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英語でさるく 那須省一のブログ

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初めて字が上手いとほめられた!

20190417-1555456248.jpg 先に書いたように、中国語の講座の老師(先生)は学習の一環として漢字の筆順も習得するように求めている。それでテキストの一つには筆記帳が含まれ、私たちはレッスンごとの漢字を正しい筆順で書き写すようになっている。
 ところで、台湾の漢字は繁体字と呼ばれる由緒正しい難解な字。最初これを目にした時はいやあ参ったなあという感じ(漢字)だった。NHKの中国語講座で学んできたのは中国で使われている簡体字と呼ばれる簡略化された字。例えば、学校は簡体字だと日本語とほぼ同様の学校だが、台湾では學校。書くのが実に面倒くさいと思った。ところがだ。何度も書いているうちに慣れてきた。飛行機は簡体字では飞机で書くのは比較的簡単だが、繁体字ではほぼ日本語のように飛機。視覚的にはより明確にその意味をアピールしてくる。
20190417-1555456273.jpg 先日の授業では受講生各自が黒板に板書させられたが、私が疑問文の文末に登場する字の嗎という字を書くと、老師に「字が上手だ」とほめられた。私はこれまで字が上手だとほめられた記憶はない。まさかこの歳になって、しかも漢字の本家の台湾でほめられるとは夢想だにしなかった。それで授業の後にカフェの一角に座して、小学生にでも戻った気分で筆記帳に向かっていると、自分の書く漢字がまんざらでもなく見えてくるから不思議だ。
                  ◇
20190417-1555456300.jpg 月曜日の深夜の時間帯。米ゴルフの最高峰、マスターズをホテルのテレビで見た。時差が日本と同様、厳しいため、途中で切り上げて寝るつもりだったが、何だかタイガー・ウッズが優勝するのではないかと思え、未明まで付き合ってしまった。最終ホールでボギーをたたいても優勝というのはタイガーらしくないと思ったが、プロ中のプロが競うマスターズで通算5度目、メジャーだけでも15勝目という素晴らしい復活劇を成しとげたタイガーに注文を付けられる人などいないのでは。
 BBCやCNNでは世界中の著名人の祝福の言葉を報じていた。面白いと思ったのはオバマ氏とトランプ氏の新旧両大統領が祝福の言葉を送っていたこと。水と油のような関係のこの二人が意見の一致をみる話題はそう多くないだろう。
20190417-1555456322.jpg BBCから両者の言葉を紹介すると。<Former US President Barack Obama, who played a round of golf with Woods during his time in office, paid tribute to Woods' determination after a difficult few years. "To come back and win the Masters after all the highs and lows is a testament to excellence, grit and determination," he wrote. US President Donald Trump said he loved "people who are great under pressure. What a fantastic life comeback for a really great guy!">
 オバマ前大統領の祝辞はよく理解できる。確かに精神的・肉体的な試練を乗り越えて復活を果たしたタイガーの優勝は「優秀さ、根性、決意」を物語っている。grit という語は昔はあまり目にしなかったような気がするが、最近ではちょくちょく目にする。私は「根性」と訳したい。トランプ大統領の祝辞はどうということもないが、彼はよくよく great という語彙が好きなようだ。自分自身もgreat under pressure(プレッシャーに強い)と考えているのだろう、きっと。

