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英語でさるく 那須省一のブログ

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A smiling Cinderella

 久しぶりに気持ちのいいスポーツ中継を見た。イギリスで開催されていたゴルフのメジャー大会、全英オープン。日本の新鋭、渋野日向子選手が見事に初優勝を飾った。プロ入りして間もない弱冠20歳の若手。胸のすく快挙だった。
 ケーブルテレビの英語放送の中継で最初に彼女の名前が画面で Hinako Shibuno と紹介された時には正直、誰だろうと不思議に思った。BBCアナ(と思われる人))が彼女は今や、現地では “a smiling Cinderella” と話題になっていると語った時、合点が行った。今年初優勝した新人プロに笑顔が印象的な子がいたことを覚えていたからだ。
 果たして彼女だった。岡山市出身の渋野日向子選手。決勝ラウンド3日目を終えて2打差の首位に立った時、ひょっとしたらこのまま逃げ切るのではとも思われたが、メジャー大会はおろか、海外の試合も初めての彼女にとって、韓国や米国、英国の百戦錬磨のプロを抑えての勝利は大変だろうと推察された。
 そして迎えた最終日の日曜日。時差があるので、日本時間では夜の10時過ぎ頃から渋野選手は最終組としてスタートを迎えた。最初の数ホールを見たところで、あ、これは難しいかなと思った。最後まで付き合って負けるのを見るのは見ている方でも辛い。それで一旦テレビを消して横になった。
 だがどうも気になる。途中で目覚めたこともあり、スマホで途中経過を確認すると、首位の座から落ちてはいるが、トップと2打差で踏みとどまっている。彼女は確か後半・インの方が成績が良かったことを思い出し、よし最後まで応援しよう。どうせ気になって眠りに落ちることは難しそうだし。果たせるかな。彼女は驚異的な粘りを発揮し、15番でトップを走るアメリカ人の選手に追いついた。この選手は最終18番で絶交のバーディーチャンスを手にしながら、パットをミスした。これに対し、渋野選手は18番で距離のあるバーディーパットを決め、逆転優勝。ギャラリーからは大きな歓声と拍手の渦。渋野選手がパットを決めた瞬間、高く突き上げた左手は実に感動的だった。良くやった!お見事!
 日本語放送では大先輩の岡本綾子プロが味わい深い解説をしていたが、男性アナの興奮気味の実況がちょっと耳についたので、最後の方では英語放送に切り替えていた。BBCのアナが再三、英国の人々は今やこの “smiling Cinderella” に魅了されていると語った。そして彼女の落ち着いたプレーは実に “nerveless, absolutely nerveless” と激賞した。そうか、こんなケースではnerveless が適しているのか。辞書では①元気のない、弱々しい②冷静な、落ち着いた・・・という訳が載っている。nervous (不安な、神経質な)の反対の意の②の意で、つまりほめ言葉として使えるのだと勉強にもなった。Thanks, Hinako-chan.
                  ◇
 福岡市の出版社・書肆侃侃房から無料のPR小冊子「ほんのひとさじ」7月号(Vol.12)が出た。今回の特集のテーマは「風」。読み応えのある小品が並んでいる。私も拙文を寄稿。ご興味のある方は書肆侃侃房のホームページの以下のサイトにアクセスを。http://www.kankanbou.com/honnohitosazi/ 「ほんのひとさじ」の取り寄せ方法なども書いてあります。

