Home

英語でさるく 那須省一のブログ

«Prev | | Next»

コロナ禍の中

 新型コロナウイルス。日本でもますます深刻になりつつあるが、世界では信じ難い恐ろしい状況に陥っている国もあるようだ。コロナウイルスで命を落とした人の死体が道路や建物のわきに放置されている中南米の国が報じられていた。我々は今21世紀の世界に生きているとは到底思えない。事態はこれからさらに悪化すると言われる。打つ手がないのか。
 CNNでそうした世界の窮状を見た後、香椎浜にスロージョギングに出かけた。ジョギング路沿いには桜の花が満開。時々桜の花を写真に撮っている人もいるにはいるが、コロナウイルスの時節、心から桜を愛でる雰囲気でないことが残念だ。とはいえ、福岡ではまだこうやって心地よい汗を流すことができる幸せがまだ残っている・・・。
                 ◇
 コロナウイルスの余波でこのところあまり熱心にアメリカで人気のトークショー“The Late Show with Stephen Colbert” を見ていなかった。私は基本、アナログ人間なのでよく分からないのだが、この抱腹絶倒のパロディー番組をユーチューブで簡単に見ることができるようだ。二三を適当にクリックして見た。どうも勝手が違う。いつもの爆笑のオーディエンスがいない。コルベア氏の後ろの背景も普段と異なる。それで気がついた。番組はニューヨークのテレビ局のスタジオから放送しているのではなく、彼の自宅から放送しているのだ。場所は書斎だったり、ガレージだったり・・・。
 放送機器を担当しているのは息子さんのようだった。顔出しはなかったが。奥さんと娘さんもいたようだが、顔出しはなし。ゲストはゲストで自分の自宅にいて、お互いに画面を通しての対談だった。当然のことながら、コルベア氏の熱狂的なファンの爆笑や拍手喝采はない。新鮮さが番組の魅力を一層高めているような気がした。ユーチューブだけに、視聴者の感想も読むことができるが、概ね好評。自宅での隔離(quarantine)を受け入れた人々がこの番組に癒されているのが見てとれた。次のような意見が寄せられていた。
 Stephen lowers my blood pressure even from his garage. He’s a national treasure, and a gift to millions.(スティーブンは自宅のガレージからであっても、私の血圧を下げてくれる。彼は国の宝であり、何百万人もの人々にとって得難い贈り物だ)。コルベア氏はきっとトランプ大統領支持派や保守派の人々の視点からはにっくき存在だろう。しかし、大多数の人々にとっては「国の宝」はともかく、彼は諧謔の精神に富んだ才気あふれるコメディアン。2011年に『アメリカ文学紀行』の取材のために米国内各地を歩き、彼のテレビ番組を見て以来、そのハチャメチャのパロディーに魅せられている私もその一人だ。
                 ◇
 NHKの韓国語・中国語講座は新年度で新しいクールに入り、また基礎の基礎からスタート。これが結構私のような独学者には役立っている。韓国語では次のような指摘があった。うろ覚えだが、ご容赦を。韓国語の2音節の語彙の発音は基本的に弱強となるとか。例えば、우리(私たち)なら「ウリ」だが、後ろの「リ」にアクセントがある。日本語では「あめ」ならどちらにアクセントを置くかで「雨」か「飴」かが決まるが、韓国語では常に弱強となるとか。初めて知った。私は無アクセントの宮崎県出身だからこんなことも嬉しい!

再び "social distancing"

