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英語でさるく 那須省一のブログ

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遂に古希!

 コロナに罹患して伏せっている間にもときはいつものように過ぎ行き、ついに私は古希の年齢を迎えてしまった。あっけない。昔中学時代(高校?)に読んだ論語の中に、これっていいな、羨ましいなと思った文章があった。記憶が正しければ、「70歳になると好きなことを気ままにやっても、他人に迷惑をかけることはなくなった」といった趣旨のことだったか。子供心に思ったものだ。これって理想的な境地ではないか!と。自分も早くこのような境地に達したいと!
 今改めてネットで調べると、以下の記述を見つけた。転載を許してもらおう。あの「十有五にして学を志す」で始まる孔子先生の言葉だ。「七十にして己の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」とある。意味するところは「70歳になってからは、心の欲するままに行動しても道徳の規準をはずれるようなことがない」ということのようだ。
 何と言う素晴らしい境地だろう。「矩」とは広辞苑によると「標準として守るべき事柄。おきて。法令」などと説明されている。ついに私も年齢的にはそういう齢に達してしまった。果たして中身は?
                  ◇
 以下に記すことは嫌なことで、できれば黙ったままに留めておきたかったが、このブログは備忘録でもあり、きちんと記しておきたい。長年購読してきた愛読紙のジャパン・ニュースの購読契約を先月末で打ち切った。ジャパン・ニュースはかつて私が勤務していた社でもあり、残念な思いが今も消えない。いろいろ理由はあるのだが、ここでそれを詳述するのははばかられる。いつかまた心境の変化いや人生の歩みの変化があって再び購読することになればいいなと願う。
                  ◇
 体調不良もあって韓国語と中国語の独学もなかなか思うようにいかない日日が続いていた。それでなくとも、自分の力不足を痛感することばかりで「俺って才能ないな」とぼやきたくなることばかり。
 数日前、仕事帰りに、とある神社に足を運んだ。読売新聞夕刊に、神社境内に咲く桜の花にメジロが蜜をついばみにやって来ているという話題が写真付きで紹介されていた。所在地は職場から遠くない。それで有り難い桜の花を拝ませてもらおうと向かったのだが、例によっての早合点で訪ねた神社ではなかった。それでも折角だから新年の幸運を祈り、ついでにおみくじ(200円)を引いた。
 たかだかおみくじのことで一喜一憂する歳でもないことは承知しているが、書いてある文言が今の自分にぴったりだったので嬉しく思い、忘れないようにここに記しておきたい。冒頭にしたためてある言葉は「学 我が道を愚直に進め 不可能に見えることも情熱をもって学び続けなさい」。まさに今の私にぴったりの励ましだ。項目別の「願望」では「一心に願えば叶う」、「学業」では「一つ一つ達成していく 焦らず進め」、「恋愛」では「理想の人と出会う 積極邸に行動しうまくいく」とある。私は「矩」に縛られ続けている「小人」ゆえ、このような些細なことでも心が晴れやかになる!

今度はコロナ!

