英語でさるく 那須省一のブログ
聖書
- 2013-04-03 (Wed)
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早くも四月。今日は晴れやかな気分だ。昨年来より少しずつ進めていた新刊「英国文学紀行」の編集作業が本日、すべて終了した。後は印刷を待つばかりとなった。肩の荷が一つ下りた。アフリカ、アメリカ、英国及びアイルランドへの旅を中心に過ごしてきたドン・キホーテ的な三年間がこれで真実完了したと思っている。あと二週間と少し経てば、このブログで新刊の案内ができる運びだ。
それはさておき、さあ、これから、第二の人生を歩んで行ける、いや、行かなくては。というわけで、遅ればせながら、段ボールに入った古い書籍を片付けていて、とある一冊の本が目に入った。アメリカで出版されたThe Way (The Living Bible) というタイトルの聖書だ。この本はずっと頭の片隅にあった。思い出の詰まった本だからだ。若毛のいや若気の至りでアメリカに留学していた40年前に、お世話になったキリスト教会の邦人の牧師さんから、「那須君、これは若者向けに書いてある聖書だ。読むといい」とプレゼントされた本だ。
あれから40年。厚顔の美少年?も還暦を目前にした年となった。この本は時々開いて読んではいたが、まとまった時間をこの本の読書に充てたことはない。辛うじて読んだと言えるのは旧約聖書の頭に出てくる創世記(Genesis)と、マタイ伝(Matthew)、ヨハネ伝(John)、新約聖書を締め括る黙示録(Revelation)ぐらいだろうか。英米文学を読んでいると、聖書にまつわる記述が多く、本来なら初めから終わりまで目を通しておくべきだったのだろう。
日本のビジネスホテルでも、宿泊客のための「備品」として机の中に聖書を置いてあるところがある。旅先でそうした聖書を目にするたびに、上記の本のことを思い出してもいた。今ではカバーがぼろぼろになっているが、中身は何の問題もない。
よし、今年はぜひ、「恩義のある」上記の本を最初から最後まで読破しよう。そう思い、改めてこの本を手にしてみると、冒頭に聖書を時系列で読むにはこう読みなさいという親切なアドバイスが添えられているではないか。拾い読みしていたようなものだから、このアドバイスには気付かなかった。なるほど、そういう読み方もあるのか。それなら、長続きするかもしれない。このアドバイスに従って読むなら、最初に創世記の1から22までを読み、次にヨブ記(Job)、それから創世記の残りの部分を読み終え、続いて出エジプト記(Exodus)、詩篇(Psalm)の90、レビ記(Leviticus)・・・という順になっている。
改めて読み始めたばかりの印象を記すと、聖書は面白い。折に触れてこのブログで感想など書いてみたいと思っているが、いや、キリスト教信仰から程遠い不心得者だから、そういうことは遠慮すべきかもしれない・・・。
ちなみに私に上記の本をプレゼントしていただいた方は今、芦屋市をベースに世界中で布教活動をなさっている。「子羊の群れキリスト教会」という。私は時にホームページをのぞき、教会の方々のメッセージを拝読している。疲れた時には、彼らが制作した、神に感謝する賛美の歌をCDで聴き、柄にもなく、静謐なひと時を味わっている。
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久しぶりの関西・富山
- 2013-03-26 (Tue)
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徳島から大阪、京都を経由、富山・魚津まで訪ね、昨夕、福岡に戻ってきた。良く食べ、良く飲んだ旅だった。また、一段と太ってしまった。まあいい、これからは普段の「粗食」の生活に戻る。自然と体重も落ちていくだろう。
