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英語でさるく 那須省一のブログ

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無限の時空を生きた旅人

20250907-1757216105.jpg 購読紙に同郷の歌人、若山牧水(1885-1928年)にまつわる記事が出ていた。今年が生誕140年に当り、50年ぶりとなる全歌集が角川文化振興財団によって刊行された。編者は牧水研究の第一人者で歌人の伊藤一彦さん(81)(宮崎市在住)。従来の全歌集が絶版となり入手が難しく、字句の誤りもあったことから、伊藤さんの提案で実現にこぎ着けたという。その後新しく発見された5首も含まれているとか。
 記事中に、牧水の子息で故人の若山旅人さんのことも言及されていた。それで思い出した。私は八王子支局に勤務していた駆け出しの記者時代に父親と同じ歌人の道を歩んでいた旅人さんにインタビューして記事にしたことを。はて、隣接の立川市に住んでいた旅人さんに取材した目的はなんだったのだろう。情けない。明確には思い出せない。残念なのは私は記者時代、特にかけだしの頃に書いた記事は手元に残していない。だから、旅人さんの記事も残っていない。ネットの今なら書いた記事をさくっとフォルダーに入れて保管できるだろうし、その他、色々と手はあるのだろう。いかんせん、当時はそういうことは不可能。きちんと記事をはさみで切り取り、スクラックブックに張り付けておくしかなかった。ものぐさの私にはできないことだった。自業自得。
 牧水にまつわるエッセイはこのブログで以前に書いていたことも思い出した。過去のブログを検索してみると、2014年10月に書いていることが分かった。大意、次のように書いている。――「食欲の秋」は酒(焼酎)の美味い秋でもある。郷土の歌人、若山牧水は詠んでいる。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」。牧水の歌で私が好きなもう一つの歌は「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」という一首だ。この歌に「啓発」され、私は随分昔に「寂しさに耐え抜いてこそ優しさか 我一人旅したくなけれど」という駄作をこねたことを覚えている――
 今回の記事を興味深く読んだ。伊藤さんは牧水を世間に流布している「旅や酒の歌人」としてではなく「『あくがれ』の歌人」として解説している。「あくがれ」は現代の「憧れる」の元となった古語で、今在るところから別の彼方へ向かおうとする心の動きを表すのだという。次の歌が紹介されていた。<けふもまたこころの鉦を打ち鳴し打ち鳴しつつあくがれて行く> 伊藤さんは「あくがれを持ち続ける生き方は無限の時空を生きる旅人であることを意識し、何を求めて生きるかを牧水が常に考えていたということだ」と指摘している。そしてまた、あくがれの先に牧水が求めたものは自然との調和であり、他者とのつながりや共同性だったと。
 「無限の時空を生きる旅人」であったという牧水。この夏九州の湯の里を旅しながら意識していた山頭火もしかり。後世に名を残す歌人、俳人は無限の時空を生きていたのであろうか。愚禿凡夫の私などとは吸っていた空気が異なっていたのか。私にも「あくがれ」はある。彼方など果たして存在するのか、するとしたら、ぜひその風景をこの目で見てみたい。それまでは生き長らえるしかない。働き続けるしかない。凡人にとっては有限の時空であっても最終点にたどり着くのは容易ではない。あるのかどうか分からないが、心の中の鉦を探し当て、鳴らし続けて行こう!

“Walking in Grace 2026”

