英語でさるく 那須省一のブログ
鎮まれ、鎮まれ!
- 2016-04-17 (Sun)
- 総合
大学の前期の授業が始まり、最初の授業を終え、帰宅した木曜の夜、自宅マンション(5階)が揺れた。洗面所で歯を磨いているところで、おや、地震かな。これが「熊本大地震」の幕開けだった。震源地から距離があり、熊本県内の被災地には比べるべくもないが、金曜夜は私が住んでいる福岡も結構揺れ続けた。(携帯電話のあの不気味な警報音が相次いだための)睡眠不足もあり、週末にかけて行動意欲を著しくそがれた。プールに行く気にも、ブログをアップする気にもなれなかった。
私の田舎は宮崎の山間部だが、熊本県に背中を接した県境にある。大地震発生の初報から「他人事」ではなかった。一人暮らしの老齢の長姉に電話する。「S姉ぇ、揺れちょるや?大丈夫や?おじこたぁねぇや?」「家は頑丈な作りだから、幾ら揺れても心配ねぇ。ひとっつもおじねぇど!」。まずは一安心。 (おじねぇや?=怖くない?)
熊本市内に住む友人も幾人かいる。その人たちに何の助けにもならないことは承知の上でメールを携帯電話やパソコンから送った。すぐに返信が返ってきた。「元気ですよ。ガスと水道がとまって困り果ててはいますが、頑張れるだけ頑張ります」という文言にほっとするとともに、こちらも勇気づけられた。
日曜日は快晴に恵まれた。熊本の被災地もそのようだ。土曜日夜は幸い大きな揺れはなかった。何とか余震もこのまま終息に向かい、落ち着きを取り戻してくれないものかと心から願う。NHKテレビでは問題の活断層の南西部の地下では活発な活動が見られ、少なくともあと一週間は「激しい揺れに警戒」と報じ続けている。そうならないことを祈る。
それにしても今回の「熊本大地震」は不意打ちの感を否めないが、新聞やテレビが伝えるところによると、こうした直下型の地震は日本国内ではいつでもどこでも起こり得るものらしい。我々はそういう時代に生きているようだ。英語で昔を懐かしく回想する時によく使われる “The good old days are over.”(古き良き時代はもう終わった)という表現が頭をよぎった。読売新聞の17日の紙面によると、「政府が想定するM7.3の首都直下地震では、最悪のケースで死者2万3000人、経済損失は95兆円と国難とも言える被害が見込まれている」とか。何とか対策を講じることはできないものか。
日曜日の紙面では「人工知能」(AI)の特集も載っていた。米英社が製作した人工知能がまだ当分は無理と見られていた囲碁のトップ棋士との最近の対戦で圧勝した。人間の脳の働きを参考にした「ディープ・ラーニング」(深層学習)と呼ばれる仕組みを取り入れた成果だという。人工知能はやがて人間の能力を凌駕することになるとも。人工知能にそれほどの親近感は感じないが、それほどの可能性を秘めているのなら、ぜひとも破断が近づいている危険な活断層の察知や南海トラフ地震の予知などに八面六臂の凄腕を発揮してもらいたい。現代の我々から見たら、それは「神」の領域に近い業だろうが・・・。
今夜、というか明日未明(月曜未明)は大リーグでニューヨークヤンキースのエースとなった田中マー君とシアトルマリナーズで存在感を示しつつある岩隈投手が初めて投げ合う。マー君はマリナーズのトップバッター、日向市出身の青木選手とも対戦することになる。普通だったらとても楽しみな一戦だが、あまり心弾む気分ではない。
