英語でさるく 那須省一のブログ
『伊勢物語』
- 2015-06-04 (Thu)
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ニューヨークヤンキースのマー君(田中将大投手)が故障明けで久しぶりに登板し、好投し、今シーズン3勝目(1敗)を上げた。日本時間だと午前4時半からのテレビ中継だったため、一応、目覚ましをかけておいた。目覚ましのベルに起こされ、テレビのスイッチを入れると、そのままベッドに倒れ込んだ。テレビはベッドの頭の先にあるので、映像は見ずに、夢うつつで現地アナウンサーの実況(英語)を聞こうとした。あまり覚えていないのだが、マー君が対戦相手のマリナーズ打線に打たれ、1対1の同点になったと聞いた時点で「あ、これは負けるかな」と思ったのだろう。テレビのスイッチを切って寝込んでしまった。
夜が明けた数時間後にようやく目覚めた。パソコンを開いてMLBのホームページにとんで確認すると、おお、なんとマー君は7回を1点に抑え、9三振を奪い、勝利投手になっているではないか。しまった。生で楽しむ機会を逸してしまったと後悔したが、もう後の祭りだ。「後の祭り」。英語では “That’s a late festival.” いやこれは冗談。正しくは “What’s done is done.” とか “That’s water under the bridge.” とかいうらしい。
ヤンキースファンの一人は “If he is healthy, he will be possibly one of the best in baseball and he is our best pitcher.” と称賛していた。
◇
窓辺の風鈴が心地好い音を届けてくれる。読書もはかどるというものだ。私が目指す “simple life” にまた一歩近づいたかな? そうであれば嬉しいのだが、はてさて、自信はない。
さて、『伊勢物語』。「むかし、男(をとこ)ありけり」という冒頭の文章を目にした時、昔、おそらく高校時代か、古文の授業だかで、この物語は読んだことがあるなと思った。私が手にしているのは角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」と呼ばれるもので、古文の専門家による現代語訳が付いている。この現代語訳がなければ、私には歯が立たないだろう。
そのうちに次のような和歌が出てきた。おお、これはよく覚えている。そらで覚えたことを思い出した。そうそう、こんな和歌だった。———— 筒井(つつい)つの井筒(いづつ)にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに———— 高校2年生の頃だった。同じクラスに確か筒井さんという女生徒がいたこともあって、「筒井」つながりでこの和歌は妙に記憶に残っているのだ。別に彼女に恋心を抱いていたというわけではない・・・。
読み進めていて、次のような文章にも出くわした。 ・・・男帰りにけり。女、いとかなしくて、しりに立ちて追ひ行けど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり・・・
私にはここの「え追ひつかで」(追いつくことができなくて)というくだりは、少し大仰な言い方をするなら、琴線に触れるように理解できた。山里の郷里では今もこの「え〇〇」という表現をするからだ。「おまやぁ、それでくるや?」(“Can you do it?”)「うんにゃ、えせんばい」(“No, I don’t think I can do it.”)というような具合だ。
非常勤講師をしている大学で古文・方言の専門家の先生に尋ねたら、福岡の方言には「え〇〇」は見られないとか。少しく郷里の言の葉を誇らしく思った。
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今夏は風鈴で
- 2015-06-02 (Tue)
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早くも六月に突入。これから暑い夏がやってくるかと思うとうんざりだ。泳ぐのが好きだから夏本番は歓迎なのだが、蒸すのとじっとりと汗をかくのは嫌だ。何度も書いているが、私が住むマンションの西日は凄まじい。サウナ状態になると言えば少し大げさだが、深夜になっても昼のほてりが残っており、クーラーに頼らざるを得ない日々が続くことになる。現に目の前にある温度計は深夜の10時半になっても室内温度は27.3度、湿度52%。この程度ならまだどうということもないが・・・。
