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英語でさるく 那須省一のブログ

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立直が reach?

20240525-1716629378.jpg 5月も後半となった。ずっと台湾の旅が心にあり、日々、ネットで格安チケットを検索している。いや、正確にはチケット会社からしょっちゅう格安チケットの案内が届いており、その都度クリックして確認している。格安チケットとは呼びがたい状況が続いているが、最近届いた案内では燃油サーチャージが来月にはまた値上がりする見込みであり、航空券は今月中にお買い求めをとうたっていた。気が滅入る一方だ。
 そこで私は考えた。今夏も台湾の旅は諦めようかと。いつか格安チケットが本当に格安になるときがやってくるのではないか。何の根拠もないが。もう一つの理由は今秋、ソウルから韓国人の友人が夫妻で来福する予定になっている。私は二人を九州観光でもてなしたいと考えている。頭に今あるのは福岡2泊、宮崎2泊、別府2泊といった旅だ。福岡と宮崎はだいたいのところは頭に浮かんでいるが、別府は土地勘がないから現地調査をせねばと思っている。だから、学校が夏休みに入ったら、別府をぶらぶらして最適の湯巡りルートを探索したい。二人にとっては初めての九州。来訪して良かったと心から思ってもらいたい。だから、入念に準備したい。
 もう一つドメスチックな夏を過ごしたいと思っている理由がある。コロナ禍にかまけてここ何年か、田舎で満足のいく墓参りをしていないことがある。親父やお袋、長兄、次姉のお墓をじっくり拝みたい。毎朝、神棚に手を合わせてはいるが、時間があるなら、やはり田舎に戻ってそうすべきだろう。そろそろ実行しないといい加減罰が当たりそうだ。よし、決めた。台湾の旅は来年まで封印だ!
                  ◇
 賭け事から足を洗ってだいぶ経過した。パチンコにしろ、競馬にしろ、未練はない。麻雀は今もYouTubeで楽しんでいる。プロを名乗る雀士の対戦を傍観するだけで十分面白い。運の要素が大きい麻雀でプロを名乗るに値するか疑わしいとは思うが。聴牌を宣言するリーチがかかるたびにパソコンの画面上にリーチ(reach)という文字が走る。これにも違和感を禁じ得ない。リーチは漢字で書けば「立直」であり、中国語のピンイン表記だと lizhiであり、reachは無理があるだろう。そうしたい気持ちは分かる。日本人が普通にリーチと発声すれば、「到達する」のreach ではなく、おぞましい「ヒル」のleech になるからだ。
 競馬は今も暇さえあれば、パソコンで楽しんでいる。日本中央競馬会(JRA)のホームページにとべば、レースの実況が無料で楽しめる。予想を立ててレースを観戦するのは息抜きとして申し分ない。十中八九予想は外れる。外れても身銭を張っているのではないから、痛くも痒くもない。予想が当たると、俺の読みは当たっていたとほくそ笑む。かといって一銭の儲けもないが、こんな無益無害の娯楽もあっていいだろう。
 明日の日曜は競馬界が一番の盛り上がりを見せる競馬の祭典、日本ダービーの日。私も予想だけは立てて参加する。7906頭の3歳馬の頂点に立つべく17頭の駿馬が駆ける。ダービー馬の称号を手にするのは果たしてどの馬か?前売りだと2頭の馬が抜けた人気だ。うち1頭はただ1頭の牝馬。敏腕の外国人騎手が鞍上にあり、牝馬のハンデはなさそうだ。私が応援しているのはこれら2頭ではない。まあ勝つことは望み薄に見える。

人生いろいろ、記憶もいろいろ?

