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英語でさるく 那須省一のブログ

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今夏の開催、風前の灯

 無観客の大相撲春場所が終了した。横綱を引退した荒磯親方(元横綱稀勢の里)がNHKテレビの解説者として出演していた日もあり、親方の解説にしばし耳を傾けた。風貌からは思い浮かばない若々しい美声で理路整然と相撲の醍醐味などを語っていた。
 私はそれを聞きながら、それほど理路整然と解説できるなら、まだ現役で十分やれていたのではないかいなと思った。私は稀勢の里の熱烈なファンではなかったが、白鳳や鶴竜らのモンゴル勢に伍してやっていける日本人力士は彼が筆頭だっただろう。だから当然、声援を送った。取り組み中に負傷し、それがたたり、成績不振で志半ばでの引退を余儀なくされたことに驚きもしたし、落胆もした。前例はないだろうが、平幕にまで番付を落とすのは覚悟の上で負傷を癒すことに専念し、やがて土俵に復帰して欲しいとも願った。
 それだけに今、NHKの大相撲中継で立て板に水の解説を聞いていると、何だかなあと思わざるを得ない。味のある解説はまだしばらくは元横綱北の富士氏に任せておけばいい! と言っても今更どうすることもできないことだが。
 と思っていたら、このところ、スマホのラインニュースで「北の富士コラム」というものが送信されてくる。どうもスポーツ新聞に書いているコラムを転載しているようだ。私はNHKで彼の解説をいつも楽しく拝聴しており、他の元力士の方々の解説とは比べるべくもないと評価している。最近の北の富士氏のコラムには次のように書いてあった。「荒磯親方(元横綱稀勢の里)の解説の見事さに舌を巻いている次第です。このままでは、私の首もあぶなくなる」。いや、あなたの首はまだ当分は大丈夫ですよ!
                  ◇
 新型コロナウイルス。世界中を大混乱に陥れている。何とか手を打てないものか。東京五輪・パラリンピックは各国のスポーツ団体・組織から開催中止・延期を求める声が相次いでおり、今夏の開催は風前の灯の感がある。
 イタリアやアメリカなど多くの国々で事態は深刻化の一途であり、確かにオリンピックどころではないのはよく理解できる。国際社会が一体となってこのウイルスを退治していくべきことは誰にだって分かる。政治指導者の姿勢はことさら重要であることも。
 その意味でトランプ米大統領がコロナウイルスに関して行われた共同記者会見の場でNBCテレビの記者に対し激高して放った暴言は目に余るものがあった。この人の頭脳はどういう風になっているのだろうか? 会見でのやり取りを以下に抜粋する。
 記者 “What do you say to Americans who are scared?” (恐怖におののいている国民に対しどういう言葉をかけますか?)
 大統領 “I say that you are a terrible reporter. That’s what I say. You’re doing sensationalism. And the same with NBC and Comcast. I don’t call it Comcast. I call it ‘Con-Cast.’” (私が言いたいのはあなたが酷い記者だということだ。それが私の言いたいことだ。あなたがしているのは煽情的な報道だ。NBCもそうだし、親会社のComcastもそうだ。私はだから、Con-cast [詐欺cast] と呼んでいる)
 一国の政治指導者が国難に際して国民に語りかける言葉とは思えない! いやはや!

“social distancing”

