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英語でさるく 那須省一のブログ

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私食べる飯

 中国語と日本語は語順が異なる言語だ。中国語は基本的に英語と同様、主語(S)述語(V)目的語(O)の語順であり、日本語はそれに対し、SOVの語順の言語。我吃饭(私はご飯を食べる)。それでも、中国語が日本語と凄く似ていると思うことがある。
 最近の例からあげると————。她现在学习忙不忙?という文章。「彼女は今、勉強が忙しいですか」。漢字(簡体字)を見れば、実際の発音は分からなくとも、だいたいの意味合いは予測がつく人もいるかもしれない。私が指摘したいのは「学习忙」という個所。「学習(勉強)が忙しい」。英語だったら、“study busy” と続けるわけにはいかないだろう。韓国語もそうだが、この辺り、日中韓の言語に相当の近似性を感じる次第だ。
 もう一つは逆の例。主語や目的語を常に明示する中国語は日本語とは少し異質だと感じる例だ。她说她特别想见你。「(彼女は)あなたにとても会いたいと言っていました」。中国語では英語と同様、主語を明示する必要があるので、她(彼女)が二度も出てくる。丁寧に訳すと、「彼女は言っていましたよ、彼女はとてもあなたに会いたいと」とでもなるのだろう。日本語は話題の主(主語)が誰か分かり切っている場合は主語は言及されないことが普通だ。目的語もしかり。この辺りの「違和感」は慣れるしかないのだろう。
                 ◇
 我が国の政治は何だかなあという糞詰まりのような状態が続いている。世界からは緊迫したニュースが連日のように飛び込んでいるというのに。特に北朝鮮情勢は史上初の米北首脳会談が実現の運びにあり、蚊帳の外の日本はこれで大丈夫?と思わざるを得ない。
 一昨日夜NHKテレビをたまたま見ていたら、中国が習近平国家主席の指導の下、精力的に推進している「一帯一路」構想がアフリカでも着々と進んでいることが紹介されていた。中国は無条件の経済支援策でアフリカ大陸での存在感をますます強めているという。アフリカから報じられるニュースは最近では確かに中国の援助絡みのものが多い。
20180412-1523493541.jpg そのアフリカから、珍しく明るい話題が流れてきた。8日のジャパンニュース紙。ロサンゼルスタイムズ紙の記事の転電で、深刻な水不足に直面している南アフリカの南端、ケープタウンで市民が日常生活での水の使用を自制し、危機的状況を回避しているという話題だった。貧すれば鈍するで、他人のことなどまで気が回らない苦境にある人々が例えば、シャワーで使った水を水洗トイレで流すようにするなど苦労を伴う取り組みに積極的に励んでいるのだという。水問題の専門家は次のように述べている。”Everyone wants to be a superhero in the water crisis. It’s not a result of any one hero. It’s a result of city engineers fixing leaks and reducing pressure and the willingness of 4 million Capetonians to play their part.”(この水危機では誰もがスーパーヒーローになりたがっているが、一人のヒーローがもたらした結果ではない。地元の技師たちが水漏れを解決し、プレッシャーを軽減し、4百万人のケープタウン市民の協力があったからこそ実現したのだ)
 劇的な展開がある記事ではない。英雄的な人物が登場するわけでもない。日本の新聞の国際面ではこの種の話題が記事化されることはまずないだろう。英字新聞を読む価値・意義はこんなところにも転がっている。 

Sho-time!

