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英語でさるく 那須省一のブログ

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改めてハングルについて

20191025-1571976851.jpg 先のソウル訪問。うららかな秋日和の一日、国立ハングル博物館(국립한글박물관)を訪ねたことを書いた。初めての土地・場所はその時の空模様、雰囲気とともに記憶に残るような気がする。その意味ではハングル博物館は私は好印象で思い出すことだろう。
 ハングルを創設したのは朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)であり、1443年にハングル文字が誕生している。以下の展示紹介文があった。<1443年、ハングルが「訓民正音」という名称で創製された。朝鮮4代王世宗は文字の知らない不便な生活を耐えていた普通の民を哀れに思い、新しい28個の字母を創った。ハングルは世宗の愛民精神の産物である。ハングルは韓国語の音を表記するに最適な文字である。現代言語学の観点からも劣りしない優れた製字原理を整えている。世界の言語学者はハングルの独特性や科学的制字原理に賞詞を送っている。>(原文のまま)
20191025-1571976640.jpg 「訓民正音」の序文は以下のように紹介されていた。<わが国の音韻は中国とは異なり、漢字とは噛み合っていない。漢字が分からない一般の民は、言いたいことがあっても、自分の考えを書き表せずに終れることが多い。私はこれを哀れに思い、新たに28個の字母を作った。これは人々が簡単に学び、日々用いるのに便利にさせるためだ。>(同)
 以前に紹介した『漢字と日本人』(高島俊男著・文春新書)には以下の記述があった。<漢語と日本語とがあまりにもかけへだっていたために、日本語を漢字で書く、ということには、非常な困難と混乱とがともなった。その困難と混乱とは、千数百年後のこんにちもまだつづいている。そんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。
 『言語学者が語る漢字文明論』(田中克彦著・講談社学術文庫)では次の記述が印象に残っている。<日本の将来を考えるならば、むしろやるべきことは、「漢字文化圏」という牢獄の鎖をたち切って、そこからさっさと脱出し、日本語独自の道をさがすことにこそ力をそそぐべきだ。(中略)そして今、やはりこれからも何かマネをしなければならないとすればむしろ朝鮮人のやったハングル化の道である。言うまでもないことだが、朝鮮のハングルではなくて、日本のハングル=かな、あるいはローマ字によってである。
 私はずっと以下の疑念を抱いていた。大国・中国に隣接する韓国、当時は朝鮮王朝にとって、漢字と決別した独自の文字、ハングルを作ることは、単に言語的な利便性だけでなく、中国のくびきや影響からも逃れたいという隠れた意図があったのではないかという疑念だ。中国語にも精通している韓国の友人、Jさんにこの疑問をぶつけてみた。
 「いや、そこまでの意図はなかったと思います。『訓民正音』の序文にあるように、世宗大王は漢字を知らない庶民を哀れみ、ハングルを創設したのです。それで朝鮮王朝の人々は経済的・文化的に豊かな生活を送れるようになったわけです」とJさんは語った。
 私は中国語の独学を始めて以来、それまでの韓国語より中国語に力点を置いて学習してきた。やはり漢字を介しての学習は面白いからだ。認識を改めよう。ハングルの歴史も恐るべしである!