20250907-1757197899.jpg 毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書 “Walking in Grace 2025”。次の英語表現に出くわした。These days, his knees are shot, but he is still … 「近頃は彼の膝は撃たれているが、彼は今なお・・・」ではちょっと意味不明か。彼の膝の調子が思わしくないことは推察できる。おそらくshoot(撃つ)から転じたネガティブな意味合いの語ではないか。辞書でshotを調べると、「(神経などが)ぼろぼろになった」という意味合いが載っていた。例文として This car is shot.(この車はガタがきている)。先述の文章は「最近は彼の膝は絶不調だが、それでも彼はなお・・・」と解釈すればいいのかと納得した。「ガタが来た」を英文ではshot を使って表現できるなどとはネイティブでないとなかなか思いつかないだろう。
 ところで9月の声を聞いたので、私はそろそろ来年の祈祷書を買い求める時期が到来したと思った。これまでは友人の好意に甘えて米国在住の家族から取り寄せてもらったりしていた。今年ぐらいからは自力でゲットしようと思った。もっともこれまでも何度もそうトライしていたが、なぜかできなかった。クレジットカードでの決済にこぎ着けることができなかった。今回も最初の何回かは不調に終わった。住所表記がはねつけられる。困った。匙を投げたくなった。時間をおいてアマゾンに再度挑戦してみた。どうせまたはねつけられるんだろうなあと諦め気分で。
20250907-1757198164.jpg だが、最後の挑戦はうまくことが進んだようだ。来年用の “Walking in Grace 2026” を入手することができた。二週間ぐらいで郵便受けに届く予定。届くまでは安心できないが、まあ大丈夫だろう。この祈祷書を独力で入手しようと願ってから三、四年は経ったような気がする。嬉しい。また、この祈祷書に加え、ずっと入手しようと望んでいた米作家オー・ヘンリーにちなんだ “The O. Henry Prize Stories 2025” という文学賞を紹介した米国の短篇集も購入した。これも自宅の郵便受けに届く。以前はこの本は天神の大型書店に出向けば洋書コーナーで買うことができたものだが、今は姿を消した。ネット購入が可能だから姿を消したのかどうか分からない・・・。
 いずれにしろ、心の中でもやもやしていた思いが雲散霧消したので、今はちょっと気分が良い。今日は週末の金曜日。軽く一杯やるか。最近はもっぱらノンアルを飲んでいる。ノンアルと言えども、十分飲酒の雰囲気は味わえる。本当にアルコール成分ゼロなのだろうかと不思議でならない。生ビールや芋焼酎を飲みたい気持ちは今も強くあるが、独りで飲む限りはノンアルで十分。そのうち焼酎もノンアルが発売されないものかな。ノンイモとかノンショチュなどと銘打って。「飲み助」はかくも意地汚いのだ!
 この項は授業を終えて、学校近くのスーパーのフッドコートでパソコンに打っているのだが、そろそろ、帰宅しよう。最寄りの駅に着いたら、いつものスーパーに寄り、ノンアルの肴を買い求めよう。ノンアルでも刺身を食べたい。乾き物も少し。夕食用のおかずは何にしようか。デザートはスイカ。私は前世はキリギリスではなかったかと思うくらい、八百屋でスイカの切り売りを見ると、気がつくと手にしてレジ前に並んでいる。スイカを食べ、仕上げはプレーンヨーグルトにブルーベリー。たまに無調整豆乳にきな粉を混ぜて食べるが、こちらは朝の定番だから夜にまでは食したくないので普段は控える。

