Home > 総合

英語でさるく 那須省一のブログ

| Next»

代名詞はなくとも具材は?

 図書館から借りていた『日本語と中国語』(劉徳有著)をようやく読み終えた。大変読みやすい本だったのだが、思い出したように時々走り読みしていたので時間がかかった。印象に残ったことは多々あるが、一つだけ記しておきたい。日本語の曖昧さについての指摘だ。
 ――外国人から見て、日本語があいまいとされる理由のひとつに、主語や代名詞の省略がある。対して、中国人は会話もそうなのだが、特に文章を書くとき、誰それと主語をはっきりさせる。そんなわけで、中国人の書いた文章には「わたしは」、「われわれは」、「あなた」、「あなた方」、「彼」、「彼ら」という言葉がやたらと多い。(中略)『時の流れに身をまかせ』(中国語では『我只在乎你』)と言えば、いまもカラオケの定番ソングになっている故テレサ・テン(中国語の芸名は鄧麗君)の大ヒット曲だが、この名曲の歌詞も日本語バージョンと中国語バージョンとでは代名詞の使われ方に違いがある。日本語の歌詞では「だから お願い そばに 置いてね」となっている箇所が、中国語では「所以我求求你 别讓我離開你」(だからわたし、あなたにお願い、わたしをあなたから離さないようにして)となり、この短いフレーズに「我」「你」の代名詞が各二回も出てくるのだ。――
 日本語は確かに主語や代名詞を明示しなくとも理解の妨げとはならないが、中国語や英語はそうはいかない。ただその分、二人称(你やyou)が広範に使用可で楽とも言える。日本語や韓国語では初対面の人に何と呼びかけていいものか、身もだえすることになる。
                  ◇
 笑い話を一つ。数日前のこと。遠方からかつての職場の同僚(後輩)が訪ねてきた。たまたま学生時代の先輩と久しぶりに歓談する予定が入っていたので、2人は面識がないが、3人で拙宅で軽く一杯やることにした。先輩は気の置けない人なので問題なかろうと。
 さてそれで何を食べるか。酒の肴の刺身は当然としても、その後のものは? この冬(秋)はまだ鍋をやっていないと思い、先輩に鍋でもつつきましょうかと提案した。いいね、それ。私は野菜を買ってきますから、具材をお願いできますか? よし、了解! 同僚や先輩に寝てもらう布団や毛布を二日間ベランダで干し、トイレや風呂場も掃除して準備万端。仕事を終えて帰宅し、テーブルに刺身や小鉢、乾き物などを並べ、鍋の用意も済ませ、二人を待った。先輩が先に来宅。シャワーを浴びてもらい、さっぱりした顔つきの先輩に三人がそろう前にとりあえず、鍋に火だけでも通しておきましょうかと言った。ああ、そうしよう。それで先輩の方がずっと料理上手だから、野菜や具材を放りこんでもらえますか? オッケー。
 それで先輩、肝心の具材はどこに? ああ、具材ね。先輩は隅っこに置いていたバッグを拾い上げ、中から、素麺をひと束手渡した。え、これだけですか? 
 先輩は具材は締めの素麺程度のものでいいのだと勘違いされていたみたいだ・・・! とにもかくにもほどなく3人がそろい、楽しく歓談できた。遅れてやってきた友は缶ビールを1パック持参してきた。彼が2缶を飲み、今冷蔵庫に残り4缶が入っている。私はビール大好き。だが何か一つでも「禁酒」しようともう何年もビールは特別な場以外では口にしていない。神様、友が残した4缶ぐらいは私がこれから飲んでもいいでしょうかしら?と自問している・・・。

“otherworldly” とは!

