英語でさるく 那須省一のブログ
| Next»
“Plague” 読破
- 2023-09-23 (Sat)
- 総合
仏作家アルベール・カミュ(1913―1960)の小説 “Plague”(邦訳『ペスト』)を読み終えた。フランス語から英語への翻訳という性質ゆえか、正直、何度も読み返し、それでも意味がよく解せない文章が多かった印象だ。カミュの名作と知っていなければ途中で投げ出してしまったかもしれない。それでも何とか読破した今は巡り合って良かったと思っている。
この作品が発表されたのは第2次大戦が終了した後の1948年だから70年以上前だ。しかし2023年の今、作品の舞台となったアフリカ北部のアルジェリア(当時は仏領)から遠く離れた日本で読んでも説得力があると感じた。コロナ禍でこの4年余、不自由な生活を余儀なくされただけからではない。いや、コロナ禍はまだ過去形で表現すべきではないか。
物語の語り手は若きベルナール・リウー医師。彼が診療所を開設している港町のオランである日突然、ネズミが大量死する事件が発生する。彼はいち早くペストの発生を疑い、当局に警鐘を鳴らすが、行政の動きは緩慢としている。そうこうしている内に多くの住民が原因不明の高熱を発し、次から次に息絶えていくようになる。オランは封鎖され、交通は遮断され、感染を免れた住民も孤立の日々を余儀なくされる。
リウー医師はほぼ不眠不休で患者の治療に当たるが、薬剤不足でただ死を見守ることしかできない。やがてペストは終息に向かう。だが感染拡大を阻止するため奮闘してくれた男気あふれる友人もペスト終息が宣言される直前に倒れる。ペストの流行前に遠隔地に療養に送り出していた妻の訃報にも接する。当局のペスト終息の宣言を受け、街に活気が戻り、歓喜に沸く住民を横目にリウー医師は思う。
And, indeed, as he listened to the cries of joy rising from the town, Rieux remembered that such joy is always imperiled. He knew what those jubilant crowds did not know but could have learned from books: that the plague bacillus never dies or disappears for good; that it can lie dormant for years and years in furniture and linen-chests; that it bides its time in bedrooms, cellars, trunks, and bookshelves; and that perhaps the day would come when, for the bane and the enlightening of men, it would rouse up its rats again and send them forth to die in a happy city.
感染症はこれからもじっと家具や箪笥、寝室、地下貯蔵庫、トランク、本棚などの中に潜み、ときを待ち、再びネズミを街中に送り出し、浮かれた人々にその死骸を見せる日がやって来るのではないか。リウー医師がそうした危惧を抱いているシーンで小説は終わる。物語の書き出しは The unusual events described in this chronicle occurred in 194- at Oran. となっており、1940年代の設定だ。私はこの作品を読みながら、頭の片隅にはロシアによるウクライナ侵攻もあった。こちらは悲しいかな現在進行形で和平の兆しは見えない。ウクライナの人々が理不尽な苦悶にあえいでいる現実は、どこからともなく忍び寄ったペストによる苦難に見舞われたオランの人々とも重なるように思えた。
アラブ国家のアルジェリアがフランスから独立するのは1962年。カミュが生存していた間は仏領だった。賑やかな港町だったと推察されるオランはフランス人が幅を効かせていたことだろう。アルジェリア人の視点からは果してどう見えていたのだろうか!
- Comments: 0
It's over for Shohei and me, too!
