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英語でさるく 那須省一のブログ

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競馬は予想だけ

20220527-1653604551.jpg このブログでギャンブルのことはあまり書いていないかと思う。お里が知れることを恐れてのことだ。だが、私はギャンブルには大いなる興味を抱いている。高校卒業後の麻雀を皮切りにパチンコ、競馬、カジノ遊びに現(うつつ)を抜かしてきた。そして辿り着いた結論は・・。見て楽しむ、傍観して楽しむのが一番であり、身銭を切るのは愚の骨頂ということだ。最近出合った英単語を使って表現すれば、It is witless to spend money on gamblingとでもなるのだろうか。もっともお金を賭けなければそれはギャンブルとは言えないかも。
 テレビをつけると日本中央競馬会(JRA)が若者に狙いをつけたCMを流しているが、だまされてはいけない。地獄への第一歩となるのだ・・・と私なら言いたいところだ。とはいえ、世の中には何らかの社会経済活動が必要ではある。あまり目くじらを立ててあれこれ言うのはよした方がいいだろう。
 お金をかけないで楽しむ分には競馬は刺激的な趣味だ。競馬新聞やスポーツ新聞などを購入する必要はない。ネットを漁れば基礎的な情報は入手できる。過去のレースさえもJRAのサイトから見ることができる。昔は考えられなかったサービスだ。その上でレースを頭の中で組み立て、勝ち馬を予想する。ぼけ知らず。脳内はいやが上にも活性化される。勝ち馬を予想して(馬券を買ったつもりで)テレビでレースを観戦する。結果は?
 このようなことを話すと、何人かの人に質問されたことがある。「でも、予想した馬券が実際に当たった場合など、特に大万馬券でも当たっていた時などには悔しいと思うのではないですか?」。もっともな指摘である。私は次のように答えている。
 「確かに。でも、私が実際に馬券を購入していたら、神様がきっと外れるように差配していたことでしょう。それでも予想した馬券が当たれば私の推理が正しかったことであり、それだけで満足です。それにまあ、まず当たりませんからね。競馬はそう甘くありません」
 多少の負け惜しみがあるかもしれない。でも、パチンコを含め一切のギャンブルからきれいに足を洗って良かったと思っている。「足を洗う」。英語では “wash one’s hands” と言うようだ。悪癖や悪事から決別するときに日本語は足を洗い、英語では手を洗う。中韓では?と辞書やネットで調べてみると、中国語では「洗手不干」と出てきた。英語と同じように手を洗うらしい。韓国語では手も足も両方使った表現があるようだ。手であれば「손을 씻다」であり、足であれば「발을 빼다」。
 さて、今週の日曜日は競馬の祭典とも称される日本ダービーが府中の東京競馬場で行われる。7500頭を超す3歳馬の中から選ばれたエリートの18頭が一生一度の栄冠を目指す。騎手、調教師はもちろん、競馬関係者には胸躍る一日となるのだろう。馬券を買う競馬ファンにとっても予想の腕の見せ所か。私も密かに心に秘めた馬がいる。その馬の馬名をここに記してレース後に胸を張りたいが、外れる可能性も大。やめておこう。
 公民館の中国語教室でギャンブルが話題に上った。ギャンブルは中国語では日本語同様に「賭博」と書き、発音はdǔbó となり、敢えてカタカナ書きすると「ドゥボー」。辞書にはギャンブル狂の訳語として「赌鬼」(dǔguǐ) という語が載っていた。発音はともかく意味合いはすぐ分かる。私もかつては赌鬼の一人だったのだろう。慚愧に堪えない。

“A Good Man Is Hard to Find”