 中国語を学習していて楽しく感じるのは、中高校生時分におそらく国語の授業で習った四字熟語が中国語由来のものであったことに改めて思い至ることだ。あまりに日本人の生活・文化に馴染んでいるため、我々はそういう歴史的経緯は普段ほとんど意識することはない。私はそうだ。また、そうした四字熟語、中国語では成語と呼ぶようだが、それが中国では若干異なるニュアンスで使われていることを知ると、興味はさらに募る。異文化の言葉(表現)が「語源」を同じくしても、やがて乖離を生じるのは不可避なことだろう。
 少し前には「起死回生」という成語について書いた。つい最近も中日・日中辞書を繰っていて、「朝三暮四」という懐かしい慣用句に出くわした。高校の頃の授業だったか、この表現を初めて学んだ時、意味するところはすぐに理解できたような気がする。猿たちが与えられる餌の数を朝の方を少なくしたら激高したので元に戻したら、総数が増えたわけではないのに増えたかのように喜んだという故事。はるか昔の授業では「目の前の利益に目を奪われて、事の本質を見失うことなかれ」と戒める警句だと教わったような気がするが、私の辞書には「変転きわまりない、ころころ変わる」と記されている。「考えや態度がくるくる変わること」に「力点」が置かれているようだ。日中の微妙な差異に留意しながら、四字熟語をできるだけものにしていきたい。
                  ◇
 大リーグでショーヘイ・フィーバーが起きているようだ。英語、いや米語にショー・タイム(Sho-time)という表現が定着するかもしれない。まあ本当にそこまでいくかはまだ分からないが、そうなってもおかしくなさそうなフィーバーぶりだ。それほど大谷翔平選手の活躍は衝撃的なものがある。彼が3試合連続のホームランを放った時に、向こうの実況アナウンサーが「オオタニサン!」と叫んだ歓喜の声が耳に残っている。日本では「さん」が「Mr」(Msもだが)に当たる敬称であることを米国民に印象付けてくれたことだろう。
 日本時間の8日(現地7日)は彼は指名打者で出場することはなかった。明日9日(現地8日)2回目の先発で起用されることになっているからだ。今度も好投を見せれば、ショーヘイ・フィーバーはますますボルテージが上がるだろう。大リーグのホームページでも連日、彼の話題が大きく扱われている。彼の投打の二刀流の活躍に魅せられたファンの一人は、彼のような野球選手は既存の呼称では不十分だとして、“hitcher” か “pitter” と呼んだらどうだろうとユーモラスに提案していた。まさかそうなるとは思えないが、アイデアとしては悪くない。
 エンゼルスのソーシア監督は当面、中6日で大谷選手を投手として起用し、その間の数日に指名打者として打席に立たせる意向のようだ。大リーグでは通常、ローテーションに入っている投手は中4日か中5日でマウンドに立っている。ペナントレースは開幕したばかり。あまり無理させずに段々と慣れさせていきたいのだろう。ソーシア監督のこの対応策は “erring on the conservative side” と表現されていた。「対応を間違うにしてもダメージのより少ない方を選ぶ」ということで、conservative という語がみそだ。ここでは「保守的」ではなく「控え目な」という意味合いか。「石橋を叩いて渡る」という表現を連想した。

Shotime!

