英語でさるく 那須省一のブログ
デジカメ紛失!
- 2020-01-05 (Sun)
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大晦日から正月にかけ、実によく飲み食いした。正確には飲み食いさせてもらった。体重は今80キロに限りなく近いかと思う。恐ろしくて体重計になど乗りたくない。身長のない私には限界だ。よし、今年は真面目に減量に取り組もう。目標体重とりあえず70キロ。つい先日の記憶では77キロ程度あったはずだから、少なくとも7キロの減量となる。9月の定期健診までに70キロを目指そう。本当はこの数値でも標準体重からは程遠い。
そういえば、昨年最後のこのブログで、「从明天开始,我一定要减肥」という中国語の文章を紹介していた。これを再利用するなら、「从今年开始,我一定要减肥」となるだろう。「今年から私は絶対ダイエットするつもりだ」
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などと、このブログを今、関西から福岡に戻る新幹線の車中で(ラップトップのキーを叩いて)書いている。頭の中はこの一週間の酒(ビール・日本酒・焼酎・赤ワイン)でまだぼぉーとしている。実はけさ神戸のホテルでいささかショックを受けた。いつも旅に持参しているデジカメが見当たらないのだ。愛用のバッグ(リュック)に入れていた(つもりだった)。ホテルの部屋をくまなく探したが、キャリーバッグも含めどこにもないではないか。
前日の昼、関西に住む古い知己の方々とホテル近くの和食のお店で一年ぶりの会食を楽しんだ。その際、写真でも撮ろうと思っていたので、そのお店に置き忘れたのかと思い、朝電話を入れてみたが、デジカメの忘れ物はないとの由。写真を撮りたいとは思っていたが、デジカメをバッグから取り出した明確な記憶はない。魚津を出て途中二泊した亀岡の兄の家にも電話を入れたが、忘れ物はないという。
そうなると一番可能性のあるのは魚津のママさんの家。そこでご馳走になった海の幸や鍋をスマホで撮影し、宮崎の妹や帰省している姪っ子にラインで送付していたが、私はブログ用にはいつもデジカメを使用している。福岡に戻って改めてブログで書き残す際にブログ用の写真を別途、デジカメで撮影した記憶があるようなないような・・。
ひょっとしたら、デジカメを自宅に残したまま、今回の旅に出た可能性もある。いずれにせよ、福岡の自宅に戻ったらはっきりする。デジカメがあることを願ってはいるが、そうなれば私がすっかりもうろくしたことの証左ともなるので、実に情けない。
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そしてようやく先ほど新幹線で帰福。マンションに戻り、ひょっとしたらという思いで机の上やテーブルの上を探すが、デジカメは見当たらない。やはり、バッグに入れて旅したようだ。どこかに置き忘れたか落としたか。
あのデジカメは新聞社を早期退社した際、会社から記念品としてもらったもので、アフリカの旅以来、これまでずっと私と一緒に旅してきた。戦友のようなものだ。心がふたがる。ここは亡きお袋がこういう時によく口にしていた言葉を思い出すことにしよう。あのデジカメは私の替わりに遺失物となってくれたのだ。もっと悲惨なことが我が身に降りかかっていたやもしれない。デジカメが身代わりになってくれたのだ。その程度で済んだことを神様に感謝しよう。お袋が生きていたら、きっとそう諭したはずだ。嗚呼、それにしても!
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良いお年を!