テレサ・テン墓所

20190415-1555283641.jpg 中国語の授業は教科書の末尾に印刷してあるバーコードを活用すれば、いつでも音声が聞けるようになっており、アナログ人間の私にはこうしたことを学んだだけでも台北に来た甲斐があったと感謝していることは先に書いた。老師(先生)は週末のホームワークとしてスマホから自己紹介の文言を録音して送るように指示した。ボイスレコーダーの機能を活用する。私にはこれも難儀だったが、文章を練り上げ、何とかラインで送った。スマホを使いこなせないと昨今の大学の授業にはついていけないということか。
20190415-1555283665.jpg 日曜日。この日足を運びたいと考えていた場所があった。台湾が生んだ世界の歌姫、テレサ・テンの墓所だ。いつぞやテレビで彼女のお墓には世界中からファンが訪れているという番組を見た。私は彼女の生前はファンとは決して言えなかったが、中国語に興味を覚え、台湾を旅するようになってから彼女のファンになっていた。そうなって改めて気づけば、1953年の生まれの彼女は私と同世代だ。1995年に42歳の若さで没している。
20190415-1555283701.jpg ネットで調べると、MRTと呼ばれる電車で淡水駅まで行けば、そこから路線バスで行けるとある。淡水駅は多くの観光客らしき人々でごった返している。観光案内所でテレサ・テンの墓所行きのバスを英語で尋ねる。誰の墓所?しまった。私は彼女の中国語名を調べていない。台湾が世界に誇る女性の歌手だ、あなたたちも知らないわけないでしょと説明するが、若い男女二人の職員は首をかしげるばかり。
20190415-1555283739.jpg 二人はその歌手はどんな歌を歌っていたのですか?と尋ねる。仕方なく、日本語で彼女の代表作の一つ、「時の流れに身をまかせ」を口ずさむはめになった。ところどころ音程を外しながら歌うと、二人はなぜか笑いながら、知っているような知らないような反応。それでも何とか分かってもらえ、彼女の墓所がある金宝山霊園に向かう路線バスが判明する。彼女の中国名表記は鄧麗筠(デン・リージュン?)だった。
 そのバスはテレサ・テンの墓所詣での人々で混みあうのかと思っていたが、墓所があるバス停で下車したのは私の他にはカナダから来たという中国系の中年の女性一人だけだった。命日とかの特別の日には賑わうのだろうが、この日はテレビで見た光景とは大違いで何とも寂しかった。この広々とした霊園は富裕層だけが眠れる高級霊園であることが分かる。
20190415-1555283788.jpg 彼女のお墓に手を合わせ、しばらく路線バスを待った後、再び淡水駅に戻る。駅の近くの商店街は凄い賑わい。テレサ・テンの墓所で知り合った先ほどのおばちゃんとお昼を食べることにする。彼女は中国系とあって言葉ができるから、食堂のおばちゃんたちと丁々発止、食べたい料理にあれこれ「注文」を付ける。その土地の言葉ができるというのは羨ましい。もっとも彼女は中国大陸の生まれだから台湾の人々が語る中国語とはいささか異なるようだが。白米を含め青野菜や炒め物などが出て来て、締めて210元。折半して105元。きわめてリーズナブルなランチだ。しかも美味かった!
20190415-1555283836.jpg ランチを食べた後、彼女と別れて駅に戻る。駅裏の広場も行楽客でにぎわっている。歌声も聞こえる。日本の演歌だ。ただし、言葉は台湾語。そのうち、テレサ・テンの歌が歌われ始めた。こちらはどうも中国語のようだ。しばし足が止まる。そのうちに私も彼女の歌の一つや二つはカラオケで歌えるようになりたい。カラオケ自体、久しく行っていないが。

