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英語でさるく 那須省一のブログ

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積読の効用

 今夏に故郷・宮崎の大学で一週間の予定で集中講義することになった。これまでは授業したことのないテーマのジャーナリズム論に関する講義だ。
 新聞社に長く勤務して、今も心のどこかに「フリーランスのジャーナリスト」という矜持は持っていたいと思っている。話したいことはいくつかある。それで、少しずつ関連の本を図書館から借り受けたり、書店で購入したりして読み進めている。
 関西の大学で教授として教壇に立っている新聞社時代の先輩に薦められた本がある。『国際紛争 理論と歴史』(ジョセフ・ナイ、デイヴィッド・ウェルチ共著)。翻訳が難解なところがあるが、今の私には参考になる本だった。その中で次のような記述があった。
 「政治は競合する信憑性のコンテストになった。物語性がより重要になった。伝統的な権力政治の世界は、典型的には、軍事的または経済的にだれが勝つかをめぐる世界であった。しかし、情報時代にはだれの物語が勝つかがますます重要になっている。政府は他の政府と、また他の組織と、自己の信憑性を増し相手のそれを弱めようと競争している」
 まさにその通りだろう。「以心伝心」は日本だけで通じる世界だ。言いたいこと、伝えたいことがあれば、はっきりと言葉にして相手に、そして周囲の人々に聞いてもらわないと始まらない。英語では agree to disagreeという表現もある。「お互いに意見が異なることを認め合う」という意味か。決して相手を言い負かそうとしているのではない。
 いびつにこじれた日中・日韓関係。そのこじれをほぐす糸口を見つける努力は真摯に続けなくてはならないが、日本も中国や韓国に負けない「物語性」を国際社会にアピールしていく必要性がある。日本政府が放っている「物語性」は脆弱過ぎるのではないか。いや、日本人一人一人が国際社会で語りかける「物語性」こそ大切と言えるかもしれない。
 昨日(日曜)の読売新聞に以下のような記事があった。外務省が先月東南アジア諸国連合(ASEAN)の7か国で行った世論調査で、日本が「最も信頼できる国」と答えた人が一番多くて33%、米国が2位で16%だったとか。中国は5%。ASEANにとって「重要なパートナー」を尋ねた質問でも日本を挙げた人が最も多く、65%で1位、中国は48%で2位との由。近隣諸国で日本の「物語性」が浸透していく素地は十分あるようだ。
 ところで、そういう読書の日々となって、ふと気づいたことがある。積読の「効能」だ。積ん読と書くべきかもしれない。過去にはその「効能」を実感したことは皆無に近かったが、会社を辞め、自宅で過ごす時間が格段に増えてからはしばしば実感するようになっている。自分でも意外の感があるのだが、私の侘しい本棚を時に漁って見ると、結構「ジャーナリズム論」に関連する本があるのだ。少しは目を通したことがあるのかもしれないが、内容はほとんど覚えていない本が少なくない。いや、全然読んでいない本もある。
 改めてそうした本を読んでみる。そうそう、こういうことを知りたかった。お、これは授業で引用できるではないか、などと思っている。過去の本購入が決して無駄金ではなかったことにもなる。資源の無駄遣いにもならず、これはこれで大いに結構、かな?
 参考までに「積読」の英訳はネット検索では “buying books but leaving them unread” とある。”buying books for future reading” としたいところだ。 

