英語でさるく 那須省一のブログ
femicide
- 2020-02-14 (Fri)
- 総合
NHKテレビをつけると連日、新型コロナウイルスのニュースが流れている。辛いニュースだ。天気も最近は良くないが、心の中まで陰鬱になる。BBCやCNNでも大きく報じている。「震源地」に近いこちらはあまり読む気にもなれない。
それで素早くCNNをスクロールしていたら、A 25-year-old woman was brutally murdered and skinned in Mexico. Then newspapers published photos of the body というショッキングな見出しの記事が目に入った。中ほどに次の文章があった。“Femicide is an absolutely condemnable crime.” この femicide という語彙は初めて見た。homicide なら「殺人」だがと読み進めていくと、すぐに次の一文があって疑問が氷解した。Femicide… the killing of women on account of their gender… have risen in Mexico in recent years. なるほど。homicide と feminine という語のハイブリッドのようだ。「(主に男による)女性殺人」とでも訳すのだろうか。こうした混成語は英語では portmanteau word (かばん語)と呼ばれているものだ。
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中国語を学ぶようになって漢字の筆順を意識するようになった。日本語で筆順を意識したことは皆無に近い。自分でも漢字の筆順、というか書き順が変だということはずっと以前から自覚していたが、小学生の頃を含めて先生から注意されたことは一度もなかったので、筆順に留意したことはまずない。
しかし、中国語を学ぶようになって、これが変わった。第一に中国語の漢字(中国では簡体字、台湾では繁体字)は日本語の漢字と若干異なるケースが多く、ネットのサイトで確認する機会が増え、その延長線上で筆順を意識するようになった。漢字を構成する小さい点(、)などはどこに「接触」しているかが分かりにくく、視力の衰えた我が身は拡大鏡で確認するのも一苦労。ネットでそうしたことが素早く分かるのは実に有難く感謝している。
最近の例では「到底」という副詞<「dàodǐ」(疑問文で「一体」「結局」という意味>。この「底」の下部の小さい点(、)をどうやって付けるのかが悩ましかった。ネットの筆順を調べるサイトで調べると、すぐに合点がいった。かくいう次第で筆順に気を配るようにはなり、これまでいかに自分が我流の書き順で漢字を書きなぐっていたかを知った。ただし、それはそれ、これはこれで、以前にこのブログで紹介した漢字学の大家の卓見が私の「指標」であることに変わりはない。ここでそれを再掲載しておきたい。
『漢字再入門』(阿辻哲次著・中公新書)という本を読んでいる。幾つかの疑問点が氷解した。著者の阿辻氏は漢字学の第一人者だとか。嬉しかったのはその著者が漢字の「はねる・はねない」といったことや一般的に正しいとされている筆順にあまり拘泥する必要はないと説いていることだ。例えば筆順に関しては次の記述がある。「筆順とはその漢字を書くときにもっとも書きやすく、また見栄えよく書けるようにおのずから決まる順序にすぎないということです。大多数の人は右利きだから、世間で認定される筆順は右利きの者に書きやすいようになっていますが、左利きの人には当然それとことなった筆順があってしかるべきでしょう」。御意、御意。筆順コンプレックスが癒される思いだ。
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“Good riddance.”
