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英語でさるく 那須省一のブログ

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Not yet senile, I hope!

20200309-1583717673.jpg 漢詩。最近ちょっと気になることがあって、中国語に精通している新聞社時代の後輩に尋ねると、『漢詩鑑賞事典』(石川忠久編)という本を推奨してくれた。書店に電話すると、今は在庫がないとの由。図書館に聞くと、他館に在庫があるので、数日待たれしとのこと。そして手にした講談社の学術文庫。読んで気に入ったら書店で改めて注文しようと思った。
 図書館で一時間ほど読んで、自宅に戻り、再度読み進めた。どうも私の学力ではスイスイと読み進めるというわけにはいかない。それでふと思った。この本、どうも前にも手にしたような気がする・・。ひょっとしたら、自分の本棚にもあったりして・・。本棚をあさると、何とこの本が出てきた。はさんである領収書を見ると、2016年9月に購入している。あちゃ~。やはりそうだったのか。すっかり忘れていた。だとしたら、ブログでも何か言及しているはずだと、その頃のブログをチェックしてみると、確かにあった。
 それで無性に漢文を読みたくなった。しかも格調高い名文の漢文を。書店で探すと、まさに打って付けの本があった。『漢詩鑑賞事典』(石川忠久編・講談社学術文庫)。2009年に刊行され、今春に第14冊が出されたばかりのようだ。「はしがき」に次のように書かれている。「漢詩は世界最高の詩歌である。人類の宝と言ってもよい。(中略)唐の初めに完成した詩は、雄大な流れとなり、李白、杜甫を始めとする詩人が雲の如く現れ、(中略)。わが国は、唐の最盛期に遣唐船を往来させてこの高級芸術に取り組んだ。(中略)この高級芸術に接した、わが国の貴族を始めとする知識人たちは、すっかり魅力に取り憑かれ、以後弛まず学んで江戸時代に至るや、(中略)。江戸から明治へと、漢詩はもはや外国の詩歌に非ず、和歌や俳句と並び日本の詩歌の一つとなったが、やがて西洋式学校教育制度の普及と、役に立たないものを切り捨てる富国強兵的思想の抬頭とによって、漢詩文の比重は次第に下がり続けて戦後に至る。戦後の漢字制限、漢文教育の軽視が“漢詩文”に潰滅的打撃を与えたことは周知の通りであろう」
 嗚呼、その後に読み進めることを放棄していたのだろう。だから、明確な読後感が残っていなかったのだ。あれからだいぶ時間は経過しているから、再度チャレンジしてみようかとは思うが、自分で購入しておきながら、その記憶がきれいにとんでいたとは。まだsenile(もうろくした)とは思いたくないが・・。
                  ◇
 コロナウイルスの余波を受け、公民館で受けている中国語講座が今月は3回連続で休講することとなった。毎週1回の講座は中国出身の講師の生きた中国語が聞け、凄く参考になっていただけに残念。それで、講座の教科書に付いているCDを暇な折に聞いている。大抵の日本人の中国語学習者にとっての悩みは中国語は文章(簡体字)を見ればおおよその意味は推測はつくが、耳から聴くとちんぷんかんぷんということか。おそらく中国語では、「我看得懂,不过听不懂」(見て分かるが、聞いては分からない)と表現するのだろう。
 今月は上記のCDを精力的に聞くことにしよう。人気プロゴルファーがひと頃よく宣伝していたスピードラーニング英語ならぬスピードラーニング中国語だ。美しい中国語の音声が左の耳から右の耳に心地好く駆け抜けて行く。意味の理解はともかくとして・・。

これが第500回!

