英語でさるく 那須省一のブログ
ゴキブリは蟑螂
- 2019-12-02 (Mon)
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日曜日。久しぶりに香椎浜をスロージョギングした。このところ、何だか熱っぽく感じて走らない方が無難と思っていたからだ。それで体調が戻った日曜日、走った。香椎浜を1周3キロ程度走るつもりだったが、結局2周走った。帰途、香椎の国道3号線で大勢の人垣に遭遇した。そうだ、この日は福岡国際マラソンの日だ。香椎が折り返し地点となっている。
急いで自宅に戻り、デジカメを手に折り返し地点に戻った。沿道では多くの人たちが声援を送っていた。残念、トップは外国人選手だ。私はあの川内優輝選手が歯を食いしばって駆け抜けるのを見届けて帰宅した。同じ走るでも雲泥の差!
◇
NHKラジオの中国語講座で次の文章に出くわした。车站旁边有一家拉面店。店里没有客人。桌子上有一只蟑螂!(駅のそばにラーメン店が1軒あります。店の中にはお客さんがいません。テーブルの上に1匹のゴキブリが一匹いる!)
考えようによってユーモラスな文章だ。客はいないが、ゴキブリはいるラーメン店。食べたくなるようなお店ではない。私が住む福岡はラーメンの美味さでも知られる。大半はトンコツラーメンのような気がする。私も嫌いではないが、あまり食指は動かないので、ラーメン店に足を運ぶことはほとんどない。宮崎に戻るとよくのぞくラーメン店があるが、あそこはトンコツ系ではない。とすると私はあまりトンコツ風味が好きではないのかもしれない。
東京・千駄木に住んでいた頃、よく通っていた飲み屋街にラーメン店があった。いつ通ってもお客が入っていることは稀だった。当然、一度もお店に入ったことはない。上記の文章を読んでいてそのお店を思い出した。懐かしくはない。週末、ケーブルテレビを見ていたら、「街中華やろうぜ」みたいなタイトルの番組をやっていた。タレントが東京の下町などで長く営業している中華のお店を紹介する番組で、確かに美味そうな品々が目白押し。
そのうちに千駄木のお店が出てきた。富山出身のご主人が60年以上も営んできた中華のお店だった。私は店名を聞いた時にすぐに分かった。飲み屋街の近くにあったお店でよくその前を通っていた。入店したことは一度あるかないか、なかったかもしれない。新聞社に入社した時、店名と同じ名前の同期がいたので、妙に記憶に残っているのだ。
番組ではそのお店が間もなく閉店することを伝えていた。80歳を超えたご夫婦が体力の限界を訴え、お店の味を壊す前に引退を決意したという。閉店を惜しむ馴染みの客が次々に訪れていた。お人柄があふれた笑顔のご夫婦を見ていて、しまった、こういうお店だったのか、私も何度も足を運んでおくべきだったと少し悔いた。
冒頭の中国語に戻ろう。车站旁边有一家拉面店。店里没有客人。桌子上有一只蟑螂!このような中国語がさっと頭に浮かぶようになりたい。ところで、ゴキブリが蟑螂(ジャンラン)。とても覚えられそうにない漢字だが、章郎という名前に虫偏がついたと考えれば何とか記憶の端に引っかかりそうな気がしないでもない。小中学時代に章郎という名の同級生がいたら、「おい、お前は中国に行ったら、ゴキブリだぞ!」などとからかうことができただろうが、当時は中国語は思いもつかない遠い世界の言葉だ。漢字はともかく、蟑螂のピンイン(発音)は例によって厄介だ。
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“The Buried Giant”
- 2019-12-01 (Sun)
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先日、宮崎から上福(こんな語あるのか?)した妹と天神に出た際、暇があったので、書店をぶらついていたら、洋書のラックがあったので、手ごろな本がないかなと探すと、この本が目に入った。カズオ・イシグロの小説 “The Buried Giant”(邦訳『忘れられた巨人』)。一昨年にノーベル文学賞を受けたこの日系英国人作家の作品はほとんど読んでいるが、2015年刊行のこれは読んでいない。寝しなにでも少しずつ読もうと買い求めた。
英国及びイングランドが今の国家となる以前の六世紀始めと思われる時代を背景に、ogre(人食い鬼)や小妖精が跋扈する怪異な社会が描かれている。主人公はブリトン人(Briton)のアクセルとビートリスの老夫婦。伝説的なアーサー王が没した後、ブリトン人の王国とサクソン人(Saxon)の王国が緊張をはらみながら共存していることがうかがえる。
新聞社のロンドン支局に勤務していた頃は英国やアイルランドの歴史をかじらざるを得ず、少しは分かっていたつもりだが、物語の冒頭近く、ビートリスが “We’re two elderly Britons …” というくだりでは、Briton は今では「英国人」という意味でも使われるため、少なからず脳内が混乱した。ここでのブリトン人とはアングロサクソン系民族が移住し、現在の英国を構成する以前の先住民であるケルト系の人々を指す。スコットランドやアイルランドの人々がケルト系だ。嗚呼、ややこしい!
