英語でさるく 那須省一のブログ
ガリア戦記
- 2016-01-11 (Mon)
- 総合
年末年始留守にしていたこともあり、帰福して今冬初めて暖房(ガスストーブ)をオンにした。暖かい。韓国語だと、따뜻함니다(タットゥタムニダ)。日本人には厄介な発音の濃音が二つも出てくる。韓国に旅して果たして私の発音で通じるか楽しみだ。よく見ている韓国語ドラマは一週間余の空白があったが、筋立てに大きな変転はなく、いつものように物語が流れている。字幕がなくても理解できるようになるのはまだだいぶ先のことだろう。
◇
帰福してマンションのドアを開けると、この間にたまっていた新聞がどさっとたまっている。例によって正月紙面は分厚いが、新年も一週間以上も過ぎていると、とても読む気になれない。私は現役の頃から思っていたのだが、日本の新聞各社の正月紙面制作はもうそろそろ方針変更してもいいのではと思う。この時期は海外(国内)旅行や里帰りなどで多くの読者が自宅を留守にしているかと思う。正月明けで帰宅して、留守にしていた間の新聞を読み返すのは一仕事だ。正月の特集はラテ欄程度にとどめ、その他の特集は12月の中下旬とか1月の上旬とかに配達(編集制作)してもらった方がずっと読者サービスになるだろう。
◇
岩波文庫の『ガリア戦記』(カエサル著、近山金次訳)を読んだ。1942年の刊行で2015年に第77刷発行とあるから、根強い人気の一冊なのだろう。表紙には「カエサル(前102年頃―前44年)の率いるローマ軍のガリア(今のフランス)遠征の記録。現地から彼が送る戦闘の記録はローマ全市を熱狂のるつぼに化したという。文筆家カエサルの名を不朽にし、モンテーニュをして『最も明晰な、最も雄弁な歴史家』と賞讃せしめたものである」と記されている。読までかいな!
この本を読みたかったのは、カエサルすなわちシーザーのブリテン島遠征のことを知りたいと思ったからだ。イングランド及び英国民にとってはローマ帝国の侵略を受けたことは歴史の大事な一コマとなっている。ただ、残念ながら、『ガリア戦記』にはそう詳しい記述はなくあまり参考にはならなかった。以下のくだりにはマーカーを走らせた。
ガリアを通じて尊敬され問題にされる人間は二種類ある。民衆は殆ど奴隷と見做され、自主的に何もできず、何も相談されない。(中略)二種類の人間の一つは僧侶であり、もう一つは騎士である。僧侶は神聖な仕事をして公私の犠牲を行い、宗教を説明する。教育を受けようと多数の青年が集ってきて、尊敬されている。(中略)その教えはブリタンニアで始まり、ガリアに伝えられたものらしい。現在その事柄について更に詳しく知ろうと思うものは勉強のためにブリタンニアへ行く。
僧侶と騎士以外は民衆が奴隷状態の社会とは住みにくい世の中だったことだろう。まあ、日本も似たような状況だったのだろうが。それはさておき、英国にとって欧州連合(EU)との関係をどう保つのかは今も悩ましい難題だ。シーザーが乗り込んだブリテン島の住民は今のゲルマン系のアングロサクソンではなく、異民族のケルト系の人々だったはずだ。だからであろうか。この当時はブリテン島の人々とガリアの人々との関係は意外と友好的だったようだ。それが分かっただけでも「収穫」だった。
- Comments: 0
瀬戸の極み
- 2016-01-07 (Thu)
- 総合
はて、去年の今頃は年頭に際し、どのようなことをブログに書いていたのだろうとスクロールして見てみると、「正月早々」と題して、古里の山中で見た不思議な飛行物体のことを書いている。実は今年もまた長姉の家の前庭から夜空を見上げた。同じような不思議な物体が飛び交っていた。もっとも、正月でいつものように甥っ子と一緒に来ていた甥っ子の嫁さんは「きっと人工衛星でしょ」とにべもない反応。案外そうかもしれない。私はまだ腑に落ちない気分なのだが。ここで動画でもお見せすることができれば、私が感じている不可解さは分かって頂けると思うのだが、アナログ人の私にはそうしたテクはない。アナログビト。私の勝手に造語だが、英語でよく言われる、endangered species(絶滅危惧種)の一つにそのうち入るかも。私にはブログを時にアップすることが関の山だ。(Updating this blog is the most I can do in this high-tech age.)
