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May 2024

レジェンドでさえ

20240529-1716941827.jpg 先の日曜、久しぶりに近くの香椎浜のジョギング路を散歩した。本当はゆっくりジョギングをしたかったのだが、背中の帯状疱疹が完治しておらず、走る気にはなかなかなれない。正直言って、浜辺を散歩する気になっただけでも感謝したい。
 好天にも恵まれ、気持ちよく散歩できた。短パンにポロシャツ。こういう出で立ちも久しぶりに感じる。日差しはそうきつくはなかった。ゆっくり歩きながらふと思った。太陽光は光合成をする植物だけでなく、人間にも欠かせない「栄養源」ではないかと。
 こういうことを考えたのはちょうど今、太陽光が重要なファクターとなっている小説を再読しているからだと気づいた。一か月ほど前に以下のことをこのブログで書いた。――細々と続けているオンラインでの英語教室。現時点では県外にお住まいの女性が2人、月2回の教室を受講頂いている。5月からは以前に読んだことのあるカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)に再び挑む。読んでみたいとの希望があった。私にしても良作は何度でも味わいたい。これまで気づかなかったことに気づく可能性もあるだろう。それが楽しみでもある。――
 この小説に登場するAF(Artificial Friend)と呼ばれる人間型のロボットは近未来の社会で子供たちの遊び(勉強)相手となる役割を担うのだが、動力源は太陽光という設定。太陽光がヒロイン、クララという名の心優しいロボ友の命脈を握っている。決めた。今夏はせいぜい香椎浜のジョギング路を歩き、背中に残る帯状疱疹を根絶しよう。(そんなことが可能なのか医療ど素人の私には分からないが、信じる者は救われる、実践してみようではないか。
                  ◇
 20240529-1716943928.jpgYouTubeで楽しんでいる遊戯は麻雀だけではない。将棋もよく見る。藤井聡太八冠のタイトル防衛戦は時間が許す限り見ている。素人の私には次の一手はほとんど読めないが、たまに当たったりすると嬉しくなる。まあ、数限りない可能性の中から最善手を選ぶ八冠と競っても詮無きことは百も承知している。聡太八冠があまりに無双しているので、気づくと彼の対戦相手を応援していたりする。判官贔屓だろう。
 囲碁は残念ながら遠い存在だ。石の動かし方はだいたい分かっているつもり。囲碁の本も何冊かは本棚に埋もれている。新聞社の盛岡支局に勤務している時、囲碁の上級者に何回か教わった記憶もある。NHKテレビの囲碁番組で学ぼうとしたこともある。だが、途中で投げ出してしまった。将棋よりも(私には)ずっと難解に見え、じっと碁盤を凝視することができない。(碁盤と碁石は今も大切に保管している)
 読売新聞夕刊のコラムに一時代を築いた人々の足跡を辿る「レジェンド」という読み物があり、名誉棋聖の小林光氏(71)を取り上げていた。私も名前ぐらいは知っている棋士だ。日本の囲碁界を牽引してきた文字通りレジェンドである小林氏は70代になった今もAI(人工知能)を活用した囲碁の勉強に取り組んでいるとか。「碁はライフワーク。勉強せずにはおられない。本当に碁は面白い」と語っておられる。
 あの小林氏でさえそう思われるのであれば、凡人の私などは何をか言わんやである。外国語習得の道をまだ当分は模索するのみだ。

立直が reach?

