英語でさるく 那須省一のブログ
違和感あり!
- 2016-03-18 (Fri)
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「閑中閑あり」での読書。最近読んだ本で少し記すとすると、本の表書きの文言に違和感を覚えた。書店でふと手にした文庫本は『カフカ短篇集』(岩波文庫)。東欧出身のこの作家は過去にあの有名な『変身』や『城』、『アメリカ』などを読んだことはあるが、まとまった短篇集は読んだような記憶がなかったので、購入して少しずつ読み進めた。
表書きには次のように紹介してある。実存主義、ユダヤ教、精神分析、————。カフカ(1883-1924)は様々な視点から論じられてきた。だが、意味を求めて解釈を急ぐ前に作品そのものに目を戻してみよう。難解とされるカフカの文学は何よりもまず、たぐい稀な想像力が生んだ読んで楽しい「現代のお伽噺」なのだ。語りの面白さを十二分にひきだした訳文でおくる短篇集・・・。
私は『変身』に代表されるカフカ文学の魅力に異議をはさむつもりは微塵もないが、この短篇集にあった約20篇の短編が「読んで楽しい現代のお伽噺」とはあまり感じなかった。『火夫』と訳された短編は途中から以前に読んだことがあることを思い出したが、この作品にしてもはなはだ消化不良の作品だと改めて思った。カフカはドイツ語作家だから、ドイツ語を解して読めばまた別の味わいがあるのかもしれないが、少なくともこの翻訳文庫本では無理だと感じた。この作品が記憶に残っていたのは物語の内容ではなく、英語の訳本で読んだ時に、タイトルの “The Stoker” という文字を見て、昨今の社会で問題になっている「ストーカー」行為を連想したからに他ならない。表題のstokerは列車や船の炉や釜に石炭などを入れ、エンジンを動かす火をたく「かまたき」(火夫)のこと。いわゆるストーカー行為を行う人(stalker)とは全く別の語である。
◇
違和感と言えば、新聞を読んでいて、そうした思いを抱くことが増えた気がしてならない。「粗探し」をしているわけではないのだが、え、そうではないだろうとため息をつきたくなるようなことが結構ある。最近のケースでは、ヒラリー・クリントン氏が米大統領選の民主党指名候補争いで抜け出したことを報じた記事。読売新聞ではワシントン発で有力紙の電子版が彼女の指名獲得を「既定の結論」と伝えたと報じていた。
この記事の意味は言うまでもなく理解できる。「既定の結論」がほぼ間違いなく英語では “a foregone conclusion” という表現だったであろうことも。ただし、私はこの時期にきての “a foregone conclusion” はもう「既定の結論」とは訳せないだろうと思う。民主党も共和党も指名候補争いの火ぶたが切って落とされてだいぶ時間が経過する。その上でクリントン氏の優勢が段々と濃厚になりつつあるのだ。この時期にきて「既定の結論」はないだろう。指名候補争いが始まったばかりの頃ならそう表現できるだろうが、この時期となっては、私は違和感を感じる。「指名をほぼ手中に」とか「指名ほぼ確実に」などの表現の方が妥当だろう。「硬直」した翻訳表現ではせっかくの日本語の味わいが台無しになってしまう。
類似の拙訳を重ねてきた身には「他山の石」(a lesson I should cherish)とすべきことであるが・・・。
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再び平々凡々
- 2016-03-16 (Wed)
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釜山から帰福して感じていたもやもや感がようや雲散霧消した。体調も完全に回復した。釜山港の免税店で買ったキムチがずっと気になっていた。田舎の実姉の土産にしようと思っていたが、できるだけ早く食べた方がよさそうなので、数日前に開封。あまり期待したような味でないので、試しに味噌汁にぶち込んでみた。キムチ何とかになるのではと。これが思いのほか美味い。キムチはまさに万能だなと感じた次第。
さて、次の釜山訪問はいつにしようか。今度は絶対に、往復4,900円の信じられないほどの超格安のチケットで行こうと願っている。縁あって福岡に住むようになった地の利を最大限に活かしたい。問題は復路の日を含めてしっかりと予定を組まないといけないこと。行き当りばったりの旅を続けたい私にはかなりのハードルだ。次回の旅では英語教育関係者に会いたいと思っており、これもハードルの一つになっている。
◇
