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英語でさるく 那須省一のブログ

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「只要stop就good!」

 台風14号は福岡に上陸(?)して東進したはずだが、私の住む一帯では風も雨もたいしたことがなく、本当に台風が来ていたのかと首を傾げてしまう。とはいえ、まずは神様に感謝だ!台風シーズンはこれからが本番だろう。いつもこうあって欲しいと願う。
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 国際政治の表舞台から去ったトランプ前米大統領のことを見聞きすることがなくなったのは精神衛生上、好ましい限りだが、こと英語に関しては格好の学習材料を提供してくれていたので、若干残念な気がしないでもない。
 彼が政権末期に最後まで大統領の座にとどまることに固執した悪あがきの様子が近刊の本で紹介されるとか。最近よくのぞいているYouTubeで紹介されているのを見た。ブログを書くにあたり、改めてネットで検索をかけると、ありがたいことにCNNの記事が出てきた。次のように書き出している。Donald Trump is, at root, just an overgrown kid. And not in any good way. Trump’s childishness shines through in an excerpt from the soon-to-be released book by authors Bob Woodward and Robert Costa detailing the then-President’s attempts to cajole then-Vice President Mike Pence into overturning the 2020 election.
 大統領選でバイデン氏が当選したことに反発したトランプ氏の熱狂的な支持者たちが1月6日、首都ワシントンの議会堂で暴動を起こしたのは記憶に新しい。暴動を勢いにトランプ氏は副大統領のペンス氏にバイデン氏の大統領当選を無効にするよう執拗に求めた。ペンス氏はそれが違法であり、自分にはそうした権限がないため、最後まで拒否した。それに対し、トランプ氏が発した言葉が次のようなものだったという。
 “No, no, no! You don’t understand, Mike. You can do this. I don’t want to be your friend anymore if you don’t do this.” アメリカの大統領が副大統領に語っている言葉とは到底思えない。自分の思い通りにならないことにだだをこねるがき大将のようではないか。いや、今にして思えば、彼は野放図ながき大将そのものだったのだろう。記事の中でも触れられていたが、トランプ氏を形容する表現は数多いが、childishness(子どもっぽさ、幼稚)が最も適当かもしれない。
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 中国語の辞書を繰っていて、目にした次の表現。「只要你道一下歉就行了」。少し以前だったら、私はおそらくこのような文章をすっと理解することはできなかっただろう。「只要A就B」は「Aでありさえすれば、Bだ」という定型の表現。「(あなたは)ただ謝りさえすれば済むのです」という訳が載っていた。この表現、今は苦労するものの、何とか自分の中に取り込むことができる。
 「道歉」(dàoqiàn)は「抱歉」(bàoqiàn)と同じで「謝る」という意味。最初の頃は全然理解できなかったが、何度も口にしていると、何だか謝っている気になる。声調では下がり調子が続く語というのも、声調を覚えるのが苦手の私には有り難い。この二つの動詞は中国語では離合動詞というもので、その間に「一下」(ちょっと)といった語を挟むことができるのだが、このあたりは中国語の不思議さ、ユニークさだろうか。

テレサ・テンの「つぐない」(偿还)