- 2020-02-13 (Thu)
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公民館の中国語講座での一こま。受講生の一人が欧州連合(EU)から英国が離脱することが決まった先月下旬の大使級会合に際し、EUが英国に誤って「せいせいした」という決別のメッセージを伝えていたという新聞記事を紹介した。
読売新聞では見なかったが、西日本新聞がロンドン発の時事電で報じた記事だった。EU議長国クロアチアのEU大使が英国のEU大使に「グッド・ラック(成功を祈る)」という意味で、「グッド・リダンス(せいせいした)」と語った。本来ならば甚だ非礼な物言いだが、英EU大使が気分を害することはなかったとか。私は最初、受講生の説明を聞いた時にクロアチア大使の英語の訛りがきつくて、“Good luck.” が “Good riddance.” と聞き間違えられたのかと思った。
そうではなかった。クロアチア大使は “Good riddance.” という表現を相手の幸運を祈る “Good luck.” と同じ意味だと思っていた。ネットでチェックしてみたところ、クロアチア大使が口にした言葉は “Thank you, goodbye, and good riddance.” だった。私が読んだ記事では次のように書かれていた。She assumed “good riddance” was akin to “good luck”, said diplomats present in the room. (クロアチアのEU大使は “good riddance” という表現が “good luck” という意味とほぼ同じだと思っていたと、居合わせた外交官たちは語った)
英EU大使もクロアチアの大使に悪意はなかったことが分かっており、この発言が物議を醸すことはなかったという次第。まあ、思わぬ勘違いは珍しくなく、まして「相手」が外国語とあれば、誰でも一つや二つは失敗はあるだろう。尾籠な話で恐縮だが、私はずいぶん長い間、誰もが持っているあの下腹部の毛を public hair だと思っていた。芸能人が写真集などで「公開」すればpublic となるからだと。やがてそれはとんでもない勘違いで、正しい語彙は pubic hair であることを知った。
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先日、タレントが「おらが県」の自慢を競う民放テレビの番組で北九州のうどん屋さんが紹介されていた。福岡出身のタレントがこのうどん屋さんの味の素晴らしさを激賞していた。私も以前に一度足を運んだことがあるが、そんなに美味いという印象は残っていない。
このうどん屋さんは北九州を中心に福岡県ではよくその名を知られた人気店だ。小倉の英語教室に足を運んだ際に小倉駅近くのお店をのぞいた。ランチの時間は過ぎていたが、広い店内はお客で賑わっていた。番組で推奨されていた「肉&ゴボ天うどん」(700円)を注文した。ごぼてんは衣がすぐに剥がれるような気がした。スープはまずまず。残らず食べたが、正直、また絶対行きたいという気にはならなかった。
郷里の宮崎・西都市に戻ると、よくのぞくうどん屋さんがある。ここのごぼ天うどんは秀逸。おそらく上記のうどん店よりも美味いのではないかと個人的には考えている。郷里に対するえこひいきと思われるかもしれないが、あのうどん屋さんが福岡や小倉で開業していたら、押すな押すなの大盛況となるのではないかと思う。我が西都はそのような活気がないのが残念だが、地元の人々は至福の美味を味わえる幸運には恵まれている。
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「节奏」と「リズム」
- 2020-02-10 (Mon)
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新型コロナウイルスが猛威を振るっている。医療関係者が防護服を着て、多数の患者に対応している中国・湖南省のニュース映像などを見ていると、人類社会の世紀末の近未来を目にしているよう。しかし、このウイルスの致死率が意外に低く、死者は何らかの持病を抱えた患者だと聞くと、「本当にそんなに恐ろしい病原体なの?」という素朴な疑問を禁じ得ない。今朝の読売新聞には専門家の次のような報告例が載っていた。「軽い風邪のような症状が1週間程度続いた後によくなるか、肺炎になっても回復するケースが目立つ」と。あまり過剰な反応はしない方が賢明と思えるが、これは楽観的過ぎる見立て?
