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英語でさるく 那須省一のブログ

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ネットなかりせば!

20240117-1705445207.jpg しばらく仕事から遠ざかっていると、すぐには仕事モードには切り替えられない。現役の身ではないのだからそれは致し方ないことか。20代の頃、君は70になっても働いているよと神様に言われたら、え?と思っていたことだろう。幸か不幸かそれが現実のものとなってしまった。実際にはこの年になっても職場があるということに感謝すべきことだろう。
 公立中学校での英語の非常勤講師職の他にもう一つ仕事を抱えている。オンラインの英語教室。もっとも果してこれも仕事と呼べるレベルのものか甚だ疑わしい。わずか数人の受講生だからだ。だが、自分ではこれにもやりがいを感じている。もっと手を広げてやりたいとも考えているが、どうも思うようにはいかない。まあこれも神様の思し召しだろうと考えている。
 そのオンラインの英語教室も年末からずっと休講で中だるみ状態。さてそろそろ1月教室の準備をしようと、受講生と一緒に読み進めている短篇小説の語彙集を作成し、受講生に和訳に挑戦してもらう課題文を選んだ。受講生の訳文が届くのを待ち、自分自身の訳文を推敲する作業が待っているが、訳文をあれこれ考える時間が楽しい。プロの作家が書いた短編小説を実際に翻訳して世に問うとなると大変な苦労を伴うことになるが、私の英語教室はあくまで英語理解、翻訳の鍛錬の場であり、気軽に英語の力、日本語の力をつけようという狙いだ。
 正月休みを経て、今月下旬に読む箇所を改めてチェックしながら、語彙集を作り、課題文を選定し、自分でも訳出してみる。久しぶりの作業で楽しかった。このブログで過去に何度も書いたかと思うが、語彙集を作るだけでも以前なら大変な作業だったことだろう。手元に辞書辞典の類が必要だ。それがないなら、図書館に行き、調べるしか手はない。実際、過去に翻訳本を出した時には何度も遠くの図書館に足を運んだ。昨年来読んでいるのは日系英国人作家、カズオ・イシグロの短編小説集で欧米のジャズ歌手や作曲家らの名前が頻繁に出てくる。そうした世界に疎い私は難儀させられているが、ネットで調べると苦労せずに必要な情報はかき集められる。とても助かっている。
 一般的な用語、知識もそうだ。例えば、今読んでいる “Malvern Hills”の舞台となっているMalven(モルバーン)という町。ロンドン北西部のWorcestershire(ウースター州)にある景勝地で、この町のことはネットで検索をかければあらまし分かる。ネットなかりせば大変な辛苦の末に獲得できる情報だろう。生成AI(人工知能)の功罪が議論されているが、私のような自由業の者にはとても有り難い。
 ネットではモルバーン周辺の丘陵地帯の写真やビデオも鑑賞できる。そうした写真やビデオを眺めていると、遠くイングランドの風光明媚な地を散策しているような感覚も味わえる。私はウースター州の丘陵地帯にまで足を運んだことはないが、イングランド北部のヨークシャー地方はエミリー・ブロンテの名作『嵐が丘』の取材で歩き回ったことがある。夏の好天にも恵まれ、ロンドンの喧噪から隔絶された心地よい数日間を過ごすことができた。地元の人々もとても親切だった。ヨークシャープディングも美味だったような記憶がぼんやりと残っている。いつかまた再訪したい地の一つであることは間違いない。

