英語でさるく 那須省一のブログ
狐につままれたような
- 2020-01-16 (Thu)
- 総合
スポーツ中継もこの時期は数が少なく、テレビに釘付けになることは稀だ。タイのバンコクでは若手主体のサッカーのアジア選手権が開催されているが、名前を知った選手も少なく、放送時間帯も時差の関係で微妙なずれがあり、熱心には見ていない。日本代表は予選3戦を戦い、2敗1分けと無残な結果に終わった。
日本の最初の試合はゲーム終了が午前零時過ぎ。最後までゲームを見ず、どうせ負けているだろうから、結果は翌日の朝刊で確認しようと思い、就寝。翌朝、朝刊を見やると、あると思っていた結果が報じられていない。不思議だなあと思ったものの、そう熱心なサッカーファンではないのであまり気にはしていなかった。2試合目も全く同じ状況。不思議だ。
手にした新聞の一面の左肩を何気なく見やると、13sという文字が目に入った。あれ、14ではなかったかいな? 一般の読者にはこの数字は全然気にならないだろうが、新聞記者出身の私には驚愕の数字。これは「版建て」と言われる数字で、その日の最新のニュースが入っていることを示している。東京都心や大阪都心で配達される新聞は14版だ。福岡でも中心部は14版の新聞。私が住む東区もずっと14版が配達されていた。それが突然の13sへの「格下げ」。14版なら上記のサッカーのゲーム結果も楽に含めることができるが、締め切り時間の早い13sでは無理。私の購読新聞に結果が報じられていないのは当然の帰結だ。
すぐに販売店に電話を入れた。販売店の人の話によると、昨年秋ごろか、お店にやってくるトラックが変わり、時間帯も早くなったとか。なるほど、そういうことか。事情は呑み込めた。ただ、不思議なのは、紙面でこの「版建て」変更のお知らせを読んでいないこと。これはとても重要なことだ。言わば「商品価値」にも直結する。読者に何ら知らせることなく、版建ての変更を、この場合は格下げになるが、実施していたとしたなら、???。私が小旅行に出ていた間に告知されていた可能性や見落としていた可能性もあるにはあるが、どうも釈然としない。古い新聞は手元にはないから確認しようもない。古巣の新聞社だから、あまり酷なことは記したくはないのだが、これは全く別の問題だ・・・。
◇
大リーグでサイン盗み疑惑(sign-stealing scandal)がついに監督やゼネラルマネージャーの解任劇にまで発展した。渦中の球団がワールドシリーズで優勝を果たしたヒューストンアストロズとボストンレッドソックスであることも驚きだ。プロ野球なら巨人やソフトバンクホークスが絡むような事態で、野球観戦どころではない重大な不正行為だ。
アストロズの場合は本拠地球場の外野に設置したカメラで保守のサインを撮影し、ベンチのゴミ箱を叩く音などで打者に球種を伝達していたという。投手が投げる球種が分かれば、打者には圧倒的に有利であることは素人にも理解できる。選手の処分は対象者があまりにも多いことや移籍しているケースもあることから見送られるとか。上記の球団と対戦してワールドシリーズから敗退したチームやファンにとっては納得のいかない裁定かもしれない。アストロズ、レッドソックスのそれぞれ2017、2018年のワールドシリーズ制覇が色あせることは不可避の情勢だ。両球団は今シーズンはアウェイのゲームでは対戦チームのファンの罵声を浴びることになるのだろう。それは致し方ない。
- Comments: 0
「游」は「泳ぐ」
- 2020-01-12 (Sun)
- 総合
さあ、本格的に新しい一年が始動した。小倉と天神(博多)の英語教室。少しは受講生が増えてくれないものかと願ってはいるが、どうなることやら。まあ、今の受講生はどちらの教室も熱心に受講しているようなので、それだけでも感謝、感謝だ。
今年は中国語・韓国語ともに長足の進歩を遂げたいと思っている。頼りにしているのはNHKのラジオ講座だ。再放送が多いので復習しながら力をつけていくにはもってこいの講座だ。金曜日の講座では次の二つの文章が出ていた。「我会游泳。」と「我能游一千米。」。最初の文章は「私は泳げます」で次の文章は「私は千㍍泳げます」という意味。「游泳」(yóu yǒng)は「泳ぐ」という語。二つ目の文章では「游泳」のうち、「游」という漢字は出ているが、「泳」という漢字はない。我々日本人には「泳ぐ」と言えば、「游」ではなく「泳」という漢字が頭に浮かぶかと思う。中国語では「游泳」という語句はあっても、数量を付加して表現する場合には「游」が言わば「代表」して表に出てくるということか。この辺りは私には実に頭が混乱する。「游」を中国語の辞書で引くと、①「泳ぐ」の次に②「ぶらぶらする」という意味が出ている。②の方が何となく分かるような気がする。
◇