物語はブリトン人とサクソン人の確執を軸に、この世のものとも思えないドラゴン(竜)や奇怪な獣も交えながら語られる。ドラゴンの吐息がミスト(霧)となり、人々は集団的健忘症にかかり、過去の異民族虐殺も忘れている。サクソン王の命を受け、ドラゴン退治にやって来たサクソン人の戦士が同胞の少年にブリトン人への報復を誓わせる場面が強烈だ。“Should I fall and you survive, promise me this. That you’ll carry in your heart a hatred of Britons.” “What do you mean, warrior? Which Britons?” “All Britons, young comrade. Even those who show you kindness.”
この幻想的な小説の印象は読者によってまちまちだろう。民族(国)がいがみ合う現代の国際情勢を絡めながら読むべきなのだろう。forgiveness(許し)よりも hatred(憎悪)や vengeance(復讐)が幅を利かせている現実を想起せざるを得ない。この小説が世に出た時はまだ「アメリカ第一」いや近頃では “me first” しか念頭にないように見えるトランプ米大統領はまだ政権に就いていなかったが。日韓関係を考えるまでもなく、forgiveness が vengeanceのかなたに追いやられる時代は悲しい。
読者はやがてお互いの身をいたわり合う主人公の老夫婦も心の闇を抱えていることを知る。ドラゴンの死と共にミストが消滅し、昔の記憶が蘇るからだ。二人には思い出したくない記憶だったかもしれない。もっとも、現代に住む我々も皆、そうした記憶の一つや二つは抱えているのではないか。
この不可思議な小説を(私には縁がない)夫婦愛や、老いることに焦点を当てて読むことも可能だろう。いずれにせよ、私はちまちまと読み進めるつもりだったが、熟練の作家が紡ぐ幻想的世界に引き込まれ、幾晩か深夜まで付き合わされ、一気に読了した。嗚呼、しばらくの間、睡眠薬代わりにするつもりだったのに・・。
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柿食えば・・
- 2019-11-29 (Fri)
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宮崎の山間部で育った私は山の幸には恵まれていた。秋の柿もその一つ。私の家は決して分限者(この語が分かる人は少数だろうか)ではなかったが、柿の木は家の近くにも、遠く離れた山にもあった。柿の枝をむしり取りやすいように先が分かれた長い竿を伸ばして柿を取ったことを覚えている。冬には両親や姉たちが渋柿をむいて「吊るし柿」を作っていた。
そういう記憶があるからか、社会人になってからは柿を買って食べることは何となく気が乗らなかった。郷里ではただの柿をお金を出して食べることに複雑な思いがしたからだろうか。先日、大家さんから柿を頂いた。食べてみたら、ことのほか美味かった。よく利用する八百屋さんの店頭に並んでいる柿とそっくりだ。一山(4個)250円。買って食べてみた。これも美味い。食後のデザートとして癖になりそうだ。実際そうなった。
それでふと思った。自分が子供の頃、庭先や山で気の向くままに取って食べていたあの柿はこんなに美味くなかったのではと。あの柿の味は実は覚えていない。正直に書くと、そう美味くはなかったような気もしないでもない。野イチゴや山桃、あけびは美味かったという記憶がある。いや、あの柿を今食べたら、これは美味いと感嘆するのかもしれない・・。いや、どうだろう?