ブログをさかのぼって読み返しても、また唯一簡単なメモ書きを記入している手帳を見ても、去年の夏はいつクーラーのスイッチを初めて入れたのか記していない。一昨年は暑さに耐え兼ね、6月27日にエアコンを購入したことが手帳に残っている。そうか。例年通りだとあと一か月足らずでエアコン生活か。果たしていつまで耐えられることやら。
◇
インドでは熱波にやられる市民が続出しており、5月中旬以降に2200人以上の人々が死亡したと報じられている。猛暑に見舞われた地方では最高気温が摂氏45度を超えたとか。これは日本に住む我々には想像もつかない暑さだ。地球温暖化(global warming)がもたらす猛威の予兆でないことを祈りたい。
◇
宮崎の郷里・銀鏡を支える大黒柱となっている農業生産法人「かぐらの里」から近くの大型ショッピングセンターで物産展を行うとのメールが届いた。このショッピングセンターには数年前に一度だけ先輩の車に乗って行ったことはあるが、それ以来訪れたことはない。地図で見ると近そうだが、道順が分からない。私はすごい方向音痴だ。バス会社に電話して尋ねてバス停に足を運んだ。乗車してみると、すぐ近くだった。バス料金で170円。え、なんだこんなに近いの? 歩いてもたいした距離ではない。これも嬉しい発見だ。
郷里から出張っていた販売員のT君と久しぶりに言葉を交わし、かぐらの里の名産、柚子果汁ドレッシングを4瓶と柚子のマーマレード1瓶を買い求めた。これでしばらくは郷里の味がたっぷり楽しめる。ショッピングセンターを歩いていて目についた、いや、耳に心地好かった風鈴があった。そうだ。この夏を乗り切るのに涼しげな風鈴もいいかもしれない。ヒマワリを描いた小さな江戸風鈴で1700円。音が気にいったので1個買った。
◇
大学の授業で先週小テストを実施した。人数が多く、その採点チェックに何と4日間も費やした。答案の一つ一つに短い寸評を書き入れることを常としているからだが、それでも週末をはさんでの4日間は痛い。読み始めたばかりの『伊勢物語』を手にすることは諦めざるを得なかった。まあ、それでも学生の文章を読むと、こちらも勉強になる。時に微笑むような珍答もあるが、概ね、問題を必死に解こうとしている姿勢が行間からうかがえ、読むこちらも真剣に向き合う。小テストをやって初めて彼女たちの心の内が垣間見えると思うこともある。ともすると陥る、教える側の「自己満足」に頭から冷水を浴びせられることもある。そういう意味では貴重な4日間だった。
(残念、窓辺の風鈴の写真、縦にできない!)
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『好色一代男』
- 2015-05-28 (Thu)
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このところ、古文の日本文学に凝っている。井原西鶴(1642-1693)の『好色一代男』を読み終えたばかり。「その生涯でたわむれし女三千七百四十二人、少人のもてあそび七百二十五人・・・」という物語が面白くないわけがない。
私はもちろん、作家名も作品名も日本人であるからには知ってはいたが、これまで特段の興味はなかった。それが最近、いささか読書欲をかきたてられた。一つには大学の授業で英語の歴史を教える役回りとなり、英語の成り立ちに関する本を幾冊か読んだことがあるかもしれない。チョーサー(Chaucer, 1340?-1400)やシェイクスピア(Shakespeare, 1564-1616)の作品を久しぶりに手にして、翻って古(いにしえ)の我が日本文学は、と思いを馳せていた。
ふと考えると、日本の古典文学はあまり読んでこなかった。中学や高校でさわりの部分くらいは読んだ(と誤解している)ことに起因しているのだろうか。改めて考えると、ほとんど語ることがないくらい「寂しい」いや「恥ずかしい」状況だ。少し前に樋口一葉の『たけくらべ』『にごりえ』を「初めて」読んで感銘を受けたことを書いたが、今度はさらに関心の先を平安や江戸の昔にさかのぼっている。