私は平熱が凄く低い。コンプレックスを抱くほど低い。だから、風邪をひくのが怖い。普通の人の平熱でも私には高熱となる。高熱になると、寝ていてもうなされる。幸い、この冬はまだ一度も風邪をひいていない。らっきょう酢の野菜のピクルスが役立っているのか、隔日、あるいは数日おきには続けているスロージョギングが効果を発揮しているのか。まあしかし、慢心していると、必ずしっぺ返しを受けるから、油断は禁物だ。
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日本では報道されていないようだが、東アフリカ・ケニアのダニエル・アラップ・モイ元大統領が死去した。私が新聞社のナイロビ支局で働いていた時の大統領だ。残念ながら、近くで取材したことはない。彼は外国人記者の前で共同会見を開くことは皆無だった。東西冷戦の真っ只中だったこともあり、ケニアの治安状況は比較的穏やかで、今のようなイスラム過激派のテロ活動もまだ起きていなかった。ケニア国内のどこを旅しても、「ジャンボ。ハバリガニ?」(こんにちは。ご機嫌いかが?)と人々に声をかければ、「ジャンボ。ムズリサナ」(気分はいいよ)と笑顔で応じてくれた時代だった。
だからといって、モイ政権が善政で国民の支持・人気を集めていたわけではない。実態はその反対だ。モイ政権は長く強権、独裁で知られ、政権に異を唱える政治家・活動家は容赦なく弾圧された。表沙汰になることはあまりなかったが、大統領に疎まれた人々に対しては投獄・拷問、場合によっては殺害も厭わなかったと言われる。ケニアの代表的地元紙をネットで読むと、ウフル・ケニヤッタ大統領は弔辞でモイ氏を “an iconic leader”(アフリカを代表する指導者)と称賛しているが、ケニア国民の中には違和感を抱いた人々は少なくないのではと正直思う。ネルソン・マンデラ氏とは比べるべくもない、対極にいた人物だ。
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中国語で「节奏」という語に出くわした。日本語流に書くと「節奏」だが、意味の類推は難しい。あっさり降参して、辞書を引き「リズム」という語だと知った。声調を含めた発音は「ジエ⤴ゾウ⤵」。韓国語ではリズムは何と言うのだろうと興味を抱き、辞書を引いてみる。「리들」とあった。発音は「リドゥル」。こっちは音を聞けば、何となく納得する。
英語のスペリングは rhythm だから、日本語と韓国語は間違いなく、英語を基に作った語彙であると推察できる。リズムとリドゥル。どちらが英語の音により近い音かは別にして、中国語の語彙は中国語固有の語であり、英語のrhythm の影響は受けていないことが分かる。日中韓のこうした「言語差」を知るだけでも私にはとても興味深い。
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節分、立春、生日
- 2020-02-05 (Wed)
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さあ、もう2月になった。拙文、いや節分、立春と来て、今日5日は私の誕生日。66歳になった。もう立派な老人だ。問題は本人に全然そういう自覚がないことだろうか。体力的にも精神的にも「老いた」という認識がない。私の世代の人は皆そうなのかもしれないが。
ただ、最近よく考えるのは、我と我が身を亡き父親のそれと比べて考えることが増えたことだ。私の父親は宮崎の田舎で平凡な人生を歩んだ。村の小さな郵便局に勤め、定年後は山林や田畑の仕事に勤しんでいた。毎晩の晩酌が欠かせず、酔うとお袋や子供たちにあたっていた。そういうときの親爺は嫌だったが、特段嫌いな父親ではなかった。
父親は私が大学卒業後、教師になることを望んでいたようだったが、新聞記者の道を選んだ私は不肖の息子だったのだろう。まあそんなことはどうでもいいのだが、親爺に勝てないと思うのは、4男3女の子供を育て、田舎でのどかに暮らし続けたことだ。いつぞや、イギリス文学紀行本をものにするため英国を歩き、ジョージ・フォスターゆかりの地を取材した折に、彼の代表作の中に田園地帯で農作業をする人々が最初に「日光の益」を受け、「日光とともに暮らし」ており、彼らこそが「イングランドの希望」だと称賛される一節があった。私は親父を始め、郷里の山里に住む人々を思い浮かべた。私には親父がそして村人が羨ましく思えた。私が知る村人の多くはこの世にはいないが、私は逆立ちしても彼らに勝てない!
