英語でさるく 那須省一のブログ
トカゲも昇天?
- 2022-08-03 (Wed)
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夏本番の8月。幸か不幸か私は夏バテで食欲が失せるということがない。だから夏でも痩せない。よって夏バテ防止の食材などといったことにもあまり関心がない。夏はとりあえず毎日スイカが食べられれば満足。
毎日のように利用している八百屋のおばちゃんにしょっちゅう今日の(スイカ)はどう?などと尋ねている。スイカが一番旨いのはどこの国だろうか?オレンジなら知っている。西アフリカ・セネガルの海沿いのホテルに連泊した際にホテルの食堂で毎朝飲んだオレンジジュースは信じ難いほどおいしかった。今でも時々その旨さを思い出す。スイカについては文豪マーク・トウェインの言葉が印象に残っている。彼は故郷である米南部のスイカこそが神が人間に与えたもうた果物の最高傑作だと絶賛している。The true Southern watermelon is a boon apart, and not to be mentioned with commoner things. It is chief of this world’s luxuries, king by the grace of God over all the fruits of the earth. ...
はてさて、米南部なら私もジョージア州などでスイカを食したことがあるはずだが、それほど旨かったという記憶はない・・・。
◇
レンコンが目に入った。真っ白で旨そう。焼酎のあてになるのではと思い、買い求めた。 ネットで料理法をチェックしてみる。すぐに分かった。片栗粉を上から軽くまぶし、油を引いたフライパンでこんがり焼くだけでいいとある。最後に醤油、砂糖、酢のタレをかけ、一煮立ちすれば完成とか。箸がとまらない、ビールに最適と紹介している。
片栗粉をまぶす程度なら私にもできるだろう。早速レンコン料理に挑戦してみた。結果は? ぜひまた作りたいとは思わなかった。きっと私の作り方がまずかったのだろう。
◇
週末は日曜が曇っていたこともあり、近くの海に向かうのが億劫だった。月曜は朝から快晴で申し分なし。この日も游いでいる海水浴客は数えるほど。游いでいたら、何だか右腕の上腕部がちくちくする。太もももちくちくする。よく分からないが、またクラゲに刺されているのかな。海中でちくちくする部位を叩いていると、若者が近づいてきて、同じようなことを言う。彼の腕は腫れている。やはりクラゲ被害か。水洗いした方がいいよと忠告する。
かくいう私も帰宅後すぐにシャワーを浴びたが、右腕の上腕部がひりひり痛い。これまではクラゲに刺されても自然治癒に任せていたが、今回は薬局に行き、塗り薬を購入。早速塗ってみると、ひんやりしてそれだけで気持ちいい!これからはせめてTシャツを着て游いだ方が無難かなと思い始めている。
ところでこの日、海から駅への帰途、砂の道でトカゲの亡骸を見つけた。最初は小枝か何かひも状のものが落ちているのかと思ったが、よく見ると小さなトカゲだった。猛暑でやられたのだろうか。いやまさかそんなこともあるまいとは思うが、よく分からない。海辺の草むらに住む小生物にとっても生きづらい猛暑なのだろうか。
(この項をアップする前にネットで調べると、私や若者の腕を刺したのはクラゲではなく、チンクイと呼ばれる海中の微少な浮遊生物らしい。甲殻類のプランクトン)
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コロケーション
- 2022-08-01 (Mon)
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中国語を学んでいて時々考えるのが、語に関する日中の感覚のずれだ。同じような漢字を使っていることゆえの齟齬(そご)と言えるものかもしれない。公民館の中国語教室で使っているテキストに次のような例文があった。「弟弟把( )弄( )了。」( )の中に適語を入れる問題だ。私は次のような文章を作ってみた。「弟弟把(哥哥珍惜的电脑)弄(坏)了。」(弟は兄が大切にしていたパソコンを壊してしまった)
辞書を引くと「珍惜」は動詞で「大切にする」と載っていた。それで「哥哥珍惜的电脑」で「兄が大切にしているパソコン」という意味になるのではないかと考えた。ところが中国語ネイティブ話者の先生は「哥哥贵重的电脑」と訂正した。「贵重」(貴重なという形容詞)を使用したがいいということらしい。なるほど、そう言われれば納得せざるを得ない。こういうことはやはりネイティブ話者の感性に従うしかない。
学問としての中国語を学んだことがないのでよく分からないが、要するに、広い意味で言えば、英語で collocation という領域のことなのだろう。英和辞書には「配列」「コロケーション」「連語関係」という訳が載っている。とある外国航空会社の航空機が日本に近づき、CAが流暢な日本語で「皆様左手前方に富士山が丸見えでございます」と機内アナウンスをしたとか。日本人乗客だけが爆笑したという。語の実際の運用におけるこの種の微妙な行き違いはケースバイケースで学んでいくしかないのだろう。
私もこれまで仕事で英語を使ってきて似たような失敗を時に犯してきたのだろうと思わないでもない。場合によってはそうしたコロケーションの差異を逆手にとって笑いをとってきたかもしれない。コロケーションの例ではないが、外国人が加わった交流の場などでは例えば、国際社会で名高い我々日本人の英語下手をネタにして、次のように自己紹介する手もあるか。“Hallo, everyone. Nice to meet you. My name is Taro Tanaka. Call me Taro. Please forgive my poor English. After all I’ve been studying English for only 50 years.”
