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英語でさるく 那須省一のブログ

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日傘と水飴

20260911-1789109841.jpg 前回の項で携帯の日傘を電車内に忘れた失態について書いた。恐れていた通り、日傘は出て来なかった。それで仕方なく百均に行ったが、日傘は置いてなかった。チェーン店の薬屋さんをのぞいたら置いてあった。値段は手頃な2,178円。失ったものはもっと高かった記憶があるが、これもまたどこかで忘れそうな気がするのでよしとしよう。
 新しい日傘を差しながら、ふと思った。日傘は英語では何と言うのだろうか。真っ先に頭に浮かぶのはsun umbrella だろうか。普通の辞書には載っていないようだが、ネットで調べると日傘の意味でこの語が紹介されている。parasol という語もあった。parasol はsun を頭に付け加えなくてもいいようだ。携帯日傘なら folding sun umbrella や folding parasol か。parasol と聞けば海辺の光景を想起するが、本来、日傘を意味する語らしい。
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 九月の声を聞いたものの何だか気の抜けた日々を過ごしている。まだ高校で週3日、英語を教えているのでこれが規律正しい生活を送る手立てになっているが、来年はどうなるか分からない。神様のprovidence(思し召し、差配)を信じる私は「漂うこと雲の如し、流れること水のごとく」生きたいと願っているが、どうなることやら・・・。
 些末なことにこだわりたくないのだが、最近右手の肌荒れが酷くなる一方だった。主因は台所仕事の洗剤にあることは以前、皮膚科の先生に指摘されていたので承知していた。ゴム手袋が肌にしっくりこなかったので、素手で洗剤を使っていたのが災いしたのだろう。右手の甲が赤く腫れ、痛みも無視できないほどになっていたため、ドラッグストアで手荒れを処置する薬を買い求め、それを患部に朝夜塗ってみた。嬉しいことに効果があったようで、数日後の今はだいぶ良くなり、手荒れが気にならなくなった。そのうちまた悩まされることになるのかもしれないが、取り急ぎ、酷い状態から解放されただけで嬉しく思っている。
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 関西に住む新聞社勤務時代の同僚から珍品が贈られてきた。尼崎名産の水飴。早速頂いた。とても甘くて上品な味。説明書を読んで驚いた。「お米を原料として麦芽糖化した無添加の自然食品」と記されていたからだ。え、お米だけでこれだけの甘さを醸し出しているのか。水飴は瓶に入っており、向こう六か月ほどは日持ちがするとも。毎日ちょっとずつ楽しもう。  
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 トランプ米大統領がまたまたとんでもないことを表明した。11月の中間選挙で与党・共和党が上下両院で多数派を維持できれば、全ての成人の米市民に1人5千ドル(約77万円)の「ご褒美」を付与すると宣ったのだ。あきれ果てて口あんぐりだ。普通の国で国政を預かる為政者が、いやどのような自治体であっても、大事な選挙の結果を左右するであろう、あのようなことを表明すれば、法的に厳しく処罰されるのはないだろうか。
 民主主義が深く根差していたとは言い難い、かつて勤務していたアフリカでも耳にしたことはない類の為政者の勝手気ままな「暴言」。アメリカという国は遂に落ちるところまで落ちてしまったのか。やがて来る大統領選で民主党候補が政権を奪還しても、取り返しのつかない事態に至っているのではないか。かの国はもはや「丘の上の輝ける町(国)」ではない!

