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英語でさるく 那須省一のブログ

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『七年の夜』

20171127-1511751641.jpg お世話になっている出版社・書肆侃侃房に立ち寄ったら、出版ほやほやの新刊を頂いた。韓国の女性作家の『七年の夜』という小説だ。もちろん、日本語翻訳本。550頁もある厚手の本だけに暇な折にゆっくり読み進めようと思っていたら、先が気になり、わずか数日で読み終えてしまった。こういう本を英語では a page turner と呼ぶようだ。頁をどんどんめくりたく(turn)なるような「面白い本」を意味する。
 著者は韓国全羅南道生まれのチョン・ユジョン(丁柚井)氏。帯のPR文には「いま韓国でもっとも新作が待たれる作家チョン・ユジョン待望の長編ミステリー」とある。二組の夫婦、それぞれの一人息子、一人娘を核として、誰しも遭遇することを願わない、いや心から忌避したい、殺人事件の加害者・被害者、という状況で出会わざるを得なかった彼らが繰り広げる愛憎の物語で、実に丹念に伏線がはられたスリル満点の作品だった。独身の身としては父親と息子、娘の濃密な関係を羨望、また憤怒を覚えながら読んだ。
 翻訳も優れていた。書肆侃侃房は韓国の女性作家による作品を精力的に翻訳紹介している。日韓の文学的なやり取りでは明らかに我々日本の方がより多くのものを送り出しているのだろう。そうした「不均衡状態」を是正する貴重な取り組みと言える。『七年の夜』については以下のサイト(http://www.kankanbou.com/kankan/index.php?itemid=839)へ。
                 ◇
 南部アフリカのジンバブエで新大統領が就任した。英語のスペリングを見ると、難しそうな名前だ。ムナンガグワ大統領。失脚した前大統領のムガベ氏の忠実な僕(しもべ)だった人物で、敵対する部族の虐殺に直接加担した過去も抱えており、彼が果たして今口にしている国民融和の政治を実現することができるか前途多難。
 新大統領は国民から総スカン状態の前任者一家の安全を保障したようだが、国民がずっと黙っているか分からない。ムガベ独裁体制は南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)時代のようにきちんと「清算」すべきだろう。私はムガベ氏の転落は亡きマンデラ氏への嫉妬が招いたと思っている。マンデラ氏が1990年に解放された後、世界の耳目をその一身に集めるようになって以来、ムガベ氏はアフリカの代表的指導者の座から片隅に追いやられてしまった。マンデラ氏同様、ノーベル平和賞を受賞した南アのデズモンド・ツツ元大主教も過去にムガベ氏のマンデラ氏への嫉妬心を指摘していたことを覚えている。
 私はナイロビ支局に勤務していた頃、南ア取材で何度もジンバブエを訪れたが、ムガベ氏に直接の取材経験はない。27日のジャパン・ニュース紙はムガベ氏が独立闘争の闘士から政治家に転身する頃から氏を身近に見てきた英紙の元記者のコラムを転載していた。次の一節がムガベ氏がマンデラ氏とは似ても似つかなかった人物だったことを物語っている。
 I have no doubt that he is motivated solely by a deep-seated determination of political power, irrespective of the cost to others. It is enhanced by an innate cruelty. (ムガベ氏の行動は自分の心の奥深くに根差した政治的権力を奪取する思いにのみ基づいていたことに疑いの余地はない。それが他者にどのような災いをもたらそうともだ。彼が秘めていた生来の残酷さがそうした思いを一層あおったことも)

