英語でさるく 那須省一のブログ
山仕事
- 2013-09-18 (Wed)
- 総合
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先週一週間、実家のある宮崎・西都の田舎に戻った。息抜きと福岡の残暑を逃れるつもりだったが、疲労困ぱいで帰福した。心地好い疲労と呼ぶべきものかもしれない。田舎では良く働いた。椎茸の原木を山の傾斜面に並べる作業に汗を流した。肉体作業は本当に久しぶり。都会暮らしで鈍った体にはこたえた。夜、居間で寝転がってくつろいでテレビを見ていたら、右足がつって立ち上がれなかった晩もあった。
私の田舎は山間部の古里で、実家から近い山中に長姉が嫁いだ農家がある。実家は母も長兄も故人となったので、最近では自然と長姉の家に足が向くことになる。義兄が入院中なので、長姉が手ぐすねを引いて待ち構えていた。「ほだ木」と呼ぶ、椎茸の菌を打ち込んだ原木を山の斜面に並べる仕事があったのだ。
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私はこのブログ欄でも何度か書いたかと思うが、自分の身体をこれまで辛うじて支えてきてくれたのは、長姉夫婦が自然の中で栽培している、栄養価の高い椎茸だと思っている。乾燥させた干し椎茸を水で戻して、味噌汁の具などにして食している。肝臓に優しい食材だ。乾燥させることで椎茸は生椎茸の何倍もの栄養を生むことになると言われる。
さて、長姉夫婦が苦労の末に椎茸を育ててきたことは認識してはいたが、今回はその苦労を身をもって味わった。9月の中旬だから、7、8月の猛暑のきつさはなかった。しかも、山だから麓よりも格段に涼しい。それでも、クリの木などのほだ木は決して軽くはない。乾燥しやすいように交互に積まれたほだ木を運搬機を使って運び上げ、斜面に整然と並べていくのだが、作業を始めると、すぐに汗が流れ出した。喉が渇く。氷を入れた水筒から水やお茶をごくごくと飲む。実にうまい。五臓六腑にしみわたる。実際、この美味い水が飲みたさに、自分は山仕事をしているのではないかとさえ思えてきた。
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長姉夫婦の子どもたちは、といっても、村を出て働いている成人だが、私よりはるかに頑健な体をしているから、週末に彼らが加わると、作業は各段にはかどり、予想していたよりもスムーズに仕事は終了した。今回据え付けたほだ木から椎茸が生えてくるのは来秋だという。それから5年から場合によっては7年先まで収穫が見込めるとか。原木を山から切り倒し、栽培地近くまで運び出し、適当な長さに切り、菌を打ち込み、乾燥させ、山の斜面に並べる。労力、手間暇がかかる仕事だ。収穫後に大金を手にするわけでもない。割に合わない仕事と言えるかもしれない。
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そうした椎茸を美味いと思っているのは人間ばかりではない。イノシシやシカその他の小動物が虎視眈々と椎茸を狙っている。過疎や高齢化のあおりで、イノシシが山里まで下りてきて、農作物も手痛い被害をこうむっている。私が車やレンタルバイクで山を上り下りしている時にも何度もイノシシが前方を駆けているのを目にした。一度は母親(?)に連れられ、3匹の可愛いウリ坊が道路を横切るのを目撃した。デジカメでの撮影はさすがに間に合わなかった。
(写真は上から、ほだ木の運搬作業。幸い好天に恵まれた。雨天ではこの作業はできない。たき火で肉や魚を焼いての昼飯も山仕事の楽しみ。整然と並ぶほだ木の列。すべての作業が終了して、疲れ果てた私。ああ、冷えたビールをおくれ!)
