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英語でさるく 那須省一のブログ

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ため口について

 パリでまた痛ましいテロが起きた。パリ市民ら120人を超える人々が犠牲になった。負傷者の中にはかなりの数の重傷者が含まれているといい、死者数は今後もっと増えるかもしれない。残酷無益なテロというほかはない。前回の項で18世紀に書かれたジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』(Gulliver’s Travels)のことについて書いた。
 あの荒唐無稽の物語で作中人物が作家の分身とも言える、旅人のガリバーに語る皮肉たっぷりの人類評を再び記しておきたい。人類は「自然の摂理でこの地球上をのたくり廻っている最も恐るべき、また最も忌わしい害虫の一種である」(the most pernicious race of little odious vermin that nature ever suffered to crawl upon the surface of the earth)————。
 イスラム過激派の連中がキリスト教の欧米諸国をテロの標的にする時、彼らはその恨みを11-13世紀の十字軍(the Crusades)にまで遡る。宗教を「人質」にした愚行としか思えないが、彼らに非を悟らせる宗教指導者が現われる日は来ないのだろうか?
                          ◇
 韓国のドラマ。昨晩、また一つ最終話を見終えた。邦訳では「青い鳥の家」と題された全50話のドラマだった。私は途中から見始めたのだが、これも実に面白かった。もちろん、韓国語を学ぶために見ていたのだが、ドラマ自体が面白く、すっかりはまってしまった。なぜ、韓国のテレビドラマはこうも面白いのだろうか。日本のテレビは見る気もしないのに。
 以下、韓国ドラマを見ていて気づいたことを少し。まず母親と祖母が実に元気いい。特に「オンマ」(엄마)と呼ばれる母親の存在感が圧倒的だ。「ハルモニ」(할머니)と呼ばれる祖母も今の日本では考えられほど溌剌としている。大家族だった頃の日本もかつては祖母がああだったようなおぼろげな記憶がある。
 字幕があるから韓国語ドラマが楽しめるのだが、それで父親と成人した息子の会話などで例えば、息子が父親に向って語りかける場面があって、日本語字幕は「来たのか?」と出ている。しかし、韓国語は「왔어요?」(ワッソヨ?)であり、「来たのですか?」という丁寧な表現だ。「왔어?」だったら、「来たのか?」でも問題ない。私は独学中だから怪しい部分はあるが、最後の「요」(ヨ)があるかないかで大きな違いがあるようだ。この「요」がないと日本語でいう「ため口」になるらしい。友達同士だったら自然な会話だが、目上の人に使う表現ではないようだ。長幼の区別が厳しく、両親であってもきちんと丁寧な言葉を求められる韓国では息子といえども、父親や母親には普通「요」抜きの言葉は発しないのでは。
 それで思い出すのは、日本のドラマだ。例えば、「渡鬼」ではえなりかずき扮する息子が近藤春奈、いや角野卓造扮する父親に向い、「おやじ、そうじゃないだろ。俺の好きなようにさせてくれよ」などと、かなりぞんざいなセリフを発していた。息子が父親に向い、「来たのか?」という字幕は現代日本ではそう違和感を覚えないが、韓国ではありえないでは、などと考え込んでしまう。私など亡き父親に向い「来たのか?」などとは口が裂けても言えなかった。地元の言葉でそれなりの敬意を払い、「来たとや?」と口にしていた。
 韓国語ドラマの魅力————。出てくる女優さんが、脇役であれ、皆美人さんというか魅力的な人が多い。これも今の日本のテレビでは到底味わえない世界だ。チョアヨ!