 定期的にオンラインで届いている米高級誌「ニューヨーカー」は、お気に入りのコラムニストの記事以外は目を通すことはあまりない。一本一本の記事が長くて、まともに読んでいればかなりの時間を割くことになる。
 “How to live forever” という見出しの記事を先週末に見つけた。「永久に生きる」ってどういうこと? そろそろ終活に入ってもおかしくない我が身としては興味津々、これは読もう。記事を印刷して読んだ。A4の紙で14枚程度。結構読み出のある量だ。この雑誌に30年以上勤務するベテランの男性ジャーナリストが筆者だった
 こういう食生活を心がければ、あるいはこういう運動を実践すれば、健康な長寿を手にすることが可能ですよとかといったものではなかった。それでも面白く読んだ。筆者は記録魔というか家族の例えば息子や娘の成長の跡がうかがえる日記(三日坊主で終わっていることがしばしば)や作文、親しい家族・親類間の手紙のやり取りなどをファイルして残している。友人との手紙やEmailのやり取りも捨てることはせず、特に興味深い一言が書かれているものなどはきちんと整理して、いつでもそれが取り出せるようにしているとか。
 “How to live forever” という主見出しに続く袖見出しは “The simplest, most foolproof way to extend life is to do so backward, by adding years in reverse.”(寿命を伸ばす最も簡単で誰にもできるやり方は過去を巻き戻すことにある。過ぎ去った歳月を付け加えていくことだ)。自分が生きて思ったこと、口にしたことを書き留めておけば、自分がどういう人生を生きてきたのかを明確に残せる、示せることができるのではないか、それが長生きにつながるという考え方だ。
 凡庸なる頭脳では分からないことは多いのだが、筆者の主張していることに賛同したい気がする。というのもつい最近、かつて全国紙の記者として八王子支局に勤務していた頃の後輩であるS君からメールが届いた。40年ぶりぐらいの「便り」だ。
 私は新聞社を早期退職して、アフリカの紀行本を書くために旅していた2010年、タンザニアという国で携帯電話を盗まれた。携帯には新聞社時代の先輩同僚後輩の電話番号が登録されており、連絡方法が途絶えた。その後、先輩同僚の中には他界された人もいて、東京本社から送られてくる社報でそうした方々の訃報を知る不義理の日々となった。だから、S君のメールは嬉しかった。
 話が横道に逸れたが、S君はメールに私との思い出を添えていた。おそらく40年前、とあるスナックで宴の後のカラオケに興じていて、H先輩から歌うことを求められたS君が歌うことを拒絶した。私は「S君、Hさんは皆と楽しくやりたいので、君にも歌うことを勧めているのだよ」と諭したとか。このエピソード、私は全然覚えていない。私にS君に歌うことを強いる権利などない。大きなお世話ではないか。きっと酔っていたのだろう。
 “How to live forever” を読んで、自分の言動を、例えば30歳の頃からでもいい、記録していれば、後年、それを読み返せば、人間としての成長の跡、いや、成長していないことが分かる証となるのではないか・・などと思った次第だ。S君によると八王子会の集いが企図されているとか。うーん、東京は遠い、遠く感じる地となってしまった。