◇
前回の項で次のように書いていた。8月に入ったら、久しく足を運んでいない魚津に旧知のママさんを訪ね、帰途には京都・亀岡の実兄宅に寄り、神戸では古い知己の方々とささやかな宴を催すことを企図していたが、コロナ感染者の急増で高齢の方々が多いこともあり、さすがに見送ることにあいなった。残念!と
この年になると、すべて神様の思し召しと達観しようと努めている。与えられた時間を精一杯生きるだけ。それで8月も動けないのは定めと諦め、その分、近くの海に行き、泳ぎ、漂い、太陽光の恩恵に預かることにした。第一に健康的だ。何度も書くが、私は泳ぎは上手ではないが、海ならば楽に浮かぶことはできる。ぷかぷか浮かびながらゴーグルを通して青い空と太陽を仰ぎ見るのは実に気持ちよい。1時間ほど波間に漂い、時に泳ぎ、海の家でぶっかけうどん(500円)を注文して食べる。私にはこれで十分だ。
海外の旅が解禁になればやりたいと考えていることは幾つかある。おいおいこの欄でそれも書いていきたいが、今は充電期間だと解している。体力面はともかく、資金的にはまだ充電期間がたっぷり必要なようだ。
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ミャンマーでも暴挙
- 2022-07-28 (Thu)
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国際社会のタガが外れているのだろうか。ミャンマーでアウン・サン・スー・チー氏を支持する反政府活動家らが処刑された。21世紀に反政府活動のために処刑される国があるとは。それも同じアジア、しかも東南アジア諸国連合(ASEAN)に属する国で。私は以前はビルマと呼ばれたこの国のことはほとんど知らない。なぜこの国の軍が権力に固執するのかも理解できない。分かるのは彼らがやっているのは民主主義とは相容れず、やがて厳しく断罪される日が来るということだ。いやそう願っているだけのことかもしれない。
内政不干渉主義という語がある。アセアンでもこれは不可侵の原則のようだ。しかし、ミャンマーで起きていることはその限度を超えたものであるという気がする。アセアン諸国の厳しい対応が待たれる。かつてカンボジアで起きた大虐殺事件とは異なるが、許しがたき蛮行という点においてはたいした差はないだろう。
本日(水曜日)の読売新聞の国際面を開けて少々がっかりした。トップ記事は「米中間選挙・分断の現場」というタイトルで一面掲載記事を受けた続き物。他に大きなニュースがなかったならばこれがトップでもいい。しかし、ミャンマーで発生した事件は傍観できない出来事だ。大きく扱ってしかるべき問題だ。もっと怒っていい。憤っていい。ロシアのウクライナ侵攻以来、国際社会の感性は麻痺しているのではと思うときがある。国際報道の現場でも似たようなことが起きているのか。
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プロ野球は火曜水曜とオールスター戦が行われた。私はろくに見なかった。見る気が起きなかった。以前から思っていることだが、2試合も必要ないのではないかと思う。全30チームがある大リーグでもオールスターは1試合のみだ。12チームしかないプロ野球は1試合で十分だろう。セパ交流戦もある今の制度ではオールスター戦もかつての輝きはない。選ばれる選手たちも果たしてスターと呼んでいいものかどうか。特に今年のようにコロナ禍で辞退する選手が相次ぐと、オールスターという呼称は看板に偽りありの印象さえある。
シーズン後半の消化試合を手際よくさばき、大リーグ並みとは言わないが、せめて一両日でセパ両リーグのすべてのゲームが終了するように工夫するとかして欲しい。またクライマックスシリーズもわずか6チームしかないセパ両リーグでは興ざめ。せめてゲーム差に大差がついた場合にはクライマックスの出場資格に厳しい縛りをかけるとかの策は必要だろう。長いペナントレースを戦い抜いて手にした優勝の価値を台なしにする最終盤のからくりは愚策としか思えない。
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8月に入ったら、非常勤講師として教えている専門学校も夏休みとなる。わずか2週間程度の短い休みではあるが。久しく足を運んでいない魚津に旧知のママさんを訪ねようと計画していた。東京から足を運ぶ友人とも再会し、北陸の海の珍味で日本酒を味わいたいと。
帰途には京都・亀岡の実兄を訪ね、神戸では古い知己の方々とささやかな宴を催すことにもしていた。とここにきてのコロナ感染者の急増。高齢の方々が多いこともあり、さすがに見送ることにあいなった。残念!
