英語でさるく 那須省一のブログ
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英単語で世界を知ろう
- 2013-02-05 (Tue)
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立派な装丁の一冊の本が届いた。「キーワード55 英単語で世界を知ろう」という本で、掲載されている写真が実に素晴らしい。
共同通信社海外部の編集で、新聞協会賞を受賞している本だ。2011年1月から2012年9月にかけ同社が配信した記事「Let’s えいGO!」の一部を書籍用に加筆してまとめてある。アルファベットのAからZまで、それぞれの文字で始まる代表的な単語・表現が世界各国を舞台に紹介されている。
例えば、Cならchairで、教室で朗読をイスの上に立ってするミャンマーの子供たちのことが述べられている。所変われば品変わるというが、まさにその通りの習慣のようだ。記事では子供たちがイスの上に立つことで、普段とは異なる緊張感を覚え、朗読にも気合が入るように見えると書かれている。何となく理解できるような気もする。Pの項ではplastic bag。ビニール袋のことだ。これなど、普段の生活で手にしないことはないほど身近なアイテムだが、これが英語ではplastic bagとなる。プラスチックというと「硬い」イメージがあるが、ビニール袋もプラスチックなのだ。記事ではビニール袋を売って生活費を稼ぐアフガニスタンの子供たちのことが紹介されていて、彼我の生活の途方もない格差が垣間見える。
この本が私のところに送られてきたのは、私が2010年夏に西アフリカから書き送った記事も含まれているからだ。セネガルという国で人気のあるスポーツ「ベレ」のことを紹介した。日本の相撲に似ており、セネガルではサッカーと並ぶほどの人気。通りを歩いていて、偶然、ベレを楽しんでいる女の子たちを見かけ、デジカメで慌てて撮影した写真が掲載されている。めったにないシャッターチャンスを珍しく物にした一枚だった。
小学校や中学校の英語の教材となる充実した内容の本であることは間違いない。末尾に英語の発音に関して、注意書きが添えられている。これは英語教育に携わった者ならいつも苦労する部分だ。共同本では英語教育を実践している社の辞典に準拠して発音表記したと断った上で、例えば、danse(ダンス、踊り)は「ダぁーンス」、forest(森)は「ふォーレスト」と表記されている。太字がアクセントを示し、日本語と同じか近い音はカタカナ、違いが大きい音はひらがなで示してある。
上記の方法ではこれが精一杯の説明だろう。現実には「ダぁーンス」の「ダぁ」の「ぁ」は日本語にはない、cat(猫)の母音と同じ「ぁ」の音だ。「ふォーレスト」の「ふォ」は上の歯で下唇を軽く噛んだ「ふォ」だ。中学生はともかく、小学生にこうした違いを認識させるのは酷かもしれない。私などこうした日英の発音の違いは大学で英語を専攻して、音声学の講義を受けるまで全然知らず、初めてこうした違いを知った時は愕然とした。それまでは例えば、thank youも日本語と全く同じように「サンキュー」と発音していたのだ。
上記の本を読みながら、そんなことを考えた。妙案があるのかどうか分からない。
(写真は、共同通信社海外部編の「キーワード55 英単語で世界を知ろう」。理論社発行で定価5500円+税)
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お寒うござんす
- 2013-01-29 (Tue)
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前回の項を書いたのが新年1月の5日か6日のこと。早くもその1月が過ぎ去ろうとしている。これを後11回繰り返したら、もう翌年だ。いくら何でも早すぎまっせ、神様、と突っ込みの一つでも言ってみたくなる、このごろである・・・でもないか。
