Home > 総合
英語でさるく 那須省一のブログ
| Next»
再び ChatGPT
- 2023-05-18 (Thu)
- 総合
一見、万能にも思える生成AI(人工知能)を今後どう処遇していくのかが日本を含めた国際社会の大きな問題となっているようだ。インターネット上の膨大なデータを駆使して、人が書いたような自然な文章、さらには精緻な画像を作ることができるAI。最近では対話型AIサービス「チャットGPT」が広く知られるようになっている。
火曜日の夕刊を読むと、永岡文科相が閣議後の記者会見で、学校現場での取り扱いを示すガイドライン(指針)について、「夏前をめどに策定、公表したい」と述べたとか。夏休みには学校から作文や読書感想文といった課題が出され、生成AIが悪用される懸念もあり、夏休み前に公表したい思惑のようだ。夕刊の記事は生成AIを「作文などで悪用されると、教員らが見抜くのが難しいという指摘がある」と書いている。
数日前のCNNの記事では米ハリウッドのシナリオライターたちの集まりである全米脚本家組合(WGA)が報酬の増額を求めてストライキに出たことが報じられていた。実は脚本家たちが憂えたことの一つに生成AIの台頭も上げられていた。生成AIが彼らの仕事の領域を「浸食」することを危惧しているからだ。AIがシナリオを書く時代が到来し、ライターが不要になるのではないかと。さらにこれまでの作品自体が生成AIの「土壌」として活用されることになり、何らかの規制・歯止めが喫緊の課題だと訴えた。
私は3月中旬の項で「ChatGPT」について書いた。その時は英語版だった。次のような他愛ないエピソードを紹介した。私がパソコン上で “Give me a very funny joke within 100 words or so.” と求めると、最初のジョークはそうでもなかったが、二つ目、三つ目のジョークは割と面白いものが提示された。テーブルスピーチに織り交ぜることもできるような面白さだと感じた。驚いたのはそのスピード。瞬時に打ち返しがあったのだ。
それで、日本語でも凄いのだろうなと思い、日本語版にアクセスしてみた。
私 面白いジョークを100語以内で述べてくれますか?
GPT ある日、おばあさんが銀行に行き、窓口でお金をおろしたいと言いました。窓口係の人が聞いた「いくら引きおろしますか?」という質問に、おばあさんは答えました。「今日はおしめ代が必要なので、5000円お願いします!」。おばあさんのユーモアのある回答に、窓口係の人も思わず笑ってしまいました。どうでしょうか?お楽しみいただけたでしょうか?
正直全然面白くないとGPTに伝えた。するとGPTは丁重に謝罪し、この後、続けてジョークを書き送ってきたが、そのどれもが面白くもなんともない。私はあきれ果て、失礼だとは思いながら、「あなたはあまりユーモアのセンスがありませんね、正直言って」と伝えた。GPTは「申し訳ありません。ジョークのセンスは主観的なものであり、個人によって受け取り方が異なることもあります。私は人工知能であり、ユーモアのセンスは人間とは異なる場合があります。ご期待に添えず申し訳ありませんでした」と返してきた。これも瞬時に。
まあ、他愛ない笑い話の類だったら、我々も十分GPTに抗して行けるのではないかと思うが、最新の科学的データや古今東西の数多くの文献に基づく文章を書くことが求められると太刀打ちできないのではという気がする。便利なそして恐ろしい時代の到来か!
- Comments: 0
He was nothing if not vulgar as usual.