悪魔に魅入られたくなくて

20151111-1447222944.jpg 私は今の生活に落ち着いて以来、よく本を手にするようになった。「小人閑居して不善をなす」といい、私のような凡夫がその「不善」を未然に防ぐには読書が恰好の「気晴らし」(pastime)でもある。上記のことわざは私の電子辞書にはThe devil finds work for idle hands.と載っている。なるほど、暇を持て余して(idle)いる輩(hand)は悪魔(devil)に魅入られるらしい。
 今読んでいるのはジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』(Gulliver’s Travels)。2012年のイギリス名作ゆかりの地をさるく旅でも、この作品のことはちらっと脳裏をかすめた。だが、取り上げることはよした。理由は簡単。読んだことがなかったからだ。これほど有名な作品を読んだことがないのは実に気恥ずかしいことだが、私にはそういう本ばかりだ。自慢にもならないが。それで遅ればせながら今の読書三昧がある。もっとも、『ガリバー旅行記』はスルーしたが、その代わり、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(Robinson Crusoe)は何とか読み終えて、これを取り上げた。スウィフトとデフォーは17世紀から18世紀の同時代を生きた作家だ。
 風刺文学の傑作とも評されるこの物語を手にしたのは、読売新聞の先日の日曜版の「名言巡礼」というコラムで紹介されていたからだ。何でもガリバーが日本を訪れており、長崎の地名などが言及されていると書かれていた。そうなの? 日本が出ているとまでは知らなかった。それで集英社版世界文学全集の本を図書館から借り受けた。こちらの表記は『ガリヴァ旅行記』(中野好夫訳)。第三篇第十一章に以下の記述があった。日本の東南部にあるザモスキ(Xamoschi)と首府のエド(Yedo)を経由して「一七〇九年六月九日、我輩は長い長い旅と、さまざまの難渋の揚句、やっとナンガサク(Nangasac)に着いた」。エドとナンガサクはともかく、ザモスキははてどこだろう。
 鎖国の江戸幕府がオランダとは通商関係にあったことや、またキリシタン取り締まりのため「踏絵」が行われていたことなどが書かれてはいるが、それ以上の詳しい記述はない。少しがっかりしたが、さすがに日本に関する情報は当時は希少だったのだろう。
 物語自体はあのよく知られた小人国リリパットや巨人国ブロブディンナグでの記述が読ませたが、作家の人類文明に対する激しい失望の念がそこかしこに満ちていた。第四篇に出てくる理性の塊の生物である馬(フウイヌム)とヤフーと呼ばれる下劣極まりない獣との対比が凄まじい。ヤフーは我々人間に限りなく近い生物として描かれている。いや、不潔で悪臭を放ち、腐肉をあさり、喧嘩・暴力に明け暮れるこの獣は作家の目には人間そのものに映っていたのだろう。もしスウィフトが現代に蘇ったら、悲惨なテロが吹き荒れる現代の世界をどう見るのだろうかとも考えた。巨人国の王が旅人のガリバーに次のように語りかける次の言葉が印象に残っている。18世紀初頭の人類全体に対する侮蔑の言葉だ。
 だがとにかく君の話と、それから自分がいろいろと質して引き出した君の答弁とから判断したところでは、君の同胞の大多数というものは、自然の摂理でこの地球上をのたくり廻っている最も恐るべき、また最も忌わしい害虫の一種であると結論せざるをえないようだ、と言われるのだ。      
              (『ガリヴァ旅行記』より) (原文は続で)

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「낙지」(ナクチ)チョアヨ!