 久しぶりに大リーグの大谷翔平君のことを書きたい。彼が今年のアメリカンリーグのMVP(最優秀選手)に選出されたというニュースが飛び込んできた。大リーグの公式ホームページではずっと翔平君の受賞の予測記事が流れており、驚きはなかったが、それでも満票、それも二度目の満票は史上初の出来事だと知ると、感嘆せざるを得ない。上記ホームページでは彼が投打に渡る二刀流選手として「この世のものとは思えない(otherworldly)活躍をした」と称えていた。“otherworldly” とは凄い表現だ。
 まだ29歳の若さ。これから円熟の30代を迎える翔平君が来年はどういうプレーを見せてくれるか楽しみだ。投げる方は右腕負傷部位の回復を待ち封印される可能性大だが、打つ方では彼にしか打てない快打を放ってくれることだろう。問題は来シーズンに所属する球団だ。西海岸のロサンゼルスエンゼルスに引き続き留まることを期待したい気持ちもあるが、大リーグの本場はやはりニューヨークやボストンの東海岸か。どこに行くにせよ、彼が2024年を再び健康体で迎え、胸がすくようなホームランをばんばん放って欲しい。
                 ◇
 野球から大相撲へ。私は子供の頃から大相撲をテレビで見るのを楽しみにしてきた。私の世代は文字通り「大鵬・柏戸」世代だ。私は両横綱が千秋楽で優勝をかけて激突するとハラハラドキドキで座して見ておられず、テレビのある部屋から離れて、勝負が決着した後、結果を母親に恐る恐る尋ねていたものだ。柏戸が勝つと手を叩いて喜んでいた。高校時代には贔屓の力士が慌てふためいて自分より力量の劣る力士に負けるのを見るのが耐えられず、本気でその贔屓の力士のところに激励の手紙を書こうと思案したことを覚えてもいる。それほど大相撲が好きだった。
 そして今現在の九州場所。残念ながら、テレビで大相撲を見ることはない。見たくない。理由は簡単。見る気になれないのだ。まずはただ一人の横綱、照ノ富士。今場所も休場とあいなった。けがや病気で序二段まで陥落して這い上がってきたモンゴル出身の照ノ富士には敬意をもって応援してきた。故障を抱えているのは分かるが、これほど休場が相次ぐとさすがに・・・。続いて横綱に続く3人の大関陣。どう見ても小結・関脇ぐらいにしか見えない。特に3人目の大関となったばかりの豊昇龍は頂けない。相手力士に睨みを効かせることで優位に立とうとする劣悪な意図が丸見え。今場所、私は実際に取り組みをみていないが、立ち合いで相手をじらすかのように非常識なほど手を下ろさなかったとか。大関としてあるまじき行為だ。こうした力士が跋扈するようでは大相撲も終わりだ。
 もう一つ大相撲に見切りをつけたくなった理由がある。大相撲の解説者としてお茶の間に人気の北の富士親方がこのところ体調不良からか解説をずっと休んでいるからだ。私は親方が現役の頃はあまり好きではなく、ライバルの確か玉乃島とかいうしこ名の力士を応援していた。だが、引退され解説者となってからは、北の富士親方の率直な時に本音トークも飛び出す解説が楽しみとなった。今は健康食品のCMによく出ている元小結がメインの解説者となっているようだが、私に言わせれば、北の富士親方の味わい深い語りには遠く及ばない。相撲を見る気になる日が再び来るのだろうかしら?

焼き柿にはまる!