欧州連合(EU)のくびきから自らを解き放つブレグジット(英国のEU離脱)で揺れ続けている英国で、今度はまた新しい「離脱」が波紋を広げている。王位継承順位6位にあるヘンリー王子(35)が妻のメーガン妃(38)とともに王室から一歩身を退くと表明したのだ。日本のメディアでは二人が「王室の中心メンバーから退く」と紹介されている。「中核メンバー」あるいは「主要メンバー」と訳出したメディアも散見した。初めてこのニュースをNHKテレビで耳にした時に「中心メンバーって英語ではどう表現しているのだろう?」と思った。
BBCのホームページにアクセスして上記の表現は “senior members of the royal family” となっていることを知った。なるほど、senior か。私は central とか leadingという語が頭に浮かんだが、senior members が自然な表現ということだろう。この辺りも英語のネイティブスピーカーでないと苦労するところだ。
ところで、ヘンリー王子夫妻の決断はエリザベス女王を筆頭に王室の他のメンバーには一切、寝耳に水だったようで、女王も心を痛めているとか。これからさまざまな説得工作、駆け引きが展開されていくのだろうが、報道によると、二人は自分たちのプライベートな生活に対する英国メディア、特にタブロイドペーパーと呼ばれる大衆紙の取材攻勢に辟易していたことがうかがえる。これからは生活のベースを北米、特にメーガン妃がかつて暮らしたことがあるカナダに移したい意向であると伝えられている。
とはいえ、二人は英王室から完全に身を退くわけではなさそうで、果たしてどのような妥協案が出て来るのか。BBCの記事によると、カナダの国民はヘンリー王子夫妻がカナダを「半定住」の地に選んだことに概ね好意的な見方をしているようだ。英国民はどうか。二人が王室の一員として種々の(経済的)特権を保持したまま、海の向うで優雅な暮らしをエンジョイすることを許容するのか。それは分からない。
- Comments: 0
デジカメ見つかる!
- 2020-01-08 (Wed)
- 総合
正月早々、中東情勢がきな臭くなっている。民放テレビのテロップでは第三次世界大戦の勃発を憂えるものもあったようだ。第三次世界大戦はともかく、アメリカとイランが本格的な戦争状態に突入する危険性は確かに否定できない。
ただ、イラン政府はイラク領内の米軍基地へのミサイル攻撃に出た8日(日本時間)、報復攻撃が「完結した」と表明しており、トランプ米政権が新たな重大な挑発行為に出ない限り、対立がこれ以上激化する可能性は薄そうにも思える。収束することを切に祈りたい。
◇
正月早々紛失したデジカメ。前項で書いたように、新聞社を2010年に早期退社した際、会社から記念品としてもらい、アフリカの旅以降、ずっと私と一緒に旅してきた「戦友」だった。それで福岡に戻って以来、ベッドで横になっている時など、魚津のママさん家を出る瞬間から亀岡の兄の家を出る直前の荷造りまで、何か思い出せないものかと再三試みた。魚津を後にした宇奈月温泉駅から金沢駅までの北陸新幹線の車中、金沢駅から京都駅までの特急サンダーバードの車中の行動も。だが、デジカメをどうこうした記憶がない。
半ば諦めかけていた時に神戸で会食した新聞社勤務時代の同僚Iさんからメールで「警察に紛失届を出したらいかがですか」と促された。そうだなと思い、とりあえず、JR西日本の忘れ物センター(金沢)に電話を入れてみた。最終的に大阪の曽根崎警察署に問い合わせることになった。どうも、該当するような忘れ物がこの警察署に保管されているようだ。
忘れ物担当の部署に回され、担当者に尋ねてみると、確かに私のデジカメと酷似したものが届いているとの由。「どんな写真を最後にお撮りですか」との問いに「魚津の訪問先でご馳走になった海の幸がテーブルに並んだものや鍋料理の写真です。英語の四コマ漫画をフレームごとに撮ったものもあるはずです」と答える。本当に嬉しいことに、私のデジカメであることが判明した。
やはり、サンダーバードの車中で座席かどこかに忘れていたようだ。おそらく、金沢駅の地下の商店街で買った駅弁を食べようとした際にその駅弁をデジカメで撮影し、そのまま座席のお尻の辺りに置き、バッグにしまうのを忘れた可能性がある。私が京都駅で下車した後、親切な乗客が車掌さんに届け出てくれたのだろう。その人と神様に感謝!家中を探してくれたママさんや兄にもすぐ電話を入れ、詫びた。日本はやはりいい国だ。
◇
実はデジカメが出てこないものと思い、引き出しにしまっていた古いデジカメ二個を引っ張り出していた。一つは新聞社を辞めるまで仕事で使っていたデジカメ。これは多機能の付いた本格的なデジカメ。それと、会社を辞める直前の2009年に購入していた小型のデジカメ。この二つを取り出し、使ってみようとしたが、ともに十年以上触っておらず、使い方をすっかり忘れていた。取り扱い説明書などどこにあるかも分からない。
メモリーカードも残ったままで、確認すると2009年に当時の若い女性スタッフらと食事した時の記念写真などが目に飛び込んできた。懐かしく思うと同時に複雑な気持ちにもなった。この10年、私は一体何をしてきたのだろうか。何を考えてきたのだろうか。
- Comments: 0
デジカメ紛失!
