Home > 総合

英語でさるく 那須省一のブログ

| Next»

本屋大賞「成瀬は・・」

20240421-1713656150.jpg 最後の項をアップしてから二週間以上経過している。水はやはり高きところから低きところに流れるようだ。ものぐさになってくるとどこまでも怠けたくなる。ただ、今回の「筆無精」はちゃんと理由がある。公立中学校での従来の非常勤講師の仕事に加え、今月から公立高校での仕事も一つ引き受けた。高校の教壇に立つのもこれが初めて。教科書や副読本など授業で活用する教材を読み込む必要のほか、かつて大学の講義で使っていたパワーポイントの準備など、準備作業が格段に増えた。
 そういう事情もあり、パソコンに向かい、ブログをアップするのが億劫になっていた次第だ。鹿児島から帰福して以来、そう書きたいこともなかった。いや本当はあったのだが、そのうちにと思っているうちに意欲と記憶が失せてしまった。
 本日は土曜日。このところ一気に春めいてきて、木曜日にはガスヒーターを片付けた。気分も晴れやかになるかと期待していたら、今日は雨模様。寒くはないが、爽やかな面持ちからはほど遠い。来週の授業の準備が一段落したら軽く一杯やろうと考えていたが、夕刻までに気分が持ち直すものか・・・。
 地元のラジオ放送を聴いていたら、2024年の本屋大賞を受賞した作品のことを激賞していた。そういう文学賞があることは知っていたが、芥川賞とか直木賞とかと異なり、わざわざ書店に足を運び、受賞作品を買い求め読んだことはなかった。今回もそこまでの興味関心はなかった。なかったのだが、通勤の帰途、駅の中にある書店に立ち寄ったら、店頭に本屋大賞の作品が並べられていた。目立つ表紙なので手に取って見る。『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈著・新潮社)。ふと手に取りたくなるような装丁の本だ。
 主人公は成瀬ひかりという中学二年生の女子。滋賀県大津市の琵琶湖の近くに住む。小学校の卒業文集に「二百歳まで生きること」が夢と書くようなユニークな子だ。オムニバスの六つ目の短篇が終わる頃には大学進学を目前に控えた高校三年生になっているが、高校入学時には頭を坊主にして登校する。世に言われているように、人間の髪の毛は本当に1年で1㌢伸びるのかを自らの頭で卒業式までに見極めたいのだという。この説が本当なら、卒業時には自分の髪の毛は36㌢までになっているはずだと。
 成瀬ひかり嬢はこのように風変わりな子、世間の常識的なことには無頓着だが、決して傲慢ではない。小学校以来成績は優秀。他の女の子と群れることもなく、いじめの対象ともなるが、あまり気にもしていないようでもある。こういう子だから親友と言える友人がいるのか疑わしくなるが、同じマンションに島崎みゆきという同級生が住んでいて、こちらはごく普通の女の子。島崎嬢は及び腰ながら、なぜか大胆不敵な成瀬嬢の行動に付き合っていく。
 私は著者の宮島未奈氏のことは何も知らない。奥付には1983年生まれ、京都大学文学部卒業、大津市在住とある。メディアの書評も読んでいない。ネットでぐぐってもいない。きっと好意的な書評が並んでいるのではないかと推察する。私にとって大事なことは久しぶりに楽しく小説を読んだという思いだ。宮島氏のこのデビュー作は肩の凝らない文章で、短時間で読み終えることができた。物語の筋から見て、きっとこれからも奇想天外かつ爽やかな続編が次々に生まれていくのだろう。