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将棋も生中継で
- 2022-07-22 (Fri)
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猛暑の日々だが、日中は何とか自然の風と扇風機で汗を垂らしながらの生活。夜になると、さすがにクーラーを使っているが、貧乏性ゆえにずっとつけっぱなしというのはさすがにはばかられる。就寝直前に3時間で切れるタイマー設定にしてベッドに入るが、未明に何度か目覚めてしまう。眠りが浅いから睡眠で十分な体力を回復していないのではと危惧する。まあ、体力を使う労働に従事していない私はそれほど気にもしていない。
窓から青空が見えると海に泳ぎに行きたくなる。近くに海水浴場がないことを知らなかった頃はそういう気にはならなかったが、あることが分かってからは気もそぞろ。金曜日も午前中は机に向かい、お昼前には海に向かった。この海水浴場はあまり混むことがないようでのんびりと泳げるのがいい。私は泳ぎが上手ではないので、一人静かに海中に漂えるのは気分がいい。うっかりすると、足が届かないところに流されたりしているので、ちょっと怖い。帰宅後に鏡で見ると、顔もだいぶ日に焼けた感じだ。
手元のスマホの翻訳機能に話しかけてみる。「私は下手ですが、泳げます」。英語では “I’m not good at swimming, but I can swim.” と出る。韓国語では「저는 잘 못하지만 수영을 할 수 있습니다.」とか。中国語では「我不擅长游泳,但会游泳。」と見える。「游ぐ」つまり「水泳」は韓国語では「수영」、中国語では「游泳」と表現することが分かる。こうした表現はもう何度も辞書を引いて確認しているが、いまだにうろ覚えの状態。少しずつでも上達していると信じたいのだが・・・。
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プロ棋士の対戦を時々YouTubeで楽しんでいる。木曜日には王位戦(七番勝負)第3局2日目の対戦が朝からずっと生放送されていた。プロ棋士の将棋は一度見始めると、画面の前から離れられなくなることがしばしば。私は駒の動かし方を承知しているぐらいのど素人だが、次の一手をあれこれ想像するのは楽しい。たまにプロ棋士の手と合致したりすると嬉しくなる。正真正銘の天才である彼らに少しだけ近づいたように錯覚する。麻雀プロとは大違いの世界だ。
王位戦は藤井聡太王位対豊島将之九段の対局だった。豊島九段が59手目で見せたここぞの長考には恐れ入った。AIの見立てではこの時点で250億の手があると出ていた。豊島九段は結局183分を費やした。実に3時間。ひょっとしたら彼は250億の手をすべて脳内で検討していたのではないかとさえ思える。まあ、さすがにそんなことはないだろうが、次の一手に3時間かけて考え続けることができるとは私のような凡人には想像もできない。
ずっと見ていたかったが、この日は公民館中国語教室の日。午後4時前にあたふたと公民館に出向いた。夕刻に帰宅してパソコンでYouTubeの画面を開くと、勝負はすでに決着していた。84手で藤井王位が勝利し、対戦成績を2勝1敗にしていた。私が座を立った時にAIの見立てでは藤井王位が71%対29%で豊島九段をリードしていたが、その差を着実に守って勝利したようだ。とはいえ、プロ棋士の世界だから紙一重の戦いだったのだろう。ふと思う。AIがこのまま進歩していくと、やがてAI棋士が登場することになるのだろうか。将棋や囲碁の世界ではそうはなって欲しくないと願う!