 新型コロナウイルス対策として私たちは①密閉空間②人の密集③近距離会話の3つを避けるよう求められている。小池都知事は先週の記者会見で上記の事柄を「ノー3密」として訴えていた。海外の “social distancing” の骨子だ。私は “social distancing” を日本語では「SD」として定着させてもいいのではと思い始めている。SDは “safety distance” (安全な距離)ととらえることもできる。「SDに注意!」でどうだろう。いややはり無理があるか。かといって「対人距離に注意!」もなんだかなあ・・。
                  ◇
 毎朝起きるとテレビをつけ、NHKを見る。ラジオでもいい。4年前の熊本地震以来、これが日課となったような気がする。NHKが定時の放送を流しているとほっとする。日本では大災害は起きていないようだと。
 最近ではNHKに加え、ケーブル放送で米CNNを毎朝見るようになっている。コロナウイルスの最新のニュースをチェックするためだ。パソコンでは英BBCにアクセスするのが日課。報道としてはCNNよりもBBCをより信頼している。BBCではコロナウイルスにまつわる世界中の重要な出来事を時系列で整理して紹介している。
 水曜朝には次のニュースに目がいった。見出しは Analysis: No more sugar coating となっていて、BBCの北米駐在記者の分析記事だった。書き出しは—— “There was no sugar-coating in this time. No optimistic talk of miracle cures or Easter-time business re-openings. There was just the cold, hard reality of the facts on the ground.
 トランプ大統領の日々のコロナウイルスに関するブリーフィングがこれまでの自信に満ちた楽観的な雰囲気から事態の深刻さを伺わせる沈痛なものに変わっていることを報じていた。 sugar coating (見ばえをよくする)が消えたというのだ。それはそうだろう。このまま推移すれば、全米での死者数は少なくとも10万人から20万人に上ると見られている。
 大統領は今では次のように語り始めている。“A lot of people were saying ‘think of it as the flu,’ but it’s not the flu. It’s vicious.” 我々はついこの間までコロナウイルスを軽視していたのはトランプ大統領本人だったことを知っているが、大統領はそうは考えていないようだ。
                  ◇
 中国語・韓国語を独学し始めて、気になる語彙がでてくると、中韓両語では果たしてどういう語彙になるだろうと興味を抱く。よって辞書やネットで調べることになる。
 つい最近調べたのは石頭という語彙。日本語では言わずと知れた①石のようにかたい頭②考え方がかたくて融通のきかないこと。また、そういう人を意味する。英語では②の意味では stubborn や bigoted という語が頭に浮かぶ。韓国語では何と言うのだろうと辞書を繰ってみると、石に当たる돌と頭を意味する대가리が一緒になった돌대가리が出てきた。カタカナで表記すると「トルテガリ」か。中国語の直訳では「石头」となるが、実際には②の意味で「死脑筋」という語があることを知った。脳の筋が死んでいるので考え方が硬直しているといった語意か。なんとなく類推できる。ほめ言葉ではないことはすぐに分かる。

エモいって何?

 新聞を毎朝購読している価値の一つは思わぬ話題に接することができることだろうか。日々刻刻変わる国内外の大きなニュースはスマホやパソコンでもリアルタイムで読むことができる。だが、緊急性がなく、かといって、社会や世相の変容を伺い知ることのできる話題などはネットではなかなか拾い上げることはできない。少なくとも私にはそうだ。
 だから、そうした話題を読むことができたときには、新聞を購読していて良かったと思うことになる。つい最近そういう思いをした。
 読売新聞。一面で「国語力が危ない」という企画シリーズが掲載されていた。初回の項では「エモい」という語彙が紹介されていた。目(耳)にしたことがあるような、ないような。三省堂の国語辞書「大辞林」に昨秋、初めて収録された語彙で、主に若者言葉が使っており、「心に響く、感動的である」という意味とか。感情という意味の英語の emotion が語源とされる。「絶景を目の当たりにした時、昔の自分の写真を見た時————。エモいは感動や懐かしさ、切なさなど様々な感情を一言で表すことができる」と述べられている。
 記事ではこのような使い勝手の良い感情表現を多用する若者の昨今の傾向を危ぶむ識者の意見も紹介されていた。最近の子供たちはそれでなくとも「やばっ」という語彙を多くの場面で連発する。彼らが小さい頃から細やかなニュアンスを無視した単語ばかりを使っていると、語彙が不足し、コミュニケーション能力が低下、最終的には思考回路が単純になるのではないかという指摘もなされていた。なるほど。若者言葉を斬新などともてはやしていると、本当にやばいことになるのかも。
                 ◇
 ローカル放送局のラジオを聞いていて、少し驚いた。話題は確か、2020東京オリンピックが来年に延期となったことだった。安倍首相が国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らと協議の末に延期で決着したことを男性2人、女性1人のパーソナリティー3人が語っていた。その時、ネゴシエーションという語を一人が口にした。アシスタントらしき女性がネゴシエーションってどういう意味の語ですか、と尋ねた。意味を教えられた彼女は「これって日本語ですよね?」と重ねて尋ねた。私はスタジオの場が少しフリーズしたような気がした・・。私の脳内は一瞬、フリーズした。
 まあ、ネゴとかネゴシエーションという語彙は普通にメディアなどで使われている外来語かと思う。しかし、日本語と呼ぶにはまだ時期尚早ではないか。日本語がそのうちにエモいとかネゴシエーションなどといった語彙で席巻されるようになったら、昭和(平成)は遠くなりにけりと嘆ずることになるのだろう。
                 ◇
 小倉のよみうりFBSセンターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉の英語教室は毎月第1、2、3火曜日の午後3時半から5時まで。天神のカフェでの英語教室は毎月第2、4日曜日の正午から午後1時半まで。小倉の教室はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。天神の教室はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。途中からの参加でも問題ありません。歓迎します。 