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女子プロゴルフが熱い。賞金女王争いが熾烈なデッドヒートを繰り広げている。賞金女王が決まる最終戦が宮崎のゴルフ場で始まり、日曜日まで鈴木愛、申ジエ(韓国)、渋野日向子の賞金ランク3人がしのぎを削っている。
私はミーハーかもしれないが、今年彗星のごとくゴルフ界に登場したしぶこちゃんに魅せられているゴルフファンの一人。弱冠21歳の彼女が最終戦にも勝利すれば、現在ランクトップの鈴木選手の成績によっては賞金女王になる。注目の大会だけに、ケーブルテレビでは朝から生中継しており、私も付き合わされている。うーん、他にやることはあるのだが・・。
◇
お気に入りの米風刺番組をネットでのぞいていたら、俳優ロバート・デニーロ氏がゲスト出演していた。マフィアを描いた映画に数多く出演している彼は歯に衣着せぬ政治的な発言で話題を呼んでもいる。
デニーロ氏は反トランプ大統領派の立場を鮮明にしている。この番組でもホストのスティーヴン・コルベア氏に大統領のことを問われると、“He is a fake President.” とあっさりこき下ろし、スタジオの聴衆の拍手喝采を浴びていた。CNNテレビでは進行中の大統領弾劾の動きについての世論調査結果を報じていたが、私の記憶が正しければ、女性回答者の61%、男性回答者の40%が大統領解任を支持していた。女性の間で大統領への反発が強まっていることを物語っている。
来秋に迫った米大統領選。野党民主党の大統領候補の一人として、また新しい候補者が名乗りを上げた。前ニューヨーク市長の富豪マイケル・ブルームバーグ氏。デニーロ氏もブルームバーグ氏のことを評価していた。かつては共和党に属していたブルームバーグ氏が民主党の先行している各有力候補を破るのは並大抵ではないだろうが、果たして・・。
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二人称について
- 2019-11-25 (Mon)
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公民館の中国語講座で「爱人」(アイレン)という語が出てきた。日本語ではドキッとする語だが、中国語では「夫」や「妻」を意味する普通の呼称。ただ、今ではこの呼称は古めかしくなってしまい、夫は「丈夫」(ジャンフ)、妻は「妻子」(チーズ)と呼ぶのが一般的らしいと教わった。
日常会話の場で相手に対する適切な呼称を選択するのはなかなか難しい。私が中国語を学んでいて楽に思うのは、初めて会った人をどう呼ぶかについてあまり悩まずに済ませられることだ。普通は「你」(ニィ)という語で何の問題もない。相手が自分より年長者なら、敬意を込めて「您」(ニン)とすればよい。「你」は英語ではyou に当たり、英語ではあらゆる場面でyouを使えるが、「你」も同様で、この点だけでも中国語と英語はよく似ている言語だと思う。日本語には「あなた」があるが、これは「你」やyou のようにあらゆる場面で広く使える語ではない。だが、韓国語はもっと「窮屈」な気がしないでもない。
先のソウル訪問で再会した友人の韓国人のJさん、Pさんと二人称について議論した。私は韓国語には日本語の「あなた」のように比較的多くの場面で使える二人称はないのではないかと尋ねた。結論はそのようだということに落ち着いたかと記憶している。例えば韓国語では男性に呼びかける場合には課長とか係長とか肩書きを付けて呼ぶのが一般的だ。肩書きが分からない場合は「선생님」(先生様・ソンセンニム)という敬称を付けて呼ぶ。女性を呼ぶ場合はさらに面倒なようだが、それはまたいつか記したい。
日本語ではしかし「あなた」という呼称は、見知らぬ、あるいは初めて会った年長者にはなかなか使えない語だ。場合によって相手が年下であっても、いきなり「あなた」と呼びかけるのは憚られる。空気を読みながら使うのが無難だ。
電車の中で年配のご婦人が席を立ち、下車する際にハンカチを落とした場面に遭遇した。私は「ハンカチ、落とされましたよ」と思わず声をかけた。ご婦人は振り返り、頭を下げてハンカチを拾い、下車された。英語なら “Excuse me. You dropped your handkerchief.” とでも声をかけたことだろう。you で何の問題もない。中国語なら「你」を使えばよい。日本語では「あなた」を見ず知らずの年長者にいきなり使っていいものか迷う。だから、主語を省略することになる。それで日本語として成立する。
なお、冒頭の「爱人」は中国語の簡体字なので「爱」の字は日本語の「愛」とは若干異なる。日本語の「愛人」の意では「第三者」という語もあるそうだ。「二奶」という語も教わった。「お妾さん」という意味。日本語の「二号さん」を想起した。
以前にこのブログで日中韓の二人称について書いたことがあり、参考になりそうなので、続の項で再録しておきたい。
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日曜日。知己のシャンソン歌手、浜砂伴海さんと一人芝居の岩城朋子さんのコンサート「ふたりのピアフ」が今年も催された。会場は今年は中洲のレストランで、コンサート後の食事会で私は隣席の初対面の男性と楽しく語らったが、相手の名字を知った後は「〇〇さん」と呼びかけ、失礼のない二人称に気を遣うことはなかった。
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再び「年齢七掛け論」
- 2019-11-21 (Thu)
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英BBCをネットでチェックしていたら、Old age: Why 70 may be the new 65(老年:なぜ70歳が新しい65歳なのか)という見出しの記事に引きつけられた。年を取ると、やはり、老年にまつわる話題には素早く目がいくようになる。
上記の記事によると、英国ではこれまで65歳が老年の始まりと考えられてきたが、同国の権威ある国家統計局ではこれからは70歳を老年の始まりとするべきという考えに傾いている。65歳を過ぎても、おおよそ15年は健康に生きる高齢者が増えているというのがその理由だ。65歳は英国の定年の開始年でもあるとか。