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南瓜(カボチャ)
- 2013-09-07 (Sat)
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この夏悩まされた猛暑もどうやら峠は過ぎたようだ。机の上にある温度(湿度)計の数値を毎日記録したメモ書きを見ると、先月末近くまで連日30度以上の数字が並んでいたが、九月に入ると、ほぼ毎日が30度の下だ。5日の木曜日朝には26.3度、湿度も52%と記してある。今朝(7日土曜)も28.5度に54%。これぐらいならしのぎやすい。これから予想される残暑が穏やかで推移して欲しいと願う。
会社に勤務している時は出勤さえすれば、エアコンの効いた室内で快適に仕事をすることができたが、フリーランスになった今はマンションの住居が言わば仕事場。経費節減の身にはエコライフを心がけねばならず、「職住近接」もそう楽ではない。暑さに雀もまいったのか、このところ、ベランダでさえずる雀の姿もあまり見られなくなった。
図書館に本を返却に行き、帰途、マンションの前で大家さんの姿を見かけた。挨拶すると、手にしたカボチャを「要りませんか」との由。以前なら丁重にお断りしただろうが、日々自炊の身にはありがたいお申し出。近くの家庭菜園で夫妻で栽培されているらしい。お礼を言って受け取り、早速、味噌汁の具にすることにした。
田舎育ちの私は実家でも亡きお袋が裏手の庭で栽培していた野菜の中に、カボチャがあったことをよく覚えている。取り入れられず、熟れ過ぎたカボチャが腐って垂れ下がっているのを目にした記憶も残っている。夕食にはおかずの煮つけか何かにカボチャがよく混じっていた。ニンジンやゴボウ、ダイコンなどと共にカボチャは苦手な野菜だったから、喜んで食べた記憶はない。時計を逆回しにして昔に戻りたいとは思わないが、そうしたお袋の味を素直に胃袋に収めることができなかったことは今もなお大いに悔いている。そんなことを考えながら、バレーボール大のカボチャの表面に包丁を入れた。いや、入れようとした。
おお、マイガッド! 固い。包丁の刃がカボチャの表面に食い込んでいかない。知らなんだ。生のカボチャがこんなに固かったとは。生憎小生の痛めた左手はまだ完治しておらず、包丁に思うような力を込めることができない。そのうちに左手に嫌な感じの痛みがさしてきた。いかん、いかん。でも、情けない。カボチャの皮がこんなに固いものであることを今頃になって知るとは。お袋はこんな固い野菜に包丁を当てていたのだ。許してくれやい、おっ母さん(と心の中で叫んでいた)。
端を削るようにして何とか包丁を入れ、その夜食べる分をそぎ落とした。夕食に味噌汁を作ることはあまりないので、カボチャに加え、玉ねぎ、ニンジン、白菜、豆腐に豚肉も入れてみた。朝の味噌汁なら必ず、戻した干し椎茸が「ベース」となるのだが、今回は間に合わず椎茸抜きでいつもより多めに煮込んだ。お味は? 美味! 食べながら、ああ、これは豚汁と呼んでもいいのではなかろうかと思った。料理のレパートリーが悲劇的に少ない私にはちょっとした「発見」だった。しめしめ。大家さんは冷蔵庫に入れておけば、このカボチャはかなり日持ちするとおっしゃっていた。あの大きさから判断すると、かなりの期間、健康的な豚汁が楽しめそうだ。
南瓜食む かみしめるのは 悔いと無知
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リズム
- 2013-09-04 (Wed)
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今夏は中型二輪の免許を取ることにしたと前項で書いたが、情けない。免許を取るのは今しばらく時間がかかりそうだ。
恥を忍んで記すと、あの項を書いた直後、教習を受けていたバイクから転倒し、左腕を痛打してしまった。停止する直前で減速していたとは言え、400CC(前項では勘違いから450CCと記した)のバイクから投げ出された。コンクリートの地面への転倒だから、体(頭)をかばおうとして、思わず左手をついたのがいけなかった。ずきっとする痛みが左腕に走り、残念ながら、教習はその日以来、休んでいる。