日傘が必需品に

20250830-1756543028.jpg 暑い。まだ暑い。出勤時にいや、退勤時にさえ、日傘が欠かせない。喜んで差している。まさか、普段の生活で日傘を差すことになるとは思わなかった。白状すると、日傘は婦女子が使うものだと考えていた。頭髪の薄い、というか世間的には禿げ頭の部類に属すのであろう私は一年中、外出時にはハンチング帽をかぶっている。だからハンチング帽で十分、酷暑の太陽光もしのげると思っていたが、今夏の日差しは限界を超えているようだ。
 私はこの酷暑と線状降水帯による度重なる豪雨は何らかの相関関係があるのではないかとど素人ながら考えている。元凶は地球温暖化ではないかとにらんでいる。日本の亜熱帯化だ。その余波で日本に、特に九州を遅う台風が激減しているのではないか。データの裏付けなどない。調べれば分かることかもしれないが、個人的備忘録に過ぎないブログだから多少の「緩さ」は許してもらおう。私は台風が発生して日本に向かう可能性が少しでも指摘されれば、必ず、ネットの台風関連サイトにとび、日本から逸れるように「念」を送っている。
 ここ数年、「念」を送ることが激減している気がする。これも体感的な印象だ。この点では温暖化も悪くないという思いもするが、手放しで喜んでいていいわけがないことは相次ぐ線状降水帯発生による深刻な水害が戒めとなっている。
 さらに恐ろしいのはいつ襲ってくるか分からない、いや、今後何年だったか、30年以内に確実に起きるであろうと警告されている南海トラフ地震を始めとした大地震や大津波の数々。私の周辺では被害はなかったが、あの東北大地震の揺れ、大津波の恐ろしさはテレビの映像などでしっかり脳裏に刻まれている。あのような、いや、あれを遙かに上回る大地震、大津波が西日本や九州に襲いかかってくるのであろうか。我々にはほぼ何もできないのであろう。日々神様にご加護を祈るしかない。
                  ◇
 中国政府は9月3日の「抗日戦争勝利80年」を記念して北京で行われる軍事パレードに北朝鮮の金正恩氏が出席すると表明した。ロシアのプーチン大統領も他の親中の国家元首や政府首脳とともに出席する。北京中心部の天安門で中国の習近平国家主席とプーチン氏、金正恩氏の三人が並ぶ光景を我々は始めて目撃することになる。
 プーチン氏にとっては中国や北朝鮮との蜜月関係を改めて誇示することになり、それは金正恩氏にとっても中国との緊密な絆を改めて示す上で絶好の機会となる。習近平氏にとっては反中の姿勢を崩さないトランプ米政権に対する強烈な牽制のカードとなるのだろう。
 それにしても、国際情勢はきな臭くなる一方のようだ。ウクライナの戦火は幸い、第三次世界大戦を引き起こすまでには至っていないが、これから先、どうなるのか予測もつかない。トランプ大統領はプーチン氏に終戦(和平)を迫っているが、プーチン氏が望む終戦条件はウクライナ政府が受け入れがたいものとなるのだろう。自らの統治下で台湾を併合したい習近平氏の野望が台湾有事をもたらさないか。核武装で慢心した金正恩氏が暴走する事態は絶対に起きえないのか・・・。
 天変地異の心配も含め、世界は確実に破滅に向かって進んでいるのだろうか。人生の残り時間の少ない我々の世代はともかく、生を受けたばかりの世代にはかける言葉がない。