 2023年の出だしも最悪だったが、2024年も大差ないようだ。煎じ詰めれば、不徳の致すところとなるのだろう。新学期がスタートして間もない先週月曜日朝。ちょっと身体がだるいなあと感じていた。お昼前の授業はそれでも問題なく終えた。校門を出て帰途に就く。路線バスでも来れば、駅まで乗ろうと思ったが、路線バスは見えない。仕方なくてくてくと歩いた。大体20分程度の歩きだからたいした距離ではない。
 普通に歩いているつもりだった。傍目からはそうではなかったようだ。駅にだいぶ近づいた頃、後ろから「あの、那須さん、体調悪いようですね。ちょっとお店で休んで行かれたらどうですか。休むだけでもいいですよ」というような言葉が聞こえてきた。私が週1の頻度で利用しているレストランの人だ。「あ、いえ、駅もうそこですし。大丈夫です。ありがとうございます」と応じたような。要するに私の歩き方がよほど覚束なく見えたのだろう。実際、決して万全ではなかった。
 最寄り駅に着き、内科医に行く。昨年末のインフル時にもお世話になった医院だ。例によって医院の外に設けられた場で診察を受けた。鼻に綿棒みたいなものをぐいっと突っ込まれ、あえいでいると、「コロナですね」と冷徹な診断。アチャー、これでまた一週間仕事を休むことになる。非常勤講師の仕事は時間が限られているだけに辛いが、罹患してしまった以上はどうすることもできない。
 帰宅後、倒れ込むようにベッドへ。熱はそうでもないのだが、コロナに罹患、それも初めて罹患したことが残念で、虚脱感に襲われる。何もする気になれない。処方してもらった内服液はのどの腫れや痛みなどを軽減する漢方薬と38℃の発熱時などに服用するカロナール錠の二種類だけ。少々拍子抜けする薬だ。これで本当に直るの? 素人流に解釈すれば、ウイルスが自然と弱体化するのをじっと待てということか? よく分からないが・・・。
 そして本日は金曜日。頂いた薬が切れる日だ。熱は平熱に戻った(ようだ)。体調は万全とまではいかないが、悪くない。その証拠に今こうやってパソコンに向かって雑文を打てている。今朝は何日かぶりにNHKラジオの韓国語と中国語講座も聴く気になった。もう大丈夫だろうと感じてはいる。それでもいまだに完治した感じではない背中の帯状疱疹、年末にかかったインフル、そして今回のコロナ。あちきはかくも虚弱体質だったのかなと嘆かざるを得ない!いずれの病もこじれることなく、回復の途上にあることを神様に感謝すべきことは百も承知しているが・・。
 かくして1月もあっという間に過ぎ去り、2月の到来。私はほどなく古希を迎える。1月中にやっておきたいことが幾つかあった(ような気がする)が、はて何だったか? 取り急ぎは日曜日に迫っている短編小説を読むオンライン英語教室。課題文の翻訳をまだ済ませていない。受講生からも訳文が届く頃だ。早く済ませなければ。今読んでいるのはカズオ・イシグロの短編小説集だが、これを読み終えたら、以前に読んだ彼の長編小説 “Klara and the Sun” をもう一度読もうかと考えている。今の受講生は読んでいない。私はイシグロ氏の作品はどれも好きだが、“Klara and …”は間違いなく彼の代表作と数えられるだろうと評価している。

Not broke but badly bent!