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東京からかつての同僚が奥方を伴い、福岡を訪れた。福岡の元同僚と一緒に4人でランチを楽しんだ。昔話にあれこれ花を咲かせていて、昨今の暖冬に話題が及んだ。東京から来た同僚が「そういえば、ずいぶん昔、植木等が温暖化進行曲とかいう歌を歌っていましたね」と言った。知らなかった。そういう歌があるのを。しかも行進曲ではなく、進行曲とは!
帰宅後、ネットで調べてみた。あった。植木等がクレージーキャッツとともに歌っていた。1990年の作。例によって「日本一の無責任男」の名にふさわしく、ハチャメチャの歌詞だが、驚いたのはこの「地球温暖化進行曲」が30年も前に作られていたことだ。
一番の歌詞は次のよう。♪♪地球が暑くなって どこわりい 暖房いらずでいいじゃないか 水道ひねれば温泉で 牛乳しぼれば粉ミルク ソレ! どんどんだんだん 温暖化 こんな地球に誰がした けっこう毛だらけ灰だらけ けっこう毛だらけ灰だらけ♪♪
世界中で猛威を振るう異常気象の元凶が地球温暖化(global warming)と言われる。国連やダボス会議の場などでこんな歌を大真面目に歌っていたら、総スカンを食らうこと間違いないだろう。
「地球温暖化進行曲」はともかく、無責任男を売りにしていた往年の植木等が活躍する映画に描かれた日本はのどかで底抜けに明るい。信じられないほど能天気な社会が垣間見える。もはや、あのような世の中はもう二度と出現しないのだろう。ちょっと寂しいような気がしないでもない。だが、少なくとも私の世代はそういう時代の「残り香」はかがせてもらった。昭和の後半、平成の世代、そして令和の世代にはそれは望んでも叶わない。可哀そうと言えば、大きなお世話かもしれない。私の世代が味わえない夢のような世界がこれから待っているのかもしれないのだから。ぜひ、そうなって欲しいと心から願うが。
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vegan(厳密な菜食主義者)
- 2020-02-03 (Mon)
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NHKラジオの中国語講座「まいにち中国語」。再放送なのでとっくに理解済みと考えていたが、やはり、改めてテキストに目を通すと、「嗚呼、そうだったのか。これは忘れていた」と思わせられることが少なくない。
最近の例は「主題文」。<中国語の動詞文の文頭に置かれるものは必ずしも動作主(動作・行為を行う側)とは限りません。「~については[主題・トピック]どうである[コメント]」というふうに、「主題+コメント」の形で述べることもよくあります。このような形の文を主題文と言います>と説明されている。
例文として、幾つかの文章が紹介されていた。その一つは・・。那件事我知道了(あの件については了解しました)。「那件事」(あの件)は目的語のようにも見えるが、最初に主題(トピック)を口にして、その後で「我知道了」(了解しました)と述べている。このブログで何回か主題文について考えているが、今再度、チェックして見ると、2017年8月に概略以下のように書いている。
——听说,茶馆能看到变脸等一些表演。——(茶館で変面などの出し物が見られるって聞いたんですけど)。日本語では中国語の逐語訳的な「聞くところによると、茶館は見ることができる、変面やその他幾つかのパフォーマンスを」と言ったとしても、ほぼその意味合いは理解できる。中国語では日本語の語順にほぼ沿った表現が可能という指摘に何回か出合っているが、これもその一つだろう。日本人にはすっと腑に落ちるのに、と私は思った。上記の文章は先に書いた、日中韓の「話題優越型言語」(topic-prominent language)の特徴である、文頭に主語ではなく、主題がくる例であろう。
日本語の発想で通用する、つまり書ける、話せる中国語の文章と言えるのでないか。
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vegan という語を初めて聞いたのはいつだったか。健康志向のvegetarian が高じると vegan となるのだという風に理解したような気がしないでもない。私の電子辞書には「極端な菜食主義者」であり、「肉や魚の他、卵・チーズ・ミルクなども摂らない」と記されている。アフリカ大陸を飛び回っていた頃に愛用していた古い辞書(1986年発行)を本棚から取り出して引くと「厳密な菜食主義者」と載っているから、昔からある語彙のようだ。