大阪ではアフリカ・タンザニアの旅でお世話になったKさんに再会し、アフリカの思い出に浸った。京都ではすぐ上の兄の家で日本酒を堪能した。魚津は東京・千駄木でスナックを営んでいたMママの手料理に舌鼓を打ちながら、隣家の親戚の一家の人も一緒に1年ぶりの話に花を咲かせた。隣家の小2の可愛いらんちゃんとは今ではすっかり仲良し。彼女には「三段あご」とからかわれた。そう言うお嬢も健康いっぱいのふくよかさなので、おもわず、「ふん、そっちはデブ夫人じゃないか」と応じてしまった。あの子にこういう冗談が言えるのも、あと1、2年だろう。
魚津からの帰途。新大阪経由の新幹線に乗車したが、結構混んでいた。通路にも乗客があふれ、空席を探すのは容易ではなかった。広島を過ぎた辺りでようやく空席を見つけた。よく考えると、今は春休み期間中か、家族連れが多かった。会社勤務を辞め、家庭のない身だと、こういう季節の移り変わりにも疎くなる。
読もうと思っていた本を大阪のホテルに忘れていた。新聞も読むところは読み、眠るのにも飽きた。パソコンはモデムの調子が悪く、ネットが通じない。ああ、まだ博多まではだいぶ時間がある、どうやって時間をつぶそうかと思案していて、電子辞書があることに気がついた。辞書の中に「世界文学100作品」と「日本文学300作品」が収納してある。アフリカの旅以来、車中で暇を潰す時に活用していた。そうだ。夏目漱石の名作「こころ」を英国の旅で読んで以来、途中で放っておいたことを思い出した。学生時代以来、文庫本で何度か読んだことのある作品。テーマがテーマだけに漱石の作品の中で特に好きなものではないが、読み出したからには最後まで読み終えないと。細部は忘れていることも結構あるものだ。
それで新幹線の車中で「こころ」を読みかけたところから読書。「先生」が「私」になぜ自死を選択せざるを得ないかを淡々と綴った手紙の部分だ。「「先生」が自死を選んだ大正3年(1914年)の作とあるから、ほぼ100年の歳月が流れている。
これまでこの作品を読んでも印象に残っていず、今回改めて気が付いた表現があった。「先生」が愛する妻に向かって冗談で言う、「もし自分が殉死するつもりならば、明治の精神に殉死するつもりだ」と答えるところだ。昭和に生まれた私の世代は、「昭和の精神」で育まれ、今、「平成の精神」に囲まれている。いや、そもそも「昭和」はともかく、「平成の精神」と呼べるものが果たしてあるのか・・・。
「私は酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから。それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います」という文言にもしばし、カーソルを動かす手が止まった。
(写真は、すっかりモダンになったJR大阪駅前)
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徳島再訪
- 2013-03-21 (Thu)
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徳島市を訪れた。丁度1年ぶり。ここで昨年に引き続き、英語での講演をするための訪問だ。今年は英国及びアイルランドの文学紀行の旅を振り返って拙い話をさせていただいた。集まった方々は50名ほど。ざっと20人近い方々とは1年ぶりの再会となった。にもかかわらず、なんだかずっと昔から知っている旧知の方々と再会したような雰囲気だった。残念ながら名前まで記憶している方は数名に過ぎなかったが。
この講演会は地元で国際交流の活動を展開している「ひろばインターナショナル」と英語に造詣の深い人々が集う「スピーカソン」というグループの共催。多くの方々が英語の達者な使い手であり、それゆえに英語での講演となった次第だ。
いや、手前味噌になるのは承知の上で書かせていただけば、Q&Aを含め、約2時間の講演、とても楽しくしゃべらせていただいた。『嵐が丘』のエミリー・ブロンテ、『人間の絆』のサマセット・モームなど、どちらかというと、英文学の主流からは離れた作家が中心となった感があるが、皆さん、辛抱強く付き合っていただいた。参加者の簡単なコメント用紙を後で読ませてもらったが、「面白かったです。英文学に興味が湧いてきました」「イングランドを旅しているような気分になりました」といった嬉しい感想が記されていた。
