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英語でさるく 那須省一のブログ

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Coming through!

20170423-1492935855.jpg 謝恩会でもらった花。花びらは散ってしまった。しかし、緑の葉はまだしっかりしており、まだ捨てるにしのびないので、毎朝水を入れ替え、窓辺に置いている。花瓶から吸い上げる水の量は段々少なくなっているものの、水を入れ替える度に花が息づいていることを教えてくれる。緑の葉に口を近づけ、「ありがとうね。まだ大丈夫かな。今日も元気で!」などと声をかける。はたから見たら、おかしいかもしれないが、当人は結構真面目だ!?
 植物が生き続けるには水と空気、それに日光が必要? 人間が生き続けるにはそれらのものに加え、食物が不可欠。それで朝夕、台所に立つが、日々水洗いをしていると右手の親指がひび割れ、冬の時期にはときに痛烈な痛みが走っている。コンビニで炊事用の手袋を売っていることを知り、最近これを使い始めたら、右手の親指の荒れが収まった。こんな便利なものがあることにもっと早く気づくべきだった。やはり無知は損をする。
                 ◇
 読売新聞の英語にまつわる週一のコラム「特派員直伝 とらべる英会話」を忘れない限り読んでいるが、違和感を覚えることが少なくない。古巣のことをとやかく言うのはできればしたくないのだが、私がデスクだったらこういう文章は絶対に載せないと思うことも。
 最近の記事では「通るわよ! Coming through!」というのがあった。満員電車とかで人混みをかき分けて進む(降りる)時など、進路をあけてもらう際に発する言葉だ。上記の “Coming through!” は効果的な表現だが、「実はネイティブの耳にはかなり無礼でぞんざいな言い方に響くという」とNY支局の記者が書いていた。え、そうなの?
 この記事は、“Coming through!” という表現は「かなりぞんざいに響くので、使うのは、よほど重大な事態に限る。すし詰めのエレベーターから降りるような時は Sorry. が良い。例えばニューヨークの満員の地下鉄で Coming through! を使ったら? 試す前に知人に尋ねたら、『けんかになるからやめなさい』と忠告された」と締めくくっている。
 書き手が文中で指摘している通り、“Coming through. Excuse me.” などと、周囲の人たちの理解を請う語句を合わせて使った方がベターではある。しかし、“Coming through!” だけだと周りの人たちに不快感を与え、さらにはけんかになることはないかと思う。記者が意見を求めた知人はよほど礼儀正しい人だったのだろうか。理解に苦しむ。
                 ◇
 最近は韓国KBSのドラマを見ることがほとんどなくなった。NHKラジオの韓国語講座で「満足」していることもあるが、それだけではない。韓国ドラマがあまりにも「よく出来過ぎていて」見る気が失せてしまったのだ。私は日本のテレビドラマは全然興味がないので、韓国ドラマがつまらないと言うつもりは毛頭ない。むしろ面白過ぎる。ただ、あれだけ伏線がはってはり、それが絶妙に絡み合っていると、思わず、「それは出来すぎだろ!」とテレビ画面に突っ込みを入れたくなる。
 そういう次第でKBSのドラマ放送からはすっかり遠ざかった。そのうちにまた面白いものを見つければはまるかもしれないが、当分はなさそうだ。韓国語よりも中国語の世界により魅せられつつあることも一因してはいる。

加油!