消えた、いや消した写真

 約一週間のソウル行きを終え、昨日無事福岡に戻った。年齢的かつ体力的な衰えを感じているとは言わないが、アパート(韓国ではマンションは英語の原意に「忠実に」にアパートと表現)に戻ると疲労感が押し寄せる。今回は精神的に落ち込む失態を招いてもいた。なんとスマホで撮影していた写真が消えてしまったのだ。ソウルの旅だけでなく、これまで過去4年以上撮影していた写真がごっそり消滅した。
 前回の項に写真が一枚もアップされていないのはそういう事情による。残念でならない。韓国人友人のジンさんに案内してもらった九里の朝鮮王朝の歴代の王様の墓である「東九陵」(トングルン)の王陵群では写真を何枚も撮ってもらっていた。朝鮮王朝の開祖である太祖(テジョ)が眠るお墓の前で撮ってもらった写真は自分でも気に入っていた。朝鮮王朝の歴史の一端に触れ、身の引き締まる思いがしていたからでもあろう。ブログにも書いた通り、厳冬にもかかわらず、空から降り注ぐ暖かい日光を全身に感じ、今生きていることへの感謝の念も湧き上がっていたことも一因かもしれない。
 私は普段自撮りすることはない。自分の容姿がもちろん、photogenic(写真写りのよい)でないことを百も承知しているからだが、東九陵の写真はなぜか気に入った。ブログにぜひアップしたいと思っていた。ホテルに戻ったら、早速スマホからパソコンに取り込もう。
 そういう思惑でソウル滞在終盤の土曜日夜、ホテルでいつものようにスマホとパソコンに向かった。スマホの写真が並ぶスクリーンによく分からないが、「空き容量が少なくなっており、問題が生じている」といった趣旨の警告が再三出ている。何のことやらよく分からないが、とにかく空き容量を作らなくては。それでスマホと格闘しているうちに、一切の写真が消えてしまった。ネットで調べると、消えた写真を復活できる策もあるとのことで、とにかく福岡に戻り、スマホのショップに駆け込んで助けを求めようと思った。
 そして本日(火曜日)。ソウルに行く直前に足を運んでいたスマホのショップに立ち寄り、スマホを出して相談した。「ああ、何とかなるかもしれません」と応対してくれた店員さんがゴミ箱から救い出してくれた。「良かった!」。私は自分で格闘していた時にこのゴミ箱に行き着くこともできていなかったのだ。
 消えていた写真が復活したこともあり、ソウル行きの前に決めていたスマホの機種乗り換えの手続きを進めた。今手元には新しいスマホがある。使い勝手はさすがに良さそうだ。それはいいのだが、改めて写真をチェックしてみる。おおマイガ! ナンタルチア、サンタルチア! 勘違いしていた。東九陵で撮影した写真、それから日曜日にペさんが案内してくれたソウルの伝統的な住宅街や土俗村(トソッチョン)参鶏湯のレストランの写真などは消えたまま。昔の写真は復活したのだが、一番欲しい直近の写真はどこを探しても出てこない!ぬか喜びした分、ショックも大きい。嗚呼、もう何もする気が起きない。
 髪の毛は正月をはさんだため、いつもの床屋さんに行けず、ちょっと伸びている。本日床屋さんで切ってもらうつもりでいたが、足が重い。アナログ人間だとこういう事態に見舞われるということか。ソウルに行く前に機種変更しておけばまた違った展開になっていたのかなあ!後悔先に立たず(后悔不及)だが。