◇
ネットからも解放され、ぼけっと過ごした一週間余だった。異常なほどに暖かい年の瀬から正月だった。宮崎とはいえ、山中はこの時期は零下になることも少なくなく、一階の炬燵とストーブの部屋を出て、暖房のない二階に敷いた布団に潜り込む時はいつも震えがきていた。今年は震えることは皆無に近かった。戸外でつららも見なかった。里帰りした親に連れて来られたのか、小さい子どもがTシャツ一枚で歩いているのを見た。こうした光景が真冬にも日常茶飯事になれば、暖冬だと珍しがってばかりはいられない。
炭火でやいた餅や肉、魚をたらふく食った。新しい社殿ができた銀鏡神社にも大晦日の日中に参った。この社殿は郷里出身で国の行政府で活躍されたH.E.さんが大枚をはたいて寄贈したもので、凡夫には到底できっこない志だ。そのとても有難い社殿の中に据えられた賽銭箱を狙った賽銭泥棒が出たとかで、私がお参りに上がった時には警察の鑑識が来ていた。こんな田舎にも賽銭泥棒が出没するとは! 罰当たりな盗人がいるものだ。
◇
世界では年末年始にかけ、懸念された大きなテロはなかったようだ。昨日だか、北朝鮮が2013年2月以来の核実験、それも破壊力で原爆をはるかに上回る水爆実験に成功したと発表したこと以外はこれといったニュースはなかったかのように思う。いや、北朝鮮に隣接する日本にとってはこれ以上の迷惑極まりない深刻な出来事はないが。今回の核実験成功表明の狙いが何にあるのか。単なる国威発揚ならそれはそれでいいのだが(いや良くないか!)、いつ暴発するか分からない核兵器を掌中にした意思疎通不能の隣人がすぐそばにいるのは何とも不気味な話だ。北朝鮮のやり方はかねてより、「瀬戸際政策」とか「瀬戸際外交」と呼ばれてきたが、今回の核実験の成功表明はその最たるものだろう。
「瀬戸際政策」とは危険なかけで交渉相手の譲歩を迫る政策・戦術のこと。英語では brinkmanship という。辞書によると、brink が「縁、瀬戸際」という意味で、(on the brink of warは「開戦の瀬戸際に」という意味)、冷戦さなかの1950年代に生まれた語であり、語源(etymology)はよく分からないが、sportsmanship という語の類推で brinkmanship という語が派生したようだ。なんとなく分かるような気はする。
- Comments: 0
行く年
- 2015-12-29 (Tue)
- 総合
今年も大家さんから市販の可愛い鏡餅セットを頂いた。カレンダーも来年のものと取り替えた。過ぎ去ろうとしている行く年の数少ない収穫は、正月明けに心に誓った断酒をずっと守り通したことだろうか。断酒をやむなく破ったのは、盛夏の頃に小中学校の頃の幼馴染と語らった飲み会や、南大隅町を訪れ、旧知の人たちとの再会を祝ったささやかな宴など数えるほど。そうした場ではさすがに酒(焼酎)を断るわけにはいかない。酒があってこその祝宴だ。しかし、それ以外では焼酎、つまり酒を飲むということが頭からすっかり消えてしまった。これからもやむを得ぬ場以外では酒を口にすることは皆無に近いかと思う。
◇
世界は2015年も世界各地でテロが相次ぎ、血なまぐさい一年だった。エリザベス英女王は英連邦(Commonwealth)の人々にテレビを通して語りかける恒例のクリスマスメッセージで今年は次のように述べている。 “It is true that the world has had to confront moments of darkness this year, but the Gospel of John contains a verse of great hope, often read at Christmas carol services: ‘The light shines in the darkness, and the darkness has not overcome it’”.(世界は今年、暗黒のときに直面しなければならないことが何度かあった。しかし、クリスマスによく賛美される、ヨハネによる福音書の一節は大いなる希望の言葉を含んでいる。「暗闇の中でも光は輝く。暗闇が光を圧倒することはない」のだ)。確かにその通りだろう。ただ、もし宇宙のかなたから異星人が地球を訪れ、地球の現状を目の当たりにした時にどう思うだろうか、などといった妄想に駆られることがある。特にその異星人が人類よりはるかに進んだ高等文明を有していたとしたらだ。地球に住む我々人類は何と愚かで冷酷無比な生物であることよと思うのか。いや、欠点はあるものの、多くの場合、愛と思いやりに満ち、向上心を胸に秘めた生物であることよ、と好意的に見てくれるのか。私は自信がない。
◇
有馬記念は思いもしなかった馬が勝利した。私の意中の馬は惨敗。あまたの競馬予想家は軒並み外したようだ。勝ち馬を当てることを職業としている者でも外してしまう。競馬はかくも難解なギャンブル。手を出さない方が無難というものだ。もちろん、馬券は購入せずに予想だけ参加し、レースで駿馬が疾走するシーンを見ているだけでも目の保養となる。
◇
これから宮崎の山にある故郷に帰郷する。携帯も圏外となり、ネットもできなくなる。文明の利器から離れ、心穏やかに一週間程度を過ごすのも悪くない。雑念から解放され、清浄な山中を歩き、読書にいそしもう。
来年からはいよいよ、韓国をさるき始める予定だ。これまでの海外の旅に比べれば気楽だ。第一、週末を利用しての、たいていの場合、数日間の短い旅程だ。岩手や秋田など東北地方をちょこっと旅する感覚で出かけることができるに違いないと期待している。時差もない。行き当りばったりの旅だ。どうなることやら。
皆様にとって来年が良い年でありますように。良いお年を!