久しぶりの床屋さん

 いつからか定かではないが、髪の毛をずっと伸ばしていた。田舎の長姉の家に椎茸取りの手伝いに帰った時、姉から坊主頭を諌められたのだ。
 私「Sあねえ、なんば言よっとや。これがええっちゃが。シャワー浴びても、すぐ乾く。整髪料もつけんでええ。坊主頭が一番衛生的で気持ちもええっちゃが!」
 姉「そんでも、見苦しいもんは見苦しい。伸ばせば、少しは見栄えもええなるのに!」
 私「俺はこれが気に入っとるっちゃが。本人がええちゅうのやから、これでええやろ。もう今さら、女の視線を気にする年でもねえがな」
 おおよそこんな会話を交わした記憶がある。そして数日後に帰福。スポーツジムに行き、プールで泳いだ後、サウナに入り、体を洗った後、鏡に映った我が姿を見て、「そうだな。姉の言う通りにしてみるのも一興かな」と思った。それまではほぼ二週間に一回は自宅の風呂場で電池バリカンを使い、頭を刈っていた。このバリカンは私が会社を早期退社してアフリカの旅に出る直前、行きつけの床屋さんが「アフリカで散髪屋に行くのは大変でしょうから、これで時々刈ったらいいですよ」とプレゼントしてくれたものだった。
 それ以来、ほぼ2週間おきに頭を刈っていた。後ろの方が見えないので、いつも後部に不安を感じながら、刈っていた。その煩わしさから解放されて、ふと気づいたら、髪の毛がだいぶ伸びてきていた。そうこうするうちに、ここ最近、両耳の辺り、それと後頭部辺りが少し伸び過ぎかなと思えてきた。坊主頭の時は自分でバリカンで何とか処理できたが、「長髪」になった今はさすがにそれはできない。
 それで、昨日(日曜)床屋さんに出かけた。私が住んでいる地区は、こうなって初めて気がついたことだが、床屋さんがやたら多い。何だか、角々にあるみたいだ。これでそれぞれが商売が成り立っているということはここは人口が増えている地区なのだろう。
 「カット1000円」と案内が出ている、とある一軒の床屋さんをのぞく。女性の理髪師二人だけの小さなお店で愛想もいい。頭頂部には決して手を触れず、両耳と後頭部の辺りだけ、できるだけ少しの量、はさみを入れてくれるよう懇願した。洗髪もないから、すぐに散髪は終わったが、それでも次のような会話のやり取りはできた。
 私「いやあ、久しぶりだよ。床屋さんのいすに座るのは。でもあれだね。側頭部の髪の毛はあっても、頭頂部が寂しいのは実に残念。何とかならないものだろうかねえ」
 理髪師「頭頂部は女性ホルモンが関係しているらしいですよ。男の人は年がいくと、女性ホルモンが少なくなっていき、その影響が頭頂部に出るみたいですね。女の人に禿げが少ないのはそういうことらしいですよ」
 私「へえ、そうなの? 初めて聞いたわ。でも、何だか説得力あるね、その論は」
 理髪師「特に男っぽい人ほど頭頂部が寂しくなるようですよ。胸毛がある人とか」
 私「本当? 実は私も胸毛があるんだよ。そうか、男っぽいと禿げやすいということか」
 理髪師「ええ、そう聞いたことがあります」
                    ◇
 私がその店を出る時、上機嫌だったことは言うまでもない。散髪した頭もすっきりした。