アズスナアズポサブル

 毎日気が滅入るコロナウイルスのニュースばかり。私はこっちには絶対来るなとの思いから「クルナウイルス」と呼んでいる。という冗談はともかく、ブログをアップする気にもなれない。このブログを書き始めて7年の歳月が流れたが、こういうやる気のない気持ちにさせられたのは初めてかもしれない。年とともに記憶が段々と薄れてはいるが。
 去年の今頃は一か月という短期間とはいえ、台湾に語学留学するのを控え、あれこれ思案していたかと思う。本当に受講が許されるのだろうか、宿はどうしよう、安い宿を見つけることができるだろうか、といった不安も抱えていた。そして元号が平成から令和へと変わったのを見届けて、キャリーバッグに着替えを詰め込み、台北に発った。着いてみれば、案ずるより産むが易しで、楽しい一か月の台北滞在を過ごすことができた。
 それを考えると今の心境とは大違いだ。おそらくコロナウイルスがなければ、この時期に台北か上海辺りに一週間程度の短い旅に出ることを考えていたかもしれない。まあ、去年台北に行っておいて良かったと思えば、そういう見方も可能かもしれないが。
                 ◇
 去年の秋から開講されていたNHKの中国語・韓国語講座も今週で半年の学習を終了した。初級の講座は中国語・韓国語ともに再放送だったので、私は少なくとも2回目の聴講だった。前半はさすがに楽についていけたが、後半は結構手こずることがあった。中級の講座は依然、難解だった。
 そして来週からまた新しい講座が開講する。次回は再放送ではなく、新作の講座のようだ。もうそろそろ初級はほどほどにして中級をじっくり聞いて学習する段階ではないかいなとは思うが、人間、ついつい楽な方に流れるようで・・・。
                 ◇
 新型コロナウイルスに関して、河野防衛相がカタカナ語を多用しないようにと政府に申し入れたとする苦言が新聞に載っていた。防衛相が問題視しているのは「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」など。毎日NHKテレビを見ていれば、それぞれ「感染集団」「爆発的な患者急増」「都市封鎖」を意味するということは理解できるが、確かに防衛相の言は傾聴に値する。多少とも英語を学んでいれば、英語のcluster は(ブドウなど果実の)房、かたまりを意味するから、まあ、類推できる。overshoot は辞書には(停止位置などを)通り過ぎる、(限度などを)超過すると載っているが、患者の急増はかなりの飛躍か。lockdown は独房への監禁という原意で、都市封鎖はまあ類推できないことはないが。
 新聞記事には茂木外相が記者会見などで「アズ・スーン・アズ・ポッシブル」(できるだけ早く)「アグリー」(合意)などの英語表現を連発しており、防衛相の主張に耳を傾けよと指摘した野党議員の苦言も紹介されていた。
 私も多少なりとも英語で「飯を食ってきた」端くれとして、普段使う言葉にあまり横文字が飛び出さないように気を遣ってはいる。市民権を得たような便利な表現は別としてだ。上記の「アズ・スーン・・」や「アグリー」は少なくともまだそういう段階にはないように思う。ポッシブルが定着すると英語の実際の発音を誤解する可能性が possible だろう。