講演会の後は会場を移しての食事会。地元の冷酒を頂きながら、こちらも和気あいあいと進行した。上記2グループの主だった方々が全員、順番にテーブルスピーチを行い、講師の私を身に余る言葉でねぎらってくれた。結婚式で新郎新婦の人柄や仕事ぶりが来賓祝辞で賞賛され、その場に居合わせた人々が全員、真実に目をつぶり、一日だけの期間限定の人格識見ともに申し分のない「l秀才」や「才媛」が「誕生」するものだが、私は皆さん方のおほめの言葉を拝聴しながら、まさにそういう面映ゆい心境だった。
講演会前日の晩には有志が集まって、お寿司屋さんでウナギとお刺身を頂いた。さすが、徳島と言うべきか。出てくるマグロの厚みが半端ではない。ウナギは故郷西都に「入船」という名の絶品の鰻を食わせる店があるが、このお寿司屋さんではウナギの生の肝、まだ、ピクピク動いている肝が出た。ウナギの生の肝を見たのは初めてのこと。小中学生の遠い昔、山紫水明の故郷の川でウナギを金突き(魚を突く銛)や釣り針の仕掛けで捕ったことはあるが、生肝を食した記憶はない。集まった方々は女性が多く、生肝はどうもと遠慮されたので、私がありがたく、確か3個の肝を一人で頂戴した。 精がつき過ぎたのか、その夜は目が冴えて眠りに落ちるのに苦労した。1個で十分だったか。我ながら、贅沢なことを言っている。
「また来年も来てください。徳島を第二の故郷にしてください」と言ってくださった方もいた。これだけ気持ち良いお付き合いをさせていただくと、徳島訪問がこれからも癖になりそうである。はてさて、来年はどんな話で徳島の方々を楽しませることにしようか。そんなことを考えながら、徳島駅で大阪行きの長距離バスに乗った。
(写真は、徳島市での講演会の様子。その後の懇親会での記念撮影)
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痛い!
- 2013-03-18 (Mon)
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痛いまた痛い目にあった。パソコンを不注意から壊してしまい、データが破損してしまった。今、新しいパソコンでこのブログが書けるか試しているところだ。痛い。デスクトップに残しておいたデータが消えている。近々使う予定の大事なものもあった。ああ、痛い・・・
と書いて、購入したばかりのラップトップと格闘を続けた。データはこうした事故に遭ったものを修復するレスキュー会社に依頼して、高額の費用を払って何とか修復にこぎつけた。急いで購入したパソコンはウィンドウズ8が導入されている最新のもの。それはいいのだが、私のようなアナログ人間にはどうにもこうにも使い勝手が・・・。幸い、これまでの仕事で親しくなった出版社のS君にセットアップからデータの実際の回復までおんぶにだっこでやってもらった。
実は水曜日に徳島市で英語使いの兵(つわもの)の方々に英国文学紀行の旅を振り返る講演が控えていて、過去二週間程度、暇を見て、ブログで使った写真や記事を再利用する形でパワーポイントを作っていた。それはUSBメモリーに入れておいたが、関連の資料や音楽データなどはデスクトップに置いておいた。S君にだいたいのファイルを回復してもらった後、自宅に戻り、パソコンをいじってみても、デスクトップに置いていた結構大事な資料や文書はどこを探してもない。やはりデスクトップのものまでは回復できなかったのかとがっくり。講演の資料まだ最初から作り直す時間があるが、デスクトップから消えたその他の資料のことを考えると辛い。
レスキュー会社からもらった資料をぼんやり見ていたら、修復したフォルダリストにDesktopという文字が見える。あれ、これはあのデスクトップに置いていた資料が戻っているのではと思い、S君の方法をまねながらカーソルを動かしていたら、あった! きちんと修復されていた。オマガ! 神様に感謝!