仕事モードへ

20250826-1756171129.jpg 八月はまだ一週間残っているが、非常勤講師の仕事を頂いている学校は二学期が始まった。休みモードから仕事モードに切り替えなくてはならない。と分かっているのだが、だらけきった身心が果たしてそうなるのか、よく分からない。とりあえず、目の前に迫ったことから着実に片付けていこう。
20250826-1756171175.jpg 韓国語と中国語の独学も中だるみ状態が続いている。NHKラジオの語学講座もぼぉーとした状態で聴き続けているものの、身についているとは言い難い。正直に書くと、中国語にしろ、韓国語にしろ、これから力をつけるとすれば、留学してみっちり語学漬けの日々を過ごすしか手はないのではと思い始めている。それは今の私にはできない相談だが。とにかく今は語学講座をじっと聴き、流れてくる音声ですっと文章が頭に浮かぶかどうかを試している。韓国語も中国語も初級レベルなので、普通なら楽に文章が頭に浮かぶはずだが、悲しいかな、これがなかなか難しい。特に中国語の場合は簡体字を正確に思い出すのが至難の業。声調となると、お手上げになる。恥ずかしい話、昇り調子の第二声と下がり調子の第四声がいまだに正確に聞き取れないことがしばしば。投げ出したくなるというものだ。
                 ◇
 このブログで写真のアップができなくなっていたが、お世話になっている出版社(書肆侃侃房)に相談したところ、問題をクリアして頂いた。それで今回の項から再び写真をアップしている。先の九州湯の旅で足を運んだところの写真を紹介したいところだが、やはり説明がないと寂しい。それで昨日久しぶりにのぞいた焼き鳥屋でいつも食している料理をアップしておく。焼き鳥はやはり美味い。アルコールはしばらく控えたいと思い、生ビールではなく、ノンアル(450円)を注文した。二杯目は焼酎に気持ちが揺らいだが、ぐっと我慢してウーロン茶。この歳になってノンアルとウーロン茶で焼き鳥を食することになるとは思いもしなかった。
 旅の間に読んでいた『山頭火句集』はほぼ読み終えた。色々と考えさせられることの多かった句集だった。この俳人は天涯孤独の身ゆえに各地を行乞(托鉢)して歩いたと思っていたが、結婚して妻子ある身だったことを知った。そして彼が常に頭に宿していたのは句作のことだった。「述懐」と題した随筆で書いている。「私にあっては生きるとは句作することである。句作即生活だ。私の念願は二つ。ただ二つある。ほんたうの自分の句を作りあげることがその一つ。そして他の一つはころり往生である」。ころり往生については先に書いた。
 もう一つ二つ付記しておきたいことがある。山頭火は若くして自死した母親のことをいつまでも敬慕していた。「母の47回忌」と前置きした次の句が心にしみた。――うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする――母親が32歳で自死を選択した時、山頭火少年は10歳だった。私の母親が天寿を全うした時、私はすでに初老の域に達していた。慈母を想う念は比べるべくもないだろう。
 もう一つは彼がこよなく酒を愛していたこと。山口県生まれの山頭火の場合は日本酒だったのだろう。私はどちらかというと焼酎派。次の句――独り飲みをれば夜風騒がしう家をめぐれり――は何となく考え込んでしまう。

『国宝』を観て

 夏休みの間に見ておきたいと思っていた映画があった。『国宝』。世間では結構話題になっているとか。そうしたことに疎い私は何も知らなかった。友人から「推奨」のメールが届いたので、彼がそれほど評価しているのであれば、観てみるかと興味をそそられた次第。
 それで昨日天神の映画館に出かけた。私が時々利用しているのはKBC会館とかいうテレビ局の側にある映画館。小さい映画館で入り口に近い窓口でチケットを買い求める。昨日の映画館は以前に行ったことはあるが、最近はない。それで少し戸惑った。窓口がない。ATMのような機器でチケットを購入する仕組み。若い人たちにはお馴染みだろうが、私のようなアナログ人間には勝手が悪い。それでもなんとかシニア料金の1,300円でチケットを購入。後で思ったのだが、どうしてシニア世代だと機器は分かったのだろう。カメラが内蔵されており、ある程度の年齢に達していると気を利かせて判断してくれるのだろうか。
 さて、肝心の映画。3時間近い長尺物だ。米大作の『風と共に去りぬ』ぐらい長い? いや、あれはもっと長かったか? 『国宝』は途中でトイレに立つご婦人が何人かいたが、無理からぬことと思った。作品はその長さが気にならないほどに緊張感をはらんだいい映画だった。確かに一見の価値ありだ。歌舞伎の女形が主人公となっており、二人の若い男優が際立つ演技を見せていた。男優の名前ぐらいは私も知ってはいたが、実際の演技を目にしたのは初めて。なるほど、人気があるのは宜なるかなだ。
 悪魔に魂を売っても芸(歌舞伎)を磨きたいと願う主人公。彼は裏社会の出自であり、後ろ盾となる家柄ではない。その彼が歌舞伎役者として生き残るのは鍛え抜かれた芸に頼るしかない。迫真の演技に圧倒されながら、ずっと昔に観た中国の映画「さらば、わが愛 覇王別姫」のことを思い出していた。あちらは中国の政治体制の変化、文化大革命の動乱が下敷きになっており、『国宝』とは大いに異なるが。
 記憶に基づいて書いているので誤解があるかもしれないが、それはご容赦を。確か最初のシーンは1970年代だったかと思う。私は高校生の頃。映画の中の風俗や服装などが当時をほぼ忠実に描写しており、引き込まれるように観た。
 もう一つ、感じたことを付記しておきたい。歌舞伎は日本を代表する伝統芸能であり、海外でもよく知られている。しかしながら、私は個人的な興味・関心はあまりない。おそらくこれからもないだろう。劇場に足を運んで出し物を観ることもないだろう。ところで、歌舞伎や能、狂言などの伝統芸能の後継者不足がメディアの話題になることはないような気がする。歌舞伎の行く末を案じる声も聞いたことがないかと思う。(農林業の後継者不足を憂える声はもはや話題にさえならない)。とすれば、歌舞伎などの伝統芸能の世界では世代間の継承が滞りなく行われているのだろうか。
 『国宝』を観て、歌舞伎の美、女形の妖艶さには魅了された。ひょっとしたら、将来歌舞伎の魅力に気づき、熱心なファンとなる可能性もあるのだろうか。そうなったらそうなったで楽しみではあるが、私はやはりロンドンのウエストエンド街で観たミュージカルやオペラあるいはストレートプレイ(straight play=台詞劇)が忘れられない。近い将来再訪してたっぷり楽しみたいと願っている。