 この冬お世話になったガスストーブを週末に片付けた。手帳を見ると、去年もほぼ同じ時期に片付けている。時期はほぼ同じでも、天と地ほども異なるのは当時と今の心境だろうか。去年は熊本地震の直後で心も大いに乱されていた。あれから一年。地震国の日本。近い将来またどこかで大地震が起きるのだろう。揺れるのは致し方ないとしても、人的被害ができるだけ小さくて済むことを祈る。
 ストーブを片付けたついでに台所にたまっていた空き瓶・空き缶の山を整理する。生ごみはすぐに片付けたくなるが、瓶・缶の類はたまる一方。やはり「形から入る」というか、身辺がすっきりすると心も少し軽くなる。こういうことは普段からこまめにやっていれば何の問題もないのだが、いつもどうも腰が重い。
 現代はいかに身辺を「身軽」にするかが大切な時代のように思える。二年ほど前になるだろうか、米誌タイム(電子版)が恒例の「世界で最も影響力のある100人」の一人に日本人の「片付けコンサルタント」の女性を選んだことが話題になった。そういう職業があること自体が驚きだったが、ネットで読んだ英文の記事の中で「片付ける」という表現として declutter という動詞が使われていた。普通は tidy up という表現が頭に浮かぶが、こういう言葉があるのを初めて知った。さしずめ今の穏やかな心中を英語で書くと———。I feel good as I’ve decluttered the empty bottles and cans in the kitchen. 
                 ◇
 新年度になってNHKの語学講座でも新しい番組がスタートした。中国語では従来の講座に加え、「おもてなしの中国語」という新番組が始まった。4月号のテキストの冒頭には「日本を訪れる中国の方々と楽しく会話することを目的にした新しい語学講座」と紹介されていた。私には難し過ぎるところもあるが、とても参考になりそうだ。
 パラパラとテキストをめくっていると、「〇〇はどうですか(いかがですか)」という例文の一つに「プレゼントにいかがですか」という文章があった。お店で店員さんが中国人のお客に声をかけている設定だ。中国語では「送人怎么样?」(ピンインは割愛)。「送人」は「人にプレゼントする」という意味だと記してある。普通は「プレゼント」という語は「礼物」(lǐwù)。これは我々日本人には漢字から意味が何とか推察できる。
 「送人怎么样?」は原文に忠実に訳すと、「人に物を贈る、いかがですか?」というような感じだろうか。「礼物」という語を知らなければ、「行為」で説明する、そうすれば大丈夫、と考えられなくもない。何度も書いているが、中国語は英語と異なり、名詞や名詞性の表現でなくとも、つまり動詞的な表現でも主語になり得るのだとか。これは格好の例文か。先述のdeclutterの文章を中国語的に言えば、「台所をきれいに片付ける、心晴れ晴れとなる」といった文章でも許容されるのだろうか? こうした文章が許されるなら、中国語はとても学びやすいのでは、などと思ってしまう。
 いずれにせよ、私は中国語のこの緩さが好きだ。できれば発音や声調の世界にもこうした緩さがあって欲しいと願うが、こと発音と声調はそうはいかないようだ。自分自身に向かい、「加油!」(Jiā yóu!)(頑張れ!)と言うしかない。もう一つおまけに、パイティン!

息を吐かない無気音

 新学期がスタートした。教える大学が私の住むところからは南の方角から北の方角に変わった。週に2日の授業。二日目。最寄りの駅のホームに立って、入ってきた快速の電車に乗り込んだ。次の駅名のアナウンスを聞いて、すぐに間違った電車に乗ったことに気づいた。いつもの習性で博多方面の電車に乗っていたのだ。次の駅で下車して小倉方面の電車に乗り換えた。タイミングよく快速電車が滑り込んで来て、恥ずかしい遅刻は免れた。
 その前日には大学からの帰途、路線バスに乗っていて、小銭が足りないことに乗車後に気づいた。260円の料金のところ、小銭入れには160円しかなかった。慌てて財布を確かめると、そういうときに限って千円札が切れている。両替機に目をやると、千円札しか両替できません、と明記してある。困った。普段は乗車前に小銭入れをしっかり確認しているのだが・・・。        
 駅に到着。運転手さんに小銭が160円しかないこと、できれば5千円札の両替をしたいことを告げた。運転手さんは嫌な顔ひとつせず、いいですよ、次回にお支払いくださいと笑顔で免じてくれた。お礼を言いながら、とりあえず160円を料金箱に入れ、次に乗車するときに不足分の100円を支払うことを約して下車した。そんなこんなでとりあえず、新学期は気持ちよくスタートした次第。
                  ◇
 中国語のお話をまた一つ。NHKラジオの「まいにち中国語」という語学講座を毎日、有難く聞いているが、4月号のテキストの末尾の連載コラムに面白いのがあった。中国で日本語を教えた経験のある語学講師の森田六朗氏の「中国語と日本語のHAZAMA」というコラム。以下、紹介させてもらう。ベトナムや韓国の日本語学習者にとって、日本語の「つ」の発音は難関で、「おつかれさま」が「おちゅかれさま」になり、「スポーツの持つ美しさ」が「スポーチュのもちゅ、うちゅくしさ」となるのだとか。中国人は清音と濁音の区別に手こずり、「ちょっと待ってください」を彼らが発音すると「ちょど・まで・ください」となるという。そういえば、ケーブルテレビでいつか見たCMで、韓国のイケメンアイドルが「胸はじゅむ〇〇TV」と言っていたのを思い出した。「弾む」が「はじゅむ」。
 日本人は中国語の「無気音」と「有気音」の区別に苦労する。中国語の「不」(bu)は日本語の無声音「プ」・有声音「ブ」の違いではなく、有気・無気の別、つまり発音するとき「空気を強く吐き出しているか、いないか」の違いだと。「不」(bu)は息を吐かない無気音。 
 中国語を学習し始めて以来、発音に難儀しているが、この有気音・無気音の区別もその一つ。ある語学書には「日本語には清音と濁音があるが、中国語には基本的には濁音はない」と明記してあった。別の本には中国語のboは「シッポ」の「ポ」を言うときのように無気音で発声せよとあった。「ボ」ではないのだ。私はこれまでbで始まる音は何のためらいもなく、バビブベボの感覚で発声してきた。どうも根本から考え方を改めた方が良さそうだ。
 英語にしろ、韓国語にしろ、いずれの言語にも言えることだが、学ぶからにはできるだけその言語の原音に近づく努力はしたいと思っている。そうした姿勢こそ学習者がその言語に対して示す敬意と思えるからだ。彼らもそうした努力を多としてくれるだろう。