- 2019-12-28 (Sat)
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エリザベス英女王のクリスマス恒例のビデオメッセージは英国民及び英連邦の人々に団結・融和を呼びかけるものだった。英国は欧州連合(EU)からの離脱を巡り、国民の間に大きな亀裂が走った一年。イングランドとスコットランドの確執はこれからさらに深刻なものになる可能性が大だ。女王にとっては、次男のアンドリュー王子にまつわる醜聞もあり、個人的にも心穏やかならない年だったことだろう。
それにしても御年93歳のエリザベス女王はいつまでも美しく凛としていらっしゃる。彼女は間違いなく、英国及び英連邦の団結を維持する最後の「砦」だと言っても過言ではないと思う。エリザベス女王のメッセージの締め括りの言葉は “Merry Christmas!” ではなく、“I wish you all a very happy Christmas!” だった。原意が「ほろ酔い加減」の “merry” ではなく、「幸せ」の “happy” だ。
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NHKラジオが毎朝夜に再放送している中国語講座「まいにち中国語」が60回目を迎えた。来年3月まで全120回放送されるから丁度折り返し地点だ。今のところ、そう苦もなくついていけている。初級の講座だし、何と言っても再放送だから当然と言えば当然だ。しかし、記憶力が鈍化している身にはこれから段々ときつくなっていくのだろう。
それはそれとして、次のような文章が出てきた。日本語で書くと、「鳥になって空を飛びたいなあ」と「あしたから絶対ダイエットします」。中国語では次のようになる。「我想变成一只鸟,在天空中飞翔」と「从明天开始,我一定要减肥」。日本語の方がずっと簡潔な物言いに思える。中国語では「一羽の鳥」と言わなくてはならないし、「空を」という個所が「在天空中」と仰々しい。ダイエットしたいという文章も「开始」と「减肥」が離れており何だか面倒なあと思わないでもない。まあしかし、その逆の場合もあるような気がするし、慣れていくしか手はないのだろう。余談だが、「鸟」(鳥)の発音はニャオ。「猫」(猫)はマオ。鳥が猫に思えてならない。
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2019年ともあと少しでお別れだ。個人的にはうーんという感じの年だったが、健康で快適に日々を過ごすことができたのだから、文句を言ったら罰があたるというものだ。神様に深く感謝。
『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)を一応読み終えた(気になっている)。『歎異抄』(岩波文庫)よりは楽しめたみたいな印象はある。それでも難解は難解だ。それで「積読」というか途中で読むのを放棄していた親鸞聖人著の『教行信証』(岩波文庫)を再び寝しなに読み始めた。いや、読むというよりは活字をぼぉーと目で追っている感じだ。あのチコちゃんに知られたら、「ボォーと読んでんじゃないよ!」と喝を入れられること必至。
晦日からまた北陸に旅する予定。京都・神戸・芦屋を経て5日に帰福する。新幹線を手始めに車中で長い時間を過ごすことになるから、『教行信証』が「睡眠薬」となり心地良い眠りに落ちていることだろう。皆さま、良いお年を!
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Word of the Year for 2019 'they'
- 2019-12-25 (Wed)
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料理のレパートリーが少ない私にとって味噌汁はよく作る大切な一品。「焼きあごだし」という名称の出しの素を頂いていたことを数日前に思い出し、普段使っている出しの素の替わりに入れてみた。よく分からないが、口の中に何か残る感じでどうも・・・。それでも私が使っている出しの素よりは高級そうなので利用していた。
ふとそのあごだし(紙のパック)が入っている袋の裏の説明書きを読んでみた。ざっと目を通したつもりだったが、よく読むと、紙のパックを破らずに、そのまま鍋に入れ、水の状態から煮だすようにと書いてある。私はいつも使っている出しの素のように袋を破って鍋にあけていた。道理で勝手が違っていたはずだ。幸い(?)あと一袋残っている。最後に本来の味を楽しもうと思っている。物事を知らないと損をするものだ!
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先日、小学校では今は児童を男児であれ女児であれ、教師は「さん」付けで呼んでいると聞かされた。男児でも「君」と呼ぶことはないのだという。私にはよく理解できないが、「君」と呼ばれることに抵抗を覚える男児がいることにも配慮した措置だとか。
英BBCのネットで最近読んだ記事を思い出した。アメリカの辞書出版社、メリアム・ウェブスター(Merriam-Webster)が「今年の言葉」(word of the year)に they を選んだという記事だ。“Non-binary pronoun ‘they’ is word of year” という見出しだった。これだけでは何のことかさっぱり分からない。
朝日新聞の「天声人語」がこの話題を取り上げていた。参考になるので以下に要点を引用させてもらう。——男女に関係のない中立的な言葉として、近年よく使われるようになったという。女性差別さらには性的少数者への偏見を減らそうという思いが込められている。もともとは複数形のtheyを単数のように使い、「he(彼)」「she(彼女)」の代わりにする。それでも動詞はareなど複数のまま。——
トランスジェンダーや明確な性認識に迷っている人々はこれから自分のことに言及される時に外見から判断される従来の代名詞(he, she)ではなく、they を使って欲しいということか。例えば、「彼の趣味は何だっけ? 」というような場合には従来の “What’s his hobby, do you know?” ではなく “What are their hobby, do you know?” となるのだろうか。動詞の選択に悩まされるし、慣れるまで時間がかかりそうだ。全く新しい代名詞をこの際、創り出した方が良さそうにも思えるが、そうなったらそうなったで形を変えた「差別」と批判されるのだろうか。
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本日はクリスマス。エリザベス英女王の恒例のクリスマススピーチが現地時間では午後3時からBBCで放映される予定。時差があるので日本時間では日付が変わった直後の深夜午前零時から。ケーブルテレビでは午前2時過ぎから録画放送があるようだ。これはちょっと厳しい時間帯だ。パソコンのネットでは生中継されるのだろうか。楽しみに待とう。女王様が聴衆に語りかける言葉は 伝統的な “Happy Christmas!” であり、ちまたに流布している “Merry Christmas!” ではないはずだ。それを改めて確認したい。
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Happy holidays!