私の知人の中にもveganismを実践している人がおり、自分にはとても真似などできないと感心していたが、ネットで英BBCの記事を読んでいて、veganismに否定的な見方があることを知った。この記事はveganismはむしろ健康に良くなく、特に知性・知的活動を損なう恐れがあると警告しており、衝撃的な内容だった。
この記事ではヴィーガンの食生活を続けると、脳の成長を妨げ、神経系統に回復不能な損傷を及ぼすとして、特に子供たちや妊婦には推奨できないと警告していた。例えばビタミンB12という栄養素。これは肉や卵のような動物性食品からのみ摂取可能であり、植物性食品からは摂取できないのだとか。このB12が欠如すると、子供たちは “unable to sit or smile” となり、最悪の場合には “coma” に陥ることもあると指摘していた。おお怖! 野菜はもりもり、肉や卵も時にはということか。
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『シエラレオネの真実』
- 2020-01-29 (Wed)
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『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』(亜紀書房)というノンフィクションの作品を読んだ。原題は “The Devil that Danced on the Water: A Daughter’s Quest”。著者は西アフリカ、シエラレオネ人の父親とスコットランド人の母を持つ作家のアミナッタ・フォルナ氏。1964年生まれとあるから五十代半ばの女性だ。
邦題が示す通り、1960-70年代のシエラレオネを主な舞台に、著者の父親で当時、財務大臣の要職にあったモハメド・フォルナ氏が独裁的なシアカ・スティーブンス大統領に疎まれ、国家転覆罪で絞首刑に処せられた経緯を知るために、著者が祖国を再訪し、関係者に取材、真相を追求していく物語。父親を失った娘としての喪失感とともにシエラレオネの恥辱的な現代史が明らかにされる。普通に読めば、頭脳明晰なモハメド氏がなぜ、狡猾で残忍な大統領の魔の手が迫って来る前につてのある英国に亡命しなかったのか、家族の大切さを第一義に考えなかったのかという疑念がわく。そうした機会は何回かあったのだ。
物語の冒頭は1974年7月30日。著者は10歳とある。シエラレオネの首都フリータウン。「言いようのない危険な雰囲気を感じさせる」二人の男がやってきて、私(アムナッタ)の父親をどこかに連れていく。「お母さんに遅くなると言いなさい」という言葉が耳にした父の最後の言葉だったとある。
物語の舞台はロンドンに跳ぶ。「父の死から25年が過ぎたにもかかわらず」父の夢を見なくなることはなかったと記されている。著者はロンドン大学で学び、ジャーナリストとなっている。著者は父親の逮捕後、兄や姉、義母とともにロンドンに逃れており、シエラレオネの記憶は薄れている。かすかに残っている記憶を基に父親の足跡をたどるのだが、祖国はまだ反政府軍との間で激しい内戦状態にあり、危険と隣り合わせの取材を続けていく。父親に対する深い愛慕の念がなせる業だろう。物語の中で反政府軍により両足首や腕を切断された無垢の住民が描かれ、その酷さに胸がつまった。それでも彼らは希望を捨てていない。
私はシエラレオネを訪れたことはない。アフリカ特派員時代、支局は東アフリカ・ケニアのナイロビにあった。アフリカの地図を見ると、東西アフリカはそうは遠くない印象だが、地球が一番出っ張ったところであり、見た目以上に距離がある。加えて東西を結ぶ航空路線は多くなく、決して近いという印象ではなかった。また、西アフリカはフランス語圏の国が多いことも英語しか解さない日本人記者には取材意欲を削がれた。シエラレオネは英語が公用語であるもののだ。
言い訳ではないが、私がナイロビ支局に勤務していた1980年代末、シエラレオネは比較的静かな情勢が続いていた。敢えて書くと、この本に登場する大統領のように国民の幸福を一顧だにしない独裁的指導者はアフリカでは当時も今も珍しくない。そうした邪悪な指導者を一掃すべく、国際社会の断固とした対応が求められている。