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北京ビキニ
- 2022-07-19 (Tue)
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公民館の中国語教室。先日の講座で受講生の一人が冒頭のお決まりのショートスピーチで世界各地の猛暑を話題にした。中国の状況を述べた際に彼は「北京比基尼」という表現を使った。私はこの表現は知らなかったので面食らった。私には「北京ジニ」と聞こえた気がしたので、急いでスマホの辞書機能を使って「ジニ」を調べると「所得や資産の分配の不平等度を測る指標の一つ」とある。はて、猛暑とどう関係があるのだろうと頭が混乱した。
ほどなく、そういう難しい話ではなく、単に「北京ビキニ」という語句であることが理解できた。夏になると、中国、特に北京の中高年の男性の間では来ているシャツなどを胸元深くたくし上げ、少しでも涼もうとすることから、そうした姿を「北京ビキニ」と呼んでいるようだ。「ビキニ」が「比基尼」。私にはこれが「ジニ」と聞こえたのが混乱の始まりだった。
しかし、男がシャツをたくし上げただらしない姿を女性のビキニ姿になぞらえたユーモアは笑える。「比基尼」のピンイン表記はbǐjīní であり、語源のビキニ環礁 (Bikini)の音を写し取ったものであることは明らかだ。
当局は男性諸氏がこうした姿を公衆の面前でさらすことを面白くは思っていないようだ。それは理解できる。日本でも少なくとも都市部ではこうした姿を想像することは難しい。田舎でも今では難しいかもしれない。私はガキの頃は夏休みには上半身裸で外を歩いていた。川に泳ぎにあるいは魚を突くために歩いているのだから「大義名分」はあった。田舎では夏に上半身裸の姿はそう珍しくはなかったのではないかと思う・・・。
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千町甲衰退。私のパソコンで「せんじょうこうすいたい」と打つと「千町甲衰退」と変換される。「線状降水帯」とするには二度個別に変換する必要がある。やがて一発で線状降水帯と打ち出されるようになるのだろう。線状降水帯によると思われる豪雨が九州各地を始め、全国で猛威を振るっている。
電車の運休や遅延により、教えている専門学校の授業(試験)も火曜日、臨時休校とするとの緊急連絡があった。私が住んでいる東区はたいした雨は降らなかったようにあるが、致し方ない。この季節になるとよく思う。未曾有の豪雨が日常茶飯事になりつつある時代に生きているのかもしれないと。
そうだとしたら、毎年のように繰り返されるようになった水害に対しては、住宅密集地が多い下流域の川幅を拡張、底を掘り下げるとか、逃げ水の地を多種多様設けるのが急務なような気がする。
午後に入って私の住む東区一帯は青空が広がり、猛暑が戻ってきた。このところさぼっていた香椎浜の散策路の散歩に出かけた。途中、蝉の抜け殻に出合ったと思ったら、まだ生きていた。コンクリート路にひっくり返り、足を弱々しくばたつかせている。短い一生を終え、死の途に就く直前かも。哀れに思われ、手にした布切れを近づけるとしがみついた。幸い、近くに草むらがあったので、そこに横たえた。短い一生と書いたが、我々の人生だってどこかにいるかもしれない地球外生命体から見れば刹那の生命かもしれない。セミ君は私の小さな親切をどう思ったか。大きなお世話と一蹴していないことを願う。
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「마세요」と「마시오」
- 2022-07-18 (Mon)
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パソコンやスマホでYouTubeをよく見るようになったことも一因しているかと思うが、テレビを見ることが格段に少なくなった。大リーグの生中継にプロ野球放送、それにNHKニュースなどの時間を除けば、テレビを見ることはあまりない。民放の番組を楽しみにすることは皆無に近い。ドラマやバラエティ番組は全く興味がない。お笑い番組は好きだが、YouTubeで後日見れば十分。大リーグ生中継さえなければテレビそのものを処分して身軽になりたいとさえ思う。引っ越しの時には荷物ともなるからだ。
インターネットが台頭していた頃、やがて新聞産業が衰えていくのではないかとささやかれたことを覚えている。毎朝夕配達される新聞は役目を終え、必要なときに必要な情報を手にする電子新聞のような媒体に取って変わられるのではとも言われた。長い目で見ればそのような流れになっているのかもしれないが、今も自宅で定期購読している新聞は命脈を保っている。
案外、新聞産業よりも既存のテレビ業界の方が将来が危ぶまれるのではないかと私は思う。NHKはともかく、民放各社は必要があるのか。地方にあまたあるテレビ局もそれだけの存在価値があるのか。YouTubeではありとあらゆる情報が流されてきている。選択肢は余りある。有象無象の選択肢の中からやがて視聴者の信頼を勝ち得るものが出てきて、既存の放送局を凌駕する時代が到来することだってあり得るのではないか。私は電波ではなく活字で育てられた人間だから、テレビの行く末にはそう大きな関心を抱いているわけではないが、そんなことも頭に浮かぶ2022年の盛夏・・・。
