- 2025-06-01 (Sun) 12:52
- 総合
土曜日。朝刊の社会面の下の方にふと目をやると、死亡記事が出ていた。グギ・ワ・ジオンゴ氏。享年87歳。名前の後に「ケニア出身作家」と記されている。ケニアではいやアフリカではよく知られた作家だが、日本では知っている人はまれだろう。
記事によると、グギ氏は米ジョージア州で死去。死因は不明だが、人工透析を受けていた。1938年英植民地だったケニアで生まれ、ウガンダの大学在学中に創作活動を始めた。代表作は独立前のケニアの様子を描いた『一粒の麦』。現地語で書いた戯曲などで、母国の暗部を暴露したとして命を狙われ亡命生活に。ノーベル文学賞候補として名前が挙がったとも。
『一粒の麦』は私も感銘を受けた作品だ。ナイロビ支局に赴任し、アフリカを現地取材していた1980年代末、グギ氏はすでにケニアを離れていた。記事にある通り、当時のダニエル・アラップ・モイ政権に疎まれ、亡命の道を選択せざるを得なかったからだ。私は『一粒の麦』を題材に記事を書いたことを思い出した。
それで本棚を漁った。本棚の中に何かあるような。あった。読売新聞社が出版した『20世紀文学紀行』(1990年)。記者がカメラマンと一緒に現代文学の足跡を辿る紀行本で、私はアフリカにまつわる二作を担当した。そのうちの一冊が『一粒の麦』だった。小説の詳しい筋はさすがに覚えていないので、『20世紀文学紀行』から引用する。自分自身が書いた原稿だから許してもらおう。
次の書き出しで始めている。当時親しくしていた地元記者の言葉だ。「白人たちは聖書を持ってやって来た。おれたちは土地を持っていた。白人たちは一緒に神に祈ろう、と言った。おれたちも目をつぶって祈った。目を開けた時、おれたちは聖書を手にしていたが、先祖伝来の土地は白人のものになっていた。わかるだろう。これがアフリカの歴史だ」
グギ氏の作品に一貫して流れるのは「独立闘争はだれのため、何のためのものだったのか。独立は支配者階級の肌の色を白から黒に変えただけで、労働者、農民が搾取される基本的構造には何ら変化がないのではないか」という告発である。私がナイロビ支局で勤務していた頃、ケニアの人々が熱狂的にグギ氏を支持していたというわけではない。アフリカ諸国の中では経済も政情も比較的に安定していることもあり、グギ氏の主張に距離を置く人々が多かったという印象だ。だが、彼の主張には今もアフリカ全土で共鳴する人々が多いのではないかと思う。むしろ増えているのではないか。
グギ氏の訃報に接して思い出したことがある。グギ氏が亡命する前に住んでいた家を訪ねたことだ。ナイロビから遠く離れていた。グギ氏はケニア最大部族キクユ族の出身。モイ大統領は少数部族カレンジン族出身であり、そのこともあってかグギ氏は疎まれたようだ。グギ氏の妻が暮らすと聞いた家を訪ねると、彼女は台所仕事をしていた。ごく普通の質素な家の台所。私が簡単な自己紹介を済ませて突然の来訪を詫びると、彼女は困惑したような笑みを浮かべた。「特段お話することはありませんよ」という感じで。台所の壁には夫を追放したモイ大統領の肖像(写真)が飾ってあった。不思議な思いで肖像を見つめた。グギ氏の妻は品のある顔立ちをしていた。私はなぜ彼女の家を訪ねたのだろうか。この訪問は記事にはしなかった、できなかったのではないかと思う。