- 2023-05-13 (Sat)
- 総合
毎朝の日課、キリスト教の祈祷書(daily devotions)“Walking in Grace 2023” を読んでいて、次の表現に手が止まった。-- I still remember the look the gal at the bank gave me when she asked me my occupation and I proudly said, “I run cows.” -- the gal at the bank とは「銀行の窓口業務嬢」ぐらいの意味合いだろうとは推察できた。ただgal という語は久しく目にしていなかったので、念のため辞書で確認した。
(若くて活発・陽気な)女の子、ギャル(girl)」という意味が載っている。発音(母音)が異なるが、「カモメ」という意味のgull という語に似ていることも思い出した。
NHKラジオの中国語講座。「国破れて山河あり」という我々日本人にもよく知られた中国・唐の詩人の言葉が紹介されていた。広辞苑には「戦乱のために国都長安は破壊されたが、その周囲の山河は昔の姿そのまま存在する、との感慨の言葉」と記してある。私はこの言葉を幾度となく目にして中国語での発音も覚えた(つもりでいた)。しかし、今回改めてそうでないことを自覚した。中国語では「国破山河在」。問題は「破」の発音。po という音は覚えていたが、声調は? ↘と下がる第四声の音であることはすっかり忘れていた。
上記のような年齢による記憶力の劣化はいかんともし難いのだろう。乱暴にカタカナ書きすると、「グオポーシャンフーザイ」となる「国破山河在」に続く詩句を私なりに考えるとすると、以下のように続けたくなる。「我死世间续」。「私が死んでも世の中は続いていく」。「続いていく」は「继续」(継続する)と書くのが正しいことは知っているが、前の句と「釣り合い」が取れないので「续」の一字だけにした。「国破山河在。我死世间续」。まあ、これは杜甫先生でなくとも今の中国人に「こんな文章はない」と笑い飛ばされることだろう。
◇
顔も見たくない、声も聞きたくない人物が一人だけいる。面識はない人物だ。あのトランプ米前大統領だ。それでも、どうしても目にし、耳にすることになる。米社会・政治で今なお大きな影響力をふるっており、米メディアにしばしば登場するからだ。正確には共和党支持者の中でも頑迷な右派層に属している人々の間で今も人気と記すべきだろうか。
つい最近もトランプ氏が大きなニュースになっていた。どうやら、CNNが米北東部の町でトランプ氏のタウンミーティング(対話集会)を主催、放映したらようだ。私は見たくもないので詳しくは知らないが、「信頼できる米政治のニュース源」として重宝しているニューヨーカー誌のコラムニスト氏が定期コラムで酷評していた。
ベテランジャーナリストのスーザン・グラッサー氏のコラムの見出しを読んだだけでだいたいのことは推察できた。“Don’t say you haven’t been warned about Trump and 2024”
私はCNNがトランプ氏に今なお彼の支離滅裂の主張を一方的にまくし立てる場を与えたことに驚いた。視聴率を狙っていたのだとしたら、CNNも地に落ちたと言わざるを得ない。グラッサー氏も “A lying liar is going to lie. Trump is nothing if not consistent in that.” と切り捨てていた。nothing if notという語句は過去に辞書で何度調べたことか。二重否定だから veryと同じ意味に戻る。「トランプ氏が嘘つきの権化であることに関しては昔も今も偽りなく一貫していた」。ほめているのではない、もちろんのこと。
- Comments: 0
カミラ王妃?!
- 2023-05-09 (Tue)
- 総合
先月末、とあるクリニックに足を運んだ。帯状疱疹の痛みが一向に収まらないからだ。発症して以降、4軒目のクリニック訪問となった。尊敬する先輩からそこでは私の症状を緩和してくれる錠剤が入手可能かもしれないと告げられていたからだ。果たせるかな、その錠剤を頂いた。
とても親切な医師でコロナワクチン接種の危険性、接種後の数々の後遺症について色々と説明してもらった。そうしたことを詳述した書籍も何冊か頂いた。ゴールデンウィーク期間中に読ませてもらった。「目から鱗」とでも表現すべきなのだろう。多くのことを学んだ。そして今改めて思っていることは、コロナワクチンは接種する必要はなかった、いや、接種してはいけなかった、それは寿命を縮めることになるだけという疑念と悔恨だ。これからは絶対にコロナワクチンの接種は拒絶しよう!