 ソウルの旅はまだ脳内のどこかに残っているようだ。嗚呼、あの写真が消えてしまったのはもったいないと時に思い出す。もうどうしようもないのだが。(韓国の友人はまた同じ写真を撮るために韓国に来なさいという神様の思し召しだと慰めてくれた)
 韓国にまた行くとしたなら、誰か一緒に旅をする相手が欲しいとつくづく思った。一人では若干厳しい。ランチはいいのだが、夜の食事となると、一人だと気軽に入れる店は限られている。台湾だとそうでもない印象だ。いずれにしろ、お一人様の旅は韓国ではいろいろ「制約」がある。私はこれまでずっと一人旅で取材を重ねてきており、弱音など吐きたくはないのだが、さすがにそう感じざるを得なかった。
 ソウルや釜山といった大都市圏を旅しているからそう感じたのだろうと思わないでもない。日本でもそうだが、のどかな地方に足を伸ばせば、きっと韓国ならではの旅の味わいを楽しめるのではないか。次に韓国を訪れる時はソウルや釜山ではなく、ちょっと遠方のいわゆる田舎を訪ねたいと思う。それには拙い韓国語に磨きをかけなければ。いっそのこと、いつぞや、台北の大学に1か月間、短期語学留学したように、ソウルか釜山に一定期間語学留学する手もあるかなと思い始めてもいる。金はかかるだろうが・・・。
                    ◇
20240127-1706332129.jpg 毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書(devotional)に以下の記述があった。I ain’t broke, though I may be badly bent. どうやらアメリカの古いカントリーソングに上記の一節があるらしい。ネットで調べると、確かにあった。そのカントリーソングのタイトルでもあった。
 この英文の意味はだいたい類推はできた。おそらく「俺は無一文ではないが、がたはあちこちきている」といった程度の自分を卑下した歌だろうと。broke(一文無し)とまで落ちぶれてはいないが、badly bent(ひどく曲がってしまって)とても人様の前に出る状態ではないんだよ・・・。
 ネットにこの歌の歌詞が出ていて、私の印象が間違っていないことが確認できた。一番と二番の歌詞を紹介すると—
 I’m goin’ back to the country, I can’t pay the rent/ Though I’m not exactly broke, brother I’m sure bent/ Can’t understand where my money went/ I ain’t broke but I’m badly bent—
 Well, I had a lot of money, but to the city went/ I met too many good looking girls and that’s where my money went/ Yeah I know just where it went/ No I ain’t broke but I’m badly bent
 私は年明け早々、驚いた。今の私の心境を見事に活写しているではないかと。すでに10年以上住んでいる今のアパート暮らしも年金生活者にはそう楽というわけではない。退職金を含め一時はあれほどあった銀行口座の預金は今どこに? 上記の歌い手はお金は都市の綺麗な姉ちゃんの懐に行っちまったと嘆く。そう俺は無一文になったわけではないが、がたはきている。だから田舎に戻ろうとしているわけさ・・・。
 ネットでこの歌を聴くとアメリカの古き良き時代がうかがい知れるかのようだ。マーサ・エリスという女性が1953年に作詞したとか。トランプさんが今なお跋扈するアメリカとはほど遠いのどかな時代の郷愁ソングのように聞こえる!

ネットなかりせば!

20240117-1705445207.jpg しばらく仕事から遠ざかっていると、すぐには仕事モードには切り替えられない。現役の身ではないのだからそれは致し方ないことか。20代の頃、君は70になっても働いているよと神様に言われたら、え?と思っていたことだろう。幸か不幸かそれが現実のものとなってしまった。実際にはこの年になっても職場があるということに感謝すべきことだろう。
 公立中学校での英語の非常勤講師職の他にもう一つ仕事を抱えている。オンラインの英語教室。もっとも果してこれも仕事と呼べるレベルのものか甚だ疑わしい。わずか数人の受講生だからだ。だが、自分ではこれにもやりがいを感じている。もっと手を広げてやりたいとも考えているが、どうも思うようにはいかない。まあこれも神様の思し召しだろうと考えている。
 そのオンラインの英語教室も年末からずっと休講で中だるみ状態。さてそろそろ1月教室の準備をしようと、受講生と一緒に読み進めている短篇小説の語彙集を作成し、受講生に和訳に挑戦してもらう課題文を選んだ。受講生の訳文が届くのを待ち、自分自身の訳文を推敲する作業が待っているが、訳文をあれこれ考える時間が楽しい。プロの作家が書いた短編小説を実際に翻訳して世に問うとなると大変な苦労を伴うことになるが、私の英語教室はあくまで英語理解、翻訳の鍛錬の場であり、気軽に英語の力、日本語の力をつけようという狙いだ。
 正月休みを経て、今月下旬に読む箇所を改めてチェックしながら、語彙集を作り、課題文を選定し、自分でも訳出してみる。久しぶりの作業で楽しかった。このブログで過去に何度も書いたかと思うが、語彙集を作るだけでも以前なら大変な作業だったことだろう。手元に辞書辞典の類が必要だ。それがないなら、図書館に行き、調べるしか手はない。実際、過去に翻訳本を出した時には何度も遠くの図書館に足を運んだ。昨年来読んでいるのは日系英国人作家、カズオ・イシグロの短編小説集で欧米のジャズ歌手や作曲家らの名前が頻繁に出てくる。そうした世界に疎い私は難儀させられているが、ネットで調べると苦労せずに必要な情報はかき集められる。とても助かっている。
 一般的な用語、知識もそうだ。例えば、今読んでいる “Malvern Hills”の舞台となっているMalven(モルバーン)という町。ロンドン北西部のWorcestershire(ウースター州)にある景勝地で、この町のことはネットで検索をかければあらまし分かる。ネットなかりせば大変な辛苦の末に獲得できる情報だろう。生成AI(人工知能)の功罪が議論されているが、私のような自由業の者にはとても有り難い。
 ネットではモルバーン周辺の丘陵地帯の写真やビデオも鑑賞できる。そうした写真やビデオを眺めていると、遠くイングランドの風光明媚な地を散策しているような感覚も味わえる。私はウースター州の丘陵地帯にまで足を運んだことはないが、イングランド北部のヨークシャー地方はエミリー・ブロンテの名作『嵐が丘』の取材で歩き回ったことがある。夏の好天にも恵まれ、ロンドンの喧噪から隔絶された心地よい数日間を過ごすことができた。地元の人々もとても親切だった。ヨークシャープディングも美味だったような記憶がぼんやりと残っている。いつかまた再訪したい地の一つであることは間違いない。