- Comments: 0
暖冬
- 2015-12-25 (Fri)
- 総合
昨日今年最後となる大学の授業を終えた。これから少し長い冬休みに入る。年明けの14日まで授業がない。今年もまた、試行錯誤の一年だった。授業を終えての別れ際、何人かの学生が「先生、また来年!」と明るく声をかけてくれたのが救いだ。
◇
今冬はまだ暖房を入れていない。手帳を見ると、一昨年は11月28日にガスストーブのスイッチをオンにしている。昨年は12月10日。今冬はまだそういう気がおきないのだから、暖冬なのだろう。魚津のママさんから昨日、お歳暮のお礼の電話があり、富山も今年は異常に暖かい、まとまな雪はまだ降っていないとか。地球温暖化の現われ?
大学の異文化理解の講座を担当していることもあり、地球温暖化はずっと関心を抱いてきている問題だ。今月パリで開かれたCOP21という名の気候変動枠組み条約の締約国会議で、今世紀末を視野に地球の平均気温の上昇の抑え込みに可能な限り取り組むことで合意に達したとか。先進国と途上国が初めて足並みをそろえた歴史的合意と報じられていた。
地球温暖化という語はおそらく、英語の global warmingの訳語として生まれたのだろう。訳語としては妥当な訳だが、問題の深刻さを考えると、もっとインパクトのある訳語もあったかなと思う。地球猛暑化、異常気象化、気候異変化・・・。このまま温暖化が歯止めもなく進行すると、今世紀末には猛烈な破壊力のスーパータイフーンが日常茶飯事となる事態が到来するとも言われている。その頃には私はあの世だと安心もしていられない。太平洋上に発生する台風の勢力は素人目にもすでにしてかつてない猛威を示しつつある。
◇
年末と言えば有馬記念。普段競馬をしない人も有馬記念だけは馬券を購入すると聞いたことがある。宝くじのようなものだろうか。売り上げが落ちているJRA(日本中央競馬会)もこの時期になるとメディアへの露出を一段と強化してPRに躍起となっている。
このブログで既述したように、私は今年4月末以来、一切の賭け事から足を洗った。競馬もしかりだ。ケーブルテレビではしょっちゅう麻雀番組を楽しんでいるし、時には地上波テレビで競馬放送を見ることもあるが、実際のギャンブル行為には興味を失った。
ある時、知り合いのご婦人に次のように言われたことがある。「馬券を買わないで競馬中継を見ていて、意中の馬が勝利した時など凄く悔しい思いをするでしょう?」。先日のG1レースでまさにそういう事態に至った。普通にこの馬が勝つのだろうと思いながら、レース実況を見やっていると、その全く人気薄の馬が一着入線し、波乱の大万馬券となった。正直に書くと、少しく残念に思いはしたが、直ぐに忘れる程度の悔しさに過ぎなかった。現実に自分がパソコンを使って馬券を購入していたら、神様は他の馬に栄冠を与えていただろう。もっと言えば、次のようにも考えた。馬券の儲けを手にすることで、自分の身辺に儲けに相当する、いやそれ以上の不幸な事態が到来していたであろうとも。実際に馬券を買って当たらなくて良かった。
日曜日の有馬記念。馬券は絶対に買わないが、勝利する馬は〇〇〇だと思っている。これも人気薄だ。嗚呼、こんな賭け事の楽しみ方、もっと早く実践しておけばよかったのに!
- Comments: 0
女文字よ、ありがとう!