- 2020-01-05 (Sun)
- 総合
大晦日から正月にかけ、実によく飲み食いした。正確には飲み食いさせてもらった。体重は今80キロに限りなく近いかと思う。恐ろしくて体重計になど乗りたくない。身長のない私には限界だ。よし、今年は真面目に減量に取り組もう。目標体重とりあえず70キロ。つい先日の記憶では77キロ程度あったはずだから、少なくとも7キロの減量となる。9月の定期健診までに70キロを目指そう。本当はこの数値でも標準体重からは程遠い。
そういえば、昨年最後のこのブログで、「从明天开始,我一定要减肥」という中国語の文章を紹介していた。これを再利用するなら、「从今年开始,我一定要减肥」となるだろう。「今年から私は絶対ダイエットするつもりだ」
◇
などと、このブログを今、関西から福岡に戻る新幹線の車中で(ラップトップのキーを叩いて)書いている。頭の中はこの一週間の酒(ビール・日本酒・焼酎・赤ワイン)でまだぼぉーとしている。実はけさ神戸のホテルでいささかショックを受けた。いつも旅に持参しているデジカメが見当たらないのだ。愛用のバッグ(リュック)に入れていた(つもりだった)。ホテルの部屋をくまなく探したが、キャリーバッグも含めどこにもないではないか。
前日の昼、関西に住む古い知己の方々とホテル近くの和食のお店で一年ぶりの会食を楽しんだ。その際、写真でも撮ろうと思っていたので、そのお店に置き忘れたのかと思い、朝電話を入れてみたが、デジカメの忘れ物はないとの由。写真を撮りたいとは思っていたが、デジカメをバッグから取り出した明確な記憶はない。魚津を出て途中二泊した亀岡の兄の家にも電話を入れたが、忘れ物はないという。
そうなると一番可能性のあるのは魚津のママさんの家。そこでご馳走になった海の幸や鍋をスマホで撮影し、宮崎の妹や帰省している姪っ子にラインで送付していたが、私はブログ用にはいつもデジカメを使用している。福岡に戻って改めてブログで書き残す際にブログ用の写真を別途、デジカメで撮影した記憶があるようなないような・・。
ひょっとしたら、デジカメを自宅に残したまま、今回の旅に出た可能性もある。いずれにせよ、福岡の自宅に戻ったらはっきりする。デジカメがあることを願ってはいるが、そうなれば私がすっかりもうろくしたことの証左ともなるので、実に情けない。
◇
そしてようやく先ほど新幹線で帰福。マンションに戻り、ひょっとしたらという思いで机の上やテーブルの上を探すが、デジカメは見当たらない。やはり、バッグに入れて旅したようだ。どこかに置き忘れたか落としたか。
あのデジカメは新聞社を早期退社した際、会社から記念品としてもらったもので、アフリカの旅以来、これまでずっと私と一緒に旅してきた。戦友のようなものだ。心がふたがる。ここは亡きお袋がこういう時によく口にしていた言葉を思い出すことにしよう。あのデジカメは私の替わりに遺失物となってくれたのだ。もっと悲惨なことが我が身に降りかかっていたやもしれない。デジカメが身代わりになってくれたのだ。その程度で済んだことを神様に感謝しよう。お袋が生きていたら、きっとそう諭したはずだ。嗚呼、それにしても!
- Comments: 0
良いお年を!