20200306-1583456699.jpg このブログはA4の用紙1枚に収まる程度の長さに書いて、アップしている。その都度、原稿に番号を振り、ファイルに保存している。丁度この原稿が第500回に当たる。回数を気にしたことは一度もないが、さすがに第500回は目にとまった。初回のブログの日付は2012年12月6日。初回の項は次のように書き始めている。
 三年にわたる海外漫遊(取材)の旅をようやく終え、今はまだ一息ついているところだ。「第二の人生」に向け、大いに実りある旅だったと思う。何よりも事故もなく無事こうやって新しいブログをスタートさせることができることを嬉しく思う。
 「第二の人生」は最後の職場となった九州・福岡から歩み始める。この三年間、家財道具はトランクルームに預け、旅の間は高校大学時代の先輩の住居に居候させてもらっていた。この先輩の親切には頭が下がる。先輩は出張の多い人で、かなりの時間を彼が飼っている猫君と一緒に過ごした。時々気がつくと、棚に上がった猫君が、パソコンに向かったり、読書したりしている私をじっと見つめている。似たような口ひげを生やした私が一体何をしているのか不思議に思っていたのだろう。
 先輩宅を引き上げ、近くのマンションに今月初め引っ越した。「自分だけの空間」を持つのは久しぶりだ。長いことトランクルームに預けていた家財道具一切を引き取った。取り急ぎ、大切なベッドを整えた。寒い。ガスヒーターを新たに購入した。

 あれから8年近い歳月が流れたのか。上記に書いている猫は本当に可愛く、今でも時々思い出す。天寿を全うして旅立ったが、思い出の写真も再録しておこう。さて私が生き長らえることができるとしたら、1000回目にはどのようなことを書いているのか楽しみだ。
                  ◇
 風刺の効いた笑いが欲しくてネットでよくのぞいているアメリカの人気トーク番組 “The Late Show with Stephen Colbert”。アメリカの政治や社会が垣間見える。ホストのスティーブン・コルベア氏が特にトランプ大統領の姿をこれでもかというほど揶揄っており、抱腹絶倒ものだ。英語が難解なときもあるが。シリアスなインタビューもあり、勉強になることも事実。最近見た中では高級雑誌「ニューヨーカー」のコラムニストでベテランジャーナリストのスーザン・グラッサー氏のインタビューが興味深かった。
 モスクワ特派員時代にはプーチン大統領が独裁的指導者に変容するのを間近で取材した彼女はトランプ大統領にも類似の傾向が見てとれるとして、「トランプ氏は生来的に独裁者を志向する人物のように思える」と警告した。彼女が使った表現が印象深い。“We are actually the frog being slowly boiled.”(私たちは実際、ゆっくりと煮え立てられている蛙です)。boiling frog の寓話は、蛙を煮え立ったお湯に入れればすぐに飛び出すが、ぬるま湯に入れ、徐々に温度を上げていけば、蛙は自分の身に危険が迫っていることに気づかず、やがて煮え立った湯で死ぬことになるというものだ。グラッサ―氏は大統領弾劾を免れたトランプ氏がますます専制的な姿勢を強めていると指摘。トランプ大統領は就任直後には考えられなかった言動に出ており、このままでは米国民はやがて驚愕の思いで今の時代を振り返ることになるかもと憂えていた。そうなって欲しくはない!

コロナ終息(结束)を祈る!