- 2023-09-17 (Sun)
- 総合
プロ野球とともに佳境を迎えている海の向こうの大リーグ。本来なら大谷翔平君の活躍に一喜一憂している時期なのだが、あに図らんや、肝心の翔平君が度重なる負傷で今シーズンの出場を終了することとあいなった。一番残念に思っているのは翔平君本人であることは間違いないが、明日は出るのではとずっとメディアに言い続けていたエンゼルスのネビン監督の対応は理解しがたい。大谷、トラウトら主力の負傷が相次いだ不運があるとはいえ、プレーオフ進出が夢のまた夢のふがいない成績もあり、来春は監督交代を強く望む。もっとも翔平君がエンゼルスに残ったとしての話だが。
翔平君の23年のシーズンは中途半端な形で終わるものの、おそらく、アリーグのホームラン王はほぼ間違いないのだろう。最大のライバル、ヤンキースのジャッジ選手が負傷でフルシーズン出場していなかったことが幸いした。投げる方でも活躍しており、今年もアリーグ2回目のMVP獲得が確実視されている。それは素晴らしいことに違いないが、大の翔平君ファンとしては何だかなあとも思う。願わくは来シーズン、開幕から彼がDHとして打席に立つことができ、さらには先発投手としてもマウンドに上り、真価をさらに発揮して欲しい。私の大リーグ観戦は10月を待たずしてこれで終了・・・。
◇
オンライン英語教室。今月からまた新しい作品を読む。取り上げるのは英国の日系作家、カズオ・イシグロ氏の短編小説集 “Nocturnes”。『夜想曲集』という邦訳も出ているようだが、私はイシグロ氏の作品はすべて原作を読んでおり、翻訳を手にしたことはない。
今回の作品は2009年の刊行であり、ノーベル文学賞の受賞に先立つこと8年前。私はこの作品のことは知らなかったが、教室受講生から読んでみたいという要望があり、まず、電子書籍でざっと読んで、読後感が悪くなかったのでネットで改めてペーパーバックを購入し、じっくり読んだ。中高年というか初老というか、年齢を重ねて初めて実感できる記述もあり、英語教室の進捗状況に従い、このブログでも紹介していきたいと思っている。
◇
スポーツ中継を除くと地上波テレビには何の魅力もなくなって久しいが、パソコンやスマホでYouTubeの番組を見る時間は格段に増えた。定期的に見る番組はそれでもごく限定的で、パソコンを開いてYouTubeにアクセスし、画面にぱっと出てくる番組から面白そうなものをクリックすることがほとんど。可愛いネコが出てきてじゃれ合うものや、大の大人が公園でいたずらの放屁を行い、散策の人々が仰天したり、笑い転げるシーンが流れるなどといった他愛ないものなど。
ただ、英語や中国語、韓国語のワンポイントレッスンなどといったものもあり、本当は見るつもりはないのだが、ついクリックしてしまうと、「長居」してしまうものもある。今日は日曜。日曜夜は同世代の年配の女性が東京周辺の実家に週一度帰り、誰も住まなくなった実家の掃除や庭仕事に勤しむ映像が10分と少々流れるYouTubeがある。どういうこともない映像なのだが、なぜか見てしまう。昭和生まれの人には懐かしいものも映し出される。心の憩いの場となる実家が近くにある人の幸せを思う。
- Comments: 0
今頃ハイボールとは!
- 2023-09-03 (Sun)
- 総合
帯状疱疹の痛みがまだ消えない憂さ晴らしではないが、最近また夕刻に軽く飲み始めた。明らかにメタボの私は酒類を遠ざけた方がいいのは承知しているが、神様、深酒はしませんので、お許しあれ!
手にしているのはハイボールと呼ばれるお酒。すでに半世紀以上もお酒を飲んできて今頃、ハイボールの旨さに気づいたとここで「告白」するのは恥ずかしいが、事実だから致し方ない。昔はハイボールというお酒(の飲み方)はそれほど一般的ではなかったのではないか。大学を何とか卒業して東京の新聞社に就職し、八王子市にある支局に配属された25歳の頃。自分で稼いだお金で支局近くにあるスナックに夜な夜な通い始めた。はてあの頃は何を飲んでいたのだろうか。もっぱらウイスキーか。問題はウイスキーの飲み方だ。水割りかロックだろう。私は水で直接薄めることが嫌で、ロックで飲んでいたような・・・。
焼酎などというお酒は東京の飲み屋ではまずお目にかかれなかった。やがて居酒屋などで焼酎も見かけられ始めるが、ほとんどの場合、酎ハイという飲料だったような記憶がある。はて酎ハイって辞書に載っているのかなと思い、手元の電子辞書で広辞苑を引くと、載っていた。「焼酎ハイボールの略。焼酎を炭酸水で割った飲み物」と紹介している。何ということだ。知らなんだ。酎ハイのハイはハイボールのハイだったのか!
そして私は今遅ればせながら、ハイボールの旨さ、飲みやすさに気づいた。コンビニでサントリーの角瓶と炭酸水を買い、氷をたっぷり浮かべて飲んでいる。黒霧も炭酸水で割ると格段に飲みやすくなる。何杯でもいけそうだ。
そもそもなにゆえ今頃になってハイボールを飲むようになったかというと、時々のぞいているYouTubeの韓国語講座で韓国人講師がハイボールの旨さを語っていたからだ。韓国人旅行客は日本からの帰途、安い角瓶を買い込み、日本土産にしているとか。そう聞いて、そんなにウイスキーのハイボールは旨いのだろうかと不思議に思った。この講座を見ていなければハイボールのことなど考えもしなかっただろう。良かったのか悪かったのか?