- 2019-12-28 (Sat)
- 総合
エリザベス英女王のクリスマス恒例のビデオメッセージは英国民及び英連邦の人々に団結・融和を呼びかけるものだった。英国は欧州連合(EU)からの離脱を巡り、国民の間に大きな亀裂が走った一年。イングランドとスコットランドの確執はこれからさらに深刻なものになる可能性が大だ。女王にとっては、次男のアンドリュー王子にまつわる醜聞もあり、個人的にも心穏やかならない年だったことだろう。
それにしても御年93歳のエリザベス女王はいつまでも美しく凛としていらっしゃる。彼女は間違いなく、英国及び英連邦の団結を維持する最後の「砦」だと言っても過言ではないと思う。エリザベス女王のメッセージの締め括りの言葉は “Merry Christmas!” ではなく、“I wish you all a very happy Christmas!” だった。原意が「ほろ酔い加減」の “merry” ではなく、「幸せ」の “happy” だ。
◇
NHKラジオが毎朝夜に再放送している中国語講座「まいにち中国語」が60回目を迎えた。来年3月まで全120回放送されるから丁度折り返し地点だ。今のところ、そう苦もなくついていけている。初級の講座だし、何と言っても再放送だから当然と言えば当然だ。しかし、記憶力が鈍化している身にはこれから段々ときつくなっていくのだろう。
それはそれとして、次のような文章が出てきた。日本語で書くと、「鳥になって空を飛びたいなあ」と「あしたから絶対ダイエットします」。中国語では次のようになる。「我想变成一只鸟,在天空中飞翔」と「从明天开始,我一定要减肥」。日本語の方がずっと簡潔な物言いに思える。中国語では「一羽の鳥」と言わなくてはならないし、「空を」という個所が「在天空中」と仰々しい。ダイエットしたいという文章も「开始」と「减肥」が離れており何だか面倒なあと思わないでもない。まあしかし、その逆の場合もあるような気がするし、慣れていくしか手はないのだろう。余談だが、「鸟」(鳥)の発音はニャオ。「猫」(猫)はマオ。鳥が猫に思えてならない。
◇
2019年ともあと少しでお別れだ。個人的にはうーんという感じの年だったが、健康で快適に日々を過ごすことができたのだから、文句を言ったら罰があたるというものだ。神様に深く感謝。
『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)を一応読み終えた(気になっている)。『歎異抄』(岩波文庫)よりは楽しめたみたいな印象はある。それでも難解は難解だ。それで「積読」というか途中で読むのを放棄していた親鸞聖人著の『教行信証』(岩波文庫)を再び寝しなに読み始めた。いや、読むというよりは活字をぼぉーと目で追っている感じだ。あのチコちゃんに知られたら、「ボォーと読んでんじゃないよ!」と喝を入れられること必至。
晦日からまた北陸に旅する予定。京都・神戸・芦屋を経て5日に帰福する。新幹線を手始めに車中で長い時間を過ごすことになるから、『教行信証』が「睡眠薬」となり心地良い眠りに落ちていることだろう。皆さま、良いお年を!
- Comments: 0
Word of the Year for 2019 'they'
- 2019-12-25 (Wed)
- 総合
料理のレパートリーが少ない私にとって味噌汁はよく作る大切な一品。「焼きあごだし」という名称の出しの素を頂いていたことを数日前に思い出し、普段使っている出しの素の替わりに入れてみた。よく分からないが、口の中に何か残る感じでどうも・・・。それでも私が使っている出しの素よりは高級そうなので利用していた。
ふとそのあごだし(紙のパック)が入っている袋の裏の説明書きを読んでみた。ざっと目を通したつもりだったが、よく読むと、紙のパックを破らずに、そのまま鍋に入れ、水の状態から煮だすようにと書いてある。私はいつも使っている出しの素のように袋を破って鍋にあけていた。道理で勝手が違っていたはずだ。幸い(?)あと一袋残っている。最後に本来の味を楽しもうと思っている。物事を知らないと損をするものだ!