20200318-1584491376.jpg 世界中でコロナウイルス対策の一環として、“social distancing”(人混みを避けるなど、人との接触機会を減らすこと)の大切さが叫ばれ始めている。フランスではマクロン政権が今後15日間、仏国民に対し不要不急の外出制限を求める措置を表明した。いやはや、気が滅入るばかりだ。
 私はよく近くの香椎浜のジョギング路を走るか散歩しているが、この数日は汗ばむほどの陽気だ。この陽気で日本ではコロナウイルスも退散するのではないかと思いたくなるほどだが、そうは問屋が卸してくれないのだろう。
 ネットで海外のニュースを拾い読みしていると、時にほくそ笑むような記事に出くわす。コロナウイルスにまつわるものでもそうだ。いや時には笑っていないとやっていられない。最近では次の語彙がそうだ。アメリカの風刺番組The Daily Show をチェックしていてpandumbic という造語に出くわした。すぐに想像はついた。明らかに pandemic と dumb をくっつけた混成語だ。アリス嬢が活躍するおとぎ話で知られる英作家ルイス・キャロルが「かばん語」(portmanteau word)と名付けたことで知られる混成語。番組の司会者はトランプ大統領のことを “the man in charge is the dumbest person alive” とこき下ろしていた。以前に紹介したトランプ大統領に批判的な記事では大統領のことを“the conman-in-chief” と呼んでいた。これも米大統領の別称である “Commander-in-chief” を揶揄った呼称であることは明らか。「最高詐欺師」とでも訳すべきなのだろうか。
 大統領もさすがに事態の深刻さをようやく理解したのか、16日の記者会見では全米で今後15日間、10人以上が集まる会合などを自粛するよう求めた。感染拡大の収束時期について問われると、7月か8月、場合によってはさらにずれ込む可能性も示唆した。あれ、この人、つい最近まで「暖かくなればウイルスは消滅する」と宣っていたのではないかいな。
                  ◇
 最近新しくしたものが二つ。まずはスマホ。充電がすぐになくなるようになったからだ。ガラケー携帯の時は内臓のバッテリーを交換したら改善した。新しいバッテリーに交換しようとAUショップをのぞいたら、容量の大きいスマホに買い替えた方がお得と言われた。説明に耳を傾けると、どうもそのようだ。4年月賦にして買い替えた。とそこまでは良かったが、やはり使い勝手がよく分からない。困った時はやはりこういう機器に詳しい人に尋ねるのが一番。パソコンでもお世話になっている旧知のS君にSOSを発し、相談に乗ってもらった。その甲斐あり、だいたいの機能はこれまで通り使いこなせるようになった。
 続いてジョギングシューズ。2年近く履いているか。靴底がだいぶ擦れてしまい、走る時に地面からの反発力が少なくなったような気がしていた。スロージョギングだからどうということもないのだが、それでもやはり物足りない。ABCマートに全く同じシューズがまだあった。4,389円。新しいシューズだと重い身体が少しだけ軽くなったような気が。
 このパソコンもだいぶ年をとった。ブログで確認すると購入したのは2013年3月。そろそろ買い替えても良さそうだが、アナログ人間だけにこちらはさすがに使い慣れたものを気軽に手放す気にはなかなかなれない。