普段の日々に

20191023-1571798969.jpg 昨日、一週間のソウルの旅から無事帰国した。福岡まで飛行機で1時間ちょっと。乗ったと思っていたら、もうすぐに着陸態勢に入る。いや、これは少し大げさだが、隣国とはいえ、福岡―宮崎のような近さだ。心理的には今なおまだ近くて遠い国であるのが実感だが。
20191023-1571799011.jpg ソウルを発つ前日にはJさんの案内で韓国のホワイトハウスに当たる青瓦台を望む白岳山(海抜342㍍)に登った。週末はサイクリングを趣味とするJさんはピクニック気分で登れると言っていたが、登山の制限時間が迫っていたこともあり、結構急な階段も急ぎ足で駆け上がったりして、私は汗びっしょりになった。普段やっているスロージョギングよりずっと汗をかいた。それでも緑の中で汗をかくのは爽快で、涼しい風を感じることもあった。登山道には当然のことながら、若い兵士が巡回警備している姿も見かけられた。
20191023-1571799052.jpg ソウル最後の夜はJさんと会食。私が勘定を払うつもりだったが、二軒目の日本居酒屋も含め、彼が全部支払ってくれた。決して安くなかったはずだ。最初のレストランでは本場のマッコリを飲んだ。格別に美味いとは思わなかったが、Jさんによると慣れるとマッコリはこれしか飲めなくなるとか。居酒屋では焼酎に清酒。普通なら凄い二日酔いに見舞われることになるのだが、仁川国際空港に向かう朝は意外と大丈夫だった。
20191023-1571799085.jpg Jさんは今度初めて知ったのだが、中国での記者活動も長く、中国語の達人であることが分かった。中国語の力をつける二三のヒントも教えてくれた。Jさんはまた日本語も学んだ経験があり、日中韓の3か国語の類似点などについて語り合い、大いに盛り上がった。これだけでもソウルに来た甲斐があったと思った。それについてはおいおい、このブログに記しておきたい。
                 ◇
 体調はほぼ回復したかと思っている。熱っぽさもあまり感じない。ただ、下痢だけは昨日も続いていた。アパートに戻って正露丸を飲んだので好転することを期待している。昨日はアパートに戻って、午後3時過ぎか、すぐにベッドで横になった。ソウルのホテルではずっと眠りが浅かったような気もする。気がついたら、外が暗かった。一瞬、あれもう夜が明けたのかと思った。時計を見ると、午後6時過ぎ。2時間ちょっと眠っただけに過ぎないが、熟睡していたのだろう。
 ベッドに潜り込む前にテレビで新天皇の即位宣言の式典をやっているのを見た。祝日になっているのは知らなかった。私の部屋のカレンダーは平日のまま。ふと思った。日本人にはとてもおめでたい、厳粛な気持ちになる日だが、韓国の人々はどう思うのだろうかと。日韓の間に横たわる戦争・侵略の過去、そうした歴史を理解した上で、我々日本人が新天皇や退位された上皇に対して抱く感謝の思いを彼らに理解してもらうのは難しいだろうと。
 さあて、今日からまた普段通りの日々だ。韓国語と中国語の独学も続けていこう。とは思っているのだが、やはり、異国から戻ると、ちょっと気だるい感覚が失せない。もうこれで今年は外国への旅は打ち止めか。いや、台北ぐらいならもう一回は行くことも可能では? でも先立つものが心細くなりつつある。それより地道に学習を続けていくことが大切だ。そもそも、来年からまた新しい仕事を探さなくてはとも思い始めている。

