英語でさるく 那須省一のブログ
rajio taiso (ラジオ体操)
- 2020-06-23 (Tue)
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確実に猛暑の夏が近づいていることを実感する。夕刻、机の上の温度計に目をやると33.4度。いつの間にか30度を軽く超えていた。西日が凄い。スロージョギングを終え、風呂に入っても、すぐに汗がだらだら。ビールをあおれば旨いだろうなあとは思うが、まあ、そこは我慢。新しい一週間が始まったばかりだ。
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トランプ米大統領が満を持して開催したオクラホマ州タルサの選挙集会。CNNテレビは大統領が百万人を集めると豪語していたにもかかわらず、会場には空席も目立ったと酷評していた。そんなことより唖然としたのは会場に集った人々でマスクをしている人が皆無に近かったことだ。社会的距離の確保はともかく、せめてマスクをしていたなら、少しは理解できるが、あの光景は全然頂けない。
トランプ大統領に否定的な回想録を出版するジョン・ボルトン前米大統領補佐官が、米メディアとのインタビューでさらに痛烈に大統領を批判している。気になるのはトランプ氏が主導した北朝鮮の非核化への取り組みがはなから見せかけだったことを語っている点だ。ボルトン氏は大統領たる資質に欠けるトランプ大統領が一期だけの政権に終わり、米国がポストトランプの世界で再び指導力を回復することを願っているとも語っている。本当にそうなって欲しいと願うが、この四年間は何だったの?(まだ残っているが・・)
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BBCのホームページをのぞいていたら、日本のラジオ体操が比較的好意的に紹介されていた。The lifelong exercise that keeps Japan moving という見出しだった。Tens of millions of Japanese perform a specific exercise routine at least once a week. Could rajio taiso help people live longer lives? という袖見出しが付いていた。rajio taiso は radio calisthenics と補足説明されていた。
この記事を読んで初めて知ったのは日本人ならまず誰もがやったことのある、そして今も多くの人々が特に夏季に実践しているラジオ体操がアメリカ発祥であるということだった。1920年代にアメリカの保険会社の発案で誕生したのがピアノ伴奏による体操であり、これを訪米中の逓信省(郵政省)の保険担当課長が見つけ、持ち帰ったのだとか。
BBCの記事によると、1920年代の日本人の健康状態は現在とは比べるべくもなかったという。肺結核が蔓延しており、平均寿命は42歳。事態を憂慮した逓信省の保険担当部局では日本人の健康推進を図るための方策を探していた。この時以来、逓信省職員は日本全土で体操の普及に努め、やがてNHKのラジオ体操として定着していったとか。
BBCの記事はラジオ体操が日本の中高年層のボケ防止にも役立っているかとなると不明だが、日本社会でラジオ体操が末永く毎朝の健康的な日課となり続けるだろうと締め括っていた。毎朝、ラジオでNHKの語学講座を聴いていると、韓国語、中国語、英語の講座の後にラジオ体操が流れる。私はラジオ体操の音楽が流れるとラジオを消していたが、これからは私もラジオ体操をやろうかなと少し思い始めている。これでも高校時代は器械体操部に所属していたのだ。毎朝の一人ラジオ体操、悪くないかも?
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リモーターって何のこと?