20240525-1716629378.jpg 5月も後半となった。ずっと台湾の旅が心にあり、日々、ネットで格安チケットを検索している。いや、正確にはチケット会社からしょっちゅう格安チケットの案内が届いており、その都度クリックして確認している。格安チケットとは呼びがたい状況が続いているが、最近届いた案内では燃油サーチャージが来月にはまた値上がりする見込みであり、航空券は今月中にお買い求めをとうたっていた。気が滅入る一方だ。
 そこで私は考えた。今夏も台湾の旅は諦めようかと。いつか格安チケットが本当に格安になるときがやってくるのではないか。何の根拠もないが。もう一つの理由は今秋、ソウルから韓国人の友人が夫妻で来福する予定になっている。私は二人を九州観光でもてなしたいと考えている。頭に今あるのは福岡2泊、宮崎2泊、別府2泊といった旅だ。福岡と宮崎はだいたいのところは頭に浮かんでいるが、別府は土地勘がないから現地調査をせねばと思っている。だから、学校が夏休みに入ったら、別府をぶらぶらして最適の湯巡りルートを探索したい。二人にとっては初めての九州。来訪して良かったと心から思ってもらいたい。だから、入念に準備したい。
 もう一つドメスチックな夏を過ごしたいと思っている理由がある。コロナ禍にかまけてここ何年か、田舎で満足のいく墓参りをしていないことがある。親父やお袋、長兄、次姉のお墓をじっくり拝みたい。毎朝、神棚に手を合わせてはいるが、時間があるなら、やはり田舎に戻ってそうすべきだろう。そろそろ実行しないといい加減罰が当たりそうだ。よし、決めた。台湾の旅は来年まで封印だ!
                  ◇
 賭け事から足を洗ってだいぶ経過した。パチンコにしろ、競馬にしろ、未練はない。麻雀は今もYouTubeで楽しんでいる。プロを名乗る雀士の対戦を傍観するだけで十分面白い。運の要素が大きい麻雀でプロを名乗るに値するか疑わしいとは思うが。聴牌を宣言するリーチがかかるたびにパソコンの画面上にリーチ(reach)という文字が走る。これにも違和感を禁じ得ない。リーチは漢字で書けば「立直」であり、中国語のピンイン表記だと lizhiであり、reachは無理があるだろう。そうしたい気持ちは分かる。日本人が普通にリーチと発声すれば、「到達する」のreach ではなく、おぞましい「ヒル」のleech になるからだ。
 競馬は今も暇さえあれば、パソコンで楽しんでいる。日本中央競馬会(JRA)のホームページにとべば、レースの実況が無料で楽しめる。予想を立ててレースを観戦するのは息抜きとして申し分ない。十中八九予想は外れる。外れても身銭を張っているのではないから、痛くも痒くもない。予想が当たると、俺の読みは当たっていたとほくそ笑む。かといって一銭の儲けもないが、こんな無益無害の娯楽もあっていいだろう。
 明日の日曜は競馬界が一番の盛り上がりを見せる競馬の祭典、日本ダービーの日。私も予想だけは立てて参加する。7906頭の3歳馬の頂点に立つべく17頭の駿馬が駆ける。ダービー馬の称号を手にするのは果たしてどの馬か?前売りだと2頭の馬が抜けた人気だ。うち1頭はただ1頭の牝馬。敏腕の外国人騎手が鞍上にあり、牝馬のハンデはなさそうだ。私が応援しているのはこれら2頭ではない。まあ勝つことは望み薄に見える。

人生いろいろ、記憶もいろいろ?

