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英語でさるく 那須省一のブログ

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エモいって何?

 新聞を毎朝購読している価値の一つは思わぬ話題に接することができることだろうか。日々刻刻変わる国内外の大きなニュースはスマホやパソコンでもリアルタイムで読むことができる。だが、緊急性がなく、かといって、社会や世相の変容を伺い知ることのできる話題などはネットではなかなか拾い上げることはできない。少なくとも私にはそうだ。
 だから、そうした話題を読むことができたときには、新聞を購読していて良かったと思うことになる。つい最近そういう思いをした。
 読売新聞。一面で「国語力が危ない」という企画シリーズが掲載されていた。初回の項では「エモい」という語彙が紹介されていた。目(耳)にしたことがあるような、ないような。三省堂の国語辞書「大辞林」に昨秋、初めて収録された語彙で、主に若者言葉が使っており、「心に響く、感動的である」という意味とか。感情という意味の英語の emotion が語源とされる。「絶景を目の当たりにした時、昔の自分の写真を見た時————。エモいは感動や懐かしさ、切なさなど様々な感情を一言で表すことができる」と述べられている。
 記事ではこのような使い勝手の良い感情表現を多用する若者の昨今の傾向を危ぶむ識者の意見も紹介されていた。最近の子供たちはそれでなくとも「やばっ」という語彙を多くの場面で連発する。彼らが小さい頃から細やかなニュアンスを無視した単語ばかりを使っていると、語彙が不足し、コミュニケーション能力が低下、最終的には思考回路が単純になるのではないかという指摘もなされていた。なるほど。若者言葉を斬新などともてはやしていると、本当にやばいことになるのかも。
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 ローカル放送局のラジオを聞いていて、少し驚いた。話題は確か、2020東京オリンピックが来年に延期となったことだった。安倍首相が国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らと協議の末に延期で決着したことを男性2人、女性1人のパーソナリティー3人が語っていた。その時、ネゴシエーションという語を一人が口にした。アシスタントらしき女性がネゴシエーションってどういう意味の語ですか、と尋ねた。意味を教えられた彼女は「これって日本語ですよね?」と重ねて尋ねた。私はスタジオの場が少しフリーズしたような気がした・・。私の脳内は一瞬、フリーズした。
 まあ、ネゴとかネゴシエーションという語彙は普通にメディアなどで使われている外来語かと思う。しかし、日本語と呼ぶにはまだ時期尚早ではないか。日本語がそのうちにエモいとかネゴシエーションなどといった語彙で席巻されるようになったら、昭和(平成)は遠くなりにけりと嘆ずることになるのだろう。
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 小倉のよみうりFBSセンターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉の英語教室は毎月第1、2、3火曜日の午後3時半から5時まで。天神のカフェでの英語教室は毎月第2、4日曜日の正午から午後1時半まで。小倉の教室はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。天神の教室はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。途中からの参加でも問題ありません。歓迎します。 