- 2020-06-19 (Fri)
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本日夜からプロ野球がいよいよ一斉に開幕する。今年はコロナ禍で初の無観客試合となっている。大リーグに気持ちが傾く分、それほど胸の高鳴りは覚えないが、私は根っからの野球ファン。プレーボールとなれば、それなりに熱くフォローしていくのだろう。
同じく無観客で実施されるサッカーでは無観客試合という呼称を別のものにするとか。サッカーではこの呼称は懲罰の意味合いで競技場に観客を入れないニュアンスがあるかららしい。コロナ対策で導入される無観客措置からこのネガティブな印象を一掃するため、新しい呼称に改名する。新呼称は「リモートマッチ」「リモートゲーム」。すっかり日本社会に定着した「リモート」がスポーツの世界でも幅を利かすようになるということか。
ここまでは理解できる。というか、ある程度納得はする。しかし、そうしたリモートゲームを競技場から離れた自宅やスポーツバーなどで応援する、観戦するファンをサポーターよろしく「リモーター」とも呼ぶようにすると聞いては、私はいや、そこまでは・・・。
サッカーファンのことをサポーターと呼ぶようになって久しい。これはもうすっかりスポーツの世界では融け込んだ語彙と言える。テレビのリモコン(remote)は言わずと知れた、英語の語彙remote control から造語されたものである。やがて「リモーター」がサポーター同様、「市民権」を得た日常語となるのか。まだ「リモファン」の方が馴染めるような気がしないでもない。
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前回の項で紹介した “The Bible in Fifty Words”。Bush talked. の文言にさてBush という名の預言者がいたかなと面食らい、再び聖書を手にした。Exodus(出エジプト記)。
One day as Moses was tending the flock of his father-in-law Jethro, the priest of Midian, out at the edge of the desert near Horeb, the mountain of God, suddenly the Angel of Jehovah appeared to him as a flame of fire in a bush. When Moses saw that the bush was on fire and that it didn’t burn up, he went over to investigate. Then God called out to him, “Moses! Moses!” …
エジプトで奴隷となり苦しんでいたイスラエルの民をパレスチナの約束された地に導くためにモーゼが神と問答する。その場面に登場する灌木の繁み(bush)の場面が Bush talked. として表現されているのだということが分かった。
余談だが、モーゼは神の啓示を受け、信じ難いさまざまな奇跡を披露する。ナイル川の流れを止め、イスラエルの民を向こう岸に無事歩かせ、その後を追ったエジプトの軍勢は流れが戻った川に飲み込まれ壊滅する、有名な奇跡もその一つ。改めてそのくだりを読んで次のように思った。聖書に描かれている神は(今でも)人類が想像もつかないくらい進んだ文明の異星人だったのでは。江戸時代の人々は我々が手にしているテレビやパソコン、飛行機などを見たら、腰を抜かすほど驚くだろう。それ以上の驚くべきAI(人工知能)を手にした異星人が当時、中東の地を訪れて数々の奇跡を演じていたのではないか。そして彼らはやがてまたこの地球にやって来るのではないか。その目的は知る由もないが・・・。神よ、そうでないなら、この荒唐無稽の見立てを許し給え!
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不要害怕出错(間違いを恐れてはいけない)
- 2020-06-15 (Mon)
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毎朝、目覚めると、聖書に近しい暮らしをエンジョイしている人々の日々の思いが記してある本を読んでいる。以前に紹介したことのある Daily Guideposts 2020 (A Spirit-Lifting Devotional) だ。日記のように日めくりでアメリカに暮らすクリスチャンの信仰と思いが綴られている。私は本棚の上の神棚に手を合わせた後、コーヒーを飲みながら、その日の項に目を通している。
最近読んだ中で印象に残っているのは次の記述。“I read once that, on average, women speak 20,000 words a day and men utter only 7,000 words.”
これは驚きだった。英語と日本語の違いはあろうが、英語話者は一日に男性であれば7千語、女性なら2万語もしゃべっているのか。独り身の私は一日、外出しなければ、一言もしゃべらない日だってある。それはさておき、上記の文章の書き手はさらに “The Bible in Fifty Words” というものを紹介していた。80万語近い聖書の教えがわずか50語で表現され得るのだという。以下の通り。
“God made, Adam bit, Noah arked, Abraham split. Joseph ruled, Jacob fooled. Bush talked, Moses balked. Pharaoh plagued, people walked, sea divided, tablets guided. Promise landed, Saul freaked, David peeked, prophets warned, Jesus born, God walked, love talked, anger crucified, hope died. Love rose, spirit flamed, Word spread, God remained.”