こういうメルトダウンも!

 先週金曜日、宮崎で本当に久しぶりにゴルフ。去年は一度もクラブを握っていない。ゴルフからこんなに長く遠ざかったのはこのスポーツを覚えて以来、初めてのこと。会社勤務を辞めるということはこういうことでもあるようだ。同伴プレーヤーにあまり恥ずかしいゴルフは見せられないと先月末から3回練習場に足を運び、満を持して臨んだが、この日の宮崎は生憎の雨。普通ならキャンセルしてもおかしくなかったが、ゴルフバッグは宅急便で送り済みだし、この次いつプレーできるかも不明ゆえ、いざゴルフ場へ。
 石部金吉の日々を送っている私にこれぐらいの憩いは神様が与え給うのではと期待したが、神様はさすがに憐れんでくれた。時折小雨に見舞われたものの、何とか18ホールプレーし終えた。同伴予定の2人は雨天でキャンセルしたため、親しい友人と2人で和気あいあいとプレー。これは酷い!という打球は皆無に近く、納得のいくプレーができた。
 その夜は妹、妹の友人を含めて4人で楽しく会食。普段は禁じている酒(焼酎)をこの夜はしこたま飲んで、久しぶりに酔っ払った。これも神様は許してくれるだろう。心身ともにリフレッシュ(?)して帰福。
                 ◇
 ゴルフと言えば、米オーガスタ(ジョージア州)で行われていたメジャー初戦のマスターズ・トーナメントはスペインのセルヒオ・ガルシアがプレーオフの末に、イングランドのジャスティン・ローズを下して悲願の初優勝を飾った。74度目のメジャー挑戦での初勝利の喜びはひとしおだろう。かつて「エルニーニョ」(神の子)とも呼ばれた彼も37歳となり、近年は丸みと落ち着きが出たようだ。アメリカではギャラリーからブーイングを浴びることも珍しくなかったが、この日は大きな声援を送られていた。
 マスターズがプレーオフに持ち込まれる直前、大リーグも見ていた。シアトルマリナーズ対ロサンゼルスエンゼルス戦。マリナーズの岩隈久志投手が6回を2安打1失点の好投で降板し、その時点で7対1の大差をつけていたので、これで岩隈投手は初勝利を手中にしたと思っていたら、9回裏の攻撃で相手に大量7点を奪われ、10対9で屈辱的なサヨナラ負け。岩隈投手は初勝利が吹っ飛び、チームはアリーグ西地区でダントツ最下位の1勝6敗。
 マリナーズファンにはフラストレーションがたまる一方だろうなあと思いながら、ファンのリアクションを探してみると、次のコメントが目に入った。That comeback must be a franchise record for the Angels and that meltdown must be a franchise record for the Mariners. Unbelievably demoralizing for the Mariners as they fly home for opening day tomorrow after a 1-6 start. Mariners’ fans must already be saying “Maybe next year” after only seven games on top of their team having the longest playoff drought of any MLB team. Hard to believe things could be any worse for them. Brutal!
 あのイチロー選手がマリナーズに移籍して大リーガーとしてデビューし、大活躍した2001年を最後に、マリナーズは低迷を続けている。今年もすでに「また来年があるさ」と思っているとの声。いくら何でも「早っ!」。確かにファンから見たらmeltdown(炉心溶融・瓦解)と自虐的に呼びたいほどの恥ずかしい「大逆転負け」だった。

I wish I had a good command of Chinese.