粘りはresilient

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 郷里の山里で四五日過ごし、土曜日深夜に帰福した。現代文明に感謝したいのは、昨今は山深い田舎でも海を越えたスポーツ放送がリアルタイムで楽しめることだ。
 土曜日朝、長姉の家で寝転んでMLBの生放送をNHKのBS放送で見ることができた。マー君の大リーグ初登板の試合だ。副音声にして、大リーグの醍醐味を味わった。
 彼は7回を投げて3失点、8奪三振で、味方の反撃もあり、大リーグ初登板初勝利を収めた。素人の見立てながら、まずまずの投球だったかと思う。向こうのアナウンサーだか解説者は “Not perfect but good enough” (完璧ではないが、及第点)とか何とか言っていたような気がする。
 大リーグのホームページ上でも “Resilient Tanaka wins big league debut” という見出しで彼のデビューを報じていた。本日の「ジャパン・ニュース」一面でも似たような見出しとなっていた。resilient(発音はリズィリエントという感じ)は「回復の早い」「弾力性のある」というポジティブ(肯定的な)言葉だ。読売新聞では一面で「田中 粘りの初勝利」と写真付きで報じていたが、まさに「粘り」のニュアンスのある言葉かと思う。
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 前回のコラムでマー君は「6回を3失点」ではニューヨークヤンキースファンは満足しないのではと書いていたが、大リーグのホームページの投稿欄を読む限り、初登板に関しては大多数が納得した投球だったようだ。大リーグのホームページで読んだニューヨークヤンキースの一ファンの投稿がそのことをよく示しているようだ。
 Tanaka was everything advertised and more after he settled down. Third inning on he dominated a very good offensive team in TOR. I was a little leery going in, but now I can't wait for his next start. He looks like one of those pitchers that will get better the more he knows the hitter, and not the other way around. Once he learns these hitters’ weaknesses, he’ll be tough to beat.(タナカは宣伝されていた通りの内容だった。特に落ち着きを取り戻してからはそうだった。三回以降はトロントブルージェイズの強力な打撃陣を圧倒した。試合開始当初は少し疑っていたが、今は彼の次の登板が待ち遠しく感じるほどだ。彼は対戦を重なれば、打者に対して優位に立つタイプの投手のようだ。その逆の打者が優位に立つタイプの投手ではない。相手の打者の弱点を知ってしまえば、彼を攻略するのは容易なことではないだろう)
 これは現時点では最高に近い称賛の声と言えるだろう。これから中4日か5日でマー君がマウンドに上がるたびに、私はテレビの前に釘付けになるのだろうか。いや、それはやめにしたい。ああ、それでも、このコラムを書いている日曜午前、テレビでは今度はボストンレッドソックスとミルウォーキーブルワーズの試合が放送されている。同点の9回表、上原が相手打線を圧巻の三者三振に打ち取り、延長に入った10回表は田沢が苦労の末に二死満塁のピンチを脱した。こんな感じでこれから半年も続くと私は他の仕事ができなくなってしまうではないか・・・。助けてちょんまげ!
 (写真は上が、郷里の山。山桜がきれいに咲き、緑に映えていた。下が、読売新聞とジャパン・ニュースの一面)

球春到来

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 約1週間の旅から帰福した。「福に戻る」というニュアンスが気に入り、福岡に戻る度に好んで使っている。徳島では歓待され、楽しいひと時を過ごした。京都ではすぐ上の実兄の家で三泊した。男兄弟で残っているのは我ら2人だけ。これは理屈を超えた関係だろうか。
 さて、落ち着いてみると、もう3月も終わりで、すぐそこに4月がやってきている。そんなに急ぎなさんなと声をかけたいが、そういうわけにもいかない。寒さ厳しい冬が去り、暖かい春がやって来るのは大歓迎なのだが、実は頭が痛い問題が一つ浮上する。まあたわいないことなのだが。私にはそうなのだ。日米での「球春」(spring of baseball)の到来だ。
 時差の関係でアメリカ東部時間で午後7時にプレーボールが宣せられる時、日本は午前8時。机に向かう快適で貴重な午前中の時間がほぼテレビの前で費やされることになる。西海岸でのゲームはさらにその3時間後にプレーボールとなる。複数のゲームをテレビ観戦しようとすると、午後3時頃まで付き合わされることになる。ほっと一息ついたら、今度は夕刻にプロ野球がプレーボールとなるではないか。仕事をする時間がない!
 まあ、野球に興味のない人には意味のない悩みであり、どうということもないのだが、私には決して無意味なわけではない。言い訳ではないが、MLB(Major League Baseball)と呼ばれる大リーグは英語の格好の「教材」が転がっており、大学の授業で学生に教える表現の参考になることが少なくない。a clutch hitter(いざという時に頼りになる人)などの野球用語が普通に日常生活で使われているケースも多い。移籍日本人選手が活躍することもあって、放送中に解説者から日本野球あるいは日本文化に関するコメントも飛び出すなど、結構面白い。もちろん、英語での現地放送に耳を傾けることが必須だが。
 かてて加えて、今年はあの田中マー君がニューヨークヤンキースでプレーする。目の肥えたニューヨークのファンに彼のプレーがどう映るか。MLBのホームページをのぞくと、マー君にはこれまでも、「向こう7年間で1億5千5百万ドルという化け物的高値の契約金を獲得した選手」(Tanaka who gets himself an absolutely monster deal at $155 million over seven years) などと紹介されている。彼に与えられたハードルは高い。例えば6回を投げ3失点で勝利投手になれば普通なら「合格」だろうが、地元ファンはどう反応するか。彼らが納得するのは7回を投げ、1失点だろうか。シーズン全体では最低でも18勝5敗だろうか。もちろん、内容にもよるが。
 楽天時代のマー君には興味はなかったが、海を越えれば応援せざるを得ない。その他にも黒田、岩隈、ダルビッシュ、青木など活躍が期待できる選手が目白押し。おっと、忘れてはならない選手がいた。川崎選手だ。ソフトバンク時代に「ムネリン」と呼ばれていた頃は見向きもしなかった選手だが、シアトル・マリナーズを経て、トロント・ブルージェイズに移籍してからの孤軍奮闘ぶりは注目に値する。失礼ながら、あれほど「非力」ながら、そしてあれほど「ブロークンな英語ながら」、地元のトロントファンの心をがっちりつかんだハッスルプレーには拍手を送りたい。
 さあ、大リーグ開幕を前に私はまた宮崎の山里に数日間こもる予定だ。MLBは見たくても見れない・・・。
 (写真は、帰福後の楽しい2年ぶりの会食風景。メンバーの関係は・・・)