井原西鶴の『好色一代男』は江戸時代前期の1682年の刊行。「浮世草子」と呼ばれる遊里や庶民の暮らしを描いた町人文学の走りとなった作品だという。私が手にしたのは1984年に初版が出た作家吉行淳之介による翻訳の『好色一代男』(中公文庫)だ。時に西鶴の原文が紹介してあるが、なるほど、私には識者の訳文でないと到底読みこなせないかと思う。その点、芥川賞作家のこなれた現代語訳はすらすらと読み進めることができた。
読破した今、少しく思うことをここに記しておきたい。このブログは私にとって「美貌録」いや「備忘録」のようなものだ。
『好色一代男』の原文の冒頭に以下のような文章があるという。「浮世の事を外になして。色道ふたつに。寝ても覚ても。夢助と。かえ名よばれて」。翻訳文は「憂き世のことはもう結構と、寝ても覚めても女色男色そればかり、『夢介』と遊里で異名をとった男がいた」。
私はこの「色道ふたつ」が「女色男色」とは思いもしなかった。広辞苑をひくと、確かに「色道」とは「女色と衆道。いろごと」と記されている。なんだこの衆道(しゅどう)とは? さらに「衆道」をひく。すると「(若衆道の略)男色の道。かげま」などと説明されている。一事が万事。この文庫本を読み終えるまでに何度広辞苑をひいたことか。そして、当たり前のことであろうが、日本語に女色、男色にまつわる数多い語があることを思い知った。
『日本古典にみる性と愛』(新潮選書、1975年刊)で作家の中村真一郎は述べている。「戦国時代に渡来したキリシタンの宣教師たちを最も驚かせたのが、同性愛の社会的流布現象であった。そして、同性愛の家庭への侵入によって、必然的に夫婦関係がポリガミックになっている状態であった。この現象は江戸時代になると、男性の売笑施設が発達するまでに至った。こうした過去の驚くべき性習慣を、近代の私たちは忘れ、そしてホモやゲイを第二次大戦後に、アメリカから新たにコカ・コーラと共に移入された新風俗だと信じている」
さあ、次は同じく艶っぽさで名高い『伊勢物語』に挑戦だ!
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これが100回目
- 2015-05-21 (Thu)
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海外を「さるく」旅を終了し、2012年暮れに現在地に落ち着いてこのブログを書き始めて以来、この項が100回目になるようだ。特段の感慨はないものの・・・。
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部屋が片付き、気持ちがいいことは前回に書いた。それでもまだ気になることがあった。窓のカーテンの裾が長すぎること。退職前のマンションの窓の縦の長さが尋常ではなく、それに合わせたカーテンを購入していたからだ。ずっと気になっていたが、日光を遮断するのに不都合はないため、そのままにしておいた。片付けついでにこれも何とか窓の長さにそろえようと思い、リフォームの店をのぞいたりしたが、それなりの料金を徴収される。
この際、自分で長すぎる裾をたくって縫おうと思い、糸を買い求め、縫った。試行錯誤しながら、とても人様には見せられない出来上がりとなったが、何とか床をはかずに開け閉めができるようになった。英語で表現するなら、こういう出来上がりは crude (粗い、粗雑な)と言うのだろう。大学の英語の授業で学生にこの単語の意味を説明したばかりであることを思い出した。
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私はカレーが大好きだ。自分でも時々作って食べている。ただ、自分で作って「あ、これは美味い」と思ったことは一度もない。いや、正確にはなかった、と書くべきだろう。それが先日、(私にとっては)実に美味いカレーを作って食することができた。嬉しい驚きだった。これまでと何が違ったのか? あえて恥をさらすと、これまで市販のルーを入れるのが少な過ぎたことに気づいたことだ。肉や椎茸、ニンジン、玉ねぎなど具材はたっぷり5人分ぐらいあるのに、肝心のルーをせいぜい2人分しか入れていなかった。
それで、思い切って箱ごと、5人分ルーをどんと入れてみた。田舎から瓶詰で持ってきていた蜂蜜も混ぜて、ぐつぐつ煮込んだ。時折鍋のふたをとって見ると、いい匂いとともにトロリという感じ。炊き立てのご飯にかけて口に運ぶと、おお、これまでのカレーとは全然異なるではないかいな! 小人閑居して不善をなす。小人些細なことにも幸を見いだす。