九里の東九陵

 私が泊まっていたホテルはユースホステルのような宿で4日間だけの予約だったので、昨日(土曜日)予定通りチェックアウトした。幸い近くに少しだけハイレベルのホテルを見つけ、簡単に移動することができた。週末をはさむのでレートは跳ね上がるが、致し方ない。いずれにしろ、残りあと2日間だけの宿だ。
 午後遅くにチェックインして部屋に入った。驚いた。平日のレートはそう大きくは変わらないが、快適さが全然違う。部屋が広く、作業机もある。トイレ兼シャワー室は清潔で使い勝手も申し分ない。ウォシュレットも備えてある。後で気がついたが、部屋全体がオンドルになっており、暑くさえ感じた。前のホテルにはなかった電話も付いている。しまった。こんなホテルがすぐ近くにあったのなら、始めからここに予約を入れておけば良かった!
 とこれは午後遅くにチェックインして感じたこと。この日はその前に友人、ジンさんの案内で彼の地元・九里にある朝鮮王朝の歴代王が眠るお墓である「朝鮮王陵」(チョソンワンヌン)を歩いた。「朝鮮王陵」はユネスコ世界文化遺産に登録されている。九里の王陵はその中でも「東九陵」(トングルン)と呼ばれ、その名が示すように王朝の開祖である太祖(テジョ)を始め九つの墓が集中した最大の王陵群だという。
 王陵は儒教と風水に基づいて作られたと言われる。ソウルは福岡と比較しても寒さが厳しい。今回のソウル訪問中、雨はあまり降らなかったが、どんよりした曇り空が多かった。だが、東九陵を歩いている間は暖かい日光が差し込み、幸福な気分にさせられた。王陵がここに作られた理由の一端が理解できたような気がした。王様が歩いた参道の石段を歩く時は厳粛な気分にさせられた。それと同時に身と心が引き締まる思いにもなった。
 朝鮮王朝は1392年から1910年まで27代519年続いた朝鮮最後の王朝。日本が朝鮮を併合し、朝鮮王朝が滅びた1910年という年号を目にするといつも複雑な気持ちになるのは私だけではないだろう。
 移動したホテルで目覚めると日曜日。ベッドで寝転んでこの項を打っている。テレビを付けると、韓国版ののど自慢を(おそらく)生放送している。NHKテレビ日曜ののど自慢は今ではほとんどまともに見たことはないが、ここののど自慢は別の話。よくまあ、こんなに公衆の面前で思い切った歌や踊りを披露できるものだと思う。日本人と韓国人の国民性の違いを感じる。どちらがいいと言うつもりなどは毛頭ない。
 こちらののど自慢。観衆も存分に楽しんでいることが画面から伝わってくる。番組を象徴する有名人だと勝手に思っている高齢の男性司会者も依然ご健在のようだ。いつまでも見ていたいが、この日はかつて中東で一緒に取材したことのあるもう一人の友人、ぺさんとお昼を食べる約束を取り付けていた。そろそろホテルを出なくては。
 ペさんとのランチの後は買い物に出かけたい。私は明日には帰福しなければならない。この一週間、下着以外は着た切り雀。ズボンとシャツぐらいはソウルの思い出とともに買いたい。今よく着ていて、今回の旅でも着ているコートはずっと昔のソウルの旅で購入して重宝している。同じように長く着用できる衣服が欲しいと願っている。
 ペさんにどこに行けば適当なものが買えるか尋ねてみよう。