『漢字と日本人』

20190412-1555022231.jpg 今回の台北の旅に『漢字と日本人』(高島俊男著・文春新書)という日中両言語の関係を考察した本を持参した。著者の高島氏の名前は週刊誌のコラムなどで知ってはいた。
20190412-1555022257.jpg 読み終えた今、刺激に満ちた好著だと思う。日本人が中国の先進文明から漢字を取り入れた経緯を次のように記している。<かつて日本に文字はなかった。千数百年前に中国から漢字がはいってきた。日本人は漢字をもちいはじめた。(中略)日本語はあった。いやもちろん「日本語」という名称はありませんよ。名称の問題じゃない。漢字がはいってくるよりもずっと前からこの日本列島に人は住んでいて、その人々の話していることば、それはすなわちわれわれがいましゃべっていることばの先祖にあたるわけだが、それはあった。あたりまえです。しかし、それを表記する文字はなかった、ということです。>
 私などは日本が中国から漢字を採用したことを幸運に感じているが、高島氏は次のように喝破している。<つぎに、日本が中国から漢字をもらったことをもって、恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは、日本語にとって不幸なことであった。なぜ不幸であったか。第一に、日本語の発達がとまってしまった。(中略)日本語は、みずからのなかにまだ概括的な語や抽象的なものをさす語を持つにいたっていない段階にあった。日本語が自然に育ったならば、そうしたことばもおいおいにできてきたであろう。しかし、漢字がはいってきたーーそれはとりもなおさず日本語よりもはるかに高い発達段階にある漢語がはいってきたということだーーために、それらについては、直接漢語をもちいるようになった。日本語は、みずからのなかにあたらしいことばを生み出してゆく能力をうしなった。>
20190412-1555022296.jpg 高島氏はさらに次のように説いてもいる。<漢語と日本語とがあまりにもかけへだっていたために、日本語を漢字で書く、ということには、非常な困難と混乱とがともなった。その困難と混乱とは、千数百年後のこんにちもまだつづいている。そんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。>
 台北の大学の中国語センターで中国語を学び始めて数日が過ぎた。老師(先生)に相変わらず、単語の発音の不備を指摘されている。『漢字と日本人』には次のような記述もある。<さあさっきからしきりに日本人の口は不器用だと言っている。これを説明しておかねばならん。日本語は開音節構造である。すべての音節が母音でおわる。しかもその母音の前につく子音は一つだけである。要するに日本人が口から出せるのはごくかんたんな音だけである。またその音の種類がいたってすくない。これはもう大昔からそうである。>
20190412-1555022326.jpg 私が中国語の発音に難儀しているのは私が生まれ育った日本語のゆえであるらしい。とはいえ、クラスメートの若いベトナムやインドネシア、韓国の若者も zhi- や shi-、ri- などの巻き舌音や四つある声調に苦労している。
 さあ、今夜は何を食べようか。福岡に戻れば自分で料理する質素な生活が待っているが、ここ台北での食事代は外食とはいえ、福岡での食費を上回っていないような気もする。それで美味いのだから有難い。日本人の口は不器用でも舌は不器用ではないということか!

やっと咸豆漿に!

20190410-1554852012.jpg 朝目覚めて下界の様子が全く分からないのにも少し慣れた。慣れたが、やはりどうも勝手が悪い。カーテンをさっと引っ張れば明るい日差しが差し込んでくる、そんな気分に浸りたい。今の部屋代に380円上乗せすれば窓のある部屋に移れるのだが、いったん腰を落ち着けるとなかなか動けない性分の私は決めかねている。こういうのを愚か者というのだろう。
 火曜日の朝。壁にかかっているテレビをつける。NHKで天変地異が起きていないことをまず確認。CNNでトランプ氏の愚かさを再確認。そして地元のテレビ局にチャンネルを切り替える。流れてくるのは台湾語だと思うが、私には意味不明。片隅の天気予報を見る。台北は曇り空に晴れマークが少しのぞいている。気温は27―32度らしい。前日も日中は暑かった。日本ならもう真夏と呼べる気候だと感じた次第だ。
 さて張り切ってホテルを後にしようとしていたら、地元のテレビ局が、突然、大リーグの生中継を放送しだした。台湾の人々も大の野球好きらしい。この日のゲームはニューヨークヤンキース対ヒューストンアストロズの好試合。ヤンキースの先発投手は今シーズン好調の滑り出しをしている田中マー君だ。少しだけならテレビで見て行くことができる。台北に勉強に来ていて大リーグのゲームに引きずられるなんて! こういう往生際の悪いのも愚か者と言うのだろう。
20190410-1554851956.jpg 中国語を学んでいる大学までホテルから歩いて10分程度。途中で朝飯を食べる食堂に立ち寄る。この食堂には塩っぱい咸(シエン)豆漿(豆乳)がある。卵焼きと一緒に注文して60元(約230円)。地元の人たちの食べ方を見てみるとこの他にも一つ二つ追加している人が多いようだ。私も追加であれこれ注文したいのだが、どうも勝手が分からず、つい尻込みしてしまう。
 二日目の授業では引き続き発音練習と筆順の確認。発音はやはり巻き舌音がやっかいだ。声調(tone)も油断をするとついおざなりになってしまう。ある程度の緊張感をもって発声しないと老師(先生)から必ず駄目だしを食らうことになる。老师は筆順の大切さも力説した。ただし私は筆順は適当でいいのではないかと思っている。それはこのブログでも最近アップしたが、『漢字再入門』(阿辻哲次著・中公新書)という好著を読んだことに感化されたからでもある。著者の阿辻氏は一般的に正しいとされている筆順にあまり拘泥する必要はないと説いていた。しかし、私たちのクラスの老師は漢字を常に正しい筆順に従って書くように訴えた。彼女の説明を聞いていて、私が普段書きとばしている漢字の筆順がいかに間違っているかを再認識させられた。これはこれで勉強になった。
 授業を終えて学内に残っていたら、前日に立ち話をした別の老師を見つけたので挨拶した。彼女は日本語ができるので心強い。名刺を渡しておいたら、私のブログを早速のぞいてくれたみたいだった。とてもありがたく感じた。私の中国語に関する記述でヘンテコなところがあれば遠慮なく指摘してくださいとお願いした。
 授業の休み時間にスマホでヤンキースの試合をチェック。マー君が6回を投げ終えた時点でヤンキースが3対1で勝っていたため、マー君の2勝目を期待していたら、最後にはまたしても逆転負けを喫していた。ヤンキースにも愚か者がいるようだ。

