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英語でさるく 那須省一のブログ

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マッコリに敬意

20160304-1457093285.jpg 金曜日朝、久しぶりに早起きして、JR博多駅を経由して、路線バスで博多港中央埠頭に向かう。午前9時発のJR九州高速船「ビートル」に乗船する。
 乗船時間は約3時間。カフェみたいな憩いの場があるに違いない。軽い朝食でも摂り、コーヒーを楽しもうと思っていたが、乗務員に確認すると「そういう場はありません。航海中は安全のため、シートベルトをして座席にお座りください」との由。そういえば、時々、新聞紙上で博多―釜山を行き来するフェリー船が航行中に海洋生物(鯨?)と衝突して、乗員乗客が負傷する「事故」のニュースを目にしている。シートベルトを締めて、釜山観光案内本に目を通す。
20160304-1457093678.jpg 今回の旅に持参した案内本は2冊。一つは『わがまま歩き韓国』(実業之日本社・2013年刊)。もう一冊は『ぐるぐるプサン』(書肆侃侃房・2012年刊)。私はこれまでこの種の観光案内本を手にして旅したことはないが、もうそう「強がる」こともないだろう。
 『ぐるぐるプサン』は1¥=14.28₩(ウォン)のレートで計算している。私が数日前に銀行で両替したレートは1¥=9.30₩だった。この差に気づいた時は少しがっかりしたが、手元に残っている2006年のソウル訪問の時のレートは1¥=7.78₩。それを考えれば、まあいいかと思えてくる。とにかく、この旅では1,000円=10,000₩で計算しようと思う。だいたいそんなところだろう。
 さて、海洋生物との衝突もなく、ビートルは無事釜山港に接岸。お昼過ぎで空腹だったため、その足でターミナルビル内のカフェでコーヒーにサンドイッチを食べる。しっかり「コピチュセヨ」と発声したので、「鼻血」と間違われることはなかった。まずは無難な旅立ちとなったが、釜山は生憎の雨。傘をさして歩き回ったが、さすがに興ざめ感は否めなかった。この日はとりあえず、『ぐるぐるプサン』で「格安」と紹介されていたホテルを訪ねたが、ホテルはリノベーションしたみたいで名前も変わり、宿賃もそう格安でもなく、シングル1泊6万₩。とりあえず、今日はここに泊まろう。
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 チェックインを済ませた後、ホテルのすぐ近くにある龍頭山公園に行き、釜山タワーに上がり、釜山の街並みを俯瞰した。うまく表現できないが、確かに日本の街並みに似ているようでもあり、どこか違うような。天気が良ければきっと素晴らしい景観が楽しめたのだろうけど、雨で遠くはもやっており、これも少しがっかり。その後、ロッテ地下商店街などを歩き、夕刻に待望の夕食。ホテル近くの定食屋といった感じのお店で、石焼ビビンパを注文した。『ぐるぐるプサン』で釜山では(当時)「センタッ」と呼ばれるマッコリが人気と書いてある。私はこのブログでも書いている通り、今は酒は特別の場でもない限り断っている。今年は1月7日に宮崎市で郷里出身の幼馴染と飲んで以来、一滴も飲んでいない。だが、初めての土地ではその土地の酒を飲むのが「礼儀」というものだろう(勝手な理屈)。それで「センタッ」を注文した。度数は焼酎に比べはるかに低いようだ。美味い。あっという間に750ミリリットルの中瓶を飲み干した。
 マッコリの肴で焼き魚を注文したこともあり、勘定は締めて15,000₩。帰路の私の頭の中は早くも、嗚呼、明日は何を食べようか。再び煩悩の日々となりそうだ。

準備万端!?