 コロナウイルスは私には関係ないと思っていたら、小倉のよみうりFBS文化センターから連絡があり、明日(3日)と来週(10日)の講座は休講としますとの由。講座で話すことをパワーポイントにまとめ、プリントアウトを作成し終えたところだったので、あまりのタイミングの「良さ」に驚くとともにがっかりもしたが、仕方がない。受講生もごく少ない講座だが、私には外国語学習の原点を考える楽しい時間。17日の講座は果たして?
 とはいえ、世間を見ると、コロナウイルスの感染を怖れ、客足の途絶えた飲食店や観光業界は深刻な打撃を受けているようだ。同情を禁じ得ないが、こればかりはどうすることもできない。ただただ一日も早い終息(中国語では结束)を祈るばかりだ。
                 ◇
 中国語。NHKのテキストに次の文章があった。「私にも彼を説得する方法がありません」。中国語では「我也没有办法说服他」。「没有」(ない)と「说服」(説得する)という2つの動詞が続いている。連動文という構文で、「没有」の目的語である「办法」(方法)の具体的内容が「说服他」だ。文法はともかく、上記の文章を語順のままに直訳すると、「私にもない、方法が、説得する、彼を」だろうか。少しこなれた文章にすると、「私にも方法がない、彼を説得する」。この語順なら、何とか中国語を「作れる」ような気がしてくる。英語だと次のようになるだろうか。I don’t have any means to persuade him, either. この文章に限っては日中英の3言語はまあまあ似通っている印象だ。
 NHKの中国語講座は年度の最終月に入った。講座回数も100回を超えたので、(私には)歯応えのある構文も出始めている。受け身文もその一つ。中国語では受け身文は「被」を使って表現する。被害者の「被」だ。その意味合いは「~に・・される」と説明されている。「私は彼の手紙に感動させられました」という文章は中国語では「我被他的信感动了」となる。「被」が出てくれば、さあ、これから受け身の文章が続きますよという合図のようなものか。 I was moved by his letter. 英文ではbe動詞と一般動詞の過去分詞を組み合わせ、その後に動作主をbyで示すことになるが、それに比べれば、ずっと簡単に見える。
                  ◇
 米大統領選。民主党では14州の予備選などが集中する3日のスーパーチューズデーの直前に、中道系で人気上昇中の候補2人が相次いで指名争いから離脱することを表明した。ピート・ブティジェッジ氏とエイミー・クロブシャー氏。両氏はジョー・バイデン氏(前副大統領)氏支持に回ることも明らかにした。先頭を走るバーニー・サンダース氏を追う二番手のバイデン氏にとっては心強い追い風となると見られている。
 ブティジェッジ氏は同性愛者であることを公表した上で選挙戦を戦ってきていた。彼の言動を報じる記事の中で、しばしば、his husband is … という表現に出くわし、その都度、脳内に??が躍っていた。「彼のパートナーは・・」と訳せばどうということもないのだが。さて傲岸不遜なトランプ氏に今秋の大統領選で対峙する民主党の候補者は最終的に誰に決まるのか。党派を超え、幅広い有権者にアピールするには左派色の強すぎるサンダース氏ではなく、堅実なバイデン氏しかないという声が大きくなりつつあるが。