私が興味深く思ったのは英国では1951年には60歳に達した男女はさらに15年生き長らえると考えられていたということ。90年代には基点となる年齢は65歳となり、今ではその基点は70歳にまで上昇。2057年にはさらに75歳に達すると見られるとか。
お年寄りが長生きするということは最後の何年かは超高齢になって健康面の難しい問題を抱えるようになるということでもあり、手放しで歓迎すべきニュースではないということだが、専門家の次のような意見が紹介されていた。"We know that older people make really important contributions to our society both through their paid work and through their caring responsibilities and volunteering. Age is just a number and for different people it means different things."(私たちは高齢者が報酬を得て働く仕事や介護の責務、ボランティア活動などを通して本当に大切な社会貢献をしていることを知っている。年齢は単に数字に過ぎなく、意味するところのものは人それぞれである)
全く同感。これまでこのブログで何度か書いたように、私は「年齢7掛け論」の「信奉者」だ。現代の人々は医療の発達や食生活の改善などの恩恵を受け、昔の人々に比べ健康で長寿の人生を送ることが可能になっている。だから、今の70歳は昔の49歳。80歳は56歳に相当。私の65歳は46歳となる勘定だ。ただし、「年齢7掛け論」を説得力あるものにするためにはいつまでも健康であることが大前提であることは言うまでもない。
◇
トランプ米大統領に対する弾劾の是非を問う米議会下院の情報委員会の審議が連日、CNNテレビで生中継されている。私も時間が許せば見ているが、14時間の時差をはさんでおり、一晩中付き合わされることになる。いかんせん、それはたまったものではない。
それで午前1時頃まではテレビの前に座して見ているが、何とかトランプ大統領がウクライナ疑惑で国益よりも自身の利益となる行動を取っていた動かぬ証拠を手にしたい野党民主党議員と、疑惑は弾劾には値しないものだとしたい与党共和党議員の思惑が絡み合った各証人への質疑応答はなかなか見応えがある。
昨日の委員会ではソンドランド駐欧州連合(EU)大使がトランプ大統領を始め、政権中枢部が焦点のウクライナ疑惑の真相を認識していた(in the loop)ことを明らかにした。私が戸惑ったのは in the loopという語句。反対は out of the loop でこちらは「蚊帳の外」という綺麗な訳語が当てはまる。大使は "Everyone was in the loop. It was no secret."と証言している。日本語に「蚊帳の中」という表現がないのが惜しまれる。
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プレミア12
- 2019-11-19 (Tue)
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NHKラジオの講座「まいにち中国語」の再放送が2月目に入り、「歯応え」のある語彙が再出するようになった。「歯応え」あると書いたのは、私にはうろ覚えの語彙で、改めてああ、そうだったと再確認することがしばしばだからだ。情けないと嘆きたい気持ちもないではないが。しかしながら、中国語は簡体字、発音、声調の三つを同時に記憶せねばならず、(本人は全然その認識はないものの)還暦をとっくに過ぎた身には、これはそう簡単なことではない。三つともに完ぺきに記憶している語彙はそうそうない。
最近出てきた文章を二つここで紹介すると。「我在食堂吃饭。」この文章は「私は食堂でご飯を食べます」という意味だとおおよそ推測できる。「食堂」は中日同じ漢字だ。発音は幾分異なる。中国語ではともに上がり調子で「シータン」。韓国語の「식당」の「シクタン」の方がより中国語の音に近いような気がする。次の文章は。「明天在哪儿集合?」。これも「あしたはどこで集合しますか」という意味だと類推できるかもしれない。「集合」の発音はこれも上がり調子の「ジーフー」。「シュウゴー」とはだいぶ違うが、韓国語の「집합」の「チパプ」よりは近いような気もする。
嗚呼、上記のような割と簡単な文章なら即座に適当な中国語(韓国語)が頭に浮かぶようになりたいものだと心から願う。
◇
「プレミア12」と呼ばれる野球の国際大会が日本代表チームの優勝で終了した。当初あまり関心はなかったが、野球だけにさすがにずっとテレビ観戦した。それにしても気の抜けた大会だった。どう考えても解せないのは、前日に戦った2チームが翌日、決勝戦で再びまみえたこと。前日の試合の意味がないではないか。そんな日程・システムでは真剣に応援する気持ちも興味も失せてしまう。
もう一つ、テレビの前でげんなりしたのは、公式サポートキャプテンに就任したとかいうタレントの中居正広氏が試合中にはさんでいたレポート。彼が試合前に話を聞いた選手の談話を伝えるのだが、例えば「〇〇選手は『今日は失敗を恐れず、思い切ってプレーしたい』とおっしゃってました」などと、話の末尾をことごとく「おっしゃってました」と締め括っていた。彼の方が選手たちよりずっと年上だろう。それにテレビの視聴者に伝えているわけだから、「おっしゃってました」という選手への敬語表現は不要だろう。むしろ耳障りだ。
まあ、当分、このような国際大会はないだろうから忘れるとしよう。
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トランプ米大統領に対する米議会の弾劾のニュースも目が離せず、緊迫する香港の情勢も悪化する一途のようだ。私はどうしても取材する立場からニュースを見ることが多いので、香港の警官隊とデモ隊の対立を現場で身の安全を図りながら取材し、落ち着いて文字化するのは並大抵のことではないだろうと拝察している。香港駐在の読売の特派員はK嬢。国際部の後輩記者だから面識はある。彼女の身に危険が及ばないことを祈らずにはおれない。
翻って我が身は緊張感のない安逸な日々を過ごすようになって幾年月を過ごしていることやら。まあ、しかし、こればかりは致し方ない。いや、あるか?
