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英語でさるく 那須省一のブログ

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You can never have too much money.

 最近はパソコンでYouTubeを見ることが多くなった。私はこのYouTubeの仕組みはよく分からないが、CNNやBBCなどお気に入りの一つに入れたYouTubeをクリックすると、YouTubeのさまざまな画面がスクリーン上に広がる。ここがよく分からないのだが、私がよく見るアメリカのパロディー番組や将棋、麻雀の番組の他に中国から流れてきているように思える日本人向けの中国語の講座もある。ひょっとしたら、視聴者の好みに沿った番組が画面に登場する仕組みになっているのかもしれない。よく分からないが。
 週末にはアメリカのフロリダ州で開催されている共和党の集会の様子が流れていた。トランプ前大統領の熱狂的支持者の集まりなど興味もなかったが、地元の州が寒波に見舞われ、電気や水道がストップしたテキサス州のテッド・クルーズ上院議員が登壇していたので興味に駆られ、クリックしてみた。クルーズ議員は地元の住民が苦境にあるのに家族を連れて南の温暖なメキシコのレゾート地に避寒に出かけ物議を醸したばかり。乗客にその姿を見つかると、到着した直後にUターンし、娘が学校も休みだし、どこか暖かいところに連れて行って、とせがまれたから出かけたが、やはり地元にとどまるべきだと思い直し、戻ったという趣旨のことを述べている。苦しい言い訳であることは明らか。
 クルーズ議員は面の皮が厚いのだろう。自分の醜聞など一向に気にかけておらず、トランプ前政権に批判的なメディアや目の敵のバイデン新政権を酷評していた。私がおやっと思ったのはバイデン大統領が国民に求めているマスク着用について批判した次のくだり。ネットの記事から引用すると・・。
 Cruz called mask-wearing is virtue signaling: "We're going to wear masks for the next 300 years," Cruz said. "And by the way, not just one mask — two, three, four — you can't have too many masks. How much virtue do you want to signal?
 興味深い記述だ。まず、virtue signaling に目がとまる。virtue を signal するとはどういうことか。ネットで調べると、「美徳シグナリング」として「チャリティー・リボンを身につけたり、特定の人物へのサポートを表明したりして、自分が正しい政治的観念を持っていると主張すること」と説明されていた。「露悪趣味」の対局にある行為? 私が注目したのはこの表現ではなく、you can't have too many masks. という文章。日本人には分かりづらい表現だ。直訳すると「あなたはいくらマスクを持っていても持ち過ぎるということはない」。つまり、マスクはいくら持っていてもそれで十分ということはない、ということだ。  
 類似の表現では、You can never have too much money. と言えば、「お金はいくらあっても困りません」ということになる。こうした表現をさりげなく口にすることができれば、英語のかなりの達人ではないだろうか。私はちょっと考えないとこういう表現を口にすることはできないだろう。
 一夜明けた月曜日朝。CNNをネットで確認すると、トランプ前大統領も上記の集まりに登壇し、例によっていつもの大ぼらを吹き、2024年の大統領選での再出馬の可能性も示唆したようだ。トランプ氏の「復帰」を熱狂的に歓迎する共和党の支持者が依然として少なからずいることが私には信じ難い。アメリカ社会の劣化を物語っているのか?