◇
先にチェコの作家、ミラン・クンデラの代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)のことを書いたが、彼の訃報を報じた英字紙ジャパン・ニュースによると、94歳で逝ったクンデラが死の床で最後に手にしていたのはフランスの作家、アルベール・カミュの小説 “Plague”(邦訳『ペスト』)だったとか。
コロナ禍が世界を襲った状況下、日本でもこの作品が再び脚光を浴びていると聞いたことがある。私はカミュの作品は読んだことがないような。これも何かのサインと思い、ネットで中古の原書を買い求めた。原書といってもフランス語からの英訳本だ。
不可解な登場人物のことを記している文章に次の1文があった。But the thing that had struck him most about the man was his aloofness, not to say his mistrust of everyone he met.(その男に関して最も印象的なことは、彼が周囲の人々を誰であれ信じないことだとまでは言わないが、世間と関わりなど持ちたくないという彼の考え方だった)。私はnotが出てくる熟語表現にはいつも手こずる。この not to say はまだ「楽」な方だろうか。
- Comments: 0
努力は perspiration (汗をかくこと)
- 2023-08-27 (Sun)
- 総合
今年の夏も終わりを告げようとしている。いや、もう終わったと表現すべきだろうか。非常勤講師を務めている中学校はすでに2学期がスタートした。古い人間の私には9月に入ってから2学期という感覚だが、今はそうではないようだ。私は2学期は心機一転と期していたが、どうもそうはいかない。例の帯状疱疹だ。まだ右背中を中心に痛みというか違和感が消えておらず、朝方が辛い。ペインクリニックの服用薬を1錠毎夜飲み続けており、これがやがて功を奏することを願うだけだ。
結局この夏は我慢の日々となった次第だが、一つだけは考えていたことを行った。田舎に戻って墓参りすることだ。コロナ禍で長く足を運ばなかったが、気持ちはずっと故郷に向いていたので亡き両親や兄姉たちも許してくれるだろうと願っていた。コロナ禍が一段落した今夏はさすがに戻らねばならない。それでお盆過ぎに新幹線・高速バスといういつものルートで帰郷した。宮崎駅からは甥っ子の車で西都の山中にある実家へ。両親や姉、長兄が眠るお墓に手を合わせた。
はて、何年ぶりの帰郷だろうとずっと考えていた。最後の帰郷がいつだったか。今パソコンに向かい、過去のブログをスクロールしてようやく分かった。2019年8月18日の項で以下のように記している。
――青島のホテルに3泊した後、山里の実家を訪ね、お袋や父親、長兄、次姉が眠るお墓にも手を合わせた。父親と長兄が好きだった焼酎をお墓にかけた。お袋と次姉のためにはお袋が好きだった健康飲料をかけた。古里の名産品をお土産として沢山買い求めもした。気持ちがいい好天の故郷はこの日は明るく輝いて見えた――
そうか、ちょうど4年ぶりだったのだ。参考までに台北への最後の旅は2019年7月の項で述べている。この4年間は「活動停止」状態だったようだ。中国語の会話力はあれからほとんど進歩していないように感じているが、台北には行ってみたい。昔のような安上がりの旅はできないのだろうな、きっと。旅費から滞在費(5日程度)までざっとみても10万円はかかるのだろう。今の私には尻込みする額だ。帯状疱疹の完治を待とう!
◇
NHKラジオの中国語講座を聴いていて、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というトーマス・エジソンの有名な言葉が紹介されていた。中国語では「天才是百分之1的灵感和百分之九十九的汗水」とか。説明文として「天才とは1%のインスピレーション(灵感)と99%のパースピレーション(汗水)である」と記されていた。インスピレーションとパースピレーションが韻を踏んでいる。パースピレーション(汗水)とは漢字が示しているように「汗を流すこと」すなわち「努力」することか。
エジソンの言葉はネットで調べると、“Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.”となっている。私は初めてこの言葉、つまり翻訳の文章に出合った時、努力=effortと解釈していた。彼が実際に口にしたのは perspiration であり、おそらくinspirationと韻を踏む語を選択したのだろう。そう考えると、日本語の訳文よりも中国語の訳文の方が原文により近いと思えなくもない。些末なことかもしれないが・・・。
- Comments: 0
一度切りの人生は所詮虚しい?