- 2015-12-23 (Wed)
- 総合
前々回で鈴木大拙著の『日本的霊性』(岩波文庫)について書いた。親鸞聖人のことについて知りたかったので読んだのだが、ブログでは『源氏物語』や『枕草子』などの平安文学をこき下ろすくだりを紹介した。著者は平安文学を評価するところはきちんと評価、称賛していた。誤解を招くといけないで、そのことを付記しておきたいと思う。彼は次のように述べている。大雑把にそのくだりを抜き出すと以下のようになる。
平安時代は、なんと言っても女性文化時代である。紫式部、和泉式部、清少納言などの名は、日本人として知らぬもののないほどである。そうして我らはこれらの女性をもっていたことを誇りとするものである。彼女たちは「女(おみな)もじ」を考え出して、それを自由自在に駆使して、柔かく細やかな感情を表現した。仮名文字の発達がどのくらい日本思想の独自的展開に資することがあったかは、十分に認識する必要がある。漢文字と漢文学とに支配されている限り、日本思想は自由な立場におかれない。屈伸に自由でなく、連結に緊密を欠く漢文字では、思想の表現はおのずからそれに制せられる。仮名文字がなかったら、日本は明治維新の大業を成しとげ得なかったと思う。我らは平安朝女性の創造的天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである。(このくだりの全文は続で)
全く同感。「目から鱗」のように、この仏教学者の説が理解できた。万葉仮名から生まれた平仮名、カタカナなかりせば、我々が今何気なく語り、書いている日本語などは存在しないのだろう。以前にこのブログでも紹介した『日本語の歴史』(岩波新書)で著者の山口仲美氏が「日本語の歴史をたどってくると、現代の私たちは、過去の人々の大変な努力を知らずに享受していたことに気づいたと思います。最もすばらしい過去からの贈り物は、日本語の文章です。漢字かな交じり文を採用し、言文一致を完成させてあるのです」と書いていたことを思い出した次第だ。曲がりなりにも今、英語を人様に教え、韓国語を独学している身には、贔屓目にみても、日本語の素晴らしさがよく分かる。少し大げさな物言いをするならば、日本人として生まれて良かったと思う。最近「発見」したらっきょう酢もしかり!
◇
読売新聞を読んでいたら、恒例の読者が選ぶ国内・世界10大ニュースの特集記事があった。それで少し虚を突かれたのは、邦人2人が犠牲となった中東のイスラム過激派組織「イスラム国」による残忍なテロが今年の1月の事件だったことだ。事件の記憶自体が薄れつつあった。ああ、そうか、あれは今年の1月に大団円を迎えていたのか。読売新聞の読者は「ノーベル賞に大村、梶田両氏」というのを第1位に、「ラグビーW杯、日本が3勝の歴史的快挙」を2位に、そして「『イスラム国』が日本人2人を拘束、殺害映像を公開」というニュースを3位に選んでいた。
国内10大ニュースの回顧に触れた読売新聞の論説は「日本10大ニュースからは、喜びと不安が交錯したこの1年が浮かび上がる」と述べていた。英字版のJapan Newsではこのくだりは “this year is a mixture of delight and anxiety” と訳していた。まあ、一年を振り返って「喜びと不安」あるいは「笑顔と悲しみ」が交錯しない年はかつてなかったのではないかとも思うが・・・。
- Comments: 2
レクレーションなら
- 2015-12-20 (Sun)
- 総合
今週はクリスマス。米ジョージア州のヒックス夫人から今年もまた、ピーカン(pecan)が届いた。ありがたや。コーヒーを飲みながら、頂く日々となりそうだ。
さて、今年を振り返ると、特段のこともなかったが、無事に新しい年を迎えられそうなのだから、贅沢を言ってはいけない。私が尊敬する「子羊の群れキリスト教会」の牧師、ピーター・島田さんが言われるように、「努力は足し算、感謝は掛け算」だ。だから心の中で口ずさむ。「ありがとうございます。
◇
韓国語のドラマをずっと楽しんでいる。仕事をしながら、時に目をやっている程度のものが大半であり、登場人物も粗筋もあまり分からないものが多いが、目的は韓国語の学習。最近また一つ学んだことは家族関係の呼称で、「お兄様」という語が「お姉様」という意味でも使われるということ。韓国語では
もう一つ。これは語の問題ではなく、前にも書いたが、韓国語のドラマでは老若男女、同じ俳優がよく出てくる。名前は知らないが、よくまあ、こんなによく出てくるものだと感心する。それと韓国は整形大国とも言われるらしいが、俳優の中に二重が痛々しいほど目立つ人がいる。私は思わず、目を伏せたくなる。一重の私は一重の人に親しみを持つ。日本の女優で言えば、羽田美智子や木村多江が好きだ。彼女たちは韓国美人にも十分太刀打ちできる。なぜ、韓国の人々は二重に憧れるのか、韓国に旅した際にじっくり彼らの意見を聞いてみたいと思っている。私の誤解かもしれないが。
◇
