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英語でさるく 那須省一のブログ

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the greatest rivalry in sports!?

20211013-1634101599.jpg 大リーグのプレーオフ。ナショナルリーグは宿命のライバルがリーグチャンピオンシップに進出する権利をかけて激突している。ロサンゼルスドジャースとサンフランシスコジャイアンツ。今回、地元紙の記事をネットで読んでそのライバル意識の凄まじさを改めて知った。プロ野球では巨人阪神のライバル関係が話題に上るが、そんなものではないようだ。
 ロサンゼルスとサンフランシスコはともにカリフォルニア州にある都市。日本からアメリカに渡航する場合、日本に近い西海岸にあることから、いずれかに着陸するケースが多いのではないかと思う。私も2011年に『アメリカ文学紀行』を書くために米国を旅した時にロスから旅を始めた。ロスの後にシスコに向かったが、どちらの都市もいい思い出があり、甲乙付けがたい。ただし、ロスではドジャースのホーム球場に足を運び、試合を観戦したこともあり、日本人プレーヤーにも馴染みが深いことからロスに軍配を上げたい。
 ドジャースもジャイアンツもともにニューヨークが発祥の地らしい。西海岸に移り、ナリーグの西地区に属している今もライバル関係は引き継がれている。私が読んだ記事は次のように始まっている。They first met 131 years ago in Brooklyn. They have played 2,535 games, from sea to sea, through many lifetimes, across three centuries, fighting with bats, brawling with venom, fans chanting, players taunting, cities dancing, cities aching. It is the greatest rivalry in sports. Nothing compares, nothing comes even close. No other duo can match their enduring animosity, their endless competitiveness, …。the greatest rivalry in sports と断じていることに彼らのプライドを感じる。さすが、カナダを含めてもたかだか参加二か国に過ぎないのに、プレーオフの最終段階をthe World Series と胸を張るお国柄だ。
 水曜日。仕事も用事もなく、朝からたっぷりとドジャースとジャイアンツの対戦を楽しんだ。対戦成績はジャイアンツの2勝1敗。ドジャースはこの日の試合に負けると1勝3敗となり、リーグチャンピオンシップに進むことができず、プレーオフ敗退が確定する瀬戸際のゲーム。日系のデーブ・ロバーツ監督が率いるドジャースに肩入れしながら観戦した。果たせるかな、ドジャースが粘るジャイアンツを7対2で突き放し、タイに持ち込んだ。
                  ◇
20211013-1634101547.jpg 二三日前の英字新聞ジャパン・ニュース紙の見出しに手が止まった。Youthquake will drive millions of Africans on trek to Europe という見出し。youthquake という語を初めて目にした。アフリカの国々は日本を始めとした先進国と異なり、若い世代が圧倒的大多数を占める。彼らは汚職や腐敗、内戦、犯罪の多発などから将来に希望が持てず、海外、特にヨーロッパに移民、逃避行する道を選択している。そうした事態をyouthquake と形容している。活字を見ただけで何となく意味合いが類推できないことはないか。
 記事によると、例えばアフリカ一の大国ナイジェリアはこのまま人口増が推移すれば、60年後にはヨーロッパの全人口を凌駕する運びだとか。ナイジェリアの現在の人口は推定約2億人。ヨーロッパの全人口はおそらく約7億5千万人。やがてナイジェリア一国でヨーロッパを上回る人口予測とは驚きだ。youthquake の是非はともかく、それが途上国、先進国双方に混迷と騒乱をもたらす危険性は否定できないだろう。

受講生募集中!