- Comments: 0
釜山の魅力
- 2016-04-08 (Fri)
- 総合
韓国にはまりつつある。いや、正確には釜山にというべきか。釜山に魅せられる人にはそれぞれさまざまな理由があるのだろう。
ジャガルチ市場や国際市場をぶらぶら散策する。猥雑な雰囲気の中にしばし身を置くだけでリフレッシュされる。ありとあらゆる物品が所狭しと並べられている。日本円だと100円、200円単位の物もある。商いの原点がそこにあるように思える。コンビニやスーパーでの買い物に慣れた身には購買意欲をかきたてる物は少ないかもしれないが、心惹かれるのはどうしてか。日本人や日本社会が忘れ去った、忘れ去ろうとしている「何か」があの市場にはまだ漂っているからかもしれない。
腰の曲がった老婆がはいつくばるように店番をしている姿には私は頭を垂れたくなる。しがない旅にある自分には買えるものはしれている。だから、せめて夕刻に商店街に出る屋台の食品を夜食としてせっせと買い求めるのが関の山だ。拙い韓国語の練習の場でもある。
明日は帰福の日だ。最後の日はどこに行こうかとロビーで思案していると、ホテルのマネージャー氏が釜山には静かなお寺もありますよ、喧騒から離れた静かな雰囲気も味わい深い、と言う。そう言えば、例のガイドブック『ぐるぐるプサン』にどこぞの寺のことが出ていたような。改めて頁を繰ると、梵魚寺(ポモサ)というお寺だった。今自分がいる南浦洞地区からは遠いが、地下鉄で行けるという。本日は好天にも恵まれたし、行ってみよう。
地下鉄に乗ること40分余。駅名ともなっている梵魚寺で下車。駅の近くからバスも出ていて、大半の人はバスを利用しているようだったが、このところ運動不足の私は歩きたい。なだらかな坂道をゆっくり歩くこと約45分で梵魚寺に着いた。山頂に近いから空気が涼しく、汗ばんだ肌もそう気にならない。本道の裏手に山の湧水をひいた水飲み場があり、何杯も頂いた。梵魚寺でもらったパンフレットを読むと、このお寺も16世紀末に豊臣秀吉軍の侵略を受け、お寺が焼失する被害を受けた。現在のお寺は1614年の再建だとか。
お寺への道すがら周辺の景色をデジカメで撮ったが、山桜が散り始めている頃でとても良かった。日本の桜とは異なる印象を受けたが、それでも桜は桜。多くの人が喜々としてシャッターを切っていた。
釜山最後の夜の夕食は『ぐるぐるプサン』に紹介されていたジャガルチ市場の魚専門店をのぞいた。だだっ広いフロア全体が似たような魚の専門店だ。ガイドブックには釜山ならではの新鮮な刺身や鍋が食べられると記されている。私が着席した折は客の姿はまばらだったが、そのうちどんどんグループの客がやって来る。市場ならではの圧巻の光景だった。
私はヒラメの刺身と鮨を注文した。最初にテーブルに広げられたのはお馴染みの小皿。カボチャやチジミをつまむが美味い。ヒラメの刺身も悪くない。これならソジュ(焼酎)も頼まなくては。仕上げの鮨も美味かった。締めて33,000₩。納得の値段。
週明けからはまた普段の生活に戻り、禁酒、粗食の日々だ。この次に釜山を訪ねるのはいつになるのか。いずれにせよ、釜山への足は往復4,900円という超格安のフェリー便を再度利用したい。今回の旅ではそこそこ韓国語を使ってみて、まあ、通じないこともなかった。次回はさらに磨きをかけよう。
- Comments: 0
克服したいpeer pressure