明太子は好きだが・・

 地上波テレビはあまり見ない生活を続けているが、ラジオはよく聴く。特に外出している時や、通勤や帰途の電車の中などでは、スマホでラジオにアクセスしてワイアレスイヤホンで聴いている。先の関西旅行でイヤホンをなくしたと思い(実際には実兄の家に忘れていたことが判明)、天神のソニーストアでうっかり落とすことはなさそうなイヤホンを新たに購入した。今のところ使い勝手はすこぶる良い。
 ラジオで聴いているのはNHKの語学講座の他には、福岡の民放ラジオ局の放送。地元ではよく知られた人気の番組だ。名物アナが私はあまり興味のない東京の芸能情報も面白おかしく伝えてくれる。平日の日中は毎日のように聴いているが、閉口するのは繰り返し放送される、番組関連のお決まりのお知らせというかPR告知。CMもそうだ。だが、CMがあるから放送が可能になっているのであり、これは我慢するしかないのは分かっている。
 このラジオ局の放送でここ数年、いや数年の単位ではなく、10年前後の長期にわたるかもしれない、そのうち内容に推敲の手が入り、文言が変わるだろうと思いながら、聞き流しているCMがある。「聴き流す」ではなく、あえて「聞き流す」と表現したい。福岡名物の明太子のCMだ。明太子を生産、販売している食品会社は複数あるようだが、このCMは理解し難い。正確に記憶しているかどうかあやふやだが、おおよそ次のような内容だ。幼い女の子が母親にたずねる。「お母さん、ご飯美味しいよ。お米替えた?」。母親がこたえる。「ううん(同じだよ)。でもおかずは明太子だけだよ」。確かこんな感じのやり取りの後、その明太子のCMが流れる。
 私はずっと思っている。これはある意味、「虐待」ではないか。育ち盛りの子供の食卓のおかずが明太子だけではあまりにかわいそうだろう。せめて卵焼きか野菜サラダ、それにもう一品ぐらい出してやりなさいよと。長期にわたってこのCMがお茶の間に放送され続けていることから、聴取者からのクレームはラジオ局や当事者の食品会社には寄せられていないのだろうと推察される。まあ、それにしてでもだ・・・。
                  ◇
 地上波テレビはあまり見ないと書いたが、ドジャースの大谷翔平君が活躍する大リーグの生中継だけは例外。平日は仕事のために付き合うことは難しいが、週末は彼の一挙手一投足を追っている。土曜日(日本時間)のホームゲームでもホームランを放ったのを見た。左打者だが、打球は左翼スタンドに飛び込んでいる。恐るべきパワーに技術だろう。今シーズン13号目のホームランで両リーグのトップタイ。打率は3割5分8厘で堂々の両リーグ単独トップ。
 地元のロサンゼルス市は翔平君の実績、影響力を高く評価して、ゲームが行われた5月17日を Shohei Ohtani Day に定めたことを発表した。翔平君はこれからも数限りない栄誉を手にすることだろう。彼のバットから放たれるホームランの魅力は飛距離もさることながら、あの乾いた打球音。胸のすくような一打とはあのような快打を指すのだろう。英語ではどう表現するのかよく分からないが、refreshing (心身を爽やかにする、すがすがしい)という語が頭に浮かぶ。こちらのプロ野球で無理矢理こしらえた外野のテラス席に辛うじて飛び込むホームランは refreshing からはほど遠い。少なくとも私には。

Are you feeling ineffable joy?