見るとはまる韓国語ドラマ

 前回の項で、公園でペットの犬が草木に小水を放つのを飼い主に戒める警告の英文としては、Please don’t water the plants という文章は穏やか過ぎるのではないかと書いた。念のためアメリカ人の友人に尋ねたところ、いやこのままでいいのではという返事が届いた。例えば、Don’t pee on the plants という英文では少しぶしつけな(a bit abrupt)印象があるとのことだった。ユーモアある文章ではないかともコメントしていた。うーん・・。
                  ◇
 球春いよいよ本格的に、と言いたいところだが、コロナウイルスの影響でオープン戦も無観客試合となっている。土曜日に福岡を地元とする人気球団、ソフトバンクホークス対阪神タイガースのゲームをテレビでちょっと見たが、スタンドには観客がおらず、寂しい印象はぬぐえなかった。オープン戦とはいえ、ファンの声援を受けてのハッスルプレーが期待できず、選手たちも拍子抜けしないのだろうか。まあ、私が心配することではないが。
 一方、大リーグは通常通りのオープン戦が行われており、日本人選手も順調に調整が進んでいるようだ。注目は大谷翔平君だが、今年はダルビッシュ投手もことのほか調子がいいようだ。本来の姿に戻れば、彼にしかできない快投を見せるかもしれない。楽しみだ。
                  ◇
 最近はケーブルテレビで韓国語のドラマにはまることは避けていたが、先日、チャンネルをかちゃかちゃやっていて、たまたま見かけた韓国語のドラマにいつの間にかはまってしまった。再放送の番組で土日に集中的に放送されているようだった。日曜日には午後5時から午前零時まで実に7時間も付き合うことになった。長時間放送が前もって分かっていたから、夕食を作っておいて、テレビの前で食べながら見た。ケーブルテレビでの集中放送だから、コマーシャルがなく、トイレに立つのも慌しい。テレビドラマをこんなに根を詰めて見たのは初めてのこと。
 番組名は「江南ロマン・ストリート」。公式ホームページには「江南に次々と帰ってきたワケありの男女たちが繰り広げるちょっとミステリアスなロマンティック・ストーリー」と紹介されている。江南とはソウル中心部の富裕層が住む地区らしい。若い二組の男女のすれ違いの恋や嫉妬とか、子供の頃、別れ別れになった兄弟の再会、家族の確執など、この手の韓流ドラマには欠かせない要素が詰め込まれている。
 言い訳ではないが、このドラマにはまったのは、韓国語の学習にとても役立つと思ったからだ。私がすでに韓国語をものにしていたなら、おそらく見ることはなかっただろう。子供の頃には熱心に見ていた水戸黄門のドラマを今、役者を一新したリメイク版であってもとても見る気など起きないように。
 とここまで書いて、正直に書くと、ドラマを楽しんでいることも事実。一つには結構笑えるシーンが随所にあることの他、魅力的な女優が出ていることも一因。その女優さんを見たくてはまったのかもしれない。いや、それにしても疲れた。来週は土、日と二日連続で全20時間近い放送が予定されている。これに付き合っていると、何もできなくなる。日曜日は英語教室の仕事もある。困った。私は番組の録画方法も忘れてしまっている!

Please don’t water the plants.

 新型コロナウイルスが猛威を振るっている。それにしても全国の小中高校などを春休みまで一斉休校にするとは! プロ野球は来月15日までのオープン戦が無観客試合となった。日本中央競馬会(JRA)も今週末以降、無観客競馬に変更することになった。馬券はネットで発売されるが、場外馬券売り場の営業も停止されるとか。予想はするものの馬券は買わず、ケーブルテレビでレース観戦を楽しむだけの当方には痛くも痒くもないが、株安の上に世相がやたら陰鬱になるのは気が滅入る。
 公民館の中国語講座でも時節柄、コロナウイルスが話題になっている。最近の講座ではその関連でマスクという語彙を学んだ。中国語では「口罩」(kǒuzhào)。日本語の音とぴったり重なり合うわけではないが、コゥジャオという発音に近い。原意はおそらく「口を覆うもの」という意味だろう。日本語では明らかに英語の maskから取ったマスクだ。韓国語はいかがと辞書で調べると、마스크(マスク)という語が出てきた。日本語と同様に英語の音を「写し取った」ものだ。外来語に接するたびに私は日本語の「柔軟性」を思うが、中国語の頑なな「純潔性」にも敬意を払いたくなる。
                 ◇
 CNNやBBCも退屈なコロナウイルスのニュースが多く、あまり熱心に読む気にもなれない。そんな折、CNNの見出しに思わず、引き込まれた。――How Japanese and English merged to create a new language――。この見出しから和製英語を揶揄した記事であろうことは容易に推察できる。少しは気が晴れるかと読み進めてみた。
 記事は冒頭、30年前に来日した大学教授が京都のお肉屋さんの店頭の看板が “meat shop” ではなく “flesh shop” だったことに驚いたエピソードを紹介している。日本ではメッセージの正確さが重要ではなく、要は買い物客の目を引けばいいのであって、それが meat であれ、flesh であれ、fresh であれ、何でもいいのだと解説している。うーん・・。
 日本人には s と shi の音の区別が難しく、“baby-sitter” が “baby-shitter” とミススペルされることもあると指摘している。それ故に日本人の話す英語は English ではなく Engrish だと呼ばれるとか。まあ、確かに和製英語に関しては他にも Japalish という呼び方もある。日本では公共の場で案内や告知などに使用している英語表現が不自然かつ不可思議なことはずっと指摘されていること。(コロナウイルスが下火となっての話だが)東京オリンピックが近づき、外国からの訪問者が激増するにつれ、今後この手の(粗探し)報道はそこかしこで散見されることになるのだろう。
20200228-1582853394.jpg 記事の中には公園でペットの犬が草木に小水を放つのを戒める警告の看板の写真が添えられ、その英文がおかしいと紹介されていた。————草木が枯れてしまいます ご協力をお願いします Please don’t water the plants————。ペットの犬が片足を上げて小水を放っているイラスト付き。英文自体には何の問題もないかと思う。ただ、ペットが草木に向かって用を足すのを戒める表現としては、「草木に水をやらないで」という表現では穏やか過ぎるか。Please don’t let your dog pee the plants とでもしておけば良かっただろうとは思う。まあ、しかし、これなどは「おもてなし英語」と言えば言えるような・・・。

