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『カフネ』を読み終えて

  • 2025-07-04 (Fri) 08:10
  • 総合

 とある英文の文章を読んでいて、sea glass という見慣れない語に出くわした。筆者が浜辺を歩いていて、時々遭遇するものらしい。「海のガラス?」。普通の英和辞典には載っていないので、ネットで検索してみると、海や湖の海岸に漂着したガラスの破片のことで、長い年月をかけて波や砂によって角が取れ、表面が磨かれて曇りガラスのようになり、独特の味わいがあることから、こう呼ばれるようになったとか。「浜辺の宝石」との異名も。
 人工物の海中投棄は海洋汚染につながり、深刻な問題だが、このような「副産物」もあるのか。面白がってばかりはいられないだろうが、海遊びの新たな楽しみになるのかなとも思った。海と言えば、今夏は游ぐ機会があるのかしらん。
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 時々のぞいている小さな書店。最近では向田邦子のエッセイ本『海苔と卵と朝めし』や夢野久作の文庫本を購入して読んだ。読み終えたばかりの作品は『カフネ』(講談社・2024年刊行)というタイトルの小説。著者は阿部暁子。この小説で初めて知った作家だ。
 奥付には「岩手県出身、在住。2008年『屋上ボーイズ』で第17回ロマン大賞を受賞しデビュー」とあり、以下数冊の著書のタイトルが付記してある。これだけではどういう人物だかは分からない。もちろん、これ以上の情報が欲しければ、ネットでグーグルすれば何か分かるだろう。ただ、今回は密やかな読後感に浸りたくて何も検索しなかった。
 まず、淡々とした文章に引き込まれるように読んだ。たまに時系列に戸惑うことがあったが、作品の魅力を減じるものではなかった。推理小説のような側面もあったが、なんとなくそうしたジャンルにこだわることなく読み進めた。読み終えた今思うことはこういう作品は現代だから書かれえたのであり、一昔前だったら、相当の抵抗を感じる読者がいたのではなかろうかと感じたことだ。いや、私の思い過ごしかもしれない。私が時代についていけなくなっていることを物語っているのかもしれない。
 物語は不妊治療の甲斐なく死産に終わり、打ちのめされる四十歳過ぎの女性、その女性の一回り年下で姉思いの心優しい弟、その弟の元婚約者の女性という三人を中心に展開する。読者はこの弟と元婚約者の関係は普通予想するような男女の関係ではないのではという疑念を抱きながら読み進めることになる。この弟がある日突然死するのだが、事件性はあるのか、ないのか。両親や姉、さらには結婚するには至らなかった元婚約者にまで遺産を相続したいという遺言書を残していたことからミステリーが深まっていく。
 ネタバレになるかもしれないが、実にあっけなく早世した弟は同性愛者だった。女性を愛することができなかったのかまではともかく、愛し合っていた会社の男の同僚も登場する。かといって同性愛だけが主要なテーマの物語ではなく、性的な描写は皆無に近い。むしろ、家族の関係、夫婦の関係、介護や子育てなどの問題がちりばめられている。特に貧困にあえぎながらも死に物狂いで子育てに奔走するシングルマザーとけなげな子供たちのエピソードは読み手の心を打つ。それでも私の印象に残ったのは同性愛や同性愛者の苦悶がさりげなく普通の光景として描かれていたことだった。そういう時代なのだろう。

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