思わぬ高額の出費を余儀なくされたことは痛い。ただ、一連の翻訳作業も終了し、比較的ゆっくりした時の事故だったから、良しとすべきか。再び亡きお袋の戒めを思い出した次第だ。「この程度で済んで神様に感謝すべき。本来ならもっと手ひどいことになっていたのを寛大に遇してくれたのだよ」と。「分かっとるばい、おっかさん!」
それで、もう一つ、思い出したことがある。英国文学紀行本の4月の刊行を目指し、今、ゲラ直しに励んでいるのだが、ちょうどダニエル・デフォーの “Robinson Crusoe”のゲラを読んだばかりだった。カリブ海の孤島で28年の無人島生活を強いられる男の物語だ。主人公ロビンソンが次のように述懐するシーンがある。もし自分ほどの困難にあえいでいる者が他にいるだろうかと嘆いている人がいるとしたなら、あなたよりもさらに苦境にある者がいることを思いなさい。神様の思し召しによっては、あなたは今よりもっと厳しい境遇にあったと肝に銘じるべきだと。(…those who are apt, in their misery, to say, “Is any affliction like mine?” Let them consider how much worse the cases of some people are, and their case might have been, if Providence had thought fit.)
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里帰り
- 2013-03-13 (Wed)
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久しぶりに宮崎の郷里に「里帰り」した。12月中旬の夜神楽以来だったから、3か月ぶりだった。目的は色々あったが、その一つは毎朝食している干し椎茸が底を尽きつつあったので、椎茸農家の長姉の家を訪ねて補給することだった。私の健康の礎となっているのは毎朝味噌汁に入れて食している椎茸だと思っている。亡きお袋に諭されて食べ始めたのがいつからだったか覚えていないが、気が付いたら、干し椎茸で味噌汁を作って食べることが一日の始まりとなっていた。
アメリカや英国の旅でも折を見て食べようと干し椎茸の袋を一つ、スーツケースの奥に潜ませていたが、さすがに利用する機会は残念ながら一度もなかった。味噌まではしのばせることができなかったからだ。私に料理の才があったなら、きっと、干し椎茸を使った料理でもしてお世話になった人を喜ばせてあげられただろうにと思う。せいぜいできたことは、現地の日本食品店で蕎麦と麺つゆを買い、ざる蕎麦を何度か作ってあげたことぐらいだ。それもゆで過ぎてあまり上出来とは言えなかったが、皆さん、これは美味いと少しばかり感激していただいた。
私の郷里は西都市の山奥にある銀鏡(しろみ)という地で、長姉の家はその銀鏡の中でもさらに山奥にある。子供の頃は細い山道を延々と歩いて訪ねたものだ。今は玄関先まで車で乗り付けることができる。
今回は妹の車で訪れた。一人で帰郷する時は、たまに人吉インターで高速バスを降り、そこからレンタカーで熊本県境を超え西米良経由で故郷に向かうこともある。行き交う車も少なく、普段ハンドルを握らない身には快適なドライブが楽しめる。
南大隅町の稲尾岳に登った直後だけに標高が気になった。義兄の家でどれぐらいの標高があるのか分からない。600㍍もあるのか。庭から周囲の山々を望む。小学生の時、遠足で上った烏帽子岳(えぼしだけ)が見える。あそこは標高1126㍍。近く山開きがあるという。山頂からは遠く宮崎市内や日向灘の海も見えるようだ。かすかにそんなものを見た記憶が残っている。よし、今年は登ってみよう。
夕食時には義兄がいつものように猪肉を炭火で焼いてくれた。山の幸は猪肉に尽きるのではないかとさえ思う。餅が大好きなので、姉が餅をついてくれた。姉の家では杵でつくから、ことのほか美味い。子供の時は餅がそんなに美味いとは思わなかったが、今では大好物だ。焼いた餅に醤油をかけて食べるのも美味いが、塩をまぶしてお茶をかけて食べるのもいい。最後に飲み干すお茶の味が何とも言えない。
