Home

英語でさるく 那須省一のブログ

«Prev | | Next»

今年も稲尾岳詣で

20140303-1393845666.jpg
 今年もまた、先週末、鹿児島は大隅半島にある南大隅町を訪ねた。海にも面した山あいの地区、打詰(うちづめ)集落の恒例の伝統行事、稲尾神社参拝にお付き合いしたのだ。 麓から930㍍の険しい山頂に設けられた稲尾神社に集落の人たちが3月の第1日曜日に参拝する行事だ。途中3回の小休止を入れて、約2時間と少しで登り終える。正直きつい。私は今年で5回目の参加となったが、今年も疲労困憊となった。いや、今までで一番きつかったかもしれない。何しろ、この一年はパソコンに向かうことの多い日々。部屋から一日外に出ないこともある暮らしだ。英語表現だと sedentary(座業の)な暮らしだ。
20140303-1393845711.jpg
 それなりに準備はして臨んだ。靴は今まで一度もはいたことがなく、靴箱の隅に放っておいていたものの、靴底にギザギザが真新しいジョギングシューズを持参した。これなら勾配のある山道にも適しているかと期待した。(実際はスケート靴のようによく滑った)。リュックに替えの下着も入れて、頂上でのほっとしたひと時に冷えた体が風邪をひかないように配慮した。(これはグッドアイデアで効果を発揮した)。町役場に勤務する出迎えのT氏夫妻との一年ぶりの前夜の楽しい会食での焼酎飲みもごく控え目にした。(それでもかなり飲んで、登山時に皮膚から焼酎が噴き出す感じだった)
20140303-1393845745.jpg
 前置きが長くなった。要するに、今年もハアハアゼエゼエあえぎながら、無事登り終えた。打詰集落は私の古里同様、高齢者の多い限界集落。昨年は地区外からの参加者も多く、30人前後の人たちが参加していたが、今年は雨天の予報も災いしてか、地区の参加住民は3人。地区外から私とT氏で総勢5人の寂しい稲尾岳詣でとなった。30人もいると、ゆっくり後ろから登って来る人もいて、私には「心強く」感じたが、5人ではそうもいかない。上記のような激しい有酸素運動をしていたのは私一人だった。
20140303-1393845775.jpg
 下山した後は集落のご婦人方が用意してくれた赤飯やイノシシの煮つけを肴にビールを頂いた。参加常連となった感のある私に、集落の人は「なすさん、今年も来て頂いてありがとうございます」と次々に言葉をかけてくれる。
20140303-1393845806.jpg
 新聞社勤務時代の取材が縁となり、私が毎年、稲尾岳神社詣でに足を運んでいるのはそれなりに理由があるのだが、それはいつかきちんと文章にしたいと思っている。
 今回は去年の今頃のブログでも紹介したエピソードを再び記しておくにとどめたい。930㍍の山頂に設けられた稲尾神社の祭神は不詳だが、私の古里同様、平家の落人部落の伝承がある。霊験あらたかな社であることを私は身をもって知っている。数年前の参拝で下山の途中、転んで右足首を痛烈に捻挫したことがあった。一晩中腫れと痛みが取れず、苦悶した。松葉杖での出勤も覚悟して、うなされながらその晩は地元の旅館で寝た。今でも不思議なのだが、一夜明けたら、捻挫が嘘のように快癒していた。遠いところ参拝に来ての不覚の捻挫を祭神が憐れんでくれたと私は信じて疑わない。通常あれほどの痛みを伴う捻挫はちょっとやそっとの日数では直らないことだろう。
20140303-1393845837.jpg
 去年は30人前後の登山者がそれぞれ、思い思いの祈願をしていた。今年はわずか5人。単純計算では去年の6倍のご利益があるかもしれない。今年は何だかいいことがありそう。ウヒヒ! 私は単純な男だ!
 (写真は上から、写真中央にあるのが稲尾岳。登り口。疲れを癒してくれる美味い滝の水。山頂の神社で記念撮影。集落の集会所での慰労会で頂いた赤飯とイノシシの煮つけ。帰りの垂水港から鴨池港へのフェリー上で撮影した桜島。白い噴気を上げていた)

お知らせ

 昨年私が翻訳を担当したイランの小説『幸せの残像』が電子書籍化されました。以下のアドレスにアクセスすると、詳細が分かるそうです。電子書籍の価格は1000円。アナログ人間の私には良く分からないこともあるのですが、とても便利で読みやすいと聞いています。お知らせまででした。

http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E6%AE%8B%E5%83%8F-THE-BOOK-FATE-Womans-Best-ebook/dp/B00HFT3B82/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1393465668&sr=1-1&keywords=%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E6%AE%8B%E5%83%8F

生なばで一杯!