20220524-1653391057.jpg 戸畑(北九州市)にある大学で非常勤講師をしていた頃は講義の前に駅の近くにある食堂に行くのがとても楽しみだった。私の記憶が正しければお昼の日替わり定食が630円。とてもリーズナブルな価格。味噌汁がぬるくなく、副菜の小鉢も嬉しく、メインのおかずもいつも旨かった。その大学での仕事もなくなり、お店をのぞく機会も失われた。今教えている専門学校では毎度、中華レストランをのぞいている。そこも旨いが、和食の日替わり定食が無性に恋しい。そこで今日途中下車してくだんの食堂に。
 この日の日替わり定食は豚肉とキャベツの炒め物。私は時々こうした料理をしているが、いかんせん、この店のような味は出せない。漬物もしかり。味噌汁もしかり。ご飯が多過ぎたのは小食に慣れてきているからだろう。これからは時々途中下車しようと心に決めた。
                  ◇
 英語で書かれた短編小説を楽しむ毎月2回のスカイプ英語教室。先の日曜日の教室で風変わりな短篇を読み終えた。アメリカの女性作家、Flannery O’Connorが書いた “A Good Man Is Hard to Find” 。実はこの作品を読むつもりはなかったのだが、読売新聞が日曜日に掲載している書評欄でこの作品のことが簡単に紹介されていた。曰く「オコナーの『善人はなかなかいない』だけは作品中で起こる出来事と、登場人物たちのあいだで交わされるやりとりがあまりにもストレートに恐ろしいので、少々ご注意ください」と述べられていた。
 それでああ、確かにそうだった。私も初めてこの小説を読んだ時に奇妙な読後感を抱いたことを思い出した。この作品は世界の秀でた短篇を集めた “50 Great Short Stories” という短編集の中に含まれていた。書評欄でそのことを思い出し、英語教室で受講生に読んでもらおうと考えた。書評欄で紹介されていた通り、心して読む必要がある作品だ。
 登場するのは自らをThe Misfit と呼ぶ脱走犯。行きずりの人々を冷酷に射殺することなど意にも介さない極悪人だ。社会に馴染めないのでThe Misfit と自称しているのかと思いながら読み進めていたが、作中で自分の犯行と処罰が釣り合わない、割に合わない罰を科せられているからThe Misfit と呼んでいるのだということが明らかにされる。
 彼は行きずりの一家6人を情け容赦なく射殺するような極悪人なのだが、手を下す直前に一家の老婆と交わすやり取りが興味深い。老婆は何とかThe Misfit のご機嫌を取ろうと、やれ高貴の血が流れているに違いないだの、根は善人に違いないだのとおべんちゃらを言う。聖書に記されているキリストの復活(resurrection)も話題に上がる。老婆はキリストを崇める心を説くが、The Misfit は自分がもしキリストの復活を自分自身の目で目撃していたなら、こういう人生を歩んでなどいないだろうと一蹴する。
 この作品が発表されたのは1955年。作家自身は難しい病気に冒されていたようで1964年に39歳の若さで没している。ウクライナ情勢のこともあり、上記のキリストの復活のくだりが現実味を帯びて迫ってくるようだ。
 余談を一つ。次のような一節があった。… said the children’s mother hoarsely. 私はこの hoarseが苦手。「 (声が)しわがれた、かすれた」という意味で発音はお馬さんのhorse と同じ。だが、私はどうしてもこの語をホースではなく、ホアースと発声したくなってしまう。

80歳に壁あり?!