何となく分かると言えば分かるが、Bush talked. のくだりはさすがに面食らった。それで聖書を取り出し、Exodus(出エジプト記)を再読することにした。
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近くの公民館で開かれている中国語講座が再開したので、毎週木曜日午後に出かけている。講師の中国人出身者の生の中国語に耳を傾けることができるのはとても有難い。携行している小さいメモ帳のノートが一杯になったので二冊目に更新した。それで一等最初の頁を繰って見た。どんなことを書いているのだろうか。日付けは2016年5月となっている。嗚呼、そうだった。当時、近くの私立高校で催されていた中国語講座に短期間、通っていたのだ。今の公民館講座とは異なる。
しかし、あの初めての講座の出席をスタートと見なせば、もう四年の歳月が流れたことになる。石の上にも三年というではないか。独学とは言え、四年も学習していれば、普通はそれなりの力をつけているのではないかいな、と改めて自問(落胆)せざるを得なかった。まあ、確かにそれなりに力はついているような気もするときもあるが、甚だ心もとない。まあ、まだ当分は試行錯誤しながら悪戦苦闘していこう。
『単語力完全マスター(英日中)』で最近読んだ次の一文に引きつけられた。「当你试着说英语的时候,不要害怕出错」。(英語を話そうとする時、間違いを恐れてはいけません)。Don’t be afraid of making mistakes when you try to speak English. 英语を汉语(中国語)に置き換えると今の私だ。外国語を学ぼうとすれば、間違いを犯すのを怖れていては話にならない。その通り。数多くの間違いをおかしてその非を悟り、上達していきたい。
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コロナより梅雨
- 2020-06-11 (Thu)
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福岡はこのところ好天が続いていたが、今日あたりから梅雨のシーズンにふさわしい曇天・雨天の日々となりそうだ。そうなれば香椎浜でのスロージョギングも難しくなる。雨が止んだ間隙をついてのジョギングが果たしてできるかどうか。最近は帰途にコンビニに立ち寄り、メロンコーンとかいうソフトクリームを食べるのが楽しみになっている。安価な270円。ちょっとはまりつつある。中国語だと「真厉害」だろうか。「本当に凄い」
雨は嫌だが、新型コロナウイルスは暑さと湿気に弱いと以前に聞いたような記憶がある。本格的な梅雨の到来でコロナ禍が終息してくれないものかと願わずにはおれない。
読売新聞は政府が外国からの入国制限に関し、今夏にもオーストラリアやベトナムなど感染状況が落ち着いている四か国を対象に制限緩和する措置に出る方針と報じていた。朗報には違いないが、ビジネス関係に特定し、一日にわずか最大250人とか。コロナ禍で青息吐息の観光・宿泊業界関係者からはため息が聞こえてきそうだ。
噂されているコロナの第2波、第3波が到来する可能性を考えると、まさに暗澹たる気持ちになる。今秋以降も全面的解除は望めないのではないか。そして来年以降も新たなコロナウイルスが発生した時にはどうなるのか。東京オリンピック2020は絵に描いた餅となるのではないか。個人的にはオリンピックにはたいして関心はないが、開催中止がもたらす政治的・経済的・社会的混乱は心配だ。最悪の事態を想定した心の準備は誰もが必要だろう。それでなくとも、未曽有の大地震がいつどこで起きても不思議ではない時代に我々は暮らしているのだ。神様のご加護を祈ろう!
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とある人から中国語の勉強は進んでいますか、山登りに例えたら、今何合目辺りを登っていますかと問われた。そこでふと考えた。富士山の登山に例えたら(登ったことはないが)何合目辺りだろうか。NHKの初級講座はテキストがなくとも、耳だけで何とかついていける。聞いた漢字(簡体字)をメモ用紙にすぐに書き取ることもできる。でも、中級の講座は再放送であってもテキストがないと全然ダメ。だから、2合目ぐらいだろうか。情けない!
それはそれとして「英日中」の『単語力完全マスター』は辛抱強く読んでいる。最近読んだ中で次のような文章があった。“His ambition knows no limit.”(彼の野心はとどまるところを知らない)。日英の文章の要の語彙がぴったり重なることはそう珍しくないかと思うが、この文章では know(知る)が具合よく重なっている。中国語の訳文は次のようなものだった。「他的野心没有限度」。「知る」に該当する「知道」という語は出ていなかった。上記の文章に関する限りは日本語と英語の方が「距離」が近いと感じた次第だ。
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肉屋さんをのぞいたら、冷やし中華の麺を売っていた。宮崎で過ごした学生時代はラーメン店でよく食べたものだ。ラーメンの類は福岡よりも宮崎の方が私は美味いと思っている。懐かしく思い、冷やし中華の麺を早速買い求めて、作ってみた。よく冷えたキュウリとハムを刻んで。生姜も加えてみた。結果は「好吃」だった。よし、今夏の食卓にまた一つレパートリーが増えた。嬉しい!