極上のカンパチ

20240403-1712144423.jpg 前回の項で「非常勤講師の仕事も春休みに入り、一息ついている。時間ができたので久しぶりに大好きな台湾に行こうかと考えている。済ませなくてはならないその他の用事もあり、見送ることになる可能性大だが」と記した。幾度となくチェックした航空券の馬鹿高さにあきれ、結局断念せざるを得なかった。
 本日朝、いつものように7時過ぎに目覚め、NHKラジオの韓国語・中国語講座を聴いた後、ニュースにアクセスすると、沖縄地方に津波警報との警告が出ている。え、大地震があったのかと驚いてチェックしてみると、震源地は台湾ではないか。それも私が台湾を再訪したら絶対行きたいと考えていた花蓮の沖が震源地。花蓮には一度しか足を運んだことがないが、気に入ったカフェがあり、ぜひ、再訪したいとずっと願っていた。もし、台湾に旅していたら、まさに今の時期に花蓮に下っていた可能性が大。NHKテレビが伝える現地からの映像を見ながら複雑な心境になった。日本も台湾も地震や台風に常時悩まされる地。そうした災害とは無縁の地も世界にはあるようだ。「神様、不公平ですぞ!」と声を荒げても詮なきことは百も承知しているが・・・。
 台湾を諦め、出かけたのは鹿児島・南大隅町。薩摩半島の対岸、大隅半島にある町だ。コロナ禍でここもずっとご無沙汰だったから、5年ぶりだろうか。博多駅から九州新幹線で鹿児島中央駅まで一気に南下し、そこからバスで鴨池港に行き、フェリーで垂水港まで。そこで友人のTさんが迎えに来てくれていた。帰りはほぼ真逆のコースで福岡へ。
 南大隅町では当初、温泉ネッピー館のあるホテルに2泊するつもりだったが、「うちに泊まんなさいよ!」というTさんの言葉に甘えて有り難くお世話になった。最初の夜は旧知のHさん夫妻も加わって鹿屋市内で楽しく会食。普段は飲まない生ビールも2杯ほど頂いた。翌日はTさん夫妻に桜島を一周するドライブに連れて行ってもらい、高台からの眺望を楽しんだ。韓国やおそらく台湾からと思われる観光客も結構見かけられた。
 今回の旅で一番印象に残っているのは桜島観光の帰途に垂水の漁港の市場にあるレストランで食したランチだろうか。「海の桜勘」という名の養殖カンパチの専門店だ。二日酔いがまだ残っており、普段なら絶対にスマホで撮影していたであろうに、肝心の写真撮影を忘れた。仕方ないので、このレストランのホームページにある写真をここにコピーして置くのを許してもらおう。「鎌塩焼き漬け丼定食」(1550円)。ホームページに「漬け丼、カマ塩焼き、びんた煮と食べ応えあります!」との文言があるように1550円(以上)の価値ありの定食だった。私が住む福岡の地元にこんな定食を食べさせるレストランがあったら、足繁く通うだろう。まさに “You are what you eat.” を実感させる味処だと思った。
 久しぶりのネッピー館の湯も良かった。入浴料はなんと330円。その安さに驚いた。私が福岡で時々利用しているサウナ付きの浴場は料金990円。その3分の1の入場料だ。湯質は断然ネッピー館。第一、こちらは温泉だ。海に近いせいかちょっぴり塩気があるのも愛嬌。いつも地元の人で賑わっているが、混み合っていることはまずない。気持ちよく利用できる。車さえあれば、食に湯に田舎暮らし万々歳だろう。まあ今のところ、移住の考えはないが・・・。

新しい炊飯器!