 いよいよ金曜日朝、韓国・釜山に旅立つ。例によって貧乏旅行だから、なるべく安上がりの旅を目指す。博多港から高速フェリーに乗る。フェリーの会社に電話を入れて料金を確認する。親切な係りの人がネットだと安いチケットがありますよとの由。普通に購入すると、片道13,000円だが、一番安いのだと往復で4,900円のもあるという。それは凄い。早速(今頃になって切符とは遅すぎるのだが!)ネットであれこれやって見ると、近々の出発予定ではさすがに4,900円のものは入手不可能。それでも9,900円のチケットが購入可能なことが分かった。これなら、私がよく利用している宮崎への新幹線・長距離バスの往復交通費14,000円よりずっと安い。
 クレジットカードを使っての予約に手こずった。間違って割引のない往復26,000円の切符を買う寸前までいったため、フェリー会社に電話する。係りの人が今度も親切に応対してくれ、無事9,900円の往復チケットをゲット。ただし、これは復路も期日指定。致し方なく、とりあえず復路を10日とした。この日の便に必ず乗船しなければならない。
 銀行でとりあえず、5万円を現地通貨のウォンに両替。準備万端に思える。韓国を訪れるのは3度目だが、釜山は初めて。今回の旅とは状況が全然異なる。できるだけ韓国語でコミュニケーションを図ろうと思っている。はてさてどういうことになるやら。
                          ◇
 韓国の旅で読もうと思っていた本を読み終えてしまった。『英語の歴史』(中尾俊夫著・講談社現代新書)。大学の授業の参考になると思って購入したのだが、1989年の「第1刷」(2012年第23刷)という本のゆえか、「性差別語」に関する記述など時代の推移を感じることが少なくなかった。例えば、次のような記述。manhole「マンホール」は女も落ちるからpersonholeにすべきとか、history「歴史」はherstoryにせよ、といった馬鹿げた提案はなされていない。著者の指摘する通りだ。ただし、herstoryに関しては、私の電子辞書には何とこの語が記載されている。「(女性の視点から見直した)歴史;女性史」<historyに対抗して作られた語>と紹介されている。
                          ◇
 米大統領選の候補者選び。スーパーチューズデーと称された10余州の予備選・党員集会で予想通り、民主党はヒラリー・クリントン氏、共和党はドナルド・トランプ氏が圧勝したようだ。共和党では上院議員のテッド・クルーズ氏も2州で勝利する善戦を見せたが、このままではトランプ氏の勢いを阻止することは難しい雲行きだ。トランプ氏のスピーチは「明快」で、エスタブリッシュメントと言われる既存の政治・政治家に飽いた人々に受け入れられているのはよく分かるが、彼の主たる発言はポピュリズムそのものだ。「化けの皮」が剥がれる日が必ず来ると信じたい。彼の常套文句 “I’ll make America great once again.” を皮肉った「ニューヨーク・デイリー・ニュース」紙の記事の冒頭の文章には思わず笑った。「座布団1枚!」
 For folks across the nation, the election of Donald Trump would make America grate — again.(アメリカの国民はトランプ氏が大統領に選ばれることにでもなれば、不快感がいや増すことになるだろう)。greatとgrateは同音異義語。片や「偉大な」であり、片や「不快感を及ぼす」。もちろん、国際社会に対して感じる恥辱の思いからの不快感だ。

"A choke artist" とは!

