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英語でさるく 那須省一のブログ

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冬瓜

 イギリスの作家、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。NHKを筆頭に日本のメディアは大騒ぎしている。予想外との声も多かったようだが、私は前から彼は必ずノーベル文学賞を取ると思っていた。返す返すも残念だったのは新聞社のロンドン支局勤務時代に彼にインタビューする話があったのだが、先方の都合でドタキャンされたことだ。
 私は彼の作品の大半は読んでいる。”Never let me go”(邦訳『私をはなさないで』2005年)も良かったが、“The Unconsoled”(邦訳『充たされざる者』1995年)が一番印象に残っている。イシグロ氏とのインタビューの話が舞い込んできた時に急いで読んだ記憶がある。カフカを彷彿とさせるよう不可思議な展開の物語だった。支局助手のルーシー嬢は「ミスターナス、私、こんな支離滅裂な小説、付き合いきれません」とあきれていた。以下の一文は拙著『英語でさるく』(2008年)でイシグロ氏のことについて書いたものだ。彼の代表作の一つ、“The Remains of the Day”(邦訳『日の名残り』1989年)が念頭にある。
 We do not need to wait until the “evening” of his literary work to recognize that Ishiguro has a sparkling talent as a storyteller.(私たちはイシグロが物語作家としてほとばしる才能を秘めていることを、彼の作家としての晩年を待つまでもなく知ることになるだろう)
                  ◇
 大家さんから少し前に冬瓜を頂いた。大きさが半端ない。ラグビーボール二つ分ぐらいある。大家さんからはざっと料理法を説明してもらったが、料理音痴の私には一度聞けばそれで分かるというものではない。ただ、当分の間は台所の片隅に放置しておいても何ら問題はないと言われたので、しばらく放っておいた。
 台北から持ち帰った文旦は放っておいたら、瑞々しさがいくらか失われていた感じがした。冬瓜はいかにと思い至り、まな板の上で包丁を入れた。やっとこさ、二つに切り分けた。インターネットの料理法のサイトに書いてあったやり方を真似して短冊状に切った。まず味噌汁の具にしてみた。あまり期待はしていなかったが、これが案外いけた。
 塩麴を混ぜるだけで美味い漬物になるという指摘もあったので、これも真似てみたが、こちらは期待したようには出来上がらなかった。まあ、しかし贅沢は言えない。味噌汁の貴重な具にできただけで満足だ。まだ、たくさん残っている。
                  ◇
 プロ野球。気乗りしないまでも応援はしてきた巨人は4位に終わり、プレーオフへの進出は断たれた。これでいいのかもしれない。今年のようなぶざまな戦いぶりで優勝チームの広島に間違って勝ち、日本シリーズに出るような事態に至れば、返って恥ずかしい。
 米大リーグは田中マー君とダルビッシュ投手が所属するチームがプレーオフに残った。残念なのは本来ならエースとしてプレーオフ初戦に登板してしかるべきマー君が3戦目の登板へと「格下げ」されたことだ。彼の今年の戦績・内容からはこれは妥当な判断だろう。5ゲーム制のプレーオフ第一弾で3戦目がどういう意味合いを持つ試合となるのかまだ分からないが、マー君のプライド、意地を見てみたい。

「ご笑納」(シァオナー)