 毎朝 “Walking in Grace 2024” というキリスト教の祈祷書(devotional)を読んで、1日をスタートさせている。アメリカで発刊されている書で、木曜日の朝読んだ一節の中にineffable という語が出てきた。その文章は I felt ineffable joy. というものだった。ニューヨーク州の小さな村に住む女性が幼い頃に自転車を乗り回して育った故郷の丘陵地帯を、孫のいる年齢になった今も昔のように自転車で散策できる喜びを表現した文章だ。ineffable という語の意味合いはだいたい推察できた。語自体も以前に何度か辞書で調べたような気もするが、どういう意味だったか明確には思い出せない。毎度のことではあるが。
 改めて再び辞書を引く。「(喜びなどが)言葉で言い表せない、言うに言われぬ」という意味だと載っている。同義語では indescribable というようだ。indescribableは理解できる。describable(描写できる)の反意語。ineffable の場合は effable (言葉で言い表せる)という反意語、というか元の語があるかと私が持っている幾つかの辞書で当たってみたが、どれにも出ていなかった。さてはそういう語はないのかと思って、ネットで検索してみると、effable という語が掲載されていた。今ではあまり使われなくなったので、一般の辞書には掲載されないようになったのだろうか。
 翻って我が身を思う。日々とは言わず、たまにでもいいから、I feel ineffable joy. と感じることがあるだろうか。いや、ここ数年、そう感じたことがあるだろうかと。どうも自信がない。中学校と高校で英語を教える楽しい日々を過ごしてはいるものの、ineffable joyとまでは言えないか。それなりの手応えを感じるときもあるが、それより、生徒が疑問に思うとか難しいと思う英語表現について、彼らに満足のいく説明をしているのだろうかと(授業が終わった後で)自問することの方が多いような・・・。
 しがない初老の独り身の私には家族の成長にineffable joyを覚えることもない。先述の“Walking in Grace 2024” にはそうした喜びを書き綴った文章があふれている。イソップ物語の狐のように「あのブドウは酸っぱいはずだ」と愚痴っても詮無きこと。私はこれからも地道にineffable joy を探し続けていくしか手はないのだろう。一人旅には慣れている。
 一人旅と言えば、久しぶりに台湾に旅したいとずっと思っている。YouTubeには台湾の旅やグルメを紹介した番組が目白押しで、旅愁への憧れは募るばかりだ。パソコンのメルアドにも台湾への格安チケットを案内するメールが毎日届いている。学校が夏休みに入る7月中旬から8月にかけてのチケットをチェックする。最近の格安チケットは最安でも57.920円。え、これが最安? 昔の拙ブログを確認してみる。中国語の学習に目覚め、初めて訪台した2017年9月、同じ航空会社で27.810円で旅している。諸事情があるとはいえ、これだけの価格差を知ると、旅立ちたいという意欲は萎えていく。
 しかし、このまま座していても、この夏に向け国際便の燃油サーチャージが下がることはまずないのだろう。いや、さらに上がる可能性の方があるか。迷い続け、直前になってネット購入を決断した時には57.920円さえ「手頃な価格」に思えるのかもしれない。ウーン、どうしよう。困った時には神様の「思し召し」「差配」を辛抱強く待つのが得策と心得ている。神様、どうすれば良いのでしょうか?

笑顔で分かる?

20240507-1715041675.jpg 連休で計画通り、関西方面に出かけた。まずは久しぶりの顔合わせとなった英語愛好者の懇親会。懇親会と言えば大仰に聞こえるかもしれないが、いつからか、年に一回か二回程度、神戸・三宮で集まるようになっている。メンバーは私を含めて中高年の6人。私以外は皆、関西にお住まいの方々だ。今回初めて知ったが、最高齢のS氏は齢91歳だと知った。矍鑠(かくしゃく)としたお方だ。
 三宮のお寿司屋さんで楽しく歓談した。別れ際にS氏がこの集まりに何か名前をつけましょうかと言われた。なるほどそういう手もあるな。S氏は「グローバルウエスト」という名称を口にされた。私が英字紙「デイリーヨミウリ」(当時)に勤務していた頃、読売新聞大阪本社の英字新聞課が製作していた週1の紙面を「カンサイウエスト」(Kansai&West)と称していたことを思い出した。Westは関西以西の西日本の意味合いがあったと記憶している。私たち6人は全員日本人だが、話題は英語や外国語、世界情勢などグローバルに及んでいるから、「グローバルウエスト」はぴったりの名称かもしれない。
 京都・亀岡では実兄宅に二泊させてもらった。いつものように兄嫁に歓待してもらった。日曜日は芦屋市にあるキリスト教の教会に足を運んだ。私が尊敬する牧師さんは高齢もあり、この日の説教は若い働き人が壇上に立っていた。私のようなクリスチャンの端くれでも厳かな心持ちになり、さまざまなことを祈らせてもらった。病んでいるいとこや幼馴染み、かつての同僚の健康回復を願い、もちろん、今の時代を生きている我々の「宿命」とも言える大地震の憂いについても触れざるを得ない。神様にすがりたいことは少なくない。私は毎日曜日オンラインで礼拝に参加しているが、教会で生の祈りに参加できたことは嬉しい。
                  ◇
 旅をするといつも何かを忘れるというか落とすようだ。今回は新神戸駅で降りた新幹線の切符を探すのに一苦労した。どこかに落としたのかと愕然とした思いで駅員さんに相談していて、上着の胸裏ポケットに手をいれたら、切符が出てきた。普段着ない上着だったのでそこに小さいポケットがあることを忘れていた。この上着の左右のポケットは浅く、定期の交通カードを何度落としたことか。幸い、その都度、歩いた跡を辿って駅の通路やトイレの近くなどに落としているのに気づき、事なきを得た。
 これはまずい、福岡に戻り着くまでに手痛い落とし物をするぞと自分を戒めたが、遅かったようだ。携帯ラジオを聴く無線イヤホンがなくなっていた。5センチほどの勾玉のような形のイヤホンで、新しいスマホ用に購入してそう日が経っていない代物。そんなに安い買い物ではなかった。どこでどうやってなくしたか分からないが、おそらく新幹線の車中で座席に座っている時にスマホを右ポケットから出そうとして、スマホに引っかかってポロリとどこかに落としたような気がする。使っていないときにはバッグにしっかりしまっておくべきだった。
 まあ、いまさら悔やんでも仕方ない。仕事に不可欠のパソコンのUSBメモリーでもなくしたらと考えると、週明けの授業のためのパワーポイントが入っており、空恐ろしくなる。無線イヤホンは新しいのを買い求めれば済む話だ。お金はもったいないが。