ジンバブエが急展開

 12月までは暖房を入れるのは控えようと思っていたが、昨日(火曜)夜、ついにガスストーブに点火した。痩せ我慢で日常生活に支障をきたしては本末転倒か。ガスの力はさすがだ。すぐに部屋があったまり、心まで温もらせてくれる。文明の利器に感謝だ。
                 ◇
 南部アフリカのジンバブエという国がかつてない混乱に直面している。1980年の独立以来、この国を率いてきた独裁者のムガベ大統領が軍や与党、国民から退任を迫られ、今朝のニュースによると辞任に追い込まれた。ついこの間まで考えられなかったような展開だ。ジンバブエが民主化されることを願うが、ポストムガベがどういう政治・社会体制となるのか予断を許さない。ムガベ体制を支えてきたグループ内での権力禅譲に終わってしまえば、大多数の国民は失望するだけだろう。
 それはそれとして、図書館で昨日、朝日新聞を手に取り、少なからず驚いた。朝日新聞でもジンバブエ情勢を3面の総合面と11面の国際面で手厚く伝えていたが、誰が書いた記事であるのか明記されていなかった。普通はアフリカ駐在の自社の記者(特派員)が書き手となるが、記者の氏名はどこにもない。ただ文末に「(ハラレ)」とあり、記事がジンバブエの首都から発信されたものであることを装っている。おそらく東京発の記事なのだろう。情報に信頼度を持たせるために末尾に「(ハラレ)」と付記したものと推察される。読者には不可解な付記だ。誰が書いたのか正直に書けばよい。このような「苦肉の策」はもうやめるべきだろう。
                 ◇
 図書館で『対談 中国を考える(司馬遼太郎・陳舜臣)』(文春文庫)を目にしたので借り受けて読んでいる。1970年代に何回か行った対談をまとめた本のようだ。まだ毛沢東が生存していた時期だけにかなり古いが、それでも示唆に富んだ指摘がそこかしこにあった。
 以下に幾つか記しておきたい。いずれも司馬氏の発言だ。
 「日本人というのは、中国からいろいろ学んで、生け花まで学んだけど、中国の本質は学んでないんですね。(中略)また日本が十九世紀に開国したというのも不幸だったな。それまではそうでもなかったんだけど、このころになると西洋もすごい侵略時代に入っていた。つまり富国強兵の侵略主義が国家学としてのモダニズムである、という受けとり方をした。それが明治以降ずっと抜けきれなくなってしまった。こういうことを考えると、日本はやっぱり元禄時代に開国すればよかったと思う。(中略)つまり、天文・天正のカトリックをなぜ日本は無にしたかということはくりかえし残念ですね。そのままでいていまも三割ぐらいがカトリックでおるとしたら、太平洋戦争を起こさなかったかもしれんな。情報がオープンに入ってくる。それから世界人みたいな意識がある。やっぱり普遍とは何ごとかということは、体でわかるでしょう。僕ら普遍とは学校に行ってみんな習うけど、普遍という言葉を学んでるだけで、普遍ということは日本でうまれるとわかりにくいですね。普遍を知らないと、中国もわからないわね。中国は国家というより多分に普遍的世界なんやね。少数民族をいっぱい抱えているからという問題もあるけどね」 以下続で。