原因不明の体調悪化

 昨日の日曜日。朝からぼおっとしていた。あれ、おかしいぞ。でも、ソウル滞在の貴重な一日。無駄に過ごすわけにはいかない。この日は日本人には観光名所となっている春川に行くつもりだった。日本でブームになった「冬のソナタ」の舞台となったところらしい。私はブームに遅れて再放送で冬ソナにはまった口だから、ぜひ行きたいと思っていたわけではなかったが、ソウルから快速電車が出ていて途中の光景が素晴らしいと聞いていたので、ソウル近郊の一つぐらいは見ておきたかった。
 ホテル近くのコインランドリーでソウル到着以来の洗濯物を処理し、春川行きの快速電車が出ている龍山駅に向かう。この頃からどうも体調がおかしいことに気づき始めていた。無理しない方がいいのでは。ホテルに戻って休む手もあると思ったが、いざとなれば電車でずっと寝ていよう。購入した切符は午後2時15発。春川に3時半過ぎに到着し、向こうには一時間ちょっといて、また龍山駅に引き返す往復切符を購入した。締めて16,600ウォン。
 快速電車が出るというプラットフォームで待った。2時が過ぎて少し経過した頃、電車がホームに滑り込んできた。待っていた人たちがどっと乗り込む。私も乗り込んだ。途端にあれ、おかしいぞと思いはした。私の切符は5号車の5Dの席。乗り込んだ電車は普通の各駅停車の電車といった感じ。これではない、と思い、ホームに戻ろうとした瞬間、電車のドアが閉じた。
 結局次の駅で下車し、龍山駅に引き返したが、途中で私が乗るべきはずだった快速電車とすれ違った。同じホームで5分後に出ていた。紛らわしい。韓国語のアナウンスはあったようだが、私には分からない。英語のアナウンスはなかったように思う。後の祭りだが。
 私は不運な目に遭った時、それはすべて神の差配だと考えるようにしている。例えばうっかり1万円をなくしてしまったら、それは本来自分の身に降りかかるであろう災難を1万円で支払ったのだと。だから、これも神様が今回は春川に行くのはやめておき、早くホテルに戻って休めよと言っているのではと解釈した次第だ。
 そうはいっても、往復切符が全くの無駄になるのは惜しい。こちらのミスだから自業自得とはいえだ。それで、駄目もとで龍山駅の改札のところにある、駅員に通じるヘルプボタンを押した。すぐに女性の駅員さんが飛んできた。私が手短に説明すると、彼女は事情を理解し、切符の払い戻しを受けますかと言う。はい。彼女の後について行く。インフォメーションセンターだった。あれ、切符は向こうの売り場で買いましたけど。でも長蛇の列ですよね。ここで済ませましょ。ええ。彼女は手際よく係員に説明してくれた。係員は2,000ウォンは罰金として徴収されますが、いいですかと言った。もちろん。彼女は罰金だけは綺麗な日本語で「バッキン」と発音した。ソウルの駅にはかくも親切な駅員さんが勤務している。
 この後、ホテルに戻り、休んだ。だが、夜中になって体調は更に悪化した。下痢の症状も呈してきた。ラグビーのワールドカップ、日本対南アフリカの大事な一戦も頭にあった。ホテルの部屋のテレビは多チャンネル。スポーツ中継も多いので、どこかでやっているだろうと回したが、どこもやっていなかった。さすが、韓国、日本の活躍する国際スポーツは放映したくないのか! いずれにせよ、体調最悪でテレビを見る気にもなれないので寝た。

「カルビ立ち食いヨンナム食堂」

20191020-1571540406.jpg 地下鉄の駅からホテルへの行き帰りにそばを通るレストランのような古びた建物がある。レストランのようなとは普通のお店のようには見えないからだ。テーブルがなく、お客はドラム缶を囲み、立ったままで肉を焼いて食べている。建物も倉庫のようで薄暗い。
 初めてここを夕刻に通った時に外から中をのぞいて、どこかの会社の昔からある社内食堂かと思った。大勢の人たちが2、3人、あるいは4、5人のグループに分かれて、20前後はあると思われるドラム缶を囲んで美味そうに焼き肉を食べている。いや、やっぱりレストランか。肉を焼く匂いが窓から流れてきて、羨ましくなる。
20191020-1571540449.jpg 数日前、恐る恐る中に入り、レジらしきところにいた短パンの男性に韓国語で「ここは一人でも利用できますか?」と尋ねてみた。男性は「いいですよ。でも、今日はもうカルビがなくなったので店仕舞いです」というようなことを言う。「それでは明日、一人で来たら食べることができますか?」「ええ、大丈夫です。早い時刻がいい。午後5時に来れば大丈夫です」。一人で貴重なドラム缶を専有するのは気が引けるが、5時ならまだ客が少ないのだろうと推察した。
20191020-1571540480.jpg それがおととい。そして昨日夕刻、屋台で二度ほど一緒に飲んだCさんと連れ立ち、レストランに向かった。やはり一人で行くより、連れがいる方が、お店も受け入れやすいかと思ったのだ。私はCさんに見てくれはぱっとしないが、匂いがいい焼き肉店と伝えていた。お店に近づくと、彼は「ああ、ここですか。ここは地元では有名な店ですよ。カルビがなくなると店が閉まります」と言う。そうなんだ。有名なお店なんだ!
20191020-1571540819.jpg 到着したのが5時を少し過ぎており、何人か入店待ちで並んでいた。20分ほど待たされ、ようやっと入店。適当に肉を注文し、Cさんが器用にハサミで切り分け、練炭の上の鉄板で焼いてくれた。すぐに焼き上がり、たれをつけて口に運ぶ。匂いも良かったが、味も負けずに良かった。辛くない青い唐辛子も時々はさみ、焼酎で喉を潤しながら、パクパクと食べた。こんなに美味いカルビは久しぶり。勘定は二人合わせて72,000ウォン。納得の値だった。外の看板の店名は「연남서식당」。「カルビ立ち食いヨンナム食堂」と呼びたいようなお店だ。また絶対行きたい!
20191020-1571540533.jpg お腹が一杯になったのでCさんの案内で近くを散歩した。私の宿は新村と呼ばれる地区にあるようだ。新村は若者が集うファッショナブルな一帯だとか。ホテルがある周辺は全然そういう感じがしないが、Cさんの案内で歩いたら、確かに多くの若者たちで賑わう一角に出た。はやりのレストランがひしめき、入店待ちの人たちが長い列を作っている。博多・天神を上回る熱気を感じた。
20191020-1571540605.jpg 歩いていたら、少し小腹が空いたので、寿司店を見つけ、そこでセットの寿司に生ビールを飲み、満足してホテルに戻った。普段質素な生活を送っているので、旅先ぐらいではちょっと贅沢してもいいだろう。これを贅沢と呼べればの話だが。
 部屋に戻ってテレビをつけた。ひょっとして日本シリーズの初戦を放送していないか。放送していなかった。ラグビーのワールドカップは放送していた。これなら明日の日本・南アフリカ戦は見ることができそうだ。