 世の中、驚くニュースが時々飛び込んでくる。天変地異や戦争のニュースは勘弁して欲しいが、それ以外でもなんと形容していいのか困るものもある。世界的なスーパースターとなった大谷翔平選手の大リーグでの通訳を務めている水原一平氏が違法賭博疑惑でドジャース球団から解雇された。刑事訴追の恐れもあるとか。水原氏はギャンブル依存症(gambling addiction)だったと伝えられている。ギャンブルの醍醐味はその魔力に気づき、窮地を悟ったら潔く身を引くことだと私は思っている。願わくは、大谷君に火の粉が降ってこないことを祈る。
                  ◇ 
 非常勤講師の仕事も春休みに入り、一息ついている。時間ができたので久しぶりに大好きな台湾に行こうかと考えている。済ませなくてはならないその他の用事もあり、見送ることになる可能性大だが。
 実はこのところ、幾つかの台湾グルメのYouTubeをよく見ていて、うずうずしていた。台湾の魅力。一つは朝食だ。あれほど安くてかつ美味い朝飯が味わえるところはないのではとさえ思う。昔の拙ブログを見てみよう。以下の記述がある。2018年3月26日の項だから、あれから6年も経つのか!
 ――花蓮で最後に食べた朝食も忘れ難い。お客の流れが絶えない街の食堂で適当に注文したのは、キャベツ餃子のような高麗菜煎包、小麦粉のクレープのような蛋餅(ダンピン)、それに冷たくて甘い豆漿(豆乳)の3品。これが何と72元(約270円)。はるか昔の学生時代の生協(学食)に戻ったような感覚。これで腹一杯になったのは言うまでもない。――
 YouTubeを見ていて、台湾再訪を思うようになったのは美味い朝飯を食べたくなったからだが、遠因としては私が今住んでいる界隈には美味い朝飯を食わせる食堂の類がないことがある。それなら自分で作ればいいのだが、最近はどうもこれはという朝飯が作れていない。なぜなのだろうと考えてみた。以前は料理音痴の私でもご飯ぐらいは一人前に炊けていたと思う。炊飯器にお米を入れるだけだ。ふと思った。私が愛用している炊飯器は社会人となった新人時代に購入したもの。今年で45年の歳月が経過している。その間一度も故障することなくアフリカの大地からロンドンのフラットまで付き添い続けてくれたが、さすがに「老朽化」したのだろうか? 無理もないことだ。
20240323-1711177493.jpg 家電製品の売り場に足を運んだ。値札2万5千円ほどの黒い炊飯器が目に入った。使い勝手も良さそう。(発芽)玄米も楽に炊けそう。決めた。すまなく思うが、戦友みたいな炊飯器にはおいおい「話をして別れ」を納得してもらおう!(写真:左が新しい炊飯器)
 上記のことを書いたのが昨日(金曜日)の午後。そしてその日の夕刻、早速夕ご飯を炊いてみた。湯気を立てる熱々のご飯をほおばった。ん、これは美味い、かつて新聞社の盛岡支局に勤務していた頃、東北のお米を炊いて舌鼓を打っていた美味さと遜色ない味わい(のような気がきた)。これなら台所に立つ楽しみもまた復活しそうだ。一つの物を長く愛用することは美徳に違いないが、それだけにこだわりしすぎると失っているものも少なくないのかもしれない。