 今日(土曜)はとてもいい天気だ。秋晴れ。英語だと “It’s a very beautiful day.” とでも言いたくなる。韓国語だと「날씨가좋아요.」(ナルシガチョアヨ)。中国語だと「今天天气真好」(Jintian tianqi zhenhao.)と口にしたくなる。私はこの季節が最も好きだ。日本に生を受けた我々は四季の変化に富んだ暮らしを味わえることを感謝すべきであろうが、今の爽やかな空気に触れると、こんな天気が一年を通して続く国であるなら、国民性も今とは大きく異なっているのではないだろうか、などと考えてしまう。貯蓄をする人はぐっと減るのでは!
 さて、暦は明日から10月。今年も残り3か月。実に早い。非常勤講師をしている大学でも後期の授業が始まった。仕事があるだけ幸いと感謝すべきだろう。それは十分わかっているものの、このところずっとお気楽モードに入っていたため、学生の前に立ち、役に立つか分からない講釈を垂れるのは容易ではない。
                 ◇
 NHKラジオ第2放送の語学講座「まいにち中国語」と「まいにちハングル講座」が10月から新しいクールに入り、過去の講座が復活し、再放送される。slow learner(物覚えの悪い)の私にとって、再放送はありがたい。中国語も韓国語も私が語学講座を聞くようになったのは去年の7月から。講座は3か月前の4月からスタートしており、途中からの受講だった。韓国語は少し基礎知識があったので何とかついていけたが、中国語はさすがにきつかった。来週からは両講座とも最初から改めて聞くことができる。発音、文法とも基礎から鍛え直すことができる。書店でテキストを買い求め、再放送を知った時は嬉しかった。
 中国語も韓国語も「まいにち・・・」と銘打った講座の他に、初級者以上のリスナーを対象にした講座があり、なるべくそうした講座にも耳を傾けているが、私には難解過ぎて、途中で投げ出したくなることもしばしば。そうした講座では一つでも二つでも新しい表現を覚えるようにもがいている。大半は数日も経過すると記憶に残っていないが・・・。
 だから、テキストを見ずに耳で聴いていて、何となく意味合いが「類推」できたときは少しだけ自信が生じる。声調も正しく聞き取ることができた時は嬉しさが倍増する。最近の例で言えば、「おもてなしの中国語」で出合った次の表現。「这是我的一点儿心意,请笑纳。」(これは私のほんの気持ち[心意]ですので、ご笑納ください)
 私は日本語の「笑」が中国語では「xiao」(シァオ)となることをぼんやり覚えていたので、ラジオからこの語が聞こえた時に、何となく「ご笑納くだされば幸いです」と謙遜して口にする時の表現が頭に浮かんだ。それが当たっていることを知り、嬉しくなった。声調までは聞き取ることができなかったものの。
 中国語の発音はカタカナ表記すると、「シァオナー」であり、シァオとナーをともに下がり調子で発声する。NHKラジオのテキストでは「プレゼントを渡すとき、日本人は『つまらないものですが』、『ほんの気持ちですが』と謙遜することが多いかもしれません。中国語にも似た表現があるので、贈り物を渡す場面を想像しながら練習してみましょう」と説明されていた。へえー、そうなんだ。

次の台北行きが楽しみ!

