英語でさるく 那須省一のブログ
「愛麗絲夢遊仙境」
- 2018-03-21 (Wed)
- 総合
前回の項を書き終えた昨夜、お腹の調子がおかしくなった。私は胃袋だけは丈夫で腹痛の経験は皆無に近い。それで何だろうかといぶかりながらベッドに横になった。下痢とむかつく感覚。二日酔いの吐き気ならのどに手を突っ込んで胃袋を洗浄するのだが、そこまでは酷くない。ただむかむかとした不快感が続く。
日付が変わっても眠れない。困ったなあと思いながら、寝つこうと試みるが、眠気はやってこない。食あたりであることはほぼ間違いないようだ。原因? 前夜は士林夜市に出かけ、色々な物を食したが、思い当る節はない。帰途に喉が渇いたので屋台のレモネードも飲んだ。ホテルに戻ってパソコンに向かっていて冷たい物が欲しくなり、外でフルーツのアイスクリームみたいな物も買い求めた。あれが良くなかったのだろうか?
早朝、むかむかした気分が残ったままベッドから身を起こした。近年よく見る奇妙な夢を見た記憶があるから、一睡もできなかったわけではないようだ。それでも体調万全とは言えないことは明白。第一、普段は旺盛な食欲がない。朝ご飯は抜きにしよう。幸い、前日、地下街の書店で面白そうな本を買っている。あれでもベッドに寝そべったまま読むことにしよう。時間がもったいないが、致し方ない。重症ではなさそうだから、明日には回復するだろう。
手にした本は “Alice’s Adventures in Wonderland” の中国語翻訳本。台湾で出版されている本だから漢字は簡体字ではなく、一見難解な繁体字。本当を言えば、声調を含めた拼音(ピンイン)が付記してある読み物が欲しかったのだが、どうもそれは叶わぬ希望なようだ。ルイス・キャロル著の19世紀英国のこの小説は大学の授業でも活用したことがあり、中国語勉強の手助けになるのではと考えた。『不思議の国のアリス』として日本でも今なお根強い人気を誇る小説の翻訳タイトルは「愛麗絲夢遊仙境」となっていた。アリスが愛麗絲。
「愛麗絲夢遊仙境」の英文の方は原文にかなり手が入り、短くなっていた。中国語では「改編」と呼ぶらしい。左側に改編された英文、右側に中国語訳が載っていた。左側の英文を見ずに、右側の中国語訳を読んでみる。粗筋はほぼ頭に残っているので、難解な漢字の部分もだいたい類推できる。その後に英文に目を移し、類推した訳が当たっているか確認する。これが結構面白かった。あれ、僕も中国語が分かるのかな?と思ってしまう。もちろん、「局地的」に分かるのであって、真の理解からは程遠い。
前から思っていたことだが、繁体字の中国語では句読点がマス目の中心部に堂々と置かれる。簡体字の中国語は日本語と同様、左端につましく置かれる。何人かこちらの人たちに句読点がスペースを取り過ぎているのではありませんか?と尋ねてみた。いや、そうは思いません。私たちのやり方は理にかなっていますよ。慣れたら何でもありませんとの由。
例えば次のような文章。————現在她迷路了!愛麗絲看看四周。(Now she was lost! Alice looked around.)(アリスはどこにいるのか分からなくなった。辺りを見回した)。私のパソコンでは句読点の「。」を真ん中に置くことができないが、「。」が堂々と真ん中にあるのは不思議でならない!
しばしの読書後、ホテルのすぐそばにあるサウナをのぞいた。じっくり脂汗を流したら、だいぶ気分は回復した感じだ。さあ、明日は改めて散策しよう!