いよいよ球春たけなわとなり、ケーブルテレビでは各地で行われているオープン戦がたっぷりと楽しめる。プロ野球ファンにとってはたまらない時代だ。といっても、世の人々が汗水流して働いている昼日中から野球観戦はさすがに気がひけるので、これはあくまで一般論で書いているに過ぎない。第一、そのうちMLB(大リーグ)が開幕して、日本の選手が活躍するようになれば、私のプロ野球への興味は激減する。
とはいえ、地上波全盛の一昔前は全国津々浦々、巨人戦しか、それも途中からの放送開始で、佳境は時間切れというのが当たり前だった。それを考えると、隔世の感ありだ。私がこのところ、楽しんでいる韓国KBSのドラマや中国のCCTV(中央電視台)の放送にしても、昔からは信じられない話だ。曲がりなりにも活字で食ってきた身としてはあまりテレビの前で時間を奪われたくないのだが、語学の勉強には向こうの本場のテレビは打ってつけ。
かてて加えて、ヒートアップする一方の米大統領選も現地の報道でフォローしたいと思えば、好きな放送局ではないが、米CNNテレビも見ざるを得ない。これがまた面白い。政治(選挙)をあれほど見事にエンターテインメントのショーとして仕立て上げる腕前はさすがと言うしかない。もちろん、今年は傲岸不遜の大富豪、ドナルド・トランプ氏という格好のエンターテイナーがいることも大きいが。
11月の本選に臨むのは、民主党はヒラリー・クリントン氏、共和党はトランプ氏でほぼ決着かと思っていた。ところが、有力ネットメディアのハフィントンポストをのぞくと、共和党は予想外の大逆転の芽が残っているとか。トランプ氏に負けず劣らずの右派の論調で知られるラジオ番組の司会者の見立てが載っていた。その見出しは“Jeb Bush could mount a convention comeback”(ジェブ・ブッシュが党大会で指名獲得に乗り出す可能性も)となっていた。このままの情勢が続けば、7月の党大会までにトランプ氏を含め誰も過半数の代議員数を獲得する候補者が出ないという混迷が背景にある。ブッシュ氏は既に今回の指名候補争いから撤退しているが、党上層部の意中の人物だった。人種偏見に満ちたトランプ氏のような人物が候補者として選ばれる事態は何としても阻止して欲しいが、それにしてもアメリカという国の最高指導者を選ぶ候補選考レースはワイルド&ワイルドだ!
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脳裏に残る光景
- 2016-03-11 (Fri)
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まだ少しもやもやした感じのまま昨日帰福した。食欲がなく、完調ではない。何を食っても美味いと感じる私にとって食欲がないのは異常事態だ。
それでも、予定通りに最初の旅を終えて、ほっとしている。幾つかの収穫はあった。まず、最初に、現在の韓国語の力ではとても自然な会話は無理ということが分かった。状況に応じてどう言えばよいか、ある程度の基礎的表現をきちんと身に付けることが重要であることを認識した。これまでは行き当たりばったりの学習法だった。
釜山の人々は親切だった。ホテルのロビーでこの10年だか20年だかの間に、釜山を訪れること250回以上と語っていた日本の老婦人がいらっしゃったが、なるほど、釜山訪問が病みつきになる人がいるのはもっともなことだと納得した。第一、物価が安い。例えば、釜山から尋ねた統営。高速バスで2時間程度の旅だったが、料金は日本円にして約1,200円。日本だったら、少なくとも3倍ほどの料金となるのではと思う。
韓国を訪ねる我々日本人は過去の歴史を忘れることはできないだろう。それで萎縮することもないが。釜山では『ぐるぐるプサン』でも紹介されていた「釜山近代歴史館」にも足を運んだ。19世紀末から明治日本が朝鮮王朝を侵略した歴史の一端がビデオやパネルで紹介されていた。かつて中高の授業でもざっと習ったつもりだが、改めて日本が当時の朝鮮の人々にもたらした災いを思わざるを得ない。明治維新を経て、脱亜入欧、富国強兵の掛け声で、朝鮮の国土を侵略し、朝鮮の民を隷属させても是とする思いはどこから生まれたのか。国家レベルでは我々は今なお、そうした過去の「清算」に悩まされている。
歴史館の受付には係りの婦人が何人かいたが、こちらが日本人と分かると、日本語の小冊子を持ち出して親切に応じてくれた。私が釜山の他にもどこか訪ねたいと語ると、他の人も集まってきて、どこがいいかしらねと額を寄せて考えてくれた。彼女たちの親日感は決して上辺だけではないことが伝わった。
