所に立ち、切り干しダイコンを水で戻し、フライパンで炒める。

そろそろ怠惰な日々に活を!

 NHKラジオの英会話講座を聴いていたら、“Try writing one haiku.”という文章が流れてきた。「俳句を一つ書いてみなさい」という意味であることは理解できる。try の後に動名詞が続くと、動名詞が表す行為を実際にやってみる、試しにやってみるという意味になることは承知していた。tryはその後に動名詞もto 不定詞も取ることができる動詞だ。それは分かっていたが、久しぶりにラジオの英語講座で耳にすると正直ちょっと戸惑った。
 それではto 不定詞、つまり上記の文章が “Try to write one haiku.” だったら、どういう意味合いの違いを醸すのだろう。“try to write one haiku”では「俳句を作ろうと努力する、挑戦する」という意味合いとなり、実際に俳句が書けたかどうかまでは分からない。“try writing one haiku” では「(できはともかく)書いてみなさい」ということで、やはり微妙な違いがある。
 上記のことは普段の高校英語の授業でも説明した覚えがあるが、何の脈絡もなく、そうした英文を耳にすると、さすがに戸惑った次第だ。国語の先生が教室で子供たちに俳句を作ってみなさいと言う時には、“Try writing one haiku.” でも “Try to write one haiku.” でもいいかと思う。しかし、例えば “He tried to write one haiku.” と “He tried writing one haiku.” と過去形の文章にしてみると、前者は「彼は俳句を一つ書こうとしてみた(が、うまくできなかった)という印象があるのに対し、後者は「彼は(試しに)俳句を一つ書いてみた」と実際に俳句をひねってみたことを伝えている。
 こういうことを書いておきたくなるのも、実は、社会人として、英語を使う場に直面していると、あまりこうしたことを熟考する機会がないからだ。文法的知識が欠如していて致命的な間違いをすることがないと断言はできない。結構そういう危険はあるかもしれない。私自身、忘れているだけのことかもしれない。でも、文法の教科書を読んでいて、あ、こういうニュアンスの違いがあるんだなと改めて気づかされることが少なくないような気がする。
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 スマホのスクリーン上にあるAbemaTV。前回の項で記した通り、これまでGoogleやYouTubeは結構利用してきていたが、AbemaTVはあま改めてり触ることはなかった。利用の仕方がよく分からなかったからだ。このチャンネルで韓国ドラマが見れる、それも無料で見れることが分かったので、毎日利用するようになった。今見ているのは現代のラブロマンスのドラマ。あり得ないようなドラマなので閉口することもあるが、言葉の勉強になるので、我慢して見ている。何より、ヒロインの女優がとてもかわいい、いや、美人だ。
 このドラマは全15話で完結ということが分かっているのもいい。全150話とか言われたら、とても「完走」する体力・気力がない。
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 クーラーなしでは生きていけない日々が今も続いている。ベッドがある寝室にはクーラーがなく、テレビとソファーがある部屋のクーラーは寝室までは冷やすのが難しいため、ソファーに横になって寝ている。だが、ソファーだと眠りが浅いようだ。眠りが浅いから疲れが取れないという悪循環の日々。そろそろこういうだらしない生活を打破せねば。

『財閥家の末息子』

 福岡に戻り、ぼけっとしている。いや一年中、ぼけっとしているのかもしれないが。来週からは仕事が再開する。昔は二学期は9月からという認識だったが、昨今は学校の夏休みは8月中に終わるようだ。子供たちがちょっとかわいそうにも思える。
 寝転んでぼけっとしているので、普段はあまり使用しないスマホの機能をいじっていた。スクリーン上にアイコンが見えるABEMA。クリックするとスポーツからバラエティ、歌番組、アニメ、麻雀など、さまざまなチャンネルが目に飛び込んでくる。韓国や中国のドラマもこれでもかというほど目白押しだ。選択肢が多すぎて、だらだらとスクロールしていたら、何だか韓国のドラマに行き当たった。韓国語が流れてきて、日本語の字幕が付いていた。途中からなので、物語の筋なんかは全然分からないが、登場人物が交わす韓国語の会話が少し理解できるので、何となく見やっていた。
 そして気がついたら、またはまってしまっていた。また、と書くのは、これまでに軽い気持ちで見始めて何回か、釘付けになったことがあるからだ。もっともスマホではなく、自宅のケーブルテレビでだった。韓国ドラマは展開が容易に予想できて毒づきたくなるものもあるが、緊迫のシーンを手際よく挟み、気づいたらのめり込んでいるものもある。日本のテレビ(ドラマ)を見なくなって久しいが、日本のドラマで韓国のドラマに太刀打ちできるものがあるのだろうかと思わないこともない。あったとしても見ることはないだろうが・・。
20260819-1787137982.jpg 今回はまったのは日本語訳では『財閥家の末息子』。ファンタジー復讐劇と紹介されていた。ネット検索すると以下のように記されている。2022年末に韓国のテレビ局が放送したドラマで、巨大な財閥のスニャングループに君臨する一家の跡目相続を巡る争いが1980年代の韓国の経済危機や民主化を経ての熾烈な大統領選などを背景に描かれている。主人公はイケメンの男優ソン・ジュンギが演じる財閥家の三男の息子、チン・ドジュン。冷静沈着な若者で高圧的な叔父や叔母のプレッシャーにもめげず、やがて祖父であり、この物語の真の主人公と思えるスニャングループ会長チン・ヤンチョルの信頼を勝ち得ていく。
 このヤンチョルを演じる男優の演技が素晴らしい。韓国ドラマを見ていると。あれ、この俳優見たことあるぞと思うことがしばしばあるが、ヤンチョルを演じていたイ・ソンミンは初めて。財閥を仕切る男のプライド、金(儲け)こそ全てという考え、グループの存続繁栄しか頭にない人生哲学を見事に演じ切っていた。ヤンチョルがソウルの寿司店を訪れ、その味がいまいちだと指摘し、そもそも日本の一流の寿司店では寿司1貫にお米の量はどれほど入っているかと板前に尋ねるシーンが印象的だった。記憶があやふやだが、板前が答えに戸惑っていると、彼は「普通(ランチ)は320粒、夕食では酒が入るため少し少なめ、280粒ほどだ」と言う。
 私は感心しながら見た。よくまあご存知だこと。今改めてネットでチェックすると、このエピソードは実は韓国最大の財閥グループのサムスン創業者の故・李秉喆(イ・ビョンチョル)会長の実際の逸話に基づいた台詞だという指摘があった。とにかく久しぶりに韓国ドラマを堪能した。韓国語の学習にもいいのだろう。でもはまりたくはないんだよな・・・と思いながら、スマホでまた別の韓国ドラマを見始めている自分がいる。

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