『英語独習法』の続き

 前項で紹介した『英語独習法』の続き。著者の説く「スキーマ」についてもう少し追記したい。誰もが有している母語の水面下の氷山のような「非常に複雑で豊かな知識のシステム」をスキーマと呼ぶのだという。このスキーマがあるために母語を不自由なく話し、聴き、読み、書くことができる。ところが外国語を学習する際にはこの母語のスキーマが学習の妨げにもなっているのだとか。これは英語に習熟しようと努力した人にはよく理解できる点だろう。確か、言語学的には「母語の干渉」と呼ばれるものだったような記憶がある。
 『英語独習法』ではだから、外国語を学習する際には母語のスキーマにとらわれず、その外国語に関する独自のスキーマを育むことを訴えている。そうでないと、いつまでもその外国語に習熟することは望めないと。その通りだろう。このくだりを読んでいて、英語の非常勤講師として大学で教えていた頃に学生に告げていたコロケーション(collocation)のことを思い出した。
 コロケーションとは通常一緒に使われる単語と単語のつながりのことで、「連語」と呼ばれる。例えば、私たち日本人は「服」を身につける時に『着る』という動詞を、「帽子」を身に着ける時には『かぶる』という動詞を使う。英語ではどちらもput onとかwearという動詞を使うことが可能だ。wear a capやput on a capだ。この考え方で、日本語を学んでいる英語のネイティブ話者が「帽子を着る」と言ったとしたら、我々は意味は理解できても、笑ってしまうだろう。それは日本語では不自然な言い方だからだ。
 逆も真なりで、我々日本人も英語を使っている時に似たようなことをしている可能性は大だ。少なからぬ学生がしていた次のような間違い。「教える」は “teach” だが、道を尋ねる際には “tell” で十分だ。“Please teach me how to get to Hakata station.” ではなく “Please tell me how to get to Hakata station.” と表現するのが自然であることを肌で理解する必要がある。今や日本語の挨拶の常套句となった感のある「宜しくお願いします」という表現は英語には存在せず、“Hi, nice to meet you.” で十分ということを肌で認識したい。
 ところで『英語独習法』の著者は次のようにも書いていた。――外国語を学ぶとき、最初の授業でのっけから音素の聴き分けや発音練習から始めることがある。私が中国語を習い始めたとき、中国語の単語をまったく知らないのに「そり舌音」など、日本語にない音の発音を繰り返す授業が続き、うんざりした。これはじつは、成人にとってはもっとも困難なことを最初にやって出鼻をくじこうとしているようなものだ。――
 これにも私は全く同感だ。私は幸い、「そり舌音」のレベルはもう卒業したと思って(願って)いるが、悲しいかな、中国語の声調にはいまだに悩まされている。「雑誌」は中国語の簡体字では「杂志」。ピンイン表記だとzázhìで、ザで上がり、ジーで下がる声調だが、私はいまだにこれをまったく逆の声調で発声している。上げる、下げるの声調が全く逆に聞こえることさえある。昨日もそうだった。中国語の簡単な文章を書くときも漢字ゆえに日本語に引っ張られた文章を書きがちで、公民館の中国語講座の老师(先生)からはしょっちゅう、そうした初歩的な間違いを指摘されている。中国語のスキーマ、それと韓国語のスキーマを早く育てあげないことには・・・。

『英語独習法』

 新型コロナウイルスの日々の感染者数が段々と減少しつつあるように見える。収束に向かっているのだろうか。宮崎は昨日はゼロ発表だった。いいぞと思うが、またぞろ第何波か知らないが、再流行の可能性もあるのだろう。油断は禁物か。嗚呼、台湾に旅することができるのはいつのことやら。いや、それより大事なことは早く宮崎の実家に戻り、父母兄姉たちの墓に手を合わせることだ。
 私はいつも食卓を前にすると、亡き母や姉のことを想い、心の中で感謝の言葉をつぶやいてはいるが、もう一年以上も墓に参っていない。このままでは罰があたりそう。
                  ◇
 新聞の書評欄で目がとまった新書があった。図書館に問い合わせると、貸し出し中でウエイティングリストに25人だかの名前が連なっているとか。いや、そんなには待てない。近くの書店で取り寄せてもらい購入した。
 『英語独習法』(今井むつみ著・岩波新書)。2020年12月に第一刷が発行されたばかりの文字通りの新書だ。著者の今井氏は認知科学、言語心理学を専門とする慶応大環境情報学部教授。書評欄では著者は「人間はいかに学習していくか、特に、子どもが母国語を習得する過程を研究してきた認知科学者である。我々の認知の仕組みから、英語学習の合理的な学習法を提案したのが、『英語独習法』だ」と紹介されている。
 第7章の「多聴では伸びないリスニングの力」に興味深い記述があった。要約すると、世界中の赤ちゃんは生後すぐはすべての言語で区別される音をもれなく区別することができるが、乳児期を過ぎるとそれは難しくなる。日本人の赤ちゃんでも例えば英語のr、lという大人の日本人が苦手とする二つの音の聴き分けができる。しかし、日本語にはrとlの区別はない。母語で必要のない音の区別をし続けると、その分、他の必要な情報に注意を向けることができにくくなるので、母語に必要な音の区別だけを残し、音素を効率よく区別できる情報処理のシステムを構築する。それゆえ大人の日本語話者は、rとl、bとvなど、日本語にはない英語の音素がうまく聴き分けられないようになるのだという。
 認知科学の専門家の指摘は拝聴に値する。著者は次のように訴える。英語の達人を目指すなら、やはり語彙力を充実させることが不可欠。それには多読や多聴は向いておらず、日本語と英語の言語的な違いを認識しながら英語習得に適した「スキーマ」を充実させていくことが大切なのだという。「スキーマ」というのは「認知心理学の鍵概念で、一言でいえば、ある事柄についての枠組みとなる知識であり、知識のシステム」だと説明されている。氷山に例えれば、水面下にあり、「非常に複雑で豊かな知識のシステム」である。外からはその姿は見えない。「もっていることを意識することがない。ほとんどが意識されない。意識にのぼらずに、言語を使うときに勝手にアクセスし、使ってしまう。子どもや外国の人がヘンなことばの使いかたをすれば、大人の母語話者はすぐにヘンだとわかる」のも、このスキーマを有しているからだという。とてもありがたいスキーマだが、喜んでばかりはいられない。
 なぜか? それは次項で述べたい。窓の外を見ると、本日も昨日に続き、好天だ。日が陰る前に香椎浜の散策を楽しみたい。

桜開花は東京が一番乗り?!

