英語でさるく 那須省一のブログ
Bushman in Moscow
- 2022-07-13 (Wed)
- 総合
大リーグ。大谷翔平君が属するロサンゼルスエンゼルスが絶不調にあえいでいる。私はとうに匙を投げていたが、このところの不調は目を覆いたくなるばかりだ。大谷翔平君はそれなりの活躍を続けているが、いかんせん、チーム力はどうしようもない体たらくだ。
ほぼ一か月前のブログで次のように書いていた。――大谷翔平君は相変わらず二刀流の活躍を続けているが、投手力、守備力がお寒い状況。打撃力もニューヨークヤンキースやヒューストンアストロズなどとは比べるべくもない。これでは今秋のプレーオフ進出は覚束ない。たとえワイルドカード争いにしがみつくことができてもそれ以上は到底無理だろう。そう思うと、真剣に応援する気が失せてしまう。これからはほどほどに付き合っていこう。残念だが・・・。
今、アメリカンリーグ西地区のstanding(順位表)を見ると、エンゼルスは5チーム中4位で首位を走るアストロズからは何と19ゲームも離され、借金は11も抱えている。プレーオフ進出のためのワイルドカード争いも厳しいだろう。
現実的な願いは翔平君だけは今後もめげずに奮闘し、投げては15勝、打っては40ホームランぐらいは記録し、名実ともに二刀流のスターとして君臨し続けて欲しいということぐらいだろうか。チームがこの状態では2年連続のMVPを期待するのは無意味か。
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全身葉っぱの姿のbushmanや案山子のような装いの男が通りがかりの人々を驚かす他愛ないYouTubeの番組をよく見ていることを以前に書いたかと思う。一種のcandid camera (どっきりカメラ)の趣向とも呼べるものだろう。東南アジアの国々が舞台となっているものでは、背景の緑が実に目に鮮やかでおちゃらけはそっちのけで樹木に目を奪われている。
ヨーロッパの都市が舞台となった配信では特に若い女性たちが驚きの声を上げる様子がそれなりに面白い。私など自分が住んでいるアパートの一階で下りて来るエレベーターを待っていて、ドアが開き、住人の誰かが現れると、思わず驚きの声を上げ、向こうも驚き、またそれで私が再度驚くといった何とも形容し難いシーンを演じている身としては、自分が上記の場面に出くわしたらどうなることやらと思わないでもない。
ヨーロッパではイギリスやスペイン、フランスなどの都市が多い印象。先日、この都市はどこなんだろうかなと思いながらパソコンの画面を見ていた。片隅にMOCKBAという地名が記してある。見出しは Bushman Scares Pretty Girls! Awesome Reactionsとなっていた。これまで目にしたことがない地名だ。まさかと思って調べてみると、なんとモスクワであることが分かった。愕然とした。ウクライナの市民に残忍なロケット攻撃を浴びせ続けているロシアの首都モスクワの通りの光景だったのだ。
それが分かっていたなら、私はこの無邪気な番組を楽しみなどしなかっただろう。画面に登場する人々は自分の国がウクライナで蛮行を繰り返していることを気にもとめていない風に見える。ひょっとしたらそうした現実を知らないのかもしれない。コロナ禍の中、マスクをしている人が皆無であることにも驚く。私はこれからMOCKBAという地名が見えたならクリックすることはないだろう。ウクライナの人々に申し訳ない。
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英語を教える楽しさ
- 2022-07-11 (Mon)
- 総合
週が明けた。安倍元首相が銃撃され死亡する事件も起き、参院選の投開票もあった。ウクライナでは依然、多くの無辜の民がロシア軍の残忍な砲撃で殺傷されている。収束に向かっていたかに見えたコロナ禍は再び、感染者が急増する展開。波乱に満ちた出来事があったとしても、Life just goes on だ!