20180402-1522671887.jpg 4月。私もようやく再びの仕事モードに。週1日、僅か2時限の授業だから仕事と呼ぶには気が引けるが、これも神様の思し召しだろう。与えられた仕事を精一杯こなすだけだ。
 空いている時間がある分、中国語と韓国語の独学に励むことができる。頼みとするのは我が国営放送、NHKラジオの語学講座。4月から新しいクールに入った。有難いのは新しいクールでまた初歩から教えてくれることだ。「まいにち中国語」は再放送ではなく新作の講座。テーマは「ゆったりとしっかり学ぶ中国語」。テキストをざっと見てみると、発音の基礎から鍛え上げて頂けるようだ。「まいにちハングル講座」も新作で、テーマは「読めると聞こえる!グンと伸ばそう読む力」。こちらも発音の基礎から丁寧に教えてもらえる。
 一般的には段々とハードルを上げていかないと語学力はつかないことは承知している。しかし還暦過ぎての独学の場合はあまり無理せず、ゆっくりマイペースでいいと思っている。その点、NHKの講座はぴったしカンカン。しっかりテキストを読めば、新しい語彙も確実に身に付くよう(だと私は感じている)。
                   ◇
 4月。球春の到来。自室がほぼ生活圏の私はあまりテレビに付き合いたくはないのだが、これだけは致し方ない。一昔前は海の向うの試合を日本のお茶の間で寝そべりながら楽しめることなど考えられないことだった。しかし、そのうちさまざまな制約が出てきてもっとお金がかかる時代が来ないとも限らない。楽しめるうちに楽しんでおいた方がいいだろう。
 今シーズンの目玉は何といっても大谷翔平投手。彼の一挙手一投足に多くの耳目が集まっている。スーパースターとは彼のような人物のことを言うのだろう。
 そう思っていたら、彼が所属するロサンゼルスエンゼルスの地元紙、ロサンゼルスタイムズ紙は大谷投手が見事、初勝利を挙げた1日の試合後のネット版で次の見出しの記事をアップしていた。“Angels' Shohei Ohtani has his flaws, but he also has the look of a future superstar” (オオタニは弱点もあるが、将来はスーパースターになっても不思議ではない)。大リーグでプレーできること自体、一流選手の証だろうが、誰もがスーパースターとなる可能性を秘めているわけではない。大谷翔平にはその可能性が大いにあるという。
 彼が初勝利をあげた試合。私も歴史的な試合を見逃すわけにはいかないと目覚ましを午前5時にセットして備えた。残念ながら目が覚めてテレビを付けると、すでに試合は4回を終わっていた。その時点で彼は相手のアスレチックス打線に3点を与え、3対2で負けていた。嗚呼、打たれてしまったか、とがっかりしながら、ゲームを追うと、彼の表情が生き生きとしている。負け投手のそれではない。すると味方打線が奮起、5回に逆転し、試合は4対3に。彼は5回裏を抑えて勝利投手の権利を手にし、さらに6回も三者凡退に封じた。
 自分に課せられた投球回数を終え、ベンチでナインの祝福を受ける光景が何度もテレビで流されたが、笑顔が満開のベンチからは彼がいかにチームメートに可愛がられているかがよく伝わってきた。エンゼルスが所属するアメリカンリーグ西地区はワールドシリーズを制覇したヒューストンアストロズが君臨する激戦区。ショウヘイの名が各球場で老若男女のファンから連呼されるのが日常光景となって欲しいものだ。

花は元気だった!

20180329-1522309196.jpg 台北を発つ時、夏の到来を感じていた。これから蒸し暑くなるのだろうなあと。福岡に戻ると、国際便が発着する空港玄関は桜の花が満開だった。まだ蒸し暑さはなく、空気がとても気持ちがいい。願わくはこんな感じの好天がずっと長く続いて欲しい。
 昨秋もそうだったが、旅をした後は少しく虚脱感に襲われる。私の場合は郷里に数日戻っただけでそういう気分に陥るが。今回の台北の旅の後もそうだ。花蓮の居心地が特に良かった。短期語学留学するなら花蓮のような地方都市がいいかもしれないと思った。花蓮で行った大衆食堂が近くにあったら、私はきっと常連になっているに違いない。自分で朝食(昼飯)作るより安上がりかもしれない。花蓮なら落ち着いてたっぷり勉強もできるのでは。いつか大学の仕事がなくなるのも目に見えている。そうなったら短期語学留学が現実味のある選択肢になる。もちろん台湾でなく、中国本土でもいいのだが、中国大陸は何しろ土地勘がないからイメージがわかない。
 帰宅して一息をつき、パソコンを立ち上げると、メールが届いていた。台北からでなくて上海から。台北の空港から市内へバスに乗った時、隣り合わせた女性だ。上海在住で台北に一人で観光旅行に来たとか。東京で働いていたこともあり、日本語が堪能だった。息子さんは英スコットランドの大学で学んでいると言っていた。私は中国語がもう少し理解できるようになったら、中国を旅して、いろいろ取材したいと思っていることを車中で彼女に伝えていた。そのことがあってか、彼女のメールの末尾は「上海に来られる時は連絡をください」と書かれていた。有難い!
                  ◇
20180329-1522309223.jpg 帰宅してマンションのドアを開けて嬉しいことが一つあった。それは旅の間中、案じていた花が比較的「元気」だったことだ。花は洗面器に水をたっぷりと張り、茎をその中に深く沈めていた。9日間ぐらいだったら、十分な水量ではないかと考えた。結果は?バラは花びらが少ししおれていたのがあったが、他の花々は概ね良好。「よくぞ耐え忍んでくれた。ありがとう」と心の中で声をかけ、新しい水を入れた花瓶に移し替え、陽光の降りそそぐベランダに置いた。
 去年の謝恩会でもらった花は信じられないほど長期間もった。今度はどうだろうか。長く私の目を楽しませてくれることを願いたい。花のある生活は潤いがある。(例によって私の腕では写真の位置を正常にできない。容赦あれ!)
                  ◇
 台北の旅でも断酒をほぼ維持した。昨日のこと。妹からラインのメールがあった。読むと、同じ部落(集落)出身の後輩のK君が自殺したという内容。私とは年も違い、個人的には全然知らないが、彼の高齢の母親は知っている。母親のショックは言葉にできないものだろう。
 私は同じ郷里で育ったK君の死が少しこたえた。個人的には言葉を交わしたこともないし、顔も覚えていない。それでもおそらく50歳は超えていただろう彼がなぜ自死を選んだのか。人生はこれから楽しい日々が待っているのに!そういうことに思いを巡らせていたら、無性に悲しくなった。それで大晦日に買い、残っていた焼酎をコップで2杯口にした。肴は乾き物。本来なら美味いはずが、昨夜はいい気分にはなれなかった。