Someone is, I do hope, looking out for me.

 日曜日。香椎浜のジョギング路を軽く走った。2周で約6キロ。走り終わった後、通りかかった人に鹿児島のおおよその方角を教えてもらい、そちらに向かって手を合わせた。稲尾岳(標高930㍍)ではおそらく参拝登山を済ませた人たちが稲尾岳神社の鳥居の前で枯れ枝を燃やして暖を取りながら、お昼を食べている時間帯。香椎浜を走るよりもずっときつい山登りを終えての食事は格別だ。嗚呼、来年は果たして参加できるかしら。
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20200224-1582516354.jpg キリスト教を信仰する敬愛する人から一冊の本が送られてきた。“Daily Guideposts 2020 (A Spirit-Lifting Devotional) というアメリカで出版された書で、選ばれた複数の敬虔な書き手が365日、日記のように個人的な体験・思いを書いている。聖書の言葉が随所に散りばめられているが、戒めを説くようなイメージの「堅物」の本ではない。このような本があるのを初めて知った。巻頭には今年のテーマのヨブ記の文言がある。“He performs wonders that cannot be fathomed, miracles that cannot be counted.”
 これから毎日、1頁ずつめくって心静かに読もうと思っている。本が届いた時には私の誕生日は過ぎていたが、2月5日の欄をめくると、マサチューセッツ州の町にあるというアメリカで一番古いnewsboy(新聞売り少年)の立像が冒頭に紹介され、書き手は自分自身がかつて新聞配達の少年だった思い出を綴っている。Without the honest and free flow of information, ideas, and beliefs, we could not be who we are. (我々が今あるのは諸々の情報や思想、意見を自由にありのままに享受できているからだ)。まったく同感。
 この本を読んでいると、思わぬ「余禄」があることも分かった。これまで見過ごしてきたような英語表現に出合うことだ。数日前には「神様が彼のことを見守っていてくださる」といった意味合いのことが記されていた。実際の文章だと “Someone is looking out for him.” この場合のSomeone は神のことだが、look out for ~ は「~に注意する」という意味が真っ先に頭に浮かぶ。“Look out for pickpockets.”(すりにご用心)などと。「神様が見守っている」ケースでも look out for が使えるのだと勉強になった。
                  ◇
20200224-1582516410.jpg 宮崎から妹が来福した。義姉からこんなものもらったと一冊の小さな写真帳を手渡された。既に故人となった次兄の遺品の中から出てきた小さな写真帳。パラパラとめくっていると、私が子供の頃の懐かしい写真がぞろぞろと出てきた。母方の祖父母が母の実家で写っている写真もあった。祖父母の顔を思い出した。私の兄や甥っ子たちとそろっての写真もあった。兄3人のうち、すでに長兄、次兄は黄泉の国に旅立っている。悩みらしい悩みもなかったあの頃、私は何を考えて生きていたのだろうか。
 タイムマシンがあればあの頃に戻ってみたい。そして自分に対し、今の自分が歩んできた人生を語り、他の道を行くように諭すかもしれない。人生のリセットだ。しかし、そんなことをすれば今の自分を全否定することになる。それはそれで切ない。所詮夢物語だが、昔の写真を見ているとそんなことまで夢想してしまう。悔いのない人生を生きていない証左でもあるのだろう。これから挽回できる術はなさそうにも思えるが・・・。

稲尾岳参拝は見送り!