国立ハングル博物館へ

20191019-1571492565.jpg 旧知のP、Jさんと会食した翌日、Jさんの職場があるプレスセンターを訪ねた。その前にランチを食べようと思った。目の前をお昼を食べ、仕事に戻るといった感じのサラリーマンらしきグループが横丁の通りから出て来た。都市部ではどこでも見る光景だ。その横丁の通りに美味くてリーズナブルの食堂が何軒かあるのだろう。そう当たりを付けて横丁に入る。あった、らしき食堂が。おばちゃんが何を食べるか尋ねるので、「ビビンバ」と答える。
20191019-1571492599.jpg アサリのビビンバが出てきた。どうもしっくりこない。目の前に醤油のような瓶がある。おばちゃんに目で質問すると、そうそう、それを少しご飯に垂らしてよく混ぜて食べるのよ、との感じ。そうしてみたら、本当に美味くなった。幾皿か出てきた小皿の総菜も含めて完食。納得の8,000ウォン。
 Jさんと懇談した後、辺りをちんたら歩いていたら、遠くに銅像が見えた。どうもハングルを創設したあの世宗大王の銅像のようだ。世宗大王の銅像があるからにはハングルの歴史を紹介した博物館があるに違いない。
20191019-1571492645.jpg ソウルに発つ前に公民館の中国語講座で学んでいる人から国立ハングル博物館という場所があり、無料で入館できると聞いた。韓国語上達の願をかけるために、ぜひそこに足を運ばねばと思っていた。私は事前に入念にチェックすることは怠る性分。一人旅だから許されることだと承知している。
 世宗大王の銅像のところまで歩いた。実に堂々とした銅像だ。近くに博物館らしき大きなビルが幾つかあったので訪ねたが、どうもハングル博物館ではないようだ。係員の女性が私の来訪の意図を理解して、丁寧に目指すべき場所を地下鉄の駅名を含めノートに書いてくれた。この間のやり取りは何とかほぼ韓国語で済ますことができたのが嬉しかった。小人は些細なことにも喜びを見いだすのだ!
 ただ、この日(金曜)はもう午後も遅い時間帯だったので、明日(土曜)に行くことにしてホテルに戻った。土曜は朝に荷物を受け付けに預けることになっている。荷物といってもキャリーバッグに洗濯物を詰めたレジ袋一つだけだが。
 土曜朝、多少二日酔い気味で最寄りの地下鉄駅に向かう。昨日夜は最初の夜に行った屋台で焼酎を飲んだ。たいした量ではないのだが、ソウルに来て以来、毎晩飲んでいるので、普段は飲まない自分には少し焼酎疲れかもしれない。ホテルで朝にシャワーを浴びてもあまりすっきりはしなかった。
20191019-1571492689.jpg さて、ようやくたどり着いた国立ハングル博物館(국립한글박물관)。地下鉄の二村(이총)駅で下車して地上に上がると、凄くいい天気だった。まさにうららかな秋日和。これだけで幸せな気分に浸れる。博物館の周辺は散歩道や木立が広がっており、芝生の上では家族連れや年配の人たちが弁当を広げてピクニックのような雰囲気だ。実にのどか。
20191019-1571492726.jpg ハングル博物館に入館してハングルの歴史を紹介したビデオや展示物を見た。朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)が1443年に創設したハングル文字の凄さについて考えさせられた。我々の祖先は日本語から漢字を捨てなかったことを考えると、思いは複雑だ。それについてはまた項を改めて書きたい。