徳島にて

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 先週末から徳島を経由して関西に来ている。徳島市では一昨年、昨年に引き続き、三回目の講演会だった。徳島トーストマスターズクラブという英語の熟練者のグループと徳島を外国人に紹介するボランティアクラブの招きで、今回は英語から日本語への文学作品の「翻訳」をテーマに話をさせて頂いた。
 さすがに三回目となると、顔見知りとなった方々もいて、一年ぶりの再会を喜ぶ笑顔に遭遇した。ひょんなことから私の徳島講演の集いはスタートした。3月の第一日曜日の南大隅町(鹿児島)・稲尾岳参拝と並び、3月末の徳島への旅は私にとって欠かせない年中行事となった感じだ。
 今回の講演会では要望に応え、冒頭、アフリカ特派員時代に手がけた南アフリカの伝説的指導者、ネルソン・マンデラ氏の釈放直後の単独インタビューのさわりの部分の録音を聞いてもらった。マンデラ氏は当時71歳。ウィニー夫人(当時)の不倫を知らず、新生南アの民主化に向け、希望に満ちた思いが迸るようなインタビューだ。昨年12月に95歳で他界したマンデラ氏の「肉声が聞けて良かった」と思って頂いたようだった。
 本題はパワーポイントに要点を簡略に記して話をした。英語で語るのが主眼だったが、テーマとなった「翻訳」という性質上、ほとんど日本語での話となった。数日前に下訳を終えたばかりのコンスタンス・ワイルド(オスカー・ワイルドの妻)の伝記本や、4年前に翻訳したマーク・トウェインの小説『二人の運命は二度変わる』を中心に話を進めた。
 この種の講演会を済ませていつも思うのは、ああ、もっと上手く話せたのに、という悔いの念だ。それなりに「場数」を踏んだつもりであるが、所詮語りのプロではない。
 とはいえ、講演会終了直後、足を運んで頂いた方々からは優しいねぎらいの言葉をかけて頂いた。場所を移しての懇親会でも、アンケート用紙に走り書きした参加者の感想が読み上げられ、翻訳の苦労、楽しさがよくうかがえたという感謝の言葉を耳にした。面映ゆい思いをしながら、そうした声に耳を傾けた。
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 本題に入る前に、「つかみ」として披露したのが、oxymoron という表現。撞着語法(矛盾語法)という訳語がある言葉で、矛盾する言葉を二つ並べる表現だ。an open secret(公然の秘密)とか a deafening silence(耳をつんざくような静けさ)といったものだ。「私はこれまで幾冊かの本を出していますが、全く無名の物書きです。おそらく、全国で5本の指に入る無名作家だと思います」と語りかけた。これは撞着語法と言うよりは自虐的表現(a self-deprecating expression)か。私は機知に富んだ表現(a witty remark)と考えて口にしたのであるが。そもそも五指に入る無名作家とは何ぞや? そういうものはあり得ないだろうと。いずれにせよ、この自虐的ユーモアは説明を要することなく、予想以上に受けた。徳島の人のユーモアを解する力は相当ありと見た次第だ。
 懇親会の席上、また来年の3月も徳島訪問を約束させられてしまった。私の脳内にある「引き出し」はそう潤沢ではない。はてさて、来年は何について話したものやら!
 (写真は上が、髪の毛が伸びた筆者。一歩間違うと落ち武者。下が、講演会の風景)

