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英語でさるく 那須省一のブログ

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「俺がよ」「ミアネヨ」

 大リーグは最終盤を迎え、アメリカンリーグもナショナルリーグも優勝チームがほぼ出そろいつつある。熾烈を極めているのはプレーオフに滑り込めるワイルドカード争いだ。両リーグ合わせると30チームもあるのだから、ワイルドカードの意義は理解できる。
 翻って日本のプロ野球。クライマックスシリーズと称して三位に入れば、日本シリーズに出場できるチャンスを手にできる。パリーグで言えば、今年の優勝チームのソフトバンクスホークスは29日時点で貯金が44。三位は西武ライオンズとロッテマリーンズが争っているが、貯金はあるかないかのレベル。勝率五割に何とかこぎつけたチームが、貯金40以上の圧倒的強さを維持したチームにクライマックスシリーズという名の短期決戦で勝利すれば、日本シリーズに出て、チャンピオンとなることができるわけだ。こんな不可思議なチャンピオンはない。私にとってはプロ野球の魅力が薄れつつある一因でもある。
                  ◇
 米男子ゴルフのプレーオフ最終戦は飛ぶ鳥を落とす勢いの22歳のプロ、ジョーダン・スピースが優勝を果たし、総合優勝のボーナス1千万ドル(約12億円)を手にした。想像もつかない多額の賞金だ。スピースは大会終了後、米テレビのインタビューに答え、このボーナス賞金をゴルフ関係者やこれまでの米国内の各大会を支えた人々とシェア(share)する意向を表明した。私は彼のファンでも何でもないが、この心の大きさには敬意を表せざるを得ない。(彼の発言を報じた外電は続で)
                  ◇
 ようやく「冬のソナタ」を見終わった。この一か月間、放送は週日に午前と午後の2回。最終20回目の放送は大学の授業の開始日だったため、午後の放送を見ることは不可能。携帯電話のアラームを午前5時にして、何とか早朝放送の最終話を見た。ちょっと意外な結末だった。何というか、もやもやした消化不良の結末だ。さあ、その後の展開は皆さん、好きなようにご想像あれ、というような感じか。あれであの二人の恋の行方を巡る確執を描く続編がこれから作られても、私にはもう見る気がしない。
 とはいえ、韓国語の勉強には大いに役立った。「愛している」というのは「サランヘ」あるいは「サランヘヨ」(사랑해요)ということは知っていた。これの丁寧な表現として「サランハムニダ」(사랑합니다)というのがあることを知った。「ごめんなさい」と謝るのも、親しさの程度によって、「ミアナムニダ」(미안합니다)「ミアネヨ」(미안해요)「ミアネ」(미안해)と変わることを学んだ。心もとない独学ゆえあまり自信はないが、「ミアネ」は親しい者だけが使える、いわゆる「ため口」のようだ。「ミアネヨ」と「ヨ」(요)が付けば、丁寧さが出てため口ではなくなるとか。なるほど、韓国語のドラマを見ていると、確かに実によく「ヨ」という語尾が出てくる。日本語だと例えば「俺がよ、この間よ・・・」などと言えば、あまり柄が良くない感じだが、韓国語では全く印象が異なるようだ。
 「ミアネヨ」の語幹の「ミアン」(미안)は漢字で書けば「未安」だとか。自分の言動で相手に迷惑をかけ、心が安らかでないことを表す「未安」だという。日本でも古代にはこういう語を使っていたのではないかとさえ思ってしまう。「安心」の対義語みたいな・・・。