コロナ非常事態宣言

 コロナウイルスのことはこのブログではもう取り上げたくないのだが、致し方ない。感染拡大の中心地は今はヨーロッパのイタリアやスペイン、フランスとなり、それらの国々では外出禁止、学校の休校措置など厳しい対策が実施されている。多くの地で都市機能が麻痺しているのではないか。おそらく現代に住む我々には経験のない事態になっているのだろう。日本もそこまでは悪化して欲しくはないが、国境を容易にまたぐウイルスのことだ。油断はできない。
 アメリカではトランプ米大統領がコロナウイルスの感染拡大に対処するため国家非常事態を宣言した。ホワイトハウスのローズガーデンでペンス副大統領や民間の医療関係者を従えての宣言だった。それはいいのだが、トランプ大統領の態度からは世界が今直面している難局に対する危機感は露ほども感じられなかった。この人の頭の中を理解するのは至難の業のように思えてならない。
 トランプ大統領は非常事態宣言に際して、いつものトランプ節を披露していた。政府のコロナウイルスに対する取り組みの遅さの責任を問われると、“No, I don’t take responsibility at all.” と一蹴。また “We were given a set of circumstances and we were given rules, regulations and specifications from a different time.” とも述べ、初動の遅さがすべてオバマ前政権の失政によるものと示唆していた。オバマ氏ならずともトランプ氏のこの厚顔無恥(shameless)ぶりには口あんぐりだろう。
 この数日前にホワイトハウスの執務室から国民に向けたテレビ演説で、英国を除く欧州からの入国を禁止する措置を表明した際の表情とはだいぶ様子が異なっていた。執務室から国民に向けたテレビ演説では机に座り、カメラに向かって語りかけていたが、普段の大統領とは思えないほど精彩に欠け、表情も虚ろに思えた。風刺の効いたパロディ番組ではテレビ演説前後の大統領の表情を流していたが、自信なさそうに机の上を整理する所作や演説を終えた直後の安堵のため息など、米大統領の威厳からは程遠かった。
 どちらが本当のトランプ大統領なのだろうかと私は考えてしまった。いずれにせよ、事実を無視し、自己を称賛することは常に忘れず、唯我独尊的傾向をさらに強める大統領はできるだけ早く政治の表舞台から退場してもらいたいと願わざるを得ない。
                  ◇
 欧米のスポーツ界も甚大な影響を受けている。米大リーグはシーズン開幕が延期され、その他のスポーツも相次いで中断が発表された。私の好きなゴルフも同様だ。第5のメジャー大会と呼ばれるほどのランク付けをされているザ・プレーヤーズ選手権。松山英樹選手は初日はアイアンの切れあるプレーを見せ、9アンダーのコースレコードタイを記録し、2位に2打差をつけてトップに立った。久しぶりに彼が優勝を飾る可能性が出て来たと楽しみにしていた。だから2日目の土曜日は午前2時に起きて生中継を見る覚悟をしていた。それだけに、金曜日夕刊を開いて、2日目以降の大会中止のニュースを目にして落胆した。
 松山選手本人にとっては残念極まりないことだろう。初日が終わっただけであり、プレーが続行されていればどのような結果になったかは神のみぞ知るだが、それにしても・・・。

「パラサイト」

 ネットのニュースサイトはどこもかしこもコロナウイルスを報じている。世界は本当に世紀末の様相を呈しつつあるのか。このウイルスの致死率はそれほどでもないのに・・。人類をかつて恐怖に陥れたこの種の感染症としてよく引き合いに出される約百年前のスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)では世界中で数千万が死亡したとか。ひょっとしたら、それに匹敵する規模のパンデミック(世界的大流行の感染症)となるのだろうか。そうだとしたなら、我々はまだ未曽有の疫病のとば口に立っているに過ぎないことになる。
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 アカデミー賞を受賞して世界的に名を馳せた韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観に天神の映画館に足を運んだ。今年は韓国人の友人と再会するつもりであり、その際、この映画が話題になることがあるやもしれない。
 韓国語を独学している身には言葉の勉強になったことは言うまでもないが、正直、作品自体にはあまり感動は覚えなかった。韓国映画に対して以前から感じているが、殺人行為や流血シーンを日本のように「隠す」ことがないのは理解できる。この映画はそれほど生々しくは撮っていなかったものの、私にはそうしたシーンにあまり必然性はないように感じた。
 「パラサイト」が告発していたのは、韓国の癒しがたい格差社会の現実だろう。貧富の格差は日本を含め世界中の国々が抱えている問題だが、なぜか韓国は日本から見ても信じられないほどの乖離があるようだ。それを如実に描いてはいた。救いのないエンディングも含め、また観たいと思う気にはならなかった。映画の中で印象に残ったのは登場人物の誰の発言だったか忘れたが、韓国で今、警備員の募集をすれば、大卒者が500人も殺到するという言葉だった。凄まじいほどの就職難ということだ。
 話題の映画だけに混むかと思ったが、そうでもなかった。コロナウイルスで学校が休校措置になっているからか、中高生の女の子の姿が多かったように感じた。彼女たちは「パラサイト」のメッセージを理解できただろうか、と上映終了後にトイレに立ちながら思った。韓国を覆う高学歴社会、貧富の格差、若者の就職難などの背景を理解しておくことが大前提となる。エンターテインメントだけを求めて観に来たのならがっかりしたことだろう、きっと。
                  ◇
 映画館は閉鎖された空間。そこに2時間以上もじっとしているわけだから、さすがに鈍感な私もコロナウイルスのことを少し意識した。妹が来福した際にマスクを幾つか置いてくれていた。その一つをバッグに入れて映画館へ。上映室に入る前にそのマスクをした。マスクをするのは人生で初めてのこと。鼻も覆う必要ありとネットで読んだので、鼻まで覆ったが、メガネが曇って勝手が悪い。慣れないから息もしづらい。周囲を見ると、マスクをかけていない人もいたが、そのままマスクをして映画を観た。
 押し入れには新聞社勤務時代に会社の保険組合から送られてきたマスクが箱の中に100枚ほど未開封の袋に入っている。少なくとも10年以上前のものだが、まだ使えるだろうか。開封する必要に迫られることなく、コロナウイルスが奇跡的に終息(中国語では结束)してくれることを切に祈る。