more than two =3人以上

20200325-1585095077.jpg 月曜朝のこと。寝起きにスマホで新型コロナウイルスの最新のニュースを確認しようとしていて、BBCのトップ記事に目が引きつけられた。ドイツ政府がドイツ国内でも深刻化の一途にあるコロナウイルスを抑え込む対策として、“groups of more than two” の集まりを禁止すると表明した。私はこの “more than two” という表現に戸惑った。おそらく即座に脳内で「2人以上の集まり」と翻訳理解していたのだろう。「2人以上」がだめなら、要するに一人で行動せよということか? まさか?
 実は私は新聞記者を稼業としていた昔から、日本語の「以上」「以下」「未満」「~年ぶり」などといった表現に居心地の悪さを覚えていた。迷うと会社の「スタイルブック」をくくり、正しい用法を確認した。今、そのスタイルブックを改めて読むと、例えば100個以上(以下)は100個を含む、100個未満は100個を含まないと記してある。英語の “more than” は日本語の「以上」に似てはいるが、ぴったり重なるものではない。“more than two” とあれば、2は含まれない。だから、上記の記事の見出しを日本語に訳す場合、「2人以上の集まりを禁止」ではなくて「3人以上の集まりを禁止」としなければならない。こういう基本的な事柄もうっかりすると勘違いしてしまう。私はこうした表現が苦手だ。
 誤解を招きたくなければ、例えば、“Germany bans groups of three or more to curb virus” とすれば、夫婦やカップルなどの2人連れは禁止措置から除外されることが明確になる。
                  ◇
 英米のメディアではコロナウイルス対策として、“social distancing” という表現を目にしない日はない。「人混みを避けるなど、人との接触機会を減らすこと」を意味するが、今回のウイルスだけでなく、現代社会では感染症から身を守るキーワードの一つとなるのだろう。誰か定訳を作った方がいいかと思う。「ソーシャル・ディスタンシング」では長過ぎるし、子供や中高年には伝わりにくい。「人間(じんかん)距離を保て」「人混みに近づくな」などといった表現が頭に浮かぶが、もっといい表現があるはずだ。「プライバシー」を念頭に「スペイバシー」は無理があるか?
                  ◇
 コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている折、あまり悠長なことは書きたくはないのだが、少なくとも私の周辺では緊迫していないのだから致し方ない。最近再び時々手にし始めた『漢詩鑑賞事典』のことを書きたい。陶潜(淵明)(365-427)。東晋の人で晩年は田園に遊び、酒を愛し、隠者的な暮らしを楽しんだ御仁のようだ。彼の詩を読むとぜひ昵懇になりたかったお人だと思ってしまう。「飲酒」と題された詩もある。「雑詩」と題された五言古詩は以下の最後の二句が特に有名か。及时當勉勵 歳月不待人(時に及んでまさに勉励すべし 歳月は人を待たず)
 『漢詩鑑賞事典』では「よい時を得たら逃すことなく精いっぱい楽しむのだ 年月はどんどん流れていって、人を待ってはくれないのだから」という訳が載っている。このくだりは「若いときに勉強しなさい」と誤解されがちだが、「チャンスを逃さず遊べ」と勧めているのだとか。日本ではまだ古墳時代の頃に海の向こうで暮らした詩人の言葉・・・。

今夏の開催、風前の灯

 無観客の大相撲春場所が終了した。横綱を引退した荒磯親方(元横綱稀勢の里)がNHKテレビの解説者として出演していた日もあり、親方の解説にしばし耳を傾けた。風貌からは思い浮かばない若々しい美声で理路整然と相撲の醍醐味などを語っていた。
 私はそれを聞きながら、それほど理路整然と解説できるなら、まだ現役で十分やれていたのではないかいなと思った。私は稀勢の里の熱烈なファンではなかったが、白鳳や鶴竜らのモンゴル勢に伍してやっていける日本人力士は彼が筆頭だっただろう。だから当然、声援を送った。取り組み中に負傷し、それがたたり、成績不振で志半ばでの引退を余儀なくされたことに驚きもしたし、落胆もした。前例はないだろうが、平幕にまで番付を落とすのは覚悟の上で負傷を癒すことに専念し、やがて土俵に復帰して欲しいとも願った。
 それだけに今、NHKの大相撲中継で立て板に水の解説を聞いていると、何だかなあと思わざるを得ない。味のある解説はまだしばらくは元横綱北の富士氏に任せておけばいい! と言っても今更どうすることもできないことだが。
 と思っていたら、このところ、スマホのラインニュースで「北の富士コラム」というものが送信されてくる。どうもスポーツ新聞に書いているコラムを転載しているようだ。私はNHKで彼の解説をいつも楽しく拝聴しており、他の元力士の方々の解説とは比べるべくもないと評価している。最近の北の富士氏のコラムには次のように書いてあった。「荒磯親方(元横綱稀勢の里)の解説の見事さに舌を巻いている次第です。このままでは、私の首もあぶなくなる」。いや、あなたの首はまだ当分は大丈夫ですよ!
                  ◇
 新型コロナウイルス。世界中を大混乱に陥れている。何とか手を打てないものか。東京五輪・パラリンピックは各国のスポーツ団体・組織から開催中止・延期を求める声が相次いでおり、今夏の開催は風前の灯の感がある。
 イタリアやアメリカなど多くの国々で事態は深刻化の一途であり、確かにオリンピックどころではないのはよく理解できる。国際社会が一体となってこのウイルスを退治していくべきことは誰にだって分かる。政治指導者の姿勢はことさら重要であることも。
 その意味でトランプ米大統領がコロナウイルスに関して行われた共同記者会見の場でNBCテレビの記者に対し激高して放った暴言は目に余るものがあった。この人の頭脳はどういう風になっているのだろうか? 会見でのやり取りを以下に抜粋する。
 記者 “What do you say to Americans who are scared?” (恐怖におののいている国民に対しどういう言葉をかけますか?)
 大統領 “I say that you are a terrible reporter. That’s what I say. You’re doing sensationalism. And the same with NBC and Comcast. I don’t call it Comcast. I call it ‘Con-Cast.’” (私が言いたいのはあなたが酷い記者だということだ。それが私の言いたいことだ。あなたがしているのは煽情的な報道だ。NBCもそうだし、親会社のComcastもそうだ。私はだから、Con-cast [詐欺cast] と呼んでいる)
 一国の政治指導者が国難に際して国民に語りかける言葉とは思えない! いやはや!