◇
どこにも遠出しないゴールデンウィークだった。帯状疱疹の痛みを抱えたままでは致し方ない。好きな焼酎もほとんど口にしなかった。まあ、飲む気になれないから、苦ではなかった。テレビでプロ野球を見ていて、何気なくチャンネルをカチャカチャしていたら、英王室のニュースが生中継されていた。チャールズ国王の戴冠式だ。英王室だったら、BBCだろうが、CNNも熱心に報じている。CNNをだらだらと見た。
私が新聞社のロンドン支局に勤務していた頃はチャールズ皇太子の国王即位と言えば、脳内に??が幾つか浮かんでいたことだろう。当時のそして今もまあたいして変わりないのではと思うが、多くの英国民はエリザベス女王には畏敬の念を抱いていたが、その息子にはそうは好感を持っていないのではと思う。
CNNテレビを見ていておやっと思ったのは、カミラ夫人が Queen Camilla と表示されていたこと。CNN記者もQueen Camilla と呼んでいた。これまでは彼女の正式呼称は Queen Consort (国王の配偶者)だったのではないか。いつからQueenに格上げされたのだろう。報道によると、戴冠式を境にQueen Camilla と呼ばれることになったのだとか。
Queen Camilla という呼称を目にし、耳にすれば、当然のことながら、英国民はいや世界中の人々はチャールズ国王の前妻、亡きダイアナ妃のことを思い浮かべるだろう。ダイアナ妃との離婚を招くことになったチャールズ皇太子(当時)とカミラ夫人の不倫関係がダイアナ妃の悲劇の死の遠因となったと見なすことも可能だろう。本来なら自分がそう呼ばれるべきだったQueen の称号がカミラ夫人に与えられていることを、ダイアナ妃は草葉の陰でどう感じているのだろう・・・。まあ今さら詮無きことではあるが。
CNNテレビを見ていてもう一つ感じたことはウィリアム皇太子の弟であるヘンリー王子が戴冠式で皇太子の列から離れた列に座らされていたこと。妻のメーガン妃が参列していなかったことも目を引いた。さらに、ヘンリー王子は王室から離脱しているから何の不思議でもないのかもしれないが、戴冠式の式典終了後のバッキンガム宮殿でのバルコニーからのお披露目にもその姿が見られなかった。ヘンリー王子一家が安らぐ場所は英国ではなく、居住地に定めたアメリカになるのだろうか。まあこれもどうでもいいことだが・・・。
- Comments: 0
‘Like warm mud’
- 2023-04-23 (Sun)
- 総合
英BBCのホームページをチェックしていて、右下の記事の見出しに目がとまった。‘Like warm mud’ という表現が気になったのだ。「温かい泥のように」とは一体何だろうか? クリックしてみると、Haruki Murakami: Readers drawn to enigmatic appeal of Japanese author という見出しがあり、東京とシンガポール発で、海外でも人気のある作家、村上春樹氏の最新作が今月、6年ぶりに世に出たことを報じた内容だった。
記事を読むと、村上氏が日本だけでなく世界の耳目を集める作家であることがよく分かる。彼の最新作は大々的にPRされ、購読している読売新聞でも確か一面下部でカラーの目立つ広告が載っていた。今改めてネットで検索すると、コロナ禍の不自由な自宅待機を強いられた過去3年間、「まるで<夢読み>が図書館で<古い夢>を読むみたいに」この小説をひたすら執筆したという作家自身の言葉が紹介されている。
BBCの記事では上記のくだりを次のように英訳して盛り込んでいた。“In this quite extraordinary, tense environment, I diligently wrote this piece, as if a ‘dreamreader’ reads ‘old dreams’ in a library.” 記事は村上氏の久しぶりの新作を読者が待ちわびていたこと、発売日前夜から多くの読者、若者が書店前に長蛇の列を作ったことを紹介していた。記事の見出しの表現はそうした読者ファンの次の言葉の中から採ったものだった。“For me, his novels are like warm and soft mud. You get comfortably drawn and absorbed into these stories.” 村上ワールドに引き込まれていく様子が底なし沼に落ちていくかのよう・・というわけだ。