20160229-1456714347.jpg 新しいメガネを手にした。さすがによく見える。遠くの人の表情もよく分かる。メガネ店からの帰途、歩道橋の階段を上がっていて、右下の道路脇にある回転寿司店のベルトコンベヤーが見えた。見るともなく目をやると、ベルトコンベヤーのお皿に乗っている寿司まではっきりと見えた(気がする)。これまでは考えられなかったことだ。見え過ぎると困惑することもあるかもしれないが、差し引きしてもプラスが圧倒的だろう。博物館・美術館などを訪れた時、近づけないところに書かれた説明文が読めずに困ることがしばしばだが、これからはそう苦労することもなくなるのではと思っている。다행 이다タヘン イダ(良かった)。
 アメリカの旅以来、使っていたナップザック(knapsack:今風の表現ではbackpackか)がちょっと頼りなくなったので、これも新しいものにした。これまで愛用してきたのは海外の旅を繰り返していた時に居候させてもらっていた先輩にもらった有難いものだった。先輩に改めて感謝して、新品に買い換えた。名刺も作った。イギリスの旅を終えて以来、名刺なしの暮らしだった。新しい出会いがあるたびに、名刺がないことを詫びてきた。今の暮らしではそう不便ではないが、旅先ではまた別の話。肩書きを離れた日々は気楽だが、再び名刺を手にした気分も悪くない。俗物の証であるとしたら、情けないことだが・・・。
                           ◇
 米大統領選の候補者選び。政権奪回を目指す共和党は依然、傲慢な(失礼!)大富豪、ドナルド・トランプ氏の旋風が吹きまくっている。CNNのホームページで読んだコメンテーターのコメントでは「選考レースは事実上終了した。トランプ氏で決まりだ」と断じたものもあった。直後には “A vote for Trump is a vote for bigotry”(トランプに投票することは偏狭さを支持することに他ならない)という論評も出ている。その論評には彼の代表的発言が紹介されていた。“When Mexico sends its people, they’re not sending their best … They’re bringing drugs. They’re bringing crime. They’re rapists. And some, I assume, are good people.” メキシコからの不法移民に悩まされている米南西部の市民にとっては小気味のいい発言だろうが、やはり大衆迎合の臭いがふんぷんとする。
 金曜日の朝、少しだけ見た米CNNテレビの共和党候補者討論でもトランプ氏は他候補の集中砲火を浴びていたが、彼はたじろぐことなく応じていた。たじろぐどころか、目下のライバルであるマルコ・ルビオ氏に “choke artist”、テッド・クルーズ氏に“liar”(嘘つき)と普通は考えられない嘲りの言葉を浴びせ、両候補者を激怒させていた。“choke artist”は少し説明が必要だろう。「ここ一番で必ずしくじる名人」。昔だったら、決闘(duel)を申し込まれても致し方ないほどの侮蔑のレッテルだろう。
 ドナルド氏は見ていて「楽しい」エンターテイナーだ。「歯に衣着せぬ」(not mince one’s words)という表現がぴったり。それでも、彼を見ていると、やはりどこか嘘っぽいのを感じざるを得ない。国際交渉や安全保障問題などの討論を聞いているとそうした印象が顕著となる。具体的な政策の面で説得力のあるものが出てこない。彼のそうした「嘘っぽさ」がこれから米メディアによって暴かれていくのだろう。そうならなかったら、この夏、我々は彼のあの乱暴な「毒舌」をますます耳にすることになる。

ネットでBBC!