釜山最後の夜の食事は南浦洞・ジャガルチ市場の一角のレストランで「焼き魚定食」を食べた。体調不良のため、快食とはいかなかった。食事を済ませ、ホテルへの帰途、交差点で見た光景が実は今も脳裏を離れない。これも冒頭のもやもや感につながっている。
交差点で屋台のそばにうずくまり、一人の老婆が野菜を売っていたのだ。老婆といっても、そう年ではない。乱れた髪や衣服から老婆の印象を受けた。物乞いではない。彼女が坐している前には僅かとはいえ、野菜類が置いてある。一見して新鮮ではないことが分かる。道行く人は誰も彼女に視線を留めないようだ。私は一瞬、ポケットの10,000₩を彼女に与え、野菜を幾つか手にしようかと考えた。いや、野菜はいらない。でも、何か買わないと物乞いにお金を与えたことになる。そんなことを瞬間的に考えたが、彼女の狼狽に私のしどろもどろの言い訳、通行人の好奇の目、そんなものを考えると、萎えてしまった。
彼女に「小僧の神様」的な幸運をまた期待させるような行為に出て、一体何になるのか。それこそ残酷な行為ではないか。彼女のような哀れな存在を目にしたことは初めてではない。アフリカでは時として目にした光景だった。なぜ、今回は今も脳裏から消えないのか。彼女が日本人のように映ったからなのか。自分が齢を重ねた証なのか。
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不覚の熱発
- 2016-03-09 (Wed)
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参った。風邪をひいたみたいだ。昨日は一日寝込んでしまった。会社を辞めて以来、風邪一つひかないと豪語していたが、それをひいたようだ。思い当る節はある。
月曜の夜、シャワーを浴びたついでに下着類を洗濯したのだ。裸で。水洗いした下着類をシャワー室に干して、ベッドに潜り込んだが、やはり、必要以上に裸でいたのが良くなかったようだ。一夜明けて外出しようとした時点で身体が普通でないことに気づいた。薬局の看板が出たお店に入って、症状を訴えた。といっても私の韓国語はまだそうしたことはできない。微熱があること、頭が重いこと、咳はないことなどを説明した。店主はカプセルの風邪薬(2,500₩)を手渡してくれた。その場で服用しようとすると、食事の後に服用せよと由。
それで朝食を食べようと思ったが、食欲は全然ない。でも、薬を飲むために、何か食べなくては。通りかかった食堂に入って、これまで食してきた朝食を頼んだが、さすがに二口、三口食べると、もうギブアップしたい。シングルライフのプロとしては、たとえ、他人が作ってくれた食べ物でも残すことには心が痛む。できるだけ完食したい。しかし、病気の時には致し方ない。私はおばちゃんに、風邪で体調が悪いから料理を残したこと、そもそも薬を飲むために食事しようとしたのだ、というようなことを拙い韓国語で説明したが、どこまで分かってくれたか。
ホテルに戻った。この日、行きたいところはあったのだが、とても行けない。倒れ込むようにベッドに潜り込んだ。その後は夢うつつの状態が続いた。過去の長旅では必ず体温計に抗生物質などを持参していたが、今回の短い旅にはそこまでは考えなかった。私の平熱は35.7度。36.2度ぐらいになるときつく感じる。おそらく36度後半に上がっているのではないかと思う。せめてもの救いはまだ悪寒がきていないことだ。私の場合、「悪寒、あかん、意識朦朧」となる。悪寒がないということは、おとなしくしていればまだ何とかなる。それを頼りにベッドで横になり続けた。
夕刻、さすがに空腹を覚えた。薬が効いているのか分からないが、また薬を飲まなくてはならない。それでコンビニに行って何か食べ物、そうだ、食欲がないから、果物でいいや、と思い、ホテルを出る。寝ていたので気づかなかったが、いつの間にか、冷たい雨が降っている。どうも今回の旅は雨にたたられる。とりあえず、海苔巻き弁当にリンゴ、ミカン、牛乳、水を買い求める。締めて15,450₩。海苔巻きは一個口にしてあとは諦めた。リンゴとミカンを食べ、牛乳を飲み、薬。そしてまたベッドに潜り込んだ。
熱があるから、夢うつつ。途中で目が覚めた。窓を見やると薄明るい。ああ、もう夜明けが近いのか。今日一日を無駄にしたな。でも、うっかり風邪をしょい込んだのだから仕方ない。無理してこじらせたら、もっと大変だ。そう自分に言い聞かせながら、窓を開けると、夜明けという感じではない。時計を見ると、9時48分。午前ではなく午後だった。そうか、まだ夜中なのだ。ああ助かった。まだ熱がある。もっと眠ろう!