20210916-1631761026.jpg コロナ禍で公民館の中国語講座が今月一杯、休講となっている。以前にも休講措置となったことがあるが、やはり週一の講座がなくなると残念ではある。NHKラジオの中国語講座が生活のリズムとなっていて、それなりに刺激になってはいるが、中国語が母語のネイティブ話者の生の中国語を耳にするのとはまた別だ。
 それでYouTubeを活用してさまざまな中国語のチャンネルをクリックしている。中国のお笑い番組のようなものもあり、時々のぞいているが、さすがにそのスピードにはついてはいけない。中国語の歌も時々聴いている。最近はテレサ・テンの歌をよく聴いている。彼女が眠る台湾のお墓に足を運んだことはこのブログでも書いた。(2019年4月15日の項を参照あれ)
 彼女が日本語で歌っている歌は私も好きで、一頃はよくカラオケで歌ったこともある。ただし、私は編曲が得意で、世の人が歌うテレサ・テンの歌とは若干異なる部分があるかもしれない。(要するに音痴=tone-deafと言っているのだが)。「時の流れに身をまかせ」などは昭和の名曲だと思う。「つぐない」も嫌いではない。「窓に西陽があたる部屋は・・」で始まり、「子供みたいなあなた」と続き、「あすは他人同志になるけれど」で終わる。何と言う切ない歌だろう。男女の別れを歌ったものであることは間違いないだろう。
 ただし、歌詞の中で私は以前から納得のいかないくだりがあった。次のくだりだ。「愛をつぐなえば 別れになるけど」。「愛をつぐなう」とどうして「別れになる」のだろう?私は理解ができなかった。今もできない。まあ、昭和の情念が流れていると考えれば、あまりこだわらずに聞き流せばいいのかもしれない。どうせ「明日からは他人に戻る」のだから。
 中国語を学んでいるからふと、中国語ではどう歌っているのだろうと思い、チェックしてみた。ちゃんとあった。中国語のタイトルも「つぐない」という意味の「偿还(償還)」だ。歌詞は日本語の歌とは少し異なるようだ。「西陽があたる部屋」も出てこないし、「子供みたいなあなた」というくだりもない。二人が「別れる」ことは間違いないようだが。
 中国語の歌詞からは二人の関係が「道ならぬ愛」だったことがうかがえる。次のくだりだ。
 「爱的心路旅程 只能够你我两个人 不可能是我独徘徊 也不可能三人行」。ネットに載っていた訳文をそのまま引用すると「愛の旅路は私たち二人でこそ可能なの 私一人で徘徊するなんてありえない 3人もありえない」。このくだりを読んでいて、私はなぜかあの亡きダイアナ英皇太子妃を思い出してしまった。彼女が夫であるチャールズ皇太子の不倫を責めた言葉、“There were three of us in this marriage, so it was a bit crowded.” が頭に浮かんだのだ。彼女はインタビューを前にこれを言おうと準備していたのだろうか。
 日本語の「つぐない」は多少の編曲を許してもらえるなら、最後まで歌い通すことはできる。だが、中国語の「偿还」はそうはいかない。彼女の歌声を聞きながら、歌ってみるが、どうも同じ歌を歌っているとは自分でも思えない。発音が難解。公民館の中国語講座が再開するまでにはものにして、講座の冒頭のショートスピーチとして披露する手もあるなと思い始めているが、人様の前でさらす代物には到底なりえないかもしれない。お耳を汚したら、さらなる「つぐない」が必要となるかも・・・。

どきっとする文章

 次のような文章を読んだら、普通びっくりするだろう。何か間違いではと思うのが常だろう。I was seventeen when I died from asthma and came back. For years I was confused about this: Why did I see my body from above? Why couldn’t anyone hear me talking? Later I came across the evidence that many people have had similar experiences. So I know that when we leave our bodies, our minds remain intact. All of our knowledge, our thought processes, our capacity to learn, even our confusion, remain. (私がぜんそくで死に、生き返ったのは17歳のときだった。このことについてはその後、何年も頭を悩ました。あのとき、なぜ上から私の身体を見たのだろうか。なぜ誰も私が話しているのを聞くことができなかったのか。やがて私だけでなく多くの人々が似たような経験をしていることを知った。今では私たちがこの身体を離れても、心は何ら影響を受けないことを知っている。生きているときに獲得した知識、思考プロセス、学習能力のすべてが残っており、心の動揺もそのままなことを)
 上記の文章はこれまで何回か紹介したことのあるアメリカのキリスト教徒の人たちの手になる癒やしの本の中で出合った。私は毎朝、この本を心静かに読んでおり、考えさせられることが多い。筆者が書いているのはいわゆる “near-death experience” と呼ばれるものだろう。「臨死体験」か。確かに、これまで似たような経験をした人の話は他でも読んだ記憶はある。死亡した後に病室の天井近くに漂い、自分の身体を眺めている・・といった話だ。
 死後直後には「魂」が肉体の近くに漂うことは理解できるような気がする。しかし、未来永劫に「魂」が存在し続けることができるものだろうか。「魂」を支えているのが脳だとしたなら、脳は老化衰退するものだが、「魂」はそういうことはないのだろうか。死後の世界は本当に存在するのだろうか。存在するとしたら、誰もが行けるのか?悪行を重ねた人はどうなるのか?そんなことを考えていると、私の脳は悲しいかな、一杯一杯になってしまう。
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 大谷翔平君がアメリカンリーグのMVPとなるのは間違いないだろうと思ってはいるが、ここにきて強力なライバルが出現している。アリーグ東地区でワイルドカード争いに食い込んでいるトロントブルージェイズのブラディミール・ゲレーロ選手。父親も著名な大リーガーだったことから、普段はゲレーロジュニア(Jr)と呼ばれている。デビュー3年目、まだ22歳の若手だ。
 デビュー当初から活躍が期待されていたが、今シーズン終盤に来て、ホームランを連発、日曜日の試合で44本目のホームランを放ち、翔平君に並んだ。特筆すべきは打率も319でトップ、打点も102点でトップに5点差に迫っている。仮に彼が三冠王ともなれば大リーグ史上最年少。今後、翔平君が投手として何とか10勝目を上げたとしても、ゲレーロ選手が3冠王のタイトルを獲得する事態になれば、MVPに推す声は高まるばかりだろう。
 仮にそうなって翔平君がMVPの栄誉を逸したとしても、彼の今シーズンの輝きを曇らせるものではない。連勝街道まっしぐらのブルージェイズと貧打弱投のエンゼルスは勢いが違う。その勢いがMVP争いにも最終的に影響するのではないかと思わないでもない。頑張れ、翔平君!と私が檄を飛ばしたところで屁の突っ張りにもならないが・・。