“social distancing”

20200318-1584491376.jpg 世界中でコロナウイルス対策の一環として、“social distancing”(人混みを避けるなど、人との接触機会を減らすこと)の大切さが叫ばれ始めている。フランスではマクロン政権が今後15日間、仏国民に対し不要不急の外出制限を求める措置を表明した。いやはや、気が滅入るばかりだ。
 私はよく近くの香椎浜のジョギング路を走るか散歩しているが、この数日は汗ばむほどの陽気だ。この陽気で日本ではコロナウイルスも退散するのではないかと思いたくなるほどだが、そうは問屋が卸してくれないのだろう。
 ネットで海外のニュースを拾い読みしていると、時にほくそ笑むような記事に出くわす。コロナウイルスにまつわるものでもそうだ。いや時には笑っていないとやっていられない。最近では次の語彙がそうだ。アメリカの風刺番組The Daily Show をチェックしていてpandumbic という造語に出くわした。すぐに想像はついた。明らかに pandemic と dumb をくっつけた混成語だ。アリス嬢が活躍するおとぎ話で知られる英作家ルイス・キャロルが「かばん語」(portmanteau word)と名付けたことで知られる混成語。番組の司会者はトランプ大統領のことを “the man in charge is the dumbest person alive” とこき下ろしていた。以前に紹介したトランプ大統領に批判的な記事では大統領のことを“the conman-in-chief” と呼んでいた。これも米大統領の別称である “Commander-in-chief” を揶揄った呼称であることは明らか。「最高詐欺師」とでも訳すべきなのだろうか。
 大統領もさすがに事態の深刻さをようやく理解したのか、16日の記者会見では全米で今後15日間、10人以上が集まる会合などを自粛するよう求めた。感染拡大の収束時期について問われると、7月か8月、場合によってはさらにずれ込む可能性も示唆した。あれ、この人、つい最近まで「暖かくなればウイルスは消滅する」と宣っていたのではないかいな。
                  ◇
 最近新しくしたものが二つ。まずはスマホ。充電がすぐになくなるようになったからだ。ガラケー携帯の時は内臓のバッテリーを交換したら改善した。新しいバッテリーに交換しようとAUショップをのぞいたら、容量の大きいスマホに買い替えた方がお得と言われた。説明に耳を傾けると、どうもそのようだ。4年月賦にして買い替えた。とそこまでは良かったが、やはり使い勝手がよく分からない。困った時はやはりこういう機器に詳しい人に尋ねるのが一番。パソコンでもお世話になっている旧知のS君にSOSを発し、相談に乗ってもらった。その甲斐あり、だいたいの機能はこれまで通り使いこなせるようになった。
 続いてジョギングシューズ。2年近く履いているか。靴底がだいぶ擦れてしまい、走る時に地面からの反発力が少なくなったような気がしていた。スロージョギングだからどうということもないのだが、それでもやはり物足りない。ABCマートに全く同じシューズがまだあった。4,389円。新しいシューズだと重い身体が少しだけ軽くなったような気が。
 このパソコンもだいぶ年をとった。ブログで確認すると購入したのは2013年3月。そろそろ買い替えても良さそうだが、アナログ人間だけにこちらはさすがに使い慣れたものを気軽に手放す気にはなかなかなれない。

«Prev | | Next»

過去の記事を読む...

Home

Search
Feeds

Page Top