故郷と寝床

 九州湯の旅もあっという間に終わった。最後は別府でどこか安宿に泊まり、別府の湯も楽しもうと考えてはいたが、嬉野温泉に着いた時にかかってきた電話で予定を変更した。電話の主はアメリカに留学していた頃に親しくなった友人のJ。彼はひと頃別府に住み、近くの大学で教えていたが、その後紆余曲折を経て、再び別府に戻って来たとか。出会いから考えると半世紀以上の付き合いだ。一番最後に会ったのが私が新聞社を早期退社してアフリカやアメリカを旅していた2011年。別府に越して来て間もない彼の元を訪ね、旧交を温めた。
 宮崎から日豊本線で北上して、途中駅の大分のカフェでJと奥さんのYちゃん、二人の友人を交えておしゃべりに花を咲かせた。私は留学時代にJのお母さんにとても可愛がってもらった。今回の再会で母親が102歳の天寿を全うして他界されたことを知った。合掌。Jはこれからは別府に腰を落ち着けて暮らすとのことで、楽しみが増えた。
                  ◇
 福岡のアパートに戻り、留守中に玄関ドアの裏側に放り込まれていた購読新聞紙を片付け、洗濯もして、一息ついている。さて、「夏休み」はまだ少し残っている。なにをして過ごそうか。とりあえずは今回の旅を「総括」しよう。といっても特段のこともないが。
 『山頭火句集』(村上護編・ちくま文庫)を携行しての旅は正解だったと思う。この俳人の存在を身近に感じることができた。巻末に山頭火が書いた随筆が掲載してあり、興味深く拝読した。以下にそうした文章の幾つかを記しておきたい。
 私は、我がままな二つの念願を抱いてゐる。生きてゐる間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい。これが第一の念願である。(中略)そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいふ『コロリ往生』を遂げることである。<私を語る>
 ここに移つて来てから、ほんたうにのびやかな時間が流れてゆく。自分の寝床――それはどんなに見すぼらしいものであつても――を持つてゐるということが、こんなにも身心を落ちつかせるものかと自分ながら驚ろいてゐるのである。(中略)人生の幸福とはよい食慾とよい睡眠とに外ならないと教へられたが、まつたくさうである。<寝床>
 家郷忘じ難しといふ。まことにそのとほりである。故郷はとうてい捨てきれないものである。それを愛する人は愛する意味に於て、それを憎む人は憎む意味に於て。(中略)近代人は故郷を失ひつつある。故郷を持たない人間がふえてゆく。(中略)しかしながら、身の故郷はいかにともあれ、私たちは心の故郷を離れてはならないと思ふ。<故郷>
 山頭火は明治15年(1882)に山口県に資産家の長男として生まれた。10歳時に母親が井戸に投身自殺。彼が受けた衝撃は察して余りある。早稲田大文学科で学ぶなど恵まれた青春時代を送ったようだが、父親の跡を継いだ酒造業が破産。結婚し、東京で働いたこともあったが、やがて出家得度の道を選択する。
 山頭火と言えば、頭に浮かぶのは、出家得度の後の乞食と流転の人生。乞食は「こじき」ではなく「こつじき」と読むようだ。そうした放浪の人生を通して句作に励んでいたが、昭和15年(1940)松山市の庵で泥酔頓死する。享年57歳。山頭火は自分自身の庵で催された句会終了後に死去したようだから、本人が望んだ「コロリ往生」だったか。