 球春到来。日本のプロ野球とアメリカの大リーグがいよいよ開幕した。テレビと付き合う時間がこれからますます増えていくことになる。日米の野球が好きなだけ楽しめるケーブルテレビは便利なことこの上ないが、読書や語学の学習に費やす時間が激減することにもなる。日常生活はラジオさえあれば十分ではないか。いっそテレビなど片付けてしまえ!という心の声が聞こえてきそうだ。
 日本時間では月曜未明に生放送された大リーグの開幕戦、ニューヨークヤンキース対タンパベイ・レイズ戦。栄えある開幕投手を任された田中マー君は残念ながら3回ももたずにノックアウトされた。惨敗後もジラルディ監督のマー君への信頼はまだ揺るがないようだ。"Today he didn't have his command. It's hard to figure out. It's one game, don't make too much of it, and [Tanaka will get] back to work on Saturday." 監督の言葉にあるcommand は日本で言う「コントロール」のさらにワンレベル上の制球力を意味するようだ。
                 ◇
 韓国の朴槿恵・前大統領が遂に逮捕された。テレビで見た彼女の顔は哀れを誘うほどに憔悴していた。「トレードマークだったアップにした髪はほつれ、化粧を落とした顔は、やつれきっていた」(読売新聞)。最高権力の座から奈落の底への転落。あの顔を見ただけで、彼女の心中が容易に想像できた。
 ジャパン・ニュース紙ではロイター通信の記事を使い、次のように報じていた。Ashen-faced and flanked by two female officers in the back seat of a black sedan, Park’s hair was down, apparently because she had removed the hairpin that held her hair in her trademark chignon style. まさにashen-facedだった。読売新聞によると、朴容疑者は拘置所に移動する際、ヘアピンの持ち込みが許されなかったのだという。自殺防止?
                 ◇
 『中国語と日本語』(日本語ライブラリー)(朝倉書店 編著者・沖森卓也、蘇紅 2014年)を読んだ。私のような初学者には難し過ぎる語学書だったが、参考になることは多々あった。
 印象に残った例文を一つ。这个学生我教过他数学。これは「この学生は私が数学を教えたことがある」という意味と述べてあった。漢字を見れば、何となく理解できる。少し違和感があるのは「他」という語。「彼」を意味する語であり、原文に忠実に訳すと、「この学生は、私は彼に数学を教えたことがある」といった感じだろうか。「他」は無駄なような気がしないでもないが、中国語ではこの語が必要なのだと言われれば、なるほどそういうものかと思えなくもない。英語で、This student, I’ve taught him mathematics. といった感じか。こなれた英文としては I’ve taught this student mathematics. だろうか。
 上記の文章は、中国語では「動作の関与者」が主語となりうるケースの一つとして紹介されていた。中国語では「名詞性成分に限らず、動詞性成分や形容詞成分、フレーズなどもそのままで主語になることから、主語の意味役割は何かと規定すること自体無意味なことになる」とも記されていた。中国語の理解が少しだけ深まったような気がする。ようなだ。

教え方はrustyになりたくない!

 久しぶりにゴルフの練習に出かけた。コースに最後に出たのはいつだったか、記憶にない。去年は一度もクラブを握っていないから、もう少なくとも1年半以上はゴルフから遠ざかっている。石部金吉的日々でもたまのゴルフぐらいはできるかと思うのだが、不善をなすばかりの小人にしても色々やることがあるとそうもいかない。
 来週宮崎に戻る用事があり、それに乗じて親しいゴルフ友達とプレーを約束した。それで重い腰を上げ、久々のスウィング。休眠中に少しはましになっているかと密かに期待していたが、やはり、駄目なものは駄目。まともに真っ直ぐ飛んでくれた球は少なかった。英語で表現すれば、“My lousy golf swing was the same as ever.” (私のスウィングの下手さは全然変わっていなかった)あるいは “My golf swing was as rusty as ever.”(私のスウィングは相変わらずお粗末だった)だろうか。lousy(下手な、ひどい)も rusty(さびた、下手になった)もできれば親しく付き合いたくない語だが・・・。
                  ◇
 『第二言語習得論に基づく、もっとも効率的な英語学習法』(佐藤洋一著・ディスカヴァー携書 2015年)という本を読んだ。短期間でTOEICの点数アップを目指す英語学習者を念頭に書かれたマニュアル本で、英語文法の基本を押さえる大切さが強調されていた。著者の言葉を借りれば、「文法のコアを徹底的に押さえる」ことがTOEICの点数アップのかぎを握る。それは端的に言えば、英語学習では「肯定文、疑問文、否定文」を理解することと「品詞の役割」を理解すること、この二点に尽きるのだという。
 動詞はbe動詞と一般動詞から成るが、著者は「英語では一文中に動詞の数は一つという絶対のルールがあります。そのため、be動詞のすぐ後ろに動詞の原形を置いてしまうと、それは文法的ではないということになってしまいます」と述べている。
 次の例文。“I am play baseball.” 英語学習者はなぜこのような文法的に正しくない文章を書いてしまうのか? 諸説あるだろうが、著者は “I am play baseball.” に対応する日本文「私・は・野球をします」から、このような間違いを犯す学習者はbe動詞が日本語の「は」や「が」に対応しているという勘違いをしている可能性を指摘している。
 私はこれまで四年間、大学で英語を教えてきた。実は上記のような英文を書く学生が幾人かいた。そういう文章に出くわす度に「amと play はここでは『共存』することなどあり得ないだろう!」とショックを受けていた。そうか、彼女たちは一つの文章の中でbe動詞と一般動詞を立て続けに書くことにあまり「抵抗」を感じていなかったのか。だから、例えば「私はテニスをするのが好きだ」という文章を英訳させると、“I am like to play tennis.” といった文章が生まれることになる。私はbe動詞と一般動詞をそのまま「混在」させてはならないというのは英語学習者の「常識」と思い、特段そのことに注意を喚起することはしなかったが、ひょっとしたら、こういうこともあえて説明してやっていれば、基本的なことに気づきが及んだ学生もいたのかもしれないと、今にして思い至っている。大学レベルでそういうことを知っているのは当然のことと突き放す考え方もあるだろう。しかしながら、私には示唆に富んだ「指摘」となった。これからの授業に活かしたい。