 最近は朝目が覚めて、枕元のスマホを開けると、前夜か早朝に日本の他の地域で大きな地震が起きていたことに初めて気づくことが多くなったような気がする。今朝もそうだった。
 昔はそこそこの地震がたまに起きていれば「ガス抜き」になり、大地震の力をそぐという何の根拠もない考え方をしていたが、どうもそうではないらしい。いよいよ、世の終末が近づいてきたとは思いたくないが、今の時代を生きている身としては不気味な感は否めない。大地の揺れは自然の摂理で地震国・日本に生まれた者の不可避の運命として受け入れるとしても、大きな被害をもたらさないよう神様に祈り続けよう。
                  ◇
 大リーグのプレーオフは見ないつもりだったが、雑務の間にテレビを付けていると、やはりちらちら見てしまう。ナショナルリーグのワイルドカードの決定戦はロサンゼルスドジャースとセントルイスカージナルスの対戦となった。投手陣が力投して手に汗握る熱戦を展開。両チームともに日本人選手は在籍しておらず、どちらが勝とうと構わない。とはいえドジャースは日本人の血が流れているデーブ・ロバーツ監督が率いており、少し肩入れはしたくなる。
 決定戦ではホームのドジャースに9回裏にサヨナラホームランが出て、劇的な勝利でサンフランシスコジャイアンツとの地区優勝決定シリーズに勝ち進んだ。両チームはナリーグの西地区の宿敵同士。今シーズンはジャイアンツが107勝55敗、ドジャースが106勝56敗という大リーグ屈指の成績を収めた。その差わずか1勝。ドジャースは両リーグで2位の好成績にもかかわらずワイルドカード争いを余儀なくされ、敗れれば、それでグッドバイとなる運命だった。ドジャースはこれから宿敵ジャイアンツを相手に最大5戦を戦い、先に3勝した方がリーグチャンピオンシップに進む。凄まじい戦いになるだろう。
                  ◇
 前回の項で次のように書いた。ところで「音痴」は中国語では何と言うのだろうか。私の日中辞典には「左嗓子」と載っていた。他で調べると「音盲」という語もあるようだ。日本人には後者が何となく理解できるが・・。昨日の中国語教室で中国語ネイティブ話者の老师(老師)は「音盲」」を選択された。日本語では「音盲」は使いづらい漢字のような気もするが、中国ではさすがにそうしたこともないのだろう。
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 私はオンラインで毎月第2、第4日曜日に英語教室(英文小説を読む講座)を行っています。今は英国の作家、カズオ・イシグロの作品 “Klara and the Sun” を少しずつ読み進めています。課題文を取り上げ、翻訳にも挑戦する大学のゼミのような雰囲気の教室です。受講生は現在、わずか1人。途中からの参加も歓迎します。興味のある方は次のサイトをご覧下さい。http://www.kankanbou.com/ajirobooks/
 また、小倉駅前にあるセントシティ11Fのカルチャーセンターで「普段着の英語教室」と銘打った初心者向けの英語教室を毎月第1、第3水曜日朝に開催しています。興味のある方は次のサイトをご覧下さい。https://kokura.mcv.jp/fudangi_eigo/

再びウエストサイズ物語

 NHKラジオの英語講座の一つを聞いていたら「薬を飲む」という表現が紹介されていた。英語ではもちろん、drink medicine とは言わず、take medicine となる。ふと思った。そういえば、中国語と韓国語ではともに「薬を食べる」という意味合いの表現となることを。中国語では「吃饭」(ご飯を食べる)を連想させる「吃药」であり、韓国語では「밥을 먹다」(ご飯を食べる)にも通じる「약을 먹다」。薬を飲む行為に関しては中韓が同じで、日本は異なるようだ。海を越えている間に「食べる」が「飲む」に変わったのか、大概の薬は水で流し込んでいるので「飲む」に落ち着いたのか。
 私は普段、薬とは全く無縁の生活だ。風邪薬ぐらいは買うことはあるが、コロナ禍のおかげか、このところずっと風邪をひくこともない。これからも薬とは縁のない生活が続いて欲しいと願っている。亡き慈母は長いこと薬漬けの生活を送っていた。83歳で死去した時、火葬場で骨を拾ったが、長年の薬との付き合いからか、骨はほとんど残っていなかった。素人ながら、薬の糖分で骨がやられていたのではと感じたことを覚えている。
 我が家に今ある薬でめぼしいのは春先に買った花粉症(hay fever)対策の目薬。それと、台湾を旅していて夜市で買った、今はもう何だったか忘れてしまった食い物でお腹を壊して、ホテルのそばの薬屋さんで購入した胃腸薬。懐かしい正露丸だ。めったにないが、今もお腹の調子が悪くなった時にはお世話になっている。来年台湾の旅が解禁されれば、またキャリーケースの中にしのばせて出かけるつもりだ。
                  ◇
 この夏はずっと公私ともに短パンで過ごしてきた。ゆったりとしていて、実に気持ちよく毎日を過ごすことができた。英語を教える仕事にも短パンで出かけていた。10月ともなり、そろそろ衣替えの季節か。いくらなんでも短パンはもうよすべきかと思い、ジーンズを引っ張り出してきて履いてみた。恐れていたことが現実のものとなった。ウエストがパンパンできつい。楽していた分がそっくりウエストに反映されていた。おー、なんてこった、テラコッタ(意味はない)。
                  ◇
 コロナ禍でしばらく休講措置となっていた公民館の中国語講座が今週から再スタートする。ということは冒頭のショートスピーチを用意して出席しなければならない。これが結構時間を要する。いつも他愛ないことを話題にしてしゃべっているが、辞書をひいて語彙を調べるのはなかなか面倒。
 今回は何をしゃべろうか。テレサ・テンの歌を中国語で歌おうと挑戦してあえなく諦めたことでもしゃべろうかなどと考えている。ネットでチェックしていて、中国語の声調を上手にできない人は音痴(tone-deaf)の人が多いのではないかといった指摘を目にした(ような記憶がある)。私も本来、音痴だ。なるほど、だから私は正しい声調がなかなか身につかないのかと妙に納得がいった。ところで音痴は中国語では何と言うのだろうか。私の日中辞典には「左嗓子」と載っていた。他で調べると「音盲」という語もあるようだ。日本人には後者が何となく理解できるが・・。