 ネットでBBCにアクセスしていたら、月曜午後に英国のEU(欧州連合)残留の是非を問う国民投票を今夏に実施することを決めたキャメロン首相が英議会で議員との討議に臨むと出ていた。まだ冬時間だから、日本と英国の時差は9時間。日付が替わる未明まで起きているのは辛いが、興味あるやり取りになるのは分かっているので、付き合おうと思った。幸い、ケーブルテレビで英BBCテレビを見ることができる。
20160223-1456203689.jpg BBCテレビにチャンネルを合わせていたが、日付が替わっても、どうも議会の映像が出てこない。私がロンドン勤務の頃は首相の議会答弁はだいたい午後3時ごろだった。これはおかしいと思い、パソコンを立ち上げ、BBCにアクセス。ライブという文字が見えたのでクリックすると、パッと議会の映像が現われた。おお、やってる、やってる。英議会の討議の模様をパソコンを使い生中継で見るのは実は初めて。終わった時間はよく覚えていない。午前2時は優に過ぎていた。それにしても、便利な世の中だ。海の向こうの議会の生の審議をパソコンで見ることができるのだ。これからどれだけ便利になっていくのだろう。
 キャメロン首相は次々に立つ与野党議員の質問を巧みに切り抜けていた。「英国の未来はEUとともにあり、EUをより良くするためにはEUの中にいる必要がある。EUを離脱することは政治的にも安全保障的にも、さらには経済的も危険極まりないこと」と断じた。注目の国民投票は6月23日。EUからの離脱を望む人々の思惑はさまざまだろうが、残留に反対する議員の質問を聞いていて、私にはどこかで読んだことのあるチャーチル元首相の一言、「英国は歴史と伝統ある特別な存在。なぜ我々がスペインやポルトガルの位置まで身を貶める必要があるのか」という言葉を思い出していた。
 英議会のやり取りをじっくり見ていて、議員の何人かが携帯電話、おそらくスマートフォンなのだろう、それを手にメールを打ち込んでいるのを目にした。時にユーモアを交え、丁々発止の質疑応答はどこかの国会の光景と比べ退屈しなかった。
                          ◇
 メガネが合わなくなっているのはずっと感じていた。少し離れると、小さめの文字は読みづらい。新聞や本はメガネを外せば楽に読めるのでこれは問題ない。問題は少し離れた距離だ。それでメガネ店に足を運び、相談した。不思議なことに度数は進んでいなかったが、メガネがもはや私の視力に合っていないことは明白だった。それでメガネを店に預けて今、裸眼で過ごしている。外を歩く時はやはり目の辺りが寂しい。例えていえば、何だかパンツ(下着)をはかずに歩いているような。もっとも、普段からハンチングを被っている私はたまに帽子を被らずに外出すると、似た感覚に陥ることがあるが。
 これまでメガネの買い替えをあえて怠ってきたのにはわけがある。遠くがよく見えないのは大学での授業など、人前で話をする時に好都合だったからだ。聴講している人の表情がつぶさに見えないわけだから、心が乱されることがない。
 とはいえ、これから韓国を足繁く訪ねようと思っているので、そろそろ、新しいメガネが必要だ。デジカメで여기저기ヨギチョギ>(あちこち)写真を撮るつもりだが、出くわす光景は心の中にもしっかり焼き付けておきたい。

重箱の隅かもしれないが・・・

20160221-1456038269.jpg 新聞を読んでいて時々、今なお違和感を覚えることがある。例えば、土曜日朝刊一面にスキージャンプ女子ワールドカップ(W杯)で高梨沙羅選手が総合優勝を飾った記事が出ていた。「高梨 W杯総合V 2季ぶり3度目」という見出しで、本文ではフィンランドで行われた第15戦で弱冠19歳にして早くも不動の王者となった感のある高梨選手が今季12勝目を挙げ、まだ4戦が残っているが、2季ぶり3度目の個人総合優勝を決めたとある。
 私が違和感を覚えるのはこの「2季ぶり」という表現だ。現役の記者時代にも自分でこの種の記事を書いていて、いつも悩まされていた。上記の記事に関して言えば、高梨選手がW杯で総合優勝するのは一昨年以来のこと。私は「2季ぶり」という表現に出くわすと、真っ先に「2季(2年)」という年月に思いが飛んでしまう。確かに2季(2年)の歳月をはさんでいるのだが、W杯は年に1回しか競えない競技だ。彼女は前々回の総合優勝からわずか1回(季)だけ遠ざかっていただけなのだが、「2季ぶり」と言われると、ずいぶん間があった印象を受ける。大相撲でも「2場所ぶりの優勝」と言われると、何だか間があいた感じを受けるが、わずか1場所をはさんだだけで再び天皇賜杯を手にしているのだ。
 こうした表現に違和感を覚えるのは私だけのことかもしれない。字数の制限がある見出しはともかく、本文では「2季ぶり」ではなく、「一昨年以来3度目の総合優勝」とあれば、私にもすっと腑に落ちるのだ。英文ではどう表現するのか。参考までに、ネットで探し当てた彼女の総合優勝を伝えるサイトでは次のような文章があった。この種目は年をまたいで競う種目のため、彼女が勝利した2014年、つまり前々回のW杯は2013-2014年という表記となっているが、この英文の記事には何の違和感も覚えない。
 The overall World Cup is being led by Sara Takanashi with 1410 points, who can not be overtaken anymore, securing the title for the third time after 2013 and 2014 and with four competitions remaining in Almaty (KAZ) and Rasnov (ROU).
                           ◇
20160221-1456038304.jpg 韓国語だけでなく、中国語にも「魅了」されつつあることはすでに書いた。ケーブルテレビで流される中国の国営放送「CCTV」(中国中央電視台)。意味は分からずとも、副音声の中国語に何となく耳を傾けている。それでふと思った。やはり、中国語の基礎の部分だけはきちんと把握しておいた方がいいのではと。書店に走った。いや、実際に駆けていったわけではないが。それで買い求めたのがご覧の本だ。中国語学習者の間で好評を博している入門書とか。表紙が楽しい。
 第1章は「声調」の説明。中国語には「声調」という声の調子がある。「四声」と呼ばれ、高い声を平らに出す「第1声」。後ろが上る「第2声」。低い声で後ろを上げる「第3声」。高い音から一気に下がる「第4声」。同じ音でも声調が変わると、意味が変わるのだという。「自分は音痴だから中国語はできないのではないかとビクビクする必要はないですよ」と書いてある。気に入った! 
 中国語の会話には「那」という漢字が結構出てくるようだ。中日辞典で調べると、「あれ」「それ」といった意味合いの語らしい。ふーん。先は長い。気長に独学していこう!