啄木にあらねど

20170319-1489933430.jpg 春めいた気候になった。身体もほぼ元に戻った。(よく覚えていないものの)未明にまだ咳き込むことがあるようだが、日中は全然問題ない。健康の有難さを改めて認識した。
 謝恩会で学生たちからもらった花束。毎朝水を入れ替え、日中は窓辺に置いて陽光を浴びさせている。やはり花のある生活は潤いがある。「可愛いね。いい匂いをありがとう」と語りかけている。あれから10日ほど経つが、まだ花びらに衰えはないようだ。もう少し楽しませてくれればと願う。お願い!
 大阪勤務時代、少しの期間だけ花を花瓶に入れて楽しむ日々を送った記憶がある。長続きはしなかったが。好きな歌人、石川啄木に「友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」という一首があったかと思う。今の心境をうたえば、「友がみな 我より長く 勤む日よ 花を貰いて ひとり香をかぐ」か。
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 NHKの新年度ニュース番組のキャスターの新ラインナップが発表された。驚いたのは深夜11時15分からの「ニュースチェック11」の男女のキャスターがそっくり、夜9時の「ニュースウオッチ9」の新キャスターに抜擢されたことだ。桑子アナ、有馬記者の二人にとってより多くの視聴者に接する「昇進」の人事であることは間違いなさそうだが、視聴者の一人としては残念! あの二人の息の合った掛け合い的なニュース紹介はあの時間帯だったから可能だと思う。「ニュースウオッチ9」であの味を出すことは至難の業だと思う。いや、「ニュースウオッチ9」の視聴者は二人が今「ニュースチェック11」で醸し出している独特の味わいなどはなから求めていないと思う。
 桑子アナの良さがつぼみのうちに摘み取られることになりはしないかと恐れる。彼女の笑顔に癒されていた一視聴者として残念に思う。まあ、どうでもいいことではあるが・・・。
                  ◇
20170319-1489933459.jpg 英字新聞「ジャパン・ニュース」を読んでいて工夫を凝らした見出しに遭遇した。“In these offices, work day is canine to 5” という見出しだ。このheadlineを見て、すっと理解がいく人の英語力は素晴らしいかと思う。
 記事は米ロサンゼルス・タイムズ紙の転電で、ロサンゼルス周辺の先進的企業では社員がペットの犬を会社に連れて行き、職場にそのままいさせることを容認するケースが年々増えているというものだった。ペットが近くでくつろいでいることで職場の雰囲気が和らぎ、働きやすい環境となるのだという。もちろん、犬には「引き綱をつける」とか「吠えてはいけない」などといった一定の規則を課し、違反があれば即刻同伴出勤が禁じられるのだとか。
 私は大学の英語の授業で「ジャパン・ニュース」が毎週土曜日に連載している四コマ漫画「オフィスケン太」を活用している。お茶目なハチコちゃんの家で飼われている犬のケン太がハチコちゃんのパパが勤務するIT関連の会社で癒しの犬として重宝されているという設定なのだが、まさか、海の向うでは現実にそういうことが現実となっているとは。参考までに、canineは「犬の」という意味のラテン語起源の語。発音にnine(9)が含まれているから、「通常の勤務時間」をこのようにユーモラスに表現できたところがみそだ。

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