諸行無常

 この年齢になると、古里から届くニュースはあまり嬉しいものではないことが多い。週明け早々に幼馴染みのT君からラインメールがあった。私と同じ部落(集落)のTさんの奥さんが亡くなられたこと。これも同じ部落のMさんも相次いで亡くなったこと。お二人とも80歳代の方だったから長寿を全うしたと言えなくもないだろうが、私は壮年のお元気だった頃のイメージしかないのでまだまだ早過ぎるという印象だ。
 人口が一定あるいは微減の市町村だったらどうということもないだろうが、いわゆる限界集落と呼ばれる私の古里では住民が一人いなくなるのは悲しいことだ。たとえそれが自然死であってもだ。ここ福岡でローカルのラジオ局を聞いていると、県内の勢いのある市町村の住民の方々が古里自慢をしている。いつも羨ましく思いながら聞いている。衰微する古里のことをあれこれ思案せずにいられるのは幸せなことだろう。
 とはいえ、平家物語ではないが、物事はみな、諸行無常の響きあり、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。第一、古里の衰微を嘆く我が身にしても、永遠ではない。早晩、黄泉の国に旅発つ番がくる。その時は古里はおろか、日本も世界も知ったことではない。どこか宇宙の彼方から獰猛な異星人がやってきてかつて恐竜が滅びたように人類文明を滅亡させたとしても、正直、知ったことではない。いや、これは冗談です!
 だから、古里が年々わびしくなっていくことを嘆いても意味がないではないかという諦念が一方にある。その一方、そうした古里に常に思いを馳せる定めの身は都市部で育った人が思いも至らぬ、「人の世の営みのはかなさ」に早くから気づかされているのであり、それはそれで神様に感謝すべきことかもしれない、などといった思いもある。決して「負け惜しみ」を述べているのはない。
                  ◇
20211004-1633330211.jpg 大リーグのレギュラーシーズンが終了した。エンゼルスの大谷翔平君の打棒は後半ずっと失速気味だったが、最終戦でなんとか今季46号目のホームランを放ち、長いシーズンを締め括った。投げては9勝2敗。10勝に到達できなかったのは残念だが、味方のあの貧打戦、加えて情けないほどのリリーフ陣では致し方ない。強豪チームに属していたら、15勝近くの勝ち星を上げていたのではないか。少なくとも12勝ぐらいは?
 それにしてもこの時期になると毎年思うことだが、大リーグの日程調整能力には驚かざるを得ない。30チームがナとアの両リーグに分かれ、全162試合を戦い、同じ日(日曜日)にそろって最終戦を終えた。一日おいて火曜日からはまず、アリーグのワイルドカード決定戦が行われる。見事というしかない。翻ってプロ野球はクライマックスシリーズが行われている間にも消化試合が戦われている。今朝(月曜)の朝刊で確認すると、セリーグの一位、ヤクルトは残り試合が20,最も少ないのは中日で14。パリーグでも残り試合は最大で21、最小で15。これではとても足並みそろえて最終戦というわけにはいかない。
 プロのスポーツだから、やはりスタートとフィニッシュはきちんとそろえてプレーオフの戦いに入ってもらいたいと思う。気の抜けたビールは飲む気がしない。まあ、私は今もビールだけは断ってもおり、そういうゲームには見向きもしないが・・・。

"Are you a people person?"