20220519-1652925126.jpg CNNの記事をネットで読んでいたら、ロシア軍のウクライナ侵攻の余波の話題が大きく紹介されていた。Thousands of Britain’s ‘fish and chip’ shops could close within a year. Here’s why という見出し。え、あのイギリス名物のフィッシュ&チップスのお店がロンドンその他の都市から消えてしまうの? そんなアホな、と思い、本文をクリックして読む。
 ロシア軍のウクライナ侵攻でイギリス名物料理の原材料であるタラ(cod)と調理用油が不足しつつあるらしい。タラの4割はロシアの海域で獲れており、調理用油の半分はウクライナから輸入されている。このまま推移すれば、英国内にある約1万店舗のフィッシュ&チップスのお店の3分の1が今後9か月以内に閉店に追い込まれる可能性があるとか。
 私が興味深く読んだのは次の一節。Fish and chips is one of the UK's unofficial national dishes. The first shops opened in the 1860s and spread rapidly as the country industrialized, helping to feed factory workers, according to the trade group. During World War II, as the government rationed other staples such as tea, butter, meat, fish and chips were exempt, so important was the dish to the working classes.
 フィッシュ&チップスはイギリスの非公式な国民食か。なるほどそうだ。私も嫌いではなかった。この国民食は産業革命時に工場労働者の胃袋を満たすのに貢献し、大衆食として広まっていった経緯があるとまでは知らなかった。フィッシュ&チップスの人気はイギリスだけにとどまらず、ケニアやタンザニアなどかつて英国の植民地だったアフリカの国々にも広まり、絶大な人気を誇っている。
                  ◇
20220519-1652925163.jpg 高齢化社会を反映して中高年を意識した商品の広告がテレビや新聞などでは人気を博しているようだ。私もそうした商品が狙う購買層の一人だが、あまりまともに読むことはない。まだ切実に感じることがないからだろう、きっと。
 しかし、昨日の新聞で目にした本の広告は思わず目を走らせた。『80歳の壁』(和田秀樹著)。はて、似たような書名をどこかで目にしたことがあるような。高齢者医療の第一人者である精神科医の書だという。興味をそそられるうたい文句が並んでいる。――未知なる「人生100年時代」のための新しい人生の迎え方。体力も気力も80歳からは70代と全然違う!健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること――
 以下、短冊状に諸々の注意点が列記してある。▷肉を食べよう、しかも安い赤身がいい▷運動はほどほどに。散歩が一番▷高齢者に多いうつ症状。心と体を動かすことが予防に▷欲望は長生きの源。枯れて生きるなんて百年早い▷記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちる▷孤独は寂しいことではない。気楽な時間を楽しもう▷テレビを捨てよ、町に出よう▷学びをやめたら年老いる。行動は学びの先生だ
 私が最も心を動かされたのは次の文句。「80歳の壁を超えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!」え、本当かな?そうだったら嬉しいなあ!♪♪♪