秋本番

 秋本番。私の一番好きな季節の到来だ。台風が来ない限り、日本に生まれた幸せを一番感じる季節かもしれない。朝夕の爽やかな風。クーラーともおさらばでき、窓と玄関のドアを開け放ち、涼しい風を部屋に引き込み、机に向かう。午前中はもっぱら中国語の学習。早朝のNHKラジオの放送(15分)の録音テープを聞き返すことから始める。
 深夜も起きていることが多く、私は朝が全く駄目。だからラジオ放送が流れるスマホとICレコーダーを枕元に置き、放送に耳を傾ける。時に惰眠を貪りながらの聴取となる。普段はだいたい目覚めていて、朝食後にレコーダーを巻き返し、復習に取り組む。辞書を引き、うろ覚えの単語に改めて向き合い、覚えるよう頑張る。悲しいかな、毎朝、5つの表現(語)を覚え、3つ忘れていく虚しい作業の繰り返しか。致し方ない。とにかく、継続して挑戦していかないことには前進は望めない。
 今朝は笑ってしまった。レコーダーを聞き返していたら、気持ちの良さそうな寝息が聞こえる。ときにいびきさえかいているではないか。誰?私だ。どうやら寝落ちしてしまったようだ。その証拠にこの日の講座内容は一切、頭に残っていない。朝食を食べた後に改めて復習に励んだ。この日の文章で印象に残っているのは次の一文。「他借给你的那本小说,你看完了没有?」。日本語訳は「彼があなたに貸してくれたあの小説、読み終えましたか」。冒頭の表現が発言者の主題(テーマ)となっている。日本語と全く同じ語順の文章であることが心強い。英語だとおそらく “Have you finished reading that novel he lent you?” とでもなるのだろう。日本語の語順とはだいぶ異なる。
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 区役所から納税通告書みたいな書類が届いた。開封してみると、「市県民税の課税について」と題して、平成31年度の市県民税の申告がなされていないとの通知だった。急ぎ、申告書を提出してくれとの由。書類を読むと、出版社から支払われた印税が申告漏れになっているとか。この印税が私に支払われた時に、源泉徴収税も徴収済みであり、私は改めて申告する必要があるとは知らなかった。第一、たいした額でもない。
 それで区役所の課税課の担当者に電話をかけ、相談した。親切なお人で、私がこの何年か確定申告をしていないことを告げると、私の記録を(パソコン上で?)さっと調べて、税務署できちんと確定申告をした方がいいですよ、税の戻りがあるかもしれませんよと言われた。大学の非常勤講師職も消滅したため、確定申告は気にもかけていなかった。それで税務署に出向くと、持参すべき書類を教えてもらった。机の上や収納袋に投げ込んでいたあまたの郵便物をあさって申告に必要な書類をそろえた。税務署には来週改めて足を運ぶ。どれだけの戻りがあるか楽しみ。レストランでの豪華な食事が何回かはできるかな?
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 じんましんに処方された飲み薬を毎朝夕、飲んでいる。おかげですっかり治まったようだ。合わせて週末の飲酒も我慢している。飲み薬は月曜朝の分まで残っている。ということは神様が今週末も禁酒せよとおっしゃっているのだろう、きっと。来週末からの楽しみに取っておこう。