心がけが悪いから、風邪をひいたのか。それとも、この地は豊臣秀吉の時代から日本が戦火をもたらした地。そういえば、私は前日「李舜臣将軍銅像」を訪れた際、祈りといったことをしなかった。罰が当たったか。
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統営を訪ねて
- 2016-03-07 (Mon)
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福岡を発つ前には、釜山の他にもう一か所は訪ねたいと思っていた。ホテルのベッドで寝転んで、ガイドブックを手にさてどこに行こうかと思案していて、南海岸の統営という地が目に入った。「トンヨン」と呼ぶ。豊臣秀吉の朝鮮出兵のゆかりの地と書いてある。いや、地元の人々に言わせたら、ゆかりの地などと呑気に言って欲しくはないことだろう。旧日本軍による植民地支配に先立つ、400年ほど前の日本の侵略の史実を物語る地だからだ。
ガイドブックには「統営には鉄道や空港はないのでバスを利用すること」と記してある。釜山から2時間程度の短い旅程。車窓の光景に郷愁を覚える暇もなく、あっという間に統営着。港町だ。取り急ぎ、身軽になるため、宿を探す。小さい観光案内所があった。中年の女性が一人。「安宿を探しているのですが」と韓英日語で私。今回の旅で痛感しているが、一般の人は英語も日本語もほぼ悲しくなるほど通じない。それは日本だって同様だから致し方ない。彼女は日本語の観光案内地図を奥から引っ張り出す。一生懸命の姿勢が伝わる。そのうち、彼女が受話器を突き出した。男性の日本語が聞こえる。「どちら様ですか?」と私。「私は統営の市役所の職員です。ホテルをお探しなんですね?」「はい。40,000₩程度のホテルがあれば嬉しいのですが」といったやりとりの後、彼はモーテルを紹介してくれた。
ラブホテルみたいな外観のモーテルだが、中に入るとビジネスホテルのよう。身軽になってとりあえず、港の周辺を歩く。対岸に白くていい感じの建物が見えた。ガイドブックで確認すると、南望山公園にある市民文化会館。歩いて行ける距離だ。湾岸から坂道を上ると、後期高齢者とおぼしき大勢の一団とすれ違った。韓国のお年寄りをこれほど目にしたことはない。皆さん、人生の苦労を顔中に刻んでいらっしゃる。
ガイドブックには公園の一角に豊臣秀吉が送り込んだ水軍を撃退した、救国の名将、李舜臣(イスンシン)将軍の銅像が立っているとある。ところが、いくら歩き回っても、像らしきものに行き着かない。20代の若者が歩いていたので、彼に助けを求める。彼は少し英語を解したので、私は英語で「豊臣秀吉の水軍を破ったあなたの国のヒーローだよ」と説明したが、どうも要領を得ない。ガイドブックの「李舜臣将軍銅像」という漢字を見せても思わしくない。スマホみたいなもので調べ始めた彼は「えーと、あなたはヒデヨシの像を探しているのですか?」。ハングル文字一辺倒の韓国の若者世代は漢字が読めないという記事をどこかで目にしたことを思い出した。ほどなくして彼は「え! イスンシンの像ですか!。それなら分かります」と話し、石段を上がったところに私を連れていってくれた。石段の登り口には何の案内も出ていない。これでは初めての人は独力では行き着けないだろう。
不思議なことに、私が写真を撮って、振り返ると、若者の姿はかき消えていた。私にお礼を言わせる機会も与えず。歩きながら彼が語ったところではソウルに住むサラリーマンで、高校生だった10年ほど前に大阪に観光旅行で行ったことがあるとか。公園からの帰途にゆっくり話をしようと思っていたのだが・・・。慎ましい性格ゆえに無事に案内を済ませたので立ち去ったのか。私がデジカメをのぞいていたのは数十秒程度に過ぎない。すぐに振り返ったら、彼は消えていた。その後、私の脳裏には次のような疑問が何度も浮かんでいた。“Who was he? Somebody in the heaven sent him to help me here? Can’t be. But …”