周囲には病院に行くことを勧められたが、骨折ではないだろう、捻挫か肉離れの類ではないかと自分では考え、薬局で湿布薬を買って張り続けている。それはいいのだが、転倒からもう三週間近くたつのに、まだ左腕の痛みが取れない。肩は大丈夫のようだが、手首が痛い。朝起きて、顔を洗おうとすると、左手が思うように顔のところに持っていけないこともある。シャワーを浴びて、タオルを両手で絞ろうとすると、「いててえ!」となる。左手に力が入らないのだ。それでも、少しずつ痛みが和らいでいる感じはするので、今さら病院もなんだなと思いながら、自然治癒を待っている。
このブログをアップする気力も失せてしまい、それ以来、怠けている。幸い、日常生活への大きな支障はない。鍋やフライパンを持つ時、左手では不安なので、何をするにも右手が必要という不便さはあるが。日課にしているスイミングにしても、クロールはさすがに控えざるを得ず、ひたすら、プールの中を歩いている。
そういう次第で気分が少しブルーだ。本来なら今月下旬から始まる大学の後期授業に向け、シラバスに手を入れ、具体的な授業方法も概ね決めたいと思っていたが、なかなか本腰が入らないでいる。これも実に情けない。これは今週中には片付けたい。続く
閑話休題。このところ日本文学の名作を暇に任せて読んでいることは先に書いた。正直、これも恥ずかしことだが、あまり読んだことがない作家、作品が私には多い。好きな英語表現に “Better be late than never” (「遅れても何もしないよりはまし」と私の辞書には載っているが、「死ぬまで青春」と理解したい)というのがあるが、まさにこの心境で臨んでいる。最近読んだのは林芙美子の長編『浮雲』と短編『風琴と魚の町』など。いや、実に存在感逞しい作品だった。もっと早く出合っておればと悔やまれた。志賀直哉の短編も手にした。こちらは何度か読んだことがあり、再読が多かった。再読とは言え、筋ぐらいは覚えているが、詳細はすっかり忘れているものもあり、『城の崎にて』『冬の往来』など、改めて明治・大正・昭和を生きた文豪のプロットの巧みさ、文章力に感銘を受けた。
志賀直哉の昭和2年、44歳の短編に『リズム』というのがあった。冒頭の文章(注)に引き付けられた。私はこれまで文化センターや大学などで英語を教えていて、「英語であれ、日本語であれ、いい文章にはリズム感があります。普段の学習でいいと思った文章に出合ったら、声に出して読んで、目と耳、体全体でその文章を味わいましょう」と説いてきた。文豪の文章を読んで、その意を強くした。これまでに出した翻訳本や紀行本など拙著に文豪の言うところの「リズム」があるかどうかは別として・・・。(続きあり)
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バイクの免許
- 2013-08-12 (Mon)
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今夏は中型二輪の免許を取ることにした。先週末、近くの自動車教習所で入校式を済ませた。普通自動車免許で乗れるのは50CCの原付だけであり、原付バイクは高速道路を走ることはできない。中型二輪の免許を取り、250CCぐらいのバイクに乗りたいと思っている。これなら、時に福岡から宮崎の田舎に九州自動車道を疾走することも可能だ。非常勤講師をしている大学への通勤にも利用できる。
まだ、初回の教習を受けたばかりだから、何とも言えないが、教習でまたがるのは450CCのバイク。こかすと起こすのが大変だ。実際、初回の教習でまたがろうとしてバランスを崩し、バイクもろとも倒れてしまった。格好悪いこと、この上ない失態だ。幸い、一緒に教習を受けたのは私より少し年下かと思われる中年男性が一人だけ。あまり赤面することもなかった。
バイクの簡単な説明を受けた後、初回から低速で走ることを求められた。バイクに乗るのは何十年ぶりのことか。もっとも、私が学生時代に乗っていたのは小さな原付バイクだった(この時もたまにこけた)。教習のバイクはマニュアル車だから、スムーズなギアチェンジも一苦労。周回コースを走っているうちに昔の勘みたいなものは戻ってきたが、はてさて定められた17時間の教習時間で「独り立ち」できることやらおぼつかない。