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植木市

20171117-510880873.jpg 少し冷えこんできたが、毎朝の日課として課した散歩を何とか続けている。たいした距離ではないのだが、結構、すがすがしい気分になる。私の自宅の近くにはあまりいい散策路はないのだが、ゴールは地元では名高い勅祭社の香椎宮。静まり返った境内をゆっくり歩き、イヤホンを通し、NHKラジオの韓国語・中国語放送に耳を傾ける。周囲には人もまばらだから、発声練習も気兼ねなくできる。とても貴重なひとときとなりつつある。
20171117-1510880905.jpg 今は神社に隣接した駐車場で植木市が催されている。私は草木には恥ずかしいほどうといが、嫌いではない。紅葉や松、杉、槙の木、花々を愛でながら佇む。金木犀という名札のかかった木があった。金木犀の芳香は大好きだ。近づいて匂いをかいだが、何の匂いもしない。近くで作業をしていた人に尋ねると、「すでに花が散ってしまったので匂いはしない」との由。なるほど。
20171117-1510881005.jpg 片隅では小さな植木鉢に入れられた花々が並べてある。だいたい一個100 円から300円ほどの売り値だ。名前は分からないが、可愛い。ベランダに置きたい衝動に駆られる。
                  ◇
 『日英中三方攻読 中国語文法ワールド』(大茂利充、後平和明共著・朝日出版社)という出版されたばかりの本を図書館から借り受けた。中国語と英語に明るい二人の教師の共著で、出版案内では「中級・上級用の中国語文法書で、中国語ワールドを知る上で必携の書」と推薦されていた。私自身が今、日英中韓の四方から攻読(?)に取り組んでおり、興味を抱きながら読み進めた。
 結論から言うと、私には難解過ぎる書だったが、参考になる指摘は多々あった。思わずメモしたところを一つだけ記すと————。
 「名詞述語文」の項で次の文章があった。——テニヲハ付着語の日本語はその中心語だけをポツンと言うと雑なもの言いになる。しかし、孤立性の強い中国語はこのような問答では単語を並べるだけでも別に不自然ではない。——
 例文として、「现在几点? 现在六点。」という名詞だけのやり取りが紹介されていた。「今何時ですか。今六時です」。英語では “What time is it now?” “It is six now.” ——。確かに中国語の字面では、「今何時?」「今六時」といったゴツゴツした印象だ。日本語の「です」に当たる「是」を加えても良いが、「现在是几点?」とすると、一種の強調表現になるのだという。
 助辞・接辞が特徴の日本語や韓国語は膠着語、語形や語尾が変化する英語は屈折語。語形変化や接辞がない中国語は孤立語と呼ぶことは承知していたが、一語一語の孤立性が強いということはそういうことでもあるらしい。英語がもし中国語のようだったら、日本人には学びやすい言語ではないかと考えた。「これは君と私だけの秘密だ」。この英訳をThis is you and me between secret. と書いた学生がいた。我々にはなぜこういう英文になったのか容易に推察できる。正しい英文に直すと、This is a secret between you and me. だろう。中国語では上記の文章はおそらく、「这是你我之间的秘密」。この文章に関する限り、日中は酷似している。中国語を通すことで英語を理解する新たな道が見えそうな気がする。

大統領は "blowhard"?!

 秋が深まったというかあっという間に冬の足音を感じるこの頃だ。薄手の毛布をひっかけて寝ていた数日前、明け方に悪寒が走り目が覚めた。起きたら何となく体がだらしい。風邪をひく一歩手前のような感覚。その日はプールに行くのは見合わせた。慌てて冬用の毛布を押し入れから引っ張り出した。大好きな秋の気分を今しばらくは楽しみたいのに、そういうわけにもいかないのだろうか。
 先日、市が行っている年一回の定期健康診断を受けた。本人は健康そのものと思っているが、保健師から見ると問題ありということなのだろう。体重を大いに問題視された。これは本人が一番自覚している。今も毎日にようにプールに通い、泳ぎかつ歩いているが、体重的には現状維持が精いっぱい。腹回りは情けない状態がずっと続いている。それで決意した。毎朝の散歩を。いつまで続けることができるか分からないが、滑り出しは悪くない。
                  ◇
 トランプ米大統領の初訪日は成功裏に終わったようだ。そつなくこなしたというところだろうか。彼の人格・識見はともかく、米国の大統領だから、迎える側としては粗相があってはならない。関係者はご機嫌よく送り出してやれやれといったところだろうか。
 そんな折、英BBC放送がブッシュ元大統領の親子が後輩の共和党の現大統領について語った言葉を報じていた。出版されたばかりの伝記本の中で、ブッシュ元大統領(父)はトランプ氏を “blowhard” だと酷評しているとか。
 彼は昨年の大統領選では民主党のヒラリー・クリントン氏に票を投じたという。この記事では次のように“blowhard” の語意を説明。“Blowhard" is a casual term for a person who is boastful or blustering, the Oxford English Dictionary says, and it is usually meant as an insult.(オックスフォード英語辞典(OED)によると、「ブローハード」は自慢を隠さない人、どなり散らす人を揶揄した表現で、通常、侮辱的に使われる)。 “blow” の原意は「(風が)吹く」。「大ぼら吹き」という訳語は日本人にも何となくしっくりいく感じがする。子息の方のブッシュ元大統領も “This guy doesn't know what it means to be president.” と批判しているとか。ウーン・・・
                  ◇
 季節の秋はともかく、スポーツの秋は一足早く終了した。日本シリーズは終盤で思わぬ盛り上がりを見せたが、ソフトバンクホークスの優勝で終幕。これは落ち着くところに落ち着いたと言えようか。セリーグを代表した横浜DeNAはいかんせん、守備がまず過ぎた。
 大リーグは声援を送っていたロサンゼルスドジャースが最終戦でヒューストンアストロズに押し切られた。最終戦を含めて致命的な2敗を喫したのはダルビッシュ有投手。ワールドシリーズでは本来の力のピッチングは見せられずに終わったが、ストーブリーグでは彼がフリーエージェント(FA)の注目選手1番手とか。ワールドシリーズでのピッチングを見ると人気下降は必至と思っていたが、長いペナントレースを戦う上では得難い戦力であるようだ。来年は大谷翔平投手が大リーグデビューする。向こうでは彼のことを “two-way star” と呼んでいるようだ。かつてない「二刀流」でぜひ大活躍して欲しいものだ。