- 2019-12-23 (Mon)
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今年も有馬記念がやってきて、終わった。今週の土曜日もあと一日競馬があるようなので、JRA(日本中央競馬会)の今年のレースがすべて終了したわけではないが、有馬記念で一年の一区切りがつく。私は馬券を場外やネットで購入することから足を洗って久しいが、有馬記念は特別な思いでレースを見る。一年の締め括りぐらいは馬券をちょっと買ってみたいと思わないでもないが、買い方も大方忘れてしまった。それでも自分だったら、この馬を中心にしてあれとあれとあれを二三着候補に馬券を買うかな、ぐらいのことは頭の中でシミュレーションはする。推理するだけならただで済む。
天神で今年最後の英語教室を終えた後、急いで自宅に戻り、有馬記念のレースを観戦した。私の念頭にあった馬は全然ダメだった。評論家・予想屋の圧倒的大多数が絶対視していたダントツ一番人気の4歳牝馬アーモンドアイは最後の直線でなぜか失速し、掲示板にも載らない9着に惨敗した。中山競馬場では群衆が絶叫し、ため息が漏れたことだろう。
競馬は馬券を買わずに、推理して楽しむだけにすれば、文句なしに楽しめるレジャーだ。馬券を買う人がいなくなれば、公営ギャンブルとして成立しなくなるという指摘もあるだろう。そうなれば、歌舞伎や能のように伝統技能として伝承していけばいい。
あの歌舞伎だってテレビで見たことはあっても、劇場で観たことのない人は案外多いのではないか。私も劇場ではない。たいして興味もない。でも、歌舞伎を後世に継承することは大切なことであると分かる。競馬もその程度の位置づけでいいのでは。国民のお金を毎週末巻き上げるレジャーである必然性はない。ましてや、人気のある女性タレントたちを使って競馬場内の女性専用カフェを映し、男性タレントが「あそこには馬女(うまじょ)しか入れないのだ!」と叫ぶCMを流し、若者の競馬熱をあおる必要などさらさらない。
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クリスマス。Merry Christmas! がいいのか Happy Christmas! がベターなのか。いや、世の中はキリスト教徒だけではないので、近年は Happy holidays が無難とも聞く。
今年最後の英語教室(天神)で時節柄、Happy Christmas について若干説明しようと思った。そこでふと思い出した。そう言えば、公民館の中国語講座でちょうど一年前に中国語で書いたこのテーマのトリビア的な一枚の紙をもらったことを。最後の方は私には難し過ぎて、ろくに読んでいなかった。どこかにあるはずだ。机の上にたまった書類・手紙等の山を漁ってみたら、運よく出てきた。
改めて読んでみると、興味深いことが記してあった。なぜ、当初は一般的だったHappy Christmas! がMerry Christmas! に取って代わられたのか。Happy Christmas & happy new year! と口にする場合、happy を二度言うことになり、これは口調が良くないから、Merry Christmas! が段々と優勢となったという説があるらしい。中国語の表現でも似たようなことが言えると書いてあった。去年はそこまで読めなかった。証左として中国語で「吃两两饭」(ご飯を100㌘食べる)と言う時は「两」(2)と「两」(50㌘)の重複を避け、「吃二两饭」と最初の「两」を「二」に替えて使うとか。確かに同じ語を直近で繰り返すのを回避したいのは理解できる。英語と中国語同様、日本語でもそうかもしれない。
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“Help me de-stress!”