 髭は濃い方ではないかと思うが、毎朝、髭剃りは欠かせない。ちょっと油断すると、むさ苦しく感じる。四五日も放っておくと、ホームレスみたいな風貌となる。蓄えるようになって久しい口髭(moustache)も手入れしないと、下の方が唇にかかって見苦しい。(私は口髭は鼻髭だと長いこと考えていた。だから、鼻毛が伸びていると人に言われた時、鼻髭つまり口髭のことを言っているのだと勘違いした!)
 これまで愛用してきた電気髭剃りの上歯の下部がちょっとだけ欠けていることに気づいた。ほんの少しだ。乱暴に扱った記憶はない。我慢して使い続けていたが、時々、むき出しの刃が肌に触れ、チクッと痛いことがある。それで肌に直接触れる外刃を交換する必要に迫られた。このシェーバーを通販で購入したのは2018年1月。調べたところ、外刃は3,820円、内刃は4,370円もすることが分かった。3年前に購入した価格は7,538円だから、新品を購入した方が安上がりではないか。
 いずれにせよ、外刃も内刃も通常、1年か2年で交換することを薦められているようだ。それで通販ではなく、近くの量販店に行き、気に入ったのを購入した。納得の7,870円。早速使って見ると、新品の刃ゆえか、肌触りが全然違う。チクッという痛みを心配することもなく、実に心地よい。このシェーバーが少なくとも2年程度はもってくれれば・・・。
                  ◇
 公民館の中国語講座で今年の桜開花予想が話題になった。沖縄を除くと、全国で今年一番早いのは東京で3月19日だとか。我が耳を疑った。宮崎や鹿児島より東京が早いとは! 桜前線(a cherry-blossom front)は南から北へ北上するものでは???
 帰宅後、ネットで今年の桜開花予想をチェックした。確かに3月19日に東京から開花スタートと紹介されていた。九州を見ると、福岡が一番早く3月21日、我が宮崎は翌日の22日、鹿児島が23日、大分が25日となっていた。関西では大阪が24日、京都も24日と九州と大差ない。関東では横浜が21日、宇都宮が26日、銚子が26日。東北地方ではさすがに4月に入り、福島や仙台で4月1日、山形が7日、盛岡が15日、青森が17日となっていた。
 それにしても、南九州より早く東京が一番乗りとは驚いた。でもどうやらこの傾向は今年だけのことではなく、近年の傾向だとか。地球温暖化の影響による気候変動が背景にあるらしいが、当然のことながら気になる変化だ。桜前線の動きの昔は見られなかった変化を天変地異の兆しと捉える人もいるようだ。発生したばかりの福島県沖を震源とする震度6強の地震は東日本大震災の余震とみられているが、これも天変地異の一つと考えれば不気味極まりない。中国語では「不吉な兆し」は「凶兆」(xiōngzhào)と表現するらしい。
 ネットで検索をかけると、今後30年以内の発生が恐れられている「南海トラフ」地震や相次いで起きる可能性もあると言われる「相模トラフ」地震に関し、気が滅入る予測が紹介されている。ここで改めて書くのもためらってしまう。先の震度6強の地震は死者が出ずに済み、私は「奇跡」と書いたが、日本に住み、大きな地震に遭遇せずに暮らせるこれからの日々はそれ自体が「奇跡」的な日々かもしれない。神様にご加護をお祈りしよう。

東北でまた大地震!