 芥川竜之介のユーモア

 先週末、宮崎に戻った。例によって新幹線と高速バスを乗り継いでの帰郷。宮崎から新八代までの帰途の高速バスは珍しく満席だった。台風が近づいており、空の便を心配して陸路を選択した県外からの来訪者が多かったみたい。この路線がいつも活況だと宮崎の観光も明るいのだが・・・。
 ところで宮崎を発つのは午後5時前だったが、台風の北上を予感させる曇天。宮崎ではあまり見かけない陰鬱な雰囲気だった。大袈裟な形容をすれば、地球の終わりが来るとすればこういう空模様かと思うほどの陰惨さ。年齢とともに健康が衰えていく姉たちを見舞ったことも幾分気分を沈痛にしていたかもしれない。
                 ◇
 気分が少し沈んでいたのは岩波文庫の近著『芥川追想』(石割透編)を読んでいたことも一因したかもしれない。書店で中国物を物色していて『芥川竜之介紀行文集』(岩波文庫)に行き当たり、延長線上で『芥川追想』を読むに至った。
 『芥川追想』を読んで、この明治末期から大正時代を駆け抜け、昭和2年に自死を選択した作家の人柄にひかれた。睡眠薬自殺に臨んで彼が記し、今も我々の記憶に残っている「将来に対する唯ぼんやりした不安」という表現とともに、我々がよく目にする作家の遺影のイメージから、この作家が何となく「クール」な性格の人物という印象を私は抱いていたが、この追想記を読むと、芥川が来る人を拒まない心の温かい人物だったことが分かった。
 「彼の如き高い教養と秀れた趣味と、和漢洋の学問を備えた作家は、今後絶無であろう。古き和漢の伝統及び趣味と欧州の学問趣味とを一身に備えた意味に於て、過渡期の日本における代表的な作家だろう。我々の次ぎの時代に於ては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現われることなどは絶無であろうから」と盟友、菊池寛は書いている。
 『芥川竜之介紀行文集』では1921年に「大阪毎日新聞」から中国の上海、北京などに視察員として特派された折のルポ「上海游記」が興味深かった。例えば、湖心亭という茶館のそばの池で一人の支那人が悠然と小便をしているのに出くわしての述懐。菊池寛は自分(芥川)が下等な言葉を度々使うと指摘していることを紹介した上で、「しかし支那の紀行となると、場所その物が下等なのだから、時時は礼節も破らなければ、溌溂たる描写は不可能である。もし嘘だと思ったら、試みに誰でも書いて見るが好い」と述べている。
 当時の日本人にとって支那が「下等な地」と見なされていたことを改めて知り、私は複雑な心境となった。夏目漱石の中国紀行の文章を読んでも、似たような記述に何度か遭遇する。
 「上海游記」にある次の描写。芥川が上海在住の著名な思想家を訪ね、その高説を傾聴した際の記述で、彼はこの時、薄着をしていたので寒さがこたえたようだ。「私は耳を傾けながら、時時壁上の鰐を眺めた。そうして支那問題とは没交渉に、こんな事をふと考えたりした。————あの鰐はきっと睡蓮の匂と太陽の光と暖な水とを承知しているのに相違ない。して見れば現在の私の寒さは、あの鰐に一番通じる筈である。鰐よ、剥製のお前は仕合せだった。どうか私を憐れんでくれ。まだこの通り生きている私を。・・・・・
 こういう文章に出合うと、私は芥川への親近感がさらに増してくる。