- 2023-08-24 (Thu)
- 総合
チェコ出身の作家ミラン・クンデラ氏の代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)を読み終えた。読売新聞のコラムでこの作家と作品のことを知ったのだが、チェコ語から英語に翻訳された小説は予想とはだいぶ異なっていた。
前回の項で書いたが、1968年の旧ソ連軍による「プラハの春」弾圧を背景にした作品だけに、今起きているロシアのウクライナ侵攻のことを思わずにはおれなかった。手垢の付いた表現だが、「歴史は繰り返す」か。
主要登場人物の一人は共産党独裁体制を容認できず、天職の外科医の仕事から追われる不運に遭いながらも、生来の嗜好というか彼にとっての「ライフワーク」と言うべきか、日々の生活で出会う幾多の好みの女性と性的関係を求める妻帯者の男(Tomas)。といえども、そうした womanizer (プレーボーイ)の生き様だけに焦点を当てたものではなく、タイトルが示唆しているように、生きることは何ぞやという重いテーマを追っている。
冒頭部分で次のように記されている。We can never know what to want, because, living only one life we can neither compare it with our previous lives nor perfect it in our lives to come. (我々は人生で何が欠けているのか決して知ることはできない。一度切りしか生きられない我々は我々の前世と比較することもできないし、次にやって来る人生でそれを完璧なものにすることもできない)。(中略)Einmal ist keinmal, says Tomas to himself. What happens but once, says the German adage, might as well not have happened at all. If we have only one life to live, we might as well not have lived at all. (一度は数のうちに入らないのだとトーマスは自分に言い聞かせた。このドイツ語の格言によると、一度しか起こらないものは全く起こったことにはならないのだと。我々が一度しか人生を生きられないとしたなら、それは生きたことにはならないのだ、はなから)
私が興味深く読んだのはヨーロッパの左派的考えの人たちがベトナムがカンボジアに侵攻したことに抗議し、カンボジアの困窮する人々の医療支援をしようと1980年代にタイからカンボジアとの国境に向かおうとした時のエピソードだ。
この医療支援はヨーロッパのグループが提唱したものだが、バンコクに到着してみると、主導権はアメリカ人のグループに握られていた。記者会見も英語で行われ、ヨーロッパの非英語圏の参加者たちは猛反発する。… and here the Americans, supremely unabashed as usual, had not only taken over, but had taken over in English without a thought that a Dane or a Frenchman might not understand them. (アメリカ人たちはお決まりのようにここでも臆することなく主宰の立場に立ち、しかも英語で会見を仕切ったのだ。デンマーク人やフランス人が英語を理解しないかもしれないなどといったことには一顧だにすることなく)
私がアフリカで新聞社の特派員として勤務していた1980年代末を思い出した。各国の記者が集まる会見があれば、当然のことながら英語主導となり、米英の記者が幅を利かせていた。中国は新華社通信の記者をごくたまに見かけることがあったが、目立つことはなかった。今は中国人の記者たちが無視できない存在感を示しているのだろうか。中国人が口にする英語は日本人よりもずっと達者なようだし・・・。
- Comments: 0
バランスオブパワー
- 2023-08-17 (Thu)
- 総合
チェコ出身の作家ミラン・クンデラ氏の代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)を読み進めている。1968年に旧ソ連に踏みにじられた「プラハの春」が背景にある作品だと理解していたが、旧ソ連を引き継いだロシアが今牙をむいているウクライナ侵略を想起せずにはおれない記述に手が止まる。
All previous crimes of the Russian empire had been committed under the cover of a discreet shadow. The deportation of a million Lithuanians, the murder of hundreds of thousands of Poles, the liquidation of the Cremean Tatars remain in our memory, but no photographic documentation exists; sooner or later they will therefore be proclaimed as fabrications. Not so the 1968 invasion of Czechoslovakia, of which both stills and motion pictures are stored in archives throughout the world. (ロシア帝国による過去の犯罪は人目を引かない密やかな形で行われた。百万人に上るリトアニア人の国外追放しかり、何十万人ものポーランド人殺害しかり、クリミア半島からタタール人の存在を抹殺することしかり。こうした蛮行は我々の記憶に残ってはいるが、映像や写真としては記録されていない。やがてそうした事実は存在せず、でっち上げだと否定されることだろう。1968年のチェコスロバキア侵略はそうはいかない。世界中に写真や映像が記録となって蓄えられているからだ)
翻ってロシアによるウクライナ侵略。どちらに非があるかは明々白々だ。ウクライナの一般市民が圧倒的火力を誇るロシア軍の砲撃を受け、むごたらしい最期を余儀なくされていることは疑う余地などない。とても a discreet shadow などと形容できるものでないことは小学生にでも分かるだろう。だれもこの狂気に終止符を打つことはできないのだろうか?