まさかとは思うが

 菅首相が自民党総裁選に不出馬を突然表明し、政界は大騒ぎになっているようだ。突然の不出馬表明の真相は知る由もないが、巷間伝えられているように、党内外での人気が失墜した菅首相が万策尽き、総裁選での勝ち目がないことを見切ったゆえの辞任劇か。思えばあまりにもあっけない退陣だった。その直前まで首相は総裁選出馬を公言していたのだ。
 不出馬表明後に首相が記者団に語ったと言われる、新型コロナ対策と総裁選の選挙活動には「莫大なエネルギーが必要で両立はできない」という言葉は額面通りに受け止めるには無理がある。正面から挑戦を受けて立ち、その上で敗れたなら、粛々と政権の座を明け渡せばいいだけのことである。これではコロナ禍のまっただ中に無責任に政権を投げ出したと非難されても仕方ないことだろう。
 菅首相がどういう人物だったかの、私は知らない。ただ、東北の農家出身で苦労の末に首相の座を射止めたことには敬意を払わざるを得なかったが、そうしたものも吹き飛んでしまった。新総裁に誰がなるかということにも関心がない。政治は本来ならば芸術作品のように崇高な営みとして見なされるべきものかもしれないが・・・。
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20210906-1630890089.jpg イスラム主義勢力のタリバンが武力で政権を奪取したアフガニスタン。首都カブールで女性たちが通りで抗議活動に出たというニュースを外電で見て驚いた。抗議の行動がまだ許されていたのかと。タリバンの戦闘員らに強制的に排除されたようだが、やがてこうした抗議行動が容赦なく弾圧される政治社会体制が到来するのだろうか。
 BBCの記事を読むと抗議活動に打って出た女性たちの生の声が伝わってきた。ジャーナリストのアズィタ・ナズィミさんは次のような趣旨のことを語っている。「25年前にタリバンがこの国を支配した時、彼らは私が学校に通うのを阻止した。その5年後に私は通学ができるようになり、それ以来一生懸命学んだ。私たちのより良い未来のためにも私たちはタリバンの圧政を許してはいけない」。彼女たちの勇気に敬意を表したい。
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 大リーグ。地区優勝、ワイルドカード争いがこれから熱くなる。日本人選手が所属するチームは地区優勝はもう望めないが、ワイルドカードの可能性は残っている。アリーグでは菊池雄星投手が奮闘しているシアトルマリナーズにわずかながら可能性がある。
 二刀流の大谷翔平君が連日活躍しているロサンゼルスエンゼルスは残念ながら、プレーオフに進出することはなさそうだ。期待するのは残り25試合でホームランの数を積み上げ、投げては勝ち星を伸ばすこと。できれば投手として大リーグ史上初のホームラン王になって欲しいが、2位の野手に2本差に詰め寄られている。DHとして打席に立てないナリーグとの交流試合があることも彼には不利な状況だ。かてて加えて残り試合はプレーオフ進出を目指す強豪チームとの対戦がほとんど。歩かされるケースも多いだろう。また、他球団の大リーガーたちにとって投手の翔平君にホームラン王のタイトルを取られることは屈辱的なことと推察できる。2位や3位の野手に翔平君には望めない、ホームランを打ちやすい球を投げてくるのではないかと私は案じている。まさかとは思うが。

「我不是胖 只是肉多多」

 郵便局のATMでお金を下ろした。使ったカードは銀行のキャッシュカード。お金を財布にしまって、非常勤講師の仕事が待っている小倉方面に向かう電車に乗るべく、最寄りの駅に向かった。歩いて5分ちょっと。駅に着いてICカード乗車券をチャージした。さあ、カードを改札機に通してホームに立とう。改札機を通った後、何気なく財布を見ると、開いた財布の内側に入れているカードが何となく寂しい印象。ふと思った。あれ、さっき郵便局で利用した銀行のカードが見当たらないではないか。
 財布のどこにも、ポケットにも、そのカードが見つからなかった。記憶の糸をたどる。郵便局のATMで確かにカードを抜き取ったのか?明確な記憶はない。おそらくお金だけを財布にしまい、カードは抜き忘れた可能性がある。慌てて郵便局に引き返した。まだ10分ほどしか経過していない。ひょっとしたらまだ残っているかもしれない。ATMにはなかった。窓口に走り、職員の人に確認してみる。忘れ物として届けてあるのでは。職員の人は奥に行き、責任者の机の上から何やら手にしている。おそらくあれだろう。忘れ物として届けてあった。日本はいい国だ!
 キャッシュカードの残高は知れているが、銀行への紛失届とかあれこれの手続きがとても面倒くさい。そうした諸手続き免れるだけでもありがたい。カードをきちんと財布にしまい、駅に急ぎ、何とかいつもの電車に間に合い、仕事に遅刻せずに済んだ。神様に感謝。それにしても暑さのせいでぼぉーとしていたのだろうか。しっかりしろ!
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20210903-1630634855.jpg NHKラジオの中国語講座で「赤ん坊が丸々太っていて可愛い」という趣旨の文章が出てきた。「丸々太っている」という表現は中国語では「胖乎乎」(pànghūhū)というようだ。私はこの「胖」という語の拼音を辞書で何度チェックしたことか。調べて覚えたつもりになって、しばらくすると忘れてしまう。正確に言うと、拼音のアルファベットは覚えているが、声調と呼ばれる発音の上がり、下がりを忘れてしまうのだ。日本語ではその語の発音が上がり気味なのか下がり気味なのか、あるいは平らに発音するのか、下がってから少し上がり気味になるのか、といったことは全然気にしなくていいが、中国語ではこれがとても重要だ(と老师や専門家諸氏から忠告される)。
 私はともすると、「胖」をpángと上がり気味に発音していた。今回改めてpàng と下がり気味に発声するのだということを再認識した。「あの人、パンパンに太っているよね」という時、おそらく「パンパン」は下がり気味に発声しているのではないか。そうだ。中国語で「太っている」と言う時は「パンパンに太っている」というような感じで「胖」と口にしようと決意した。中国語に興味のない人には退屈な話だろうが、私にはとても大切に思えるエピソードなのです!
 2年前の春、台北の大学で一か月間、中国語の基礎を学んでいた時、クラスメートだったインドネシアの女子留学生二人からお別れに際し、もらったバッジの文言は「我不是胖 只是肉多多」。「私は太ってはいない。ただ、肉付きがいいだけだ」という意味合いだろうか。この文言が今の私にはますますお似合いになりつつある!