20231114-1699945559.jpg 最近パソコンでYouTubeをクリックすると、料理関連の「番組」がアップされるようになった。その一つに管理栄養士(女性)のYouTubeがある。なぜ彼女のものが上がるようになったのか分からない。面白そうなので何気なく眺めていたら、柿を取り扱ったものがあった。柿が滋養ある果物であることを説き、「焼き柿」の作り方を紹介していた。私でもできそうな簡単さ。柿を水洗いして蔕(へた)を切り落とし、ガスコンロで9分ほど焼くだけの代物。
 私は以前は柿は好物ではなかった。子供の頃は田舎でよく食べていて、手を伸ばせばそこらに柿が実っていたような。珍しくも何ともない秋の味覚だったから、特別の思いはなかった。今は違う。八百屋さんに柿があるとつい買って食べたくなる。だが、柿を焼いて食べることなど思いもしなかった。私の田舎でそういう食し方を実践している農家などなかったのではないかと思う。郷里を同じくするライン友達の一学年上のYさんにメールしてみると、彼女は子供の頃、曾祖父が囲炉裏で焼いて食べさせてくれていたと返信があった。残念ながら私にはそういうメルヘンチックな思い出はない。もしあったら私の人生も変わっていたのではないかと思ってしまった!
 今回上記のYouTubeで初めて知ったことだが、柿はビタミンCやタンニン、カロテンなど豊富な栄養素を含んでおり、焼くことでそうした栄養素が飛躍的に増えるとか。私は帯状疱疹の後遺症で苦しんでいるが、免疫力の向上にも役立つようだ。焼かない手はない。早速焼いてみた。バターとシナモンを上に乗せて食すると、柿とは思えない美味さ! 病み付きになりそうだから、1日1個と決めた。
                  ◇
 中国語を使った俳句と呼べる「漢俳」について説明した『漢俳 五・七・五の中国国民詩』(今田述著)を読んでいるが、中国語の俳句はさすがにちょっと難解で、すらすらと読み進めるわけにはいかず手こずっている。その本の中に劉徳有氏(1931-)のことが紹介されていた。何でも日中文化交流に多大な貢献をした日本語通訳で新華社通信の主席記者の要職にあった人物。彼の著書『日本語と中国語』(2006年)も紹介されていた。図書館で早速借りて読んでみた。
 酒にまつわる記述が印象に残っている。私は「下戸」という語は知っていたが、その対極にある「上戸」は知らなかった。現代中国では「上戸」の代わりに酒飲みを5段階のランクに分けているとか。酒量の下から「酒徒」(飲んべえ)「酒鬼」(飲んだくれ)があり、これより上は日中同じ呼称の「酒豪」「酒仙」「酒聖」が続く。私の「中日辞書」には最後の三つは載っていない。「酒徒」と「酒鬼」は掲載されている。「酒仙や「酒聖」にはなるべくもないが、せめて自分の酒量を心得た「酒徒」ではいたいものだ。
 「下戸」が現代中国語に残っているかは知らない。少なくとも私の日中辞書にはこの語はなく「不会喝酒的人」(酒を飲むことができない人)という訳語が載っている。今となっては酒が飲めることを嬉しく思うが、若い時分に下戸だったらおそらく今とは異なる人生を歩んでいただろうとも思う。こちらは複雑な心境・・・。