アズスナアズポサブル

 毎日気が滅入るコロナウイルスのニュースばかり。私はこっちには絶対来るなとの思いから「クルナウイルス」と呼んでいる。という冗談はともかく、ブログをアップする気にもなれない。このブログを書き始めて7年の歳月が流れたが、こういうやる気のない気持ちにさせられたのは初めてかもしれない。年とともに記憶が段々と薄れてはいるが。
 去年の今頃は一か月という短期間とはいえ、台湾に語学留学するのを控え、あれこれ思案していたかと思う。本当に受講が許されるのだろうか、宿はどうしよう、安い宿を見つけることができるだろうか、といった不安も抱えていた。そして元号が平成から令和へと変わったのを見届けて、キャリーバッグに着替えを詰め込み、台北に発った。着いてみれば、案ずるより産むが易しで、楽しい一か月の台北滞在を過ごすことができた。
 それを考えると今の心境とは大違いだ。おそらくコロナウイルスがなければ、この時期に台北か上海辺りに一週間程度の短い旅に出ることを考えていたかもしれない。まあ、去年台北に行っておいて良かったと思えば、そういう見方も可能かもしれないが。
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 去年の秋から開講されていたNHKの中国語・韓国語講座も今週で半年の学習を終了した。初級の講座は中国語・韓国語ともに再放送だったので、私は少なくとも2回目の聴講だった。前半はさすがに楽についていけたが、後半は結構手こずることがあった。中級の講座は依然、難解だった。
 そして来週からまた新しい講座が開講する。次回は再放送ではなく、新作の講座のようだ。もうそろそろ初級はほどほどにして中級をじっくり聞いて学習する段階ではないかいなとは思うが、人間、ついつい楽な方に流れるようで・・・。
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 新型コロナウイルスに関して、河野防衛相がカタカナ語を多用しないようにと政府に申し入れたとする苦言が新聞に載っていた。防衛相が問題視しているのは「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」など。毎日NHKテレビを見ていれば、それぞれ「感染集団」「爆発的な患者急増」「都市封鎖」を意味するということは理解できるが、確かに防衛相の言は傾聴に値する。多少とも英語を学んでいれば、英語のcluster は(ブドウなど果実の)房、かたまりを意味するから、まあ、類推できる。overshoot は辞書には(停止位置などを)通り過ぎる、(限度などを)超過すると載っているが、患者の急増はかなりの飛躍か。lockdown は独房への監禁という原意で、都市封鎖はまあ類推できないことはないが。
 新聞記事には茂木外相が記者会見などで「アズ・スーン・アズ・ポッシブル」(できるだけ早く)「アグリー」(合意)などの英語表現を連発しており、防衛相の主張に耳を傾けよと指摘した野党議員の苦言も紹介されていた。
 私も多少なりとも英語で「飯を食ってきた」端くれとして、普段使う言葉にあまり横文字が飛び出さないように気を遣ってはいる。市民権を得たような便利な表現は別としてだ。上記の「アズ・スーン・・」や「アグリー」は少なくともまだそういう段階にはないように思う。ポッシブルが定着すると英語の実際の発音を誤解する可能性が possible だろう。

more than two =3人以上

20200325-1585095077.jpg 月曜朝のこと。寝起きにスマホで新型コロナウイルスの最新のニュースを確認しようとしていて、BBCのトップ記事に目が引きつけられた。ドイツ政府がドイツ国内でも深刻化の一途にあるコロナウイルスを抑え込む対策として、“groups of more than two” の集まりを禁止すると表明した。私はこの “more than two” という表現に戸惑った。おそらく即座に脳内で「2人以上の集まり」と翻訳理解していたのだろう。「2人以上」がだめなら、要するに一人で行動せよということか? まさか?
 実は私は新聞記者を稼業としていた昔から、日本語の「以上」「以下」「未満」「~年ぶり」などといった表現に居心地の悪さを覚えていた。迷うと会社の「スタイルブック」をくくり、正しい用法を確認した。今、そのスタイルブックを改めて読むと、例えば100個以上(以下)は100個を含む、100個未満は100個を含まないと記してある。英語の “more than” は日本語の「以上」に似てはいるが、ぴったり重なるものではない。“more than two” とあれば、2は含まれない。だから、上記の記事の見出しを日本語に訳す場合、「2人以上の集まりを禁止」ではなくて「3人以上の集まりを禁止」としなければならない。こういう基本的な事柄もうっかりすると勘違いしてしまう。私はこうした表現が苦手だ。
 誤解を招きたくなければ、例えば、“Germany bans groups of three or more to curb virus” とすれば、夫婦やカップルなどの2人連れは禁止措置から除外されることが明確になる。
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 英米のメディアではコロナウイルス対策として、“social distancing” という表現を目にしない日はない。「人混みを避けるなど、人との接触機会を減らすこと」を意味するが、今回のウイルスだけでなく、現代社会では感染症から身を守るキーワードの一つとなるのだろう。誰か定訳を作った方がいいかと思う。「ソーシャル・ディスタンシング」では長過ぎるし、子供や中高年には伝わりにくい。「人間(じんかん)距離を保て」「人混みに近づくな」などといった表現が頭に浮かぶが、もっといい表現があるはずだ。「プライバシー」を念頭に「スペイバシー」は無理があるか?
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 コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている折、あまり悠長なことは書きたくはないのだが、少なくとも私の周辺では緊迫していないのだから致し方ない。最近再び時々手にし始めた『漢詩鑑賞事典』のことを書きたい。陶潜(淵明)(365-427)。東晋の人で晩年は田園に遊び、酒を愛し、隠者的な暮らしを楽しんだ御仁のようだ。彼の詩を読むとぜひ昵懇になりたかったお人だと思ってしまう。「飲酒」と題された詩もある。「雑詩」と題された五言古詩は以下の最後の二句が特に有名か。及时當勉勵 歳月不待人(時に及んでまさに勉励すべし 歳月は人を待たず)
 『漢詩鑑賞事典』では「よい時を得たら逃すことなく精いっぱい楽しむのだ 年月はどんどん流れていって、人を待ってはくれないのだから」という訳が載っている。このくだりは「若いときに勉強しなさい」と誤解されがちだが、「チャンスを逃さず遊べ」と勧めているのだとか。日本ではまだ古墳時代の頃に海の向こうで暮らした詩人の言葉・・・。