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「コピ」と「コーヒー」

 図書館で『宮崎県の歴史』(山川出版社)という新しい本が目についた。「県史45」と付記されているから、全国の都道府県の最終近くで刊行されていることが分かる。奥付を見ると、1999年の刊行で今年第2版が発行されている。正直な読後感を書けば、理解に苦しむ部分も散見した。例えば最終章の「太陽と緑の国」では21世紀に向けた県政を展望しているが、「県全体の過疎化にも歯止めがかかっている。しかし、県民所得は低く、県内での過疎化は進展している」という文章があった。これを一読してすっと理解できる人は少ないだろう。「過疎化の進展」という表現そのものに違和感を覚えるが、県内の過疎化が進行しているのならば、県全体の過疎化に歯止めがかかったとは言えないのでは。
 とはいえ、我が愛する郷土を紹介した本だ。初めて知ることもあり、興味深く読んだ。驚いたのは私の古里を含んだ米良(めら)の山が幾度も出てきていることだった。このブログでも何度も書いているが、郷里は山また山の山間部。しかし歴史的には由緒ある地であり、江戸時代前後には土豪(武士)が住みつき、結構波乱に富んだエピソードを提供しているようだ。この本の中では、1684年(貞享元年)に米良山領主で交代寄合旗本の米良主膳則信が参勤交代で居城の小川館(西米良村)を出立し、途中、銀鏡(しろみ)の米良源太夫宅に立ち寄った際に、毒殺未遂に遭遇した事件が紹介されている。この銀鏡は我が郷里であり、江戸時代にそのような生臭い事件があったとは好奇心をかきたてられる。
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 福岡で毎年この秋の時期に催されている「アジアフォーカス福岡国際映画祭」の招待券がお世話になっている人から届いた。韓国の映画も上映されていますよということだ。渡りに船と飛びついた。昨日足を運んだのは「愛の棘」という作品。韓国語の原題は「가시」。「瑕疵」という語が頭に浮かんだが、辞書で調べると「棘」という意味だった。イケメンの若い体育教師に抱いた女子高校生の恋心が狂気的なものとなり、新婚の家庭が破滅の縁に追い込まれる物語だが、見終わった後の心地はとても爽やかとは言えないもので、次にかかっていた「野良犬たち」(原題「들개들」)で気分一新と願った。こちらは韓国内で実際に起きた事件を基に描いた作品とかで、雪深い寒村を舞台に村人が一人の娘を襲うレイプシーン続出の凄まじい作品だった。ため息気分で帰宅の途についた。
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 韓国語と日本語の違いが面白いと思うことの一つに、英語外来語の発音の違いがある。韓国語ドラマで頻出するのがコーヒーを意味する「コピ」という語。韓国語では「커피」。我々の耳には「コピ」と聞こえる。「コーヒー」と「コピ」、どちらが英語(coffee)の原音に近いかは意見の分かれるところだろう。タイミング(timing)という語はどうか。韓国語では「타이밍」と書く。この語の最後の音は発音記号では[ŋ]と記される鼻音だ。日本人でもこの発音を難なくできる人がいるのかもしれないが、私にはできない。多くの日本人ができないのではないかと思う。この点では韓国語の方が英語の原音に近いと言えるだろう。日本語では「タイミング」と最後の「グ」をしっかり発音しないとどうも収まりがつかないが、そうすると英語の原音からは遠くなる。大雑把に言えば「グ」を飲み込むような発音が英語の原音に近いのではないかと思う。