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読売新聞の夕刊を開いて、あっと思った。一昔前は考えられなかった写真が載っていたからだ。英領・北アイルランドで英国支配に反対するカトリック派のシン・フェイン党のジェリー・アダムズ党首がチャールズ皇太子と握手していた。シン・フェイン党の影響下にある武装組織はかつて激しい反英テロ闘争を展開していた。チャールズ皇太子のアイルランド訪問に際し、今ではアイルランドの政界でも活躍するアダムズ氏との顔合わせがお膳立てされたようだ。チャールズ皇太子は1979年に武装組織の爆弾テロで大おじの伯爵を殺害されている。「歴史的な握手」(a historic handshake)と言えるだろう。
北アイルランド和平はロンドン支局勤務時代に精力的に取材した。独特の北アイルランド訛の英語を話すアダムズ氏とも単独会見した。二人の握手は北アイルランド和平の芽が着実に育っていることを象徴する出来事だ。世界各地の紛争解決のモデルケースとして根付いて欲しいと願う。
(写真上は、片付いた書斎として使っている部屋。これでこれからの仕事もはかどるはず。写真下は、東京・八王子での新入社員時代に亡きお袋が「部屋が寂し過ぎる」と買って置いてくれた縫いぐるみ。彼らも部屋がきれいになり、嬉しそう?!)
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片付け(tidying up my rooms) 完了!
- 2015-05-09 (Sat)
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先の連休はちんたらちんたら部屋の片づけと読書で過ごした。読書の方で手にしたのはこのところはまっていた夢野久作の小説。彼の作品は狂人と乞食がよく登場する。それはともかく、日本軍が暗躍するロシア革命後の満州を舞台にした推理小説『氷の涯』という短編を読んでいて、ふと手がとまった場面がある。登場人物の料亭の女将のことを述べた場面だ。
・・・すぐ隣の応接間らしい扉が開いて、奥様風の丸髷に結った女が顔を出した。与謝 野晶子と伊藤燁子の印象をモット魅惑的に取合わせた眉目容(みめかたち)とでも形容しようか。年増盛りの大きく切れ上った眼と、白く透った鼻筋と、小さな薄い唇が水々した丸髷とうつり合って、あらゆる自由自在な表情を約束しているらしかった。その黒いうるんだ瞳と、牛乳色のこまかい肌がなんともいえない病的な、底知れぬ吸引力を持っているようにも感じられた。・・・
与謝野晶子の容貌ははてさて? 伊藤燁子に至っては一体誰? ネットで検索すると、あの柳原白蓮のことらしい。今「夏目雅子と山口百恵を足して二で割ったような」と書けば、私の世代は理解できるが、若い世代は私と同様に???と感じるのだろう。まあどうということもないエピソードなのだが、妙に面白いと思った次第だ。
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ようやく部屋の片付けをやり終えた。不要な物は捨て、当面取って置く物は整理して、すっきりさせた。部屋が片付いていると気持ちも晴れ晴れ。もっと早くこういう状態にしたかったのだが、根がものぐさなものだから、これまでずるずると先延ばしにしてきていた。
そんな折、米誌タイム(電子版)が恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表し、その中に(私はその名を聞いたこともない)日本人女性が含まれているニュースに接した。近藤麻理恵氏。日本人で他に選ばれたのは作家の村上春樹氏だけ。英字メディアでは彼女の職業は “a decluttering consultant” と紹介されていた。日本語だと「片付けコンサルタント」だという。彼女の著書『人生がときめく片づけの魔法』が世界中でベストセラーとなり、今回の選出につながったのだとか。著書の英訳のタイトルはThe Life-Changing Magic of Tidying Up 。