20151105-1446705608.jpg 先週末、福岡市の中心街・天神のギャラリーで催されたユニークな鼎談会をのぞいた。韓国の食文化がテーマで、「詩で味わう料理本」と銘打たれた『飲食のくにではビビンパブが民主主義だ——おいしい詩を添えて』という本の出版を記念しての催し。書名にある『飲食』はここでは「いんしょく」ではなく「おんじき」と読む。私のパソコンでは「おんじき」と打っても、この語は出てこないが、広辞苑を引くと「飲むことと食べること」とある。日本でも昔からある語のようだ。  (鼎談=ていだん)
 韓国の食に詳しい関東在住の作家と福岡県在住の在日の歌人に、韓国・全羅道出身の詩人の3人が壇上に。詩人はこの本に寄せた詩「ナクチポックム」を読み上げた。生年を見ると私より一回り近く年長の方だったが、私はこの詩が大いに気に入った。「ナクチポックム」とは「テナガダコ炒め」という意味。韓国語では「낙지볶음」。辞書を引くと、「낙지」(ナクチ)は蛸と載っている。
 「ナクチポックム」は詩人の故郷(고향:コヒャン)の干潟に棲息しているナクチ(蛸)が最高と称賛し、詩人の地元では古来、弱った牛やけがを負った人がこのナクチを口にしさえすれば生気を取り戻すとうたっている。詩人の言葉では「これぞ旨さの極み 最強の精力剤」(맛 중의 맛이요 보양 중의 보양이니)とか。今の私の語学力で上記の文章を果たして理解しているか怪しいが、보양とは私の辞書には「補陽」という漢字が当てられている。「強壮剤で男性の精力を強めること」とも。
 私は実は蛸が大好きだ。毎週、何回かは味噌汁の具にしている。(レパートリーの乏しさを露呈していることでもあるが)。だから、ナクチの滋養の高さを称賛したこの詩を読み、大いに意を強くした次第だ。独り身の私には「補陽」の必要性は皆無に近いとしてもだ!
                         ◇
 最近『イギリス文学紀行』や『アメリカ文学紀行』など私の著作を愛読しています、ブログも読んでいます、という奇特な方に遭遇した。英語の勉強に役立てていますとの由。まことに有難い。そういうお方がおられるのであれば、このブログではやはり、少しは英語(영어:ヨンオ)のことを書かなければ・・・。
 数日前の英字紙「ジャパンニュース」にインドのモディ首相が進めているアフリカとの協力関係構築の動きが報じられていた。中国に負けじとアフリカ諸国に大規模な経済支援の手を差し伸べる意向という。その中に次の一節があった。Yet India, soon to become the world’s most populous country, has its work cut out to catch up with China, whose annual trade with Africa is three times larger than its own $72 billion.
 なぜ、この英文をここで紹介したか。学生に英語を教える際の格好の「教材」だからだ。こういう一見難解そうな英文を見て、臆する必要はないと、私は学生に語っている。主語と述語さえ見つければ、後は「楽勝」だと。上記の文章は「飾り」を削ぎ落とすと、India has its work cut out to catch up with Chinaとなる。has its work cut out toという見慣れない慣用句の意味の理解が難儀だが、辞書を引くと、have one’s work cut out という形で「(~という)やっかいな仕事をあてがわれる」という訳例が載っている。(拙訳は続で)

