英語でさるく 那須省一のブログ
♪♪Fight the Virus ♪♪
- 2020-04-24 (Fri)
- 総合
今週の日曜日はスカイプを使った二回目の英語教室。今度はスマートに実施できることを願っているが、果たして・・。しかし、スカイプはとても便利な代物だ。髭を剃るだけでOK。外出着に着替える必要ない。これまで実際の教室の場に行くのにかけていた物理的時間もとても有効に活用できる。第一、交通費も不要だ。コロナウイルスに罹患するのを怖れる受講生も思いは同じだろうか。
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遠く離れた地に住んでいる同郷の一学年上の先輩からスマホのラインにとある歌が送られてきた。クリックしてみると、Fight the Virus というタイトルが出てきて、耳に心地よいメロディーとともに「コロナウイルスに負けずに力を合わせて闘おう」という趣旨の歌詞が流れる。嗚呼、あのサイモン&ガーファンクルの名曲 “Sound of Silence” のパロディーソングなのだ。いい歌だと思った。Ten thousand people maybe more が罹患して苦しんでいるという歌詞があるので、コロナウイルスが猛威を振るう前に制作されたのだろうか。
パソコンでも Fight the Virus song と検索すれば、この歌が出てくる。私の世代の人なら青春時代を懐かしく思い出すかもしれない。世界が人類が一丸となってコロナウイルス撲滅に闘うことを訴えたこの歌を懐かしく思いながら聞くのは果たしていつのことになるのか。いや、我々はまだ今のコロナ禍の戸口に立っているに過ぎないのかもしれない。
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『漢詩鑑賞事典』。今読んでいるのは孟浩然(689-740)という唐の時代の詩人の漢詩で「春暁」と題した五言絶句。最初の句、起句は私でも耳にした、目にしたことがある。「春眠暁を覚えず」だ。縦書きの漢詩を横書きにしていいものか迷うところではあるが、次のような語句が並んでいる。春眠不觉晓 处处闻啼鸟 夜来风雨声 花落知多少
『漢詩鑑賞事典』に掲載されている漢文訓読では、以下のようになる。春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ
漢文訓読では一句、二句、四句目が押韻していることは分かりにくいが、中国語のピンイン表記ではそれぞれ、晓(xiǎo)、鸟(niǎo)、少(shǎo)と韻を踏んでいる。
続けて日本語訳は——。春の眠りは心地よく、うつらうつらと夜の明けたのも気づかずに寝ている。外ではあちらでもこちらでもいかにも春が来ましたとばかりピイチクとなく小鳥の声が聞こえてくる。そういえば、ゆうべは風雨の音がしていたが、花はいったいどれほど散ったことやら。<鑑賞>の項では概略次のように述べられている。この詩のテーマは後半二句から「惜春の情」と解釈されることが多いが、キーポイントは起句の「春眠暁を覚えず」にあり、春のぬくぬくとした眠りを貪る人物のありよう、つまり「高士の世界」なのである。夜が明けたのも知らず春の眠りを貪っているのは、宮仕えを拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている「高士」と称する人物なのである。
「高士」とは広辞苑には①人格の高潔な人②世間から離れ、山林などに隠れている有徳の人とある。「高士」ならずとも春の眠りを貪りたい気分だが、コロナウイルスが跋扈する時節柄、とてもそのような悠長なことは言っておられない世の中のムードだ。
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所変われば品変わる(Different places, different customs.)
- 2020-04-22 (Wed)
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去年の今頃は台北の大学で留学生向けの中国語講座を受講していた。わずか一か月だったが、担当の黄老師の指導の下、一生懸命に学んだ。あのように熱心に勉強したのは大学受験を前にした高校生時代以来か。学友の大半はインドネシアやベトナム、韓国からの20代の留学生。年金生活者の私は低価格のラブホテルの窓のない一室を宿とした。隣室から聞こえて来る喘ぎ声に平常心を乱されることもあったが、それも今では笑える思い出。先日、黄老師にメールで近況を尋ねたが、心なしか元気のない文面だった。コロナ禍で留学生が枯渇し、教室も閑古鳥が鳴いているのだろうか。また大学を訪れ、黄老師と英語ではなく、できれば中国語で語らいたいと願っているが、今年果たしてそれが可能か・・。
そんなこんなを考えながら、日々を過ごしている。米CNNテレビを見ると、トランプ大統領のフラストレーションが日に日に高まっているのが分かる。彼が吐く罵詈雑言(と呼んで差し支えないだろう)を聞いていると、こちらも甚だ不快な気持ちにさせられるので、パソコンのユーチューブで娯楽番組に走るのもしばしば。直近に見たCNNでは、大統領はアメリカのコロナウイルスによる死者が4万数千人に収まっていることを「称賛」していた。以前には死者数が100万人とも200万人とも推定されていたが、政権の尽力でこの程度に済んでいると誇らしげに語っていた。嗚呼、何をか言わんや!