バックトゥバック

 韓国語の勉強。昔の教科書を読み、時に辞書を引いている。文章が頭に入ったつもりで雑記帳にペンを走らせてみる。嗚呼、あの独特のハングル文字が怪しい。やはり、語学の勉強は目と耳だけでなく手も使ってやるべきか。前項でコメントを頂いたが、熱心な韓流ファンは身近に結構珍しくないようだ。今年のいつだったか、新聞社勤務時代の同僚がKpopのコンサートがあるからといって東京から来福し、そのまま釜山だかにまで足を伸ばした。彼女には息子のような年恰好の若者グループだった。私は福岡のコンサート会場そばのホテルで彼女にランチをご馳走になったが、あの時はまさか自分もこんな形で韓流ファンになるとは思いもしなかった。
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 日本のプロ野球もアメリカの大リーグもいよいよ大団円を迎えつつある。パリーグはソフトバンクホークスが優勝目前だ。これだけ強いと、ホークスファンにはたまらない展開だろう。セリーグは先が見えない大混戦。私は一応ジャイアンツファンだが、今年のジャイアンツのゲームは正直どうも面白くない。
 大リーグでは来月のプレーオフ進出に向けたゲームが過熱の一途。今年は田中マー君のいるニューヨークヤンキースがアメリカンリーグのプレーオフに進むことだけは確実の情勢だ。マー君もここに来てエースらしい投球をしており、ジラルディ監督の信頼も厚くなっている感がある。先日の好投のゲーム後には、監督は "I think everything we heard, he enjoys [big games]. He enjoyed it in Japan and he looked forward to coming in here and pitching in games like today." (「彼は大きな試合にも臆しないと聞いていた。日本でもそうだったというし、ここにやって来たのも今日のような大一番のゲームで投げたかったからだろう」)と称賛の言葉を送っている。
 私は以前にこのブログで日本のスポーツ選手が負けた試合後に「楽しめました」と判で押したような感想を述べていることに批判的なことを書いたが、監督の上記のエンジョイという語を見て、ふとそのことを思い出した。なるほど、ひょっとしたら、この辺りから日本人スポーツ選手の「楽しんだ」「楽しかった」発言が生じたのかも!?
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 先日、プロ野球を見ていたら、アナウンサーが連続三振の場面で「バックトゥバックの三振奪取です」と言っていた。「連続」という意味だ。英語だと “back to back”。「二者連続三振」は “back to back strikeouts” となる。プロ野球の中継でこの表現を耳にしたのは初めてだった。英語に通じたアナウンサーだったのだろう。ただまだ日本では大多数の人が理解する日常の外来語表現とは言えない。とても頼りになる打者(人物)のことを「クラッチヒッター」(a clutch hitter)と呼ぶ。ピンチヒッターはすでに日本語として馴染んでいるが、この調子ではやがてこうした語もお茶の間に浸透する時代が来るのかもしれない。
 最近では「ここでティームバッティングが欲しいのでは」と言うアナウンサーも少なくない。あれは「チームバッティング」だろう。「スティール(盗塁)に失敗」は「スチールに失敗」だろう。英語を「生業」としている身にも若干気になることではある。

「愛の雨」

 前回に続き、韓国語について・・・。韓国語のドラマを毎日幾つか見ている。あらすじもあまり分からないものが多いが、言葉の勉強には役立つ。それに韓国のドラマには日本のテレビにない面白さがあるような感じだ。
 ドラマを見ていて、「당신」(タンシン 當身)という呼びかけの語が物議を醸す場面があった。私の韓日辞書には「相手を指す第二人称代名詞:貴方」と載っているが、どうもある程度親しくないと使うのは避けた方がいい語のようだ。ネット上には韓国語には年長者に呼びかける「貴方」という語がないという指摘も見かけた。だから、初対面の年長者には誰彼構わず「선생님」(ソンセンニム 先生)と呼んでいればOKとか。こういう辺り、日韓の言語はよく似ていると思う。日本語も「あなた」「おたく」という呼びかけは年長者にはなかなか使えない。従って、「〇〇さん」と名前(名字)に「さん」を付けて呼ぶのが無難だが、相手の名前が分からないと厄介だ。これが英語だ相手が誰であろうと、youの一語で済むのだから、この点では英語は「使い勝手」の良い言語だ。
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 「冬のソナタ」は全20回の半分程度に達した。美男美女の恋のもつれを実に上手に描いたドラマだ。ただあまりに筋立てが整い過ぎていて、さすがに飽きがきた。韓国語の学習のために我慢しながら見ているといったところだ。
 正直、他に面白いドラマが目白押しだ。例えば「ラブレイン」。冬ソナは2002年制作だが、こちらは2012年だから最近の作品か。韓国語では사랑비(サランピ)と書く。「愛の雨」という意味だ。この程度の語だったら理解できるし、韓国語のキーボードも何とか打てる。ヒロインを演じるのは日本では「少女時代」で知られるアイドルグループのユナ。私はグループ名ぐらいは聞いたことはあるが、興味もなく、具体的なメンバーも全然知らなかった。参考までに「少女時代」は韓国語では소녀시대(ソニョシデ)、「ユナ」は윤아と書く。ソニョシデは何度も発声していると何となく、少女時代と聞こえなくもない。
 番組説明によると、「『運命の愛』をテーマに1970年から現代を舞台に二世代にわたる壮大な『初恋』をめぐる物語」とある。70年代に大学生だった二人の男女の恋が実らずに破局。30年ぐらい経過したのだろうか。別れ別れになった男の息子が偶然遭遇し、恋に落ちるのが、渡米して消息を絶った女の娘という設定のようだ。ヒロインのユナは最初の数回では口数の少ない純情可憐な乙女を見事にこなし、歳月が流れて再登場する娘役では物おじしない現代的なヤングギャルを演じている。
 私の学生時代も70年代だった。このドラマのような相思相愛の経験は残念ながらないが、日韓の違いがあるとはいえ、懐かしさを感じるシーンが幾つかあった。韓国語が話せるようになったらぜひ訪ねてみたいと思う地もできた。
 そういう次第で私は少女時代のユナ嬢のファンになってしまった。ネットで調べるとまだ25歳の若さだ。彼女が歌番組で少女時代の一員として歌い、踊っているのも目にしたが、「ラブレイン」の最初の数回で演じた大学生の姿とは印象が全く異なる。歌手としての実力のほどは分からないが、女優として大成する素地ありと見た。