ずっと部屋にこもって翻訳の作業をしていることは前回に書いた。週末も含め、全く同じ生活。よって特段書くこともない。出かけるのはスーパーに日々の自炊に必要なものを買い物(最近の味噌汁の具は専らホウレンソウとアサリ)に行くのと、馴染みになった行き付けの小料理店を判で押したように、週に一度のぞくことぐらいだ。もうこんな生活がほぼ2か月続いている。遊び心は皆無に近い。やればできるものだ。以前に先輩のアパートにお世話になっていた時は家猫君がいて、時々遊んでくれていた。ここではベランダにやって来る雀たちがいるが、猫君と違い、じゃれついてもくれない。
それで、FM放送でほぼ終日クラシック音楽を流しながら、英語を日本語に落としている。この「落とす」という表現、何となく気に入っている。実際、一旦「落とす」と、なかなか「修正」「回復」が難しい。
友人、知人にたまにメールすることがあると、こんなに真面目に机に向かっているのは、学生時代を含めて人生初めてだなどと書き送っている。(売れない)作家になったような心境である。でも、不思議なことに決して侘しい生活でもない。第一、出て行くお金が少なくてこれは非常に助かる。仕事を終えて、毎夕、傾ける焼酎(黒霧)が実に美味い。東京や大阪と異なり、福岡は故郷の宮崎同様、20度の焼酎を売っている安売りの酒屋がある。これも前回書いたキャベツやちょっとした惣菜を肴にマグカップでぐいっとあおる。ささやかなことにも喜びを見い出すことのできる質に生まれついている。
そういうわけで、(そう呼べるか怪しいが)料理をしたり、食後に洗い物をするのも嫌いではない。特に鍋や茶碗を洗う時、下腹に力を入れてやると、いい運動になる(ような気がする)。何を食べても美味く感じる胃袋を持って生まれてことを亡きお袋と神様に深く感謝している。
実はブログ更新が滞っていたもう一つの理由がある。最近ふと、毎日どれだけ翻訳しているのかと思い、ざっと調べてみたら、A4の紙で数えて、5枚から6枚分ぐらいの量のようだった。英語自体は難解でないので大いに助かっているのだが、それでも、やはりこなれた日本語に訳すのは一苦労だ。そういうこともあって、ブログ更新の意欲が失せている。私の精神的キャパを超えている。
とは言え、もうすぐ2月。私の誕生月である。50代最後の年だ。2月生まれにしては寒さが苦手で早く寒気が緩まないかと願っている。先に読んだジョージ・オーウェルの伝記では、オーウェルは結核を病んでいたこともあり、冬が苦手で、特に2月は “the most detestable of months” (一年の内で最も忌まわしい月)と呼んで忌み嫌っていたという。2月生まれとしては複雑な心境になるが。
(写真は、デジカメに残っていた懐かしい猫君のスナップ。何を考えているのだろうか。人間より深遠なことを考えていたりして)
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キャベツ
- 2013-01-06 (Sun)
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新年。ずっと部屋にこもって翻訳の作業をしている。出かけることは稀。マンションの五階の部屋からは大好きなサウナのあるスーパー銭湯の入口に出入りする客の姿が良く見える。その向こうには決して嫌いではないパチンコ店のネオンサインが手招きしている。どうせ行っても、負けるのは目に見えている。「隣の客は良く出る客だ」と自分が考案した平成の早口言葉をつぶやくことになるだけだ。
そうした誘惑に負けず、日々、パソコンに向かい続けている。隔日の買い物と朝夕の食事を作るのがたまの息抜きになっているぐらいだ。ふと思う。新聞記者時代からもっと早くこんな生活を続けていれば、自分の人生ももう少しましなものになっていたのかもと。
でも、そういうやり直しがきかないのが人生だ。気づいた時点でリセットするしか手はない。世間的には還暦を目前にしてのリセットはどうかと思われるのだろうが・・・。
英国文学紀行本の編集作業も進めなくてはならないのだが、こちらはあまり進んでいない。先に書いたファイルの消失の「オマガ!」(Oh my God!)のショックは乗り切ったのだが、何となく、ぐずぐずしている。一つにはベースキャンプにしていたケンブリッジから送った書籍の荷物が届いていないこともあった。段取りが悪いから、どうでもいい本は手荷物で我が身と一緒に持ち帰って来て、向こうで購入して、どうしてもそれがないと加筆できない類の伝記や資料本を小包にして船便にしていたのだ。