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To take life seriously

 ようやく韓国のドラマ「ラブレイン」(사랑비:サランピ)を見終えた。ケーブルテレビで毎週月火の深夜の放送で全20回。昨夜の放送が最終回だった。「冬ソナ」は消化不良の結末だったが、「ラブレイン」はまあまあハッピーエンドで納得のいくものだった。それにしても、ヒロインが可愛かった。何度も書くが、すっかりファンになってしまった。アイドルグループ「少女時代」(소녀시대:ソニョシデ)のユナ(윤아)嬢。
 その他にもはまっている韓国のドラマがある。実に面白い。なぜ面白いのだろう。日本のドラマは「渡鬼」以来見たことがない。そのうちに韓国のドラマがなぜ面白いのかここで書きたいと思っているが、今は語学の勉強にいそしみたい。
 韓国語と日本語の類似性はよく指摘される。門外漢の私にもそれは良く分かる。素人なりにすでにいくつかこのブログでも書いてきた。というか、このブログのタイトルは一応「英語でさるく」となっており、最近は「韓国語でさるく」という観を呈しており、タイトル替えが必要かと案じ始めているほどだ。それは承知の上で、ハングゴ(한국어:韓国語)についてまた一言。「とても」という副詞にテゲ(되게)という語があることに気づいた。我が宮崎の方言でも「てげ」という語がある。「とても」という意味だ。「この魚、てげ美味いわ」といった具合だ。「てげてげでえっちゃが!」と言えば、「だいたいでいい、そんなに一生懸命にせんでもいいとよ」という少し異なる意味になる。韓国語と宮崎方言の語源が重なるのか分からないが、ハングゴに魅せられる理由(이유:イユ)がまた一つ増えた。
                           ◇
 私は読売新聞の他に英字新聞「ジャパンニュース」(JN:旧デイリーヨミウリ)を購読している。懐には痛いのだが、紙の新聞(英語ではhard copy と言うことが多い)の魅力もまた捨てがたい。ネットで世界中の新聞・テレビの報道に触れることができるが、ハードコピーの新聞に毎日触れるのはまた別の味わいや発見がある。ネットだけだったら、ほぼ絶対出合わないであろう良質の記事に向き合うことがあるからだ。
20151028-1446013104.jpg 例えば、JNで最近読んだ記事に次の話題物(英語だとfeature story)があった。イタリア出身の大女優、ソフィア・ローレンが81歳の今なお、生涯現役を目指し、意気軒高ということを紹介した記事だった。見出し(headline)は Sophia Loren at 81: Retire? Never! というものだった。説明するまでもない分かりやすい見出しだ。私はこの女優のファンでも何でもないが、若いときは凄い美人だったことは知っている。代表作もテレビでいくつか見ているはずだ。毎朝のことだが、早朝のトイレの中で物珍しさからだけの理由でこの記事を読んでいて「いいな」と思った。それは現代の若い女優に何かアドバイスをと求められ、彼女が次のように答えているくだりだ。
 “To take life seriously,” she said, “to do the right things and not to take life easily, as sometimes the girls they do because they don’t have experience.”
 なるほど。若い女優に限らずすべての若者、いや人々に言える助言ではないか。私など還暦を過ぎた今初めて、“to take life seriously” (人生を真面目に考えること)に着手したような・・・。Better late than never. (遅くなってもやらないよりはまし)の心境だ。

アンティクライマックス

20151019-1445251400.jpg 週末、例によって宮崎の田舎に戻った。金土日の三泊四日。土曜日の午前中に椎茸の収穫を手伝った。山間部だけに朝夕は肌寒ささえ感じるほどだったが、傾斜地を上ったり下がったりしているうちに肌着は汗びっしょりになった。マイナスイオンたっぷりの森林浴をしながらの農作業だから気分が悪いわけがない。
 秋の椎茸は春先のそれと異なり、水気が少ないらしいが、この日は朝靄が出ていたせいか、ボイラーをフル回転しての乾燥作業でも乾燥が足りないものが少しあった。それを幾つかナップザックにしのばせて帰福。近日中にこれで味噌汁を作ろうと思っている。
                         ◇
 田舎ではネットが全然できないので、パソコンも持ち帰らず、空いた時間はいつも読書で過ごす。これも幸せなひとときだ。秋の今の時分は日中はぽかぽかして、廊下の日だまりに佇んでいるとうとうとしてくる。今回は読書はお休みにして韓国語の学習に励んだ。だいぶ表現力がつきつつあるように感じている。今熱心に読み進めているのはいつ購入したのかも覚えていない初級本『こうすれば話せるハングル』。韓国語にルビがついているのが嬉しい。西洋の言語だとルビをそのまま「信用」するのは危険だろうが、韓国語はほぼそういう心配はいらないのではと思っている。
20151019-1445251443.jpg この二三日で頭に入れた表現の一つは「決して忘れることができません」。一昔前なら現実の出会いの場で使いたいかとも思う表現だ。「嗚呼、私はあなたのことを決して忘れることはないことでしょうよ」とか。今となってはこのような表現を使うことはないだろうが、「あなたの親切を決して忘れることはないですよ」はあり得るだろう。上記の本では「決して忘れることができません」は결코 잊을수가 없어요.と載っている。「キョルコ イジュルスガ オプソヨ」。「決して」が「キョルコ」だ。こういう語はなかなか覚えられない。それで私は頭に저는 겨코를(チョヌン キョウコルル)を付けて、「私は京子のことは決して忘れることができません」と工夫する。これなら覚えやすいか。別に過去に「京子」という人がいたわけではないが。
20151019-1445251477.jpg 허가(ホガ)という語が「許可」という意味だとも知った。これも普通に覚えるのは難しい。それで「許可取れってよ、ほがねえこと言うとるぞ」と宮崎弁をまじえて覚えることにする。「ほがねえ」とは「あてにできない。どうしようもない」という意味合いの方言だ。韓国語は楽しい!
                           ◇
 セリーグ。やはり巨人はヤクルトに蹴散らされた。これで日本シリーズはソフトバンク対ヤクルトというそれぞれのリーグで既に優勝を決めていたチーム同士の対戦となった。一番理想的な形だ。展開によってはロッテ対阪神という勝率五割前後のチーム同士の対戦となる可能性もあった。阪神に至っては五割にも達していなかった。ここいらでクライマックスシリーズという制度はやめた方がいいと思う。クライマックス。英語だとclimax。辞書には「頂点、最高点、最高潮、山場」という訳が載っている。対義語は anticlimax。「不面目な結末、竜頭蛇尾、拍子抜け」などといった意味が記してある。今年のプロ野球はまさにアンティクライマックスと紙一重の展開だった。