 大リーグもプロ野球も佳境に入った。関心はもっぱら大リーグでロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平君のホームラン王争いか。投手としては再三の力投にもかかわらず、9勝にとどまっており、シーズン終了までに10勝の二桁勝利がなるかだろう。今のままの数字(成績)で終わったとしても、彼の活躍が色褪せることはなく、アメリカンリーグのMVP獲得は揺るがないかと思う。そう信じたい。とはいえ、ここ数試合の打撃を見ると、彼のバットからホームランが生まれるような気がしないのはなぜだろう?
 大リーグは10月3日に全チームが綺麗にシーズンを終了し、ワールドシリーズの頂点を目指すプレーオフに移る。翔平君はもちろん、日本人選手が出場することはなさそうだ。ゆえに興味はほとんどない。ケーブルテレビの生中継から「解放」されると思えば気は楽になる。
                 ◇
 NHKラジオの英語の講座をたまたま聴いていて、“I’m a people person.”という文章に出くわした。初めてだ、このような表現を耳にしたのは。講師の先生は「私は社交的な質(たち)なんですよ」というような説明をされていた。学生たちに教えていて、“I’m a cat person.” (猫派)とか “She’s a coffee person.” (コーヒー党)あるいは “He’s an indoor person.”(インドア派) という表現を説明したことはあるが、“a people person” はない。知らなかった、このような表現が可能なことを。「人付き合いが苦でない」「他人と交わることが好きな」性分の人を “a people person” と形容するようだ。ふーん。一人でいることが苦でない私は果たして “a people person” と呼べるかどうか自信がない。
                 ◇
 最近はテレサ・テンの中国語の歌をよく聴いていることを少し前に書いた。「つぐない」という今となっては懐メロのヒット曲から始めた。人様の前で歌えるほどになりたいと願ったが、思うは易し、行うは難しか。どうも上手く歌えない。以前から好きだった「時の流れに身をまかせ」にも挑戦してみたが、これも難しい。もっと簡単に(中国語で)歌えるものはないかなとYouTubeを漁っていて、森進一のヒット曲「港町ブルース」に行き着いた。この歌をテレサ・テンがカバーしていた。これだったら何とか歌えるのではないだろうか。
 中国語の歌詞は日本語の歌詞とは少し違っていた。「港町ブルース」は「♪背のびして見る海峡を 今日も汽笛が遠ざかる あなたにあげた 夜をかえして 港、港函館通り雨♪」で始まる。中国語版では「谁来爱我」という曲名で、ネットの訳文の転載を許してもらえれば「♪あなたはかつて私に言った 永遠に愛してると 誰があなたの話は全部私をだましたって知ってるの? あなたは無惨に私を捨て 私が苦しくても気にしない♪」と始まり、「♪谁爱我 谁爱我谁来爱我 不知谁来爱我♪」(♪誰が愛してくれるの?誰が愛してくれるの?誰が愛しに来てくれるの? 誰が愛しに来てくれるか分からない♪)というさびが続く。
 うーん。この歌も中国語で歌うとなると私にはなかなかの難物だ。多少なりとも歌えるのはさびの部分だけだろうか。もっともそこさえあまり自信はない。この次、台湾を旅する機会があったら、ホテル近くのスナックかどこかをのぞき、テレサ・テンの歌を歌いたいものだが、残念ながら、まだそうする勇気は持ち合わせていない。

頻出する「那」

 オンラインの英語教室で英国の作家、カズオ・イシグロの近作 “Klara and the Sun” を読んでいることは何度か書いた。毎回20頁前後をゆっくり読み進めているので、今週末、Part3に入る。私はこの小説を5月末に読み終えていたが、月2回の英語教室のために今も時々部分的に再読している。やはり、再読すると改めて気づくこと、読み落としていたことがあり、興味深い。
 不治の病であるかのような病気で伏せっているヒロイン、ジョージーを何とか健康体に戻したいと願う母親。ジョージーの家に買われた優秀なロボ友(AF=Artificial Friend)のクララ。母親はなぜか、クララと二人切りの時に娘にどれだけそっくりの言動ができるか試す。観察力の鋭いクララは母親が驚くほど娘に似せた物言いを披露する。その上でクララ(ジョージー)は母親に語りかける。‘There’s special help coming. Something no one’s thought of yet. Then I’ll be well again.’
 私は一読した時にはこの special help のことはあまり深く考えなかった。今再読していて作家がこうした筋立てを考えた意味合いが少し分かるような気がしている。パソコンに残している読書ノートに「2005年の “Never Let Me Go” をほうふつとさせる小説だった」と書いているが、今はちょっと違った印象を抱いている。それは・・・。英語教室で読み終えた時点で改めてこのことについて触れたいと思う。
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 区役所から納税通告書が届いたことは先に書いた。それで遅ればせながら税務署に確定申告に出かけるつもりであることも。先日、過去5年間の申告を済ませた。私が持ち込んだ書類を職員の方が親切に見て、パソコンの画面で処理してくれた。思った以上に税の戻りがあった。予期していた額の5倍程度はあったかと思う。レストランでの豪華な食事はもちろんのこと、コロナ禍が終わった際の台湾の旅にも活かすことができる額だ。有り難い。
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 中国語を学び始めたばかりの頃。「那」という字がしょっちゅう出てくるのが嬉しかった。私の名字の字だからだ。日本語の文章で「那」という漢字を目にすることは皆無に近い。中国語では「あの」「その」「あれ」「それ」といった代名詞として頻出する。「それでは」という意味の接続詞としてもよく出てくる。
 名前の「省」はあまり遭遇しない。「反省する」を辞書でひくと、「反省」という語が見える。ピンイン表記だと fǎnxǐng。「省」(xǐng)だけでも「反省する」という意味となるようだ。省エネとか省略するという意味では同じ漢字だが、発音(ピンイン表記)が異なるようで、shěngとなる。これまでこの意味でこの語に出合ったことがなかったが、NHKラジオ講座でようやく巡り合った。次の例文の中で出てきた。
 「並ばなくてもいいようにあらかじめネットでチケットを買っておきなさいよ」という例文。中国語では「你提前在网上买票吧,省得排队」だとか。「省得排队」が「並ばなくてもいいように」。「排队」が「並ぶ」で「省得」が「~しないでいいように」という語句らしい。こういった表現を自由自在に操れるようになれるといいなと心から願う。