長姉の家に着いた時、丁度、椎茸の乾燥作業が終わったばかりだった。あの匂いが好きだ。香水にならないものかと思ったりする。翌朝には生椎茸を大量に取ってくれた。これを福岡に持って帰り、オーブンで焼いて、焼酎の肴にする。贅沢な肴だ。昨晩もそうした。焼酎を少し飲み過ぎた。今晩も楽しみだ。
「命の洗濯」という表現があるが、長姉の家を訪ねるのは私には確かにそんな感じの年中行事だ。
(写真は上から、杵で餅をつく。取れたての椎茸はこんな感じ。烏帽子岳はほぼ中央に小さく見える山。頂上はそれでも1126㍍)
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野球の「音」
- 2013-03-07 (Thu)
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南大隅町の登山でびっしょり汗をかき、頂上では摂氏零度の寒さに震え、その夜は温泉のサウナで汗を流し、今度は浴衣で涼み過ぎたせいか、風邪をひいたようだ。幸いいつもの高熱ではない。微熱だ。普通の人なら正常な体温なのだろう。でも平熱が35.7度の私には36.2度でも少し辛い。月曜火曜とぼおーっと過ごした。そして昨日水曜。WBCの注目の一戦、日本対キューバの試合が福岡のドーム球場で行われる日だ。行かなくては。
ぼおーっとしたまま夕刻、地下鉄に乗って、福岡市の西にある球場に向かう。東京ドームは何度も行ったことがあるが、ここは初めて。球場の周りは大勢の人たちが詰めかけ、WBCの関連グッズの販売テントには長蛇の列ができていた。うぉ、凄いなあと思いながら、ドームの中に入り、座席を探す。一塁側内野席で前から14列目。結構グラウンドが近い。選手の細かい表情まではうかがいしれないが、申し分のない座席だ。東京からチケットを送ってくれた友人に感謝。
一緒に観戦してくれるいい人はいないので、先日までお世話になっていた高校大学時代の先輩と一緒に観戦。この先輩は野球のことはあまり詳しくないので、私がルールや選手の横顔などうんちくを傾けて解説して上げた。前半の好機を日本が逸した時点で、「あ、今日は負けだな」という気がし始めていたが、悪い予感通りの試合展開となった。私はギャンブルは全然当たらないが、この種の読みはよく当たる。
隣の中年夫婦の客とも語らいながら、ふと気づくと、試合が始まっても、私の周囲は結構空席が目立つ。全体的にも見ても大入り満員からは程遠い状況。隣席のご婦人は「地元のソフトバンクホークスのゲームだとすごく混むんですよ」と言っていた。日本、キューバともに東京での第2ラウンドに進出を決めていることも一因したのか、
WBCに出場している代表選手のプレーが楽しめのだから、文句は言えない。それであと一つ印象に残ったことを記す。野球本来の「音」が楽しめたことだ。
日本のプロ野球はお互いの応援団が外野席に陣取っていわゆる「鳴り物」で熱烈な応援合戦となる。それはそれでいいのだが、あの音響でピッチャーが投げる速球がキャッチャーミットに吸い込まれる小気味良い音がかき消される。強打者のバットが放つ快音もそがれる。私が知る限り、米大リーグでは鳴り物入りの応援はまずないので、そうした「音」を楽しめる。日本のプロ野球では無理な相談だ。
昨晩の試合は日本の攻撃中は例によって大音響での応援だ。稲葉選手が打席に立つ時の「稲葉ジャンプ」の応援に、キューバベンチは(これはそう思えたのであるが)目を丸くして外野スタンドを見やっていた。反対にキューバの攻撃となると、ドームは急にシーンと静まり返った。それであの「音」も戻ってきた。驚いたことに、キューバベンチから打者に送られる(スペイン語と思われる)叱咤激励の「声」も聞こえてきた。
「稲葉ジャンプ」もいい。運動不足気味の日本国民には必要な応援形態かもしれない。でも、野球本来の「音」も捨て難いかと思う。日本がもし運よく米本土の決勝ラウンドに進出したなら、「稲葉ジャンプ」も一緒に行くのだろうか?