長幼序あり

 コロナウイルスの恐怖は身近には感じないが、世界中がその猛威にあえいでいるようだ。株価の急落は少々、株を持つ身として心配にはなる。各種スポーツも軒並み中止、延期を余儀なくされている。大相撲ファンの一人としてNHKの中継を時々見ているが、無観客の取り組みは何とも味気ない。力士も拍子抜けのことだろう。スポーツというより単に伝統技能を見ているような感覚。観客がいないのだから、立ち合いまでの仕切りなどの一連の所作を簡略化し、今場所に限り時間を短縮するのも一考かと馬鹿げたことを思ったりしているが、やはりそれは伝統と奥義を損ねる愚行と蔑まれるのだろう。
 一つだけコロナウイルスに感謝することがあるとしたなら、アメリカではトランプ大統領の再選に陰りを生じる可能性を秘めていることだろうか。コロナウイルスに対する大統領の無策ぶりが透けて見える昨今、岩盤とか称される共和党の大統領支持層の中にもさすがに愛想を尽かす有権者が出始めるのではないか。希望的観測かもしれないが。
                  ◇
 先週末は既述した韓国語ドラマに長時間付き合った。「江南ロマン・ストリート」。土曜日はほぼ終日。日曜日は天神のカフェで教えている英語教室で中座した3時間ほどをのぞき、夕刻までテレビの前に座った。正直に書くと、面白かった。韓国語もだいぶ聞き取ることができたのが嬉しかった。もっとも字幕を見ながらの視聴だから、そう勝手に感じただけの可能性も否定できないが。
 ドラマを見ていて改めて感じたことを記しておきたい。まず、家族であろうと、年長者にはきちんと敬語表現を使っていることだ。子供は両親や祖父母、叔父、叔母に対し、弟妹は兄姉、及びその伴侶に対し、口喧嘩をしている最中でも「丁寧化のマーカー」といつか読んだ本に出ていた「-요」(ヨ)を末尾に付けることを忘れていない。翻って当方のドラマ「渡鬼」でえなりかずき演じる息子の眞が角野卓造、泉ピン子演じる両親に対して発するため口からは程遠い。今なお幼児の頃から年長者に対し、きちんとした挨拶、尊敬(丁寧)の表現を口にするよう厳しく躾けられている韓国社会に私は何となく敬意を表したくなる。
 ドラマでは受験戦争の韓国社会を反映して、激烈な教育ママが登場した。彼女は一人息子に学校では常にトップの成績を取るよう叱咤し、息子はそのプレッシャーから一度は自殺しようとする。最後には二人は和解するが、母親が息子になぜソウルの一流大学を目指すべきかを説く場面で、彼女が地方の大学出身ゆえに就職したソウルの会社で上司や同僚から軽んじられた過去を慟哭するシーンがあった。韓国はきっと日本に住む我々には想像し難い学歴社会なのだろう。宮崎の地方大学出身である私にはとても興味深かった。しかしながら、地方大学の何が悪いのかいな? 何をどう学んだかが大事なことではないか。まあ、私はその点でも胸を張れないのが残念だが。
 それにしても、韓国ドラマはうかつに手を出すと抜け出せなくなるから要注意だ。韓国語の勉強に役立つことは間違いないが、全120回とか全180回とかのドラマに付き合わされると日々の行動を「制約」される。しばらくまた距離を置こうと思っている。中国語のドラマは土曜日の夜に一時間半ものの番組を楽しんでいるだけだから負担ではない。