◇
先日、小学校では今は児童を男児であれ女児であれ、教師は「さん」付けで呼んでいると聞かされた。男児でも「君」と呼ぶことはないのだという。私にはよく理解できないが、「君」と呼ばれることに抵抗を覚える男児がいることにも配慮した措置だとか。
英BBCのネットで最近読んだ記事を思い出した。アメリカの辞書出版社、メリアム・ウェブスター(Merriam-Webster)が「今年の言葉」(word of the year)に they を選んだという記事だ。“Non-binary pronoun ‘they’ is word of year” という見出しだった。これだけでは何のことかさっぱり分からない。
朝日新聞の「天声人語」がこの話題を取り上げていた。参考になるので以下に要点を引用させてもらう。——男女に関係のない中立的な言葉として、近年よく使われるようになったという。女性差別さらには性的少数者への偏見を減らそうという思いが込められている。もともとは複数形のtheyを単数のように使い、「he(彼)」「she(彼女)」の代わりにする。それでも動詞はareなど複数のまま。——
トランスジェンダーや明確な性認識に迷っている人々はこれから自分のことに言及される時に外見から判断される従来の代名詞(he, she)ではなく、they を使って欲しいということか。例えば、「彼の趣味は何だっけ? 」というような場合には従来の “What’s his hobby, do you know?” ではなく “What are their hobby, do you know?” となるのだろうか。動詞の選択に悩まされるし、慣れるまで時間がかかりそうだ。全く新しい代名詞をこの際、創り出した方が良さそうにも思えるが、そうなったらそうなったで形を変えた「差別」と批判されるのだろうか。
◇
本日はクリスマス。エリザベス英女王の恒例のクリスマススピーチが現地時間では午後3時からBBCで放映される予定。時差があるので日本時間では日付が変わった直後の深夜午前零時から。ケーブルテレビでは午前2時過ぎから録画放送があるようだ。これはちょっと厳しい時間帯だ。パソコンのネットでは生中継されるのだろうか。楽しみに待とう。女王様が聴衆に語りかける言葉は 伝統的な “Happy Christmas!” であり、ちまたに流布している “Merry Christmas!” ではないはずだ。それを改めて確認したい。
- Comments: 0
Happy holidays!
- 2019-12-23 (Mon)
- 総合
今年も有馬記念がやってきて、終わった。今週の土曜日もあと一日競馬があるようなので、JRA(日本中央競馬会)の今年のレースがすべて終了したわけではないが、有馬記念で一年の一区切りがつく。私は馬券を場外やネットで購入することから足を洗って久しいが、有馬記念は特別な思いでレースを見る。一年の締め括りぐらいは馬券をちょっと買ってみたいと思わないでもないが、買い方も大方忘れてしまった。それでも自分だったら、この馬を中心にしてあれとあれとあれを二三着候補に馬券を買うかな、ぐらいのことは頭の中でシミュレーションはする。推理するだけならただで済む。
天神で今年最後の英語教室を終えた後、急いで自宅に戻り、有馬記念のレースを観戦した。私の念頭にあった馬は全然ダメだった。評論家・予想屋の圧倒的大多数が絶対視していたダントツ一番人気の4歳牝馬アーモンドアイは最後の直線でなぜか失速し、掲示板にも載らない9着に惨敗した。中山競馬場では群衆が絶叫し、ため息が漏れたことだろう。
競馬は馬券を買わずに、推理して楽しむだけにすれば、文句なしに楽しめるレジャーだ。馬券を買う人がいなくなれば、公営ギャンブルとして成立しなくなるという指摘もあるだろう。そうなれば、歌舞伎や能のように伝統技能として伝承していけばいい。
あの歌舞伎だってテレビで見たことはあっても、劇場で観たことのない人は案外多いのではないか。私も劇場ではない。たいして興味もない。でも、歌舞伎を後世に継承することは大切なことであると分かる。競馬もその程度の位置づけでいいのでは。国民のお金を毎週末巻き上げるレジャーである必然性はない。ましてや、人気のある女性タレントたちを使って競馬場内の女性専用カフェを映し、男性タレントが「あそこには馬女(うまじょ)しか入れないのだ!」と叫ぶCMを流し、若者の競馬熱をあおる必要などさらさらない。
◇
クリスマス。Merry Christmas! がいいのか Happy Christmas! がベターなのか。いや、世の中はキリスト教徒だけではないので、近年は Happy holidays が無難とも聞く。
今年最後の英語教室(天神)で時節柄、Happy Christmas について若干説明しようと思った。そこでふと思い出した。そう言えば、公民館の中国語講座でちょうど一年前に中国語で書いたこのテーマのトリビア的な一枚の紙をもらったことを。最後の方は私には難し過ぎて、ろくに読んでいなかった。どこかにあるはずだ。机の上にたまった書類・手紙等の山を漁ってみたら、運よく出てきた。
改めて読んでみると、興味深いことが記してあった。なぜ、当初は一般的だったHappy Christmas! がMerry Christmas! に取って代わられたのか。Happy Christmas & happy new year! と口にする場合、happy を二度言うことになり、これは口調が良くないから、Merry Christmas! が段々と優勢となったという説があるらしい。中国語の表現でも似たようなことが言えると書いてあった。去年はそこまで読めなかった。証左として中国語で「吃两两饭」(ご飯を100㌘食べる)と言う時は「两」(2)と「两」(50㌘)の重複を避け、「吃二两饭」と最初の「两」を「二」に替えて使うとか。確かに同じ語を直近で繰り返すのを回避したいのは理解できる。英語と中国語同様、日本語でもそうかもしれない。
- Comments: 0