 なんとも心が塞がる週末だった。日曜日朝、目覚めていつものように枕元のスマホを手にしてニュースをチェック。CNNのホームページでアメリカと海外のニュース、読売新聞のホームページで国内のニュース。CNNでトランプ前米大統領の弾劾がどうなったかを見ようと考えていたら、トップニュースの近くで日本の福島でまた大きな地震が起きたと報じていた。商品が散乱している写真が目に入った。え、何これ? 東日本大震災10年の関連記事? 
 慌てて飛び起きてテレビをつけて確認。国内の災害報道はNHKに頼るしかない。それで土曜日深夜に福島県沖で最大震度6強の大地震が起きたことを知った。発生時刻にはまだ寝付いていなかったような気もするが、福岡は揺れていないし、東北地方で再び大地震が起きていたとは全然知らなかった。
 月曜朝、パソコンに向かってこの項を書いているが、心に浮かんでいる思いはこのような規模の大地震でも奇跡的に死者が出ていない不思議さだ。神様に感謝したい。私は毎朝、本棚の上に設けたささやかな神棚に手を合わせているが、改めて神様にご加護を感謝したいし、感謝した。日本の国土はこれからも大きな地震に見舞われる定めにあるということは承知も覚悟もしているが、願わくは人的被害が最小限で済むことを祈りたい!
                  ◇
 トランプ氏は上院の弾劾裁判で結局、無罪放免となった。しかし身内の共和党からも7人の議員が弾劾賛成に回るなど、数の上では57対43で弾劾を支持する議員が上回った。興味深かったのは弾劾に反対票を投じたものの、評決が下された直後に議場で共和党の議員団を率いるミッチ・マコネル院内総務がトランプ氏を「糾弾」するスピーチを行ったことだ。その内容は、そう思うのだったら、なぜお前さんは弾劾に反対したんだい?と突っ込みを入れたくなるほど、トランプ氏に批判的な内容だった。
 CNNからそのくだりを以下に引用するとーー。
 "Former President Trump's actions that preceded the riot were a disgraceful, disgraceful dereliction of duty. Trump is practically and morally responsible for provoking the events of the day."(暴動に先立ったトランプ前大統領の行動は恥ずべき、恥ずかしいほどの職務怠慢であった。トランプは事実上もそして倫理的にもあの日の出来事を誘発した責任を負っている)。さらに興味深いのは次の一言だ。
 "We have a criminal justice system in this country. We have civil litigation. And former Presidents are not immune from being held accountable by either one." (我が国には刑事訴訟制度もあるし、民事訴訟制度もある。大統領経験者といえども、この二つの訴追を免れることが保証されているものではないのだ)
 マコネル氏の主張は弾劾の目的は大統領職の罷免の是非であり、すでに大統領の座を退いたトランプ氏を裁くことはできないというもの。トランプ氏は今後、しかるべき場で改めて裁かれるべきとの見解を、フロリダ州の邸宅で聞いたトランプ氏は何を思ったのだろうか。周囲の風向きが少しずつ変化していると感じたのではないだろうか。

“This is the least I can do.”(どういたしまして)

 つい最近、NHKラジオの英会話講座で次の英文を耳にしてちょっと思うことがあった。その英文は “This is the least I can do.” というもので、お礼を言われた相手に対して返す言葉であり、「私にはこれくらいしかできません」という訳文が当てられていた。
 私はこの日本文を英文にするとなると、まず最初に頭に浮かぶのは次の英文だ。“This is the most I can do.” 「あなたにはもっと色々やってあげたいが、これが私ができる精一杯です」というニュアンスを込めている。講座ではこの表現は出て来なかった。思うにこの英文では「これが私にできる関の山です」という意味合いとなるらしい。
 お礼を言っている相手に対してはやはり、“This is the most I can do.” よりも、“This is the least I can do.” とへりくだった物言いの方がベターなようだ。“Thank you so much.” と言われたら、即座に “This is the least I can do.”(どういたしまして)と返せばスマートな対応となるのだろう。ただ何となく釈然としない気持ちが私には残る。
                  ◇
 韓国語の独学。こちらはこの数年、NHK第2放送のラジオ講座頼みで学んできていたが、どうも系統立てて学んでいないので、あまり力がついていないような気がずっとしている。「まいにちハングル講座」という共通タイトルのテキストも4年以上の冊数が机の端にうずたかくたまっている。問題はその中身の圧倒的大半が脳内には残っていないことだ。
 ずっとラジオを聴いてきて最近になってようやく分かりかけてきたものがある。それは用言(動詞、形容詞)の活用形をI、II、IIIと三つの語基(パターン)に分けて考える学習法。例えば、「勉強します」という表現は「공부해요」だが、「하다(する)」がなぜ「해요(します)」となるのか、すっかり忘れていた。それは「요」の前にはIIIの語基が来ることになっているからだ。上記の文章は何度も目にしていると自然と口をついて出るようになるが、私はなぜそうなるのか、こういう基本的なことをすっかり忘れていた。
 私がこれまでに読んだ韓国語の教本の中で「これが一番!」と考えている本がある。『新・至福の朝鮮語』(野間秀樹著・朝日出版社)。私はだいぶ前にこの本をさっと読んだが、今も疑問点があると、この本を開き、教えを請うているが、この本でも上記のことがしっかりと記述されていることを思い出した。もう忘れまい。
                  ◇
 CNNをネットで読んでいて、米西海岸のカリフォルニア州で高齢のアジア系アメリカ人に対する暴行・強盗事件が相次いでいるという。主に中国系の人々がターゲットになっているようだが、タイ出身の高齢者が若者に襲われ死亡する事件も起きている。コロナ禍の閉塞感が背景にあるのは間違いないと見られているが、コロナによる災いをアメリカにもたらしたのは中国だというトランプ前大統領の主張にあおられ、アジア系の市民が餌食になっている可能性が大。日系の高齢者が襲われる危険性も大ありだろう。
 トランプ氏がアメリカに残した負の遺産がこれからも米国の社会を蝕んでいくことが危惧される。せめて米議会上院で始まった弾劾裁判でトランプ氏の犯罪行為を明確に認定し、暴力肯定の風潮にくさびを打ち込んで欲しいと願うのだが、果たして・・・。