時代華語

20190409-1554735868.jpg 台北の大学で私が受講する外国人向けの中国語講座が始まった。初日に買い求めた大学指定の教科書は「時代華語」というタイトル。華語というのは分かるが、時代は分からない。時代華語の真下に Modern Chinese という英語表記がある。なぜ「現代華語」ではないのだろうか。そのうちに担当の老師(先生)に尋ねたいと考えている。
20190409-1554735981.jpg 初日ゆえに最初の授業を前に簡単な筆記テストを受けさせられた。簡単な拼音(ピンイン)表記や質疑応答の文章を答える問題で比較的すらすらと解答することができた。私の答案をチェックした職員は中級の講座に参加する手もありますよと説明してくれたが、やはり不安もあるので初級の講座を選択した。
 初級の教室は初日とあって時間とともに受講生が増えていき、最終的には25人かそこらになったようだ。老師は明日からはクラスを2つに分割すると告げた。ベトナム、インドネシア、韓国の学生が多かった。日本人は私の他には1人だけいたような。圧倒的大多数は20代の若者たち。他のクラスを含めても私が群を抜いて最年長かもしれない。
 簡単な自己紹介を各自が済ませた後、老師は早速、中国語の発音の規則をさっとおさらいした。それから基本的な発音の練習。私は曲がりなりにもNHKのラジオ講座で3年近く独学してきていたからついていくことができたが、何の予備知識がなくてこの講座に飛び込んだら、とてもついていくことはできないだろうと感じた。ベトナムやインドネシアの若者たちは中国と近隣にあるからかかなりの予備知識があるように感じた。
20190409-1554736076.jpg 老師が教科書の末尾にあるバーコードのことを何度も口にした。バーコードを活用すれば教科書の語彙や文章が自由に聴取できると言っているようだ。アナログ人間の私は恥ずかしながら、これまでバーコードを一度も触ったことがない。バーコードと言われると、自分の頭髪のことを言われているようで切なくなってくる・・・。
 とまあ、そんなことはどうでもいいのだが、ホテルに戻って、フロントの女性にバーコードの利用の仕方を尋ねた。彼女はスマホのラインでできると言って、てきぱきと教えてくれた。あら、不思議。たちどころに教科書の音声がスマホで即座に聴けるようになった。知らなんだ、こんな便利なものがあるとは! こうしたことを知っただけでも、台北に来た甲斐があったというものだ。
 さて、中国語の講座は始まったばかり。大多数の学生は3か月の正規コースに登録して、腰を落ち着けて学ぶようだが、私は最短の3週間しか受講しない。私も本来なら正規コースに参加できたのだが、5月から英語教室を開講することになったため、もはやそれは不可能。3週間で精一杯、中国語の世界に浸り、力を少しでもつけるつもりだ。
20190409-1554736022.jpg 授業は午前中の3限。一応、スロージョギングができる準備はしてきているが、まだ走ってはいない。その代わり、公園や街中をできるだけ歩くようにしている。万歩計を信用するなら、こちらに来て以来、だいたい日々16,000歩以上は歩いている。夕刻お腹を空かせてこのところ夕食に食べているのは排骨酥と呼ばれている麺類と小籠包。排骨酥は青野菜にダイコンが入っており、健康にも良さそうだ。その店に何度も行くからか、スタッフの愛想も「非常好」(大変良い)。