ところで、“The Unbearable Lightness of Being” には謎めいた男女の愛憎関係も描かれている。例えば、Sabina というチェコから逃れてきた画家の女性が愛人となった男性Franz の奥方であるMarie-Claudeに無礼な扱いを受けるシーン。Sabinaは手作りのペンダントを首にかけ、Marie-Claudeの邸宅で催されたカクテルパーティーに初めて足を運ぶ。Marie-Claudeはそのペンダントを目にして周囲に他の訪問客がいるにもかかわらず、大きな声で叫ぶ。“What is that? How ugly! You shouldn’t wear it.” 彼女には悪意はなかったようだが、旦那のFranzは妻は他人に対しお世辞を言うことが習性のようなって久しい(flattery had long since become second nature to her)ことが分かっており、驚きを隠せない。
しかしすぐに彼は理解する。なぜ妻のMarie-Claudeが初対面のSabina に対して彼女のペンダントを酷評する挙に出たのかを。妻が二人のただならぬ関係を嗅ぎ取ったからではない。Sabina はMarie-Claudeが主宰する画廊で作品展を開いたことがあるが、評判はあまり芳しくなかった。次のように書かれている。Yes, Franz saw plainly: Marie-Claude had taken advantage of the occasion to make clear to Sabina (and others) what the real balance of power was between the two of them.(そう、フランツははっきりと分かった。マリークロードはこの機会に乗じてサビナや他の人々に対して二人の立場がどういう上下関係にあるかを知らしめようとしたのだ)。Marie-Claudeのようなご婦人とはお近づきになどなりたくないものだと思う一方、人間関係をバランスオブパワーの語句で形容しているのを面白く感じた。
- Comments: 0
“The Unbearable Lightness of Being”
- 2023-08-08 (Tue)
- 総合
いや、それにしても暑い。こんな暑さは日本になかったのではないかとさえ思う。アパートの近くを歩いていると、植栽の近くの歩道に蝉の死骸が天を仰ぐように転がっているのを何匹か目にした。7日目だか8日目の生命が尽きたのかもしれないが、こんなに蝉の死骸を目にする夏は初めてのような気がする。この信じ難い酷暑のせいではないか。
南からは大きな台風が北上しつつある。もう何日も前からパソコンの画面に「念」を送り、九州を逸れるように神様にお願いしていたが、上陸は免れるものの、西岸をかすめて北上するようだ。激しい風雨は避けられないのだろう。被害が最小限で済むことを願う!
暑さで思い出すのは、私が個人的に最高に暑いと感じたのは1980年代末、スーダンの首都ハルツームで過ごした数日間。当時、このようなブログがあったならと思うが、なかったので仕方ない。よく覚えているのは朝起きて(水)シャワーを浴びて、ホテルを出て情報省に向かい、数分後にはホテルに舞い戻り、再びシャワールームに駆け込んでいたこと。それほど強烈な暑さだった。
◇
読売新聞の朝刊コラムでとあるヨーロッパの作家が死去したという報に接した。チェコ出身のミラン・クンデラ氏。亡命後に住んでいたフランスで逝去。享年94歳。東西冷戦下の1968年にプラハの春が旧ソ連の弾圧を受けて亡命した作家で、その代表作『存在の耐えられない軽さ』で知られるという。
私が読んだコラム記事は<4人の男女が織りなすラブストーリーの背景に複雑な政治情勢を描いた。恋愛、そして左右の思想や体制に触れながら、人間の作り出す「軽さ」が随所にしのばせてある>と書いてある。
恥ずかしながら私はこの作家のことも作品のことも全然知らなかった。旧ソ連を引き継ぐロシアが今ウクライナに対して犯していることを思えば、今からでも読んでしかるべき作品のように思えてきた。読むならば英訳本か。ネットで調べて買い求めた。“The Unbearable Lightness of Being”
数日前に手元に届いたので暇を見て読み始めた。物語は冒頭、チェコの首都プラハに住むTomas という男とTereza という少女が登場する。Tomas はいわゆる「女たらし」(womanizer)で気に入った女性を見れば erotic friendship(官能的友情?)を結ばずにはおれない。しかし、そこにlove(愛)が介在することは許されない。性的行為が終われば、彼は関係を断ち、自分の世界に一人戻る。次のように書いてある。Making love with a woman and sleeping with a woman are two separate passions, not merely different but opposite.
しかし、Terezaはそれまでの女性たちとは異なるようだ。Tomas も彼女の執拗な愛を拒むことはできなくなる。Sabinaという懇意にしている女性と愛の行為にある間もTerezaが気になって仕方がない。早く事を済ませて彼女の元に帰らなければと思う。次のような記述がある。Then one day Sabina caught him glancing at his watch during intercourse and trying to hasten its conclusion. これは日本語に翻訳するのはある意味、苦労するだろうなあと思った。いや、そうでもないかな?
- Comments: 0
| Next»