20170916-1505529051.jpg たとえ一週間程度の小旅行とはいえ、戻って来ると少し虚脱状態になる。今回もご多分に漏れず、なんだかぼぉーとして週末を過ごすことになりそうだ。金曜朝は台風が九州に近づく中での搭乗だったので本当は案じていたのだが、そう揺れることもなく福岡空港に着いた。運が良かったと言うべきだろう。
 台北は期待していた以上のところだった。あれほど親日的な国、あえて国という書き方をしている、が果たしてあるだろうかと思う。私はこれまで少なからぬ国々を訪れているが、台北(台湾)は好感度ナンバーワンかもしれない。地下鉄やレストランなどで何となく台北市民の視線を感じることはあった。私は口髭を生やしているし、いつもハンチングをかぶって外出している。どう見ても私のような風体の男は他にいなかった。短足背低でもあり、私が日本人であることはだいたい察しがついたことだろう。
 しかし、彼らの視線に嫌な思いをすることは皆無だった。理屈ではない。それを一番感じたのは街の食堂だろうか。海外の一人旅ではいつも食事に気をつかわざるを得ない。夜の稼ぎ時に(四人掛けの)テーブル席に座るのは気がひける。だから店主に暗黙の了解を求める。台北ではそうした気をつかう必要がなかった。第一、私のような地元の一人客が結構いた。とある食堂では翌日も行くと、注文したよりも一皿多かった。しまった!注文の仕方を間違えたかと悔い、レジで勘定を払って気がついた。店主が一皿サービスしてくれていたのだ。
20170916-1505529083.jpg 私の中国語はまだよちよち歩きとも呼べない。台北ではそれで英語と時に日本語を交えながらのやり取りに。台北の人はもう少し英語ができるかと思っていたが、そうでもなかったので、お互い苦笑しながら拙い会話となることもしばしばだった。私はホテルの近くのお気に入りのカフェはわずか一週間であっても「常連客」となることを目指す。台北でもちょうどいいお店を見つけ、朝夕と日に二度はのぞいた。最後の日にはたどたどしい中国語で「今日は台北最後の日。明日は福岡に戻る」と伝えた。お店の女の子二人は残念(がってくれ)、それなら今日のコーヒーは私たちのおごりと(多分)言った。
 そして彼女たちは記念の写真を一緒に撮ろうとスマホをかざした。私もデジカメで一枚だけ撮影。それがこのブログの写真だ。彼女たちには来年また必ず再訪するから、その時はまた近くのホテルに泊まってお店をのぞくと約束した。この次は少しはまともな中国語の会話ができるようになっていたい。自信はないが。
 ただし、今回の台北の旅で心に決めたことがある。台北には9月のこの時期には絶対に行かない。あれほど蒸し暑いのには参った。聞くと6月ぐらいからそうらしい。だから、台北に足を運ぶとしたら10月下旬から12月。それと3月から5月かな。釜山のように博多港からフェリーでひとっ走りという手軽さはないが、ネットを駆使すれば、それなりの格安の旅はまた入手できるだろう。
 台所のテーブルには前項で書いたAさんからレストランでの別れ際にもらった「文旦」が一個。ホテルの部屋で食べようとしたら、フロントの女性が「まだ日を置いた方がいい」と助言してくれた。それで手荷物で福岡まで持って帰って来た。さあいつ食べよう。口に運ぶと台北の雰囲気を感じることができるかしら?

ご馳走さまでした!

 台北のホテルで中国語のドラマを見ていても、全然理解できない。漢字の字幕が出るから、部分的に意味は類推できるのだが、瞬時の字幕だからとてもついていけない。これまで独学してきた中国語の発音とは大きな差異があるように感じる。私のような者には台湾語とさえ思われる。
 聞くところによると、ここでは台湾語は食事をしたり、電車に乗ったりといった日常生活では普通に使われているが、抽象的なこととか政治的なこととか「高度」な話題を語る時には北京で話されている中国語(台湾では国語と呼ばれる)となるのが自然だとか。小学校に入り中国語を習得する時点で台湾語の「進歩」がストップするような印象を受けた。
20170914-1505355356.jpg それでは台湾の人々にとって母国語は何になるのだろうか。台北に着いて以来、頭を悩ましてきたこの素朴な疑問に答えてくれる人たちと昨夜会食する機会に恵まれた。地元で勤務する台湾人のAさん。日本語がとても達者な女性だ。同席した彼女の友人Bさんも同様。当然のことながら、日本語で会話させてもらった。
 私「あなた方にとって母国語は何ですか?」
 Bさん「中国語(国語)と台湾語です。二つです。一つではありません」
 Aさん「中国語(国語)です。台湾語は子供の頃からあまり上達していませんから」
 なるほど。そういうものか。私を含め、大概の日本人は、北京で話されている中国語を手本として学習する。その点で台北でもこの中国語が広く通用するのはありがたい。台北を訪問するにあたり、台湾語を新しく勉強することになったら、これは大変だ。
 もう一つ素朴な疑問があった。台湾で使われている繁体字は中国語のように簡体字にした方が覚えやすいのではないか? 二人は即座に否定した。慣れれば何でもありません。台湾では子供たちでも何の問題もなく、繁体字を書きこなしていますよ。例えば、「愛」という字。中国語では「爱 」となり、台湾語では「愛」。中国語の「爱 」には「心」が入っていないではないですか。私たちの「愛」にはちゃんと「心」が入っている。私たちの字の方が理にかなっている。なるほど。
 台湾の人々が海を隔てた中国との関係をどうとらえているかといったことも尋ね、彼女たちからは忌憚のない意見を聞かせてもらったが、これはまだ私にはここで簡単に記すだけの力はないので、今後の課題としたい。
 今回の台北の旅でも基本、酒抜きを貫いていた。この夜も最初はそうするつもりだったが、蒸し暑い中をホテルからレストランまで2時間近く歩き回っていたので、のどが渇いていた。それでテーブルの上の小籠包などのご馳走を前にして、誘惑に負け、瓶ビールを1本だけ注文してしまった。実にうまかった。思わず「好喝」(ハオフー)という言葉が口をついた。あらかた平らげた頃、ふと気づくと、Bさんが勘定書を手にレジに向かっている。「あ、ちょっと、ちょっと、待ってください。ここは私が払います。最初からそのつもりだと言っていたではないですか」と抵抗したが、二人はいえいえ、今晩は私たちにおまかせくださいと引き下がらない。
 飲食して、女性に、しかも初対面の女性にご馳走してもらったのは、おそらく初めての体験だろう。台北がますます大好きになった次第だ。多謝。