亜熱帯化する日本?

 今回のささやかな旅も終わりのときを迎えようとしている。まずは平穏な旅だったと振り返ることができそうだ。神様に感謝したい。ただし、平穏と書くのは気がひける。九州各地が異常な水害に見舞われているからだ。台風が来襲したわけでもないのに。昨日から福岡や熊本で線状降水帯が発生し、住宅街で被害が出ているとか。私が今いる宮崎もそうした線状降水帯の発生が警告されているようだが、今のところ、被害は出ていないように見える。ホテルの8階の自室から外をのぞくと空はどんより曇っていて少し不安になる。
 それにしても、近年の豪雨による水害は一体何だろうかと思わざるを得ない。以前にこのブログで何度か書いたことがあるが、日本が亜熱帯化しているのではないかという思いが消えない。地球温暖化により日本が南太平洋の島国のような亜熱帯のゾーンとなり、かつては考えられなかったような豪雨が降っているのではないか。線状降水帯という呼称が前からあったのか知らないが、これからの日本では年間を通して日常茶飯事に出くわす気象現象となるのではないか。古き良き時代は終焉しつつあるのだろうか。
                  ◇
 夏休みにあると、世事のことは疎くなる。本日(11日)が山の日で祝日であることも知らなかった。明日はお袋の命日だ。実家でお袋の霊を迎えることができないことを済まなく思う。おっかさん、許してたもれ。
                  ◇
 おっちょこちょいがなかなか直らない。南大隅町でのこと。洗濯物がたまったので、いやたいした量ではないのだが、着替えが少ないので、こまめな洗濯は不可欠。コインランドリーをのぞいた。短パン、ポロシャツ、下着、靴下、ハンカチ、タオルなど。洗濯と乾燥を自動でやってくれ、洗剤や柔軟剤を投入する必要もない。締めて700円。コインを投入し、待つこと50分。その間スマホのラジオでも聴こうとしてワイアレスのイヤホンを探した。ポケットにもバッグにもない。あれ、またどこかに忘れた? そんなことはない。忘れ物をしないように注意に注意を重ねている。
 嫌な予感がした。ひょっとしたら、洗濯物の中に紛れ込んでいるかもしれない。もしそうだったら、万事休すだ。ワイアレスイヤホンのような繊細な電気製品を50分も洗濯(乾燥)機の中で回したら、修理もできない状態となるだろう。
 回転の止まった洗濯機の扉を恐る恐る開けると、無惨に分解されたイヤホンが出てきたではないかいな。ウヒョー・・・悲しい! だが、すぐに諦めはついた。このワイアレスはなぜかとてもイタズラ好きで、途中で音が途切れた時などに耳に手をやり、ワイアレスをいじっていると、突然どこかに発信してしまうのだ。アドレス帳に登録している友人・知人の誰彼となく電話をかけてしまう。発信履歴が残っているから、後で気づいて驚くことになる。何人かからは後で「私に何か用事ですか」と電話があり、謝罪かたがた事情を説明することになる。だから、きちんとしたワイアレスに買い換えるべきかと思っていた。それで鹿児島中央駅に立ち寄った際、新しいものを購入。さっそく使ってみたが、いくらいじっても勝手に電話をかけるイタズラはしないことがはっきりした。一安心。

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