小倉競馬場再訪

20190805-1564967914.jpg 日曜日。久しぶりに小倉競馬場に足を運んだ。もちろん競馬を楽しむためだ。といっても実際の馬券は買わない。予想してその結果を楽しむだけだ。当たれば良し、外れても痛くも痒くもない。究極のギャンブルの楽しみ方のようにも思える。競馬にしろ、パチンコにしろ、カジノにしろ、身銭を賭けるのは愚の骨頂。傍観者として楽しむのが一番というのが私の持論だ。この境地に達するまで実に高い「授業料」を支払ってきた。
20190805-1564967946.jpg パチンコから足を洗って何年になるのか。手帳を見れば分かるのだが、4、5年かそこら、いやもっとそれ以上になるかもしれない。長くやっていれば必ず負ける、それになにより時間がもったいないというのが遠ざかった理由だ。今はジョギングの途中でお手洗いを借りる時に店内に足を入れることはあるが、台の前に座りたいとは露思わない。
 競馬。これは長年の付き合いがあるので、週末予想だけはさせてもらう。競馬はある意味、「馬の血筋が重要な要素」だから、記憶が物を言うギャンブル。だから、馬券は買わなくとも予想(推理)するだけで十分面白い。JRA(日本中央競馬会)が膨大な資金を投入してお膳立てしてくれるレースを元手ゼロで楽しめるのだからこんな贅沢な遊びはない。
 前置きが長くなった。そういう次第で普段はアパートでケーブルテレビを通して競馬を楽しんでいるが、今の時期は小倉競馬場で夏競馬を開催中。現役の頃は福岡から電車やバスで何度足を運んだことか。たまにはいいだろうと日曜日、電車に乗って出かけた。小倉記念というご当地のレースが行われることもあってか、私がこの競馬場で経験した中では一番混んでいた。お昼を食べるのも一苦労だった。
 場内にいる限りは冷房が効いていて快適なのだが、馬が走っているところをこの目で見ようと場外に出るといや、焼けつくように暑い。こんなに暑ければ、騎手はもちろんだが、競走馬も大変だろうなあ。じっくり予想して結果を楽しもうと思っていたが、あまりに暑さにその気も失せた。パドックでぼけーっと馬を見ていたら、後ろの学生らしき若者2人の会話が聞こえてきた。「おい騎手の後ろに書いてある体重のようなものは何だ? 均等ではないようだが」「あれは馬がレースで背負う斤量だよ」「何だ?その斤量ってのは?」
 一人は明らかに競馬の初心者のようだ。女優が楽しそうに語らうJRAの華やかなCMに誘われて競馬に足を染めつつあるのかもしれない。やめておきなさい。その歳で始めたらろくなことはないよ。競馬を楽しむのは定年後で十分だよ。遅すぎることはない!
 小倉のメインレースが終わった時点で競馬場を後にした。以前は他場の最終レースまでみっちり勝負して人様には言えない額の大敗を喫して帰路に就いていたものだが。もはや馬券に対する「情熱」は枯れてしまった。80歳にでもなって健康で小銭が自由になるような身分だったら、その時また改めて考えよう。
20190805-1564967974.jpg この日、一つだけ感心したことがあった。勝利騎手が表彰後、ファンに色紙にサインする光景がよく見られるが、この日、表彰式が終わっても、結構長い時間、ファンの要望に応えてサインする騎手がいた。次のレースに騎乗予定がなかったこともあるだろうが、もういいのではと思うくらい、辛抱強くサインに応じていた。福永祐一騎手。私は好きでも嫌いでもない騎手だったが、これからはできるだけ応援したくなった。

日韓、いつまで吵架?