気になった日本人団体客の描写

20220515-1652606014.jpg 手元にあることを忘れていた、というか全く頭になかった英小説 “The Men and the Girls” は読み始めると面白く、数日で読み終えてしまった。Joanna Trollopeという作家の手になる300頁程度の中編小説。私は本当になぜこの本を購入したのか分からない。ひょっとしたら似たような名前の作家の作品と勘違いして洋書コーナーで買い求めたのかもしれない。時々難解な語彙が出てきて、その都度辞書を引く手間を余儀なくされた。辞書を引いてその意味を納得したが、おそらく大半はもう忘れているかもしれない。
 情けなく思うが、これはいかんともし難いことであろう。中国語の語彙でもNHKラジオの講座で何度も目にし、耳にした語彙もその漢字(簡体字)、ピンイン表記、声調を正確に記憶しているのは極めて難しい。例えば「災害」という語。中国語ではザイハイとか何とか呼ぶことは何となく頭に残っているが、これが「灾害」と簡体字で書き、zāihàiというピンイン表記となることは何度覚え(ようとし)てもすぐに忘れてしまう。
 とまあそんなぼやきはともかく、“The Men and the Girls” は1992年にロンドンで刊行されている。私が新聞社の支局員としてロンドンに勤務していた頃とほぼ重なる。ともに30代半ばのKate とJuliaの二人の女性、彼女たちの60代前半の伴侶JamesとHughが登場する。テーマは女性の自立を求める心、束縛からの解放を願う心だろうか。
 自分の才能を活かすメディアの仕事を満喫することを夫に受諾させたJuliaは、年齢的なこともありMCの仕事の契約を打ち切られ、やけになって家を捨てた夫のHughが反省して戻って来ることを許す。Kate はパートナーのJames、Jamesのさらに高齢の気の難しい叔父のLeonardと同居するようになって8年が経過。彼女には多感な14歳の娘が一人おり、この子育てにも四苦八苦する。さまざまなプレッシャーに押しつぶされた彼女は自ら家を出て、自由な身となる道を選ぶ。ただ一人の生きがいである娘はなぜか、何の血縁関係もないJamesや Leonardとの暮らしを選択する。Kateは新しい恋人に出会うが、心が満たされることはなく、最後にはJamesの元に戻り、それまで頑なに拒否していたJamesとの結婚を自ら求める。ハッピーエンドの結末は出来過ぎと思わないでもないが、就寝時に飽きることなく頁を繰り続けた。
 この小説を読んでいて思わず笑ってしまったことがある。おそらくこの作家の日本人に対するイメージがこうした描写を盛り込ませたのだろう。Kateがイタリアンレストランでのウエイトレスの仕事からくたびれ果てて帰宅したシーンの描写だ。… it had been a non-stop day with the restaurant full of tourists, including what seemed like half a busload of Japanese who all ordered exactly the same thing which put Benjie in a temper. 
 Benjieとはレストランで働くシェフのこと。大挙してお店にやって来た日本人の団体客が同じ料理を注文したことに腹を立てたとか。イタリアンだからパスタでも注文したのだろうか。それも同じ種類のパスタを。シェフの腕前を振るうことができず、憤慨でもしたのだろう。私は80,90年代に日本人の「個性」がいや、「個性」のなさが海外でどう受けとめられていたかを垣間見るような気がした。私もその一人だったかもしれない。今はこのような記述がたとえ小説のたわいないワンシーンだとしても挿入されないように願う!

“Sugoi!”

20220511-1652241741.jpg 月曜日。ぽかぽか陽気にも誘われてガスヒーターを片付けた。すぐに冷房が欲しくなるのだろう。とりあえずは扇風機でどれだけしのげるか。その月曜日には、今年初めて玄関のドアを開け、窓との通風を試みた。当分は少なくとも日中はこれで精一杯涼みたい。やがてクーラーのスイッチを入れたくなるのは目に見えてはいるが・・。
 よくのぞく八百屋さんに好物のスイカが並ぶようになった。そしてずっと待っていたゴーヤも姿を見せ始めた。らっきょう酢に漬けて一晩冷蔵庫で寝かせれば滋養豊かなピクルスとなる。私の身体は何と安上がりにできていることか。神様にこれも感謝だ。
                  ◇
 本棚からあふれた本をソファーのそばに放ってある。処分した方がいいのかなと思ったりしている。連休期間中に既読の本を読み返したこともあって、何冊か手にしてみた。その内の一冊に手が止まった。天神の書店の洋書コーナーで購入したのだろうが、全然読んでいなかった。きっと内容が想像していたのと異なっていたので放棄したのだろう。
 “The Men And The Girls” というタイトルの小説で、著者は Joanna Trollope とある。知らないイギリスの作家だ。何でこんな小説など購入したのだろう。私は本を買ったら領収書みたいなものを末尾に挟んでいるが見当たらないので、いつ買ったのか分からない。天神の書店なら東京から福岡に転勤して以後のことだから2006年以降になる。
 それで何となく読み始めた。悪くない。あれ、これ、案外面白いのかもしれないと思い始めた。なぜ読まなかったのだろうか? まだ三分の一程度を読み終えたところでこれから物語がどう展開するのか。男女の愛、年齢、仕事と生きがいなどがテーマのようだ。主要登場人物の一人は61歳になる教師のJames。25歳も年下のパートナーで思春期の娘のいるKateと暮らし、結婚を望んでいるが、彼女はそれを断固拒絶している。Kateがミスを犯したJames に向かって罵る場面がある。“You stupid old man.”と。彼女は後になってoldと罵ったことを悔いる。さらにJames の年齢について考えるシーンがある。“Sixty-one isn’t old. Sixty-one’s nothing. It’s very wrong of me to think of James as old.”
 今年68歳となり、さてこれからどういうことがまだできるだろうかと思案している身としては、さすがに考えさせられたくだりだった・・・。
                  ◇
 ウクライナ情勢が気にかかる一方、米大リーグの大谷翔平君の一挙手一投足もしっかりフォローしている。仕事と重なったため生で見ることはできなかったが、火曜日(日本時間)の活躍は見事だった。初めての満塁ホームランを含む2本の本塁打をかっ飛ばした。木曜日(日本時間)には4勝目を目指しホームグラウンドのマウンドに立つ。ここでも再度好投を見せるようだとショーヘイフィーバーはいよいよボルテージが上がるだろう。
 そう言えばパソコンで見た大リーグのダイジェストビデオでは翔平君の満塁ホームランを実況していた現地のアナウンサーが一言 “Sugoi!” と叫んでいた。翔平君がこれからも活躍を続ければ、“sugoi” (凄い)という語がやがて英語(米語)の新語として仲間入りする日が来るかもしれない。