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ジャパン・ニュース紙を読んでいたら、ドイツがタイの国王に我慢の限界にきているという一見珍しい見出しの記事を目にした。German patience with king of the jet set is beginning to run short(ジェット機でやって来る王様に対するドイツの忍耐が切れかかっている)。興味に駆られて記事を読んでみて驚いた。私は残念ながらアジアの民主国家、タイに行ったことはない。わずかな知識と言えば、今は亡きプミポン国王は生前、国民に大変敬愛され、政治的混乱があれば、国王が乗り出して調停に当たったこと。現在のワチラロンコン国王(67)は前国王ほどには国民の敬愛を受けていないことぐらいだろうか。
そのワチラロンコン国王がこの十年以上、ドイツ南部のバイエルン州にあるレゾート地にあるホテルを保養の定宿にしており、現在のコロナ禍で往来が禁じられているにもかかわらず、国王がVIP待遇で大勢の取り巻きを引き連れ、タイ航空の専用機で自由に訪問していると報じている。取り巻きの中には20人に上る側室(?)が含まれているとか。地元に大金を落としていることもあって、ドイツ政府や国王が足繁く足を伸ばしている隣国のスイス政府も見て見ぬ振りをしているらしい。いやはや、日本の皇室とは雲泥の差があるようだ。アジアにまだこのような国があったとは驚くしかない!
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NHKの中国語講座を聴いていたら、an と ang という鼻音について解説していた。私はこの鼻音が大の苦手。an はまだいいのだが、ang は難解。そうしたら、講師の先生はang は伸びやかで明るい音と説明していた。私がこれまで抱いていた印象とは大違い。上网(shàng wǎng、インターネットに接続する)はともに伸びやかな音ということになる。この音が中国語を耳にした時に感じる「美しさ」の一因なのだろうか。うーん?!
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asymptomatic(無症状の)
- 2020-04-20 (Mon)
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新型コロナウイルス。ずっと疑問に思っていることがある。それはこのウイルスに運悪く感染しても無症状が続き、それまでと同様の暮らしができた場合、本人は自分の感染の事実さえ知らずに、ある程度の日数が経過すれば、ウイルスも消滅し、何ごともなかったことになるのでは、という疑問だ。そうすると、今の一連の大騒ぎは何だということにもなる。
新型コロナウイルスについては治療薬はもちろんなく、未解明のことばかりだから、無症状感染にしてもまだ分かっていないことが多いのだろう。先週末、読売新聞の購読紙の中に感染対策のガイドブックと称する小冊子が入っていた。それを読むと、冒頭に次の記述があった。「大多数の人は発熱やせきなど風邪のような症状が出て自然に治るが、ウイルスが肺に入り込んで重症化する人もいる」
なるほど、大多数の人は重症化しない限り、自然に治癒するということか。ということは持病がなく、抵抗力のある健康な人はたとえ感染しても、まず慌てることはないということだ。と思うと少し気が楽になってくる。もちろん、他の人にウイルスをうつす危険には十分気をつけなければならないが。乱暴に言えば、納豆など世界に誇り得る発酵食品を普段から食して味噌汁を食していればまず大丈夫だ。いや、これは私の持論に過ぎない・・。
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最近はあまり英字新聞を熱心に読んでいなかった。一つには世界中のスポーツ活動が停止しており、スポーツ記事を読む楽しさがなくなっていることにもある。大リーグや米ゴルフの記事は邦字紙の報道では全然物足りない。大リーグ中継を日本人アナや元プロ野球解説者の言葉を介して見るのも同様だが。
たまたまコロナウイルスの記事を目にした。Tokyo to urge asymptomatic, mildly ill patients to stay home という見出しだった。東京都では無症状あるいは軽症の患者は自宅で療養するように求めているという記事。symptomatic(症状を呈している)という語にa を付け asymptomatic とすれば「自覚症状のない、無症状の」という反意語になるとは知らなかった。political にa を付けて apolitical とすれば「政治に無関心の、ノンポリの」を意味するようになるのと同じ反意語の作り方だ。
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トランプ米大統領はアメリカの社会を一日でも早くコロナウイルスによる「束縛状態」から解き放すことに躍起となっている。それがとても危険な行為であることは素人でもわかる。与党共和党が知事の座にあるテキサスやフロリダ州などでそうした動きがあることを諸手を挙げて歓迎している。それでふと思った。