- 2016-04-07 (Thu)
- 総合
木曜日朝の釜山は冷たい雨が降っていた。本日はどう行動しようか。海沿いにもう一つの国立大があることを知ったので、見物がてらそこを訪ねてみようかと考えた。午後からは雨が上がるとも聞いたので、お昼を食べて出かけようかと。それで午前中、ホテルのロビーでパソコンを立ち上げ、ネットで大リーグのゲームをチェック(格安ホテルゆえに部屋ではネットが不能)。この日はロサンゼルスドジャースに移籍した前田健太投手のデビューの日だ。オープン戦を通した前評判は上々。できればテレビで生観戦したいが、ケーブルテレビに色々スポーツチャンネルがあるホテルのテレビでもさすがにこのゲームはやっていない。ネットで彼のピッチングを追いながら、メールをチェックしていると、見慣れないメールが一件。昨日訪れた釜山大学の教育学部から届いたメールだ。本日の午後2時までに来訪されたし、教授陣の二人があなたに会うことに興味を示しているとの由。嗚呼、カムサハムニダ。
地下鉄で釜山大学駅まで行き、そこから大学直行のバスに乗る。交通カードを購入しているので、煩わしい料金計算もなく快適そのもの。指定の時刻よりだいぶ早く大学に着いた。これが良かった。私に会ってもいいと言ってくれた二人の教授の他、話を聞きつけたもう一人の先生も私が待っていた事務室にやって来て、「アンニョンハセヨ」。見るからに人の良さそうな人物だ。「渡りに船」と早速彼の研究室に一緒に行き、しばし歓談した。
Y教授はphonetics(音声学)が専門。しかし、韓国を始め世界ではこの分野の指導は段々おろそかになっているとか。デジタル技術の発展や翻訳機器の発達が一因しているのだという。彼が教えている学生の大半は公立学校での英語の教師を夢見ているが、少子化の他、非正規雇用教員の増加措置などもあり、学生にとって正規の教職の道は狭き門となっているとか。また、昨日会った学生が語ったように、公教育だけで英語の実務的力をつけることは容易ではなく、多くの学生が留学経験を求めるようになっているという。
Y教授に続いて、もう一人のネイティブスピーカーのL教授とも歓談した。彼との歓談で興味深かったのは、私の「学生は積極的に質問しますか。日本の大学では残念ながら、手を挙げて質問する学生の姿は皆無に近い」という指摘に対する彼の返答。「ここでも同じような状況です。私には2つの要因があるように思われます。一つは積極的に質問すると他の学生から嫉妬の視線を浴びせられるpeer pressure(グループ内の仲間から受ける心理的圧力)。もう一つは自分の質問が先生に及ぼす影響、言わば先生の顔をつぶしたくないという配慮。あえて質問をするよりは控えてしまうと見られます」
Y教授とは、日本語と韓国語の類似点や相違点なども語り合い、大いに参考になる話を聞かせてもらった。秋の講義がスタートする9月に大学を再訪して、学生たちに話をさせてもらうことも可能との由。願ってもない機会だ。英語で話すことになるが、その時までに今の拙い韓国語を鍛え、合間合間に韓国語を交えて話ができればと思う。
大学から帰途に就いた時はかなりお腹が空いていた。大変参考になるガイドブック『ぐるぐるプサン』(書肆侃侃房)に掲載されている南浦洞のカルビ通りにある「釜山スップルカルビ」店に足を運び、プルコギと冷麺を食べた。締めて28,000₩。ソジュ(焼酎)も1本飲んだ。嗚呼、ヘンボク(幸福)カダ!