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士林夜市
- 2018-03-21 (Wed)
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火曜朝。ホテルから散歩がてら雙連の朝市へ。この朝も食堂「世紀豆漿大王」で朝ご飯。前日は冷たくて甘い豆漿(豆乳)と小籠包だったが、豆漿は今度は温かくて少し塩っぱい咸(シエン)豆漿に変えてみた。咸豆漿には野菜が入っていて味も良かった。日本だと白米に味噌汁、納豆、(らっきょう酢の)漬物を理想としたいが、咸豆漿も悪くない。台北にいる間は病みつきになりそう。
お昼はホテルの近くの牛肉麺店で。180元(約680円)。うどんのような麺で私はこれが気に入った。抜群に美味いという味ではないが、毎日食っても飽きないようなあっさりした味わいだ。30元(約113円)出せば、小皿の一品が食べられるようで、これもそのうちに挑戦したい。
台北にはもう一冊のガイドブックを持参していた。書肆侃侃房が出している『子連れ台北』(佐々木千絵著)。イラストレーターの著者が写真やイラストをたっぷり駆使して台北及び台湾各地の旅の醍醐味を紹介している。
この本の中で「夜市と言えばココ! 台北最大の士林夜市(スーリンイエスー)! 歩くだけでも楽しい」と記されている。士林夜市のことは耳にしていたが、前回の旅では機会がなかった。それで今回は満を持してホテルの近くの中山(ジョンシャン)駅からMRTと呼ばれる地下鉄の淡水線(ダンシュイシエン)に乗り込んだ。切符を買う面倒くささもない。前回の旅で悠遊卡(ヨウヨウカー)(EasyCard)と呼ばれるカードを購入していて、これがまだたっぷり残金があり、札や硬貨を探す煩わしさから解放された。
『子連れ台北』では降車駅は夜市の名称となっている士林駅ではなく、一駅前の劍潭(ジァンタン)駅と書かれている。この情報がなければ、一駅余計に乗っていたところだった。
生憎この日は小雨模様で、夜市が始まる午後5時過ぎに劍潭駅から外に出た時にも冷たい小雨が降っていた。これでは行楽客も出足をくじかれるだろうなあと思っていたら、あにはからんや、結構な人出。傘を差しているので、すれ違う人たちと傘がぶつからないように気を配りながら歩く。賑わいが深夜まで続くのだとか。毎夜、お祭りの屋台が出ているようなものだ。ちょっと信じ難い!
中ほどに進むにつれ、強烈な臭気が漂ってきた。有名な臭豆腐だ。私は前日に油で揚げた臭豆腐を食していたが、臭いはそれほど気にならなかった。夜市では煮た臭豆腐が売られていた。海外からの観光客の中には鼻をつまんで店の前を通って行く人たちもいた。私もさすがにこの夜は遠慮した。
『子連れ台北』では「大腸包小腸」という食べ物が紹介されていた。もち米がソーセージの中に入っている感じだ。屋台の前にすでに列ができていて、だいぶ長いこと待たされたが、待った甲斐があるだけの美味さだった。値段は55元(約207円)。これを食しただけで来て良かったと思った。
何だか、台北に来て食べ物のことしか書いていないようだが、実際、その通りだ。まあ、今の私の力ではとても会話ができる代物ではない。それでもいろいろ、気づきはある。今回の滞在中にここで記すことができればいいのだが・・・と願っている。
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再び台北
- 2018-03-20 (Tue)
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昨秋に続き、2度目の台北。福岡を発つ直前にネットで台北の天気予報を確認していた。すでに20度を超す温度で暑そうな印象があった。到着翌日の月曜。街を歩いているとうっすらと汗が出てきた。日本なら5月のゴールデンウィーク明けのような感覚か。これならジャケットは不要。半袖シャツで十分。それでも昨秋の蒸し暑さに比べれば、我慢はできる。9月になってもあの蒸し暑さは信じ難かった。
今回台北の旅に数冊のガイドブックを携帯した。一冊は偶然書店で目にした『美味しい台湾 食べ歩きの達人』(光瀬憲子著 光文社)。台湾を知り尽くした著者によるガイドブックで、これを読んでいると台湾にすぐにでも飛びたくなるような本だった。前回の旅であまり美味しいものを食ったのかどうなのか、残念ながら記憶に残っていないので、今回はこのガイドブックに載っているレストランの紹介を大いに参考にしながら歩き回ろうと思っている。