台湾からナイロビまで

 YouTubeにはまっていることは既に何回か書いたかと思う。大リーグやプロ野球中継がシーズンオフなのでテレビをつけない日はあっても、パソコンを立ち上げYouTubeを見ない日は皆無。それほど私の日々の生活には欠かせない存在となっている。これがいいことかあまり好ましくないことか正直分からない。社会評論家の大宅壮一氏がかつて危惧した日本国民の「一億総白痴化」はテレビを念頭に置いた警告だった。大宅氏も平成・令和の時代の今のYouTube隆盛までは視野になかったことだろう。
 最近よく見ているのは日本人の若者が一人で海外を旅してグルメを中心にアップしているYouTube。無邪気というか楽天的というか、さまざまな国々の街を臆することなく歩いている彼の珍道中は見ていてなかなか面白い。コメント欄を見ると、数多くの固定ファンを引きつけているようだ。今はケニアを旅していて、日曜日には現地からライブ配信するとか。ケニア国内の動物サファリの様子を生配信するものと思われる。
 彼がナイロビに到着した時の配信を先に見たが、懐かしいナイロビの街並みが流れ、楽しく見させてもらった。私がナイロビを最後に訪れたのは2010年だからもう14年も昔のことだ。私一人で楽しむのはもったいないと思い、新聞社のナイロビ支局で勤務していた当時(1987-1990年)からの付き合いがある何人かの友人に「懐かしい光景が見られるかも」とラインメールを送った。
 笑ってしまったのは彼がナイロビのホテルにチェックインした後、近くのレストランで食事しようとして、びびりまくりながら通りを急いでいた時の様子。彼が抱いていた恐怖感が画面から伝わってきた。本当は笑えない話だ。そうした怖い思いを隠すことなく正直にレポートしてくれる姿勢には好感を抱いた。この種のYouTuberに見られる「上から目線」の尊大さもなく、見ていて不快な気分にさせられることもほとんどない。彼は直前には台湾からもレポートしているようだ。懐かしいケニアはおいそれとは足を運ぶことはできないが、大好きな台湾ならばその気になればすぐに飛べる。近く再訪したいと考えてもいる。ぜひ参考に見なくてはと思っている。
 さて、ナイロビに巻き戻そう。ナイロビの街が依然、外国からの旅人には「危険」な地であることは上記のYouTubeからもよく分かった。私にしても今ナイロビを訪れたなら、たとえ日中でも一人で街を歩く勇気はない。仕事がなく、将来の展望もなく、不満を募らせている若者たちがたむろする街を一人で歩く行為は、ひったくりあるいは強盗の格好のカモ。そうしたことが十分に予測できる街を気ままに散策するのは蛮勇でしかない。
 それにしても、私がナイロビ勤務を終えてから34年。あの当時もさすがに夜間は街を一人で歩くことはできなかったが、日中ならそう危険を感じることなく街を歩くことはできた。日本を始め普通の国なら普通にできる行為ができないのは残念だし悲しい。紀行本『ブラックアフリカをさるく』を執筆するために2010年にケニアを再訪した時も複雑な心境になったが、治安状況は一向に改善していないようだ。一番辛い思いをしているのはナイロビにそしてケニアに暮らす庶民の方々だろう。煎じ詰めれば政治腐敗・堕落が諸悪の根元か。どこかの国の国政も目を覆いたくなる惨状を呈しているようだが・・・。

古希を祝う会

20240225-1708848262.jpg 郷里の幼馴染みたちと古希を祝う会が宮崎市内のホテルで開かれ、泊まりがけで参加した。故郷は西都市の奥深い山間地にある。銀鏡という地名で今では限界集落と呼ばれる地区になっており、母校の銀鏡中学校も山村留学生を招き入れ、小中合同の学校となって命脈を保っている。卒業したのは昭和44年(1969年)。当時の時代を思い出そうとしても容易ではないが、明るい未来がきっと待っていると信じるに足る世の中だったのではないか。私は地元の宮崎大学に進学したが、教育学部の専攻に沿って教師とはならず、夢と冒険を求めて新聞記者の道を選択した。
 これが躓きの始まりだったのかもしれない。うーん、分からない。大学時代の仲間は皆教師となり、地元に密着した暮らしを営んだ。郷里を同じくする幼馴染みたちもほぼ同様だ。私は彼らと人生が交差することはなく、たまに会う程度の緩い付き合いとなった。それは苦でもなく、何の罪悪感もなかった。まだ明るい未来が先に待っていると信じることができた時代が続いていた。
 10年前、還暦を祝う会で幼馴染みと再会した時にはさすがにそのような幻想は抱いていなかったかと思う。でも、まだ望みは捨ててはいなかったような。私は新聞社を早期退職して直後の海外放浪の旅も終え、大学で英語の非常勤講師として糊口を凌ぐ日々だったが、人生の残り時間をそう意識はしていなかった。
 そして昨日の土曜日の古希を祝う会。我々は山間部の小さな中学校ゆえ、同級生は48人程度だったと記憶している。当時父親の山仕事でやってきた転校生も何人かはいたが、大半は小学校から机を並べた竹馬の友だった。古希の会に集ったのは幹事役のT君の人徳もあり、20人の友だった。48人で20人だから悪くない数字だと私は思う。
 我々の世代は男女が自由に何でも語り合った、語り合うことができた世代ではない。小中9年間を一緒に過ごしてもそうした思い出はあまりない。いや、皆無に近いと言うべきかもしれない。仲が悪かったというわけではない。男子が女子と屈託なくおしゃべりできる時代ではなかったかと思う。決してほめられたものではない。古希の集まりではこれまであまり会話を交わすことのなかった女子(今では妙齢のご婦人?)とも話をすることができた。彼女たちから私が全然覚えていない中学生の頃のエピソードを聞かされもして驚いた。人の記憶というのは面白い。断片的に記憶として残っているのが人それぞれなのだ。当然と言えば、当然のことかもしれないが。
 半分ほどの参加者が2次会と称してカラオケのお店に流れた。驚いたのはこれまで歌を聞いたことのないH君のカラオケ慣れした様子。彼は地元神社の宮司として銀鏡の地の振興に奮闘してくれている。Mさんも趣味の民謡で鍛えた歌唱力で楽しませてくれた。
 一夜明けた日曜日朝。私は宮崎駅から新八代駅まで高速バスに乗り、そこから九州新幹線に乗り換え、福岡に向かう。今、この項をバスの車内でラップトップに打ち込んでいる。同級生と10年ぶりに語り合った喜びも残っているが、「祭りの後の寂しさ」みたいなものも感じている。嗚呼、私はこんな感傷的な男ではなかったはずなのに! 古希の次に控えるのは喜寿か。いやそこまで待つことはないか。そう遠くない将来また集えることを願う。