ファイティ!

20151010-1444459302.jpg 先日受けた一年ぶりの健康診断の結果が出た。居住区の診療所に足を運び、保健師さんの説明を聞いた。胸部、大腸と胃の検診結果は何の問題もないとの通知はすでに受け取っていた。嬉しかったのは肝機能が格段に良化し、昨年のE判定からA判定になっていたことだ。やはり、酒を正月以来断っていることが大きいのだろう。保健師さんからも「数値が凄く良くなりましたね」と何度もほめられた。とはいえ、まだ腹囲はメタボの範疇から抜け出てはいない。コレステロールの値はまだ基準を上回っている。
 何か新しいことを日課にすべきかもしれない。水泳は続けているが、泳ぐというより漂う感じの泳法だから、あまり運動になっていないのかも。特に最近は楽な横泳ぎをすることが多く、脂肪が燃えているかどうか甚だ疑わしい。
 今回の健診相談で有益なアドバイスを頂いた。「金力」いや「筋力トレーニング」の薦めだ。気に入ったのは片足立ち運動で、目を開けた状態で片足で60秒間立てという。ふらついたら家具に手を添えたりしても可。これを左右の片足で60秒×3セット行う。こうした筋トレで筋力をアップさせ、健康体を回復したケースが紹介された。よし、私も片足立ちをこれから実践しよう。来年の健診ではメタボからも完璧に脱却するぞ。
                ◇
 大リーグもプレーオフのシーズンとなった。日本のプロ野球もあまり意義の分からない、クライマックスシリーズと称したプレーオフの試合がこれから行われる。大リーグのプレーオフは残念ながら日本人選手が活躍することはないようだ。マー君こと田中将大投手のニューヨークヤンキースがワイルドカード争いで敗退したからだ。(ムネリンこと川崎宗則選手のいるトロントブルージェイズは残っているが・・・)
 ヤンキースでワイルドカード争いの大一番に先発したのは田中投手。初回は無難に切り抜けたが、ソロホーマーを2本打たれて敗戦投手になった。故障上がりとはいえ、マー君の今年のプレーはどうも今一つピリッとしなかった印象がある。「これは応援する価値がない」と途中でチャンネルを切り替えたことが何度もあった。ワイルドカード争いの試合終了後にのぞいたネット報道の一つは彼の投球に “He deserves an incomplete grade”(合格点は上げられない)と突き放した評価をしていた。まあ、期待の大きさから言っても、致し方ないことだろう。(その英文は続で)
                 ◇
 韓国語。韓国の人が英語のfightを「ファイティ」と発音することは以前から知っていた。テレビで韓国の女性が「ファイティ」と発声するのを見て、可愛い発音だなと思っていた。今は韓国語のドラマでよく耳にする言葉の一つだ。日本人には「コーヒー」同様、やはり「ファイト」の方がぴったりくる語感だ。スポーツドリンクのCMで逞しそうな青年二人が「ファイトォ一発!」ではなく「ファイティ一発!」とやると拍子抜けするような気がする。
 それでも、ネイティブが聞いたら、どちらがfightにより近く聞こえるか、いつか聞いてみたいものだと思っている。韓国語の方がより英語の原音に近く聞こえるのではないかとも思い始めている。どちらの言語が優れているという問題ではないが。 (写真は、「ちょうちょ」に続いて折った「チューリップ」)