月曜の朝はまず台北市中心部の雙連(シュアンリエン)の朝市散歩に出かけた。目指したのは『美味しい台湾』の冒頭で紹介されていた食堂「世紀豆漿大王」。台湾の典型的な朝ご飯屋さんと記されている。ここでは店名にもなっている豆漿(ドウジャン)(豆乳)と小籠包がお薦めだとか。私も早速この二つを注文した、といえば簡単そうだが、店内は早朝から結構混んでおり、注文の仕方もよく分からず、うろうろしながらメニューを見て紙切れに番号を書き入れた。私のようにうろうろしている客が何組もいて、言葉を聞いていると想像通り、日本人観光客だった。
小籠包もまずまず、豆漿もまずまず。よく覚えていないが、100元(約376円)札でお釣りがきたからかなり安い朝食だったはずだ。
今回の宿も前回の旅で投宿した飯店(ホテル)。台北の中心部に位置していながら、日本円で一泊約4,900円だから有難い。ホテルから上記の雙連駅は歩いて行ける距離だった。朝食後、駅のそばに連なる朝市を歩いたが、食べ物の屋台の他、生鮮食料、衣料品や生活雑貨のお店が狭い通りの両側にびっしり軒を連ね、活気を呈していた。近くの広場ではおじさんやおばさんたちが地面に雑貨を並べて「商売」に励んでいた。庶民は逞しいと言うべきか。
歩き回っているとお腹も空く。お昼過ぎに自助(セルフサービス)と銘打ったレストランをのぞいた。見ていると、昼飯休憩の勤め人らしき人々もいて賑わっている。ここでもうろうろしながら簡易な容器にご飯とおかずを適当に入れて金を払い、席についた。そうしたら、前のテーブルに座っていた中年のおばちゃんがわざわざ私のところにやって来て、「あそこにスープがあります。おいしいですよ。底の方にはトウモロコシがありますから、よく掬ってください」と日本語で告げる。私の所作から日本人観光客と見て取り、親切に助言してくれたようだ。まさに台北ならではのおもてなしだ。謝謝(シェシェ)!
前回の旅で「常連客」となっていたカフェにも早速足を運んだ。お店の女の子は私の顔を見ると、「アッ!」と言って破顔一笑。私のことをしっかり覚えてくれていた。ささいなことだが、嬉しい。それで彼女たちに渡すつもりで福岡空港で買っていたお土産のお菓子を渡す。「お店の皆で食べてね」と。凄く喜ばれた。残念ながら、私の中国語のレベルでは彼女たちとうまく会話することまではできないが、それでもこちらの気持ちは伝わっただろう。
さあ、これから一週間余。中国語の学習にどんな收获(ショウフオ)(収穫)が待っているだろうか。
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謝恩会
- 2018-03-17 (Sat)
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昨年に続き、大学の謝恩会に呼ばれた。非常勤講師でもあり、卒業の学生たちとはこの丸一年、授業がなかったので、まさか声がかかるとは思ってもいなかった。それで喜んで出かけた。久しぶりに再会した彼女たちはおめかしもあり、皆とても素敵に見えた。私が教えていた学科は彼女たちが最後の卒業生。謝恩会に呼ばれるのもこれが最後だろう。それだけに枯れ木も山の賑わいとはいえ、彼女たちの門出の祝福に加わることができて良かった。
今年も花束をもらって帰宅。嬉しいことは嬉しいが、問題が一つ。昨年は香しい花を花瓶に活けて三か月以上も楽しませてもらった。最後には枯れた葉を一つ二つポプリの籠に入れて今も大切な思い出にしている。
問題は私は明日(日曜)から台北に旅する予定であること。9日間は留守にする。その間、花の世話をすることができない。毎朝水をやることができない。数日で枯れてしまうのではないか。可哀そうだが、一人暮らしではどうすることもできない。それが残念でならない。花束をもらった時にこのことに気づいていれば、学生の誰かにあげたのだが、そこまで思い至らなかった。困った・・・。
◇
悪循環。英語ではvicious circle と呼ぶと記憶していた。というかいつも悪循環という語を英訳する時に、あれ、vicious cycle だったかな、vicious circle だったかなと、いつも悩まされている。それで悩んだ末に(電子)辞書をひくと、vicious circle と載っているので、あ、やっぱりこっちだったかと思っていた。この「煩悶」を何度繰り返してきたことか!