- Comments: 0
serendipity(セレンディピティー)
- 2016-04-06 (Wed)
- 総合
好きな英語の語にserendipity というのがある。広辞苑には「セレンディピティー:思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力」として紹介されている。テレビのCMでも耳にした記憶があるが、外来語として定着するのはまだ先の話だろう。
会社を早期退社して海外を旅した際、多くの貴重な出会いに恵まれたのも、この「セレンディピティー」のお蔭と思っている。たいした取り得のない私にとっては「犬も歩けば棒に当たる」程度の力だが、それでも神様には感謝している。カムサハムニダだ。
さて、二度目の釜山訪問。前回の旅で少し慣れた(と思っていた)ので、フェリー港から路線バスに乗った。適当なところで下車した。すっかり気に入った賑やかなジャガルチ市場に近いと思って歩いていたら、どうも勝手が違う。道行く人に尋ねても要領を得ない。若い女性に声をかけたら、彼女はスマートフォンを取り出し、私が全然場違いの地区を歩いていることを納得させてくれた上で、地下鉄の駅まで連れて行ってくれた。カムサハムニダ。
一夜明け、釜山大学に地下鉄で向かう。アポもないし、あてもない。とにかくキャンパスで誰かつかまえて話をしたい。唯一の頼りはserendipity だ。英語の苦手の学生が多いのは日本と同様か。それでも、何とか英語を解してくれる女子学生二人に遭遇。彼女たちは英語専攻科のある教育学部に案内しましょうと言ってくれた。釜山大学のキャンパスは丘の上にあり、坂を上って歩くことしばし。教育学部で別れたが、その間、英語でできるだけの会話を交わした。可愛くて親切な学生たちだった。
教育学部の事務室でこちらの希望を伝え、さあて、これからどこに行こうかと思案しながら、キャンパスを下っていると、カフェが見えた。足を向けると、前を歩く一人の女子学生がいた。「このカフェではパソコンでネットできますか?」と背後から尋ねる。学生は「できるはずですよ」と答えた。席に就き、パソコンを立ち上げたが、WiFiにアクセスできない。よくあることだと諦めようとしていたら、先ほどの学生がそばに立ち、「だめですか。私のIDを使ったらアクセスできますよ」と親切に操作してくれた。嗚呼、カムサハムニダ。
彼女はこの日出会った中で一番英語が上手だ。少しおしゃべりができないかな。23歳のHさん。卒業したばかりだが、就職難もあってまだ大学に籍を置いているとか。
私「英語がお上手ですね。どうやって英語を勉強しましたか?」
Hさん「いいえ、まだまだです。ただ、在学中にカナダに留学した経験があり、そこで英語を鍛えられました。私の世代は小学校の頃から英語を学んでいますが、文法中心だったので、実務的な力は駄目です。英語を聞いて話せる人は概ね留学経験者だと思います」
私「それは日本でもよく耳にする批判です。かねてから実務的な英語の力を育成する必要性が声高に叫ばれているんですよ」
Hさん「カナダの留学先で出会った日本人の学生たちを知っているので、それはよく分かります。韓国では今は小学校の早い段階から英語を勉強しています。彼らは私たちの世代よりずっと英語の力をつけるようになるでしょう」
いい機会に恵まれた。韓国語の独学を始めて以来、ずっと引っかかっていた疑問点をHさんに教えてもらおう。
- Comments: 0
He runs himself into the ground.
- 2016-04-05 (Tue)
- 総合
プロ野球に続き、米大リーグも遂に開幕した。数日前から楽しみにしていた開幕ゲーム(opener)があった。2年連続、地元での開幕投手を務める栄誉を担ったニューヨークヤンキースのエース、田中マー君が投げる5日未明(現地では4日午後)のゲームだ。だが、4日夜になって、現地ニューヨークの悪天候により開幕ゲームの順延が発表され、出鼻をくじかれた。まあ、ほぼ徹夜を余儀なくされるのだけは免除されたが・・・。今季の大リーグ、ピッチャーで言えば、岩隈久志投手、前田健太投手もいる。彼らの活躍が楽しみだ。
サッカーはあまり興味はないが、英国人がフットボールと誇りを持って呼ぶイングランドでは移籍した岡崎慎司選手が大活躍。所属しているのは弱小チームだったレスター(Leicester、このスぺリングでレスターと呼ばせるところも凄い、うっかりするとライセスターと呼んでしまいそう)。レスターはイングランドの栄えあるプレミアムリーグでトップを走り、優勝が目前のところに迫り、地元の興奮は相当のようだ。岡崎選手の活躍はライバルチームから次のように評されている。“I am not surprised to find out that Shinji Okazaki is the most substituted player in the Premier League this season, because he runs himself into the ground every time.” (岡崎選手が今シーズン、最も数多く途中交代されていることは驚くに当たらない。彼はいつもピッチを体力が尽きるまで走り回っているからだ)。“run oneself into the ground” という表現がいい。疲労困憊でピッチに倒れ込む感じが出ているようだ。
◇
『ペリー提督日本遠征記』(“Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan”)の下巻を読んでいる。ペリー提督と徳川幕府側との交渉は当時、辛うじて日本人の通訳者が存在したオランダ語や中国語を介した英語と日本語のやり取りだった。それもあってか、すっきりした翻訳に仕立てるのにかなりの苦労を要したであろうと推察される文章がそちこちに。
幕末の日本社会がアメリカ人の目にどう映ったか興味深い。例えば「お歯黒」。私はこの習俗の背景はよく知らないが、当時、既婚女性の証と見なされた習俗はペリー提督たちには衝撃的だったようだ。以下、遠征記からの引用————。「上品に微笑んで(中略)ひどく腐食した歯ぐきに黒い歯が並んでいるのが見えた。歯を染めるのはもっぱら日本の既婚女性の特権であり、鉄の粉と酒などを含んだ、お歯黒、または
◇
さて、間もなく博多港に向かう。釜山への旅だ。今回は4泊5日の予定。ネットでフェリーのチケットを予約しておいた。料金は超格安の往復4,900円。私は宮崎に帰郷する時、いつも九州新幹線と高速バスを利用しているが、こちらは往復割引があっても14,000円。
釜山では6日未明のヤンキースのゲームはテレビで見れないだろう。残念!