携帯日傘を置き忘れ

 前項で切り干しダイコンについて書いた。その項をアップした直後に、あれ、以前に似たようなことを書いたことがあるような・・・。そうだとしたら、恥ずかしい。物書きの端くれとしてやってはいけないミスだ。それで過去のブログをスクロールしてみると、嗚呼、なんということだ。全く同じことを書いているのではないか。それもたかだか3か月前に。らっきょう酢とか干し椎茸などの効能についても何度か書いてはいるが、それはその都度書きたくなる新しい状況があったから、今回の切り干しダイコンの話とは別物。
 古希を過ぎて肉体的な衰えは自覚せざるを得ないが、脳機能も確実に衰えているようだ。どうすんべ? いや、どうもこうもない。現状を自覚して気をつけていくしかない。最近は情けない失敗が増えているような気がしてならない。つい最近も電車の座席にお気に入りの携帯日傘を忘れてしまった。改札口のところで気づいたが、ときすでに遅し。一応、駅事務所で急ぎ遺失物のライン登録をしたが、まあ、届け出はないだろう。まだ、暑さは続くようだ。新しい携帯日傘を買い求めるしか手はないようだ。百均でものぞくか。
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 最近はあまり中国語のことを書いていない。興味・関心がなくなったわけではない。NHKラジオの中国語講座はできるだけ聴取を続けている。まあしかし、かつての一生懸命さはないかもしれない。進歩の度合いが急ブレーキをかけたように「停滞」しているからだろう。言い訳ではないが、中国語や韓国語学習の熱意が下がったのは、頼みの綱としているNHKラジオの語学放送が信じ難い未明の時間帯に変更になったことも一因しているかと思う。
 そう思いながら、中国語の講座に耳を傾けると、「私は猫よりも犬が好き」という比較表現を説明していた。一度はどこかで学習したはずだが、すっかり忘れていた。比較だから「比」(bǐ)という語を使えばいいのだといった程度のことは覚えていた。しかし、上記の文章の場合は次のような文章になるという。比起猫我更喜欢狗。·日本語の語順に忠実に「我比猫喜欢狗。」とすると、どうやら「私は猫と比べて、犬が好き」となり、猫が犬を好きな以上に、私の方が犬のことを好きだ」というへんてこな文意となるのだとか。そういうことを講師の方はおっしゃっていた。
 だから、そういう誤解を防ぐためには、「比起猫我更喜欢狗。」と言うべきだと。「比起」(bǐqǐ)という語句を文頭に置くと、私は猫と犬を比較すると、猫よりも犬の方が好きと明確に伝えられるとか。なるほど。それはよく分かった。しかし、普通に「私は猫よりも犬が好き」(我比猫喜欢狗。)で十分その意が伝わるような気がするが、どうもそうではないようだ。同様に、「私は彼よりスキーが好きです(彼もスキーを好きだが、私の方がもっとスキーを好きだ)は「我比他喜欢滑雪。」となり、「私は彼よりもスキーが好きだ(彼といるよりスキーをしていたいような意)の場合は「比起他我更喜欢滑雪。」となるのだとか。
 日本語で普通に「私は彼よりスキーが好きです」と言えば、「私は彼といるよりスキーをしていたい」ような意味になるかと思うが、よく分からない。いずれにせよ、久しぶりに中国語をパソコンで入力しようと思ったら、その方法を忘れていた。これも情けなやだ。何回かトライしてやっと思い出した次第。