その小包が二つ、正月明けにようやく届いた。首を長くして待っていた本の一冊は、ジョージ・オーウェルの伝記本。向こうではぱらぱらとめくった程度だった。『動物農場』や『1984年』など20世紀の英文学を代表する名作を残した作家の生涯を描いた伝記の著者と話をする機会があり、その縁で2003年に初版の出た伝記本を購入していた。色恋沙汰を含めた文豪の人間臭い面が詳述されており、にやつきながら読み始めた。
オーウェルは左派の立場から、ソ連(当時)共産党の全体主義に反対したのだが、資本主義、保守主義とも一線を画し、労働者階級との連帯を常に念頭に置いていた。イングランド人であることには誇りに思っていたようだが、食の好みはブルジョア的だったと紹介されている。いわゆる今に至るまで庶民の食事の定番とも言える、フィッシュ&チップス(fish and chips)が大嫌いだったという。もう一つ大嫌いなものがあった。茹でたキャベツ(boiled cabbage)の匂いだという。まあ、確かにフィッシュ&チップスは食べる分には美味いが、台所の裏から匂ってくる臭気はあまりいいものではない。茹でたキャベツの匂いは私には良く分からない。
私はキャベツは大好きだ。最近では夕刻、キャベツを沢山刻んでドレッシングをかけて焼酎のつまみにしている。実を言うと最初のころはあまり美味くないなあと思って食べていたが、ドレッシングをコラーゲンたっぷりのものに替えたら、これが大正解。いや、とても美味。文豪も美味いドレッシングでサラダで食していれば、キャベツが大好きになって、ひょっとしたら、1950年に47歳で病没することなく、もっと長生きしていたのではなどと、凡人は思う次第である。
(写真は、窓辺のベランダに毎日来てくれる雀たち。映像が不鮮明なのはご容赦を)
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ささやかな幸せ
- 2012-12-24 (Mon)
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今年もあと一週間で終わる。陳腐な表現だが、本当にあっという間に一年が過ぎてゆく感じだ。年を取るとともに、そういう表現があるとしたなら、「脳感速度」がいや増していくよう。来年の今頃はまた似たようなことを記していることだろう。
それはそれとして、再び福岡に落ち着いて、小市民的な幸せを味わっている。「小人閑居して不善をなす」と言うが、私の心境は「小人閑居して憮然とせず」だ。
初回の項で記したように、ある外国の小説の翻訳の仕事を引き受けた関係で、ほぼ終日マンションの部屋で過ごしている。新聞社勤務時代、仕事の延長線上で翻訳をやったことはあるが、今のように専念するのは初めてのこと。小説を読むのも好きだし、英語を日本語に訳すことも、文章を書くことも嫌いではないので、結構楽しんでやっている。
それでもずっとパソコンに向かっていると、多少疲れもするので、和室に積み上げられた段ボール箱の整理に取り組み始めた。(まだ、やってないの!と思わないで欲しい)。一日1時間。たいした読書家ではないのだが、本がやはり多い。本棚はすぐに埋まってしまった。仕方がないので、畳に積み上げているのだが、あれ、こんな本があったっけ、と手がとまることがしばしば。雑多な書類が詰まった箱からは懐かしい手紙や書き付けが出てきたりして、しばし、手を休める。私のような者でも女性からの通夜のある、いや、違う、艶のある手紙がないことはない。なんでこんなもの捨てないで取っておいたのだろうかと自問する。日付を見て、ああ、もう20年前のことか、俺はこのころ、何歳だったのか、などと計算しながら、過ぎ去りし日々に思いを馳せる。
それにしても、一向に作業が進まない。まあ、いい。時間はたっぷりある。この点に関しては「脳感速度」も危険信号を送って寄こさない。段ボール箱を漁っていたら、電子レンジが出て来た。あ、俺、こんなの持っていたんだ。記憶がすっかり飛んでいた。次から次へ忘れていたものが出てくる。うれしいような悲しいような。