今夏の開催、風前の灯

 無観客の大相撲春場所が終了した。横綱を引退した荒磯親方(元横綱稀勢の里)がNHKテレビの解説者として出演していた日もあり、親方の解説にしばし耳を傾けた。風貌からは思い浮かばない若々しい美声で理路整然と相撲の醍醐味などを語っていた。
 私はそれを聞きながら、それほど理路整然と解説できるなら、まだ現役で十分やれていたのではないかいなと思った。私は稀勢の里の熱烈なファンではなかったが、白鳳や鶴竜らのモンゴル勢に伍してやっていける日本人力士は彼が筆頭だっただろう。だから当然、声援を送った。取り組み中に負傷し、それがたたり、成績不振で志半ばでの引退を余儀なくされたことに驚きもしたし、落胆もした。前例はないだろうが、平幕にまで番付を落とすのは覚悟の上で負傷を癒すことに専念し、やがて土俵に復帰して欲しいとも願った。
 それだけに今、NHKの大相撲中継で立て板に水の解説を聞いていると、何だかなあと思わざるを得ない。味のある解説はまだしばらくは元横綱北の富士氏に任せておけばいい! と言っても今更どうすることもできないことだが。
 と思っていたら、このところ、スマホのラインニュースで「北の富士コラム」というものが送信されてくる。どうもスポーツ新聞に書いているコラムを転載しているようだ。私はNHKで彼の解説をいつも楽しく拝聴しており、他の元力士の方々の解説とは比べるべくもないと評価している。最近の北の富士氏のコラムには次のように書いてあった。「荒磯親方(元横綱稀勢の里)の解説の見事さに舌を巻いている次第です。このままでは、私の首もあぶなくなる」。いや、あなたの首はまだ当分は大丈夫ですよ!
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 新型コロナウイルス。世界中を大混乱に陥れている。何とか手を打てないものか。東京五輪・パラリンピックは各国のスポーツ団体・組織から開催中止・延期を求める声が相次いでおり、今夏の開催は風前の灯の感がある。
 イタリアやアメリカなど多くの国々で事態は深刻化の一途であり、確かにオリンピックどころではないのはよく理解できる。国際社会が一体となってこのウイルスを退治していくべきことは誰にだって分かる。政治指導者の姿勢はことさら重要であることも。
 その意味でトランプ米大統領がコロナウイルスに関して行われた共同記者会見の場でNBCテレビの記者に対し激高して放った暴言は目に余るものがあった。この人の頭脳はどういう風になっているのだろうか? 会見でのやり取りを以下に抜粋する。
 記者 “What do you say to Americans who are scared?” (恐怖におののいている国民に対しどういう言葉をかけますか?)
 大統領 “I say that you are a terrible reporter. That’s what I say. You’re doing sensationalism. And the same with NBC and Comcast. I don’t call it Comcast. I call it ‘Con-Cast.’” (私が言いたいのはあなたが酷い記者だということだ。それが私の言いたいことだ。あなたがしているのは煽情的な報道だ。NBCもそうだし、親会社のComcastもそうだ。私はだから、Con-cast [詐欺cast] と呼んでいる)
 一国の政治指導者が国難に際して国民に語りかける言葉とは思えない! いやはや!

“social distancing”