- Comments: 0
a mobile -free zone
- 2016-04-01 (Fri)
- 総合
一週間のリフレッシュを経て帰福。長姉の愚痴以外はストレスフリー(stress-free)の日々だった。文句を言ったら罰が当たる。炭火で餅を焼いたり、魚を焼いたりして食べたが、とても美味かった。都会暮らしではあの炭火はできない。この歳になると、炭火の良さが身に染みて(胃に染みてというべきか)分かる。
私の田舎だけの話ではないが、猪や鹿による農作物被害が一段と深刻になっているようだ。今回の帰省でも昼日中から鹿に何度も遭遇した。さすがに車が近づくと山の中に逃げ込んだが、慌てふためくという感じではなかった。午後遅く散歩していて猪の群れも見た。道路端の斜面で5、6頭の猪が地面を掘って何か漁っていた。筍の芽か好物のミミズか。私の気配に気づくと、こちらは慌てふためいて斜面を駆け下り、見えなくなった。猪は椎茸は食しないが、鹿は食べる。おかげで椎茸は大きな被害を受けている。よほどしっかりした防護ネットでないと彼らの来襲を防げない。
◇
留守中にたまった新聞をざっと読む。大きな事件事故は起きていないようで安心する。読売新聞の英語コラムで参考になるのがあった。“This is a mobile-free zone.”という表現。私の頭にはすぐに「ここでは携帯は自由に使えますよ」という文章が浮かんだ。だが、実際の意味合いはその反対で「ここは携帯禁止ですよ」という意味だとか。欧米で上記のように告げられたら、やはり、「あ、携帯は使っていいんだ!」と勘違いする可能性大かなと思う。コラムの筆者は duty-free(関税なし) alcohol-free(アルコールなし)という類似表現を示していたが、確かにduty-freeを例に取れば、mobile-free が「携帯を使ってはならない」ということが理解できる。sugar-freeと言えば、「砂糖の入っていない、無糖の」となる。私はいつもコーヒーはsugar-freeだ。
◇
『ペリー提督日本遠征記』(“Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan”)の上巻を読み終えた。江戸末期の1853年に浦賀にやってきたペリー提督率いるアメリカの艦隊に右往左往する幕府官僚の様子がうかがえて興味深かった。
その頃の民衆に詠まれた狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」は何となく知っていたが、これまであまり「四杯」の意味するところを意識することはなかった。上記の本を読んで改めて、ペリー提督が率いた艦船が四隻だったことに思い至った。江戸の民衆の度肝を抜き、「黒船」と呼ばれた蒸気船はサスケハナ号とミシシッピ号の二隻。それに帆船のサラトガ号、プリマス号を加えての四隻(四杯)。(上喜撰とは高級緑茶のことでもちろん、蒸気船にかけてある。船は時に1杯、2杯と数えた)
新興国のアメリカによって開国を余儀なくされた幕藩体制の日本。ペリー提督側との交渉は中国語とオランダ語が使われたようだ。意思疎通の困難さは想像に難くない。爾来160年余。日本を訪れる外国人旅行者は年間2000万人に達する勢いだ。政府は東京五輪・パラリンピックが行われる2020年にはその数を4000万人にしたい方針とか。
- Comments: 0
帰郷の友
- 2016-03-23 (Wed)
- 総合