取り出したいと思っていたCDプレーヤーが出て来た。表記と異なる段ボール箱に入れてあったため、探し出すのに手間取っていた。小さくても音響が素晴らしいので有名なメーカーの製品だ。これだけはすぐに手元に置いて、クラシック音楽に耳を傾けながら、仕事に精を出したいと願っていた。早速、これも箱の中から大量に出てきたクラシックのCDをかけて聴いてみる。思った通り、素晴らしい音響だ。
機嫌良く、パソコンに向かっていると、ピンポーンと玄関からチャイムの音が。はて、誰だろう。転居先を知っている友人、知人は皆無。ドアを開けると、笑顔の年配のご婦人が一人。最初は合点がいかなかったが、マンションの入ったビル(6階建て)の所有者、つまり、私の大家さんらしい。年末の恒例の挨拶で各店子に正月のお餅を配って歩かれておられるとの由。「あ、いや、ありがとうございます。餅大好きです。でも、大家さんからこんなことしてもらうのは初めてです。どうもどうも、恐縮です」
私が住む5階の隣人は両隣だけ。転居の挨拶代りに和菓子をドアのところに下げておいたら、両家から丁重にお礼を言われた。福岡(九州)は良かとこ倍、いや良かとこばい。
(写真は、こんな感じで仕事をしている。襖の向こうの和室はとてもお見せできない)
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銀鏡(しろみ)神楽
- 2012-12-19 (Wed)
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先週末、宮崎の奥深い山里の故郷に帰った。毎年12月14日の一夜限り、夜を徹して舞われる夜神楽を観るためだ。銀鏡神楽と呼ばれる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。人口減で年ごとに寂しくなっている地で、唯一と表現しても過言ではない、住民や出身者が心の拠り所としている恒例の行事だ。
子供のころが懐かしい。銀鏡神社の境内に夜店が出て、ささやかな小遣いで普段は味わえない屋台の食べ物や玩具を買うのが楽しみだった。博多から九州新幹線で新八代まで下り、高速バスに乗り換えて、宮崎駅前まで約3時間の旅。いつもならそこからレンタカーだが、今回は妹の車を借りて一路、故郷へ。オートマではなくミッションの車だ。西都市中心部を出ると、曲がりくねった道の連続。華麗にシフトダウンしながら、車を走らせた。過疎の集落に向かっていることもあり、行き交う車は少なく、いつもそうなのだが、物悲しい心境になる。
宮崎駅前から銀鏡までほぼ2時間。到着した時、残念ながら、雨模様だった。何とか、雨が上がってくれないものかと願った。雨に降られた夜神楽はほとんど記憶にない。神楽が舞われる舞台には青いテントが張ってある。雨は強まったり、弱まったりしていたが、一向にやむ気配なし。雨水がたまったテントの中央部が段々と下がってきて、こちらが気になって仕方がなかった。
それでも、祝子(ほうり)と呼ばれる踊り手の舞いに見入った。私のように久しぶりに帰郷した同郷のMさんが語りかけてきた。この人と顔を合わせるのは40年以上ぶりだが、お互いに子供のころの面影が残っているから、すぐに分かった。「よお、省ちゃん、久しぶりやね。元気しとったや。銀鏡の夜神楽はいいがね。俺はいろんなところで神楽を観てきたが、やっぱ、故郷の神楽が一番やわ。笛や鉦の音色が耳に優しい」。全くその通り。
祝子は昔は限られた家の男だけが成り手だったが、今ではそういうことを言っている余裕はない。山村留学で銀鏡に来ている子供たちも希望すれば舞える時代だ。
銀鏡神楽は式33番もある。私は途中で「退散」して、翌朝、再び神社に戻った。お目当ては32番目の「ししとぎり」と呼ばれる昔の狩猟の光景を再現したユーモラスな寸劇。神楽でこのような狩猟文化を伝える演目があるのはここだけだ。80歳代でも壮健な権禰宜(ごんねぎ)の濵砂武昭さんが見学客に「ししとぎり」の意義を説明。「その昔はひえや粟、陸稲が主食でした。猪を弓で狩るのは祖先にとっては娯楽ではなく、たんぱく質を補給する貴重な糧だったのです。だから、神楽では神様に猪を奉納していますし、猪にも感謝しています」と語っていた。