台北(花蓮)再見(ザイジェン)

20180326-1522068807.jpg 花蓮を発ち、台北に月曜午後戻った。帰りは特急のような電車で2時間しかかからなかった。明日の飛行機の便は信じ難いほど朝早い。ネット予約だから致し方ない。それで花蓮に行く直前に桃園空港のそばのホテルを予約していた。台北駅を経由して下車した駅からホテルは歩くには遠過ぎたので、台湾に到着して以来、初めてタクシーに乗った。運転手さんにホテル名を書いたメモ帳のノートを見せて発車。
 ほどなくホテルに着いた。ここまでは良かったのだが、ノートを車内に置き忘れてしまった。私は近年、このような以前には考えられないミスをよくやる。情けないったらありゃしない。幸い、運転手さんから領収書をもらっていたので、チェックインをしようとしたフロントですぐにタクシー会社に電話してもらった。連絡がつき、ノートをホテルに届けてもらうことになったが、当然のことながら、また先ほどの駅からホテルまでの乗車料金を支払う羽目に。
 愚痴になるので書きたくはないのだが、台北で最後の夜を過ごすこのホテル。チェックインする段になって、地下鉄(MRT)なら市内から一本でごく簡単に来ることができたことを知った。駅名は「大園」(ダーユェン)。なぜそんなことが分からなかったのか。観光ガイド本やホテルで出回っている地下鉄の路線図にそこまで記載されていないからだ。私が定宿にしている台北市中心部のホテルのスタッフは誰もこの駅のことを知らなかった。何人かはそういう駅はないとも言った。これも台北らしいと言えば台北らしいと言えるのか?
 とまあ、最後は恥ずかしいポカを重ねてしまったが、台湾の人々に対する好感度には変わりはない。気持ちの良い日々を送らせて頂いた。また、近いうちに再訪したいと願う。
20180326-1522068847.jpg 最後に花蓮の印象を少し書いておきたい。それはこの市は台湾東部を代表する都市と聞いていたが、市内の中心部でも老朽化したビルや廃屋が少なからず見られたことだ。老朽化してだいぶ月日が経過したと思われるものもあった。眺めているこちらがもの悲しくなってしまった。もったいない!
 もう一つは花蓮だけに限らないことだと推察されるが、台湾ではお年寄りがとても大切にされているという印象を受けたことだ。お嫁さんだか娘さんがお年寄りの手を引いたり、お手伝いさんだかがお年寄りの車椅子を押したりしている光景をよく目にした。夜市でもそうだ。儒教の精神がまだ健全に息吹いているからだろうか。私にはもう真似したくともできないが、社会の在り方としてはお手本としたいと思った。
20180326-1522068918.jpg 花蓮で最後に食べた朝食も忘れ難い。お客の流れが絶えない街の食堂で適当に注文したのは、キャベツ餃子のような高麗菜煎包、小麦粉のクレープのような蛋餅(ダンピン)、それに冷たくて甘い豆漿(豆乳)の3品。これが何と72元(約270円)。はるか昔の学生時代の生協(学食)に戻ったような感覚。これで腹一杯になったのは言うまでもない。
 ところで明日の便は午前6時30分発。普通なら2時間前の搭乗手続きだから空港着は4時30分。午前4時には起きた方が良さそうだ。そんなに早く帰る必要などさらさらないのだが。いや可能ならばむしろもっと台北に留まりたい。ガイド本に掲載されている食べ物でまだ味わっていないものも沢山あるし・・・。