数日前、英字紙ジャパン・ニュースを読んでいてvicious cycleという語に出くわした。読売新聞の読者投稿の「人生案内」の翻訳記事だ。日本文では「悪循環」となっていたが、英文ではvicious cycleと訳されていた。誤訳?という思いが頭の中を走った。しかし、このような基本的なミスはちょっと考えられない。それでネットでチェックしてみた。vicious cycleという訳例もあり得るのかと。そうしたらあった。どうもどらちの表現も可能なようだ。この記事を読み進めると、vicious circle という表現も後から出てきた。日本語の語感からはvicious cycle に「軍配」をあげたくなる人も多いだろう。
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謝恩会で嬉しかったのは同じテーブルに座った学生の一人が、私の英語の授業で印象に残っていることを話してくれたこと。私が力を入れて説明し、定期試験の問題にもした課題が「面白いと思いました」と語ってくれた。私自身、工夫したところで、こちらの熱意が通じてくれたことが分かって嬉しく思った。それはオー・ヘンリーの短編の結末部を自由に書き加えるという課題だった。英語力・日本語力に想像力が試される課題と自負していた。
先生、今は何をなさっているのですか?と尋ねられたので、中国語と韓国語の独学に四苦八苦しながらも勤しんでいるよと答えた。中国語の辞書を繰っていて最近、いいなと思ったのが次の表現。「自作自受」。音声にすると、「ズーズォズーショウ」で意味するところは想像し難いが、「自業自得」という意味だ。漢字を凝視していると、何となくその意味合いが伝わってくるような・・・。
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嬉しや らっきょう酢
- 2018-03-11 (Sun)
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らっきょう酢がスーパーの棚から消えて以来、穀物酢やなます酢など他の酢を買い求めて試していたが、らっきょう酢の風味とは比較にならなかった。少なくとも私にはそう思えた。それでしばらく野菜の酢漬け(ピクルス)から遠ざかっていたが、先日、いつもは足を向けないスーパーにらっきょう酢が置いてあることを知った。
早速買い求めて、ニンジンやダイコン、ゴボウ、小松菜など手あたり次第にタッパーや瓶に詰めて一晩冷蔵庫で寝かせて食した。これからは当分、種々の野菜のピクルスが楽しめる。野菜を食っている限り、大病はしないかなと願う。“You are what you eat.” だ。
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超ビッグな国際ニュースが飛び込んできた。北朝鮮の金正恩氏が米国のトランプ大統領に首脳会談を持ち掛け、トランプ大統領が快諾、この5月にも初の米北朝鮮首脳会談が実現する運びになったというのだ。金正恩氏は首脳会談実現のために核実験やミサイル発射実験を停止するとともに、北朝鮮の非核化の意向をも表明したとか。エイプリルフール?
急展開を告げている朝鮮半島情勢が真の緊張緩和・和平につながれば幸いだが、外電で読んだ米国の専門家の次の意見に首肯せざるを得ない。“I would be very, very surprised if North Korea actually gives up the nukes and missiles it has.” この専門家はそのためには米政府は難しい交渉の荒波を乗り切る手腕と日韓など関係国との緊密な連携が必要であるが、トランプ政権は中枢の幹部の辞任が相次いでおり、とても屋台骨が盤石とは言い難いとして、次のように憂えている。“Unfortunately, this administration has shown zero capacity in any of those areas and the gutting of the State Department and the turmoil in the White House does not bode well for our capacity in any of these areas going forward.”