『坑夫』の違和感

20220505-1651731493.jpg ゴールデンウィークも終わりに近い。たかだか一週間にも満たない連休をゴールデンウィークと呼ぶのは気恥ずかしい気がしないでもない。100年後の日本人がこの時代を眺めたら、どう感じるのだろうか。もっとゆっくり休暇を取れよと思うのか。ご先祖様はなんとつましい暮らしをしていたものよと苦笑するのだろうか。まあ、一線を退いた私は毎週がゴールデンウィークみたいなものだからあまり御託を並べる資格はないが・・。
 それでも仕事の準備から解放されるこのゴールデンウィークは久しぶりに伸び伸びと過ごすことができた。天候にも恵まれた。押し入れの布団、毛布をベランダで干し、洋服ダンスの衣服も陰干しすることができた。大リーグにプロ野球を堪能したし、夜には長いこと観ることのなかったケーブルテレビの洋画劇場も楽しんだ。
 東京勤務時代にはゴールデンウィークには宮崎の田舎に里帰りして長姉夫婦の山仕事をよく手伝った。山仕事の朝は早い。朝6時にはたたき起こされていた。折角の休暇が休暇の意味をなさなかったが、そう苦ではなかった。普段ふしだらな生活を送っていたことへの「罪滅ぼし」の意識があったのかもしれない。
                  ◇
 夏目漱石の『坑夫』を読んだ。読みながら、なぜ以前にこの小説を投げ出したのか分かったような気がした。それはそれまで読んできた漱石文学とは性質を異にする気がしたからだろう。高等遊民の世界とは異なる、世間知らずの若者の煩悶が描かれていた。いや、煩悶と表現していいのか迷う。生活に追われている庶民から見たら、自暴自棄の自殺願望で自死の場所を探したあげくに鉱山に行き着いた若者は甘っちょろいと映ることだろう。坑夫の仕事も結局は虚弱さゆえに許されず、楽な帳場の仕事を5か月やっただけで帰京する。
 作品中には今の時代には考えられない社会的弱者に対する差別用語が頻出していた。作品が発表された明治41年(1908)には一般的な社会通念だったのだろうが、今読むとさすがに手が止まる。とはいえ、この作品は若き漱石青年の投影ではなく、モデルと見立てた若者を通して当時の鉱山労働者の苦しい生活の一端を描いたものだろう。漱石文学の価値を減じるものでないかとも思う。
 読んでいてマーカーを走らせたところが一か所あった。それをここに記す。
 偶然の事がどんな拍子で他の気に入らないとも限らない。却て、気に入ってやろうと思って仕出かす芸術は大抵駄目な様だ。(中略)骨を折って失敗するのは愚だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演説と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代わりいくら骨を折っても矢っ張り失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。
 スピーチと文章についてはきちんと準備をしないと失敗する。かといっていくら用意周到に準備したとしても結局は失敗する。これは主人公の若者の述懐というより、作家の肉声であるのだろう。私の場合には「骨を折った失敗」であっても自分の弱点が露呈すると思うが、漱石先生にしても文章、スピーチともに難物であったらしい。慰めにはならないが。