perspective について

 先にオンラインで教えている英語教室でカズオ・イシグロの短編小説を読んでいることを書いた。今は “Come Rain or Come Shine” という作品を読んでいる。今回の短篇集には5つの作品が収められているが、個人的にはこれが一番好きだ。“Come Rain or Come Shine” は大学をともに過ごした3人の男女が登場する。語り手でもある男Aと男Bは親友。女CはBと早くからステディな関係になり、大学卒業後に結婚する。AはCと好みの音楽が重なり、音楽の話題を通して気の合う友人となる。
 結婚したBとCはロンドンに住み、多忙な生活を送る。子供には恵まれなかった。Aは英語教師の道を選び、スペインで社会人を対象に英会話を教える。報酬的にもあまり実りある仕事とは呼べないようだ。当時の英国人には大学卒業後に日本を含めた海外で英語教師となり、多くの国を渡り歩くのが「悪くない」生き方の一つだったのだろう。英語がネイティブ話者という絶対的切り札を手にしている。登場人物たちとほぼ同世代と思われる作家イシグロにもそうした友人がいたのかもしれない。
 BとCはうだつの上がらないAの生き方を「豚のケツをなめる」ようだと蔑んでいる。Aは自分が秘めている能力をもっと活かすべきだという期待の裏返しでもある。BとCの関係が良好かというとそうでもなく、Cは夫のBがもっと出世というか社会の上のクラスに上ってしかるべきだという不満を長年くすぶらせている。言い忘れた。3人は今や47歳となり、若くもなく、老年でもない年齢に達している。
 Bは妻Cの上昇志向に閉口している。次のようにAに対して不満を吐露しているシーンが読ませた。‘She thinks I’ve let myself down. But I haven’t. I’m doing okay. Endless horizons are all very well when you’re young. But get to our age, you’ve got to … you’ve got to get some perspective. … She needs perspective.’(彼女は俺が人生をしくじってしまったと思っている。俺はしくじってなんかいない。俺は完璧にまともな人生を送っている。若い時には無限の可能性がどこまでも広がっていると思うものだ。だが、俺たちの年齢になると、身の丈を知ることが必要なんだ。彼女にはそれが分かっていない。・・・身の丈を知るってことが分かっていないんだ)
 上記の文章は正直訳しづらい。perspective をどう訳すか。私の頭に最初に浮かんだ訳語は「大局観」だった。「物事の全体的な状況を冷静に見極める思考・判断」。私は英語教室では受講生に「俺たちの年齢になると物の道理をわきまえる必要があるんだ」と説明した。つまりget some perspective とは「物の道理をわきまえる」ことだと。しかし、今この項を打っていて、「(自分の)身の丈を知る」の方がベターかと思い始めた。
 日本語訳はともかく、自分自身の人生を振り返り、作中人物と同じ47歳の頃に私は今の自分を見据えたperspective があったのかと自問すれば、間違いなくなかった。どこまでも地平線が続いているとまでは思わなかっただろうが、こんなに早く終幕がやって来るとも思っていなかった。とある作家が「人生はもっと長い長編小説だと思っていた。こんなに短い短編小説だとは思わなかった」と語っているのを耳にしたことがあるが、まさにそんな感じだ。人生を見つめ直し、perspective に思いを馳せる余裕などなかった。残念!

「現場からお伝えします」?

 土曜日朝。洗濯をしながら(実際には洗ってくれているのは洗濯機であり、私は何もしていないが)パソコンのYouTubeで世界中の旅をアップしているYouTuberの映像を楽しんでいた。登録会員が多く、コメントから察すると人気のYouTuberのようだ。お昼になりNHKのニュースを見るためにテレビをつけた。大阪でG7貿易大臣会合が始まったというニュースが流れている。東京のスタジオのメインキャスター(女性)が「それでは現場からお伝えします」と言って、会合を現地で取材している中継スタッフに振った。
 私はYouTube を見ながら、テレビのニュースに耳を傾けていたのだが、上記の放送の文言にちょっと固まった。え、現場からお伝えします? 普通は「現地からお伝えします」ではないかいな。「現場」も「現地」も同じ意味合いだが、「現場」だと事件や事故を想起してしまう。NHKアナがつい口が滑ったのではないかと推察したいが、ひょっとしたら、今では会議やイベントも「現場からで」OKになっているのだろうか。ニュース報道の現場から去って久しいのでよく分からない・・・。こちらは「現場」の方がベターか。
                  ◇ 
 中学校で英語を教えるようになってこれまでほとんど注意を向けなかったことも気にするようになった。大学生に英語を教えるのと中学生に教えるのとではやはり違いがある。しかし、時として中学生的視点を忘れる、いや正確にはそうした視点にまで思いが到らないことがしばしばだ。要するに「こんなことは分かっているだろう」とか「分かっているに違いない」と無意識に思い込み、言葉を足して説明することを怠っているのだ。
 つい最近では助動詞must と一般動詞の have to を説明する場面。肯定文ではともに「~しなければならない」と同じ意味となるが、否定文となると must not は「~してはいけない」と強い禁止の表現となるのに対し、don’t have to は「~しなくてもよい」と落差が生じる。授業の後でラジオの英会話講座を聴いていて以下のやり取りが紹介されていた。レストランで食事後の会話。Aが「ここは私が払うわ」という。Bは「あら、そんなこと、いいわよ」という意味で “Oh, you don’t have to.” と応じていた。私はこれを聴いていて、ああ、そうだったと納得した。don’t have to は上記のような場面でも使えるのだ。使い勝手のいいスマートな表現なのだ。子供たちにこうした説明もしてあげるべきだったと反省した。
                  ◇
 少し前にアメリカからキリスト教の祈祷書(devotional)の2024年版を手に入れようとして難儀していることを書いた。今年も結局自力でゲットできず、何かとお世話になっている先輩の娘さんがアメリカに住んでおり、彼女を通して入手することとあいなった。
 それはいいのだが、彼女が私の拙著を読みたいとのことで米英の文学紀行本を送ることにした。私の手元にはもう上記の本は残ってなく、ネットで注文。そして郵便局から国際小包として送ろうとした。国際小包は手書きではだめでスマホやパソコンで入力する必要があるとのこと。アナログ人間には実に辛い。何とかスマホの画面と「格闘」の末に「二次元コード」とかいうものを入手して、郵便局の窓口から送り出すことができた。スマホやパソコンに暗い中高年の人々には肩身が狭いご時世であることよ!