「いい年をして今更バイクなんて!」という周囲の声が聞こえないでもない。だが、実際、バイクがあれば、行動半径がぐっと広がる。振り返れば、過去3年行ってきた海外の取材の旅だって、アフリカはともかく、アメリカやイギリスだったら中型二輪で快適な道行ができたのではないかと思っている。列車やバスの公共交通機関を利用しての旅は楽と言えば楽だったが、小回りが利かず、不便なことも多々あった。遅ればせながら、バイクのきちんとした免許を取り、これからの人生に弾みを付けたい。(と本人はほどなく中古のバイクを購入することを念頭に置いている)
バイクが欲しいのは福岡から宮崎の田舎まで九州自動車を利用すれば、戻るのが便利なことも理由の一つだ。人吉インターで下りれば、熊本県境の山道を通って、私の実家がある村まで一っ走りだ。といっても、くねった山間部の道を走るので、簡単な一っ走りではないが、高速バスを利用した時には余儀なくされる最終地点の宮崎市まで行く遠回りは避けられる。これまでも何回か、高速バスを人吉インターで下りて、レンタカーを借りて、田舎まで帰ったことがある。
バイクを入手することによって、田舎にしばしば戻ることも可能になるではと期待している。田舎の幼馴染と会うことや、長姉夫婦の農作業も少しは手伝うことも。他に期することもあるのだが、実行できるかどうか自信がないので、ここに記すのは控えておこう。
余談だが、数年前にレンタカーを借りた時、停車して車のキーが抜けず、レンタカー会社に困って電話したところ、「(キーは)今パーキングに入ってますか?」と問われ、「(今停車しているところは)駐車場ではありませんが、スペースはあるから問題ありません」としばし頓珍漢な問答をしたことがある。自分のバイクならそういう事態はあり得ないだろうかと思う。
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ワシントン・ポスト紙売却
- 2013-08-07 (Wed)
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アメリカから二つの興味深いニュースが飛び込んできた。一つは米国を代表する有力紙の一つ、ワシントン・ポスト紙が身売りしたというニュースだ。買い手となったのは米インターネット通販大手のアマゾン・ドット・コムの創業者で最高経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾス氏(49)。売却金額は2億5千万ドル(約245億円)だという。読売新聞の報道によると、ベゾス氏の推定資産は280億ドル(約2兆7千4百億円)。買収額はその1%弱だと書いてあった。想像もつかない金額だが。
ポスト紙の売却は長年の部数減に歯止めがかからず、今後も営業収益の改善が見込めこないことから、決定に至ったものだという。読売新聞によると、販売収入が6割近い日本の新聞産業と異なり、アメリカの新聞各紙は広告収入に大きく依存しており、各企業の広告費削減やインターネットメディアとの競争で厳しい状況にあるという。ポスト紙をファミリービジネスとして代々経営してきたドナルド・グラハムCEOは「我々の経営下でもこれからも十分サバイブすることはできたであろうが、我々はサバイバル以上のものを求めている。(ベゾス氏への売却が)成功を保証するものではないが、(ポスト紙の)成功へのチャンスをより広げることになる」と売却理由を語った。
インターネットメディアの台頭で伝統的な活字メディアが苦戦しているのは周知の事実とは言え、名門ポスト紙の身売りは衝撃度が異なるように思える。アメリカの活字メディアが大きく変容していく「分水嶺」となるような予感もする。日本の新聞産業にはどう波及することになるのだろうか。
もう一つのニュースは禁止薬物スキャンダルで揺れる米大リーグにまつわるものだ。大リーグ機構(MLB)はニューヨーク・ヤンキースの強打者アレックス・ロドリゲス選手(38)を含む13選手に対する、禁止薬物規定違反での出場停止処分を発表した。最も重い処分はA-Rod(エイロッド)とも呼ばれるロドリゲス選手で、今月8日以降の今季残り試合と来季全試合の計211試合のプレーが禁じられた。