連音

 韓国語の勉強が面白い。ケーブルテレビで何と多くの韓国語のドラマが放送されているかということは前回書いたが、偶然にもあの「冬のソナタ」の再放送が始まった。実際にドラマを見たことは一度もなかった。あらすじも全然知らない。それでも、韓流ブームを巻き起こしたドラマぐらいのことは私も承知しているので、遅まきながら、見始めた。今月末までに全20話を一挙に放送するようだ。主演の男優がなるほど端正な顔立ち。嗚呼、日本の奥様方がはまったのはむべなるカナダ、いやカンコクか!
 その韓国語。例えば、그는(彼は)머리(頭)가(が)좋다.(いい)という例文。こういう文章に遭遇すると、韓国語は日本語と似ていると思わざるを得ない。英語で「彼は頭がいい」を語順通りに「直訳」しようとすると、“He is, head is good. という感じの文章になるが、もちろんこれでは文法無視の悪文でしかない。頭=head に固執すれば、“His head is good.” という文章が考えられるが、ほめられた英文ではない。普通だと “He has a fine brain.” とか “He is bright.” という訳文となるのだろう。
 これが韓国語になると、頭に浮かんだ日本語をそのまま韓国語に置き換えていくだけのことだ。「彼は頭がいい」は上記のように、그는 머리가 좋다. (クヌン モリガ チョッタ)となる。語順に煩わされることがないのはありがたい。
 韓国語は15世紀半ばに当時の世宗大王が自国の民が等しく理解できるように科学的メソッドで創設した言語だとか。少し厄介なのは我々が普段意識することのない激音、濃音の明確な区別の他、フランス語だと「リエゾン」と呼ばれる「連音」があることだ。例えば 저는(私は) 약속(約束)이(が)있습니다.(あります)という文章。「チョヌン ヤクソギ イッスムニダ」。「ヤクソク」(yaksok)と次の「が」を意味する「イ」(i)が連音して「ヤクソギ」(yaksogi)と発声される。
 語学書を読むと、日本語と韓国語は文法がほぼ同じで、背景にともに漢字という「裏付け」があるため酷似している面があるが、基層の語彙は異なっており、英語とドイツ語のような類似性はなく、「姉妹語」とは呼べないそうだ。そうであっても、上記の약속(yaksok)のように日本語と同じ意味、発音の語があり、しかもそういう語が数多いことは大変心強い。
 この連音は日本語でも我々は当たり前のように使っていると私は思う。私には孝臣、修という名の二人の兄がいた。残念ながら二人ともすでに故人となったが、私は子供の頃から兄たちを「たこまんちゃん」「おさまんちゃん」と呼んでいた。ある日、次兄をそう呼んでいたら、次兄の子供たちに「省一おじさん、おさまんちゃんって誰のこと?」と不思議そうに尋ねられたことがある。姪や甥には父親の「おさむ」が「おさまんちゃん」に結びつかなかったのだ。Osamu(おさむ)とanchan(あんちゃん)は普通に続けて発生すると、muのuが落ち、anchanのanと結合して、Osamanchan(おさまんちゃん)となる。同様に長兄のTakaomi(たかおみ)の場合はmiのiが落ち、anchanと結合する。その前にTakaomiのkaoがko に縮まっており、最終的にはTakomanchan(たこまんちゃん)となる。
 今、韓国語の独学で連日この連音と「格闘」していると、黄泉の国に旅立った兄たちのこともなぜか思い出されたりしている。