記事は村上氏の作品が現代人が誰しも感じざるを得ない孤独(loneliness)や疎外感(alienation)を描いており、それが国内外の多くの読者にアピールしているのだと解説。だが、その一方で村上ワールドで描かれている女性像に「女性軽視」の姿勢が垣間見え、そこにノーベル文学賞の受賞は難しいだろうという識者の観測を添えてもいた。
私は村上氏のファンではないが、『海辺のカフカ』は印象に残っている。私はたまたま書店で見かけた英訳の方を先に読んで、次に日本語の原作を買い求めた。最新作も年内には英訳が刊行されるのだろう。はてさて今回はどうしよう。原作から読むか、英訳本を待つか。
◇
韓国語の独学は公民館講座とyoutubeの韓国語チャンネルで何とか「命脈」をつないでいる。中国語の方はもっぱらNHKラジオの中国語講座が頼りだ。初級レベルから脱せないのが悔しいが致し方ない。もっとも初級レベルといっても、これが結構勉強になる。
先週の講座では四字熟語が紹介されていた。日本語と同じ意味で使われているものもあれば、意味が異なるものもある。「空前絶後」は同じだ。中国語(簡体字)では「空前绝后」となる。ピンイン表記ではkōng qián jué hòu。以前に完璧に覚えたと思っていたが、今回、そうではないことを自覚した。ピンインはまあ、何とかなるが、問題は声調と呼ばれる音の上がり下がり。私より一回り上の世代の方がブログでいつか書いておられたことを思い出す。この方は中国語にかなり通じた人であるようだったが、寄る年波で中国語の語彙力が落ちていることを嘆かれていた。特に声調があやしくなっていると。ピンイン表記もやっかいだが、日本語にははなからない声調はことのほか記憶するのが難解とか。私もそう思う!
- Comments: 0
「複数の人らしき姿を発見」
- 2023-04-16 (Sun)
- 総合
沖縄県・宮古島沖の海上で発生した痛ましい陸上自衛隊のヘリ事故。テレビや新聞報道で次のような見出しを目にした。「沖縄陸自ヘリ事故 複数の人らしき姿を発見」。私はこの見出しを見た時の第一印象は「え、生存者が見つかったの?それなら素晴らしい。生きていればいいけど」というものだった。だが、そうではなかった。私は「人らしき姿」という表現に戸惑わされたのだ。「人」ならば生きている人だろうと思ったからだ。上記の見出しが「複数の遺体らしき姿」だったらそういう考えは浮かばなかった。もちろん、まだ「遺体」であると確認できていないのだから、こういう表現はできないし、すべきではない。
そうしたことを承知の上で、関係者や視聴者(読者)に残酷な期待を抱かせないためにも、もっと適切な表現ができたのではないかとも思う。といっても今この時点で私に名案はないが、例えば「複数の人体らしき姿を発見」のような表現は頭に浮かぶ。思い出したのは英語でこういうときには body を使い、その場合には「肉体」ではなく「遺体」「死体」を意味するということを。そう思って手元にある英字紙ジャパン・ニュースを開くと、陸自ヘリ事故が一面トップで扱われていた。読売新聞からの翻訳記事だった。袖見出しで Bodies believed to be inside sunken wreck(沈んだ機体の中に遺体と思われるもの発見)とある。本文中では… also discovered what appear to be bodies in the fuselage-like object …という文章が見える。事件・事故を伝える英文記事を読んでいて、body や bodies という語を目にすると今でもドキッとする。
◇
もう一つ英語に関する話題を。日曜日の朝刊、国際面に目を通していたら、アメリカの政治・社会の分断を論じたコラムが掲載されていた。書き出しの文章で手が止まった。「ウォーク(Woke)」という言葉をご存じだろうか。wakeの過去形で、直訳すると「目覚めた」となるが、人種差別をはじめとする様々な社会問題に意識が高い人のことを指す」とあった。
