- 2025-10-15 (Wed) 21:21
- 総合
先の関西への旅は実に有意義なものとなった。明石でのU先生の庭園そばのマンション内に設けられた書斎での語らいのことは少し書いた。その後、皆と別れて宿探しに四苦八苦したことも書いた。最終的にはカプセルホテルに泊まることができたのだが、実はそこでもここに書きたくないような恥ずかしいことがあった。恥じることはないのだが、やはり恥ずかしい。
それはまあ、他愛もないことなのだ。カプセルホテルの中はMRIのような狭い個室が縦横に並んでおり、上下2つの小部屋に分かれている。私は上の小部屋を割り当てられた。サウナを堪能した後、自分の部屋に潜り込み、横になろうとした。上の部屋には小さい階段状のものがついており、それを伝って上がり込むようになっていた。簡単に上がれると思っていたら、不摂生で贅肉がつき過ぎた身体を持ち上げることができない。フロントに戻り、下段の部屋に変更してくれと頼んだが、既に満室とか。
すったもんだの末に、最後は渾身の力を込め、何とか上段の部屋に我が身を持ち上げることができた。足を踏み外しでもしたら、床に転落し、それなりの負傷を負っていたことだろう。紅顔の美少年だった高校生時代には器械体操部に属していた我が身なのに・・・。
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とても嬉しいこともあった。いや、私の2025年はこれが実現しただけでも実りある一年だったと回想できる出来事だった。芦屋市にある「子羊の群れキリスト教会」。私が長年親しんでいるこの教会の牧師さんはピーター島田先生。ピーター先生と久しぶりに面会でき、短い時間だったが、歓談することができたのは、私にとって望外の幸せだった。
ピーター先生と初めて会ったのは半世紀前、私が20歳の大学生の頃。米ジョージア州に留学し、小さな大学で学んでいた。ピーター先生は当時、フィラデルフィアで在留邦人に布教活動を展開されており、私は先生の自宅に転がり込んで居候させてもらった。先生からしたらいい迷惑だっただろう。幼子二人を抱えた奥様が親切に迎え入れてくださり、二週間ほどお世話になった。ジョージア州からフィラデルフィアはそう近くでない。どうやってたどり着けたのか記憶にない。ディープサウスと呼ばれる南部の州から北部の大都市を訪ねることができる喜びに浸っていたのだろう。
私はその後、ジョージア州の大学に戻り、ほぼ一年の留学期間を「満了」し、宮崎の母校に戻った。この時の体験が今の自分につながっているのは間違いない。それが良かったのかどうかは自信がない。留学などせずに母校の大学を普通に卒業して教師の道を選択していれば、今とは大きく異なる人生を歩んでいたことだろう。だが、誰しもそうであるように、人生はゲームのようにリセットできない。
ピーター先生との出会いは私がアメリカに行かなければなかったこと。ピーター先生との出会いがなければ、まがりなりにも毎朝、聖書関連の書を読み、神様に安寧と癒やしを祈る日々を送ってはいないだろう。ピーター先生は私との再会をいたく喜び、私のこれからの人生を祝して頂いた。教会の働き人の方が私たち二人の写真を撮ってくれたが、残念だったのは私のスマホで撮ってもらうことを失念したこと。家宝を逸した心境だ。
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