エイロッド選手は “the highest-paid player in baseball” と称されるプレーヤー。2007年のシーズン終了後、ヤンキースと10年総額2億7千5百万ドルの契約で残留している。今回の報道で再びこの数字に出合い、エイロッド選手の「価値」が米政界ひいては世界政治に大きな影響を及ぼす有力紙の売却額とほぼ同額だったことに少し考え込んでしまった。
エイロッド選手は昨年のシーズンオフに股関節を手術して故障者リスト(DL)入りしており、その復帰がMLBの処分発表と重なった。彼は処分に対しては異議を申し立てる方針であり、調停機関の裁定が出るまでは試合に出場できるとか。シカゴでの試合に出場したエイロッド選手にはバッターボックスに入る度に観衆から情け容赦のないブーイングの嵐が起きた。観客席では少女が “A Rod Cheater” (エイロッドは詐欺師)と手書きした紙を掲げているのも目に入った。
エイロッド選手はこれからもあの大ブーイングの嵐に抗して、バッターボックスに立ち続けることができるのか。普通の神経では耐えられないだろうと思う。
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お言葉ですが
- 2013-07-31 (Wed)
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今の世に生まれて良かったと思う時がある。それは江戸時代のような主従の厳しい不条理の世に思いを馳せる時だ。
菊池寛の作品を読んでいて、そのことを思い出した。『忠直卿行状記』。江戸時代初期、越前藩主だった松平忠直卿が臣下に対する不信から過ごすことになるすさんだ日々を描いた小品だ。主君に粗相をしたので、切腹してお詫びする、主君のご機嫌を損じたので夫婦共々自殺するという、今からは到底理解できない武家社会が描かれている。時代を遡ればどこの国でも見かけられた因習かもしれないが、やはり、やり切れないものを感じざるを得ない。
赤穂浪士の討ち入りの話も昔から納得のいかないことがある。主君の仇討ちをこぞって強いられる家来も哀れだが、それを果たした末にお上から自死を迫られるのは、私などにはたまらない話だ。美談どころではなくなってくる。昭和(平成)に生まれて(生きて)良かったと思う。今の世の醜悪なることは江戸時代に比べるものもなく、私自身の存在そのものがそうした醜悪さの一因となっていることなど露知らないとしてもだ。
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そう思いながら、毎朝自宅に届く英字新聞のThe Japan News(旧The Daily Yomiuri)を読んでいると 、スポーツ欄に興味深い記事を見つけた。北米カナダで行われていたゴルフのカナディアンオープンでブラント・スネデカー(米)が優勝を飾ったという記事だ。面白いのは、予選をトップ通過していたハンター・メイハン(米)が後半の決勝ラウンドを突如棄権していたことだ。愛妻の出産に立ち会うためだったという。さすが、アメリカと言うべきか。時代は異なるが、彼我の違いを考えさせられるエピソードだった。
英字紙によると、スネデカー選手は「カンディ(メイハン夫人)にお礼を言わなくちゃ。彼女が予定日より早く分娩に入らなければ、ここでこうやって優勝トロフィーを手にしているかどうか分からない。ゾーイ(新生児)には私から素敵なプレゼントを贈ることにしている」とユーモアたっぷりにメイハン夫妻に謝意を表した。(“Zoe will be getting a very nice baby gift from me. I can’t thank Kandi enough for going into labor early. I don’t know if I’d be sitting here if she hadn’t. But that is a way more important thing than a golf tournament. I missed a golf tournament when my first was born, and it was the best decision I ever made. I’m sure Hunter would say the same thing.”)