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折り紙も

 本格的に秋が到来したようだ。私は四季の中で秋が一番好きだ。(져는 사계절에서는 가을가 가장 좋아합니다.)日本の四季が春夏秋の三つで回るものなら、日本はもっと住みやすくなると思うが、北国の人たちは雪を恋しく思うことだろうし、贅沢は言えない。それに秋が長く続くと、台風がそれだけ襲来する可能性も増すだろうし、台風の災禍に見舞われるよりは寒風の方がまだ我慢できる。韓国語だと秋は가을(カウル)。人恋しくなる秋、人恋うる秋、人カウル秋。響きも何となく秋っぽい。
                  ◇
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 韓国語の学習の他にもうひとつ取り組み始めたことがある。折り紙だ。私の電子辞書(和英)を引くと、単にfolding paper とされている。これだと「紙を折ること」という意味で、味わい深い折り紙の意味合いはないかと思う。ただし、origamiはすでに立派な英単語として認知されており、私が長いこと使用しているオックスフォード英英辞書には origami はthe Japanese art of folding paper into attractive shapesと記されている。そう、折り紙の説明文としてはやはり art という語が付いていないと不十分だろう。attractive shapesという表現に工夫の跡がうかがえる。
 実は新聞社を辞めた後の海外をさるく旅で、スーツケースの奥に潜り込ませていた本が一冊あった。折り紙の楽しみ方を初心者向けに書いた本だ。過去の海外の取材体験から、取材先に子どもでも居合わせれば、折り紙の作り方を即興で教えてやれば大喜びされるのを知っていた。だが、残念ながら、私にはそんな器用なことはできない。
 それで素人が簡単にできる折り紙の本をしのばせ、旅すがら独習し、いざという時に役立てようと思っていた。アフリカ、アメリカ、イギリス及びアイルランドと後生大事にこの本を携えて旅した。確か折り紙用の鮮やかな色紙も買い求めたような記憶がある。だが、ふがいないことに一度も頁を繰ることはなかった。時間はそれなりにあったはずなのにやはり、街を歩くか、本や新聞を読むか、酒を飲むか、そういう誘惑には勝てなかったということか。
 このことがずっと心のどこかに引っかかっていた。韓国語の独学がきっかけとなって、それなら折り紙もと思うようになった。それで本棚を探すと、あった、あった。アフリカの旅に出る前に購入した『おりがみランド!』。穏やかな気持ちで本に向かう。色紙はさすがに見つからないので、仕方なく、新聞の折り込みチラシを活用。これまでゴミ箱や新聞回収袋に直行していた折り込みチラシがこんな時に役立つとは!
 折り紙の方も気長に取り組み、来年にでも韓国をさるく旅に出る頃までにはすっすっとちょっとした折り紙ができるまでにはなりたいと願っている。「芸は身を助ける」だ。電子辞書(和英)にはこの言葉は If you have a skill, you’ll always be able to earn a living.と載っている。私の心境としては If you have a skill, you’ll always be able to find it easier to make friends, especially among young kids.(芸があれば、初めて出会う人たち、特に子どもたちと仲良くなるのに苦労しないことだろう)という感じだ。
 (写真は私が折った初めての作品。本の指示に従い、「ちょうちょ」を作ったつもりだが、どうも「生気のない秋の蚊」のように見える)

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