消えた、いや消した写真

 約一週間のソウル行きを終え、昨日無事福岡に戻った。年齢的かつ体力的な衰えを感じているとは言わないが、アパート(韓国ではマンションは英語の原意に「忠実に」にアパートと表現)に戻ると疲労感が押し寄せる。今回は精神的に落ち込む失態を招いてもいた。なんとスマホで撮影していた写真が消えてしまったのだ。ソウルの旅だけでなく、これまで過去4年以上撮影していた写真がごっそり消滅した。
 前回の項に写真が一枚もアップされていないのはそういう事情による。残念でならない。韓国人友人のジンさんに案内してもらった九里の朝鮮王朝の歴代の王様の墓である「東九陵」(トングルン)の王陵群では写真を何枚も撮ってもらっていた。朝鮮王朝の開祖である太祖(テジョ)が眠るお墓の前で撮ってもらった写真は自分でも気に入っていた。朝鮮王朝の歴史の一端に触れ、身の引き締まる思いがしていたからでもあろう。ブログにも書いた通り、厳冬にもかかわらず、空から降り注ぐ暖かい日光を全身に感じ、今生きていることへの感謝の念も湧き上がっていたことも一因かもしれない。
 私は普段自撮りすることはない。自分の容姿がもちろん、photogenic(写真写りのよい)でないことを百も承知しているからだが、東九陵の写真はなぜか気に入った。ブログにぜひアップしたいと思っていた。ホテルに戻ったら、早速スマホからパソコンに取り込もう。
 そういう思惑でソウル滞在終盤の土曜日夜、ホテルでいつものようにスマホとパソコンに向かった。スマホの写真が並ぶスクリーンによく分からないが、「空き容量が少なくなっており、問題が生じている」といった趣旨の警告が再三出ている。何のことやらよく分からないが、とにかく空き容量を作らなくては。それでスマホと格闘しているうちに、一切の写真が消えてしまった。ネットで調べると、消えた写真を復活できる策もあるとのことで、とにかく福岡に戻り、スマホのショップに駆け込んで助けを求めようと思った。
 そして本日(火曜日)。ソウルに行く直前に足を運んでいたスマホのショップに立ち寄り、スマホを出して相談した。「ああ、何とかなるかもしれません」と応対してくれた店員さんがゴミ箱から救い出してくれた。「良かった!」。私は自分で格闘していた時にこのゴミ箱に行き着くこともできていなかったのだ。
 消えていた写真が復活したこともあり、ソウル行きの前に決めていたスマホの機種乗り換えの手続きを進めた。今手元には新しいスマホがある。使い勝手はさすがに良さそうだ。それはいいのだが、改めて写真をチェックしてみる。おおマイガ! ナンタルチア、サンタルチア! 勘違いしていた。東九陵で撮影した写真、それから日曜日にペさんが案内してくれたソウルの伝統的な住宅街や土俗村(トソッチョン)参鶏湯のレストランの写真などは消えたまま。昔の写真は復活したのだが、一番欲しい直近の写真はどこを探しても出てこない!ぬか喜びした分、ショックも大きい。嗚呼、もう何もする気が起きない。
 髪の毛は正月をはさんだため、いつもの床屋さんに行けず、ちょっと伸びている。本日床屋さんで切ってもらうつもりでいたが、足が重い。アナログ人間だとこういう事態に見舞われるということか。ソウルに行く前に機種変更しておけばまた違った展開になっていたのかなあ!後悔先に立たず(后悔不及)だが。