東大門国際観光夜市

20180325-1521983951.jpg20180325-1521983988.jpg 喫茶店からの帰途で目にしたのは山車行列。福岡で5月の連休時の恒例行事「どんたく」を思い起こすような賑わいだった。「天佑花蓮」という文言が見える。英語がよく通じず、詳しい事情は聞けなかったが、先月の大地震の慰霊・復興を祈願してのイベントのように感じた。大音響のスピーカーを積んだ車も通り、とにかく大盛り上がり。見物の市民もスマホやカメラをかざして写真撮影に余念がない。私も何枚も写真を撮らせてもらった。
20180325-1521984016.jpg ふと気がつくと、夜市が催される会場の近くにいた。正式には「東大門国際観光夜市」と呼ばれるらしい。まだ夕刻前なのでそう人出はない。夜のとばりが下りる頃は賑わうのだろうか、と思い、後で引き返してみようと思いながら、ホテルに戻った。
20180325-1521984052.jpg20180325-1521984099.jpg 辺りがすっかり暗くなった午後8時過ぎに再び、夜市に足を運んだ。原住民一條街とか各省一條街とか四つの街区に分かれて実に多くの店が並んでいる。屋台の裏手にテントがけのテーブル席が数多く用意されており、くつろいで食事ができるようになっていた。私の目当てはもちろん食べ物だが、家族連れで来た子供たちにはゲームが楽しみなようだ。ゲームは日本で言えば昭和30、40年代に流行ったかと思われるような素朴なものが多かった。
 私は肉を中心に目にとまったものを胃袋に収めた。豚肉か猪肉かよく分からないが、バーナーで丁寧にあぶったものが美味かった。竹筒に入った米も気に入った。海産物も豊富でエビやホタテを焼いてもらった。エビを食べている時は少しだけ焼酎を飲みたくなったが、ペットボトルのお茶で乾きを潤した。士林夜市でも思ったことだが、ここでは毎夜、このような人出で賑わうのだろうか。外国からの観光客だけでなく、国内各地からの訪問客も少なくないのだろう。しかし、台湾の人々は基本的にお祭りの雰囲気が好きなのではないか、また皆で外で食事するのが好きなのではないかと思えてならない。
20180325-1521984136.jpg 夜市の一画ではトランペットや管楽器による演奏会が催されていた。演奏しているのは懐かしい日本の演歌。さすがに日本語の歌詞まで「披露」されることはなかったが、地元の人々の耳にはどう聞こえているのか、気になって仕方がなかった。
 不思議に思って私とそう年の変わらないような男性に声をかけたら、この人は私と同じ日本人観光客だった。3回目の台湾訪問で、すっかり台湾が気に入り、今回は台湾全土をゆっくり一人で旅しているのだとか。「いいところですね。皆さん親切で快適に旅をしています」と彼は笑顔で語った。全く同感。
 「他に何か印象に残っていることありますか?」「そうですね。夜市のような場でも、酔っ払いの姿を見かけることがないですね」「ああ、確かに。言われてみれば、そうですね。どこか本で台湾はあまり飲酒の文化がない、と書いてあるのを読んだことがあります。それと関係あるかもしれませんね」
 旅先でも基本断酒の生活を続けている身には、酒がなくとも何の不便も感じない。それで彼に言われるまで、酔っ払いの姿を見かけることが皆無に近いことに全く気付かなかった。限られた経験だが、ここのテレビを見ていて、ビールのCMを目にしたことがなかったような気もする。日本では各社のビールCMがほとばしるように流れているのに。これも興味深いと言えば興味深い。