 日韓関係が一段と厳しさを増しつつあるようだ。今回の件に関しては韓国政府に非があるように思えるが、ここまで悪化しては落としどころを見いだすのは至難の業だろう。願わくは政府の対立が一般の市民レベルにまで生じないことを祈るばかり。釜山市の例が物語るように地方自治体でも日本の自治体との交流イベントの中止を表明するなど懸念される動きが出始めている。
 国と国との関係はともかく、市民レベルでは日韓の付き合いは年々強化されているように感じている。先日の太宰府でもそうだったが、韓国の旅行者は日本の良さを満喫しているように見受けられた。私にしてもひところは釜山によく出かけていたが、不快な思いをしたことは一度もない。国と国との関係が危うくなればなるほど、市民レベルの交流を密で親なものにしたい。その意味で釜山市の行政が取っている行動は理解しがたい。ここは日本に住む我々が大人の対応を示したいところだ。
 このところ、台湾ばかりで韓国訪問がおざなりになっていた。実はこの秋は久しぶりにまた釜山を訪ねようかと思っていた。懐が怪しくなっていることも一因。第一、目と鼻の先にある釜山に足繁く通わないことには、福岡に住んでいる利点がない。フェリー便でネット予約すれば、交通費は宮崎に帰郷するよりも格段に安く済む。それで涼しい秋になったら釜山再訪を考えていたが、はてさてどうなることやら・・・。
                  ◇
 とても難儀な日課のように感じていたNHKラジオの中国語講座「まいにち中国語」が楽しく感じられるようになっている。理由は単純至極。ラジオから流れてくるさまざまな単語、会話のやり取りが初めて耳にしても意味が分かるからだ。もちろん、初級だからではあるが、去年の今頃は考えられなかったことだ。今はテキストさえ購入していない。テキストに頼ってしまいがちなことも購入を控えている理由だが、テキストがなくともついて行くことができ、新出の単語も辞書をひけばすぐに理解できるようになっている。
 最近の講座で次の文章が流れてきた。「他们又开始吵架了。」。彼らがまた「吵架」を始めたということはすぐ分かった。「吵架」は知らない。辞書で調べる。「口論する」という意味が分かった。「口が少ない」と書く「吵」が「口論する」という意味とは面白い。「又失败了。」という文章は耳にすれば何となく推測はつく。「また失敗した」という意味。ピンイン表記のshībàiは「シーバイ」であり、「しっぱい」と聞こえなくもない。似たような漢字を使っていても発音が日本語とはかけ離れた語彙が多い中、時に「あ、似ている」と感じる語が出てくるとそれだけで中国語をぐっと身近に感じるのは私だけではないだろう。この調子でこれからも学習を続けることができればと切に願う。
                  ◇
 7月に入ったと思っていたら、もう8月。小倉のよみうり文化センターでの英語教室は8月も続けるが、天神の英語教室はお休みとなる。初級はまだ受講生が皆無に近く、9月の第2水曜日夜から改めて再スタートする。興味のある方は「本のあるところajiro」の次のサイト(http://www.kankanbou.com/ajirobooks/ )をご覧ください。

中国(台湾)菜、取り箸必要なし

 週末ほどではないが暑い。本日29日の正午前、卓上の温度計は31.1度。湿度54%。窓とドアを開け放っているので室内に風が吹きこみ、暑さを辛うじてしのぐことができるが、夜はさすがにエアコンをつけないときつい。西日の熱が残り、夜中でもソフトサウナ状態だ。
 最近は香椎浜のジョギング路を走るのも一苦労。ともすると歩くだけでいいかと安易な妥協をしてしまう。走った後のジョギングパンツは体内の塩分が抜け出ているのかお尻の辺りに白いシミが浮き出る。ジョギング後の楽しみは週末だけだが、風呂上りの一杯。最近はまた焼酎に戻っているが、氷を浮かべた一杯が実に美味い!ひょっとしたら、週末はこれが楽しみで走っているのかもしれない。
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 大家さんからまた家庭菜園で栽培しているゴーヤとキュウリ、ピーマンを頂いた。ゴーヤは肉と一緒に炒めても良いし、らっきょう酢に漬けてピクルスにしても可。会社を辞め、海外の旅を終えて少ししてから自炊の生活に入ったが、食べ物の重要さは日々実感している。非常勤講師時代には学生たちに “We are what we eat.” だよと訴えていたが、今はそれをまさに実感している。
 私のように料理音痴でレパートリーの少ない者には野菜をいかに毎日食するかがとても大切だと思っている。それでお世話になっているのが上記のらっきょう酢だが、これを活用するようになってどれぐらいになるのだろうかと思って、過去のブログをスクロールしてみて驚いた。「らっきょう酢」と題したブログは2015年12月11日付けで書いている。
 「らっきょう酢というものがあることを知った。スーパーで酢がある棚を漁ったら、あるある、らっきょう酢なるものが。それで少し調べたら、ニンジンや大根も刻んでタッパーに入れ、らっきょう酢漬けにしたら美味しいピクルスになると書いてある。早速やってみたら、あら不思議、本当に美味なものができた。知らない世界があるものだ。これで私の数少ない献立のレパートリーがまた一つ充実した感じだ」
 あれからすでに4年近いときが流れているのか。 “We are what we eat.” の観点から言えば、私の身体の一部はらっきょう酢からできているのかもしれない。
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 公民館で教わっている中国語教室で使用している教科書『語ろう日中暮らしの文化』(白帝社)。私は途中からの参加だから最初の章はまともに読んでいない。それで暇に任せて最初から読んでみて、嗚呼これだ、これだという個所を見つけた。それは第1章の「吃饭」(食事)の項で、「中国人は料理を大皿や大きなお椀に盛り、めいめいが自分のはしではさんで食べます。中国の箸は日本の箸よりちょっと太くて長いです」と記されていたこと。
 先日の台北の大学のクラスメートたちとの食事会でまさにそうした場面に出くわしていた。私は最初に箸を付ける時に少し躊躇した。日本ではこうした行為を嫌がる女性がいることが脳裏をかすめたからだ。日本では「取り箸」という語もある。だが、上記の食事会では気兼ねする必要はさらさらなかったのだ。「入乡随俗」(郷に入っては郷に従え)。この成語も後の章で紹介されていた。