来月には久しぶりに北陸方面に旅しようと考えている。いや、すでにネットで新幹線含めた切符を購入しているが、コロナはちょっと気になる。果たしてのんきに旅などしていいものだろうか。
空模様もすっきりしない。月曜日は午後から海に行こうかと考えていたが、どんより曇っている。さきほどはぱらっぱらっと雨が落ちてきた。海行きはやめておこう。
教えている専門学校では間もなく前期末試験がやって来る。問題作成に時間を費やした。長文の問題も作成した。この3か月余の間に授業で語った要点を活かしながら作成したつもりだ。学生が高得点を取ってくれればいいと願う。
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オンラインの英語教室。英語で書かれた(短篇)小説を読んでいるが、この種の教室は教える側の私もとても楽しいひとときだ。受講生さえ見つかれば、毎日でもやっていきたいと思うが、さすがにそこまでの需要はないようだ。いや、私にそこまでの「吸引力」がないだけの話だろうが。
昨日の日曜日に読み終えたのはオー・ヘンリー賞受賞の短篇 “The Other One”。著者のTessa Hadley氏は1956年生まれの英国人の女性作家のようだ。私と同世代か。英ブリストルに住む40代でバツイチの女性Heloiseが交通事故死した父親の恋人だった女性Deliaと偶然出会う物語。父親の恋人はその交通事故で死亡したのだと母親Angieから聞かされていたが、死んだのは同乗していた他の一人(the other one)であり、Deliaは重傷を負い、プロの演奏者となる夢は絶たれたものの、逞しく自活していた。自分が密かに思いを寄せている学生時代の男友達Antonyも絡み、微妙な母娘関係、男女関係が淡々と語られる。
ところどころに見慣れない単語が頻出し、苦労しながらもとても面白く読むことができた。話の筋に直接関係はしないが、次の記述にしばし黙考させられた。米西海岸から帰郷していた兄のTobyがHeloiseやAngieとアメリカの政治について語るシーンだ。次のように書かれていた。Watching out for totalitarianism, they said, everyone had been oblivious to the advent of the illiberal democracies.
全体主義(totalitarianism)の恐ろしさはプーチン露政権のウクライナ侵略を見るまでもない。非自由主義的民主主義(illiberal democracies)の台頭も不気味。見てくれは民主国家の体をなしていても、国民の自由が著しく制限されている国々が次々に登場していることも忘れてはいけないという指摘だ。最近の例ではフィリピンを想起する。マルコス元大統領の長男のフェルディナンド・マルコス氏が新大統領に選ばれた。
政治腐敗・汚職のデパートとも揶揄された父親マルコス政権の悪政の蘇りでないことを心から願うばかりだ。
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自らを鼓舞するメッセージ?
- 2022-07-08 (Fri)
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昨日(木曜日)、また海で游ごうと思った。それでゴーグルを探したが、どうも見当たらない。よく考えれば、先週初泳ぎし、帰宅後にゴーグルを水洗いした記憶がない。海で游げば、普通、水洗いするものだ。そうした記憶がないということはおそらく持ち帰っていないのだろう。浜辺かどこかに忘れたのか。あのゴーグルはスポーツジム時代からずっと愛用してきていたものでベルトとの付け根の部分が壊れた後はボンドを山のように塗って使ってきた。長年慣れ親しんだものを不注意でなくすのは情けなくもあるし、実に残念だ!
ゴーグルで游ぐのに慣れると、裸眼で游ぐのは抵抗がある。おそらくろくに游げないような気がする。古いゴーグルがあることを思い出した。度が入っていない普通のゴーグルで度付きのゴーグルに慣れたら、物足りなくなってほとんど使ったことがないゴーグルだった。ないよりはましだとこれを手に海水浴場に向かった。この日も海には人っ子一人いなかった。海の家の設営をしている人たちに尋ねると、明日金曜日が海開きだとか。
海は先週よりは波が小さく、游ぎやすかった。時間帯の関係か、海水の量は前回よりも深かった。離岸流にさらわれることのないようテトラポットが真ん中に見える辺りでクロールと平泳ぎのまねごと。平泳ぎをしていたら、右手が何かにぶつかった。見ると、クラゲではないか!左首を刺された昨夏の苦い思い出が脳裏をよぎる。くわばらくわばら。その後、浅瀬に向かって歩いて注意深く見ると、小さいながらもクラゲが結構、海中に漂っている。
游ぐ気はたちまち失せた。多勢に無勢だ。遊泳客が増えてクラゲを蹴散らすようになるか、刺される確率が激減でもしないことには、のんびり游いでなどいられない。それでも先週よりは游いだ感覚があったので引き上げることにした。嬉しかったのはだめもとで持参した古いゴーグルが使えたこと。薄い青色がかったゴーグルでこれをつけて空を見ると、青空が実に色鮮やかに見える。こういう見え方は紛失したゴーグルではなかった。
それともう一つ。自宅から海まで歩くサンダルを改めて100円ショップで男用のものを買い求めていた。これが大正解。歩きやすいし、石ころやらの上を歩いてもそう痛くはない。この夏はこれで快適に過ごせそうだ!