20200318-1584491376.jpg 世界中でコロナウイルス対策の一環として、“social distancing”(人混みを避けるなど、人との接触機会を減らすこと)の大切さが叫ばれ始めている。フランスではマクロン政権が今後15日間、仏国民に対し不要不急の外出制限を求める措置を表明した。いやはや、気が滅入るばかりだ。
 私はよく近くの香椎浜のジョギング路を走るか散歩しているが、この数日は汗ばむほどの陽気だ。この陽気で日本ではコロナウイルスも退散するのではないかと思いたくなるほどだが、そうは問屋が卸してくれないのだろう。
 ネットで海外のニュースを拾い読みしていると、時にほくそ笑むような記事に出くわす。コロナウイルスにまつわるものでもそうだ。いや時には笑っていないとやっていられない。最近では次の語彙がそうだ。アメリカの風刺番組The Daily Show をチェックしていてpandumbic という造語に出くわした。すぐに想像はついた。明らかに pandemic と dumb をくっつけた混成語だ。アリス嬢が活躍するおとぎ話で知られる英作家ルイス・キャロルが「かばん語」(portmanteau word)と名付けたことで知られる混成語。番組の司会者はトランプ大統領のことを “the man in charge is the dumbest person alive” とこき下ろしていた。以前に紹介したトランプ大統領に批判的な記事では大統領のことを“the conman-in-chief” と呼んでいた。これも米大統領の別称である “Commander-in-chief” を揶揄った呼称であることは明らか。「最高詐欺師」とでも訳すべきなのだろうか。
 大統領もさすがに事態の深刻さをようやく理解したのか、16日の記者会見では全米で今後15日間、10人以上が集まる会合などを自粛するよう求めた。感染拡大の収束時期について問われると、7月か8月、場合によってはさらにずれ込む可能性も示唆した。あれ、この人、つい最近まで「暖かくなればウイルスは消滅する」と宣っていたのではないかいな。
                  ◇
 最近新しくしたものが二つ。まずはスマホ。充電がすぐになくなるようになったからだ。ガラケー携帯の時は内臓のバッテリーを交換したら改善した。新しいバッテリーに交換しようとAUショップをのぞいたら、容量の大きいスマホに買い替えた方がお得と言われた。説明に耳を傾けると、どうもそのようだ。4年月賦にして買い替えた。とそこまでは良かったが、やはり使い勝手がよく分からない。困った時はやはりこういう機器に詳しい人に尋ねるのが一番。パソコンでもお世話になっている旧知のS君にSOSを発し、相談に乗ってもらった。その甲斐あり、だいたいの機能はこれまで通り使いこなせるようになった。
 続いてジョギングシューズ。2年近く履いているか。靴底がだいぶ擦れてしまい、走る時に地面からの反発力が少なくなったような気がしていた。スロージョギングだからどうということもないのだが、それでもやはり物足りない。ABCマートに全く同じシューズがまだあった。4,389円。新しいシューズだと重い身体が少しだけ軽くなったような気が。
 このパソコンもだいぶ年をとった。ブログで確認すると購入したのは2013年3月。そろそろ買い替えても良さそうだが、アナログ人間だけにこちらはさすがに使い慣れたものを気軽に手放す気にはなかなかなれない。

コロナ非常事態宣言

 コロナウイルスのことはこのブログではもう取り上げたくないのだが、致し方ない。感染拡大の中心地は今はヨーロッパのイタリアやスペイン、フランスとなり、それらの国々では外出禁止、学校の休校措置など厳しい対策が実施されている。多くの地で都市機能が麻痺しているのではないか。おそらく現代に住む我々には経験のない事態になっているのだろう。日本もそこまでは悪化して欲しくはないが、国境を容易にまたぐウイルスのことだ。油断はできない。
 アメリカではトランプ米大統領がコロナウイルスの感染拡大に対処するため国家非常事態を宣言した。ホワイトハウスのローズガーデンでペンス副大統領や民間の医療関係者を従えての宣言だった。それはいいのだが、トランプ大統領の態度からは世界が今直面している難局に対する危機感は露ほども感じられなかった。この人の頭の中を理解するのは至難の業のように思えてならない。
 トランプ大統領は非常事態宣言に際して、いつものトランプ節を披露していた。政府のコロナウイルスに対する取り組みの遅さの責任を問われると、“No, I don’t take responsibility at all.” と一蹴。また “We were given a set of circumstances and we were given rules, regulations and specifications from a different time.” とも述べ、初動の遅さがすべてオバマ前政権の失政によるものと示唆していた。オバマ氏ならずともトランプ氏のこの厚顔無恥(shameless)ぶりには口あんぐりだろう。
 この数日前にホワイトハウスの執務室から国民に向けたテレビ演説で、英国を除く欧州からの入国を禁止する措置を表明した際の表情とはだいぶ様子が異なっていた。執務室から国民に向けたテレビ演説では机に座り、カメラに向かって語りかけていたが、普段の大統領とは思えないほど精彩に欠け、表情も虚ろに思えた。風刺の効いたパロディ番組ではテレビ演説前後の大統領の表情を流していたが、自信なさそうに机の上を整理する所作や演説を終えた直後の安堵のため息など、米大統領の威厳からは程遠かった。
 どちらが本当のトランプ大統領なのだろうかと私は考えてしまった。いずれにせよ、事実を無視し、自己を称賛することは常に忘れず、唯我独尊的傾向をさらに強める大統領はできるだけ早く政治の表舞台から退場してもらいたいと願わざるを得ない。
                  ◇
 欧米のスポーツ界も甚大な影響を受けている。米大リーグはシーズン開幕が延期され、その他のスポーツも相次いで中断が発表された。私の好きなゴルフも同様だ。第5のメジャー大会と呼ばれるほどのランク付けをされているザ・プレーヤーズ選手権。松山英樹選手は初日はアイアンの切れあるプレーを見せ、9アンダーのコースレコードタイを記録し、2位に2打差をつけてトップに立った。久しぶりに彼が優勝を飾る可能性が出て来たと楽しみにしていた。だから2日目の土曜日は午前2時に起きて生中継を見る覚悟をしていた。それだけに、金曜日夕刊を開いて、2日目以降の大会中止のニュースを目にして落胆した。
 松山選手本人にとっては残念極まりないことだろう。初日が終わっただけであり、プレーが続行されていればどのような結果になったかは神のみぞ知るだが、それにしても・・・。