九里の東九陵

 私が泊まっていたホテルはユースホステルのような宿で4日間だけの予約だったので、昨日(土曜日)予定通りチェックアウトした。幸い近くに少しだけハイレベルのホテルを見つけ、簡単に移動することができた。週末をはさむのでレートは跳ね上がるが、致し方ない。いずれにしろ、残りあと2日間だけの宿だ。
 午後遅くにチェックインして部屋に入った。驚いた。平日のレートはそう大きくは変わらないが、快適さが全然違う。部屋が広く、作業机もある。トイレ兼シャワー室は清潔で使い勝手も申し分ない。ウォシュレットも備えてある。後で気がついたが、部屋全体がオンドルになっており、暑くさえ感じた。前のホテルにはなかった電話も付いている。しまった。こんなホテルがすぐ近くにあったのなら、始めからここに予約を入れておけば良かった!
 とこれは午後遅くにチェックインして感じたこと。この日はその前に友人、ジンさんの案内で彼の地元・九里にある朝鮮王朝の歴代王が眠るお墓である「朝鮮王陵」(チョソンワンヌン)を歩いた。「朝鮮王陵」はユネスコ世界文化遺産に登録されている。九里の王陵はその中でも「東九陵」(トングルン)と呼ばれ、その名が示すように王朝の開祖である太祖(テジョ)を始め九つの墓が集中した最大の王陵群だという。
 王陵は儒教と風水に基づいて作られたと言われる。ソウルは福岡と比較しても寒さが厳しい。今回のソウル訪問中、雨はあまり降らなかったが、どんよりした曇り空が多かった。だが、東九陵を歩いている間は暖かい日光が差し込み、幸福な気分にさせられた。王陵がここに作られた理由の一端が理解できたような気がした。王様が歩いた参道の石段を歩く時は厳粛な気分にさせられた。それと同時に身と心が引き締まる思いにもなった。
 朝鮮王朝は1392年から1910年まで27代519年続いた朝鮮最後の王朝。日本が朝鮮を併合し、朝鮮王朝が滅びた1910年という年号を目にするといつも複雑な気持ちになるのは私だけではないだろう。
 移動したホテルで目覚めると日曜日。ベッドで寝転んでこの項を打っている。テレビを付けると、韓国版ののど自慢を(おそらく)生放送している。NHKテレビ日曜ののど自慢は今ではほとんどまともに見たことはないが、ここののど自慢は別の話。よくまあ、こんなに公衆の面前で思い切った歌や踊りを披露できるものだと思う。日本人と韓国人の国民性の違いを感じる。どちらがいいと言うつもりなどは毛頭ない。
 こちらののど自慢。観衆も存分に楽しんでいることが画面から伝わってくる。番組を象徴する有名人だと勝手に思っている高齢の男性司会者も依然ご健在のようだ。いつまでも見ていたいが、この日はかつて中東で一緒に取材したことのあるもう一人の友人、ぺさんとお昼を食べる約束を取り付けていた。そろそろホテルを出なくては。
 ペさんとのランチの後は買い物に出かけたい。私は明日には帰福しなければならない。この一週間、下着以外は着た切り雀。ズボンとシャツぐらいはソウルの思い出とともに買いたい。今よく着ていて、今回の旅でも着ているコートはずっと昔のソウルの旅で購入して重宝している。同じように長く着用できる衣服が欲しいと願っている。
 ペさんにどこに行けば適当なものが買えるか尋ねてみよう。