爺さんと婆さんが演じる「ししとぎり」も小雨に見舞われたが、見学者は方言が飛び交う珍しい狩りの寸劇を楽しんだ。雨にもかかわらず、県内外から多くの見学者が集まっていた。来訪者は延べでざっと600人近くに上ったのではないか。「ここの夜神楽は毎年12月14日に決まっているんだ。月曜だろうが日曜だろうが。他の神楽のように商売気にまみれてもいない」と語る見知らぬ客の話が背後から聞こえてもきた。私なんかより良く分かっていらっしゃる。夜神楽は来年は土曜日に当たるとか。願わくは好天に恵まれて欲しい。
(写真は上から、夜神楽の一コマ。水清き故郷の川。ユーモラスなししとぎり。どちらが爺さん役かは一目瞭然だろう)
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炊飯器の話
- 2012-12-13 (Thu)
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賃貸マンションとはいえ、「我が家」(3DK)に再び落ち着き、伸び伸びと過ごしている。思えば、この三年間、A地点からB地点へと移動の連続だったような気がする。特段のあてもない異国で、週末あるいは次週の宿の心配をしながら、旅をするのは甚だ心もとないものだった。安上がりが「至上命題」だから、ネットで安宿を調べ、場合によっては電話をかけ、辛抱強く値下げを交渉することもあった。
今は、そういう心配というか作業を全然しなくていいから、だいぶ気は休まる。移動手段も考えなくていい。動かなくていい。もっともこれからの仕事の心配をしなくてはならないから、性質的にはこっちの方がよっぽど深刻な問題だが。
それはさておき、気楽な「我が家」の和室は段ボールの山だ。大半は書物や衣服、小物の類だが、まだ、これらを片付ける「戦闘モード」に入っていない。そんなにものぐさではないのだが、まあ、どちらかというとものぐさかもしれない。
私がものぐさでないのは、自分できちんと朝食を作って食べていることぐらいだろうか。これはどんなに二日酔いの朝でも敢行している。いや、前夜から準備している。干し椎茸をお椀に入れ、水に浸し、翌朝、ちゃんと滋養豊かな椎茸に戻すことに着手しておく必要があるからだ。戻し汁も貴重な出しとなる。
これまでは味噌汁だけの朝食だったが、引っ越して数日後に、段ボールの中に炊飯器があることを思い出した。というか、ずっと脳裏にはあったのだが。三年もトランクルームに預けてあったし、まあ、そのうちにきれいに洗って使おうとぐらいに考えていた。ところが、やはり、家の中で過ごす時間が増えると、ご飯も食べたくなる。寒いと外出するのも億劫になる。
そんな事情で、炊飯器が入っていた段ボールを探し出し、取り出してみた。予想以上にきれいな状態で出て来た。洗わなくとも、そのまま使えるぐらいだ。(もちろん、水洗いして使ったが)。ご飯が炊けるのを待ちながら、ふと思った。「あれ、俺、この炊飯器どれだけ長い間、使っているのかな?」。よく考えてみると、はるか昔の学生時代からの付き合いだ。確か、亡きお袋だか長兄が「たまにはご飯ぐらい自分で炊いて食べろ」と買ってくれたような記憶が・・・。
いずれにせよ、18歳のころから使っているから、もう40年も経過していることは間違いない。いや、日本の電化製品は素晴らしい。日本の「ものづくり」の退化、劣化を憂える声も聞こえる昨今だが、1970年代前後には、このような素晴らしい電化製品が製造されていたのだ。いや、私がここで豪語することはないのだが。
この炊飯器はこの間、私と一緒にケニア、英国と海を渡り、一回の故障もなく、私の胃袋の面倒を見続けてくれているのだ。長い独身生活を裏書きするような話でもあるが、この炊飯器に関しては何ら恥じることはない。
とこうして、このブログを更新している私の背後からご飯が炊けたいい匂いがしてきた。凡人ゆえにささやかな幸運にも多大なる喜びを感じる次第だ。
(写真は、お礼を言いたい気分にさせてくれる長年愛用の炊飯器。ありがとう)
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気を取り直して!