韓国語ドラマ

 明日から9月だ。今年も残すところあと4か月。本当に一年は瞬く間に過ぎていくようだ。とこんなことはこれまで数限りなく書いてきたような・・・。
                 ◇
 県民税・市民税を納入したと思っていたら、所得の申告を促す通知書が届いた。出版社の印税支払いも額の多寡にかかわらず、申告する義務があるようだ。気にもしていなかった。区役所に相談に行くと、この際確定申告をしたらいかがですかと勧められた。会社を辞めて5年。確定申告したことは一度もない。大学の非常勤講師による報酬は源泉徴収してあるので、申告は必要ないと考えていたからだ。「今の時期なら税務署は空いているはずです。おそらく並ぶこともないでしょう」との区役所の職員の一言に押されるように税務署に足を運んだ。
 これまで(複数の)大学や出版社から送られてきていた源泉徴収に関する紙片のほか、今年の税金納付書などを携えて税務署へ。確かに空いていて、係りの人が懇切丁寧に疑問に答えてくれた。机上のパソコンのスクリーンに立ち上った国税電子申告・納税システムというものに登録をしてくれ、私の個人的数字を打ち込んでいく。最後に「あ、還付金が派生しますね。えーと56,885円です」という言葉が発せられた。え、そ、そんなに。今の私には決して少額とは言えない額の還付金だ。なぜ、これまで確定申告を面倒くさがってきたのだろう、この私は!
                 ◇
 韓国語の勉強を始めたことを前回の項で記した。語彙が増えていくのは面白い。ネイティブの教師から30年ほど前に基礎的なものを教わっていたことは無駄ではなかった。
 それで最近、韓国語ドラマにはまりつつある。私はケーブルテレビに入っており、これまでもチャンネルをカシャカシャやっていると、韓国のドラマがよく放送されているなという感覚があった。どれ、試しにどれか見てみよう。それで初めて気がついたのだが、ほぼどの時間帯でも韓国語のドラマがどこかのチャンネルで放映されている(ようだ)。富豪やエリート家族の愛憎関係を描いたものが多い。もちろん字幕があるからこそ理解できる。それでも時に韓国語の単語が私の耳にも引っかかる。「かくして私は大人になった」という独白で終わったドラマがあった。私の耳は「어른」という語を聞き取った。たしか「大人」という意味ではなかったか。韓日辞書を引く。어른という語に苦労の末にたどり着く。意味は「大人」。数日前まではこうしたことができるとは予想だにしなかった。
 私は日本のテレビドラマには興味がない。最後に見たのは「渡る世間は鬼ばかり」だった。それが今や韓国語ドラマに魅せられている。途中からの視聴だから、筋立ては全然分からない。想像力を逞しくして見るしかないが、登場する韓国の女優さんが皆美人さんで、「学習」を忘れてしまう。まさかこの年になって「韓流ブーム」に巻き込まれようとは思わなかった。でも、目的は韓国語の修得だ。しばらくはどっぷり浸ろう。저는 시간이 많이 있읍니다.(チョヌン シガニ マニ イッスムニダ:私は時間がたっぷりある)