菊池寛の作品を読んでいて思ったことをもう一つ。『青木の出京』という短編で次のような文章があった。―― 彼はその瞬間、青木に対する自分の従僕的な位置が転換して、青木に対して、彼が強者として立って居るのを見出した。――
私は大学で学生に英語を教えている。例えば、When I entered the room, I found her crying at the corner. という英文を学生に和訳させるとする。学生たちはほぼ間違いなく「私が部屋に入った時、私は彼女が隅で泣いているのを見出した」と訳してくる。(もっとも、菊池寛だけでなく、芥川龍之介の作品でも似たような表現に出くわした。彼らが接した当時の英米文学の影響ではないかと私は個人的に考えている=続きで)
これに対して、私は「彼女が隅で泣いているのに気付いた」あるいは単に「彼女は隅で泣いていた」と訳したって構わない、そちらの方がより自然な日本語だと説明している。「found=見つけた、見出した」という硬直的な訳はやめようと。
大正・昭和初期の文豪たちに盾突くつもりは毛頭ない。
(写真は、スネデカー選手の勝利を伝える The Japan News の紙面)
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『真珠夫人』
- 2013-07-29 (Mon)
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電子辞書に搭載されている「日本文学百選」。海外の旅でも結構重宝したが、今も暇つぶしにはありがたい存在だ。元々、英語の辞書として購入したのだが、広辞苑や百科事典の機能もついている優れものだ。以前にも書いたことがあるが、海外の旅の道すがら、ブログをアップしたが、多機能の付いたこの電子辞書なくしてはとてもああいう「芸当」はできなかっただろう。
「日本文学百選」には「遠藤周作」は収録されていない。収録されているのは古い時代の作家ばかりのようだ。スクロールしていて「菊池寛」にぶつかった。ずっと以前、中高生のころか、国語の教科書でどこかで『恩讐の彼方に』という作品を読んだような記憶がある。いや、勘違いかもしれない。電子辞書にはこの作品のほかに、『真珠夫人』という長編が収録されていた。読んだことのない作品だ。タイトルはどこかで目にしたような気もするが。
「魅惑的」なタイトルにひかれて、読んでみた。各章に題が記されていて、第一章は「奇禍」と題されている。登場人物の一人の妻の描写の場面で「顔全体に現はれてゐる処女らしい含羞性」というくだりでは「含羞性」に「シャイネス」というルビが振られている。さすが京都帝大の英文科で学び、英語に明るかったことがうかがえる。この他にも随所で英語のルビが付いていた。この作品が大正九年(1920年)に大阪毎日新聞と東京日日新聞に新聞小説として連載された当時は斬新な手法だったのだろうと推察される。
私はこの時期の作家群像としては菊池寛より一世代前の夏目漱石の作品を愛読していた。特段菊池寛の作品に関心があったわけではない。遅ればせながら、『真珠夫人』に出合って良かったと思った。第一、面白かった。金の力で自分の人生を狂わされた美貌のヒロイン、瑠璃子嬢が裕福な未亡人となり、その金の力で前途有為な若者たちを翻弄する。新聞小説が隆盛の時代に、読者の熱狂的な支持を得たのも容易に想像できる。
当時の、いやおそらく今の社会規範から見ても、疑問視されるであろう、瑠璃子嬢の生き方をなじる作中人物に対し、彼女は次のように語る。「妾(わたくし)、男性がしてもよいことは、女性がしてもよいと云ふことを、男性に思ひ知らしてやりたいと思ひますの。男性が平気で女性を弄ぶのなら、女性も平気で男性を弄び得ることを示してやりたいと思ひますの。妾(わたくし)一身を賭して男性の暴虐と我儘とを懲してやりたいと思ひますの。男性に弄ばれて、綿々の恨みを懐いてゐる女性の生きた死骸のために復讐をしてやりたいと思ひますの・・・」。私はこの異議申し立てに返す言葉を持たない。
菊池寛の作品をもっと読みたいと思って、近くの図書館に出かけ、菊池寛全集の何冊かを借り出して今読んでいる。文藝春秋社を創立し、文壇の大御所と呼ばれた作家の人となりが行間からあふれているような短編が特に読みやすい。『無名作家の日記』とか『葬式に行かぬ訳』とか。博打におぼれて一代で祖先伝来の身上を潰した庄屋の祖父の話の『勝負事』は笑ってしまった。いつか私もギャンブルにまつわる小品を書いてみたいと思っているが、私などがそうした「枯淡の境地」に到達するのはこの身を焼かれる直前のことだろう。いや、それとて、望むべくもないことかもしれない。
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