二日酔い

20240105-1704463471.jpg スマホの問題は未解決のままソウルをあとにすることになりそうだが、韓国人友人へのEメールがつながらない問題は解決した。なんと彼が間違って私からのメールをスパムメールに「指定」していたのだ。再三メールを送っても返信がないはずだ。真相が分かって二人で大笑いした。
 今回のソウル訪問の主目的は彼にクリスマスプレゼントを届けることだった。中身はまあ和菓子や酒のつまみ程度でたいしたプレゼントではないが、彼は喜んでくれた。その夜は郊外にある彼のマンションに招かれ、初対面となる奥方の手料理に舌鼓を打った。マッコリの瓶をからにした後、41度の強めの焼酎をお互いにあおった。コロナ禍を経て4年ぶりの再会だからまずかろうはずがない。
 深夜に彼のマンションを辞し、電車を乗り継いでソウル中心部のホテルに戻った。方向音痴の私にはこれも一仕事。そして金曜日朝、予期していなかった酷い二日酔い。体調を気遣う彼への返信メールに「私はゾンビ状態」と応じた。実際午前中はベッドから抜け出すのもやっとこさだった。これでは限られたソウル滞在の時間がもったいない。分かってはいるが、脳内にもやがかかった状態ではいかんともしがたい。
 とりあえず昼飯を食べなくてはと思い、近くのレストラン街を歩いた。麺類の看板が見え、気づいたらテーブルについていた。ほどなく若い店員さんが餃子のような菜を2個持って来た。あれ?という顔をしていると、彼は私に「私は本当に日本人が大好きなんですよ。これはサービスです」と微笑む。たどたどしいが立派な日本語。私の韓国語よりずっと優秀。普通だったら「渡りに船」と彼にそう思うようになった経緯を尋ねていただろうが、私の脳内は依然もやが漂っており、機会を逸した。あまり書きたくはないが、残念ながら麺類はいまいちの美味さだった。これも二日酔いのなせる業?
20240105-1704463508.jpg 二日酔いの残った胃袋に収めたいのはやはりご飯と焼き魚か。夕方に足を運んだ食堂では中年の男性が二人焼酎を飲んでいた。二人の前には焼き魚。おばちゃんにその焼き魚を指しながら、「あれと同じ物下さい」と伝えた。今宵も飲むのは愚かなことだろうが、手持ち無沙汰なので焼酎を1瓶注文。さすがにあまり飲めなかったが、ご飯に焼き魚で胃袋はだいぶ癒された感じだった。
20240105-1704463549.jpg ホテルへの帰途。公園で幻想的なライトアップの催しが行われていた。つられるように歩いていると、テントが目に入り「あなたの2024年の運勢を占います」とうたっていた。ふらっと中に入ると担当者(占い師?)が私が書き込んだ氏名、生年月日を見ながらいろいろと語りかけてくる。ほぼ韓国語だったので応答に手こずったが、一つ理解できたことは「あなたは文章を書く仕事が向いています」。カムサハムニダ!
 テントの中では催しのボランティアらしき男女の若者が働いていた。若者の一人が「これはソウル市からのプレゼントです」と言いながら、青いマフラーや耳当て、カイロなどが入ったビニール袋を手渡してくれた。さらには焼き芋まで1個。彼らの笑顔に接しているとこちらまで気持ちが温かくなる。私の脳内からいつの間にか、もやが立ち消えてしまっていたようだ。本当?

ゆずラーメン

20240104-1704346837.jpg 前回の項で「投宿したのはなんだか迷路みたいなところにあるホテル。ちゃんとしたホテルだが、私のような方向音痴には大変。南大門市場からの帰途では道に迷い、難儀した」と書いた。昨日も難儀した。近くに目印になる建物がない(と思っていた)。それで昨日の夜、ホテルを出て比較的大きな通りに出てみると、何だか見たことのある歴史的な門構えが見える。近づいて見ると、「敦化門」とある。
 何度かこの前を通ったことは記憶にある。なんだ、ここを目印にすればホテルはすぐそこだ。それに気づかず、毎回、それこそ足を棒にしてホテルを探し回っていた。無知というかアホみたいというか情けない!
 ホテルに関してもう一つ。YouTubeで似たような名前のホテルが出ていたので結構大きなホテルかと思っていたが、着いてみると、ユースホステルのような小さな宿で先述の通り、迷路のようなところに位置している。かなりの土地勘がないと真っ直ぐには着けないホテルであることは間違いない。いい勉強になったと思おう!
 スマホの問題にも悩まされている。SIMカードを購入すれば、ソウルでも日本にいる時のようにスマホが使えると聞き、コンビニでとりあえず、10日間有効のカードを買った。スマホにピンを差し込み、日本のSIMカードを取り出し、韓国のSIMカードを挿入。ここまでは良かったが、交換の仕方をしくじったのか、ネットワークが機能しない。つまり、ソウルで連絡したい人に電話ができないのだ。ショック!
 もう一つ理解に苦しむことがある。前項でも書いた古い韓国人の友人とメール連絡ができない。昨年の夏まではメールを交換できた。年末以来、何度も彼にメールを送っているのだが、返信がない。どうも向こうに届いていないようなのだ。メールアドレスを確認してみたが、問題はないように思える。電話もかけられないので参っている。今回の滞在中に何とか解決したいと願っている。
 お昼過ぎ。ホテル近くの食堂街を歩く。危惧していたソウルの気温はそれほどのことはないが、福岡に比べれば寒いことは寒い。ランチを求めるサラリーマンらしき人々が歩道に広がっている。どの顔も笑顔だ。私はその国というか都市の幸福度(満足度)は街を歩く人々の表情を見ればだいたい分かると考えている。笑顔が少ないと幸福度は低く、治安も心配になってくる。海外からの旅行客はそれなりに注意を払う必要がある。アフリカなどの途上国では特にそうだ。
 本日(木曜日)ホテル近くを歩いていて多くの笑顔を見たような気がする。福岡よりも笑顔が多かったような気がしないでもない。もっともこれはソウルを再訪したばかりの印象だからあまり当てにならないかもしれない。ネットの記事などを読むと、韓国社会、特に若者の間での閉塞感は日本よりずっと深刻という記事を読んだような・・。
20240104-1704346884.jpg ランチは「ゆずラーメン」という日本語表記の看板にひかれて店内に。あまり期待はしていなかったが、あっさりしていてなかなか旨かった。12000ウォン(約1310円)。値段はともかく、若い人たちで繁盛していた。福岡はラーメンを求める韓国人観光客で賑わっているが、こんなラーメンが食べられるなら、福岡にわざわざ足を運ぶ必要はないのでは!