切り干しダイコン

 福岡はまだ真夏のような猛暑が続いている。いや、日本中がそうかもしれない。私は暑さに弱いということはないが、さすがに「もう勘弁してくれ」と言いたくなる。以前に書いたことがあるが、温暖化の進行で日本は温帯ではなく、亜熱帯の域に入りつつあるのでないかと危惧する。国内各地で被害をもたらしている線状降水帯による豪雨も江戸や明治時代、いや、大正、昭和時代には考えられなかったようなものだろう。令和の今の日本ではそれが日常茶飯事になりつつある。昔の人はこんな時、「長生きはしたくないねえ」とぼやいたことだろう。
 令和に暮らしている私は「お迎え」がまだ当分来そうにはないようだから、そんなありがたくないものにも付き合っていかねばならない。幸い、福岡の地は大地震や豪雨被害はいまのところ無縁のようだが、いつまでもそういうわけにはいかないだろう。心のどこかに常にそうした緊急事態に備える気持ちを抱いておかねば。幸か不幸か独り身の私は自分一人の身を案じるだけでいい。いや、本当はそうはなりたくなかったのだが・・・。
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 毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書 “Walking in Grace 2026” に次の一節。
 Baptism, by default, is a communal event, not a private one. 意味合いはだいたい推量できた。「洗礼は個人的な行事ではなく共同体の行事である」。現代の日本人には「個人的な」と訳すよりも「プライベートな」とした方がぴったり来るかもしれない。私がちょっと戸惑ったのはこれではなく、by defaul という語句だ。以前にも辞書等で調べた記憶があるが、どうもピタッとくる訳語を見つけきらなかったようだ。上記の文章でまた迷ってしまった。
 私の(電子)辞書にはどうも良さそうな訳語が載っていない。ネットで検索してみた。あった。「初期設定で」「自動的に」「消極的な理由で(他に選択肢がないため結果的に)」といった意味が紹介されていた。つまりby default は「本来(当然そうあるべき姿として)」や「基本として」「自然とそうなるものとして」という意味を持つ。上記の文章は従って「洗礼は本来、共同体の行事である」と訳せる。これでようやく理解できた(ような気がする)。
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 この夏はよく飲んだ。といっても昔ほどではないが、ほぼ毎晩、時には日が高いうちから飲んだ。大好きなビールは自宅では飲まないようにしているが、関西の知人が缶ビールのボックスを送ってくれたこともあり、これ幸いと連日飲んだ。ウイスキーや焼酎のハイボールも飲んだ。久しぶりに飲んだウイスキーのハイボールが嬉しかった。
 肴はスーパーで買ってきた刺身。さすがに健康面を考えて野菜もできるだけ食べようとしたが、私はどうも野菜が勝手が悪い。キャベツにしろレタスにしろ、残すところなく食べきったことは皆無に近い。もったいない。近頃はまりつつあるのが郷土の切り干しダイコン。切り干しダイコンはどこかで滋養たっぷりと書いてあって、気になっていた。椎茸もそうだが、乾燥させると生よりも滋養がぐんと上がる食品なのだろう。それに安い。倉碗デカ、いや食らわんでか!
 かくして今日も台所に立ち、切り干しダイコンを水で戻し、フライパンで炒める。

そろそろ怠惰な日々に活を!

 NHKラジオの英会話講座を聴いていたら、“Try writing one haiku.”という文章が流れてきた。「俳句を一つ書いてみなさい」という意味であることは理解できる。try の後に動名詞が続くと、動名詞が表す行為を実際にやってみる、試しにやってみるという意味になることは承知していた。tryはその後に動名詞もto 不定詞も取ることができる動詞だ。それは分かっていたが、久しぶりにラジオの英語講座で耳にすると正直ちょっと戸惑った。
 それではto 不定詞、つまり上記の文章が “Try to write one haiku.” だったら、どういう意味合いの違いを醸すのだろう。“try to write one haiku”では「俳句を作ろうと努力する、挑戦する」という意味合いとなり、実際に俳句が書けたかどうかまでは分からない。“try writing one haiku” では「(できはともかく)書いてみなさい」ということで、やはり微妙な違いがある。
 上記のことは普段の高校英語の授業でも説明した覚えがあるが、何の脈絡もなく、そうした英文を耳にすると、さすがに戸惑った次第だ。国語の先生が教室で子供たちに俳句を作ってみなさいと言う時には、“Try writing one haiku.” でも “Try to write one haiku.” でもいいかと思う。しかし、例えば “He tried to write one haiku.” と “He tried writing one haiku.” と過去形の文章にしてみると、前者は「彼は俳句を一つ書こうとしてみた(が、うまくできなかった)という印象があるのに対し、後者は「彼は(試しに)俳句を一つ書いてみた」と実際に俳句をひねってみたことを伝えている。
 こういうことを書いておきたくなるのも、実は、社会人として、英語を使う場に直面していると、あまりこうしたことを熟考する機会がないからだ。文法的知識が欠如していて致命的な間違いをすることがないと断言はできない。結構そういう危険はあるかもしれない。私自身、忘れているだけのことかもしれない。でも、文法の教科書を読んでいて、あ、こういうニュアンスの違いがあるんだなと改めて気づかされることが少なくないような気がする。
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 スマホのスクリーン上にあるAbemaTV。前回の項で記した通り、これまでGoogleやYouTubeは結構利用してきていたが、AbemaTVはあま改めてり触ることはなかった。利用の仕方がよく分からなかったからだ。このチャンネルで韓国ドラマが見れる、それも無料で見れることが分かったので、毎日利用するようになった。今見ているのは現代のラブロマンスのドラマ。あり得ないようなドラマなので閉口することもあるが、言葉の勉強になるので、我慢して見ている。何より、ヒロインの女優がとてもかわいい、いや、美人だ。
 このドラマは全15話で完結ということが分かっているのもいい。全150話とか言われたら、とても「完走」する体力・気力がない。
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 クーラーなしでは生きていけない日々が今も続いている。ベッドがある寝室にはクーラーがなく、テレビとソファーがある部屋のクーラーは寝室までは冷やすのが難しいため、ソファーに横になって寝ている。だが、ソファーだと眠りが浅いようだ。眠りが浅いから疲れが取れないという悪循環の日々。そろそろこういうだらしない生活を打破せねば。