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みたび “social distancing”
- 2020-06-09 (Tue)
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新型コロナウイルス。今やテレビやラジオで「ソーシャルディスタンス」という語を耳にしない日はないようになった。「社会的距離の確保」に努めようという意味合いで「ソーシャルディスタンス」が「3密」とともにキーワードとして使用されている。
英語でも「ソーシャルディスタンス」と言えば通用するみたいな使われ方だが、そうでもない。英語ではあくまで “social distancing” だ。“social distance” ではない。「車間距離」を “car distance” と簡潔に英訳できないように、感染防止のための「社会的距離の確保」を “social distance” で表現することはできない。参考までに「車間距離」は英語では “the distance between two cars” や “a distance between your car and the car ahead” などと表現されている。<読売新聞によると世界保健機関(WHO)は最近、social distancing をphysical distancing と言い換えているという>
私が学生時代にはサラリーマンは和製英語の典型的例として教わった。英語では “an office worker” と書くようにと。しかし今では salaryman は正しい英語の語彙として扱われている。サラリーマンが支える日本社会が世界で認知されている証しでもあるのだろう。dashi(だし)や umami(旨み)が英語の語彙としても通用する時代だ。“social distance” が感染症の対策として国際社会で幅広く通用する時代が到来する可能性がなくはないだろうが、当分の間は “social distancing” か “physical distancing” の方が無難だろう。
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英字新聞「ジャパン・ニュース」を開いて、奇抜な見出しに思わず笑ってしまった。そうか、こういう言葉遊びもあるのかと。その見出しは———— “Social dis-dancing? Club tries new layout” 。オランダの話題で、“social distancing” を守りながら、音楽とダンスをエンジョイしようという取り組みを紹介していた。厳密には夜ではなく午後のひとときを、ダンスフロアに間隔を開けたイスに座ってダンスを楽しもうという試み。記事ではイスに座ったままでも十分、ダンス感覚が楽しめると語る利用者の言葉が紹介されていた。
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NHKラジオの初級の中国語講座。レストランでの会話の場面で店員がお客に対し、「それでは後で私を呼んでください」と声をかける文章が読まれた。「那一会儿nin叫我」という文章だった。私はこの「nin」という語が最初分からず、かなり手こずった。「(人を)呼ぶ」という意味で nin叫とか言う熟語があるのだろうか。はてさて何だろう。しばらく辞書やネットと格闘した後、そうか、ninは人称代名詞の「您」なのか。それなら、意味がすっと通じる。
上記の表現は日本語では「それでは後で呼んでください」と言うこともできる。人称代名詞は略しても問題ない。むしろ、人称代名詞をきちんと付けるとぎくしゃくする。「それではあなた(お客様)、後で(私を)呼んでください」。英語だと“Then, you call me later.” だろうか。中国語や英語だと人称代名詞をできるだけ略さないで書く(言う)方がいい場合が多い。英語のyou や meが中国語だと你や您であり我だ。中国語ではとにかく適宜、你と我をちりばめながら文章を作っていけばいいのでないかと私は思い始めている。
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密かな楽しみ
- 2020-06-04 (Thu)
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6月となり、小倉のよみうりFBS文化センターでこの3か月休講だった英語教室が再開となった。JR香椎駅から小倉駅まで快速で約1時間。北九州のコロナ禍が連日、NHKテレビの全国ニュースになっており、さすがに私もマスクをつけざるを得ない。針金のような物があるのを下にしてつけていたが、そっちが鼻の辺りにくることを知り、慌てて上下を逆にした。
日々、まだ蒸し暑くは感じない。卓上の温度計を見ると、午後1時で気温26.5度。湿度45%。この快適さが今後もしばらく続いてくれればいいのだが、ほどなくクーラーをつけざるを得なくなるのだろう。いや、日中なら玄関の重いドアも開け放てば、涼しい風が窓から玄関に吹きけてくれるはずだ。まだ当分はクーラーのお世話になることがないことを願いたい。
最近は香椎浜でのスロージョギングの帰途、コンビニに立ち寄り、フライドポテトとコーヒー、もしくはパフェみたいなものを食するようになっている。「食い合わせ」の良さはともかく適当に喉の渇きは癒してくれる。