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ロンドン時代の同僚、L嬢からメールが届いた。私も知っている仕事仲間のA嬢が近く結婚する運びとか。A嬢も52歳。10年前にロンドンで再会した時は確かパートナーとの間に赤ん坊がいたような・・・。いずれにしろ、目出度い話ではある。L嬢は寄せ書きにするから何か一言メールで送ってくれとの由。
そう言われても、ぱっと頭には浮かんでこない。彼女が東京を訪れた時にはパチンコ店を見学させたり、浅草でご馳走した記憶もある。そんなこんなを書こうと思ったが、結局書き送った言葉は・・“I used to think life really starts from 60. But now I know I was wrong. Life truly starts at 70. Anna, there are still lots to learn and enjoy.”
L嬢からは “I love the message! The good thing about asking for this sort of thing from journalists is that they come up with something amusing!” と返信があった。A嬢も笑って読んでくれると思う。
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左川ちか
- 2022-07-04 (Mon)
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お世話になっている出版社からある詩人を紹介した英文のインタビュー記事を適宜要約してくれないかと依頼された。今夏に出す短歌誌に掲載する予定だとか。私には荷が重いと思ったが、インタビュー自体は大変興味深かった。出版されたばかりのその詩人の全集を送って頂き、詩人が手がけた英語短篇小説の翻訳や散文を読んで圧倒された。
左川ちか。今の日本では無名の人だろう。1911年に北海道に生まれ、10代で翻訳家としてデビュー、翻訳家としても才覚を発揮し、将来を嘱望されていたが、病魔に襲われ、1936年24歳の若さで他界している。出版社から今回の依頼がなかったならば、私などはおそらく一生、この女流詩人の名さえ知ることはなかっただろう。
全集を読み進め、彼女が手がけた短篇小説の翻訳に驚かされた。英国でほぼ同じ時代を生きた作家、ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)の作品を翻訳していた。英語では “A Haunted House” というタイトルで『憑かれた家』と訳されていた。ウルフは今も人気ある作家で20世紀モダニズムを代表する作家の一人だ。
“A Haunted House” は短い小品だが、これをすっと読み進めるのは、我々英語のノンネイティブにはそう簡単ではないかと思う。翻って左川は特に高い教育を受けた女性ではなかった。作家の伊藤整の知遇を得て周囲には当時のモダニズム運動に傾倒した文芸人たちがいたとはいえ、遠く離れた異国の言語を習得するのは並大抵のことではなかっただろう。パソコンやインターネット、スマホなどの電子機器とは無縁の時代だ。
そのことを考え、改めて彼女のウルフの翻訳を読むと、彼女の言葉の感性に敬服せざるを得ない。書き出しから素晴らしい。英文は次のように始まる。Whatever hour you woke there was a door shutting. From room to room they went, hand in hand, lifting here, opening there, making sure – a ghostly couple. 左川の訳は・・・眼が醒めてゐる時はいつも戸のしまる音がした。部屋から部屋へと彼等は行つた。手を取り合つて、ここのカーテンを掲げ、そこの扉を開けて。たしかに確信させながらーー幽霊の夫婦を。
「春・色・散歩」と題した散文は「遠くの空が黄色く光つて、目を細くしてゐるとそれが淡紅色の中に溶けてしまひ段々大きな拡がりになつて真白に輝いて来ると目を開いてゐることが出来なくなります」と始まる。「私は家の中にぢつとしてゐることが出来なくなり」船に乗ってどこかに旅することを夢想したり、疾走する自動車から振り落とされるスリルを想起したりする。「風景でも音響でもたえず動いてゐるものに魅力」を感じる私は、「郊外電車からバスに揺られて小さく刻まれて」視界に飛び込んでくる「街の絵は非常にヴイヴツトなものだ」と思うと綴られている。
「ヴイヴツト」は英語の “vivid”(生き生きとした)を拝借したのだろう。「ビビッド」とせずに実際の音を忠実に写し取っている。ほぼ100年前に生きたこの詩人・翻訳家が普通に長生きしていたら、どのような秀作を残していたことだろうと思わざるを得ない。
私は2012年に英国を旅した際にウルフが暮らした地を訪れ、記念館のようになっている、彼女が入水自殺するまで住んだ家にも足を運んだ。左川には望むべくもない贅沢な旅だった、とここで記しても何の意味もないことだが・・・。
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(個人的)海開き
- 2022-07-01 (Fri)
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いよいよ7月の声を聞いた。2022年も半年が過ぎた。残り半年。とこんな分かりきったことなど書きたくはないが、瞬く間に時間だけが過ぎ去っていくような気がする。まだ蝉の声は聞かないが、猛暑はやってきたようだ。何しろ暑い。明け方も蒸し暑さで目覚めたりするようになった。何とかしないと夏バテに直結しそうだ。
今夏は以前から決めていたことがある。近くの新宮海水浴場に行き、できるだけ海水浴をすることである。去年は初めて行ったのが7月29日のこと。今夏はできるだけ早く行き、海に浸かりたいと思っている。さっそく金曜日の午後、仕事(雑用)を済ませて海へ。
自宅を出てのどかなローカルの電車に乗り、10分ぐらいだろうか。昼下がりの乗客はあまりいない。海水パンツの上半身裸で乗り込んでも良さそうに感じるが、まあさすがにそこまでは。100円ショップで買ったビーチサンダルを履く。改めて値札を見ると、レディースサンダルと記してある。あ、これは女性用か。知らなんだ。でもまあいいか。駅に着き、海辺まで歩く。よく分からないが石ころが直に足裏に当たるようで痛い。履き心地も極めて悪い。失敗した!帰宅したら男用のサンダルを買おう!