「この白人野郎」?

20231024-1698147762.jpg 海の向こうではワールドシリーズが佳境に入っている。アメリカとカナダのベースボールチームしか加わっていないのにワールドシリーズとはこれいかに?と手垢の付いたクレームなど付けたくはないが、日本人選手が出ていない大リーグへの興味は皆無に近い。プロ野球はそれなりにフォローしていたが、セパの出場チームが最終的に確定して何と一週間も空いて、今週土曜日から日本シリーズが開幕とか。いくら何でも空き過ぎではないかと思う。そうでなくとも今年の日本シリーズは阪神タイガースとオリックス・バファローズの関西対決だし、興味はほとんどない!
 フランスではラグビーのワールドカップが決勝戦を残すのみとなった(3位決定戦もあるようだが)。日本が敗退した時点でこちらも興味を失った。ラグビーファンの方には悪いが、生来的な体格の差があるラグビーはやはり日本人には不向きなスポーツであるような気がしてならない。それに比べ、サッカーは十分世界のトップチームに伍していけるようだ。海外でプレーする日本人のサッカー選手の活躍は即座にYouTubeで流れてくる。英プレミアリーグでブライトンに属す三笘薫のドリブル突破は素晴らしい。ブライトンの人々をすっかり魅了してしまったようだ。スペインではレアルソシエダの久保建英選手が見事なシュートやアシストを披露している。
 アメリカでは大谷翔平君の名前を知らない人はいないのではと思われるが、サッカーの世界で三笘選手や久保選手がhousehold name(よく知られている名前)になる日もそう遠くないような・・・。次のワールドカップではサムライブルーが決勝トーナメントを勝ち進み、上位に食い込むことも夢ではないか。
 ネットでラグビーのワールドカップにまつわるニュースを読んでいたら、ちょっとドキッとした記事に出くわした。南アフリカ対イングランドの準決勝戦。南アフリカがイングランドに逆転勝ちを収めたが、このゲームの最中に南アの選手がイングランドの選手に対し「この白人野郎!」と罵ったと報じられていた。私は「白人野郎」という表現を見て、具体的にはどういう語を口にしたのだろうかと思った。ひょっとして “You whitey!” とか。
 英文の記事を改めてチェックして該当する表現を知った。以下の記事があった。World Rugby has opened an investigation into the alleged racist slur directed at England flanker Tom Curry by South Africa hooker Mbongeni Mbonambi in Saturday’s World Cup semi-final. Although the alleged racist remark is not audible on the referee microphone, Curry’s subsequent conversation with O’Keeffe can be heard clearly.
 “Sir, if their hooker calls me a white cunt, what do I do?” the Sale flanker said. O’Keeffe replied: “Nothing, please. I’ll be on it.”
 南アの選手が発した言葉は “a white cunt” だった。ここでその訳語を書く度胸は私にはない。whitey ならば辞書に黒人が白人を侮蔑的に呼ぶ「白んぼ」という説明があった。この「ホワイティ」も御法度だが、“a white cunt” はさらに問題外だ。アパルトヘイト(人種隔離政策)を打倒して今の南アがあるのに、今度は南アの黒人が人種差別の言葉を発しては、ネルソン・マンデラ氏も墓場の中で嘆き、もだえていることだろう。