20140224-1393224659.jpg
 予定通り、宮崎に帰郷して、なば(椎茸)取りに精を出し、月曜午後に帰福した。心地好い疲れと形容すべきだろうか。幼馴染の家で中学3年生の山村留学生とも語らった。良く食べ、良く飲みもした。また体重が増えたみたいだ。私は水だけでも太る質だ。
 今回はデジカメをしっかり持って帰ったので、なば取り作業の合い間に何回かシャッターを切った。収穫した生なばを少しだけ頂戴し、宅急便で自分のアパートに送った。これからしばらくの間、赤ワインか焼酎の肴にして楽しむ予定だ。もちろん、朝夕の味噌汁の貴重な具にもする。本来なら長姉の家でしたように炭火であぶって食したいのだが、マンション暮らしだとさすがに炭火は無理だ。
20140224-1393224694.jpg
 山の傾斜地に並べたなば木には年末ほどではなかったが、それでもしっかりなばが生えていた。小さいのは取らずに、十分生育したものをむしり取って、てご(かご)の中に入れる。てごはすぐに一杯になり、腰からずり落ちそうになるぐらいに重くなる。春子と呼ばれる今の時期のなばは水気を含んでいるからか重い。春子は3月一杯までが収穫の時期だ。私も帰郷すれば、あと一回ぐらいは収穫のチャンスがあるかもしれない。
 今回の帰郷は好天に恵まれた。寒さも厳しくなく、なばを取っていると、少し汗ばむほどの陽気だった。森林のマイナスイオンを浴びながら、気持ちいいひと時を過ごした。とはいえ、腰の辺りにずっしりしたなばの重さを感じながら、傾斜地を上り下りするのは決して楽な作業ではない。特に、都会暮らしでなまった体にはこたえた。
20140224-1393224727.jpg
 収穫作業が終わると、家に戻り、今度は乾燥作業を手伝う。灯油のバーナーを一晩中動かし、収穫したばかりのなばを乾燥させる。畳一枚ほどの網ネットになばを広げ、乾燥機に収納させてこの日の作業はほぼ終了。焼酎を飲みながら、イノシシの肉を炭火で焼いて頂く。これ以上のご馳走はない。ああ、至福の思い・・・。炭火がもったいないから、餅まで焼いて食べた。計9個。幾らなんでもこれは食べ過ぎか! 子どもの頃は餅は特に好きな食べ物ではなかったが、今は大好きだ。あぶった餅に醤油をかけるだけで香ばしい食べ物となる。塩をまぶしてお茶をかけて食べるのも、簡素だが一興。一昔前に Simple is best. というコマーシャルが流行ったような記憶がある。私の電子辞書には A simple life if best.(質素な生活が一番よい)という表現が収まっている。至言だと思う。
 さあ、これで心身ともに癒された。何がいいといって、山深い長姉の家がある周辺は携帯が圏外で私の携帯は通じない。従ってパソコンのメールやネットも使用不要となる。これがいい。会社や組織に属する「現役」の身なら、とてもこのような悠長なことは言っておられないが、こちとらはそれが許される気楽な稼業だ。持ち歩いているラップトップを開ける時は手がけている原書の翻訳作業に当たる時ぐらいだ。情報化社会の「雑念」に悩まされず、来し方、行く末をゆっくりと考えられる。こういうひと時がたまには必要かなとも思う。
 もうすぐ3月。多少やらなければいけないことも控えている。気楽に頑張ろう。今夜は馴染みの居酒屋をのぞき、お土産の生なばを上げて、明日はお世話になっている出版社の方々にもプレゼントだ。ウヒィ!
 (写真は上から、なば木が並ぶ山の斜面。このなば木は比較的いいなばが生えていた。残念。写真を縦にできない! 収穫を終えたなばを軽トラに積んで一路帰宅)