“mom-and-pop store”

 職場の机の中に常時置いて使っている三色ボールペンの赤ペンのインクが切れてしまった。赤ペンは採点などでよく使うのでグレーや青に比べて早くなくなったようだ。このボールペンはいつぞや人にもらったもので重宝していたが、赤ペンが使えなくなると不便を感じることは必至。新しい三色ボールペンを購入することになるかなと思ってはみたものの、赤インクのペンだけ補充することもできるかなと、時々利用している小さな文房具店をのぞいてみた。果たせるかな、私の三色ボールペンに使用可能な赤ペンがあった。88円。
 私は100円玉で支払いながら複雑な心境になった。いや、この文房具店をのぞくといつもそんな心境になる。あまりここで書きたくはない。要するに私はこの店では安価な文房具の類をたまに買っているに過ぎない。もっと高価なものを購入してあげたいとも思うが、いかんせん、そういうわけにもいかない。コンビニや百均ショップなどに押されてこうしたお店は苦境にあるのだろう。英語ではこうしたお店のことを “mom-and-pop store”(家族経営の小さな店)と呼んでいることを思い出した。「ママパパ店」という訳も見られたが、実際は “grandma-and-grandpa store” と呼びたくなる感じのお店だ。
 日本の繁栄は長年、こうしたお店によって下支えされてきたに違いないと思うが、淘汰されていく運命にあるのだろうか。申し訳なく思う気持ちが沸き起こるのはなぜだろう?
                  ◇
 オンライン英語教室で題材にしていたアメリカの短篇集「オー・ヘンリー賞」の最新2023年版を書店で買い求めようとしたが、さすがになかった。ネットで注文した。– The Best Short Stories 2023, The O. Henry Prize Winners—
 届いた堤を開封して愕然とした。中ほどの何十頁かが斜めに閉じられており、読むのに一苦労。不良品だ。普通の書店で買い求めたものだったら、間違いなく取り替えてもらえるだろう。ネット注文だとどうなるか。手続きがよく分からないから我慢することにした。不具合がある部分も何とか読めないことはないし、大半の頁は問題ない。
 それで暇を見て少しずつ読み進めている。読み進めてはいるのだが、これまでのオー・ヘンリー賞の短篇集と比べ、なんだか拍子抜けする感じがしてならない。これは読んで良かったと思える作品とはあまり出会わなかった。例えば、“The Blackhills” というアイルランドが舞台となった作品。北アイルランド紛争が背景にある作品と思われたが、登場人物がなぜ警察の捜査から逃亡しようとしているのかよく分からなかった。登場人物の肉付けが不足していて、消化不良のまま終わった。
 “The Mother” はアフリカ・ザンビア出身の作家の作品。幻想的な書きだしですぐにアフリカのどこか田舎の村が舞台となっていることは推察できた。オー・ヘンリー賞の受賞作品の中にはこの種のミステリアスなものがあり、私は嫌いではない。だが、この作品はいまいちという印象は拭えなかった。薄味とでも言おうか。
 オー・ヘンリー賞は毎年、受賞作品を選ぶ選者が変わる。今回の選者は優秀な作品ばかりで20の受賞作品を絞り込むのに苦労したと述べていた。おそらく選者が別の人だったら異なる作品が並んでいたことだろう。いや、きっとそうに違いない!