 定期的にオンラインで届いている米高級誌「ニューヨーカー」は、お気に入りのコラムニストの記事以外は目を通すことはあまりない。一本一本の記事が長くて、まともに読んでいればかなりの時間を割くことになる。
 “How to live forever” という見出しの記事を先週末に見つけた。「永久に生きる」ってどういうこと? そろそろ終活に入ってもおかしくない我が身としては興味津々、これは読もう。記事を印刷して読んだ。A4の紙で14枚程度。結構読み出のある量だ。この雑誌に30年以上勤務するベテランの男性ジャーナリストが筆者だった
 こういう食生活を心がければ、あるいはこういう運動を実践すれば、健康な長寿を手にすることが可能ですよとかといったものではなかった。それでも面白く読んだ。筆者は記録魔というか家族の例えば息子や娘の成長の跡がうかがえる日記(三日坊主で終わっていることがしばしば)や作文、親しい家族・親類間の手紙のやり取りなどをファイルして残している。友人との手紙やEmailのやり取りも捨てることはせず、特に興味深い一言が書かれているものなどはきちんと整理して、いつでもそれが取り出せるようにしているとか。
 “How to live forever” という主見出しに続く袖見出しは “The simplest, most foolproof way to extend life is to do so backward, by adding years in reverse.”(寿命を伸ばす最も簡単で誰にもできるやり方は過去を巻き戻すことにある。過ぎ去った歳月を付け加えていくことだ)。自分が生きて思ったこと、口にしたことを書き留めておけば、自分がどういう人生を生きてきたのかを明確に残せる、示せることができるのではないか、それが長生きにつながるという考え方だ。
 凡庸なる頭脳では分からないことは多いのだが、筆者の主張していることに賛同したい気がする。というのもつい最近、かつて全国紙の記者として八王子支局に勤務していた頃の後輩であるS君からメールが届いた。40年ぶりぐらいの「便り」だ。
 私は新聞社を早期退職して、アフリカの紀行本を書くために旅していた2010年、タンザニアという国で携帯電話を盗まれた。携帯には新聞社時代の先輩同僚後輩の電話番号が登録されており、連絡方法が途絶えた。その後、先輩同僚の中には他界された人もいて、東京本社から送られてくる社報でそうした方々の訃報を知る不義理の日々となった。だから、S君のメールは嬉しかった。
 話が横道に逸れたが、S君はメールに私との思い出を添えていた。おそらく40年前、とあるスナックで宴の後のカラオケに興じていて、H先輩から歌うことを求められたS君が歌うことを拒絶した。私は「S君、Hさんは皆と楽しくやりたいので、君にも歌うことを勧めているのだよ」と諭したとか。このエピソード、私は全然覚えていない。私にS君に歌うことを強いる権利などない。大きなお世話ではないか。きっと酔っていたのだろう。
 “How to live forever” を読んで、自分の言動を、例えば30歳の頃からでもいい、記録していれば、後年、それを読み返せば、人間としての成長の跡、いや、成長していないことが分かる証となるのではないか・・などと思った次第だ。S君によると八王子会の集いが企図されているとか。うーん、東京は遠い、遠く感じる地となってしまった。

明太子は好きだが・・

 地上波テレビはあまり見ない生活を続けているが、ラジオはよく聴く。特に外出している時や、通勤や帰途の電車の中などでは、スマホでラジオにアクセスしてワイアレスイヤホンで聴いている。先の関西旅行でイヤホンをなくしたと思い(実際には実兄の家に忘れていたことが判明)、天神のソニーストアでうっかり落とすことはなさそうなイヤホンを新たに購入した。今のところ使い勝手はすこぶる良い。
 ラジオで聴いているのはNHKの語学講座の他には、福岡の民放ラジオ局の放送。地元ではよく知られた人気の番組だ。名物アナが私はあまり興味のない東京の芸能情報も面白おかしく伝えてくれる。平日の日中は毎日のように聴いているが、閉口するのは繰り返し放送される、番組関連のお決まりのお知らせというかPR告知。CMもそうだ。だが、CMがあるから放送が可能になっているのであり、これは我慢するしかないのは分かっている。
 このラジオ局の放送でここ数年、いや数年の単位ではなく、10年前後の長期にわたるかもしれない、そのうち内容に推敲の手が入り、文言が変わるだろうと思いながら、聞き流しているCMがある。「聴き流す」ではなく、あえて「聞き流す」と表現したい。福岡名物の明太子のCMだ。明太子を生産、販売している食品会社は複数あるようだが、このCMは理解し難い。正確に記憶しているかどうかあやふやだが、おおよそ次のような内容だ。幼い女の子が母親にたずねる。「お母さん、ご飯美味しいよ。お米替えた?」。母親がこたえる。「ううん(同じだよ)。でもおかずは明太子だけだよ」。確かこんな感じのやり取りの後、その明太子のCMが流れる。
 私はずっと思っている。これはある意味、「虐待」ではないか。育ち盛りの子供の食卓のおかずが明太子だけではあまりにかわいそうだろう。せめて卵焼きか野菜サラダ、それにもう一品ぐらい出してやりなさいよと。長期にわたってこのCMがお茶の間に放送され続けていることから、聴取者からのクレームはラジオ局や当事者の食品会社には寄せられていないのだろうと推察される。まあ、それにしてでもだ・・・。
                  ◇
 地上波テレビはあまり見ないと書いたが、ドジャースの大谷翔平君が活躍する大リーグの生中継だけは例外。平日は仕事のために付き合うことは難しいが、週末は彼の一挙手一投足を追っている。土曜日(日本時間)のホームゲームでもホームランを放ったのを見た。左打者だが、打球は左翼スタンドに飛び込んでいる。恐るべきパワーに技術だろう。今シーズン13号目のホームランで両リーグのトップタイ。打率は3割5分8厘で堂々の両リーグ単独トップ。
 地元のロサンゼルス市は翔平君の実績、影響力を高く評価して、ゲームが行われた5月17日を Shohei Ohtani Day に定めたことを発表した。翔平君はこれからも数限りない栄誉を手にすることだろう。彼のバットから放たれるホームランの魅力は飛距離もさることながら、あの乾いた打球音。胸のすくような一打とはあのような快打を指すのだろう。英語ではどう表現するのかよく分からないが、refreshing (心身を爽やかにする、すがすがしい)という語が頭に浮かぶ。こちらのプロ野球で無理矢理こしらえた外野のテラス席に辛うじて飛び込むホームランは refreshing からはほど遠い。少なくとも私には。