日本の外務省に当たる国務省(State Department)から有能な職員が次々に辞めている現実が、魚の内臓を取り除くかのようにguttingと表現されている。
◇
最近はソファーに寝転んでときを過ごすことが増えた。手にするのは「中日・日中」のコンパクトな辞書。まさか自分がこのように中国語の辞書に親しむ日々がやって来るとは夢想だにしなかった。韓国語も類似の辞書を持っているが、寝転んで手にした記憶はない。
パソコンに中日辞典を入れており、これまではそれで十分用が足りた。自分の実力ではまだ紙の辞書は必要ないと考えていたが、書店で辞書を立ち読みしていて、これからは役に立つのではないかという気がした。それで購入したのだが、買って良かった。暇に任せて拾い読みするだけで十分面白い。
例えば、「起死回生」という表現。上記の辞書に「死者をも蘇らせる」と載っている。我々が使っている「起死回生」と同じ意味合いだ。中国で使われていた表現を日本人はそのまま利用しているのだろう。辞書には「一般に医者の腕をほめる際に使う」という注釈も付記されている。我々がテレビで野球の試合を見ていてよく口にする「あのホームランは起死回生の一発だった」という使い方が中国語でもできるかどうかは私には分からないが、この表現が本家本元の中国語にあることを知っただけで十分ハッピーな気分になった。
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稲尾岳参詣!
- 2018-02-27 (Tue)
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南九州の小さな旅から帰福したばかり。宮崎では幼馴染の友たち8人が集い、一夜、楽しく語らい合った。この夜ばかりは焼酎を痛飲した。久しぶりにカラオケも歌った。
翌日は都城まで電車、そこからバスで鹿屋に出て、迎えのTさん夫妻の車で南大隅町へ。目的はここ数年遠ざかっていた稲尾岳登山。登山を前に鹿屋で旧知のHさん夫妻も加わり、軽く飲食。とても美味い酒の肴を満喫した。これ以上何をかいわんやである。
そして明けた日曜日。稲生岳登山はこれまで3月の第1日曜日に行われていたが、諸般の事情から2月の最終日曜日に変更。去年はそれを知らずに足を運んでいた。ブログを見ると、以下のように記している。————鹿児島・南大隅町ではほぼ2年ぶりに再会した地元の人たちと歓談した。当初の目的は辺塚という地区にある稲尾岳神社に恒例の参拝の山登りをすることだった。新聞社勤務時代の取材が縁となり、毎年のように参拝していたが、ここ数年遠ざかっていた。それで今年こそはと満を持して足を運んだのだが、残念ながら、肝心の参拝は連絡の不手際で前週に終わっていた。残念! また来年再挑戦しよう。————
辺塚の打詰集落。朝8時半過ぎにTさんの車で到着。集落の人たちが顔をそろえていた。私の顔を見つけると、よく来られたと満面に笑みで歓迎してくれた。今年登ったのは地元の人が4人、地元以外は私を含めて4人の総勢8人。途中で3回の小休止をはさんでの2時間半程度の登山だが、急峻な斜面もあり、結構きつい。運動不足でなまった私にはとてもきつい。2月になったらジョギングでもして備えようと思っていたが、今冬の寒さでそういう気持ちはとっくに失せていた。
さあ、海抜930㍍の山頂にある稲尾岳神社を目指して登山開始。途中から傾斜がきつくなるに従い、はあはあと息を吐きながら登る。先頭の地元の中心人物、Kさんは息が全然乱れていない。2回目の小休止の時、不測の事態に。どうも腹具合がおかしい。我慢できるのか。いや、険しい。少し恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。Kさんに窮状を訴え、木陰に隠れてズボンを下げ、しばしうんち黙考、いや沈思黙考。用を足した後はすっきりした気分で再び登山。
青息吐息ながらもお昼少し前に稲尾岳神社に到着した。偶然、大阪や福岡の登山愛好グループの中高年の人たちも他のルートから登ってきていておしゃべりに花が咲いた。天気予報ではこの日は終日雨となっていたが、幸い、登山中に雨に降り込まれることはなかった。これも稲尾岳神社のご加護か。私は鳥居の前で手を合わせ、これからの人生の幸を祈った。
下山後、地区の公民館で直会。地元のご婦人たちの手料理に舌鼓を打った。缶ビールに続き、焼酎も頂いた。御年92歳になるNさんや70代のMさんが「今年は那須さんは来るのかなと思っていましたよ」と声をかけて頂く。「いや、ここ数年ご無沙汰していましたが、この時期になると稲尾岳登山のことをいつも気にかけていました。今年は来れて嬉しいです」と答える。偽らざる心境だ。ご婦人の方々からも温かい言葉をかけてもらった。
火曜日朝、福岡の自宅でこの項を書いている。両足の筋肉がまだパンパンに張っていて、ソファーから立ち上がる時も「よいしょ」と声を出している。「心地良い疲れ」だ。さあ、来年2月の稲尾岳参詣までまた自分なりに精一杯生きていこう!