朋有り遠方より来たる

20190726-1564102984.jpg 23日の火曜日。遂にクーラーのスイッチをオンにした。やはり涼しい。とはいえ、夏は汗をかいて過ごすのが自然の摂理。エアコンはできるだけ使用を控えるように努力したい。
 ラジオを聞いていたら、来年の東京オリンピック開催まで1年を切ったとか。1964年の東京オリンピックでは私は小学校5年生だった。毎朝、教室の壁にはられた日本の全国地図の上に聖火ランナーが走った跡を先生の指示で記した記憶がある。あれから半世紀、55年も経つのか。田舎の幼馴染の中にはすでに黄泉の国に旅立った者も何人かいる。もっと生きたかったろうに。合掌。
 それはそれとして正直に書くと、今回の東京オリンピックにはほとんど関心はない。もう国威発揚とかなんとかいう時代ではないだろう。世界平和や友好促進に役立つのなら大いに結構だが、テロが蔓延する昨今、ソフトパワーの限界を見ているような気もする。オリンピックは所詮、テレビなどのメディアがそれぞれの思惑から大騒ぎして盛り上げる4年に1度のお祭りに過ぎないのだ。と突き放していても根っからのスポーツ好きの私はテレビの前で一喜一憂することになるのだろう。
                 ◇
 台北から急いで帰福したのにはある事情があった。アメリカから友人一家が私を訪ねて来福することになっていたからだ。旦那の名はブライアン。妻子を連れたブライアンと8年ぶりに再会した。できれば数日間福岡周辺を案内したかったが、成田空港から帰国が迫っているとかで福岡はわずか1泊の慌ただしい訪問となった。
 到着した24日夜は中洲の料亭でヤリイカの料理をご馳走した。ブライアンと子息はとても喜んでくれたが、奥方は「水の中から収穫したものは一切駄目」という固い信念の持ち主で私の目論見は残念ながら外れてしまった。それでもまあ何とか有り合わせのもので食事して頂いた。やはり事前に好き嫌いをきちんと聞いておくべきだった。そんな基本的なことを怠ると失礼なことをしてしまう。 “I am to blame.”(私が悪かった)
 25日朝は太宰府を案内した。久しぶりに訪ねた天満宮は観光客で賑わっていた。韓国からの人々が相変わらず凄く多い印象を受けた。日韓関係がこれ以上こじれると彼らの訪日も渋るのではないかと思ったりもした。ブライアン一家は今回、東京から関西を経て来福。奥方は何度も来日しており、ブライアンはこれが2度目。一家は駆け足での訪問とはいえ、福岡がとても気に入った様子だった。よく言われるように、適当に都会で、かといって東京や大阪の慌ただしさはなく、のんびりとしたところがお気に召したようだ。
 私はブライアンとは『アメリカ文学紀行』の取材でアメリカ各地を歩き回っていた時、ネブラスカ州で出会った。アメリカは車がないと動きが取れないところが多い。陸の孤島のような田舎町にどうやって行こうかと途方に暮れていた時に、マイカーで長距離を運転してくれ、取材の便宜を図ったくれた人物がブライアンだった。私はあとがきできちんと彼に謝意を表したが、パソコンの故障でメール履歴が消滅し、ずっと連絡不能だった。
 それがひょんなことから彼と再びやり取りが可能になり、今回の来訪につながった。柔術が趣味の彼とは馬が合う。この次の再会は8年を待たなくても実現するだろう、きっと。