全家福=家族写真

 じんましんを発症して以来、脳内が夏休みに入ったみたいで、ブログをアップするのも難儀になった。ふと気がつくともうすぐ9月だ。2021年も残すところ4か月。あっという間に過ぎ去ろうとしている。年を取るのが早いはずだ。
 いつから見始めたのか覚えていないが、このところずっと毎週土曜日夜にケーブルテレビで観ている中国の放送局のドラマがあった。中国語では「全家福」というタイトルで、邦訳は「家族写真」。はまるつもりはなかったが、はまってしまい、土曜夜は野球中継が佳境になっても、このドラマにチャンネルを変更し、一時間半ほどたっぷり付き合わされた。
 放送局の解説文によると、1940年代から2008年の北京五輪までの期間、北京の伝統的な家屋に住む3世帯の家族の生活を通して中国社会の変遷を描いたドラマとか。主人公は昔気質の大工王满堂。もちろん日本語字幕があるからフォローできたのだが、時に私の耳でも聞き取ることができる会話もあり、それなりに楽しめた。
 土曜日(28日)が最終回だった。最後の最後に、老いた大工の王满堂から耳の痛い言葉が飛び出した。40過ぎても独り身の息子に彼が早く身を固めるよう諭す場面の言葉だ。
 ネットの助けを借りて彼のセリフをここに採録すると、「一个男人 无论他干成多大的事 这辈子如果没被一个女人喜欢过 真心爱过 不能挑起一个门户来 他就不算一个真正的男人 就不配我夸他」。字幕の日本語表現は一瞬だからここに採録は到底無理。上記の文章を私の拙い訳で勘弁してもらう。「男というものはだな、どれほど大きなことをやり遂げたとしても、人生で一人の女性に好きになってもらえなければ、心から愛してもらえなければ、一家を成したとは言えないし、本物の男とみなすこともできない。私はほめることもできない」。だいたい、こんな意味合いだったような気がする。
 「真正的男人」は中国語の素養がなくとも、「本物の男」ぐらいの意味ではないかと推察できるような気がする。英語だと “a real man” とでもなるのだろう。上記のセリフがテレビから流れた時、ずっと独り身で暮らし、これからも一人で生きるであろう私は頭を垂れるしかなかった。おとっさん、おっかさん、許してたもれ!
 中国語のタイトル自体が家族の大切さを説いたものだとか。家族は多ければ多いほど幸せであり、だから家族全員が映った写真が「全家福」と呼ばれるらしい。私は幼い頃に母方の祖父母の家に親戚一同が大勢集まり、田んぼに勢揃いして撮影した写真を今も大切にしまっている。昭和30年代の日本の農村が香り立ってくるような白黒写真だ。これなどまさに「全家福」だと思う。残念ながら私には叶わない福だ。
 中国のドラマ「全家福」を見終えて、正直ほっとしている。NHKの朝ドラをなぜ見ないかというと、癖になるからだ。癖になると、身動きが取れなくなる。それでなくとも見たい、見ているスポーツ中継、将棋中継などが目白押しだ。韓国ドラマも最近はすっかり遠ざかり、たまにちょっとの間、つまみ食い的に観ている程度だ。ケーブルテレビの番組表を先送りすると、「全家福」の後にまた面白そうなドラマが始まるようだが、もう付き合うのはよそうかと思っている。思ってはいるが、土曜日夜がやって来ればまたチャンネルをカチャカチャしているのかもしれない!

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