◇
テレビはともかくラジオの役割は増しこそすれ、減ることはないかのように見える。もっともラジオ本体は不要の存在になりつつあるようだ。パソコンやスマホを通して聴取が可能だからだ。NHKの「らじるらじる」を利用しない日はないほど。従来のラジオだと電波が乱れて聴き取りにくいことも多々あったが、「らじるらじる」だとそんな心配も無用。大地震などの災害時にもNHKラジオさえ聴取可能ならば心強い。
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韓国語の辞書で単語の意味を調べていたら、次の例文が出てきて面食らった。「여기에 쓰레기를 버리지 마시오.」。意味は「ここにゴミを捨てるな」と結構乱暴な意味合いのようだ。「마시오」がよく分からない。「시」は動詞の語幹について「~られる」といった尊敬の意を表すと理解していた。少なくとも「捨てるな」という意味合いで使われることはないと思う。ゆえに私の頭の中は??となった。
辞書でいろいろ調べ、上記の文章はまず、「말다」が元になっており、「지 마」の形で禁止を表すことを知った。「버리지 마」だと「捨てるな」という意味。さらに「시오」という語尾は「~しなさい」という意味だと知った。よく見かける文章例としては「다음 물음에 답하시오.」(次の問いに答えなさい)が載っていた。「버리지 마시오」だと「捨てないで」「捨てなさんな」となる訳か。尊敬の意味合いはないようだ。「버리지 마세요」なら「捨てないでください」という丁寧な物言いとなる。これ、末永く覚えていたいのだが・・・。
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理想の体内時計
- 2022-07-16 (Sat)
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コロナ禍。市役所から4回目のワクチン接種のお知らせが届いた。ネットで予約した。何とか予約ができたのは住んでいる東区から離れた中央区赤坂の中央体育館。新聞社勤務時代の地元だが、はてあんなところに中央体育館なんてあったっけと記憶が薄れている。
金曜日。地下鉄で会場に出かけた。すぐに分かった。さすがに人口増加の一途にある福岡市。結構混み合っていた。いつものような手続きで左肩に接種をしてもらった。明日土曜は晴れマークが見えるので天気次第で泳ぎに行こうと考えていたが、看護師(保健師?)の方からあまりお勧めはしませんよと言われ、急速に行く気が失せた。
中央区赤坂方面に足を運んだのは本当に久しぶり。勤務していた新聞社のビルがすぐそこに見える。見知っている人も激減しており、足は向けない。昔何度か行ったことのあるレストランを訪ね、軽いランチを食べて帰宅の途に就いた。それはいいとして、やがて5回目のワクチン接種という事態になるのだろうか。
とパソコンに向かって上記のことを打ち込んでいたら、テレビがチャイムを鳴らせて緊急速報。画面を見やると、福岡県で本日のコロナ感染者6356人、初めて6000人を超え、過去最多更新と報じている。今夏、まだまだ増え続けるのだろう。この先、大丈夫かなと??が頭に浮かぶ。
◇
机の上に置いている時計。セイコー社の時計。買ったのか貰ったのか覚えていないが、もう何年も愛用している。温度と湿度も表示してくれるので重宝している。数日前にぱたっと表示が消えた。乾電池が切れたみたいだ。最後にいつ乾電池を入れ替えたのか覚えていない。新しい乾電池を入れた。当然のことながら日付けも時刻も乱れている。裏蓋を開けると、リセットとかモニターなどといった微少なボタンが見える。裏蓋を開け閉めして悪戦苦闘したが、うまく行かない。おそらく前回、電池を入れ替えた時も同じように煩悶しているはずだが、何にも思い出せない。
何度もボタンを押したり、その他のスイッチを上げたり下げたりしたが、埒が明かない。匙を投げた。しばらく放っておいた。その後、ふと時計を見やると、何と正しい時刻を表示しているではないか。日付けも合っている。何と言うのか知らないが、電子時計?自ら電波をキャッチして正確な日付け、時刻を表示してくれるみたいだ。有り難い。あると言われる「体内時計」もかくのごとく、人生の「残り時間」をそれとなく教えてくれるといいのだが!
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韓国語。一応基本を教えてくれる本は何冊か読んでいるので、だいたいのところは分かっているつもりだが、なんとも心許ないときがある。そのつど以前に読んだ本を引っ張り出して確認しているが、腑に落ちないことがしばしば。ネットである程度は調べることができてもやはり限界がある。公民館の教室でネイティブ話者のソンセンニムから学んでいるとはいえ、質問には限度もある。かくして??を抱えたまま、学習を続けるしかない。
それでもネットで無料の発音教室みたいな講座は目白押し。この点では間違いなく昔は考えられなかった恩恵に浴している。
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