Just gutsy!

 あまり野球のことばかり書きたくないのだが、いいゲームを見せられると、これは致し方ない(かと思う)。木曜早朝(日本時間)の大リーグ、アメリカンリーグのプレーオフ優勝決定戦第5戦がそうだった。先発の田中マー君は7回を3安打8三振無失点の力投を演じ、ニューヨークヤンキースを勝利に導いた。これでヒューストンアストロズとの対戦成績を3勝2敗として、ワールドシリーズへの進出にあと1勝にこぎつけた。
 マー君は今年一年、特に前半戦ではピリッとしない投球が続き、辛口のヤンキースファンから猛バッシングを受けていた。私はケーブルテレビの生放送で彼のピッチングを見ていて、これではこき下ろされても仕方ないと思っていた。終盤にきてやや持ち直していたが、プレーオフに入って俄然、彼の秘めたる力を発揮した。特に木曜のゲームは出色だった。
 大リーグのホームページに掲載されている試合後の戦評をざっと読めば、彼のパフォーマンスが味方の選手たちにどう映っていたかよく分かる。トッド・フレイジャー選手(三塁手)は次のように語っている。"He was just dominant. He does all this crazy stuff and then the ball just disappears on batters. I couldn't be more happy for him. He's a great guy, on and off the field. What a performance. Just gutsy. Big time win for him."(彼は圧倒的だった。何しろ投げる球が打者の前で突然消えるんだから信じられないだろ。彼のためにもこれ以上喜ばしいことはない。凄い男だよ。グランドの中でも外でも。何というピッチングだ、気迫だ。彼にとってもとても大きい一勝だった)
 この戦評の書き手は次のように記している。The normally stoic Tanaka didn't bother to contain his excitement, screaming and pumping his fist before jogging to the first-base line. In all facets, this is no time for holding back.(いつもはストイックなタナカはこの日は興奮を隠そうとしなかった。マウンドで声を上げ、ガッツポーズをして、ベンチに引き上げた。プレーオフの時期に至ると、感情を抑えるようなときではないのだ)
 私もまさに同感だ。シーズン中にヤンキースのベンチの様子が時々テレビで映しだされたが、マー君は仲間と談笑しているシーンはほとんどなかった。関係は良好なのだろうが、やはり苦手の英語がハンデとなっているのだろう。それだからこそ、彼がプレーオフで見せた気迫のあるプレーは仲間の評価を上げ、絆を強める。
 ところで、大リーグのホームページを閲覧すると、英語の勉強にもなる。例えば、この日のマー君の快投を紹介した記事の一つの見出しは、Masa-zero! Yanks blank Astros, lead ALCS 3-2 となっていた。田中投手のファーストネームである将大(Masahiro)と、彼が7回を零封したことをひっかけた文言だ。この見出しを実際に口にしてみると、書き手のユーモアが伝わってくる。
 ヤンキースがこのままワールドシリーズに勝ち進み、ナショナルリーグの覇者となる可能性大のロサンゼルスドジャースと対戦することになってくれれば、マー君とダルビッシュ有、前田健太両投手が投げ合うシーンが見られるかもしれない。日本人投手同士の対戦となれば、英語のネイティブにしかものにできない、さらに一ひねりした見出しが見られるかもしれない。それも楽しみだ。学生たちに授業で紹介できる傑作を期待したい。