『財閥家の末息子』

 福岡に戻り、ぼけっとしている。いや一年中、ぼけっとしているのかもしれないが。来週からは仕事が再開する。昔は二学期は9月からという認識だったが、昨今は学校の夏休みは8月中に終わるようだ。子供たちがちょっとかわいそうにも思える。
 寝転んでぼけっとしているので、普段はあまり使用しないスマホの機能をいじっていた。スクリーン上にアイコンが見えるABEMA。クリックするとスポーツからバラエティ、歌番組、アニメ、麻雀など、さまざまなチャンネルが目に飛び込んでくる。韓国や中国のドラマもこれでもかというほど目白押しだ。選択肢が多すぎて、だらだらとスクロールしていたら、何だか韓国のドラマに行き当たった。韓国語が流れてきて、日本語の字幕が付いていた。途中からなので、物語の筋なんかは全然分からないが、登場人物が交わす韓国語の会話が少し理解できるので、何となく見やっていた。
 そして気がついたら、またはまってしまっていた。また、と書くのは、これまでに軽い気持ちで見始めて何回か、釘付けになったことがあるからだ。もっともスマホではなく、自宅のケーブルテレビでだった。韓国ドラマは展開が容易に予想できて毒づきたくなるものもあるが、緊迫のシーンを手際よく挟み、気づいたらのめり込んでいるものもある。日本のテレビ(ドラマ)を見なくなって久しいが、日本のドラマで韓国のドラマに太刀打ちできるものがあるのだろうかと思わないこともない。あったとしても見ることはないだろうが・・。
20260819-1787137982.jpg 今回はまったのは日本語訳では『財閥家の末息子』。ファンタジー復讐劇と紹介されていた。ネット検索すると以下のように記されている。2022年末に韓国のテレビ局が放送したドラマで、巨大な財閥のスニャングループに君臨する一家の跡目相続を巡る争いが1980年代の韓国の経済危機や民主化を経ての熾烈な大統領選などを背景に描かれている。主人公はイケメンの男優ソン・ジュンギが演じる財閥家の三男の息子、チン・ドジュン。冷静沈着な若者で高圧的な叔父や叔母のプレッシャーにもめげず、やがて祖父であり、この物語の真の主人公と思えるスニャングループ会長チン・ヤンチョルの信頼を勝ち得ていく。
 このヤンチョルを演じる男優の演技が素晴らしい。韓国ドラマを見ていると。あれ、この俳優見たことあるぞと思うことがしばしばあるが、ヤンチョルを演じていたイ・ソンミンは初めて。財閥を仕切る男のプライド、金(儲け)こそ全てという考え、グループの存続繁栄しか頭にない人生哲学を見事に演じ切っていた。ヤンチョルがソウルの寿司店を訪れ、その味がいまいちだと指摘し、そもそも日本の一流の寿司店では寿司1貫にお米の量はどれほど入っているかと板前に尋ねるシーンが印象的だった。記憶があやふやだが、板前が答えに戸惑っていると、彼は「普通(ランチ)は320粒、夕食では酒が入るため少し少なめ、280粒ほどだ」と言う。
 私は感心しながら見た。よくまあご存知だこと。今改めてネットでチェックすると、このエピソードは実は韓国最大の財閥グループのサムスン創業者の故・李秉喆(イ・ビョンチョル)会長の実際の逸話に基づいた台詞だという指摘があった。とにかく久しぶりに韓国ドラマを堪能した。韓国語の学習にもいいのだろう。でもはまりたくはないんだよな・・・と思いながら、スマホでまた別の韓国ドラマを見始めている自分がいる。

