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May 2024

明太子は好きだが・・

 地上波テレビはあまり見ない生活を続けているが、ラジオはよく聴く。特に外出している時や、通勤や帰途の電車の中などでは、スマホでラジオにアクセスしてワイアレスイヤホンで聴いている。先の関西旅行でイヤホンをなくしたと思い(実際には実兄の家に忘れていたことが判明)、天神のソニーストアでうっかり落とすことはなさそうなイヤホンを新たに購入した。今のところ使い勝手はすこぶる良い。
 ラジオで聴いているのはNHKの語学講座の他には、福岡の民放ラジオ局の放送。地元ではよく知られた人気の番組だ。名物アナが私はあまり興味のない東京の芸能情報も面白おかしく伝えてくれる。平日の日中は毎日のように聴いているが、閉口するのは繰り返し放送される、番組関連のお決まりのお知らせというかPR告知。CMもそうだ。だが、CMがあるから放送が可能になっているのであり、これは我慢するしかないのは分かっている。
 このラジオ局の放送でここ数年、いや数年の単位ではなく、10年前後の長期にわたるかもしれない、そのうち内容に推敲の手が入り、文言が変わるだろうと思いながら、聞き流しているCMがある。「聴き流す」ではなく、あえて「聞き流す」と表現したい。福岡名物の明太子のCMだ。明太子を生産、販売している食品会社は複数あるようだが、このCMは理解し難い。正確に記憶しているかどうかあやふやだが、おおよそ次のような内容だ。幼い女の子が母親にたずねる。「お母さん、ご飯美味しいよ。お米替えた?」。母親がこたえる。「ううん(同じだよ)。でもおかずは明太子だけだよ」。確かこんな感じのやり取りの後、その明太子のCMが流れる。
 私はずっと思っている。これはある意味、「虐待」ではないか。育ち盛りの子供の食卓のおかずが明太子だけではあまりにかわいそうだろう。せめて卵焼きか野菜サラダ、それにもう一品ぐらい出してやりなさいよと。長期にわたってこのCMがお茶の間に放送され続けていることから、聴取者からのクレームはラジオ局や当事者の食品会社には寄せられていないのだろうと推察される。まあ、それにしてでもだ・・・。
                  ◇
 地上波テレビはあまり見ないと書いたが、ドジャースの大谷翔平君が活躍する大リーグの生中継だけは例外。平日は仕事のために付き合うことは難しいが、週末は彼の一挙手一投足を追っている。土曜日(日本時間)のホームゲームでもホームランを放ったのを見た。左打者だが、打球は左翼スタンドに飛び込んでいる。恐るべきパワーに技術だろう。今シーズン13号目のホームランで両リーグのトップタイ。打率は3割5分8厘で堂々の両リーグ単独トップ。
 地元のロサンゼルス市は翔平君の実績、影響力を高く評価して、ゲームが行われた5月17日を Shohei Ohtani Day に定めたことを発表した。翔平君はこれからも数限りない栄誉を手にすることだろう。彼のバットから放たれるホームランの魅力は飛距離もさることながら、あの乾いた打球音。胸のすくような一打とはあのような快打を指すのだろう。英語ではどう表現するのかよく分からないが、refreshing (心身を爽やかにする、すがすがしい)という語が頭に浮かぶ。こちらのプロ野球で無理矢理こしらえた外野のテラス席に辛うじて飛び込むホームランは refreshing からはほど遠い。少なくとも私には。

Are you feeling ineffable joy?