翻訳脱稿

 前回のブログで少し触れていた翻訳が本日の昼前、ようやく完了した。嬉しい。嗚呼、これで少し楽になった感じだ。まだ、これから誤訳のチェック、語句の修正など推敲を重ね、訳注をどうするか、その訳注の考察、解説(あとがき)の執筆など、厄介な作業が待っているが、少なくとも下訳(荒訳)は完了したのだ。
 今回の本の翻訳にいつ着手したのか覚えていない。手帳にも書き入れていない。このブログをさかのぼると、昨年10月26日にアップした「秋の味覚」の項で「今は午前中は出版社から依頼された新しい翻訳に取り組んでいる」と書いているので、10月には着手していたのだろう。
 ということは、半年かかったことになる。確固とした本業があるわけでもないが、まあ、片手間の仕事のように、一日数時間程度少しずつ翻訳してきた。いや、難解な文章が多かった。というか、日本人(私)に馴染みのない人名や地名、語句が頻出するので、その読みを調べるだけでも骨が折れた。女性のファッションの記述、それも19世紀末の英国のそれなど、私にはチンプンカンプンの世界で、ため息交じりにぼやきながらキーをたたいた。『幸せの残像』のように感情移入することもなく、メガネが涙で曇ることも皆無に近かった。それでも読み応え(訳し応え)のある作品だったことは間違いない。
 翻訳したのは “Constance The Tragic and Scandalous Life of Mrs Oscar Wilde” という伝記だ。英国のフラニー・モイル氏が2011年に発表した作品で、奔放な人生を生き、ウィットに富んだ警句が散りばめられた戯曲で知られたアイルランド出身の作家、オスカー・ワイルドの妻、コンスタンスの数奇な人生をたどっている。オスカー・ワイルドは好きな作家の一人だ。『ドリアン・グレイの肖像』は複数回読んでいる。彼の戯曲も何度も観ている。言葉の天才だと思う。彼が同性愛にまつわる行為で投獄され、健康を害して早すぎる死を迎えることがなかったならば、どれほどの傑作を残してくれていただろうと思う。
 私は2012年に英国及びアイルランドを旅した時、ロンドンでモイル女史がこの伝記について語るレクチャーに参加する幸運に恵まれていた。昨春に刊行した『イギリス文学紀行』のオスカー・ワイルドの項でもこの伝記のことについて簡単に触れている。当時はこの本(本文328頁)を帰国後に翻訳することになろうとは考えもしなかったが。
 この翻訳本は “Woman’s Best” と称し、フィクション・ノンフィクションを問わず、世界中の女性の生きかたについて書かれた書籍を翻訳出版していくプロジェクトを展開している福岡市の出版社「書肆侃侃房」から刊行される予定だ。校正作業など終わり、「完成品」を手にしたら、このブログで改めて紹介したい。
 とにもかくにも本日はそういう次第で気分が良い。本来なら、行きつけの(時々のぞく)居酒屋に行き(私はそこではママたちから「とくちゃん」と呼ばれている。匿名希望のとくだ)赤のグラスワインで祝杯を上げたいところだ。ただ、この日曜日に年一回、恒例となった感のある徳島市での英語講演会が控えており、そこで話す内容をパワーポイントに整理する作業が終わっていないので、今宵はコンビニで安い赤ワインを買って、自宅で一人静かに祝杯を上げたい。ウヒッ!