内容にはもちろん異論はない。私が気になったのは woke の読みを「ウォーク」と付記してあったこと。woke ならば「ウォゥク」とでも記した方がベターだろうと思ったのだ。ウォークという読みなら、多くの日本人は普通「歩く」を意味する walk が頭に浮かぶのではないか。ウォゥクという読みも奇異に映るかもしれないが、敢えてカタカナで記すなら、ウォークよりウォゥクだろう。walk[wɔːk]とwoke[wouk]の母音は日本人には紛らわしいが異なる音だ。
韓国語を学習していると、オの母音に二種類あり、口を軽く開けて日本語のアの口で発声するオと、唇を丸くすぼめ前に突き出して発声するオがあることを強く意識せざるを得ない。自分で話すときは両者の違いを意識してオの音を出そうと留意する。NHKラジオの韓国語の講座から流れてくる文章にオの語彙がある時、口を開けたオかすぼめたオか即座に判断することは、私には今も難しい。
翻って日本語の母音。アイウエオの5つしかないし、口の開き具合は気にしないでいい。外国人には学習しやすい言語であろうが、我々が外国語を学習する際には「追い風」とはなってくれない。恨んでいるわけでは決してないが。
- Comments: 0
日暮れて道遠し
- 2023-04-13 (Thu)
- 総合
日本ナチュラル・ハイジーン普及協会会長で自然健康・治癒学博士の松田麻美子氏の『超健康革命』と題したセミナーに参加したことを記した。普段から食用油や牛乳・乳製品、砂糖、塩をできるだけ遠ざける食生活の生活を心がける大切さを学んだ。
書き忘れたことを思い出した。松田氏は世界的にパンデミックを引き起こしたコロナウイルスについても言及した。コロナは巷で喧伝されたような恐ろしい病原菌ではなく、重症化や死亡リスクは取り立てて大騒ぎするものでないと語った。コロナ禍で強いられたマスク生活についても、マスクはコロナウイルスを防御する上で全然役に立たず、自然な呼吸を妨げるだけの代物であると。また、我々が何度も摂取したコロナワクチンも我々が本来体内に有している有害物質に抵抗する免疫システムを阻害しており、接種の必要などはなからなかったとも言われた。門外漢には驚くようなことばかりだった。
翻って私は正月以来ずっと苦しんでいる帯状疱疹のことを思う。ストレスによってもかかるらしいが、思い当たる節はない。特段疲労を感じていた記憶もないが、年末には食生活が乱れ、免疫力が落ちていたのではないかと言われれば、そうかもしれないと答えるしかない。5回も接種を受けていたコロナワクチンが私の免疫機能をずたずたにしていたのだと言われれば、ああ、そうかもしれないと思えなくもない。
最近テレビやラジオなどメディアで中高年の帯状疱疹の危険性について警鐘を鳴らす文言をよく耳にする。私は私のような患者が急増しており、関係機関が慌ててそうした警鐘を伝えているのでなかろうかと勘ぐってもいる。いずれにせよ、私はもう二度とコロナワクチンは接種しない、金輪際、受けないと思っている。ああ、こうやってパソコンのキーを叩いていても背中の右上部が痛い。激痛ではないが、痛い!昨日もよく眠れなかった。
◇
とまあ、個人的なぼやきはともかく、世間は4月、新年度、新学期がスタートした。私も引き続き、とある公立中学校で英語を教える非常勤講師の仕事を継続することとなった。これまでの体験を交えながら、英語・外国語を学ぶ楽しさを伝えることができればと心から願っている。
そして私にとっても中国語と韓国語の独学はこれからも続く。今年は60代最後の年だ。独学を始めた時は数年で「目鼻立ち」がつくのではと思っていたが、飛んでも8分歩いて10分だった。いや、他愛ない言葉遊びはともかく、文字通り、「日暮れて道遠し」。一時は中国語が上達したような気がしたが、全然・・・。韓国語の方がまだ少しは基礎的な会話はできると感じている。
そんな私にとって有り難いのがNHKラジオの中国語と韓国語の講座。これまでは3月でワンクールが終了すると、また1から再スタート、発音や文法の基礎から学び直すことになり、復習にはなっていたが、物足りなさは禁じ得なかった。それがこの4月からの講座では中国語も韓国語も私のような学び直しの聴講者にも「歯応え」のあるように工夫されている。初級者には難しい語彙を含んだ会話も含まれているのだ。初級者と中級者の間にいると自覚している私は書店にテキストを買いに走りたくなった。(実際走った!)