- 2019-12-20 (Fri)
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トランプ米大統領に対する弾劾訴追が米議会下院で遂に賛成多数で可決された。CNNで生中継されたので見ることができたが、下院では少数派の与党共和党と多数派の野党民主党との間で熱い、それでもやはり退屈な論戦を経ての可決だった。
これにより、年明けにも上院に場を移し、大統領の罷免の是非を裁く裁判が行われる段取りとなったが、上院では共和党が多数を占めることから、ほぼ間違いなく罷免は退けられる見通しと報じられている。「大山鳴動して」何とやらという結果に終わりそうだが、トランプ大統領のフェイク色を改めて露呈しただけでも意味はあったのかもしれない。
ただ、理解に苦しむのはそれでも大統領の支持率が上昇と伝えられていることだ。来年秋の大統領選でトランプ氏が再選される可能性が大とも報じられている。日本に住む私たち、少なくとも私が米国民に対して抱いている大多数は良識ある国民というイメージは悲しいかな、瓦解しそうな雲行きだ。
金曜朝。パソコンでCNNのホームページをのぞくと、次の見出しの記事がトップの扱いだった。“Trump distressed by looming Senate trial delay” 私の脳裏に最初に浮かんだのは、え、トランプ大統領が弾劾裁判の遅れで気分が良くなっているの?という疑問だった。というのも小倉の英語教室で先日、似たような表現を説明したばかりだったからで、ただでさえ、明晰でない脳内が混乱した。よくよく考えて見ると、語が違っていた。
私の頭に残っていたのは de-stress という語。distress とはスペリングも発音も少し異なる。上記の記事はトランプ氏が民主党が公正な裁判が行われると信ずるに足るまで、訴追案を上院に送付することを見合わせる戦術に出るらしいことにイライラを募らせている(distressed)と報じたもの。これに対し、de-stress は全く逆の意味となり、stressをなくす、つまり「元気を回復する」という意味合いとなる。私が教材にした四コマ漫画では上司に叱られた若手の社員が癒しを与えてくれる犬に抱きつき、“Help me de-stress!”(僕を元気にしてくれよ)とつぶやいていた。
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NHKラジオの中国語のテキストに「好感(ハオガン)」という語が出てきた。日本語の「好感」と同じ漢字で意味も同じ。辞書には以下の文章が載っていた。「我对他有好感。」(私は彼に対して好感を抱いている)。韓国語では「好感」は「호감」(ホガム)。上記の文章なら、「저는 그에게 호감을 갖고 있습니다.」と表現できるのではないかと思う。
通常なら、日本人にとって韓国語の方がずっと頭に浮かびやすいと思うのだが、最近は上記の中国語のようにすっと腑に落ちる中国語に出合うことが多い。
さらに次の文章。「弟弟借我三千块,我还他三千一百块。」。「弟は3000元を貸してくれたが、僕は3100元を返した」という訳文が載っている。現在形の訳文でも成立しそうに思えるが、ここでは過去形の文章とされている。これも中国語の不思議の一つ。この例文は中国語の「二重目的語」を取る動詞の例として紹介されていた。他には「告诉」(告げる)や「教」(教える)が「借」(借りる、貸す)、「还」(返す)とともに挙げられていた。
中国語の文章が上記のようなものばかりだったら、我々にはとても楽なのになあ!
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英国の瓦解の始まり?
- 2019-12-16 (Mon)
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英国の総選挙(下院)は世論調査の予測通りに政権党の保守党が圧勝した。私は欧州連合(EU)離脱阻止につながる結果を期待していたが、そうはならなかった。これで英国のEU離脱は不可避となったようだ。
ジョンソン首相は勝利後に英国民に向けて、離脱派も残留派も意見の相違を乗り越え、融和のときがやってきたという趣旨のスピーチを行っている。英字紙から引用すると、Johnson called for the healing to begin. “I frankly urge everyone on either side of what are, after 3½ years, an increasingly arid argument, I urge everyone to find closure and to let the healing begin.” (arid argument=不毛の論争)
私は今回の総選挙がEU残留か離脱かを問う国民投票の蒸し返しだったら、結果は違ったものになったのではないかと思っている。残留色の強い最大野党の労働党に票を投じたくとも、「鉄道国有化」を再び掲げるような労働党には票を入れられない残留派の有権者も多くいたのではないだろうか。保守党の独走を許した労働党の責任は重い。
ジョンソン政権はこれで来年末までにEUとの種々の交渉を終える難事だけでなく、内政にも厄介な問題を抱えた。スコットランドの英国からの離脱即ち独立問題は再燃必至の雲行きだ。スコットランドの独立の是非は2014年に住民投票で否決されているが、今度は独立派に強い追い風が吹きそう。スコットランドの人々が元より関係がしっくりしていないイングランドと決別し、EUを選択したくなるのは理解できる。北アイルランドも微妙な立場に立たされる。やがて英国の国体が根底から揺らぐことになるやもしれない。