きな粉の魅力

20240429-1714356869.jpg ようやく好天になったと思ったら暑い、暑い季節が到来した。午後遅く私の部屋に差し込む西日がもう凄い日差しとなっている。クーラーはさすがにまだだが、これからが思いやられる。つい先日、ガスヒーターを片付けたばかりなのに。
 4月も終わりに近づいた。5月に入れば、ゴールデンウィークも本番となる。週末にかけ、久しぶりに関西方面に旅するつもりだが、その前に連休明けの中高校での授業準備をきちんと済ませておきたいと思い、テキストの類に目を通している。これが私自身の英語の復習にもなっており有り難い。昨年の今頃は何をしていたのだろうか。ほとんど記憶にない。そういう時はブログだ。ブログをのぞいて確認してみる。5月9日の項で以下のように振り返っている。――どこにも遠出しないゴールデンウィークだった。帯状疱疹の痛みを抱えたままでは致し方ない。好きな焼酎もほとんど口にしなかった。まあ、飲む気になれないから、苦ではなかった。――
 そうか。帯状疱疹の痛みで旅どころではなかったようだ。ならば、今年は精一杯、休暇を楽しみたい。帯状疱疹は完治してはいない。明け方、背中に感じる違和感はそう変わってないような気もする。かといって、今さら皮膚科の医院を訪ねて相談する気にもなれない。ど素人(私)の見立てだから信頼はできないが、段々と完治に向かっていると信じたい。
 細々と続けているオンラインでの英語教室。現時点では県外にお住まいの女性が2人、月2回の教室を受講頂いている。本当のところを言えば、このオンライン教室こそが私にとって楽しいひとときとなっている。大学の英米文学講座のような感じだ。このようなオンライン教室を末永く続けたいと願っているが、果たして・・・。5月からは以前に読んだことのあるカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)に再び挑む。今の受講生はまだ読んでおらず、読んでみたいとの希望があった。私にしても良作は何度でも味わいたい。これまで気づかなかったことに気づく可能性もあるだろう。それが楽しみでもある。
                  ◇
 あまりこういうことは書きたくないのだが、私が住む地元には何度も足を運びたいというレストラン・食堂・居酒屋の類はあまりない。従って否が応でも自宅で飲食せざるをえない。先に書いた鹿児島・垂水のカンパチ料理のようなものを食べさせてくれるレストランがあったなら足繁く通っているだろう。
 とはいえ、私は料理のレパートリーが少ない。YouTubeで簡単かつ美味そうな料理を見ると、そのやり方を記憶しようと試みるが、翌日にはすっかり忘れている。台所に立って改めてスマホを立ち上げ、YouTubeをチェックすればいいだけの話だが、なぜかそれはしない。従ってうろ覚えで「新作」に挑戦し、悲劇的な結果に終わっている。だから料理する必要のない「豆知識」は大歓迎。最近では「きな粉」の魅力がそれ。きな粉の効用を絶賛したYouTubeの料理番組を目にして目覚めた。元々好きな食材だ。毎朝、コーヒーにきな粉を入れて飲んでいる。無調整豆乳にもきな粉を入れると、ぐんと飲みやすくなることも教えてもらった。有り難い!この表現を使うのはこの項で2回目。感謝の思いが健康の礎か。