トランプ氏は米経済を立て直したいと思っているのはもちろんのことだが、早く一般大衆が自由に集えるようにすることも企図しているのではないかと。彼の政治スタイルは英語で表現すると rabble-rouser と呼ばれる「大衆扇動家」の手法そのもの。集会の場で民主党やエリート層を罵倒することにより、社会の中間・底辺層の人々を取り込み、支持層を拡大しようと目論む。コロナ禍でそれがこのところできないのだ。フラストレーションがたまる一方なのだろう。さすがに全米各地に出かけ、無聴衆演説まではできない。
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惜指失掌
- 2020-04-17 (Fri)
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新型コロナウイルス。政府は全国に緊急事態宣言を発令した。事態はいよいよ深刻の一途だ。外出自粛などの対策が講じられなければ国内で最悪の場合、約40万人が死亡する恐れがあるという驚くべき試算も専門家により警告されている。それを思えば、致し方ない宣言であろうが、何となく釈然としない思いは残る。
不要不急の外出を控えよと言われるまでもなく、コロナウイルスを見舞われそうな人混みの中には行きたくはない。誰でもそうだろう。ただ、そうかといって、一日中、自宅にひきこもっていては、身体がなまるし、精神的にも良くない。だから日課に近い香椎浜でのスロージョギングは続けている。皮肉なことに最近は本来なら学校で勉強しているはずの子供たちのほか、幼児を連れた若い母親などが増えて賑わっている。
香椎浜は福岡空港に近く、コロナ禍の前には上空に絶えず飛行機の往来があったが、今はあまり見かけなくなった。国際線が潰滅的打撃を受けているのは走っていても推察できる。沿道の桜も散り始めており、例年なら桜を愛でながら汗を流すのだろうが、今年はとてもそのような気分に浸れない。
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日本以上にコロナウイルスが猛威を振るっているアメリカ。トランプ米大統領はしかし、できるだけ早く米国内の経済活動の再開に踏み切りたい意向のようだ。経済活動再開に向け、各州の事情に応じた新指針を発表したとか。彼にとっては米経済の回復は今秋に迫った大統領選で再選を果たすための唯一無二の絶対条件。百害あって一利なしのコロナウイルスだが、トランプ大統領再選を阻止する要因となるかと思うと複雑な心境だ。
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韓国語と中国語のNHK講座。今月から新しいクールでの放送となっている。両言語とも中級講座は再放送で有難いが、新講座はなく、私のような怠け者はいよいよ怠けそう。初級講座は惰性で聴いているが、新しい気づきを与えてくれ、また復習に役立っている。
中国語では「温暖」という語が出てきた。これは文字(漢字)を見れば分かる。意味も日本語の「温暖」と同じだ。発音はwēnnuǎn。あえてカタカナ表記すると「ウェンヌァン」。声調を含めると、私には正しく発声するのは骨が折れるが、中国語は文字(漢字)を目にした時に意味が推量できるのは、韓国語とは大いに異なる。韓国語はハングル文字を読むのは比較的簡単だが、それで意味がぱっと分かるものでは決してない。
最近目にとまったことわざは「惜指失掌」。これも掌が「手のひら」だと知っていれば、「指を惜しんで手のひらを失う」と読み取り、「目先の利益にとらわれ、大局を見失う」意だろうと推察できる。こちらの発音はもっと難解なxī zhǐ shī zhǎng。「シージーシージャン」であり、カタカナ表記ではとても中国語の音を表現できない。二つのシー(xi と shi)は舌の位置が異なり、従って同じ音ではない。xi は日本語のシーで良さそうだが、shiは「そり舌音」と呼ばれるシーでくぐもった響きのあるシーだ。気を抜くと私にはほとんど同じ音に聞こえる。英語だと例えば、see [siː] と she [ʃ iː] の音は全く別物だが、その違いとはまた別の違いの音だから悩ましい。
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スカイプデビュー
- 2020-04-14 (Tue)
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私が教えている英語教室の一つは当面の間、休講措置となっている。もう一つは辛うじて命脈を保っている。これも昨今脚光を浴びているテレワークと言えるのだろうか。スカイプを利用したからだ。スカイプがこんなに便利なものであるとは思いもしなかった。
参考までにテレワークは英語では work from home とか telecommute と表現するようだ。電子辞書には teleworker という語が載っていて、telecommuter と同義と書いてあるので、英語でもtelework でいいのだろう。telecommute は「在宅勤務をする」(コンピューターやEメール、電話などを使って顧客やオフィスと連絡をとる)と説明されており、「在宅勤務」はtelecommuting, teleworking と載っている。