オレンコヒー

 「さあ、表紙も一新したことだし、これからはせいぜい、アップするようにします」と還暦を迎えた頃に書いたものの、その後もブログの方は遅遅として進まず、ははとしてため息をつく日々だ。
 別に怠けているわけではない。定食いや定職のある人々には申し訳のないほど気楽な日々であることは事実だが、そのような身でも一応種々の仕事、いや、世間一般の見方では雑事が多く、これで結構やらなければならないことがあるのだ。無為に過ごしている時間は「現役」の頃の方がはるかに多かったかもしれない。いや、きっとそうだと思う。
 いつから着手したか、記憶も定かではないが、今手がけている翻訳がもう少しで脱稿する運びだ。脱稿といっても、あくまで下訳(私は荒訳と呼びたい心境)であり、これからが推敲を重ねたり、訳注を工夫したり、解説(あとがき)を用意したりとなかなか骨の折れる作業が待っている。私にとって翻訳本はマーク・トウェインの小説の翻訳『二人の運命は二度変わる』、イランのベストセラー小説の翻訳『幸せの残像』に続き、三冊目となるが、今回のが一番難解だった。いやまだ完了していないので過去形で書くのははばかられる思いがする。これから著者なりネイティブの人に相談して確認したい英語表現が少なからずある。
 大学の授業も新年度は後半から二校に増え、夏には別の大学で集中講義をする予定だ。集中講義は今教えている英語とは直接関連のないテーマであり、気合を入れて取り組む覚悟だ。その下準備を少しずつ進めているが、結構骨が折れる(painstaking)。
 そうした仕事の合間に飲んでいるのが琵琶茶(南大隅町の特産品)とコーヒー。琵琶茶は麦茶に似た味わいで健康に良いだろうなあという感覚は胃袋で感じられる。これに牛乳を混ぜてほぼ毎日飲んでいる。コーヒーは素朴なドリップ式で飲んでいるが、これはどうもうまくない。昨今のコンビニで売っている百円コーヒーの方が格段に美味い。時々のぞくコーヒー専門店で熱湯は少し冷ましてからそそぐこと、お湯が落ち切るのを待たないこと、そうでないと苦味が混じることなど、教えてもらって実践しているが、私の淹れるコーヒーはうまくない。水道水はだめなのかな、福岡の水は悪くないのに、と思い、コンビニでペットボトルの水を買ってきて今朝試してみた。
 あれ、これ何? 甘い!? オレンジジュースのような香りまでする。何だこれは? 遂に私の味覚は狂ってしまったか? 狐につままれたような感じになり、ペットボトルに目をやると、オマガ! ミネラルウォーターには違いがなかったが、「愛媛県産温州ミカン・エキス入り」と表記してあるではないか! 道理でオレンジジュースのような味がしたわけだ。仕方がないので水道水で淹れなおしてコーヒーを飲んだ。
 まだ今回はいい。お金を無駄にしたわけではない。これから数日間はミカンエキス入りのミネラルウォーターが楽しめる。私は以前に酒の肴にコンビニでビーフジャーキーのようなものを買って帰り、ビールを飲みながら食べたことがある。一つ二つつまんだが、どうもうまくない。何だか塩気が抜けたような味のジャーキーだった。マヨネーズに醤油でもたらして、それにつけて食べようかと思い、ふとその商品の入ったビニール袋を見やると、いやに地味な字体でデザインにも全体に「華」がない。あれ? 商品名を改めて読んでみると、「ドッグフード」と記してあるではないか!オマガ!

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