上記の記述から、「片付ける」は tidy up か declutterで表現できることが分かる。彼女は自宅にため込んだ諸々の物がもはや「心をときめかすことがなければ」(if they don’t spark joy in your hearts)、人に譲るなり捨てるなりして、身軽になるライフスタイルを提唱。そうした物を手放す時に、ただ捨てるのではなく、きちんとその物への感謝の念を忘れないように訴えていることが、世界中の人々の琴線に触れたようだ。
実は私も似たようなことを心がけている。例えば、靴屋さんで靴を買い、それまで履いてきた靴をその店で処分してもらう時には必ず、その靴に対し、心の中でそれまで奉仕してくれたことへのお礼の言葉を念じ、お別れする。今回の片付けでも「感謝」の念を忘れずに、多くの品々をごみ袋に投じた。普段の暮らしでも食事した後の洗い物をする時には、まな板や茶わんに「いつもありがとよ」と時に「声」をかけている。年齢を重ねると、言霊(ことだま)という概念にも思いを馳せざるをえない。
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ドグラ・マグラ
- 2015-04-30 (Thu)
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世の中はゴールデンウイークの真っただ中にあるようだ。会社勤務におさらばすると、そんなこととはほぼ無縁の暮らしとなる。電車に乗っていて割と空いた車内を見て、ああ、今日は休日(祝日)なんだと初めて気づく。
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そんな中でも、海の向こうの大リーグは毎日パソコンやテレビで楽しんでいるが、残念なニュースが飛び込んできた。ニューヨークヤンキースの田中将大投手が右手に故障をきたし、故障者リスト(DL)入りしたというのだ。治療後の調整を含めると今後1か月間は登板すること能わずとか。昨年の後半戦に泣かされた故障とは部位が異なるようだが、彼の今季の活躍を期待していただけにがっかりだ。
地元のニューヨークタイムズ紙のホームページをのぞいてみると、“A Troubling Sign as the Yankees’ Ace Is Sidelined Again” (ヤンキースのエースが再び戦線を離脱し、チームに暗雲)という見出しで田中投手の戦線離脱を報じていた。誰もが認めるエースとなっている田中投手の戦線離脱がチームに痛くないわけがない。ファンが投稿するネット上の書き込みを見ても、彼らの失望の声が満ちている。私は一人の日本人としてマー君の活躍が楽しみだったが、これで大リーグを注視する興味は当面半減した。
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風変わりな小説を読み終えた。明治から昭和初期に生きた福岡出身の作家、夢野久作(1889-1936)の代表作と言われる『ドグラ・マグラ』(社会思想社)という作品だ。どう形容したらいいのだろうか。何とも怪異、異様な筋立ての小説だった。
夢野久作というペンネームからして面白い。最初の探偵小説の原稿を読んだ父親が「ふーん、夢野久作が書いたごたある小説じゃねー」と感想を言ったので、このペンネームになったとか。手にした文庫本には、この名前は「博多地方でぼんやりして夢ばかり追う間抜け人間」を指す代名詞だったと解説されていた。その感想をもらした父親の杉山茂丸は国家主義的右翼団体・玄洋社とも関わりの深い、明治から昭和にかけ政財界の黒幕として活躍、その名を広く知られた人物だという。
『ドグラ・マグラ』で描かれているのは「狂気の世界」。上記の解説ではあの江戸川乱歩でさえ「狂人自身が書いた狂気の世界」と評して、高く評価することはなかったエピソードが紹介されていた。確かに常識では受け入れ難い物語が展開される。————一千年以上前の中国は唐の時代に生きた画家が描いた絵巻物。絵巻物には画家が愛した美しい妻をお互いの同意のもとに殺めて、その妻の死体が描かれている。波乱万丈の展開を経て、画家の赤子が日本(福岡)に逃れてくる。忌まわしい絵巻物と一緒に。長い年月が流れ、その赤子の血をひく若者は美しい許嫁の従妹との祝言を前にして、許嫁を殺める挙に出る。若者は見てはならないあの絵巻物を目にしたようだ————。人間は本当に万物の霊長なのか? 狂人、狂気とはそもそも何ぞや?