古里へ

 冬季五輪はあまり見ないつもりだったが、ふと見てしまうのが、根っからのスポーツ好きというものだろう。フィギュアの羽生選手も(特に彼の受け答えの言葉が)素晴らしかったし、ジャンプの葛西選手も見事だった。てなわけで、睡眠の乱れで、多少体調を壊しながら、それでもこのところ、カーリングなる競技を何度か見た。ルールは依然よく分からないが、見目麗しいレディーたちが一心になってプレーに集中している姿は凛々しくていい。でもあれだけ、叫んでいる顔のアップが映されると、彼女たちは絶対歯科医に通うのがマストだろうなどと下衆なことまで考えてしまう。今回の日本代表は特に厚化粧している選手もおらず、実に好ましく感じた。私にはルールはおそらく最後まで理解不能だろうが。
 閑話休題。本日から四五日、宮崎の郷里、銀鏡に戻る。また、椎茸(なば)取りだ。生なばだ。前回はデジカメを忘れてこのブログにアップできなかったので、今回はしっかり持って帰り、なば木に張り付くように生えている愛しいなばの写真をデジカメに収め、福岡に戻ってからアップしたい。栄養価的には乾燥させた干し椎茸の方が生椎茸よりも格段に滋養があるらしいが、そのまま焼いて食べられる楽しみはやはり生でしか味わえない。
 前回の帰郷で福岡に持ち帰った生なばはもうとっくに食べ尽くした。(干し椎茸はもちろん、毎朝味噌汁の具に使っているが)。また、現物補給に出向かねば。レンタカーで帰郷する手もあるのだが、今回も公共交通を利用。福岡からは例によって九州新幹線で新八代まで行き、そこから高速バスに乗り継いで宮崎駅まで。往復チケットを購入すれば、福岡から宮崎まで往復1万3千600円。これで3時間と少しで宮崎市中心部まで帰れるのだから文句は言えない。新幹線は快適だし、高速バスもゆったり。普段何かとおろそかにしている読書をするには打って付けだ。
 問題は宮崎を経由した西都から。ここからはバスに乗るのだが、我が郷里は山間部の集落のため、バスの便は少ない。西都の中心部をバスが出るのは午後3時。それまでにたどり着かないとアウトだ。乗ってしまえば、1時間と少し、曲がりくねった山あいの道をのどかに走る。多少の揺れを覚悟して乗れば、野趣あふれるバスの旅だ。
 なば取りと長姉の顔を見るのが主目的だが、今回はあと一つの目的がある。我が郷里・銀鏡は過疎化が進んだ地区。地元の子どもたちがいない。母校の小学校と中学校も統合され、県内、県外からの「山村留学生」で辛うじて命脈を保っている。日本全国、このような山村が増えているのはご承知の通りだ。
 それで、同級生の幼馴染の家には地区外からやって来た中学3年生の女子生徒が二人いる。彼女たちも今春卒業する。帰郷の度に彼女たちに会って、話をして上げていた。英語を学習する要領など教えてやると、目を輝かせて聞き入ってくれた。卒業すれば、会うこともないだろう。それで、彼女たちがまだ幼馴染の家に暮らしている間に最後の激励をしようと思った次第だ。これも何かの縁だろう。成長した彼女たちがいつかまた、郷里に足を運んでくれることがあるかもしれない。
 母のいぬ 古里戻る いつからか 違和感もなく 悲哀消えしは

ソチにまかせない!