海水浴場は海開きがまだのようで閑散としていた。游いでいる人は皆無に近い。とにかく海に入り、クロールのまねごとをする。台風が近づいてきているのが関係しているのか波があり、游ぎやすい感じではなかった。初日はこれでいいか。幸いクラゲもいないようだ!
◇
ウクライナ情勢は以前予断を許さない状況が続いているが、ロシアのプーチン大統領は露極東東サハリンの石油・天然ガス事業「サハリン2」の締め付け策に出たようだ。日本をターゲットにした経済制裁なのだろう。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」か。プーチン氏の人となりは知らないが、卑劣極まりない唾棄すべき人物であることは間違いないようだ。
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大リーグ。一時諦めムードであまり熱心にフォローしていなかったが、最近、大谷翔平君が投打に孤軍奮闘の活躍を見せ始めている。6月は投げては4勝、打っては6本塁打と活躍し、エンゼルスを何とかプレーオフ路線に踏みとどまらせている。
6月最後の登板となった試合でも6回途中降板となったものの11三振を奪う力投で7勝目をあげた。テレビから大谷がキッチンシンカーだかキッチンシンクを投げているといったような解説者か誰かの音声が聞こえた気がした。キッチンシンカーってどんな球だろうと思ったが、私は球種のことはよく分かっていないので、すぐに忘れた。
英字新聞を開いて理解した。エンゼルスのマックス・スタシ捕手が次のようにショウヘイのピッチングを形容していた。“You never know what you’re going to get. It’s the kitchen sink coming at you all the time.”(彼が投げる球は予測不能。いかなる時でもありとあらゆる球種の球が飛んでくるから)。ネットで調べると、「ありとあらゆるもの」というニュアンスの表現で sink(流し台、シンク)を使うらしい。everything but the kitchen sink とか。台所のシンクのような巨大な物体が空中から舞って来たら恐ろしくてすくむのではと思ったが、どうもそういうことではないようだ。
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前世はキリギリス?
- 2022-06-29 (Wed)
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暑い日が続いている。昨年はどうだったのだろうとブログを振り返ると、6月30日の項に次のように書いている。――今年の夏はまだ蝉の鳴き声を聞いてないなと思った。ラジオを聴いていたら、どうやら蝉の鳴き声が本格化するのは7月に入ってからとのこと。そうか、窓を閉めたくなるような騒音ともなる蝉時雨を耳にするのはまだこれからか。猛暑の方は段々と忍び寄っているのに。先週末、珍しく来客があったため、今夏初めてクーラーを入れた。さすがに涼しい。これからはしばらくの間、クーラーのお世話になる日々が続くのだろう。――
そうか、去年の今頃はクーラーをつけていたのか。今年は数日前にクーラーのスイッチに手を伸ばしてしまった。日中はなんとか窓からの通風と扇風機とで我慢しているが、夕刻以降にはさすがにクーラーをつけるようになっている。
去年は初めて新宮海水浴場で泳いだ。これもブログで確認すると7月29日。8月の声は聞いていないが、ちょっと遅めか。去年は直後にクラゲに左首の辺りをさされ、大きく腫れ上がり、熱も出て往生した。今年は早めに出かけ、クラゲに刺されないようにしよう。また、海水浴場の水深事情も知らず、体力が尽き果て溺れそうになる一幕もあったが、今夏はこれにも気をつけよう。今週末か来週には泳ぎに出かけたいと願っている。
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NHKラジオの中国語講座。以前から疑問に思っていたことを分かりやすく説明してくれ、大いに参考になった。上記の「水泳」。中国語では「游泳」ということは承知していた。ただし、ピンイン表記は何度記憶しようと思っても、声調を含めて覚えるそばから忘れていた。それに「游」と「泳」はどう使い分けるのだろうといつも迷っていた。単独に「泳ぐ」という時には「游」よりも「泳」の方が相応しいのではないかと漠然と思っていた。「泳」の方が「泳ぐ」というニュアンスが強いように思えたからだ。
ラジオ講座の先生は私の考えが間違っていることを諭してくれた。「泳」は名詞で動詞は「游」の方らしい。つまり「游泳」は「泳ぎを游ぐ」の意だとか。だから、「私は100㍍泳げる」なら、「我能游一百米」となる。了解。もう一つ問題はピンイン表記。yóuyǒng。声調で言えば、上がって、下がって、少し上がる感じの声調。日本語はもちろん、英語にも韓国語にもないこんな微妙な音調はすぐに忘れてしまう!