絶品の鰻

20260811-1786454882.jpg 福岡に戻って来てほっと一息つく間もなく、郷里の宮崎に帰った。実家にあるお墓に手を合わせ、地元の神社にも久しぶりに参拝した。郷里に戻ると心が穏やかになる。本当は数日実家にごろごろしていたいのだが、両親も死去し、長兄も病没した今となってはそうもいかない。
 日曜夜は郷里の小中学で学んだ幼馴染みの数人と宮崎市内の居酒屋に集い、楽しい一夜を過ごした。田舎で育った私たちは学年全員でもたいした数ではない。40人かそこいらではないか。そうした少人数が小中9年間も一緒に学んだわけだから、高校とは異なり、小中の同級生とは何とも形容し難い関係性があるように思える。特に高齢者の仲間入りをした今は、既に鬼籍に入った者もいる。お互いいつまでも健康でいて、時にこうやって思い出を語り合える場を持ちたいと心から願う。
20260811-1786454932.jpg 宮崎に帰れば、食べるのが楽しみ。食したいのはいろいろあれど、何といっても、郷里の西都市穂北地区にある鰻の入船。毎回足を運びたい老舗だが、なにしろ、予約できないのが難点。お店に行き、名前を記帳して、順番を我慢強く待たねばならない。これが嫌で私は時に宅急便で取り寄せて食するのが専ら。今日は妹が車でお店まで行き、朝9時に記帳して、順番を確保、11時にお店に足を運んだ。到着した時、既にして2時間待ちの客も。
20260811-1786454972.jpg 久しぶりに入船のお店で食した鰻はさすがに絶品だった。写真を通してその美味さが伝わることを願う。妹にご馳走してもらったのは「うなぎ定食」(3,770円)。鰻が美味かったのは言うに及ばず。吸い物の「ご汁」がよそでは食べられない郷土料理。改めてネットで検索すると、「水に浸してすり潰した大豆を味噌汁に加えたもの」とある。不思議な味わいの吸い物だ。
 西都市は有名な温泉地ではないが、温泉もないことはない。例えば市内中心地に近い西都温泉。入浴料金660円。素泊まりもできる。一泊4,600円。私はここの湯質が好きで、時間の余裕があれば、浸かりに行く。サウナもついており、近くに住んでいれば、毎日のように通うことだろう。考えてみれば、台湾の旅では一度も温泉に浸かっていない。探せばあったのだろうが、残念といえば残念!
 さて、明日は福岡に戻る予定。問題がないわけではない。交通手段だ。熊本地震の影響でいつもの新幹線を使っての高速バスの路線が利用できない。日曜日はJRの日豊線の特急で小倉経由、大分乗り換えで帰郷したが、大分から宮崎までの指定席が満杯でかなりの時間、自由席で立ちっぱなしを余儀なくされた。実に疲れた。逆のルートであれをまたやれと言われれば、ノーサンキューだ。はてさてどうしよう。飛行機という手もあるが、ウーン。
 結局、宮崎駅から特急の自由席に乗車しての福岡行きに決めた。発車時刻のだいぶ前からホームで電車を待てばいいのではないか。始発駅だから、自由席でも何とか座ることができるのではないか。問題は乗り換えの大分駅だ。さあ、どうなることやら。宮崎最後の夜はこの日見舞ったいとこの奥さんと長男と三人で食事した。ビールと焼酎も飲んだ。長男とは初めて酒(焼酎)を酌み交わした。いとこは難病を患い、病院のベッドに寝たきりの日々が続いているが、三人の子供を立派に育て上げ、独り身の私から見たら羨ましい人生だ。