不难想像今后的困难。

20190722-1563772701.jpg 土曜日夜。インドネシアからの受講生二人を日本食レストランに招待して今回の台北行きは終了。翌日曜朝、少し歩いて台湾のお気に入りの朝食を食べてホテルに戻る。すでに汗びっしょり。シャワーを浴びてチェックアウト。以前に行ったことのあるマッサージ店を訪ね、覚えているマッサージ師に身体をもんでもらった。少し中国語で会話もした。
20190722-1563772734.jpg 日曜夜無事帰国。今回の台北の旅はわずか4日間だからどうということもないはずだが、少々疲労気味。一つには帰途の飛行機が揺れたこと。離陸直後に機長から「本日は雨雲のため時々の揺れが予想されますので、シートベルトを外さないように」といった趣旨のアナウンスが聞こえた。私の席は中ほど、右の翼の辺りで窓側。小窓から外の雲の様子がよく見える。離陸直後は灰色の厚そうな雲の中を疾走していくのが見えた。
 高度1万㍍を超えた頃からは雲の上を飛ぶことになり、揺れることはなかったが、九州に近づくにつれ、また雲の中に突っ込んでいくような感じで、心中穏やかではなかった。私は新聞社特派員時代にはかなりの頻度で飛行機に乗っている。アフリカ勤務時代には4人乗りのセスナ機での取材も何回か経験した。だから慣れっこにはなっているが、飛行機にはできれば乗りたくない。新幹線や長距離バスの方がいいに決まっている。台湾へも釜山のようなフェリー便があれば、船便を利用するのにとさえ思う。
 揺れるのが怖いのと機中のほぼ2時間の時間を持て余し、やることがないので、いつもバッグにしのばせている「中日・日中辞典」で時間をつぶした。もう何度も頁を繰っているこの辞典に私は大いなる「恩義」を感じているが、不思議とこの機中での時間は期待以上の有意義なひとときとなった。今も嬉しく思っているので、私にとって備忘録でもあるこのブログに若干記しておきたい。
 「解決」という語。中国語の漢字は少し異なるが、私のパソコンではその違いをタイプできないので割愛。ピンイン表記だとjiějuéとなる。[ジェジュエ]という音の響きに近いが、[かいけつ]からは程遠い。私はこの語の発音をすでに何度辞書で調べたか分からない。辞書を閉じると直後にはもう忘れている。しかし、機中で改めて辞書を眺めていて、「解」のすぐ上に「姐」という同じピンインの語があるのに気づいた。「姉」という意味だ。これはもう何度も何度も耳にし、口にもしている。「あ、なんだ、同じ発音の語か」と今更ながら気づいた。「よし、今度という今度は分かったぞ。おそかりし由良之助とはしまい!」
 「不难想像」。中国語を学んでいなくとも、日本人には意味合いが何となく想像がつく表現かもしれない。ピンイン表記だとbùnán xiǎngxiàng。私の辞書には「容易に想像できる」とある。格調高く言うと「想像するに難くない」となるか。私はいつも「难」という語の発音に難儀しているが、辞書を改めて眺めていて、「男」も「南」も同じピンイン表記であることに初めて気づいた。「なんだ、そういうことかいな!」。「老若男女」は中国語では順番が逆転して「男女老若」。ただし「老若」とは言わず、「老少」となり、合わせて「男女老少」。ピンイン表記だとnánnǚ lǎoshào。
 以上のような語彙、表現の類を辞書を繰りながら脳裏になんとか叩き込もうとしていたら、揺れの怖さを瞬間的に忘れてもいた。ほどなく福岡空港に降り立った。