訳者は1985年から2004年まで国連児童基金(ユニセフ)広報官を務めた澤良世氏。惜しむらくは著者の回想と四半世紀後の再訪の場面などが交錯した記述が多く、原文では違和感なく読み進めることができるのだろうが、日本語ではかなり戸惑う場面が少なくなかった。登場人物一覧も冒頭に別記してあれば役に立ったことだろうと思われた。
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brand-new
- 2020-01-26 (Sun)
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平日は毎朝、毎夜、NHKラジオの語学講座のお世話になっていることはこのブログで何度も書いている。本当にNHKの語学講座がなかったら、私の今の生活は何とも味気ないものになっていたころだろう。退屈をかこっていたかもしれない。小人閑居して不善をなすか。
ただ、正直に書くと、夜10時台に再びラジオに向き合うのは難儀に思うことも少なくない。時には早く就寝したいと思うこともあるし、見たいテレビ番組もある。講座が難解と思う時には投げ出したくもなる。でも、いつか、すっと意味が分かるようになるときがやって来るはずだと信じて聴き続ける。だから講座の内容が比較的容易に理解できる時があると、嬉しくもなるし、少々大げさに書くと前途に希望の光が見えるような気もする。
NHKでは毎朝の韓中両言語の講座に続いて、英語の講座が流れる。これも惰性で聞くことが多い。さすがにすっと分かるので気分が楽だ。それだけでなく、思いがけない復習になったりするのも有難い。最近の放送で言えば、次のような会話が紹介されていた。マンションの住民とそのマンションに転居したばかりの人の会話だ。“Are you new to this condo?” “Yes, I’m brand-new, just got moved in.”
「新品」を英語では brand-new と表現することは知っていた。「新車」なら a brand-new car だ。だが、上記のように、マンションに越して来たのかどうかを問われ、「はい、越して来たばかりです」と言いたい時に、“Yes, I’m brand-new, just got moved in.” と表現できるとまでは思い至らなかった。なるほど。参考までに、職場やサークルなどの場で「私はここでは新入りです」と言うときなどには “I’m new here.” と表現できるようだ。
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中国の春節(25日)を盛大に祝う特別番組をケーブルテレビが生中継していた。NHKの紅白歌合戦をさらに豪華にしたような番組だった。歌あり、踊りあり、コントあり、漫才ありのバラエティーに富んだ内容で、生中継だけに同時通訳は少なかった。コントでは老若男女の観客は大笑いしていたが、私にはまだ日本語の字幕がないと無理。せめて中国語の字幕があれば少しはついていけたかとも思うが。果たして来年の今頃はもっと笑えるようになっているだろうか。
それはさておき、中国の人々は地域によっては今、春節を祝うどころの気分ではないのかもしれない。新型コロナウイルスによる肺炎により、感染の中心地である湖北省の武漢市が封鎖に追い込まれるなど危機的状況にあるからだ。武漢市は揚子江(長江)沿いの内陸部屈指の都市で、昔から交通の要衝の地として知られる地。読売新聞によると、武漢市の人口は東京23区内の人口を上回る約1,100万人。これだけの大規模な都市が「封鎖」されたわけだから、そこに住む人々は経験のない恐怖と不便を強いられているのだろう。
今朝の朝刊は中国当局が海外への団体旅行を27日から禁止する決定を下したと報じている。願わくは中国国内での感染拡大に歯止めがかかり、これ以上、世界的に猛威を振るうことがないことを祈るばかりだ。
それにしても、昨今の新たな疾病の発生は不気味と言うしかない。世界各地での異常気象、自然災害。核兵器の恐怖。聖書が説く世紀末の様相を呈しつつあるのか、と憂鬱になる。
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