日向ぼっこ

20210208-1612746179.jpg 東北・北海道に住んでいる同胞には甘っちょろいと笑われるかもしれないが、九州に住む我々にもやはり冬の寒さはこたえる。それで緩い隔日の日課としているスロージョギングもさぼりがちの日々を過ごしている。お腹周りが一段と苦しくなっている。昨年来の年一回の市の定期検診のお知らせも無視し、今秋にすればいいやと思っている体たらくだ。
 まあそれでも天候にさえ恵まれれば、何とか香椎浜まで歩き、マスクをしたまま、ジョギング路をゆっくり走るか歩く運動を課してはいる。ジョギング路をゆっくり2周走るか歩くかすると、距離にして約6キロ、歩数にして8000歩程度だろうか。帰途、コンビニに立ち寄り、一息つくことが多い。冬場はフライドポテトにホットコーヒーで314円。
 土曜日はお昼前に歩いたので弁当にコーヒー(計500円)を買ってしまった。あいにく店内の椅子が埋まっていたので、店外で箸を使った。幸いこの日はぽかぽか陽気で日向ぼっこの気分だった。食べ終わる頃、雀が数羽近くに舞っていた。ふと、ご飯粒を落としたらついばむかなと思い、足下に数粒落とした。ご飯粒が視界に入ったのか、匂いを感じたのか、何度か近づこうとしていたが、ついばむまでには至らなかった。コーヒーを飲みながら、見ていると、我慢ができなくなったのか、2羽がスッスッと近づき、さっとご飯粒をついばんで去って行った。人類の営みも宇宙から見たら、似たようなものかもしれない!
                  ◇
 英語の文章を読んでいて、あ、こういう文章がさりげなく書ければいいなあ!と思うことがある。例えば、何度か紹介したキリスト教の訓育本・ガイドポスト2021の中で次のような文章が出てきた。The phone rang too early to be good news. すっと頭に浮かぶのは「電話が鳴った。朗報であるには早過ぎる時間帯だった」というような訳文だ。「不吉な知らせではないかと思わざるを得ないような早朝の時間帯に電話が鳴った」とも訳せようか。いずれにしても、too ~ to ~ の構文をこういう文章に仕立て上げるのは我々英語のノンネイティブスピーカーには容易ではない。
                  ◇
20210208-1612746237.jpg トランプ氏の顔を目にする機会が激減したのは嬉しいが、その代わりに、女トランプとでも呼びたくなるような人物が最近、米メディアで露出度を急増させている。マージョリー・テイラー・グリーン共和党下院議員(46)。極右陰謀論「Qアノン」の信奉者として知られ、トランプ前大統領の熱烈な支持者でもある。2001年の米同時多発テロや米国の学校で相次いだ銃乱射事件を実際には起きていないと主張したり、民主党有力議員の処刑を訴えるなど、物議を醸し続けている。
 そうした過去の信じ難い妄言が祟り、民主党の非難を浴び、初当選の下院の教育労働委員会から除籍される事態に陥ったが、当の本人は「束縛から解放されせいせいしている」と語るなど反省の色はかけらもない。共和党が今なおトランプ氏の党であり、他の誰の党でもないと言い放ってもいる。“The party is his. It doesn’t belong to anybody else.”
 絶対的権力の座を追われたトランプ氏の威光はこれから徐々にそがれていくのだろうが、それにしても共和党重鎮たちの体たらくは目を覆いたくなるばかりだ。

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