水餃子

20260806-1786023838.jpg 台北のホテルをチェックアウトして空港に向かう。あっという間の1週間だった。もっと準備をしていればと悔いること多々。まあ性格というか性分だから仕方ない。よそ様に迷惑をかけたわけではないから諦めよう。昨日は記憶の彼方にある大学を再訪しただけで終わった。成果もないから再訪とは名ばかりだ。
 昼飯は胃袋が疲れているので日本食を欲した。台北は至る所に日本食レストランの看板が見える。7,8年前と比べても格段に増えている気がする。こちらも名ばかりのレストランが少なくないのかもしれない。ホテルの裏手には鰻を食わせるレストランが繁盛している。久しぶりにのぞいた。うな重の小を注文。まだお昼だが、ビールに冷や奴も頼んだ。十分満足した。締めて500元(約2,500円)。お客で賑わっていた。地元客も多いのだろう。私は宮崎の郷里にお気に入りの鰻店があり、国内ではよそで鰻を食する気にはなかなかなれないが、海外では全く別の話。
 夜は昔、よく行っていた食堂をのぞいた。そこではいつも注文するものは決まっていた。牛肉麵と水餃子。水餃子が特に好きだった。台北、というか台湾の食堂がいいのは一人客が気兼ねなく食事できることだ。見ていると夕食の時間帯でも一人客が、それも女性の一人客が堂々と食事をしていることだ。日本だとなかなか見かけない光景かもしれない。私のような一人の旅行客にはとてもありがたい。何度か書いているが、私のような小柄で帽子をかぶり、口髭(鼻髭?)を生やしている男はすぐに日本人と分かるようで、親日的な台湾では好意的に遇してくれることが多い。
20260806-1786023972.jpg ホテル近くにあるこの食堂に夕刻足を運び、上記のように牛肉麵と水餃子を頼んだ。水餃子は久しく注文していないので、メニューを見てもどれがどれだかよく分からない。それで適当にメニューの漢字(繁体字)を指して注文。缶ビールも冷蔵庫から出して、楽しみに待っていると、水餃子は牛肉麵のように丼に浮かんで出てきた。オマガ! いや違う。私が頼んだのはこんなものではない。大きなお皿に整然と並べられた水餃子だ。とき既に遅し。今さら取り替えることはできないだろう。丼のスープの中から水餃子を拾い上げながら、ビールを飲み、牛肉麵と一緒に食べた。美味いことは美味かったが、釈然としない。非はすべて正しく注文しなかった私にある!
 さて、これで私の夏休みは終わった。あとは宮崎に戻り、幼馴染みたちと久しぶりに会食し、郷里の亡き両親、兄姉たちのお墓参りをするだけだ。それを済ませれば、8月末からの二学期の仕事がスタートする。正直に白状すると、気が重い。古希を過ぎた身ではもう自由気ままに暮らしたいという思いもある。年金だけで生活できないこともない。もっとも、私のような独り身の高齢者は社会との関わりが乏しくなれば、老け込む一途だろう。
 もう一つ記しておきたいことがある。台湾滞在中、できるだけ中国語を口にして会話しようと試みたが、ことごとく失敗した。相手の言っていることがまず理解できなかった。理解できることもないことはなかったが、私の口をついて出る言葉はイエスなら「ネ」。中国語ではない、韓国語だ。ぱっと頭に閃いた文章は圧倒的に韓国語だった。どうやら私は中国語には向いておらず、韓国語の方が可能性があるようだ。それを認識した次第だ。

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