南大門市場

20191018-1571358274.jpg 一夜明けてフロントで来週月曜までの宿泊代金を一括で払う。金土日は代金がアップするが、再度のホテル探しも難儀だからOKする。そして土曜日だけは朝に荷物をまとめてフロントに預けることも承諾する。それぐらい、どうということもない。
 木曜朝、真っ先にやったことは前日にホテル探しに面倒をかけた駅のトラベルサービスで働く女性二人にお礼のお菓子を渡すこと。喫茶店で買い求めたクッキーを手渡した。気は心とかいうではないか。凄く喜んでくれた。
20191018-1571358321.jpg この日は夕刻に韓国人の友人2人と再会する以外は予定がない。とりあえず、ソウル駅にまで出かけてみることにした。そこからソウルを代表する市場と言われる南大門市場に行くことにしよう。ソウル駅の周辺を歩いていて高いところにある通路のようなものが目についた。あそこから眺めればいい景観が楽しめるのでは。それで上がって見た。確かにソウル駅周辺のいい景色が眺められた。通路そのものも植栽が豊かで見事な盆栽も置いてある。空中庭園といった感じだ。こんな粋なもの、昔からあったのだろうか?
20191018-1571358367.jpg 観光案内所みたいなボックスがあったので、のぞいてみる。係員のような女性が一人いた。尋ねてみると、一昨年にできたものだという。元は高速道路の橋梁だったとか。その道路が老朽化したのを契機に遊歩道として生まれ変わったのだという。元の道路が完成したのが1970年。遊歩道として再生したのが2017年。それで遊歩道のあちこちに since 7017 という告知があったのがようやく理解できた。最初は7017って何のこと?と思いながら歩いていたのだ。
20191018-1571358416.jpg 歩き疲れてランチは南大門市場の中にある食堂街の店をのぞいた。狭い通路に美味そうな品々が並んでいる。胃袋がいくつあっても足りないだろう。感じの良さそうな一軒に入り、キムチチャーハンを注文する。びっくりするような美味さではなかったが、まずまずの味。スープとお惣菜もほぼ完食。リーズナブルな6,000ウォン。
20191018-1571358454.jpg その後もちんたら歩き、カフェを何軒か利用して、夕刻、約束の地下鉄駅に向かう。ソウルは地下鉄が充実しているが、乗り継ぎ駅が実に難解。私だけ? 約束の時間に遅れないように気を遣った。この夜再会したのはもう何十年前になるか、中東のイラクでサダム・フセイン大統領がまだ君臨していた頃、日本人を含む多くの外国人が米軍の爆撃を阻止するための人質となった事件を取材するために、首都バグダッドで会った韓国人の元記者2人だ。2人とも少し私の年下でまだ現役の身だ。
 Pさんは今は大学で経済学を教えている。Jさんはメディアの全国的組織の要職にある。私はバグダッドで取材をした当時の記憶は薄れている。記事はスクラップとして残していない。当時パソコンがあればどれほど良かったことだろうかと思わざるを得ない。ブログもあったら折々の思いを綴ることができただろうに。Jさんは出会いが1990年の9月だったと明確に覚えていた。そうだ。90年9月だった。30年ほど前になる。バグダッドのホテルの私の部屋で彼ら韓国の取材陣と語らい、酒を飲んだことは覚えている。
 この夜の話題はいつしか年金のことにも及んだ。第二の人生をどう過ごすかということにも。韓国語で語らいたかったのだが、やはり英語で語り合うしか手はなかった。残念!