「パラサイト」

 ネットのニュースサイトはどこもかしこもコロナウイルスを報じている。世界は本当に世紀末の様相を呈しつつあるのか。このウイルスの致死率はそれほどでもないのに・・。人類をかつて恐怖に陥れたこの種の感染症としてよく引き合いに出される約百年前のスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)では世界中で数千万が死亡したとか。ひょっとしたら、それに匹敵する規模のパンデミック(世界的大流行の感染症)となるのだろうか。そうだとしたなら、我々はまだ未曽有の疫病のとば口に立っているに過ぎないことになる。
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 アカデミー賞を受賞して世界的に名を馳せた韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観に天神の映画館に足を運んだ。今年は韓国人の友人と再会するつもりであり、その際、この映画が話題になることがあるやもしれない。
 韓国語を独学している身には言葉の勉強になったことは言うまでもないが、正直、作品自体にはあまり感動は覚えなかった。韓国映画に対して以前から感じているが、殺人行為や流血シーンを日本のように「隠す」ことがないのは理解できる。この映画はそれほど生々しくは撮っていなかったものの、私にはそうしたシーンにあまり必然性はないように感じた。
 「パラサイト」が告発していたのは、韓国の癒しがたい格差社会の現実だろう。貧富の格差は日本を含め世界中の国々が抱えている問題だが、なぜか韓国は日本から見ても信じられないほどの乖離があるようだ。それを如実に描いてはいた。救いのないエンディングも含め、また観たいと思う気にはならなかった。映画の中で印象に残ったのは登場人物の誰の発言だったか忘れたが、韓国で今、警備員の募集をすれば、大卒者が500人も殺到するという言葉だった。凄まじいほどの就職難ということだ。
 話題の映画だけに混むかと思ったが、そうでもなかった。コロナウイルスで学校が休校措置になっているからか、中高生の女の子の姿が多かったように感じた。彼女たちは「パラサイト」のメッセージを理解できただろうか、と上映終了後にトイレに立ちながら思った。韓国を覆う高学歴社会、貧富の格差、若者の就職難などの背景を理解しておくことが大前提となる。エンターテインメントだけを求めて観に来たのならがっかりしたことだろう、きっと。
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 映画館は閉鎖された空間。そこに2時間以上もじっとしているわけだから、さすがに鈍感な私もコロナウイルスのことを少し意識した。妹が来福した際にマスクを幾つか置いてくれていた。その一つをバッグに入れて映画館へ。上映室に入る前にそのマスクをした。マスクをするのは人生で初めてのこと。鼻も覆う必要ありとネットで読んだので、鼻まで覆ったが、メガネが曇って勝手が悪い。慣れないから息もしづらい。周囲を見ると、マスクをかけていない人もいたが、そのままマスクをして映画を観た。
 押し入れには新聞社勤務時代に会社の保険組合から送られてきたマスクが箱の中に100枚ほど未開封の袋に入っている。少なくとも10年以上前のものだが、まだ使えるだろうか。開封する必要に迫られることなく、コロナウイルスが奇跡的に終息(中国語では结束)してくれることを切に祈る。

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