- 2012-12-06 (Thu)
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三年にわたる海外漫遊(取材)の旅をようやく終え、今はまだ一息ついているところだ。「第二の人生」に向け、大いに実りある旅だったと思う。何よりも事故もなく無事こうやって新しいブログをスタートさせることができることを嬉しく思う。
「第二の人生」は最後の職場となった九州・福岡から歩み始める。この三年間、家財道具はトランクルームに預け、旅の間は高校大学時代の先輩の住居に居候させてもらっていた。この先輩の親切には頭が下がる。先輩は出張の多い人で、かなりの時間を彼が飼っている猫君と一緒に過ごした。時々気がつくと、棚に上がった猫君が、パソコンに向かったり、読書したりしている私をじっと見つめている。似たような口ひげを生やした私が一体何をしているのか不思議に思っていたのだろう。
先輩宅を引き上げ、近くのマンションに今月初め引っ越した。「自分だけの空間」を持つのは久しぶりだ。長いことトランクルームに預けていた家財道具一切を引き取った。取り急ぎ、大切なベッドを整えた。寒い。ガスヒーターを新たに購入した。私の健康の源(と自負しているの)は毎朝、干し椎茸から作って食している味噌汁。段ボールを開けて、食器や包丁、まな板などを取り出す。干し椎茸は故郷の長姉夫婦が山で丹精込めて作っている。さすがに英国の旅の期間中はこの味噌汁は作って食することはできなかった。毎朝食しているが、(私が作っても)美味い! そのうちにご飯も炊こう!
さあ、充電期間は終わろうとしている。とりあえずは、来春早々の刊行を目指し、「英国文学紀行」(仮題)と題した紀行本の加筆を急がなくてはならない。そのための補足的な読書も必要だ。シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を図書館から借りて読み終えたばかりだが、いや、面白かった。これまでは「女・子供の読み物」(失礼!)と考え、素通りしてきていたことを反省している。
ひょんなことから翻訳の依頼も舞い込んできた。こちらも実に読み応えのある小説だ。数日前から翻訳作業に入ったが、平易な英語で助かるのだが、それを日本語に落としていくと、これが案外時間がかかる。まあ、少なくとも当面は退屈することはなさそうだ。
ショックな「事件」もあった。先月中旬のこと。アメリカの旅以来の「戦友」だったノート型パソコンのファイルを何気なく「整理」していて、誤って、昨秋以来ずっと蓄えてきた資料をすべて「消してしまう」大失態を演じてしまった。今夏の英国・アイルランドの旅のインタビュー、資料、写真、メモ類などすべてのドキュメントがパソコンから消えた。専門業者にも尋ね、手をつくした(つもりだ)が、万事休すのようだ。一言で表現すれば、私のパソコンは昨年9月時点の状態に立ち返ってしまった。オマガ! ブログをやっていなかったら、本の出版など完全に「アウト」だっただろう。
これも人生か。亡きお袋はこういう時、「その失敗で本来ならもっと悲惨な事態がお前の身に起きるのを神様が免じてくれたんだよ。そう思えば、気も休まるだろう」と慰めてくれた。いや、案外、そういうものかもしれない。
◇
これから、このタイトルで身辺雑記的なブログを時折書いていこうかと思っています。
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