花蓮(ファリエン)に

20180324-1521900454.jpg 投宿していたホテルが週末は満室のため、土曜朝にチェックアウトを余儀なくされた。それでどうせならと、台北を抜け出してこれまで訪れたことのない土地に行くことにした。選んだのは東海岸の花蓮(ファリエン)。先月大きな地震に見舞われた地だ。到着した翌日に地元の女性二人と食事していて、花蓮の話題が出た時に、地震で観光客の客足が鈍っているようなことを聞いたので、それでは私もささやかな貢献をと思い立った次第だ。
 土曜日の早朝、台北駅から快速のような電車に乗った。台北から花蓮までは丁度3時間。出発後ほどなくして、私の左隣の空席に「ここ空いてますか?」と英語で声をかけてきた男性がいた。確か私の車両は指定席のはずで、「ええ、今のところ、誰も座ってはいませんよ」と答えると、彼は嬉しそうに腰を下ろした。
 これがきっかけとなり、終点の花蓮まで話に花を咲かせた。男性は会社勤めの59歳。高齢で健在の母堂は日本語を解するという。いい機会だったので、中国語に関し、これまで疑問に思っていたことをあれこれ尋ねた。例えば、私はこれまで「走」という字、これは中国語では「歩く」という意味だが、これを六画で書いてきていた。縦棒を突き抜けて書いていたのだ。中国語の辞書を見ると、どうも上が「土」で上下が分かれている。それで中国語では七画で書くのかと尋ねた。彼はそうですと答え、正しい書き順を示してくれた。その上で、若者の中には私のように縦棒を長くして、六画で書く者もいるとか。
 生まれも育ちも台北の彼はこの日は大学時代の友人と花蓮で落ち合う約束で来たとか。花蓮は海と山に囲まれ、空気もきれいですよと語った。メルアドを交換して別れた。この次は英語だけでなく、中国語で少しはやり取りしたいものだ。
20180324-1521900267.jpg さて、花蓮。ネットで予約した小さなホテルはチェックインまでだいぶ時間があり、出入り口が閉ざされていたので、散歩がてら海を目指して歩いた。途中、何台もの観光バスが停車しているのを見た。何気なくレストランらしき建物の窓辺を見ると、大勢の中高年の男女がランチを楽しんでいる様子。中に入って見ると、あまり見かけたことのないような大勢の食事風景。思わず、デジカメで撮影させてもらった。
20180324-1521900308.jpg 太平洋を望む海岸に到着。ベンチに座り、しばし黙考。日差しがあれば暑く感じるのだろうが、海から吹いてくる風が気持ちいい。近くではベトナム人らしき10人ほどの妙齢のご婦人たちがドレスアップして踊ったり、歌を歌ったりして羽目を外していた。どういうグループだろうかと質問を試みたが、会話がうまく回転せず、しつこく聞くのも失礼。いずれにしても、彼女たちはとてもハッピーに見えた。これも花蓮(台湾)ならではの光景か。
20180324-1521900343.jpg20180324-1521900390.jpg 帰途、「花蓮玫瑰石芸術館」という建物が目に入った。何だか気になったので、のぞいて見る。入場無料。花蓮が特産地のローズ・ストーン(rose stone)を展示してある。よく分からないが、日本語では「まいかい石」と呼ぶらしい。大理石のようなものだろうか。画家が墨絵でも描いたのでは思うような素晴らしい自然の造形にただただ驚く。
 そうこうするうちに午後3時となった。ホテルに引き返し、チェックイン。若い女の子が受け付けをしてくれた。親切な女性で喫茶店を尋ねると、お店まで一緒に歩いて案内してくれた。ホテルへの帰途、お祭りのような光景に遭遇した。

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