北投温泉

20190720-1563612217.jpg 金曜日の期末報告会。韓国の受講生2人がこの日朝急遽帰国したため、教室の壇上に立ったのは9人だった。それぞれが台北での4か月近くの生活を振り返ったり、自分の夢を語ったり、アジアの特色ある食べ物を語ったり、とても聞きごたえのある報告だった。改めて驚いたのは、皆が流暢な中国語をしゃべっていたことだった。
 9人が報告を終えると、黄老師はその都度私に感想を求めた。英語が苦手な受講生もいたので心苦しかったが、私はほとんど英語で印象を口にした。中国語で応じたかったのだが、私の拙い中国語ではそれはまだ無理。とにもかくにも、皆が笑顔で報告を終え、和やかな雰囲気に包まれた。私ははるばる来て良かったと思った。
20190720-1563612249.jpg この日の夜は韓国人の李先生と会食。彼も受講生仲間で私よりは一回り若いが、他のクラスメートに比べればずっと私に近い世代だ。日本の大学で教えているので、何の違和感もなく日本語で会話できる。4月に台北を去る直前にレストランで彼にご馳走になっていたため、今回はそのお返しをすると決めていた。瓶ビールで乾杯した後、麻婆豆腐や魚介の炒め物などを肴に紹興酒を飲みながら楽しく語らった。彼は来春まではこの地で中国語の力を磨く予定だとか。私とは差がつく一方だが、私もそれなりに頑張ろう。
 土曜日朝、久しぶりに少しだけ二日酔い気味で目覚めた。本日は夕方まで予定もない。とりあえず朝飯を食べようと7時過ぎ、ホテルの周辺を歩き回ったが、どうも適当なお店がない。改めて気がついたが、ここら一帯は歓楽街だ。日本語の看板も多く、夜の蝶が快楽を誘っているお店がそこかしこに。この時刻でも扉の向うからカラオケの歌声に女性の笑い声が聞こえるお店もあった。徹夜で営業しているのかい!
20190720-1563612287.jpg 天気は悪くない。歩いているだけでうっすら汗ばんでくる。いつか足を運びたいと前から考えていたところがあった。MRTの電車で行ける北投という地にある温泉地。電車で行けるというのも有難い。中山駅から淡水線に乗り、ほどなく北投駅に、そこで乗り換え、次の駅が温泉地の新北投駅。案内板に従って歩くとあっという間に目的地に着いた。源泉池と思われる地熱谷では湯気が立っている。案内板を読むと、水温は75度以上の高温だから注意せよと書いてあった。
20190720-1563612383.jpg それにしても暑い。汗はだらだら。周囲は温泉宿というかホテルがそこかしこに見えるが、日本のようにぱっとお湯に浸かれるところはないのだろうか。「温泉 浴室」という案内の文字が見えたので階段を上がり、入り口で尋ねると、「一人か?」「そうだ」「40分、料金150元」とのこと。おばちゃんの指し示す個室をのぞくと、狭いコンクリートのたたきに湯船のようなものが見える。清潔感はなく、潔癖症の我が兄貴だったら絶対入らないだろうなあと思いながら、お金を払った。温泉と水を蛇口から勢いよく混ぜて満たし、浸かってみると、まあまあの感覚。お湯が目に触れると目がちょっと痛かった。
20190720-1563612320.jpg 頃合いを見て湯から上がったが、下着も短パンもポロシャツも汗でびっしょり。う、気色悪(わる)! 着替えを持参すべきだった。もっともその後もすぐにまた汗びっしょりになったので同じことだったろうが・・・。
 ここでは温泉の類はホテルや旅館などに宿泊して味わうのが無難なのかもしれない。

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