これからの時代は今回の新型コロナウイルスを始め、対処不能の恐ろしい感染症が跋扈するのだろうか。そうだとすれば、テレワークがますます普通の働き方になるのかもしれない。もはや「現役」ではない私にはどうでもいいことだが、そこにまた新たなビジネスチャンスが生まれ、新しい生き方、暮らし方が喧伝されるのだろう。
話を戻して、私がスカイプを初めて目にしたのは、アフリカだった。『ブラックアフリカをさるく』という本を書くために新聞社を早期退社し、アフリカ7か国を放浪した2010年、ケニアの奥地にある、野生動物が生息する広大な自然農場を訪ねた。その農場を営んでいた友人のFさんが日本に住む父親とパソコンを使ってテレビ電話しているのを見てびっくりした。彼女はそれがスカイプだと私に告げた。その時は、へえ、こんなことが可能なのか、しかも無料なのか、いや凄いなあと思ったことを覚えている。
あれから10年の歳月が流れたが、私はその間、スカイプなるものに興味は全く抱かなかった。ところが、先日、天神の英語教室の受講生の一人からメールがあり、「先生、新型コロナウイルスでしばらくは外出を控えたいと思っています。スカイプか何かで授業を聞くことはできませんか」と尋ねられた。私の頭に最初に浮かんだ思いは「それは無理!」。だが、何度もこのブログで記しているかと思うが、私は近年、自分を取り巻く出来事すべてが神様の思し召しという考え方で日々を過ごしている。だから、このスカイプの「お願い」も神様がそうせよと言われていると考えた。
それで知り合いや姪っ子に基本的なことを教えてもらい、パソコンをあれこれ触っていたら、あら不思議、スカイプができるようになった。こうしたことに明るい人には何でもないことだろうが、デジタルに弱い私には画期的なこと。そして自宅でパソコンを前にして迎えた先の日曜日。教室の生徒さんは4人しかいないのだが、グループ作りの作業を知らなかったためもあり、一人とは途中でコンタクトが切れた。何とか残る3人への授業を終え、残した一人とはその後に再度連絡を取り、授業らしきものを済ませた。
まだ、私、スカイプができます、などと胸を張ることなど到底できないが、何だか仕事の可能性が広がったような気はする。スカイプを通して英語を教える。家庭教師のようなものだ。教材はメールでやり取りすれば、対面しての教室よりいいかもと思わないこともない。お互いに自宅にいながらにしての授業。なるほど、これはとても便利なシステムだ。これで私の仕事の新しい地平線が見えてこないものかと願い始めている自分がいる。
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self-quarantine
- 2020-04-12 (Sun)
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アメリカの東海岸に住む大学時代の恩師から新型コロナウイルスに関するメールが届いた。恩師は福岡市も政府の緊急事態宣言が出たことを念頭に、私がいわゆる “social distancing” を考えているなら、アメリカをさるく旅で訪れたことのある、米作家ヘンリー・デイビッド・ソロー(Henry David Thoreau)(1817-1862)が実践した俗世間に距離を置いた暮らしを想起したまえ、という趣旨の内容だった。
恩師はメールにニューヨークタイムズ紙が報じた記事を添付していた。Lessons in Constructive Solitude From Thoreau(ソローに学ぶ建設的な独居に関する教訓)と題する記事で、日本語の新聞なら「袖見出し」のところで次のように記してある。The writer used his self-quarantine at Walden to pursue an intensive course in self-education. In the present pandemic moment, there’s plenty to learn from standing still.(作家はウォルデンで自宅に引きこもっている間に自分自身を教育するのに集中的な時間を費やした。現況のパンデミック下では、ソローのような独居暮らしから学ぶことは沢山あるのだ)
恩師は私が『アメリカ文学紀行』の取材で2011年に米国の各地を放浪した時にソローゆかりの地、ウォルデンを訪れていたことを覚えていてくれたのだ。
私はそれまでソローのことは全然知らなかった。だが、彼が住んでいたマサチューセッツ州の町 Concord が19世紀、ラルフ・ウォルド・エマーソンやソローたちが住んでいたことから、アメリカの文学ルネッサンスの地と称されていることを知って興味を覚えた。ボストンから列車に乗ってウォルデンを目指した。ソローは1850年代に2年2か月余、ウォルデン池畔の林間の小屋に一人で暮らし、思索にふけった。コロナウイルスでself-quarantineを余儀なくされる多くの人々にとってソローの哲学、実践は役立つのではないかと記事は訴えていた。