Are you feeling ineffable joy?

 毎朝 “Walking in Grace 2024” というキリスト教の祈祷書(devotional)を読んで、1日をスタートさせている。アメリカで発刊されている書で、木曜日の朝読んだ一節の中にineffable という語が出てきた。その文章は I felt ineffable joy. というものだった。ニューヨーク州の小さな村に住む女性が幼い頃に自転車を乗り回して育った故郷の丘陵地帯を、孫のいる年齢になった今も昔のように自転車で散策できる喜びを表現した文章だ。ineffable という語の意味合いはだいたい推察できた。語自体も以前に何度か辞書で調べたような気もするが、どういう意味だったか明確には思い出せない。毎度のことではあるが。
 改めて再び辞書を引く。「(喜びなどが)言葉で言い表せない、言うに言われぬ」という意味だと載っている。同義語では indescribable というようだ。indescribableは理解できる。describable(描写できる)の反意語。ineffable の場合は effable (言葉で言い表せる)という反意語、というか元の語があるかと私が持っている幾つかの辞書で当たってみたが、どれにも出ていなかった。さてはそういう語はないのかと思って、ネットで検索してみると、effable という語が掲載されていた。今ではあまり使われなくなったので、一般の辞書には掲載されないようになったのだろうか。
 翻って我が身を思う。日々とは言わず、たまにでもいいから、I feel ineffable joy. と感じることがあるだろうか。いや、ここ数年、そう感じたことがあるだろうかと。どうも自信がない。中学校と高校で英語を教える楽しい日々を過ごしてはいるものの、ineffable joyとまでは言えないか。それなりの手応えを感じるときもあるが、それより、生徒が疑問に思うとか難しいと思う英語表現について、彼らに満足のいく説明をしているのだろうかと(授業が終わった後で)自問することの方が多いような・・・。
 しがない初老の独り身の私には家族の成長にineffable joyを覚えることもない。先述の“Walking in Grace 2024” にはそうした喜びを書き綴った文章があふれている。イソップ物語の狐のように「あのブドウは酸っぱいはずだ」と愚痴っても詮無きこと。私はこれからも地道にineffable joy を探し続けていくしか手はないのだろう。一人旅には慣れている。
 一人旅と言えば、久しぶりに台湾に旅したいとずっと思っている。YouTubeには台湾の旅やグルメを紹介した番組が目白押しで、旅愁への憧れは募るばかりだ。パソコンのメルアドにも台湾への格安チケットを案内するメールが毎日届いている。学校が夏休みに入る7月中旬から8月にかけてのチケットをチェックする。最近の格安チケットは最安でも57.920円。え、これが最安? 昔の拙ブログを確認してみる。中国語の学習に目覚め、初めて訪台した2017年9月、同じ航空会社で27.810円で旅している。諸事情があるとはいえ、これだけの価格差を知ると、旅立ちたいという意欲は萎えていく。
 しかし、このまま座していても、この夏に向け国際便の燃油サーチャージが下がることはまずないのだろう。いや、さらに上がる可能性の方があるか。迷い続け、直前になってネット購入を決断した時には57.920円さえ「手頃な価格」に思えるのかもしれない。ウーン、どうしよう。困った時には神様の「思し召し」「差配」を辛抱強く待つのが得策と心得ている。神様、どうすれば良いのでしょうか?