炊飯器への思い

 ラジオを聴いていたら、炊飯器のCMが流れていた。一流料亭の料理人が嫉妬するほどの炊き上がりだとか。ちょっと心が動いた。最近、白米がどうも昔ほど旨いと感じることがないからだ。運動不足気味で食欲がかつてほど旺盛でなくなっていることも一因しているかもしれない。CMを聴いていたら、古くなった炊飯器では味が落ちるようなことも語っている。私が愛用している炊飯器は使用歴は優に40年を超える。故障したことは一度もないし、今も何の問題もなく白米が炊ける。ただし、最近ちょっと?と思うことも。ひょっとしたら、やはり性能が劣化しているのかもしれない。
 折も折、関西の知己であるU先生から新米が届いた。研究生活の傍ら、U先生の家族一同で収穫した有り難い米だ。今の炊飯器でも十分美味しく頂いているが、最新の高性能炊飯器で炊けばどれほど旨いことだろうと思わざるを得ない。
 CMの文言を信用すれば、使用中の炊飯器を下取りに出せば、格安の値で購入可能と説いていた。私の炊飯器のように老朽化したものでもOKという印象だった。旨い白米を食べられるようになるのであれば、買い換えてもいいのではないか・・・。でも今も大切に使っているものは社会人生活をずっと支えてくれている「戦友」のような存在だ。使用できる限りは捨てたくはない。それが人情というものだろう。とはいえ、40年以上も使用すればもう十分お互いに「誠意を尽くした」と言えるのではないか。心が揺れる・・・。
                  ◇
 最近休みの日に近くにあるサウナ施設に足を運んだ。サウナは東京時代から大好きで毎週末のようにサウナを風呂代わりに利用して、入浴後に生ビールや焼酎を楽しんでいた。思えば贅沢な暮らしだった。福岡に定住してからもまだ現役の頃にはサウナはよく通っていたが、ここ何年かはすっかりご無沙汰さたのつましい生活だ。
 上記のサウナは近くにあると書いたが、そう近所ではない。最寄りの駅まで歩けば無料のシャトルバスが出ている。以前に北九州方面の専門学校で教えていた頃、駅のホームからこのシャトルバスが出るのを見て、一体どこに行くのだろうと思っていた。その当時はサウナ施設の存在は全然知らなかった。ひょんなことからその存在を知り、自宅から歩いてみた。45分ほど歩くと到着した。お湯は温泉を期待していたが、炭酸泉とかいうお湯だった。電気風呂のコーナーがあった。電気風呂は苦手でこれまでほとんど浸かったことがない。それでもふと思った。帯状疱疹の痛みはまだ右背中辺りに残っている。ひょっとしたら、ピリピリと電気が走るのは案外、帯状疱疹の治療に効くのではなかろうか。ど素人の考えだから当たっていない可能性大だが・・・。
 幸い電気風呂のコーナーを利用している客は皆無。一人で好きなだけ浸かることができた。背中にピリピリ電気が走る。思った以上に心地よい。風呂上がりの感覚はすこぶる良かった。これからしばらく定期的に利用してみようかと考えている。もう一つ余談。マッサージも受けてみた。両足裏をもんでもらったが、左足裏は余りの痛さに絶叫した。これまでこんな痛みを感じたことはない。内臓が弱っているのだろうか。帯状疱疹はともかく、身体のあちこちが弱ってきているのだろうか。悲しい・・・。

| Next»

過去の記事を読む...

Home > 総合

Search
Feeds

Page Top