Not yet senile, I hope!

20200309-1583717673.jpg 漢詩。最近ちょっと気になることがあって、中国語に精通している新聞社時代の後輩に尋ねると、『漢詩鑑賞事典』(石川忠久編)という本を推奨してくれた。書店に電話すると、今は在庫がないとの由。図書館に聞くと、他館に在庫があるので、数日待たれしとのこと。そして手にした講談社の学術文庫。読んで気に入ったら書店で改めて注文しようと思った。
 図書館で一時間ほど読んで、自宅に戻り、再度読み進めた。どうも私の学力ではスイスイと読み進めるというわけにはいかない。それでふと思った。この本、どうも前にも手にしたような気がする・・。ひょっとしたら、自分の本棚にもあったりして・・。本棚をあさると、何とこの本が出てきた。はさんである領収書を見ると、2016年9月に購入している。あちゃ~。やはりそうだったのか。すっかり忘れていた。だとしたら、ブログでも何か言及しているはずだと、その頃のブログをチェックしてみると、確かにあった。
 それで無性に漢文を読みたくなった。しかも格調高い名文の漢文を。書店で探すと、まさに打って付けの本があった。『漢詩鑑賞事典』(石川忠久編・講談社学術文庫)。2009年に刊行され、今春に第14冊が出されたばかりのようだ。「はしがき」に次のように書かれている。「漢詩は世界最高の詩歌である。人類の宝と言ってもよい。(中略)唐の初めに完成した詩は、雄大な流れとなり、李白、杜甫を始めとする詩人が雲の如く現れ、(中略)。わが国は、唐の最盛期に遣唐船を往来させてこの高級芸術に取り組んだ。(中略)この高級芸術に接した、わが国の貴族を始めとする知識人たちは、すっかり魅力に取り憑かれ、以後弛まず学んで江戸時代に至るや、(中略)。江戸から明治へと、漢詩はもはや外国の詩歌に非ず、和歌や俳句と並び日本の詩歌の一つとなったが、やがて西洋式学校教育制度の普及と、役に立たないものを切り捨てる富国強兵的思想の抬頭とによって、漢詩文の比重は次第に下がり続けて戦後に至る。戦後の漢字制限、漢文教育の軽視が“漢詩文”に潰滅的打撃を与えたことは周知の通りであろう」
 嗚呼、その後に読み進めることを放棄していたのだろう。だから、明確な読後感が残っていなかったのだ。あれからだいぶ時間は経過しているから、再度チャレンジしてみようかとは思うが、自分で購入しておきながら、その記憶がきれいにとんでいたとは。まだsenile(もうろくした)とは思いたくないが・・。
                  ◇
 コロナウイルスの余波を受け、公民館で受けている中国語講座が今月は3回連続で休講することとなった。毎週1回の講座は中国出身の講師の生きた中国語が聞け、凄く参考になっていただけに残念。それで、講座の教科書に付いているCDを暇な折に聞いている。大抵の日本人の中国語学習者にとっての悩みは中国語は文章(簡体字)を見ればおおよその意味は推測はつくが、耳から聴くとちんぷんかんぷんということか。おそらく中国語では、「我看得懂,不过听不懂」(見て分かるが、聞いては分からない)と表現するのだろう。
 今月は上記のCDを精力的に聞くことにしよう。人気プロゴルファーがひと頃よく宣伝していたスピードラーニング英語ならぬスピードラーニング中国語だ。美しい中国語の音声が左の耳から右の耳に心地好く駆け抜けて行く。意味の理解はともかくとして・・。

これが第500回!