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アガシかアジュモニか
- 2016-03-06 (Sun)
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日曜日朝の釜山はまた雨模様。ネットで見ると福岡も同様の天気のようだ。時差もないし、釜山周辺と九州北部は文字通り、一衣帯水の雰囲気だ。雰囲気と言えば、今朝朝食を食べた後に行った小さいカフェのママさんは私がコピー(コーヒー)を注文すると、アメリカーノ、コイメ、ウスメ?と尋ねた。「濃いめ」と答えたが、まさか、韓国語でそういう語があるわけではあるまい。こちらを日本人と推察したうえでの確認だろう。
なぜ、日本人と思いましたか? 「プンウィキ」との由。すぐに「雰囲気」という語が頭に浮かんだ。漢語に基づくこの種の語は本当に心強い。ところで私はなぜかすぐに日本人と分かるようだ。一目で韓国人と分かる人もいるが、私はその逆のケースか。
今朝の朝食はホテル近くの定食屋。韓国語では「テジクッパ」(6,500₩)。韓国語でも綴りたいが、ハングルを書くのは一苦労なので、カタカナ表記で許してもらいたい。壁のメニュー一覧の真っ先に書いてあった食事だ。先客もこれを食していたようだ。すぐに目の前に運ばれてきた。昨日の夕食と似てなくもない。これも美味かった。例によって緑の唐辛子が付いていた。改めて食べると、今度は全然辛くない。それで分かった。唐辛子のそばにあったニンニクが辛いのだ。一緒に口にしていたから勘違いしていたのだ。
朝食後はホテルで時間をつぶす。福岡ではケーブルテレビでKBSの「全国のど自慢」のような番組を楽しんでいた。NHKの「のど自慢」にそっくり。最近は番組改変の影響で放映されなくなっていた。KBSの「のど自慢」は語学の勉強のために見ていた。この国の世相もうかがえて面白い。それで、釜山に来たらぜひテレビで見ようと思っていた。果たせるかな、正午過ぎ、テレビのチャンネルをカチャカチャやっているとお目当ての「のど自慢」が映った。老若男女、楽しそうに歌い、踊っている。日本の演歌によく似た歌もある。ここでもまさに「一衣帯水」を感じる。
「のど自慢」を楽しんだ後、釜山の最大の繁華街「ソミョン」(西面)に出かける。地下鉄を利用。Tマネーと呼ばれるプリペイドカードを購入していたので楽だった。地下鉄は車内の光景を含め日本とそっくり。車内上部の駅名案内は日本語併記。主だった駅は日本語でもアナウンスがされる。九州新幹線でも韓国語、中国語で車内アナウンスがされているが、異国からの訪問者の立場に立つと、有難さが分かる。「おもてなし」の心だ。
夕食は『ぐるぐるプサン』に紹介されていたホルモン店。一人でお店をのぞくのは気が引けることもあるが、私は「シングルライフ」のプロだ(全然嬉しくないが)。この夜のお店も愛想の良いおばちゃんがいた。飲むつもりはなかったが、「これサービスです」と牡蠣の小皿を出してくれる。誘惑に負けて「ソジュチュセヨ」(焼酎をください)。まあいい。帰福したら、また簡素な生活に戻るのだ。おばちゃんは少しだけ日本語を解した。それで、今回の旅で気にかかっていたことを尋ねる。このような場合、あなたを何と呼んでいいのですか。日本なら「おばちゃん」か「お姉さん」だが、彼女は「アガシ」(お嬢さん)と呼ぶには少し無理があるようだ。彼女は少し考えた後、「アジュモニ」(おばさん)でいいですよ」と答えた。アルゲッスムニダ(了解しました)。でも、勘定(38,000₩)を済ませ、お店を出る時には「アガシ」と呼んでも構わないと宣われた。