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暑さもあってほぼ毎日スイカを夕食後に食べている。スイカにもっと栄養価があったなら、朝昼晩、スイカだけを食してもいいと思っている。私の前世はひょっとしたらキリギリスだったのではないかしらと思ったりしている。そういえば、イソップの寓話か何かで冬場に蓄えがなくなり、蟻さんに助けを求めるのはキリギリスではなかったか。
私は体型的にはキリギリスからはほど遠いが、キリギリスのように、happy-go-lucky な人生を送ってきたことは深く自覚している。とはいえ、今は石部金吉の暮らしぶりゆえ、神様も少しは哀れんでくださるだろう。まだまだ人生の楽しみ、喜びはこの先、転がっている(かな?)と信じている。
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別腹は第二个胃?
- 2022-06-22 (Wed)
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最近YouTubeをことのほか利用するようになった。スマホでも利用しているが、圧倒的に利用しているのは自宅でパソコンを使って視聴している。パソコンを立ち上げ、YouTubeをクリックするとスクリーン上に幾つかの画面が開く。よく分からないのだが、どうも自分がよくのぞく傾向に沿って「向こうから」適宜画面がアップするようだ。
私の場合は大リーグ、将棋、中国語、韓国語の学習関連、麻雀、漫才、可愛い猫、人を驚かすたわいない動画などが主だ。それぞれが面白く、気の向くままに付き合っていたら、時間がいくらあっても足りない。最近よくアップされるのは台湾の一人旅というかグルメのチャンネル。なぜこれが毎回出てくるのか分からないが、必ず出てくる。台湾の人と味に惚れ込んだ日本人男性が台湾のディープな食堂や朝市などを訪ね、台湾独特の食文化を賑やかに紹介してくれている。私は懐かしく見とれている。
彼は世界各地を旅した上で台湾に惚れ込んだみたいだ。この番組を見ているだけで台湾を旅したような気分になるから不思議だ。まああれほど親日的な土地柄はおそらく世界のどこを探してもないだろう。とはいえ、若い人たちは台湾を旅して「これが普通の海外旅行だ」と思わなければいいとも願う。台湾はとにかく親日度で特筆に値する旅行先だ。若者には世界各地を旅した上で台湾に足を運んでもらいたいと願う。大きなお世話か!
◇
英語の授業で「デザートは別腹」という表現について説明した。これは辞書で調べると英語では通常 “I have room for dessert.” と表現できるようだ。胃袋にまだデザートを収容する空きスペースがあることを room と形容している。日本語の「別腹」というストレートな表現の面白みはないような気がしないでもない。
それはいいとして中国語や韓国語では類似の表現があるのだろうかと興味を覚えた。まず日韓辞典をチェック。別腹という項目があった。ただし、別腹というきっちりした語彙は見いだせなかった。「満腹だがデザートは別腹だ」という例文の訳文として「배가 부르지만 디저트는 먹을수 있다.」という文章が掲載されていた。文字通りに訳すと「お腹は一杯だが、デザートは食べることができる」となるのだろう。文意から「別腹」の説明となっていることは明らかだ。별실(別室)という語があるなら별배(別腹)があってもいいのではと思ったが、どうもそうではなさそう。
日中辞典にも「別腹」は見いだせなかった。ネットで見かけた文章としては次のようなものがあった。「女性はいつも別腹がある。よくデザートを食べるのが好きだ」の訳文として「女生通常都有第二个胃,很喜欢吃甜品」。そうか、「別腹」を「二つ目の胃」と表現するのか。なるほど。そういえば、英字新聞の編集長をしていた当時に独特の日本語の言い回しを英語でどう表現するのか、英字記者がコラム記事で紹介していたのを本にまとめていたのを思い出し、本棚から手に取った。「別腹」も紹介していた。例文としてI have another stomach for desserts. という文章が出ていた。これは中国語の文章とほぼ同意だ。
コロナ禍が収束し、台湾にまた旅ができるようになったら、「我有第二个胃」を多用したいものだ。果たしてその意がすんなりと通じるか楽しみだ。
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