南大隅町再訪

 台風15号が福岡を過ぎ去ったようだ。私のマンションから見る限り、風は激しかったようだが、雨はそうでもなかった。通過したこれから本降りになるのかもしれないが。
                  ◇
20150825-1440483988.jpg 先週末、久しぶりに鹿児島・南大隅町を再訪した。新聞社時代の取材で友人となった人たちと再会し、焼酎を飲んだ。正月以来断酒は続けているが、この間は特別に解禁し、四夜にわたってたっぷり飲んだ。
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 南大隅町再訪の目的の一つは、根占地区の海水浴場、大浜海岸で泳ぐことだった。錦江湾の入り口にある浜辺だ。台風が近づいていることもあり、波は少し荒かった。福岡では毎日のようにプールで泳いではいるが、やはり海での泳ぎは格別。強い波に負けないように泳ぎ、漂い、戯れた。前半の宿を提供して頂き、浜辺を案内してもくれたHさんは私の泳ぎを見て、「泳ぎ慣れているようで、それならどこの海でも大丈夫でしょう」。昔金槌で社会人になってから苦労して泳ぎを覚えた身には嬉しい一言だ。ところで、大浜海岸は閑散としていて泳ぐ人の姿はあまり見かけなかった。実にもったいない話だ。(金槌の英語表現は続で)
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 後半の宿となったTさんの車で佐多岬も再訪した。本土最南端の地。岬の道沿いに出没している猿たちもさすがに暑いのは苦手なのか、ほとんど姿を見かけなかった。かつては新婚旅行のメッカともなっていた岬だが、その頃の賑わいはない。それだけに野趣あふれる岬となっている。町の観光協会の若い職員の人たちが地元の物産を販売する軽トラの移動店で甲斐甲斐しく働いていた。地元の名品、琵琶茶のペットボトルを買い求め、喉を潤した。
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 南大隅町や佐多岬があるのは大隅半島。その向いにあるのは薩摩半島だ。宮崎出身の私はこうした違いも過疎の集落の取材で鹿児島に足を運ぶまでは恥ずかしいことに知らなかった。我々は意外とお隣の県のことはあまり知らないのではないかと私は思っている。Tさんの車でフェリーに乗り対岸の指宿へ渡った。大隅町から見える開聞岳はすくっとそびえる名山という感じだが、指宿の足元から眺めるとその美しさが一段と映える。鹿児島と言えば、噴火警戒が続いている桜島を連想しがちだが、薩摩富士とも称されるこの山も一度目にすると印象に残る。開聞岳を見やりながら、ふと他愛ないジョークを思いついた。(これも続で)
 もう一つここで書いておきたいことがある。南大隅町での一コマ。Tさんが日曜日の午前、近くの運動施設に連れていってくれた。そこでは地区のお年寄りたちが集い、ゲートボールやバレーボールなどを使った集落対抗のレクリエーションに興じていた。私はいすに座って眺めていただけだが、住民の方々が心から楽しんでいることが伝わってきた。途中で小学生以下の児童の徒競走、小学生のリレー競争も行われた。「おじちゃん、(台の上から)下ろして」と声をかけてきた小さな女の子。久しぶりに子どもらしい子どもたちに接したような気がする。
 南大隅町も多くの過疎の集落を抱え、町のかじ取りは楽ではなさそうだ。私が見た集まりは毎年8月のこの時期に催しているのだとか。町の職員と思われる中堅層の人たちもボランティアとなって集いを支えているのが分かった。来年も再来年もずっと、子どもたちの元気の良い歓声が聞こえる集いであって欲しいと願った次第だ。
 (写真は南大隅町の川と山、海の風景と佐多岬の出店、岬に立つ筆者)

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