ソウル再訪

20240103-1704237111.jpg
 久しぶりの韓国訪問。2日朝、6時にスマホの目覚ましをセットしたが、起床するのもやっとだった。かてて加えて、前日に北陸・能登半島で連続発生した世紀末を連想させる激震の連続。NHK女性アナの滑舌のいい「テレビを見ていないで急いで逃げてください!引き返したりしないこと!今すぐ逃げこと!」という明快な避難指示が心にぐさっと刺さった。福岡に住む私は当事者ではない。北陸の人々にどう聞こえたか察して余りある。
 私は年末から魚津に住む親しい知人を訪ねることも考えていた。この人から寄る年波で暖かくなってから再訪して欲しいと言われたため、魚津訪問は控えていた。もし再訪していたら、まさにドンピシャで今回の地震に遭遇していた。そうなれば、知人や親戚の方々にきっと余計な心労を与えていたことだろうと胸をなで下ろした。
 とまあ、そんなことはどうでもいいのだが、北陸の大地震でのんびり韓国への旅を楽しんでいいものかと思った。それで1日夜ベッドに入るときは寝坊したらそれはそれでいいかとも考えた。それでも目覚ましで朝6時過ぎに目覚め、急ぎ旅行の準備に取りかかった。というか、冷蔵庫にある残り物を朝食として片付け、お土産をキャリーバッグに詰め、髭を剃った程度のこと。ほぼ一週間の旅だが、着替えは最低限にして、ズボンやシャツの替えはなし。なんとなればソウルで新しく買おうと考えた。とまあ、ちんたらやっていたら、福岡国際空港に到着するのが遅れてしまった。大丈夫かなとも案じたが、すべては神様の思し召し次第。神様が行けと言われるならなんとかなるだろう。
 という次第で今、ソウルの安ホテルにチェックインしてこの項を打っている。4年3か月ぶりのソウル訪問。すっかり忘れていた。前回はラブホテルに投宿したが、今回はネットでホテルを押さえていた。料金はほぼ同じか安いぐらい。チェックイン後、南大門市場までバスで行き、両替商を訪ね、円をウォンに両替。とりあえず、5万円を両替したが、前回は軽く50万ウォンを超えていたと思うが、円安のせいか、今回は45万7500ウォン。両替商のおばちゃんはそれでも最近ちょっとレートが良くなったのですよと宣った。
 前回のソウル訪問は2019年10月。当時の両替レートは1¥=10.13ウォンだった。今回はそれが1¥=9.15ウォン。なんだかとても損をしているように感じるが、まあ、為替レートだからどうすることもできない。
 今回投宿したのはなんだか迷路みたいなところにあるホテル。ちゃんとしたホテルだが、私のような方向音痴には大変。南大門市場からの帰途では道に迷い、難儀した。なんとか帰り着き、夕食を食べるために再び外出。何軒かレストランをのぞいたが、以前にも感じたことだが、ソウルで一人で食するレストランに行き着くのは大変。「一人前はやっていません」と言われたり、それではどれぐらいかかりますかと問えば、日本円で「4500円の鍋」とか。さすがにちょっと高いと思うし、第一、写真を見ると、大食漢の私でもちょっと無理かなと思うほどの量。
 それで何軒かのぞいた後、チゲなべの食堂に辿り着いた。韓国焼酎を飲んでも締めて13000ウォン(約1420円)。お腹いっぱいになったし、満足。さあ、明日は何をしよう。中東取材で知り合った韓国人の旧友と再会し、語り合いたいが、はてさてどうなることやら。