 ソチの冬季五輪がたけなわのようだ。ようだと書いたのは、ほとんど見ていないことによる。時差が悩ましい。5時間という時差は実に中途半端だ。初老の身には深夜にまでテレビとお付き合いすることは容易ではない。そういえば、午後8時以降のテレビ番組も最近ではほとんど見ることがない。NHKのFMかCDの音楽を聴きながら、読書(うたた寝)していることが多い。いつの間にテレビがこんなに詰まらなくなってしまったのか。アメリカの旅で出会った毒のあるトークショーをインターネットでベッドで寝そべって見ている時間の方が長いかもしれない。少なくとも英語の学習にはなる。
 11日午後の時点で日本はまだメダルゼロのようだ。別にメダルの数が国威発揚の時代でもないので、ゼロでも全然構わない。それより、ロシア国内のイスラム過激派によるテロ予告のニュースが流れていただけに、このままテロが起きることなくつつがなく終わって欲しいと願う。プーチン大統領の強権政治はともかくとして、無益な流血だけは見たくない。
 そう思いながら、11日、ふと思いついてテレビをつけると、これまで見たことのないスキー競技をやっていた。ガードレールのようなものを滑ったり、滑り台の上で宙返りしたり。夏の五輪でもいつの間にかビーチバレーとか、わけの分からない競技が登場しているから、冬の五輪でも何でもありなんだろうけど、ルールも含めさすがについていくのは・・・。
 いっそのこと、もっとユニークな競技でもこさえて欲しい。裸足で氷の上に立ち、何曲カラオケの曲が歌えるかとか(競技名は南極物語)、氷の張ったプールの上をどれだけ早く泳げるか(実際ははって進めるか、競技名はイモムシング)、雪合戦があってもいい(野球の盛んな日米は絶対的に有利。シーズンオフの米大リーグもこれなら積極的に参加するはず)・・・などと私は夢想する。
 それはそれとして、どこやらでメダルを取れなかった日本選手が「楽しかった」とか「すがすがしかった」とか悔しさなど微塵も感じられないコメントをしていることを問題視しているとのニュースが流れていた。まあ、そう目くじら立てることはないと思うが、スポーツ選手のゲーム(競技)後のコメントが最近、すっかり月並みな表現になっているような気がしないでもない。多くの選手が「これからも応援、宜しくお願いします」と口をそろえたように締め括っている。「今日はまぐれで勝ってしまいました。皆さん、あまり期待しないで見ていてください」ぐらいのことを言う選手がいれば、私など絶対ファンになって上げるのに・・・。
 マイクを向ける方も向ける方で、いろいろ尋ねた後で、「最後にファンの皆様に率直な一言を・・・」と催促する。「おい、なんだ、今までは率直なコメントじゃなかったのか。それにもう十二分に語らせているぞ。もうその辺でいいだろ!」と突っ込みを入れたくなってしまう。
 朝夕の通常の番組で司会者やコメンテーターがお互いに述べる「宜しくお願いします」という決まり文句もそろそろ「お蔵入り」にした方がいい。その分、中身あることをしゃべってもらった方がはるかに効率がいい。日本語の世界はもっと豊かなはずだ。情けない。
 皆さん、このブログ、一つ、これからも宜しくお願いします! 

還暦

 また新しい年がやってきた・・・と前回の項で書いたら、いつもの間にやら、もう2月だ。この調子だと月1回のアップのペースかもしれない。やはり、旅をしていないとこんなものかもしれない。はあっとため息をつきたい気分だ・・・という表現も前回の項で書いたような気がする。
 といいながら、このブログを久しぶりにのぞいて頂いた方は、表紙が少し変わっていることにお気づきかなと思う。そう、お世話になっている「書肆侃侃房」の関係者の方にお願いして表紙を変えてもらったのだ。タイトルも変更した。これまでは「さるくは小休止でござる」だったかと思う。「さるく旅が小休止」どころか「当分はお休み」の情勢なので、より現実に即したタイトルにしたまでのことだが。それでタイトルは何の工夫もないが、「英語でさるく 那須省一のブログ」とした。「さるく」というニュアンスだけは残した。海外には出かけられないまでも、インターネットがあるではないか、心であちこち「さるく」ことにしよう。
 ところで表紙のイラストは私が非常勤で英語を教えている大学の女子学生が描いてくれたものだ。第一印象では「私には似ていない」と感じたが、彼女たちは「先生、そっくりです!」というものだった。「はあ、そうでやんすか。いえ、それなら文句はありません。これが君たちに映っている私のイメージね。ああ、そうなんだ。いや、いいね。ありがとう。これにします。ありがとう」
                  ◇
 さあ、表紙も一新したことだし、これからはせいぜい、アップするようにします。「英語でさるく」と銘打っているからには、英語表現に関することもなるべく書くようにいたしましょう。読んで頂く方の英語学習に少しでも参考になるようなことを・・・。
 ところでをもう一つ。ところで、私は今週の水曜日、5日に60歳の誕生日を迎えます。心境は高校時代に古文(?)の授業で習った「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」のようなものです。正月にもらった新聞社勤務時代の同期の同僚からは「還暦とは生まれ直すこと」と記して、可愛い赤ん坊の写真が添付されていました。はて、H君に初孫でも生まれたのかな。嬉しくてその子の写真を添付したのだろう。世事、俗事に恬淡としていた彼もやはり人の子だったかなと思って、よく読むと、何と写真の赤子は60年前の本人だとか。オマガ! こういう手もあったのか。さすが、H君!
 H君の言葉を信ずれば、還暦とは「生まれ直すこと」のようです。臆するに足らず。第一、私は「人生7掛け論」を声高に提唱しております。(実際はずいぶん以前にどこかの新聞で読んだ記事の中でこの考え方を実践している人が出ていて、それをそっくりもらっているだけのことですが)。「病は気から、若さも気から」。現実に過去の海外の旅では、私は30代、40代の男に見られることも(確か)しばしばでした。自己紹介の場で “Hi, my name is Shoichi Nasu. Call me Sho. I’m from Japan. I’ve been traveling around this country to write a kind of literary travelogue. My age? I’m 59 years young.” と語りかけ、爆笑を取っていたものです。 