「减肥」は上がり調子で?

 テレビを見る生活からはすっかり遠ざかってしまった。それはそれでいいことだが、テレビの代わりにパソコンやスマホでYouTubeを見ることが当たり前の日々となっただけのことだから胸を張れないか。ただ、YouTubeだと気乗りのしない番組は見なくていいから、テレビよりは主体性があるような気がする。
 YouTubeでよく見るのは決まっている。韓国語を韓国人の青年が分かりやすく教えてくれる講座。土曜日夜の1時間半ほどはこれにはまっている。生きた韓国語の基礎が学べる。問題は講座が終わると、その日に学んだことはほぼ忘れてしまっていること。ただ、講師が出題する韓国語の簡単な問題はまあまあ理解できているし、少しは力をつけているような気はしている。気分は悪くない。
 中国語の方は上記のような講座に巡り合っておらず、NHKラジオの講座を忘れない限り聴き続けているだけだから、力がついているとは思えない。正直に言えば、習得したと思っている語彙や文法が怪しくなる一方だから情けない。二三日前に「私はダイエット中です」という文章が紹介されていた。ダイエット。私はもう何度この語彙を目にして、そして記憶しようと努めてきたことか。頭の中にはすぐに「我在减肥」という文章が浮かんだ。ダイエットは「减肥」(ジェンフェイ)でいいはずだ。問題は声調。私はjiǎnféiのピンイン表記の声調は「三声+四声」つまり最後の「肥」は上から一気に下る「四声」だと思った。確かそんな感じだったのでは?講座を聴いた後、テキストを取り出して確認してみると、下から上に一気に上がる音の「二声」ではないか!
 残念。私の耳には講師の先生方の発音は「四声」に聞こえていたのだ。私には往々にしてこの「四声」と「二声」という正反対の音の上がり下がりが聞き分けられない。おそらくこれからも一生こうなのではないかと恐れている。正しい声調を身につけることは中国語上達の必須条件と幾度となく言われ、本でも読んだことがある。日暮れて道遠し・・・。
 話が横道に逸れた。韓国語の講座の他によく見ているのはその他、かわいい飼い猫が登場する番組。見ていて飽きない。アメリカのコメディアン、スティーブン・コルベア氏が舌鋒鋭くトランプ前大統領の愚かさを皮肉る風刺番組も欠かさず楽しんでいる。最近なぜかよくパソコンのスクリーンに飛び込んで来るのは、ベトナム辺りらしき国の山間部で農業を中心に生活を営んでいる若者の簡素な暮らし。今の私が憧れる自然と共生した生き方で、羨ましい思いで眺めている。
 そして今またよく見るようになっているのが台湾のグルメもの。以前によく見させてもらっていたが、ここしばらくはすっかりご無沙汰していた。ふとしたことで久しぶりにクリックして見ると、台北の懐かしい食事風景が流れてきて、見入ってしまった。そうだな、台北も4年かそこら足を運んでいない。一か月という短い期間、語学留学した大学を再訪し、 老师(老師)と中国語で言葉を交わしたい。おそらく、私の中国語はあれから全然進歩していないことを恥ずかしく思うが、これは致し方ない。当時定宿にしていた安ホテルを懐かしさからネットで検索してみた。ホテル代はさすがに上がっていた。今や1泊1万円を覚悟しなければならないようだ。私には辛い!

| Next»

過去の記事を読む...

Home > 総合

Search
Feeds

Page Top