夢野久作。不可思議な魅力を秘めた作家だ。彼の著作、まだあと何冊かはぜひ読んでみたい。このゴールデンウイークを退屈に過ごすことだけは避けられそうだ。
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気持ちいい日
- 2015-04-17 (Fri)
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北陸の旅では北陸新幹線の開通で賑わう金沢(石川)の有名な近江町市場も駆け足で見物した。魚津(富山)周辺は集客という面では、新幹線の恩恵はまださほどでもないようだが、東京との距離は格段に近くなった。北陸新幹線だと東京へは約2時間で行き来できるとか。魚津から福岡に戻るにはその北陸新幹線を金沢まで利用したとしても、京都で東海道新幹線に乗り換え、ほぼ7時間かかった。午後5時半過ぎに魚津を出て、自宅近くの福岡の駅に着いた時は暦が翌日に替わっていた。九州からはまだまだ遠い北陸だ。
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本日は久しぶりに朝から好天。その好天に誘われて洗濯をして、これからの季節、利用するであろう品々を色々取り出し、狭いベランダで虫干し。気分もいい。
ブログで確認すると、一昨年の5月24日の項に、「日中、暑い日が続くようになった。(中略)問題は午後遅くなってからだ。西日が真正面から飛び込んでくる。カーテンを引いて、辛うじて直射日光は抑えているが、それでもじっとり汗ばんでくる。初夏に差し掛かろうという今にしてこうだ。夏本番が思いやられる」と書いている。とすると、快適なのはこれからわずか一か月余か。なおのこと、この快適なひと時を大切に活用しなくては。
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相変わらず、アフリカ発のニュースはネガティブなものが多い。南アフリカでは南アの黒人がソマリアやモザンビークなどから「アフリカンドリーム」を求めて出稼ぎにやって来ている黒人同胞を襲撃する事件が悪化の一途をたどっている。英語だと xenophobia と呼ばれる「外国人に対する蔑視」で、命まで奪うヘイトクライム(hate crime)となっている。外国人の黒人同胞が汗を流して稼いでいる富を妬んでの卑劣かつ浅ましい愚行だ。
反アパルトヘイト(人種隔離政策)闘争の英雄、マンデラ氏が自由の身となり、肌の色や宗教・性差にとらわれない自由で公平な社会を築こうと訴えて25年。彼らはかつてそのマンデラ氏ら黒人解放闘争に従事した人々をかくまい支援した国々の同胞を血祭りに上げているのだ。残念ながら、南アの現実はマンデラ氏たちが訴えた理想からは年々、程遠くなりつつある。マンデラ氏が生きていたら、彼の嘆きはいかばかりか。
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2010年に『ブラックアフリカをさるく』を執筆するために歩いたナイジェリアのラゴスからメールが届いた。メールの主は上記の書でも紹介した、当時大学生のベケレボ・キャサリン・モズィモさん。彼女が最近詩作に励んでいることを知り、そのことを激励するメールを以前に送っていた。Dear Mozimo-san と呼びかけていた。私は時にメールに日本式で「さん」(san)という敬称をつけることがある。
彼女はどうもこの sanをson と理解したようだ。「ミスターナス。私のgender(性)を勘違いされているようなので、あなたのラゴス訪問時に一緒に撮影した写真を添付しておきます」と記してあった。日本の習慣に明るくない人に日本式の呼称をした私がうかつだった。私はすぐに釈明の返信を送った。でも、こうしたメールのやり取りができることがすごく嬉しい!
(写真は、マンションのベランダから望む青空! いつもこうだとご機嫌なのだが)
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