私にはとても懐かしいウォルデン池畔訪問だが、残念に思っていることが一つ。恥ずかしい話だが、私はなぜか上記のConcordを拙著で「コンコルド」と表記していたのだ。超音速ジェット機が頭にあったのかもしれない。「コンコード」と書くべきだった。
小屋の跡地には彼の代表作 “Walden; or, Life in the Woods”(邦訳『森の生活』)の一節が掲示板に紹介されていた。“I went to the woods because I wished to live deliberately, to front to only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived.” ちょっと訳しずらい英文だ。私は以下のように意訳した。「私が森に行ったのは人生にとって本当に大切なことだけに向かい合い、賢い生き方がしたかったからだ。私はそこから学ぶべきものを学び、やがて死が訪れる時、自分が愚かに人生を生きたなどと気づきたくはなかった」
恩師のメールは “But it is said that Thoreau’s mother did his laundry.” という指摘で終わっていた。19世紀半ばの当時は電気洗濯機などまだ発明されていなかったのだろう。
いずれにせよ、大学の講師職もなくなり、仕事の口が細った近年はほぼ self-quarantine 的な日々を過ごしている身にはソローには足元にも及ばないが、思索にふける時間が十分にあることは確かだ。
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緊急事態宣言へ
- 2020-04-07 (Tue)
- 総合
新型コロナウイルス。ついに日本でも緊急事態宣言が発令される運びとなったようだ。ここ福岡も7都府県の中に含まれている。これから約1か月間、さまざまな行動の自粛が要請されるのだろう。7日の読売新聞の紙面には「日本は2週間前のニューヨークみたいだ」とニューヨーク市内の大学病院で勤務する日本人医師の憂慮の声が報じられていた。そうならないことを切に祈りたい。
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少し前の項で次のように書いた。—— 新型コロナウイルス対策として私たちは①密閉空間②人の密集③近距離会話の3つを避けるよう求められている。海外のメディアが報じている “social distancing” の骨子だ。私は “social distancing” を日本語では「SD」として定着させてもいいのではと思い始めている。SDは “safety distance” (安全な距離)ととらえることもできる。「SDに注意!」でどうだろう。いややはり無理があるか。—— ネットで見ると、「社会的距離の確保」という表現があった。妥当な表現と思う。民放のラジオを聞いていたら、「社会的隔離」という訳語を使っていた。「隔離」というとネガティブなニュアンスがある。自らの意思で他者との間に一定の距離を置くのだから、「社会的隔絶」の方がまだいいのではないかと思う。いずれにせよ、これからは “social distancing” が社会生活のエチケットの一つとなるのだろうから、きちんとした用語が必要かとは思う。
◇
CNNを見ていたら、トーク番組でジャーナリストのクリス・クオモ氏がコロナウイルスに感染したというニュースを目にした。彼の印象は攻撃的な問答で、私はあまり好感は抱いていなかった。特にニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモ氏とのインタビューでは何だか殺気立った雰囲気で、私はもう少し柔和に対応できないものかと思いながら見ていた。
そうしたら、何と二人は兄弟であることを知った。そう言えば、確かに風貌がよく似ている。なるほど、兄弟だからこそ、けんか腰のインタビューになったのか。根底にはお互いのそれぞれの立場に対するリスペクトがあったのだ。
私が見た番組では彼が療養中の自宅からインタビューを受けていた。私が思わず同情の念を覚えたのは彼の次の言葉だ。“The beast comes at night.”(獣は夜にやって来る)。高熱でうなされる状態を beast と表現している。彼は自分の平熱が華氏97.6度で低い方であり、普通の人には何でもない華氏99度でも自分にはこたえると語っていた。私の換算では摂氏だとそれぞれ36.4度、37.2度。私も恥ずかしながら平熱は低い方で35.7度(今測ったら35.8度)。だから体温が36.度台になると私的には黄信号が灯る。
クオモ氏は夜寝ている時に幻覚のような症状を呈すると語っていた。例えば、亡き父親がベッドの向う側に立っているとか。統計上ではコロナウイルスに感染したとしても約8割の人々は病院に行くことなく回復すると言われるが、クオモ氏はたとえそうであっても、夜に高熱が出て上記のような症状を体験するのは決して生易しいものではないと語った。風邪を引くと、大概の人にはそう高熱でなくとも、なかなか寝付くことができず、時に幻覚のようなものに苦しめられる私には彼の語っていることがよく理解できた。
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