良いお年を!

20231231-1703989799.jpg 2023年が過ぎ、2024年が幕を開けようとしている。新年はどういう年になるのだろう。個人的なことはともかく、世界情勢はやはり気になる。種々の不安要因はあるが、最大のものは引き続きウクライナ情勢か。ロシアの核爆弾使用の懸念は消えていない。一方的に侵略されたウクライナが受け入れることのできる和平案が見つかるのかという疑念はあるが、ウクライナの人々が一日も早く心穏やかに過ごせるようになって欲しいと心から願う。
 中東・イスラエルのパレスチナ自治区ガザの戦闘も和平の兆しが一向に見えないまま年を越す。日本のメディアでは報じられることはあまりないが、アフリカの国々も惨劇と無縁ではなかった。年末に英字紙で読んだナイジェリア関連のニュースではイスラム過激派の武闘組織がキリスト教徒が居住する地区を襲撃し、200人近い村人が惨殺されていた。人命の価値、値段が国によって地域によって違っていいはずがないのに!
 宇宙のどこかから異星人がやって来て、上記の光景を目撃し、我々が地球と呼ぶ惑星に生息する人類は野蛮極まりない愚かな生き物ですなとコメントしたとしたなら、我々には返す言葉などないだろう。「本来は心優しい人々が圧倒的に多いのですが、どうも彼我の微妙な差異に拘り、争いをやめない好戦的な人々もいるのですよ」と苦笑するしかないのか。恥じ入るしかない。
 アメリカは大統領選を迎える。そしてこれも信じ難いことだが、あのトランプ氏が今なお絶大な影響力を誇っているのだとか。2020年の前回大統領選でバイデン現大統領に敗れた時はトランプ氏が表舞台から消え去るものと思ったが、そうではなかった。まさか4年後の次回大統領選でも共和党の最有力候補と目されていようとは想像できなかった。
 年末に届いた米ニューヨーカー誌のスーザン・グラッサー記者のコラムはそのトランプ氏のことを取り上げていた。米政界に精通している彼女は共和党の候補者指名争いでトランプ氏を負かす人物はいないとの見立てだった。さらにおそらくバイデン氏との再戦となる雲行きの大統領選本選でもトランプ氏が勝利する可能性が高いとまで案じている。背景には数々の重大なスキャンダルにもかかわらずトランプ氏の岩盤支持層の結束が固いこと、高齢のバイデン大統領の支持率が依然低迷していることなどがあり、トランプ氏優位のまま2024年を迎えようとしているらしい。
 もちろん、一寸先は闇というのは日本の政界だけではない。グラッサー氏も次のようにその記事を締め括っている。Trump’s victory is by no means assured. … With American democracy on the line, I’m taking the only defensible position toward the New Year: full-scale dread. I plan to pull up the covers and hide under my pillow as long as possible come January. It’s going to be a long twelve months. 布団を頭からかぶっても運命は変えられないし、full-scale dread(紛うことなき恐怖)から逃げられるわけもなく、やがて現実を直視するしか手はないことは誰もが分かっている・・・。
 とにもかくにも私は明後日の2日から久しぶりに韓国・ソウルへに出る! 새해 복 많이 받으세요!(セヘ ポン マニ パドゥセヨ)(新年、福をたくさんもらってください→明けましておめでとうございます)

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