(写真は、稲葉ジャンプの応援風景。隣のスーツ着た先輩も途中からジャンプしていた)
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稲尾岳参拝
- 2013-03-04 (Mon)
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いや、疲れ果てている。先程、鹿児島から九州新幹線で博多駅経由、在来線に乗り換えて、住まいのある東区の千早駅に降り立った。駅の階段を下りるのも一苦労。3日の南大隅町の打詰集落恒例の稲尾神社参拝、というか稲尾岳登山は過酷な山登りだった。
私にとっては今回が4回目の参加。決して楽な登山でないことは承知していたが、これまで他の参拝者に遅れを取ることなく、登山できていたので、そう案じてはいなかった。だが、現実には後悔一歩手前まできつかった。原因は分かっている。一つにはこのブログで既述の通り、過去3か月、マンションの一室に閉じこもり、翻訳作業に専念していたため、超の付く運動不足だったこと。もう一つ、2年ぶりの再会を祝い、懇意になった町役場職員のT氏宅で到着した土曜夜、大いに盛り上がったこと。ビールに芋焼酎。T氏の近所の3組の友人夫婦も加わり、楽しい「飲ん方」(この地方の方言、飲み会。宮崎では飲み方)となった。
ふもとから神社がある930㍍の山頂まで休憩時間を含め、2時間半で上るのだが、きつい勾配があり、私は途中からはあはあ、ぜえぜえ・・・。前夜の焼酎が体の毛穴から蒸発していく。勾配がきつくないところでも、足を滑らせると、下に落ちていく危険な場所も少なくない。鈍った体を気力で補い、頂上にたどり着いた時の喜びはひとしおだ。
毎年1回の恒例の山登り。この日の参加者は約30人。地元の人は少なく、集落外の南大隅町や近くの鹿屋市の登山愛好者の姿が目立った。無事参拝を終えると、ふもとまで下山して、集落の集会所で慰労会。集落のご婦人たちが用意した手料理や猪肉を肴に、焼酎をいただいた。嬉しいのは年に一回しか会わない地元の方々が私のような者のことも名前まで良く覚えていて、「お元気そうで何より。また来ていただき、ありがとうございます」と歓迎していただくこと。それと、鹿屋市の方々とも顔馴染みになっていて、「旧交」を温め合う。鹿屋の人たちは昭和18年の生まれの中学の同級生グループで賑やかな人たちだ。
福岡からゆっくり参加するとなると、どうしても二泊は必要で、移動距離も半端ではない。ただ、私はこれからも可能な限り、この稲尾岳参拝を続けていきたいと思っている。稲尾神社は祭神は不詳だが、平家の落人部落の伝承がある神社。私自身、宮崎の平家の落人部落の出身で、地元の人々は方言こそ違え、似ているのだ。妙に近しみを覚えてならない。故郷同様、ここも過疎化の問題を抱えている。この日の恒例の行事継続も集落外の人々の参加に負っているところ大だ。
正直に書くと、今年は個人的な思いもあっての参加だった。稲尾神社は霊験あらたかな神社。その根拠? 数年前の参拝で下山の途中、転んで右足首を捻挫したことがあった。一晩中腫れと痛みが取れず、難儀した。松葉づえでの出勤も覚悟して、うなされながらその晩は地元の旅館で寝た。今でも不思議に思っているのだが、一夜明けたら、捻挫が嘘のように快癒していた。遠いところ参拝に来たのを考慮して、祭神が憐れんでくれたのか。
私は寺社仏閣で自分のことをあまり祈ったことはないが、今回はそうさせてもらった。「計画している本が成功しますように」と。あ、でも足が張って痛い。これからしばらくはこむら返りが怖い・・・。
(写真は上から、目指す稲尾岳は中央左手の辺りの山。登山道入り口。登山途中。山頂の神社にようやく到着して食事。皆で笑顔の記念撮影)
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