オイルインダストリー

 昨秋からずっと見てきた韓国のドラマ「가적을 지켜라カジョグル チギョラ」(邦題:家族を守れ)がようや終了した。いや、疲れた。疲れるなら見なければいいのだが、そういうわけにもいかない。結末が気になる。第一、主たる目的は韓国語の学習だった。日本ではもうこういう筋立てのドラマは敬遠されるのではと思いながら、ずるずると見てしまった。「事実は小説より奇なり」(Truth is stranger than fiction.)というが、「韓国ドラマは事実よりさらに奇なり」だ。人物描写があまりにもステレオタイプなのだ。この世におそらく完全無欠な善人がいないように、欠点ばかりの悪人もいないのでは。余談ながら、このドラマではそうでもなかったが、「つまみ食い」で見ている他のドラマでは韓国人女優の美しさに魅了され続けている。あれが全部整形とは思えない。ぜひ現地で拝顔の悦に預かりたいものだ。私のような庶民にはなかなかお目にかかれないだろうが・・・。
                          ◇
20160217-1455673346.jpg アメリカ人のHさんから「ショウ、モービ―ディックにまつわる映画がかかっているよ。面白かった。ユーもぜひ観た方がいいよ」とメールが届いた。それで先週、映画館に足を運んだ。“In the Heart of the Sea”(邦題「白鯨との闘い」)。ネットでトレーラー(trailer予告編)を見ていたこともあって、内容というより、あの巨大な白鯨をどうやって撮影したのだろうか。まさか本物ではあるまい、とこっちの方がずっと気になった。
 Hさんが私にメールをくれたのは、私がアメリカの旅でハーマン・メルビルの名著 “Moby-Dick”(『白鯨』)を取り上げ、作品のゆかりの地も訪れていたことを知っていたからだ。この小説の素晴らしさは拙著『アメリカ文学紀行』でも詳述したつもりだ。
 “In the Heart of the Sea” は2000年に刊行されたノンフィクションに基づく。1819年に出帆した米捕鯨船エセックス号が太平洋上で巨大な白鯨に襲われ、船は沈没し、多くの人命を失う。生き残った船員は餓死した仲間を食べて飢えをしのぎ、やがて他船に救助される。エセックス号の実話の悲劇をメルビルが関係者に直接取材し、そして1851年に発表したのが米文学に金字塔として残る “Moby-Dick” という筋立てになっている。メルビルがエセックス号の最後の生き残りの老人を訪ね、渋る老人の口から人肉を貪り、生き長らえた事実を引き出していく。老人にとっても人肉を食したことはトラウマとなっており、メルビルに語ることでカタルシスを得る過程が劇的に描かれている。
 映画の中で “oil industry” という語が出てくるシーンがある。今なら間違いなく「石油産業」だが、映画が描くのは1850年頃だから、まだ石油が発見され、本格的に操業が始まる以前の時代だ。だからここでは “oil industry” とは当時文字通り、文明を灯す貴重なエネルギー源だった「鯨油産業」を指す。
 老人がメルビルに対し、「最近なんと地中から油が見つかったと聞いたよ」と驚くシーンがある。鯨油に取って変わった石油が現代文明に何をもたらしたかは今さら述べるまでもないだろう。19世紀半ばの人々が石油の登場に仰天したように、21世紀の人類が驚愕する新たなエネルギー源が現われて欲しいものだと思う。その時が来るまで生きていたいし、そのエネルギー源が温暖化問題を雲散霧消させるようなものであって欲しいとも願う。