蒸し暑い!(闷热!)

20170912-1505171808.jpg 台北は私にはまだ蒸し暑い。福岡を発つ時は朝夕の空気に秋の気配を感じるようになっていたが、ここはそうでもない印象だ。汗かきの私はなぜかいつもお尻の部分で汗をかく。それでズボンやジーンズのお尻のところが一番濡れる。恥ずかしいほど濡れることがある。かくして私は毎晩、シャワーを浴びた後、洗濯に励む。替えの下着、シャツ、ジーンズをあまり持って来ていないからだ。アフリカの旅でもこんなことはなかったような記憶が。
 加えて心配事が一つ。強い台風が台湾に向かっているようだ。日本にいる時は台風が日本以外の土地に向かうことを願っていたが・・・。私が台北を発つ時期と重なる可能性もある。飛行機が飛ばない? 格安便なので帰路の便がどうなるか心配だ。台風自体も心配だが。まさか旅先でも台風に悩まされることになるとは思わなかった。
                 ◇
 さて、台北に来た目的は中国語の「実地研修」だ。ホテルのフロントやカフェ、レストラン、果ては道行く人々にもできるだけ声をかけ、できうる限り、中国語を「試して」みている。上手く通じることもあるが、そうでないことも。今日は「蒸し暑い」ことを「闷热」(メンルー)と言うのだが、これがどうも通じない。「メン」も「ルー」も日本語のようにはいかないのだ。それは分かっているのだが・・・。ホテルのテレビを見ていても、台湾語の番組だと全然分からない。中国語だと部分的に「引っかかる」ところがあって、そこから内容を類推することもできるのだが、ここではそうはいかない。
 一つだけ、受けていることがある。「ありがとう」という表現だ。中国語ではもちろん、「谢谢」(シェシェ)だが、ここ台北では「多謝」が普通。発音はどうも「ドォシャ」という感じらしい。明らかに外国人(日本人)の私がこの言葉を発すると、「おや、あなた、私たちの言葉をよくご存じで!」と破顔一笑される。こんなことで喜んでいても、仕様がないないのであるが・・・。
                 ◇
20170912-1505171619.jpg 日曜日は台北市内でも賑やかさで知られる西門(Ximen)を訪れた。地下鉄で行けばわけなく行けそうだが、土地勘を養うためにホテルから台北駅を経由して歩いてみた。結構な距離はあったが、いい運動になった。台北駅を過ぎて西門に向かおうとしていると、新光三越百貨店の前の路上で、人だかりの中、一人の男性が土下座をして物乞いしている。コンクリートの地面にタオルを敷き、頭を打ち付けるような土下座だ。あれでは疲れるだろうなあと思い、対面の横断歩道を渡り、振り返ると、くだんの男性がいない。あれ、と思って当たりを見やると、近くの段差に足を組んで座り、美味そうにタバコを吸っていた。一休みしていたのか? しばらく見ていたかったが、そうもいかず後にした。
20170912-1505171655.jpg 西門はなるほど、若者や家族連れで一杯だった。少し虚を突かれたのは、西門の正面辺り、MRTと呼ばれる地下鉄から地上に出たところで、台湾独立に反対するとともに、旧日本軍が中国で犯した戦争犯罪を糾弾する写真などが展示されていたことだ。遠くから見ただけでは中華人民共和国の国旗と習近平氏の大きな写真が飾られていることは分かったが、日本を糾弾する趣旨の集まりだったことを知り、複雑な気持ちになった。