本屋大賞「成瀬は・・」

20240421-1713656150.jpg 最後の項をアップしてから二週間以上経過している。水はやはり高きところから低きところに流れるようだ。ものぐさになってくるとどこまでも怠けたくなる。ただ、今回の「筆無精」はちゃんと理由がある。公立中学校での従来の非常勤講師の仕事に加え、今月から公立高校での仕事も一つ引き受けた。高校の教壇に立つのもこれが初めて。教科書や副読本など授業で活用する教材を読み込む必要のほか、かつて大学の講義で使っていたパワーポイントの準備など、準備作業が格段に増えた。
 そういう事情もあり、パソコンに向かい、ブログをアップするのが億劫になっていた次第だ。鹿児島から帰福して以来、そう書きたいこともなかった。いや本当はあったのだが、そのうちにと思っているうちに意欲と記憶が失せてしまった。
 本日は土曜日。このところ一気に春めいてきて、木曜日にはガスヒーターを片付けた。気分も晴れやかになるかと期待していたら、今日は雨模様。寒くはないが、爽やかな面持ちからはほど遠い。来週の授業の準備が一段落したら軽く一杯やろうと考えていたが、夕刻までに気分が持ち直すものか・・・。
 地元のラジオ放送を聴いていたら、2024年の本屋大賞を受賞した作品のことを激賞していた。そういう文学賞があることは知っていたが、芥川賞とか直木賞とかと異なり、わざわざ書店に足を運び、受賞作品を買い求め読んだことはなかった。今回もそこまでの興味関心はなかった。なかったのだが、通勤の帰途、駅の中にある書店に立ち寄ったら、店頭に本屋大賞の作品が並べられていた。目立つ表紙なので手に取って見る。『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈著・新潮社)。ふと手に取りたくなるような装丁の本だ。
 主人公は成瀬ひかりという中学二年生の女子。滋賀県大津市の琵琶湖の近くに住む。小学校の卒業文集に「二百歳まで生きること」が夢と書くようなユニークな子だ。オムニバスの六つ目の短篇が終わる頃には大学進学を目前に控えた高校三年生になっているが、高校入学時には頭を坊主にして登校する。世に言われているように、人間の髪の毛は本当に1年で1㌢伸びるのかを自らの頭で卒業式までに見極めたいのだという。この説が本当なら、卒業時には自分の髪の毛は36㌢までになっているはずだと。
 成瀬ひかり嬢はこのように風変わりな子、世間の常識的なことには無頓着だが、決して傲慢ではない。小学校以来成績は優秀。他の女の子と群れることもなく、いじめの対象ともなるが、あまり気にもしていないようでもある。こういう子だから親友と言える友人がいるのか疑わしくなるが、同じマンションに島崎みゆきという同級生が住んでいて、こちらはごく普通の女の子。島崎嬢は及び腰ながら、なぜか大胆不敵な成瀬嬢の行動に付き合っていく。
 私は著者の宮島未奈氏のことは何も知らない。奥付には1983年生まれ、京都大学文学部卒業、大津市在住とある。メディアの書評も読んでいない。ネットでぐぐってもいない。きっと好意的な書評が並んでいるのではないかと推察する。私にとって大事なことは久しぶりに楽しく小説を読んだという思いだ。宮島氏のこのデビュー作は肩の凝らない文章で、短時間で読み終えることができた。物語の筋から見て、きっとこれからも奇想天外かつ爽やかな続編が次々に生まれていくのだろう。

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