二日酔い

20240105-1704463471.jpg スマホの問題は未解決のままソウルをあとにすることになりそうだが、韓国人友人へのEメールがつながらない問題は解決した。なんと彼が間違って私からのメールをスパムメールに「指定」していたのだ。再三メールを送っても返信がないはずだ。真相が分かって二人で大笑いした。
 今回のソウル訪問の主目的は彼にクリスマスプレゼントを届けることだった。中身はまあ和菓子や酒のつまみ程度でたいしたプレゼントではないが、彼は喜んでくれた。その夜は郊外にある彼のマンションに招かれ、初対面となる奥方の手料理に舌鼓を打った。マッコリの瓶をからにした後、41度の強めの焼酎をお互いにあおった。コロナ禍を経て4年ぶりの再会だからまずかろうはずがない。
 深夜に彼のマンションを辞し、電車を乗り継いでソウル中心部のホテルに戻った。方向音痴の私にはこれも一仕事。そして金曜日朝、予期していなかった酷い二日酔い。体調を気遣う彼への返信メールに「私はゾンビ状態」と応じた。実際午前中はベッドから抜け出すのもやっとこさだった。これでは限られたソウル滞在の時間がもったいない。分かってはいるが、脳内にもやがかかった状態ではいかんともしがたい。
 とりあえず昼飯を食べなくてはと思い、近くのレストラン街を歩いた。麺類の看板が見え、気づいたらテーブルについていた。ほどなく若い店員さんが餃子のような菜を2個持って来た。あれ?という顔をしていると、彼は私に「私は本当に日本人が大好きなんですよ。これはサービスです」と微笑む。たどたどしいが立派な日本語。私の韓国語よりずっと優秀。普通だったら「渡りに船」と彼にそう思うようになった経緯を尋ねていただろうが、私の脳内は依然もやが漂っており、機会を逸した。あまり書きたくはないが、残念ながら麺類はいまいちの美味さだった。これも二日酔いのなせる業?
20240105-1704463508.jpg 二日酔いの残った胃袋に収めたいのはやはりご飯と焼き魚か。夕方に足を運んだ食堂では中年の男性が二人焼酎を飲んでいた。二人の前には焼き魚。おばちゃんにその焼き魚を指しながら、「あれと同じ物下さい」と伝えた。今宵も飲むのは愚かなことだろうが、手持ち無沙汰なので焼酎を1瓶注文。さすがにあまり飲めなかったが、ご飯に焼き魚で胃袋はだいぶ癒された感じだった。
20240105-1704463549.jpg ホテルへの帰途。公園で幻想的なライトアップの催しが行われていた。つられるように歩いていると、テントが目に入り「あなたの2024年の運勢を占います」とうたっていた。ふらっと中に入ると担当者(占い師?)が私が書き込んだ氏名、生年月日を見ながらいろいろと語りかけてくる。ほぼ韓国語だったので応答に手こずったが、一つ理解できたことは「あなたは文章を書く仕事が向いています」。カムサハムニダ!
 テントの中では催しのボランティアらしき男女の若者が働いていた。若者の一人が「これはソウル市からのプレゼントです」と言いながら、青いマフラーや耳当て、カイロなどが入ったビニール袋を手渡してくれた。さらには焼き芋まで1個。彼らの笑顔に接しているとこちらまで気持ちが温かくなる。私の脳内からいつの間にか、もやが立ち消えてしまっていたようだ。本当?

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