今度はベルギーでテロが起きてしまった。狙われたのは国際空港の出発ロビーと地下鉄。多数の死傷者が出ているようだ。このようなソフトターゲット(soft target)は防御(警備)にも自ずと限界がある。卑劣極まりないテロ組織に対する憤りは今さら言うまでもないが、テロのニュースに接すると、暗澹たる思いにとらわれる。自然災害なら諦めもつくが、テロの被害はそうはいかない。無辜の市民を無差別大量に殺傷する行為はどのような政治的・宗教的背景があろうとも許されない。
テロのニュースが世界を震撼させている中、私は久しぶりに田舎に帰郷する。ネットもできず、新聞も読めず、テレビだけが世界を知る窓口となる。さすがに大きな事件が起きている時の「隠遁」は心中複雑だが、物理的に致し方ない。帰福後にまた釜山に出かける予定なので、韓国語の学習に励むつもりだ。次回はもう少し日常会話ができるようにしたい。
◇
帰郷の友は文庫本だ。今回持参するのは『ペリー提督日本遠征記』(角川ソフィア文庫)。江戸末期、徳川幕府を開国に導いたアメリカのあのペリー提督の回顧録だ。書店で上巻をパラパラ立ち読みすると、何だか面白そうなので購入した。(原本タイトルは“Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan")
序論では日本人や日本語の「特性」などが述べられている。1853年7月に蒸気フリゲート艦サスケハナ号で浦賀に来航したペリー提督が抱いた次の印象には多くの日本人が「同意」するのではないか。中国語を貶める意図は無論ない。「日本語の発音はすっきりしていて明瞭で、聞きやすく、英語のアルファベットが二、三字以上も入るような長い音節はほとんど耳にしない。一方、中国語は単調な歌でも歌っているように曖昧で抑揚がなく、耳ざわりで、次々に飛び出す子音の響きが不快感を増している」
第2章にはペリー提督が1852年12月にサスケハナ号の前に乗船していたミシシッピ号から母国の海軍長官へ送った公式書簡が紹介されている。提督が考える日本遠征の当座の目的が明確に記されている。「わが国の捕鯨船そのほかの船舶の避難および物資供給のために、一つそれ以上の港をただちに獲得しなければならない」と。以前に「オイルインダストリー」の項で書いたが、当時の世界では鯨油が目当ての捕鯨は重要な産業だった。提督が何としても日本との関係を構築したかった事情は次の文章からよくうかがえる。「海洋上のわが競争相手であるイギリスの東洋における属領を目にし、イギリスの軍港が不断にかつ急速に増加するのを見れば、当方も迅速な方策を推し進める必要に迫られている。世界地図を眺めると、大英帝国はすでに東インドや中国の海湾、ことに中国の海湾において、最も重要な地点を手中に収めている」。新興国のアメリカにとって座視できないライバルは旧宗主国だった。
ペリー提督らが乗り込んだ軍艦はニューヨークを出港、大西洋をアフリカ・喜望峰に下り、インド洋を経由して日本に向かう。南アフリカで欧州列強の残忍な植民地経営を目の当たりにする。それを見ての提督の感想がいい。「われわれアメリカ人には他国の国民が、征服した国々の原住民に加えた非道をののしる権利はない。厭わしい偽善でその行為をとりつくろうイギリス人に比べればまだしもましかもしれないが、われわれも、土着の諸部族を欺き、残忍に扱ったことについては彼らと大差はないのである」。トランプ氏にぜひ聞かせたい述懐だ。
- Comments: 0