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シットスピンって?
- 2018-02-20 (Tue)
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平昌冬季五輪。私はフィギュアスケートにはほとんど関心がなかった。浅田真央選手が人気を博していた頃もそうで、彼女の演技もほとんど見たことがない。スキー以外のウィンタースポーツ自体に経験が乏しいことも一因しているのかもしれない。しかし、今回はしっかり見た。感動さえ覚えた。羽生結弦選手の演技は鬼気迫るものがあった。彼の右足首の負傷の程度は分からないが、万全からは程遠かったのだろう。それでもあの演技————。
金メダル連覇後のインタビューの態度や言葉がまた素晴らしかった。23歳の若者とは思えない落ち着きはもちろんだが、私が一番感心したのは彼が耐え抜いた自分の「右足首」への感謝の言葉を口にしたこと。自分の身体の部位に感謝するのは奇異な印象を与えかねないが、羽生選手の場合は全然そうでなかった。ああいう場で痛めていた自分の身体の部位に対するねぎらいの言葉が自然と口に出るのはなかなかできないことだと思う。
私が尊敬するキリスト教の牧師さんは「努力は足し算、感謝は掛け算」と語る。日々の暮らしで感謝の気持ちを常に抱いて生きなさいという教えだ。私は還暦がとっくに過ぎた最近になってこの言葉の有難さ、大切さをかみしめているが、羽生選手はすでにしてそういう心構えで生きているように見える。
◇
テレビでそのフィギュアスケートを見ていて、思わずドキッとしたことがある。スピンの仕方を形容した呼び名の一つである「シットスピン」という語を耳にした時だ。腰を落として回り続けるスピンの仕方をこう呼んでいた。私はアナウンサーが「(今やっているのは)シットスピンです」と説明する度に、え、それって・・・と思った。映像を見ているから、英語の「スィットスピン」(sit spin)を意味していることはすぐに理解できたが、私にはどうしてもshit spinという全く別の表現が頭に浮かんでしまった。もちろんこういう語はあり得ないだろう。人間が生きていく上では毎日欠かせない生理現象を氷上でしながらスピンするのは到底考えられない、いや、想像したくもないが。
これは日英の音韻の差が時として思わぬ誤解を生じる一例に過ぎない。それでも、sitとshitのように片方の語があまりに「場違い」である場合は、誤解を招きかねない語の定訳は工夫した方が良いのではと思わざるを得ない。「スクワットスピン」とか「座りスピン」とか。テレビの前でのけぞった英語ネイティブの人は少なくなかったでは。
◇
南アフリカ共和国の腐敗にまみれたジェイコブ・ズマ大統領が退陣に追い込まれた。後任の大統領はシリル・ラマポーザ氏。あのネルソン・マンデラ元大統領の右腕としてアパルトヘイト(人種隔離政策)打倒に活躍した人物。昨年はジンバブエの独裁者、ロバート・ムガベ氏も大統領の座を追われている。アフリカから届いた朗報と受け取りたいが、独裁的な指導者が退陣しても一般庶民に明るい未来が約束されているわけではない。南アに関しては、ラマポーザ氏が率いる政権与党、アフリカ民族会議(ANC)に対する信頼度に大きな疑問符がついている。南アを取材していた1980年代末、ラマポーザ氏とは共同記者会見で幾度も顔を合わせており、私は新大統領には好印象を抱いているが・・・。
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