日本人が英語が苦手な理由

 日曜日。徳島市の英語愛好者のグループの集まりに参加させてもらい、このところずっと考えている外国語学習の最近の気づきについて話をさせてもらった。「ああ、だから日本人は英語が苦手なんだ!」というタイトルをつけたが、これは「看板に偽りあり」だったかもしれないと集まりが終わった後で反省した。それはともかく、やはり自分の頭の中にあることを言葉にして人前で話すのは得がたい経験であり、これからの学習の参考にもなった。
 巷間言われるようにSOVの日本語とSVOの英語、中国語は基本構造からして異なっているが、中国語は日本語や韓国語と同様、話題優越型言語(topic-prominent language)であり、日本語とも共通の特質があることを語った。音韻的には日本語の母音は「アイウエオ」のわずか五つの言語であり、英語はもちろん、中国語や韓国語とも比べても簡素な言語だと説明したかったが、舌足らずだったような気がしないでもない。
 私が近くの公民館で参加している韓国語教室。先週の教室でたまたま、ランチ(lunch)という外来語が出てきた。韓国語ネイティブ話者の先生は大きな声で「ロンチ」と発声された。私はロケットでも発射するのかと戸惑った。lunchではなくlaunchと聞こえたからだ。「何か発射したのかな?」と。日本語では「オ」の音は一つだけだが、韓国語では口を大きく開ける「オ」と日本語に近い唇を突き出して言う「オ」の二つの「オ」がある。
 我々は lunch をランチと言うが、韓国人はロンチと呼ぶことを初めて知った。英語由来の外来語で我々が「ア」と発声する母音の多くが韓国語では口を大きく開ける「オ」で対処されていることを示している。それだけ彼らは母音のレパートリーが多く、英語を学ぶ上でも「利点」となっているのではないか。若者の食生活には欠かせない hamburger は韓国語のハングル表記では 햄버거 であり、その語「ヘムボゴ」は口を大きくを開ける二つの「オ」の音を含む。英語ネイティブ話者には「ハンバーガー」よりも「ヘムボゴ」の方がより英語らしく聞こえるのではないか・・・。
 この日の集まりでも説明したが、中国文学者の高島俊男氏は著書『漢字と日本人』の中で「不器用な日本人」と題し、「日本人の口は不器用だ。日本語は開音節構造である。すべての音節が母音でおわる。しかもその母音の前につく子音は一つだけである。要するに日本人が口から出せるのはごくかんたんな音だけである。またその音の種類がいたってすくない。これはもう大昔からそうである」と慨嘆しておられる。日本人が英語を苦手に感じてしまうのは、我々が今さら嘆いても仕方がないことなのである。
 ところで上記の集まりはオンラインで実施された。ズームと呼ばれる。私はこれまでもズームは非常勤講師の仕事の延長線上で利用したことはある。短篇小説を読む私の英語教室ではスカイプと呼ばれるオンラインを利用している。だからもう扱い方に慣れていていいはずだが、いまだに覚束ない。用意したパワーポイントを自分のパソコンの画面一杯に広げると、それまで見えていた参加者の顔が画面から綺麗に消えてしまう。それはそれでいいいのだが、反応が全然見えなくなってしまう。パワーポイントのスクリーンを画面の半分程度に収めるにはどうしたらいいのか。こういうことを今ここで書いていること自体、私はうつけ者(fool, 呆子,바보)に違いない!

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