20200306-1583456699.jpg このブログはA4の用紙1枚に収まる程度の長さに書いて、アップしている。その都度、原稿に番号を振り、ファイルに保存している。丁度この原稿が第500回に当たる。回数を気にしたことは一度もないが、さすがに第500回は目にとまった。初回のブログの日付は2012年12月6日。初回の項は次のように書き始めている。
 三年にわたる海外漫遊(取材)の旅をようやく終え、今はまだ一息ついているところだ。「第二の人生」に向け、大いに実りある旅だったと思う。何よりも事故もなく無事こうやって新しいブログをスタートさせることができることを嬉しく思う。
 「第二の人生」は最後の職場となった九州・福岡から歩み始める。この三年間、家財道具はトランクルームに預け、旅の間は高校大学時代の先輩の住居に居候させてもらっていた。この先輩の親切には頭が下がる。先輩は出張の多い人で、かなりの時間を彼が飼っている猫君と一緒に過ごした。時々気がつくと、棚に上がった猫君が、パソコンに向かったり、読書したりしている私をじっと見つめている。似たような口ひげを生やした私が一体何をしているのか不思議に思っていたのだろう。
 先輩宅を引き上げ、近くのマンションに今月初め引っ越した。「自分だけの空間」を持つのは久しぶりだ。長いことトランクルームに預けていた家財道具一切を引き取った。取り急ぎ、大切なベッドを整えた。寒い。ガスヒーターを新たに購入した。

 あれから8年近い歳月が流れたのか。上記に書いている猫は本当に可愛く、今でも時々思い出す。天寿を全うして旅立ったが、思い出の写真も再録しておこう。さて私が生き長らえることができるとしたら、1000回目にはどのようなことを書いているのか楽しみだ。
                  ◇
 風刺の効いた笑いが欲しくてネットでよくのぞいているアメリカの人気トーク番組 “The Late Show with Stephen Colbert”。アメリカの政治や社会が垣間見える。ホストのスティーブン・コルベア氏が特にトランプ大統領の姿をこれでもかというほど揶揄っており、抱腹絶倒ものだ。英語が難解なときもあるが。シリアスなインタビューもあり、勉強になることも事実。最近見た中では高級雑誌「ニューヨーカー」のコラムニストでベテランジャーナリストのスーザン・グラッサー氏のインタビューが興味深かった。
 モスクワ特派員時代にはプーチン大統領が独裁的指導者に変容するのを間近で取材した彼女はトランプ大統領にも類似の傾向が見てとれるとして、「トランプ氏は生来的に独裁者を志向する人物のように思える」と警告した。彼女が使った表現が印象深い。“We are actually the frog being slowly boiled.”(私たちは実際、ゆっくりと煮え立てられている蛙です)。boiling frog の寓話は、蛙を煮え立ったお湯に入れればすぐに飛び出すが、ぬるま湯に入れ、徐々に温度を上げていけば、蛙は自分の身に危険が迫っていることに気づかず、やがて煮え立った湯で死ぬことになるというものだ。グラッサ―氏は大統領弾劾を免れたトランプ氏がますます専制的な姿勢を強めていると指摘。トランプ大統領は就任直後には考えられなかった言動に出ており、このままでは米国民はやがて驚愕の思いで今の時代を振り返ることになるかもと憂えていた。そうなって欲しくはない!

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