ここでも日本食は人気!

 台北の旅でも頼りにしているのは個人的に親しい関係にある福岡市の出版社・書肆侃侃房が出している観光ガイド本の『ぐるぐる台北』。新版も出ているが、私が手にしているのは7年前に出た『ぐるぐる台北』。
20170910-1505045128.jpg 地図で見ると、何とか歩いていける距離の所に、「日本人好みの味、台湾生まれの牛肉麺」ということで、林東芳牛肉麺(リンドンファンニウロウミェン)が紹介されていた。
 「店頭では大鍋でグツグツと牛骨や牛肉が煮込まれていて、熱気ムンムン! タクシーの運転手御用達の店」と記してある。行かずにおれようか。私が足を運んだ11時過ぎには早くも列ができていた。お昼休みが終われば空いているかと近くを散策して、午後1時過ぎに再訪しても同じような込み具合だった。10人ほどの列の後ろに並んでいると、おばさんが「あなたは1人か?」と私に尋ねるよう。「そう」と頷くと、先に入れてくれた。小さなお店で壁にへばりつくように座って食した。
 牛肉麺は正直に書くと、期待していたほどではなかった。汁が甘辛い感じなのは問題ないが、肉が思ったほどには美味くなかった。それでも、お店のおばさんは日本語で色々と私に声をかけ、気をつかってくれていることが分かった。お店の雰囲気も良かった。今後に期待しよう。
 お腹を膨らませて歩いていると、ぽつりぽつりと振り出した。天気予報だと雷雨の可能性ありとなっていたが、さすがにその通りに。途中から激しい雷とともに雨脚も強くなり、喫茶店に飛び込んだ。しばしの雨宿り。これも何かの本で台湾はITの先進国でどこでもネット通信ができると読んだ記憶があるが、セキュリティーコードだかパスワードを教えてもらうと、ほとんどの喫茶店でインターネットを使うことができる。
20170910-1505045182.jpg ホテルのすぐ裏手に日本食のレストランがある。夕刻には長蛇の列ができ、いつまでたっても客足が尽きない。ここ台北でも普通、日本食レストランは高い印象だ。入り口に展示してあるメニューを見れば、私のような者には敷居が高過ぎる。例えば、刺身の項で「しめさば」180元、「焼きナス」150元、「アジフライ」180元などと書いてあれば、まず足を踏み入れない。それで、ホテルの裏手の日本食レストランにあれほどの人だかりができるのか不思議に思っていた。
 土曜日の昼時。さすがにこの時間帯なら空いているだろうと行ってみると、平日通りの長い行列。引き返そうかと思ったが、中の様子だけでも見てみようと並んだ。店員さんがメニューを持ってきて、事前に注文を書かせる。メニューを見る限り、高くはない、いや、日本の感覚から見ても安い。私は一人だから、ほどなく相席のテーブルに呼ばれた。
20170910-1505045213.jpg 周りを見ると、「鰻重」を食べている人が圧倒的に多い。皆、笑顔で嬉しそうに箸を運んでいる。対面の男性客は「鰻重」に加え、焼き鳥2本と冷奴、厚焼き玉子を並べていた。お昼から凄い食欲だ。さすがに厚焼き玉子には手を出せずに、この分は引いてくれとお皿を手にしてレジに立ったようだった。私は「サンマ定食」を食べた。味噌汁も含め、悪くなかった。レジで支払ったのは110元だから413円の勘定になる。なるほど、地元客が押しかける人気なのはよく分かった。