ピーカン届く!

20140110-1389321923.jpg
 また新しい年がやってきた。はあっとため息をつきたい気分だ。理由を問われても、これといった明確な返事はできない。「人生7がけ論」を提唱している私としては、これからが人生の華だと意気揚々と感じたいところではあるが・・・。
 暮れから10日ほど、宮崎の山深い田舎でそれなりに充実した日々を過ごした。長姉に約束した通り、「なば取り」の手伝いに精を出した。宮崎では椎茸は「なば」と呼ぶ。なばが生える原木を山の斜面に運ぶ作業に比べれば、比較にならないほど楽だったが、それでも早朝に起き、斜面を上り下りしてなばを取るのは、なまった体には少しこたえた。楽しみは取ったばかりの生(なま)なばを昼飯時にたき火であぶり、しょう油を垂らして食べること。美味の一言。デジカメを福岡に忘れたので、ここに紹介できないのが残念だ。
 大学での授業の準備もあるので、先週末に上福し、持参した生なばを知り合いにおすそ分けして大変喜ばれた。味噌汁の具としても、普段の干し椎茸ではなく、この生なばを使っている。栄養価は干し椎茸に劣るのだろうが、「肉厚」の点では生なばの方が優っている気がする。2月か3月にもう一度帰郷する予定なので、その時、写真でも生なばの写真をここに載せたいと思っている。
20140110-1389322045.jpg
 大学で今年最初の授業を終えて、帰宅した。はあ、人様に英語を教えるのは大変だ。今日の授業はいまいちだったと反省しながら、マンションの郵便受けを開けると、なにやら小包が箱の全面積を占有しているではないか。はて何だろう。書籍? 表書きを見ると、Catherine Hicks という字がある。お、ヒックス夫人ではないか。米ジョージア州のラグレインジという町に住む友人のお母様だ。私が2011年にアメリカを旅した際、夫人の家にただで泊めてもらい、疲れた体を休ませ、英気を養った。夫人は私の亡き母と同じ1918年生まれ。90歳を超す老齢とは思えない元気なご夫人だ。そのお達者ぶりは拙著『アメリカ文学紀行』でも簡単に紹介させていただいた。
20140110-1389322085.jpg
 恥ずかしい話だが、拙著を夫人にはまだ送っていなかった。それで昨年のクリスマスに際し、その本を富山の友人からもらった手縫いの巾着、スーパーで買ったお菓子と共に贈っていた。どうやら、そのお返しのようだ。中身は? 頭にピンと来るものがあった。この箱の大きさ、重さから言って、ひょっとしたらあれでは?
20140110-1389322136.jpg
 部屋に入り、急いで小包を開けてみると、勘は的中していた。私の大好きな「ピーカン」(pecan)だった。彼女の自宅の庭にはピーカンが生える木があり、私は3年ほど前の再会時に、文字通り貪るようにしてこのクルミに似た実を食べた。おお、なんという幸せ。これを肴にうまい焼酎がしばらくは楽しめそうだ。冒頭に書いた憂鬱な気分が吹き飛んだ。今、この項を書きながら、早く夕方よ来いと思っている。嗚呼、私は何といういう安上がりの人間にできているのだろう。でもいい、こういうのが存外、長生きするのかもしれない!
 今宵もピーカンで乾杯。ヒックス夫人、今年もお元気で。また、そちらでお目にかかることがあればいいなあと心から願っています。
 (写真は上から、ヒックス夫人から届いたピーカン。夫人の自宅でピーカンの殻を専用の器具で割っているところ。恵み豊かなピーカンの木。台所に立つヒックス夫人)

«Prev | | Next»

過去の記事を読む...

Home

Search
Feeds

Page Top