senileを防ぐ手立て

20210922-1632293350.jpg 女性を蔑視して虐げるアフガニスタンの情勢はやはり気になる。私はこの国を旅した経験はないので、想像するしかないのだが、気軽に旅ができる地ではないようだ。イスラム教が国教の国での取材経験はあるが、イスラム過激派勢力が台頭する以前の頃だから、あまり参考にはならないだろう。イスラム教の教えに関してもメディアで伝えられることを読んで知っている程度だ。
 水曜日の読売新聞にイスラム教のことが少しのぞけるインタビュー記事が掲載されていた。カイロ支局の酒井記者がヨルダン国王の宗教問題主席顧問のイスラム思想家、ガーズィー・ビン・ムハンマド王子にインタビューしていた。
 預言者ムハンマドの直系子孫とされるムハンマド王子は国際テロ組織の「アル・カーイダ」はイスラム教の教えを逸脱していると批判。アフガニスタンを再び支配したタリバンにしても「イスラムの名の下に」イスラム教の教えとはかけ離れた施策を実施してきたと非難している。タリバンは女性が教育を受ける権利を大幅に制限する施策を打ち出しているが、これについても「女性は勤労したり教育を受ける権利を有している。タリバンがこれを理解しているようにはみえない」と断じている。
 願わくはムハンマド王子のような穏健派の考え方がイスラム教社会の大勢となり、アフガニスタンでも女性が堂々と学び、社会進出できる時代が来て欲しい。いや、イスラム教を信じる人々の間でも大多数はそう考えているのかもしれないが・・。
 ネットでBBCをのぞくと、Afghan girls school ban would be un-Islamic—Pakistan という記事が目に入った。イスラム国家である隣国パキスタンのイムラン・カーン首相がアフガン情勢に関してそう述べたのだとか。女子が教育を受ける権利を奪うのはイスラム教の教えに反すると。もっと言って、言ってぇな!
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 NHKラジオの中国語・韓国語の初級講座は今月末でワンクールが終了する。10月からの新クールではどんな講座になるのだろうと書店に立ち寄った。もう新しいテキストが店頭に並んでいるはずだ。テキストを見て愕然とした。なんだ、これは、今年もまた4月-9月の講座の再放送ではないか。復習も悪くないが、そろそろ、初級から少し進んだ講座を聴きたいと思っていただけに、肩すかしを食った感じだ。うーん、困った。どうしようか?!
 最近、中国語講座でラジオから聞こえた文章で印象に残っているのは次の一言。「僕と結婚してくれない?」。「結婚」だから「结婚」という語を使うのだろうと思って身構えていると、そういう語はなかった。「你愿意嫁给我吗?」。「嫁ぐ」という意味の「嫁」が使われていた。「结婚」の発音(ピンイン表記)はjiéhūn (ジエフン)だから何となく分かる。「嫁」の発音(ピンイン表記)は jià(ジィア)でこれはちょっと「嫁ぐ、結婚する」という意味は音からは想像しにくい。
 中韓両語の学習は「日暮れて道遠し」。まあ、それでも脳の活性化には確実になるだろう。最近、学生に説明した英語の語に senile(老衰、もうろくした) というのがあった。中国語では「衰老」というのか「痴呆」というのか、よく分からないが・・。

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