友ありケニアより来たる

20171016-1508155794.jpg 東アフリカ・ケニアから懐かしい友人が来日し、先週末、福岡の私の元を訪ねてくれた。友人の名はデニス・コーデ氏。私が1980年代末、読売新聞ナイロビ支局に勤務していた頃、デニス氏は隣の共同通信社ナイロビ支局で助手として働いていた。
 最後に彼に会ったのは『ブラックアフリカをさるく』を書くためにアフリカ大陸を歩いた2010年。だから7年ぶりの再会だった。彼の印象はお互いに若かった頃からずっと変わらない。いつも笑顔のデニス君だ。福岡には3泊したが、現役時代の私なら市内のホテルに部屋を取って歓待していたであろうが、非常勤職の今の私にはそうもいかない。それで最初の2泊は私のアパートに泊まってもらった。
 彼が到着する一週間前からトイレ、シャワー室、台所などをきれいに掃除。布団や毛布を連日、ベランダで干した。マンションとは名だけの狭苦しい住まいが彼の目にどう映るか案じていたが、デニス氏は自宅のようにくつろいでくれた。
 福岡観光の定番、太宰府の天満宮にも連れて行った。新幹線でもない在来の電車の清潔快適な座り心地がいたく気に入ったよう。それ以上に彼の心を打ったのは、国内各地で人々が彼に示してくれている親切心だという。ますます日本が好きになったようだった。夕食は天神界隈のレストランで。彼は酒をやらない。それはいいのだが、豚肉とかスパイスが効いた食事もパス。刺身も大好物というわけではないので、いささか注文には腐心したが、現在のケニアやアフリカ一般の情勢などを語り合い、旧交を温め合った。
 デニス氏はケニアの恵まれない子供たちに手を差し伸べる福祉活動に参画しており、今回の来日はその延長線上の活動。デニス氏と語らっていて、改めて思ったのは、アフリカの窮状だ。ケニアはアフリカでは比較的安定した国だが、それでも部族融和など克服すべき課題は残っている。貧富の格差の解消は言うまでもない。1980年代末、地元紙「デイリー・ネーション」は一部3シリング(当時約30円)だった。私が再訪した7年前は40シリングに跳ね上がっていたが、現在は60シリングだとか。凄まじい値上がりだ。人々の給与がそれに見合って上がっているかというと、当然のことながら、そうではない。失業率も高く、犯罪、それも凶悪犯罪が増加の一途であり、単に往時を懐古していては申し訳ない。
 デニス氏はずっと政治活動にも積極的にかかわってきてもいる。彼は拙著『ブラックアフリカをさるく』の中で次のように語っている。「われわれがやらなければならないのは、有権者に投票によって政治を変えることができるということを教育していくことです。トライバリズム(部族主義)を利して議席を得ようとか政治的優位な立場に立とうとするような政治家は排斥されなければなりません」。残念ながら、まだそういう社会は遠い。
 ケニアでは今夏の大統領選が決着しておらず、今月下旬には再選挙が行われる予定だが、与野党、主要部族を代表する候補の対立が激化しており、2007-08年の前々回の大統領選で起きた流血の事態も憂慮されている。私はデニス氏と語らっている際、失礼ながらケニアのそしてアフリカの現状を “pathetic”(痛ましい)と何度も形容した。彼はそうした現状を打破する草の根の取り組みを続けており、デニス氏の努力がやがて結実することを心から願う。彼が土産にくれたケニアのコーヒーを有難く飲みながらこの項を書いている。

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