- Comments: 0
「コーシ刑」とは何ぞや?
- 2023-04-08 (Sat)
- 総合
勤務先の中学校でお世話になっている先生が授業で活用されていたDVDのビデオを昨年末に借りていた。冬休みにゆっくり鑑賞するつもりだったが、帯状疱疹の苦しみでそれどころではなかった。冬休みだけでなく、春休みもとっくに過ぎた最近になってようやくDVDを鑑賞する余裕が出てきた。まだ夜明けに右胸と背中の右上部の鈍い痛みで目覚めているもののだ。
英BBC制作の「シャーロック」(Sherlock)。シーズン1の三つの作品が収められていた。作品データ2010年と記されているから、10数年前に制作されたようだ。アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の名作を基に、ネットや携帯電話が不可欠の現代に舞台を移し、シャーロック・ホームズ探偵がジョン・ワトソン博士とともに難事件解決に挑む。私は2012年の英文学紀行の旅でこの作品ゆかりの家を訪ねて取材しており、興味深く見入った。
面白いと思ったのはDisk3の “The Great Game”(大いなるゲーム)の冒頭の部分。ベラルーシでガールフレンドを殺害して警察に捕まったイギリス人の若者にホームズが面会する場面。若者が話しているのはコックニーと呼ばれるロンドンの下町言葉。我々がBBCで耳にする英語とは若干異なる。ホームズを演じる俳優、ベネディクト・カンバーバッチは若者が口にするコックニーの英語にしかめっ面をしながら、その文法的間違いを指摘する。
例えば若者は実家が肉屋だったので、肉の切り方は父親に教わったと言うシーン。“You know, my old man was a butcher so I know how to handle knives. He learned us how to cut up a beast.” これを聞いたホームズは動詞が間違っているだろ、“He taught us how to cut up a beast.“ と言うべきだと注意する。「ホームズさん、助けてくれ、あなたなしでは自分は絞首刑になる」(“Without you, I’ll get hung for this.”)とすがる若者。ホームズは “No, no, no. (You’ll get) Hanged, yes.” と動詞(過去分詞)の間違いを指摘し、笑いながら立ち去る。
日本語字幕に工夫がなされていた。若者が “taught us …” を “learned us …”と間違えたところは「おすわったんだ」といかにも拙い表現に。“I’ll get hanged …” と言うべきところが “I’ll get hung …” と誤った表現になっていたところは「俺はコーシ刑になる」と若者の無学が伝わる日本語訳にされていた。
私も過去に何冊か英語で書かれた小説を日本語に翻訳したことがあるが、上記のような「面白さ」「おかしみ」をいかに日本語に落とすか頭をひねったことを思い出す。翻訳の仕事から遠ざかって久しいが、オンラインで続けている英語短編小説を読む教室ではそうした言葉遊びの楽しさを受講生とともに味わっている。
ところで、私はDVDを観ることができるビデオデッキは持っていない。ラップトップのパソコンは軽量ゆえにDVDは外付けになっている。古いラップトップを捨てずに手元に置いており、それでは何とかDVDを観ることができる。ただし、古いゆえにどこか不具合があるのか、DVDが途中で止まったりして興趣をそがれる。それで思い切って安い卓上ポータブルDVDプレーヤーを購入した。遅ればせながら、これからDVDを借りまくり、楽しもうかとも思ったが、パソコンのYouTubeで多種多様な番組が楽しめる昨今、DVDのショップに足を運ぶことが果してあるのかないのか。
- Comments: 0
| Next»
Home > 総合