ハードコピー終焉の英紙

20160214-1455449727.jpg 土曜日の朝。いつものように朝刊を広げて、おやっと思った。国際面に2段見出しのロンドン発の記事で、「英紙デジタル専門に インデペンデント 紙発行来月停止」という見出しが。嗚呼、ついにここまで来たのかとしばし手がとまった。
 記事によると、インデペンデント紙は紙の新聞の発行を来月26日で終了する。その後はインターネットによるデジタル報道に特化するという。この記事を読んだ後、インデペンデント紙のホームページをのぞいた。次のような同社のコメントが出ていた。“The newspaper industry is changing, and that change is being driven by readers. They’re showing us that the future is digital. This decision preserves the Independent brand and allows us to continue to invest in the high-quality editorial content that is attracting more and more readers to our online platforms.”(新聞産業は変化の中にある。その変化は読者がもたらしている。彼らは我々に新聞の未来はデジタルにあることを示している。今回の決定により、我々は今後もインデペンデント紙のブランド力を維持するとともに、高い質の記事を提供し続け、デジタル分野の読者をさらに一段と引きつけていくことだろう)
 インデペンデント紙は1986年の創刊。発行部数は89年のピーク時には40万部を超えていたが、昨年12月には5万6000部にまで低迷。一方、デジタル部門はこのところ毎月3割を超える伸びを見せており、国内外で7000万人が読んでいるとか。
 同紙が創刊された時、私は東京の新聞社の国際部で内勤をしていた。ロンドン支局の先輩記者が書いた創刊を伝える記事を読んだ記憶がある。記事からは、ザ・タイムズやガーディアン、デイリー・テレグラフ紙など伝統紙がひしめく英国の新聞界にリベラルの立場から挑戦状をたたきつけた彼らの意気軒高さがうかがえた。しかし、部数はやがて頭打ちとなり、経営は思わしくなかったようだ。90年代初めにロンドン勤務だった私は一度、インデペンデント社に取材の足を運んだことがある。その頃、読者に高額の商品が当たるくじ引きを紙面で展開しており、編集幹部にそのことを尋ねると、彼は「読者サービスの一環」と語った。そうした悪戦苦闘の末にハードコピー(hard copy)とも呼ばれる紙の新聞では30年しかもたなかったということか。日本の新聞各紙も活字離れで無読層が増え、厳しい状況にある。インデペンデント紙の路線変更の推移を見守りたい。
                          ◇
 たまたま視聴可能なことに気づいた中国の国営放送局「CCTV」。これまでNHKのニュースなどで笑顔一つ見せず、淡々とコメントする政府のスポークスパーソンの中国語にどうも馴染めないものを感じていたが、そうした印象が薄らぎつつある。ニュースを読むアナウンサーも時に笑みがこぼれる。彼らの言葉が少しでもいいから理解できれば何と素晴らしいことだろうか。諸説あるが、中国から日本に4世紀頃に伝来し、我々の言葉の中枢にある漢字。あの漢字だけで意思疎通するのは至難の技に思える。
 中国国内では今なお常軌を逸した抗日ドラマも放映されているそうだが、少なくとも日本国内用に流されている番組にはそういう類のものはなさそうだ。もっとも私に分からないだけのことかもしれないが・・・。

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