大リーグ(MLB)。シアトルマリナーズの岩隈投手が移籍すると見られていたロサンゼルスドジャースから「身体検査」ではねられ、一転、マリナーズとの再契約に至ったことが報じられた。MLBのホームページを見ると、マリナーズファンからは喜びに満ちた声が飛び交っている。岩隈投手は幸せだ。これだけ古巣のホームチームから期待され、愛されている日本人プレーヤーはそうはいないだろう。いや、いた。川崎選手がいた。
もう一つ。野球賭博に関与したとして米球界から永久追放処分を受けているピート・ローズ氏(74)のMLBへの処分解除要請が却下されたことも報じられた。イチロー選手がひたひたと迫っている安打数のMLB記録を持っている、安打王(The Hit King)とも称された人物だ。夕刊では彼が記者会見で「決定に失望している。今は合法的なギャンブルを楽しんでいるだけで、ギャンブル依存症ではない」と語ったことが伝えられた。
私は夕刊の記事の前にMLBのホームページでこのニュースに接していた。それでああこういう表現があるのかという語句に出合っていた。夕刊記事で「合法的なギャンブル」という訳となった語句だ。普通はlegitimate gambling という語句を思い浮かべるが、ローズ氏は別の語句を口にしていた。 (彼が口にした語句は続で)
- Comments: 0
米大統領選・テレビ討論
- 2015-12-18 (Fri)
- 総合
米大統領選が熱を帯びつつあるようだ。先日は共和党の指名を争う各候補者による5回目のテレビ討論会が行われた。私は時々ケーブルテレビの生中継に耳を傾けたが、候補者が時にヒートアップする場面があって面白かった。
指名候補争いのトップを走っているのは過激な発言が物議を醸す不動産王で大富豪のドナルド・トランプ氏。それを強く意識しているのが父と長兄が大統領というジェブ・ブッシュ氏(元フロリダ州知事)。世論調査ではブッシュ氏はトランプ氏に大きく水をあけられている。この二人のやり取りがまず目を引いた。トランプ氏に軽くジャブを放たれたブッシュ氏が次のように反撃する。“You’re not going to be able to insult your way to the presidency. Leadership is not about attacking people and disparaging people.”(あなたはそうやって侮辱的発言を重ねて大統領になれるとでも思っているのか。指導力というものは人を攻撃したり、非難したりすることではないのだ)
これに対し、トランプ氏は “You know, you started off over here, Jeb”—i.e. at the center lectern on the stage, where the leader in the polls stands. You’re moving over further and further. Pretty soon you’re going to be off the end.”(あなたはこの間までここに立っていた。世論調査でトップの座が立つことになっている舞台の中央だ。今では段々とそこから遠ざかって行っているではないか。間もなくいなくなってしまうのだろう)と皮肉たっぷりに応じていた。
けんか腰になっても、相手を呼びかける際には “Jeb, …” “Donald, …” とファーストネームであるところが我が国とは異なり、改めて彼我の文化・伝統の違いを認識する。
私がアメリカを旅していた2011年にもトランプ氏は異国、異教徒に対する偏見に満ちた発言で、米メディアを賑わしていたが、まさか今回の大統領選の共和党候補指名争いでフロントランナーに立つとは思いもしなかった。しかも、大統領選が翌年に迫ったこの12月という時期に。韓国語を借りれば「アイゴ!」。しかし、英BBC放送のネットを見ると、彼を支持しているのが白人の中高年の保守層の人々という従来の見方は当てはまらず、大卒の若者層も彼の「強いアメリカを再び」という主張に惹かれているのだとか。「アイゴ!」
◇
『日本的霊性』(岩波文庫)という書を読んだ。後半はすっ飛ばした感があるものの。著者は仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)。法然から親鸞聖人へ受け継がれた浄土(真)宗の教えを高く評価し、論じていた。この本の表書きには「現代仏教学の頂点をなす著作であり、著者が到達した境地が遺憾なく示される」とあった。難解なところも少なくなかったが、痛快だったのは平安文学を痛罵する記述だ。マーカーを走らせた部分を再録すると————。
「『源氏物語』のような文学的作品は世界にないと言うが、こんなもので日本精神が————それがなんであるにしても————代表されては情けない。貴族生活の恋愛葛藤・政治的陰謀・官能的快楽・文学的遊戯気分・修辞的技巧などで充たされている作品は、あまり持てはやさぬがよいと思う。作者は女性ゆえ、十分の敬意を表し度いが、それ以上には出られない。(中略)さまざまの日記・物語類の作者を出した平安文化は優雅で、或る意味の上品さを示したということのほかに、まず取り柄がないと言ってよい」
- Comments: 0