久しぶりのソウル

 疲れた。久しぶりのソウル。前回のソウル訪問の記憶はほとんど残っていない。だからソウルでは全くのstranger と言える。第一、仁川国際空港に到着して、入国審査を受けるために電車に乗りターミナルを移動しなければならないことに面食らった。
 入国審査を終え、空港で日本円を韓国ウォン(₩)に取りあえず両替。2016年3月には福岡の銀行で両替したレートは1¥=9.30₩だった。今回、仁川空港での両替のレートは1\=10.13₩だった。少しだけ「日本円が得する」か。ほぼ1,000円=10,000ウォンの計算でいいようだ。両替後、スマホを使うためにルーターを借りようとしたが、台北に比べ割高のような気がして、スマホを使う機会もないので、今回は借りるのをやめた。ホテルかどこかでパソコンのメールを確認して、ブログをアップすることさえできればハッピーだ。
 仁川空港から電車に乗った。1時間ほど乗車して、弘大入口駅に着いたのであてもなく下車した。もう少し乗っていれば、ソウル駅に到着することは分かっていたが、ガイドブックにこの駅の周辺が載っていたので、何となくこの辺りで安いホテルがあるのでは目論んだのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。
 例によって犬も歩けば棒に当たる式で周辺を歩き回り、ホステルの看板が目に飛び込んできたなら、一人部屋があるかと尋ねた。なぜかどこも満杯。料金を尋ねると、一泊7万ウォン(約7千円)で週末には倍額と宣うではないか。いや、それなら、普通のホテルをあらかじめ予約しておけば良かったと悔いた。
 弘大入口駅内にトラベルセンターという観光案内所があり、そこに引き返して相談した。若い女性2人が勤務していたが、一人は日本語が堪能でいろいろとパソコンで適当なホテルを探してくれた。私はひと頃よく尋ねた釜山では確か4万ウォンの安ホテルを常宿にしていることを覚えていたので、何とかその辺りのレートを考えていたのだが、上記のように若者が利用するホステルからして私には手が出せそうにない価格。
 結局、彼女たちの苦労の甲斐あり、地下鉄で一駅離れただけの近場に4万ウォンの安いホテルを見つけることができた。一人が直接電話をしてくれた。日本では外国からの観光客に、しかも何の準備(予約とか)もしていない、いい加減な訪問者にこのように懇切丁寧に応対してくれるものだろうか。深く感謝した。
 さて、道に迷い迷いしながら、通行人にも何度か尋ねたりして、目指すホテルにたどり着いた。土地勘もないのでよく分からないが、どうもラブホテルの一角にあるそういうホテルのようだ。困ったことに受付にいた中年のご婦人に英語が全く通じない。もちろん日本語もだめ。私の韓国語のレベルでは込み入った話はできない。入室してみたら想像以上にきちんとしていた部屋だったので、来週月曜まで連泊したいと言ったら、喜ぶかと思っていたら、困った顔をするではないか。OKはしてくれたものの、日中は荷物を出してくれというようなことを言っている。ははーん。ショートのカップルに部屋を使わせたいので、日中は部屋を空けろということかと推察した。
 その夜、ホテル近くの屋台で焼酎とイカ焼きなどを食した。相席した人と日本語に韓国語を交え、楽しく会話していたら、離れたテーブル席にいた男性客から私に向かって罵声が飛んできた。

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