ジョンソン首相や離脱を支持する英国民に共通する思いは、自国の歴史と伝統に対する誇りだろう。しかし栄枯盛衰は人の世だけでなく、国や同盟関係でも常と言える。チャーチル元首相はかつてEUの前身である欧州共同体(EC)に加盟する際に「英国は歴史と伝統ある特別な存在。なぜ我々がスペインやポルトガルの位置まで身を貶める必要があるのか」と語ったとか。その彼も今の世に生きていたなら、残留を選択したのではないか。
私は以前に次のように書いた。その思いは今も同じだ。——英国のEU離脱は日本が中国やアセアン諸国との関係を断ち、アメリカや欧州との交易に活路を見いだそうとするようなものだ。愚挙だろう。チャーチル氏やサッチャー氏が蘇ったとしたなら、あきれ、嘆くのではないか。他に追随を許さない英連邦(Commonwealth)の盟主としての栄光も陰りそうだ。
◇
NHKラジオのテキストで次の文章に出合った。「她做的菜好吃极了,包你吃了还想吃」。「彼女の作る料理はとてもおいしいですよ。食べたらまた食べたくなること請け合いです」という意味。こういう文章を見つけると、私は嬉しくなる。語順が日本語と似ていて、意味するところもだいたい原意通りに想像することができるからだ。特に後段のくだりは「請け合いますよ」と言っておいて、「(一度)食べたら、また食べたくなることを」と続ければいいのだ。英語だとこうはいかない。乱暴に語順通りに英文にすると次のような文章が頭に浮かぶ。“She makes food very tasty, I guarantee you eat, then again want to eat.” やはり、日本語ほどにはスムーズには聞こえない。日中の方がずっと「近い」。
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『歎異抄をひらく』
- 2019-12-12 (Thu)
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先月半ばに『歎異抄』(金子大栄校注)を改めて読もうと思い至った経緯を書いた。それでベッドで眠りに就く前に岩波文庫のまことに薄い文庫本を繰っていた。だが、これも途中で段々と気が重くなった。恥ずかしながら文意がよく理解できないのだ。
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり・・・。この辺りまでは私も何とか理解はできる。冒頭の一節は、「悪人正機説」として中学か高校の国語(?)教科書にも出て来た有名な文章でもある。広辞苑(電子)にも「自力をたのみとして善根を積む善人でさえ往生できるのだから、他力をたのむのみの悪人が往生できるのは当然である」とその意味するところが載っている。
だが、その直前にある次のくだりは難解だ。自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
何となく分かるような気もするが、甚だ心もとない。それでブログにも記した広告の本のことを思い出した。『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)。書店に足を運び、手に取って見た。こちらは単行本で厚みもある。上記のくだりは次のような意訳が添えられていた。「念仏以外の修業を励んで仏になれる私ならば、念仏したから地獄に墜ちたという後悔もあろう。だが、いずれの善行もできぬ親鸞は、地獄のほかに行き場がないのである」。この意訳は実に分かりやすい。
意訳の他に要約、解説も付いており、一見して門外漢にも取っ付き易い内容・構成となっているようだ。早速買い求め、少しずつ読み始めた。今度は何とか最後まで読み通したいものだと願っている。
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アフガニスタンで献身的な支援活動に長年従事してきた医師の中村哲さんがテロリストの銃弾に倒れた。その無念さに思いを馳せると、言葉もない。
世界各地でテロや無差別の銃撃事件が跡を絶たない。宇宙のかなたから(当然のことながら)人類よりはるかに高度の文明を持つ異星人が地球にやってきたら、地球の生物は何と愚かで残忍であることかと驚くことだろう。そしてもしかして抱いていた友好・共存の計画を放棄し、人類の滅亡を企図するかもしれない、などと夢想してしまう。
ロンドンの中心部で市民2人が殺害されたテロ。BBCの記事を見ていて、事件の目撃者の証言に戸惑った。"I saw people die, I saw things that I will never be able to unsee." え、unsee とは何ぞや? 私の辞書には載っていない。ネットで調べると、unsee とはto return to a situation in which you have not seen somethingと説明されている。Once you have seen something, you can’t unsee it. という例文もあった。「それを目にしたからには、もう二度と記憶から消すことなんかできない」という意味だろう。我々にはこのような発想の英語表現はできないかなと思う。ネットには “I wish I could unsee it.” (できることなら、それを見た記憶を消したいです)という例文もあった。凄い表現だ。
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