台北へ

20170908-1504835467.jpg 台北に入った。昨日朝、福岡を発つ時、久しぶりの海外の旅だから、少し億劫になっていた。まだ中国語は全然だし、もう少し勉強が進んでからでもいいのではないかと。でも、当初から大学が夏休みの時期に台湾の旅を考えていたので、諦めるわけにはいかなかった。我が妹から彼女の退職を記念して10万円をもらっていて、妹には有難く台湾旅行に活用すると約束していたこともあり、今さらやめるわけにもいかなかったこともある。
 そして今、この項を台北のホテルで書いて(打って)いるが、来て良かったと思う。到着したばかりだからあまりあれこれ記すことは控えたい気もしないでもないが、台北は凄く居心地が良い感じだ。釜山以上かもしれない。第一、街を歩いていても、漢字があふれているから「意味」が分かる。日本人観光客を意識した日本語の看板もよく目にする。
20170908-1504835497.jpg 台北空港のホテル案内のカウンターから予約の電話を入れたホテルのフロントスタッフも大変親切で気持ちよくチェックインを済ませた。8泊の予定だから、このホテルでずっといても構わない気がしたが、「素浪人」の私にはいささか宿代が高い。それでホテルスタッフにこれから付近を散策して、私の「身の丈」に合ったホテルが見つかったら、そこに行くかもしれないので、とりあえず、一泊だけと言って、チェックインを済ませた。
 晩飯を食べるためにホテルの近く、長安東路の一帯を歩きながら、目に入ったホテルのフロントでシングルルームの価格を尋ねた。そのうちの一軒はチェックインを済ませたホテルよりもはるかに安かった。「背に腹は代えられない」心境だ。相済まないが、明日朝、宿を変えようと思っている。
 台北空港で私はとりあえず、5万円を台湾ドル(元)に両替した。13,315元となった。手数料を無視して換算すると、1元が3,755円になる勘定だ。参考までにこのレートでホテル代を計算すると、最初にチェックインしたホテルは一泊8,940円。これから移るホテルは4,882円。インターネット環境も問題ないとなれば、私にはこの差は大きい。釜山でも毎回、似たような宿代のホテルに投宿していた。
 ホテルの近くにあるコーヒーショップ。ホットが一杯45元(168円)。どこかの本で台北では物価は7掛けという指摘を読んだ記憶があるが、確かに日本(福岡)よりはずっと安そうだ。コーヒーを飲みながら道行く人を眺める。やたらバイクが目につく。小さいお店だから、テーブルも少なく、イスも少しだけ。2人の中年男性が入ってきた。私が立てば、テーブル席が空き、2人は座れる。十分長居したので、席を立つ。私が日本人だと分かったのだろうか。1人が「どうもありがとうございます」と背中越しに声をかけてきた。
 コーヒーショップの斜め向こうに屋台が見えた。私にはよく分からないが、どうも簡単な朝食を売っているようだ。ひっきりなしに通勤客が買い求めている。100元札(375円)を出してお釣りの硬貨を受け取っているから、安いことは間違いないようだ。明日朝は私も食べてみようか!
 ところで後にした福岡もまだ暑かったが、台北も暑い。蒸し暑いと言うべきだろうか。ポロシャツを少ししか持参していない。これではコインランドリーでも探して洗濯しないと一週間はもたない。

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