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スンデクッパ
- 2016-03-05 (Sat)
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前項で書き忘れたが、私が落ち着いたのは釜山の南浦洞と呼ばれる地区。釜山港に近い繁華街だ。土曜日朝、そう空腹も覚えなかったが、朝飯はどこにいても大切。チェックアウト後に開いているお店に飛び込んだ。丁度食べ終えようとしている客がいたので、その客の朝食を指差し、同じものを注文した。韓国ドラマを見ていて小皿が所狭しと並べられる朝食をいつも不思議に思っていたが、なるほどこういうことかと納得がいった。
私が注文したのはシジミスープ定食(8,000₩)。今この項を書いていて、はてどういう味だったかどうも思い出せない。でも決して不満を感じるような味ではなかった。満腹感を覚えて店を出たことは間違いない。
天気予報では土曜日も雨模様だったが、幸い、この日は曇り空ながら、雨が降ることはなかった。それもあってか、南浦洞は朝から大勢の人々で賑わいを見せていた。さすがは首都ソウルに次ぐ韓国第2位の都会に相応しい。光復路という名のメインストリートや「ここにないものはない」と言われる国際市場を歩く。私はその土地がどういう土地柄であるかはしばし街角に佇んで行き交う人々の顔を見れば分かると思っている。果たして釜山は圧倒的に笑顔が多かった。親子連れであれ、若いカップルであれ。日本でこのような笑顔を目にすることができるか。きっとできるのだろう。日本では意識して「観察」したことがない。
歩き回ったのでお腹が空いた。普段は昼食抜きだが、限られた日数の異国なので、お昼を食べる。何を食べるか決めていた。『ぐるぐるプサン』で推奨してあった「ミルネンミョン」。冷麺のような食べ物だ。岩手・盛岡に勤務していた頃、冷麺にはまったが、それを少し思い出した。甲乙付け難いが、ミルネンミョンは上品な味わいで癖になりそう。テーブルにはお箸だけでスプーンがなかったので、おばちゃんにスプーンを求めてスープも飲み干した。私が勘定(5,000₩)を終える頃に入店した初老の客は、手元にきたミルネンミョンの丼を持ち上げると、勢い良くすすった。そうか。直接すすってもいいのか。今度は私もそうしよう。
初めての土地ではその土地の人がどう食するのか実地に見学するのが一番手っ取り早い。夕食はこの日投宿した新しいホテルの受付の男性が推奨してくれたお店に足を運んだ。そこで食べたのは「スンデクッパ」(?)。何と訳していいのか分からないが、お店のメニューに日本語で「豚の腸詰汁をかけたご飯」と書いたものがあった。きっとこれだろう。お店のおばちゃんに尋ねても韓国語しか話せないので、要領を得ない。近くに座った人の食べ方を見ているとだいたい分かった。付いているご飯は最初にどっと鍋に入れること。小皿の一つには緑の唐辛子が二つ入っていたが、これを男性客は芥子を付けて二口で食した。私は少しずつ食いちぎったが、さすがに全部は無理だった。
今日は飲むつもりはなかったが、一通りはお酒も経験しておきたい。メニューに「ソジュ」(焼酎)とあったので注文した。日本の焼酎より度数は低いようだ。飲みやすい。食事を終えた後もちびりちびりやっていると、おばちゃんがキムチをサービスしてくれた。隣に座った若い娘さん二人はこちらが韓国語に不自由な観光客と察したようで、立ち去り際に笑顔で “Have a good time!” と声をかけてくれた。カムサハムニダ! 勘定は納得の10,500₩だった。嗚呼、明日もこの店に来ようかな!
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