 毎朝 “Walking in Grace 2024” というキリスト教の祈祷書(devotional)を読んで、1日をスタートさせている。アメリカで発刊されている書で、木曜日の朝読んだ一節の中にineffable という語が出てきた。その文章は I felt ineffable joy. というものだった。ニューヨーク州の小さな村に住む女性が幼い頃に自転車を乗り回して育った故郷の丘陵地帯を、孫のいる年齢になった今も昔のように自転車で散策できる喜びを表現した文章だ。ineffable という語の意味合いはだいたい推察できた。語自体も以前に何度か辞書で調べたような気もするが、どういう意味だったか明確には思い出せない。毎度のことではあるが。
 改めて再び辞書を引く。「(喜びなどが)言葉で言い表せない、言うに言われぬ」という意味だと載っている。同義語では indescribable というようだ。indescribableは理解できる。describable(描写できる)の反意語。ineffable の場合は effable (言葉で言い表せる)という反意語、というか元の語があるかと私が持っている幾つかの辞書で当たってみたが、どれにも出ていなかった。さてはそういう語はないのかと思って、ネットで検索してみると、effable という語が掲載されていた。今ではあまり使われなくなったので、一般の辞書には掲載されないようになったのだろうか。
 翻って我が身を思う。日々とは言わず、たまにでもいいから、I feel ineffable joy. と感じることがあるだろうか。いや、ここ数年、そう感じたことがあるだろうかと。どうも自信がない。中学校と高校で英語を教える楽しい日々を過ごしてはいるものの、ineffable joyとまでは言えないか。それなりの手応えを感じるときもあるが、それより、生徒が疑問に思うとか難しいと思う英語表現について、彼らに満足のいく説明をしているのだろうかと(授業が終わった後で)自問することの方が多いような・・・。
 しがない初老の独り身の私には家族の成長にineffable joyを覚えることもない。先述の“Walking in Grace 2024” にはそうした喜びを書き綴った文章があふれている。イソップ物語の狐のように「あのブドウは酸っぱいはずだ」と愚痴っても詮無きこと。私はこれからも地道にineffable joy を探し続けていくしか手はないのだろう。一人旅には慣れている。
 一人旅と言えば、久しぶりに台湾に旅したいとずっと思っている。YouTubeには台湾の旅やグルメを紹介した番組が目白押しで、旅愁への憧れは募るばかりだ。パソコンのメルアドにも台湾への格安チケットを案内するメールが毎日届いている。学校が夏休みに入る7月中旬から8月にかけてのチケットをチェックする。最近の格安チケットは最安でも57.920円。え、これが最安? 昔の拙ブログを確認してみる。中国語の学習に目覚め、初めて訪台した2017年9月、同じ航空会社で27.810円で旅している。諸事情があるとはいえ、これだけの価格差を知ると、旅立ちたいという意欲は萎えていく。
 しかし、このまま座していても、この夏に向け国際便の燃油サーチャージが下がることはまずないのだろう。いや、さらに上がる可能性の方があるか。迷い続け、直前になってネット購入を決断した時には57.920円さえ「手頃な価格」に思えるのかもしれない。ウーン、どうしよう。困った時には神様の「思し召し」「差配」を辛抱強く待つのが得策と心得ている。神様、どうすれば良いのでしょうか?

笑顔で分かる?

20240507-1715041675.jpg 連休で計画通り、関西方面に出かけた。まずは久しぶりの顔合わせとなった英語愛好者の懇親会。懇親会と言えば大仰に聞こえるかもしれないが、いつからか、年に一回か二回程度、神戸・三宮で集まるようになっている。メンバーは私を含めて中高年の6人。私以外は皆、関西にお住まいの方々だ。今回初めて知ったが、最高齢のS氏は齢91歳だと知った。矍鑠(かくしゃく)としたお方だ。
 三宮のお寿司屋さんで楽しく歓談した。別れ際にS氏がこの集まりに何か名前をつけましょうかと言われた。なるほどそういう手もあるな。S氏は「グローバルウエスト」という名称を口にされた。私が英字紙「デイリーヨミウリ」(当時)に勤務していた頃、読売新聞大阪本社の英字新聞課が製作していた週1の紙面を「カンサイウエスト」(Kansai&West)と称していたことを思い出した。Westは関西以西の西日本の意味合いがあったと記憶している。私たち6人は全員日本人だが、話題は英語や外国語、世界情勢などグローバルに及んでいるから、「グローバルウエスト」はぴったりの名称かもしれない。
 京都・亀岡では実兄宅に二泊させてもらった。いつものように兄嫁に歓待してもらった。日曜日は芦屋市にあるキリスト教の教会に足を運んだ。私が尊敬する牧師さんは高齢もあり、この日の説教は若い働き人が壇上に立っていた。私のようなクリスチャンの端くれでも厳かな心持ちになり、さまざまなことを祈らせてもらった。病んでいるいとこや幼馴染み、かつての同僚の健康回復を願い、もちろん、今の時代を生きている我々の「宿命」とも言える大地震の憂いについても触れざるを得ない。神様にすがりたいことは少なくない。私は毎日曜日オンラインで礼拝に参加しているが、教会で生の祈りに参加できたことは嬉しい。
                  ◇
 旅をするといつも何かを忘れるというか落とすようだ。今回は新神戸駅で降りた新幹線の切符を探すのに一苦労した。どこかに落としたのかと愕然とした思いで駅員さんに相談していて、上着の胸裏ポケットに手をいれたら、切符が出てきた。普段着ない上着だったのでそこに小さいポケットがあることを忘れていた。この上着の左右のポケットは浅く、定期の交通カードを何度落としたことか。幸い、その都度、歩いた跡を辿って駅の通路やトイレの近くなどに落としているのに気づき、事なきを得た。
 これはまずい、福岡に戻り着くまでに手痛い落とし物をするぞと自分を戒めたが、遅かったようだ。携帯ラジオを聴く無線イヤホンがなくなっていた。5センチほどの勾玉のような形のイヤホンで、新しいスマホ用に購入してそう日が経っていない代物。そんなに安い買い物ではなかった。どこでどうやってなくしたか分からないが、おそらく新幹線の車中で座席に座っている時にスマホを右ポケットから出そうとして、スマホに引っかかってポロリとどこかに落としたような気がする。使っていないときにはバッグにしっかりしまっておくべきだった。
 まあ、いまさら悔やんでも仕方ない。仕事に不可欠のパソコンのUSBメモリーでもなくしたらと考えると、週明けの授業のためのパワーポイントが入っており、空恐ろしくなる。無線イヤホンは新しいのを買い求めれば済む話だ。お金はもったいないが。

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