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前回の項で「アメリカは病んでいる」と書いた。白人警察官の黒人男性に対する常軌を逸脱した、殺人行為と呼ぶしかない、無慈悲な取り締まりに対する抗議活動が全米各地で広がっている。商店や事務所に対する略奪行為も起きていて、これはさすがにそこまでやるかと暗澹たる気持ちになるが、背景に米国の貧困問題も絡んでおり、悩ましい。
それにしても、どこまで浅ましいのかと思わざるを得ないのはトランプ大統領の醜態だ。デモ隊を治安当局が強圧的に抑えている間、ホワイトハウスのすぐ近くにある教会に歩いて行き、聖書を手にテレビカメラの前で写真撮影を許す挙に出たが、何の意味があるのかさっぱり分からなかった。CNNテレビはその後、大統領が保守層に向け、自分が騒乱に揺らいではおらず「法と秩序」の指導者であることを強調する狙いがあったと解説した。当然のことながら、宗教指導者からは偽善的行為と猛反発を受けている。大統領は今後、軍を投入しての鎮圧も示唆しているが、さあ、これからどうなるのか。
CNNテレビの解説者はトランプ氏のことを a small man であるとか、shameful とか形容しているが、まあ、改めて説明する必要もないだろう。
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プロ野球が今月19日の開幕を視野に無観客ながら、練習試合を行い始めた。地上波では放送されていないみたいだが、ケーブルテレビではほぼ全試合を生中継しているようだ。プロ野球にはあまり関心はなくなったものの、生のスポーツ観戦には飢えており、さすがに気になり、チャンネルを合わせるようになりつつある。いけない、これではまたテレビ漬けの日々となる。とはいえ、密かに期待していることがある。大リーグはまだ開幕日が確定していない。ベースボールと野球の違いはあっても日本のプロ野球に魅力を感じているアメリカ人も少なくないことだろう。ひょっとしたら、アメリカでもプロ野球の試合を観戦する術を見つけ、プロ野球のファンになる人々が増えるのではないかと思わないでもない。
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"I can't breathe!"
- 2020-05-29 (Fri)
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新型コロナウイルス。福岡は終息に向かいつつあると思っていたが、隣の北九州市がきな臭い状況に陥りつつある。私は来週から小倉で英語教室を再開する予定であり、大事に至らないことを切に願っている。
海の向う、アメリカでは死者がついに10万人の大台に達した。トランプ大統領はこの現実をどう言いつくろうとするのだろうか。きっと中国と野党民主党、オバマ前大統領にすべての非があると非難し続けるのだろう。不思議なのはそれを疑問に思わない米国民がある程度、存在し続けることだ。私の知っているアメリカではない。
テレビカメラの前でマスクをすることを拒絶しているトランプ大統領は、人前でマスクをつけることを厭わない、今秋の大統領選でのライバル、ジョー・バイデン氏のマスク姿を揶揄した。そのことを問われたバイデン氏はトランプのことを “an absolute fool” と呼んだ。むべなるかなだ。
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アメリカは病んでいる。新型コロナウイルスのことではない。米CNNを見ていて、白人警官が腹ばいになった黒人の男性の首の辺りを膝で押さえつけ、窒息死させる事件を報じていた。被害者の黒人男性は「息ができない。お願いだからやめてくれ!」と哀願していた。白人警官は意にも介せず、左膝で被害者の首を絞め続け、すぐそばに立っていた同僚の白人警官も止めに入ることはなかった。人種差別的犯罪と言わずして何と形容しよう。
ミネソタ州での出来事。加害者の白人警官は解雇処分となったようだが、これは殺人行為であり、刑事処罰を受けて当然だろう。トランプ大統領と直接関係ある事件ではないが、背景には大統領が寛容な態度を示し続けている人種差別的言動容認の社会的ムードがあると見て間違いないだろう。
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『単語力完全マスター(単語力メイン)英=日=中』(流通科学大学)を毎日少しずつ読み進めている。英文の日本語訳の方もこなれた訳文となっていて実にいい。初めてこの本を手にした時は中文はピンイン表記がなく、いや、これは読み(実際の発音)を調べるだけで一苦労。中国語の力がごくごく初心者の私には読破するのは大変な苦労を伴うと、文字通り「積読」状態にしていたが、中日辞書を片手に漢字の意味と発音を調べるのもそう苦ではなくなった。もっとも調べて覚えるそばから忘れているが・・。嗚呼!
最近目にした中で印象に残っているのは次の文章。英文から紹介すると、I was touched by the parting scene in the movie. 中国語訳は「我被那个电影离别的场面所感动了。」。感心したのは日本語訳の文章だ。「その映画の別れの場面にグッときたよ。」。私ならば「私はその映画の別れのシーンに感動しました。」と訳したことだろう。「グッときたよ」の方が格段にいい。こなれた日本語だ。こういう文章に出くわすと、よしこの本をずっと読み進めていこうという気にもなる。上記の文章で「」の中にあえて「。」を入れているのは、この「。」が日本語と中国語だけに共通している記号だからだ。私は初めてこの共通の記号を目にした時、日中両言語の近さを強く感じた。
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