笑顔で分かる?

20240507-1715041675.jpg 連休で計画通り、関西方面に出かけた。まずは久しぶりの顔合わせとなった英語愛好者の懇親会。懇親会と言えば大仰に聞こえるかもしれないが、いつからか、年に一回か二回程度、神戸・三宮で集まるようになっている。メンバーは私を含めて中高年の6人。私以外は皆、関西にお住まいの方々だ。今回初めて知ったが、最高齢のS氏は齢91歳だと知った。矍鑠(かくしゃく)としたお方だ。
 三宮のお寿司屋さんで楽しく歓談した。別れ際にS氏がこの集まりに何か名前をつけましょうかと言われた。なるほどそういう手もあるな。S氏は「グローバルウエスト」という名称を口にされた。私が英字紙「デイリーヨミウリ」(当時)に勤務していた頃、読売新聞大阪本社の英字新聞課が製作していた週1の紙面を「カンサイウエスト」(Kansai&West)と称していたことを思い出した。Westは関西以西の西日本の意味合いがあったと記憶している。私たち6人は全員日本人だが、話題は英語や外国語、世界情勢などグローバルに及んでいるから、「グローバルウエスト」はぴったりの名称かもしれない。
 京都・亀岡では実兄宅に二泊させてもらった。いつものように兄嫁に歓待してもらった。日曜日は芦屋市にあるキリスト教の教会に足を運んだ。私が尊敬する牧師さんは高齢もあり、この日の説教は若い働き人が壇上に立っていた。私のようなクリスチャンの端くれでも厳かな心持ちになり、さまざまなことを祈らせてもらった。病んでいるいとこや幼馴染み、かつての同僚の健康回復を願い、もちろん、今の時代を生きている我々の「宿命」とも言える大地震の憂いについても触れざるを得ない。神様にすがりたいことは少なくない。私は毎日曜日オンラインで礼拝に参加しているが、教会で生の祈りに参加できたことは嬉しい。
                  ◇
 旅をするといつも何かを忘れるというか落とすようだ。今回は新神戸駅で降りた新幹線の切符を探すのに一苦労した。どこかに落としたのかと愕然とした思いで駅員さんに相談していて、上着の胸裏ポケットに手をいれたら、切符が出てきた。普段着ない上着だったのでそこに小さいポケットがあることを忘れていた。この上着の左右のポケットは浅く、定期の交通カードを何度落としたことか。幸い、その都度、歩いた跡を辿って駅の通路やトイレの近くなどに落としているのに気づき、事なきを得た。
 これはまずい、福岡に戻り着くまでに手痛い落とし物をするぞと自分を戒めたが、遅かったようだ。携帯ラジオを聴く無線イヤホンがなくなっていた。5センチほどの勾玉のような形のイヤホンで、新しいスマホ用に購入してそう日が経っていない代物。そんなに安い買い物ではなかった。どこでどうやってなくしたか分からないが、おそらく新幹線の車中で座席に座っている時にスマホを右ポケットから出そうとして、スマホに引っかかってポロリとどこかに落としたような気がする。使っていないときにはバッグにしっかりしまっておくべきだった。
 まあ、いまさら悔やんでも仕方ない。仕事に不可欠のパソコンのUSBメモリーでもなくしたらと考えると、週明けの授業のためのパワーポイントが入っており、空恐ろしくなる。無線イヤホンは新しいのを買い求めれば済む話だ。お金はもったいないが。

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