 今週末は毎年この時期恒例の参拝登山に出かけるつもりにしていた。鹿児島・南大隅町の稲尾岳。新聞記者時代の取材が縁で毎年、佐多地区にある辺塚と呼ばれる集落の参拝登山にお付き合いするようになってもう10年になるだろうか。ネットで博多―鹿児島中央間の九州新幹線の往復切符を早めに購入しておいた。最近は少し休みがちだったとはいえ、香椎浜でのスロージョギングもずっと続けており、体力的にも準備は万全。
 そこに南大隅町のTさんから今年は個人的事情があって同行できないとの電話が入った。Tさんの同行がなければ現地の辺塚に行くこと自体が難しく、残念ながら断念せざるを得なかった。辺塚集落の人たちと一年ぶりに顔を合わせることを楽しみにしていたが、やむを得ない。参拝登山の日曜日朝、香椎浜をスロージョギングして稲尾岳方面を見て手を合わせることにした。方向音痴だから、正しい方角を向くことができるか自信がないが。
                  ◇
 米大統領選の民主党指名候補争い。支持率が上昇中のマイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長(78)がテレビ討論会に初めて参加した。時間が時間だけにCNNの生中継にお付き合いはしなかったが、翌日のCNNで何度かハイライトの場面を視聴した。
 何と言っても超の付く大富豪のブルームバーグ氏が他の候補たちから袋叩きに遭ったシーンが印象に残った。特にこのところ支持率に陰りの見えるエリザベス・ウォーレン上院議員(70)の「口撃」が激しかった。“I’d like to tell you about who we’re running against: a billionaire who calls women ‘fat broads’ and ‘horse-faced lesbians,’” she said. “And, no, I’m not talking about Donald Trump. I’m talking about Mayor Bloomberg.”
 まるで「敵は本能寺に在り」といった感じだった。世論調査の支持率ではバーニー・サンダース上院議員(78)がまだトップの座にあるが、巨額の私財を投じたPR戦術で上位を脅かすまでに浮上しているブルームバーグ氏。いまだ予備選や党員集会で公式に出馬していないブルームバーグ氏に対し集中砲火的な批判が浴びせられたのは、彼が民衆党陣営内でいかに脅威の存在となりつつあるかを物語ってもいるのだろう。
 ところで私は上記の文章の “fat broads”(太った女) と “horse-faced lesbians” (馬面のレズビアン)という語は初めて見た。辞書にはbroad はスラングで「女」あるいは「売春婦」を意味するとある。日常生活で絶対に口にしてはいけない語のようだ。ネットでチェックしてみると、ブルームバーグ氏はかつて英国王室のメンバーを上記のように「形容」したとか。2001年に彼の発言をまとめたものが小冊子となり、ネットで読むことができた。なるほど、彼にはそれを今引用されると足元をすくわれそうな過激な発言が並んでいた。
 ブルームバーグ氏は経営する会社でセクハラ疑惑があり、被害者には他言無用の口止めを課しているとか。ウォーレン議員はこの点に触れ「彼女たちに自由に発言させなさい」と迫った。守勢一方のブルームバーグ氏の顔をカメラがとらえていたが、その強張った表情から心中の困惑が見てとれた。米メディアが一斉にブルームバーグ氏にとって討論会初参加は “disaster”(大失敗)と判定したのも理解できる。彼が今後どう反撃するのか見ものだ。(その後、ブルームバーグ氏が他言無用の口止めを破棄との報あり)

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