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改めて『歎異抄』
- 2019-11-15 (Fri)
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一昨日、このブログを打っていると、パソコンが突然、上書きモードとなった。以前にも何回かそうなったことがあり、キーボードを適当に触っていたら、いつの間にか元に戻っていた。今回も多分そうなるだろうと考え、適当にかちゃかちゃとキーボードを触っていたら、ますます泥沼にはまった。入力モードがローマ字とひらがなの「混在?」のようになり、ひっちゃかめっちゃか状態に陥ってしまった。
困った時はパソコンを再起動させるといいことを思い出し、再起動させたが、効果なし。そのうち、パスワードまでが拒絶されるようになり、パソコン自体が開かなくなった。仕方なく、パスワードを変更し、新しいパスワードをスマホで二度も受け取り、パソコンを立ち上げようとしたが、これもはねつけられた。
パソコンが動かないと、仕事にならない。だが、私にはもうどうにもならないので、昨日、天神に出かけ、パソコンに詳しい友人のS君にみてもらった。そうしたら、どうもナンバーロックがかかっていたみたいで、ほどなく元通りにしてくれた。やはり、「生兵法は大怪我のもと」のようだ。今、こうして心穏やかにパソコンのキーを叩いている。
◇
NHKのテレビを何気なく見ていたら、うろ覚えだが、「知の巨人」と称して、哲学者の井筒俊彦氏(1914-1993)のことを取り上げていた。私も名前ぐらいは知っているが、著作は読んだことがない。番組ではこの哲学者が「イスラムに愛された」人物で、東西の文化・宗教の架け橋たらんと奮闘されていたことが紹介されていた。
言語学者でもあった井筒氏の著作を読みたくなり、書店で岩波文庫の棚を漁ったら、『意識と本質』があったので購入。結論から言うと、途中で投げ出した。難解な哲学用語にも閉口した。悔しいが、私の知能ではとてもついていけない。
それでふと思った。これなら、以前に購入して「積ん読」状態になっているあの書の方がずっと読み易いのではと。その書とは親鸞聖人の語録を記した『歎異抄』。読み始めたら、直後の読売新聞の広告欄で奇しくも『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)という本の広告が目に入った。広告文によると、哲学者の西田幾多郎氏は「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったとか。読者(東京都・70歳・男性)の声も紹介されていた。<もう何十年も前に「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」という司馬遼太郎の言にふれて、人生、ある時期に達したら『歎異抄』を読みたいと、ずっと思っていました。私のあこがれの書でした>
私が積ん読状態にしていた『歎異抄』は岩波文庫で金子大栄校注の書。100頁にも満たないが、私はなぜか、この書を途中で投げ出していた。改めて手にしてみると、『意識と本質』に比べればはるかに取っ付き易い。よし、これからじっくり読み進めていくことにしよう。
親鸞聖人(1173-1262)は広辞苑によると、念仏弾圧で越後に流された後、「愚禿」と称して非僧非俗(僧侶でもなく俗人でもないこと)の暮らしに入ったとか。私は友人へのメールの末尾に「愚禿凡夫」と書くこともあるが、これは単に自分の禿げ頭を自嘲しているに過ぎない。幸か不幸か、完璧な禿げ頭ではないが、凡夫であることは間違いない。
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