犬も歩けば

20190407-1554599013.jpg 窓のないホテルの一室。やはり外の様子が伺いしれないというのは不満だ。緊急時のことを考えると不安感はさらに募る。この部屋は12階だから、窓があればどうとかなるというものでもないが。昨日は一応、非常階段を確認するため、自室がある12階から地上まで歩いて降りてみた。階段の通路に洗濯物が干してあったり、雑多な物が置いてあるのはまあ許せるとして、3階から下は通行不能。回れ右してもう一つある階段を下ってようやく地上に降り立った。なんだかなぁ!という気分だ。
 土曜朝。とりあえず大切な朝飯を食べよう。フロントに鍵を置いて、エレベーターで一階に降りる。天気は晴れで上々なことに初めて気がついた。空気も気持ちいい。
20190407-1554599275.jpg 朝飯が食べられる食堂を探す。日本でもお馴染みの外食チェーン店は多いが、できればここでしかお目にかかれない地元の店で食べたい。それはどの国を旅しても同じ思いだ。
 一軒、そういうお店を見つけ、通りに面した厨房をのぞき込んでいると、「ニーハオ。いらっしゃいませ」という感じで店内に誘う。夫婦と若い娘さんが立ち働いている。温かくて少し塩っぱい咸(シエン)豆漿(豆乳)を食べたかったのだが、この店にはなかった。しかたないので温めた豆漿に具入りの卵焼きのようなものを注文する。食後のコーヒーを含めて締めて95元(約360円)。コーヒーを飲みながら、しばし夫婦と常連らしきお客さんとのやり取りに耳を傾ける。「コーヒーを一杯頂戴な」といったやり取りは聞き取れた。
20190407-1554599576.jpg ホテルに戻ってメールを確認する。前夜、中正紀念堂の広場で催されていた集会で立ち話をした男性からメールが届いており、まだ返信していない。どうも初代総統の蒋介石の偉業をしのぶ集会のようだった。参加者は圧倒的に中高年の人々でかなりの高齢者の方々も見かけられた。壇上ではお揃いの衣服を身に付けた人たちが荘重な感じの歌を合唱している。ひとしきり見物した後、会場を後にしようとしていたら、遠くで何やら古めかしい軍服を着こんだ男性数人の姿が目に入った。
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 その内の一人の軍服には見覚えがあった。ケーブルテレビで何度も目にした中国の軍事ドラマで旧日本軍や共産党軍と戦っていた国民党の兵士の軍服だったからだ。私は声をかけていいものかためらったが、好奇心を抑えきれずに声をかけた。以下、英語でのやり取り。「あなたが着ているのは国民党の軍服ですよね」「そうです。私の祖父は上海で日本軍と戦い、捕虜となり、その後、日本の傀儡政権の兵士となりました」「そうですか。その後、蒋介石に率いられて台湾に来たのですね」「ええ。今下げている小剣は新しいものですが、祖父もこのような剣を持っていました」「そうですか。ところで蒋介石はあなたにとって今も英雄ですか?」「90%はそうです」「残りの10%は?」とここまでやり取りしたところで立ち話がストップしたので、彼はその保留した10%の理由をメールで補足してくれたのだ。蒋介石の偉大さを称えた上で、「彼はその気になれば多くの人々の命を救えることができたと思う。だがそれをしなかったので90%です」と補足していた。
 この男性は36歳だと語っていた。高校時代には1年間、日本語を勉強したという。メールは「日本の新元号・令和の施行、おめでとうございます。私の初めての男児は令和元年5月に誕生する予定です」と結ばれていた。

中正紀念堂の衛兵

20190405-1554429150.jpg ホテルを移った。台北は地下鉄が便利で、タクシーに頼らずとも目的地に行けるのが有難い。スーツケースが重い。ロンドン支局時代から使っているが、今回、福岡空港で取っ手の一つが遂に破損した。車輪も音が凄まじい。押して歩くと、周囲の誰もが驚いて振り向く。そろそろ買い替えの時期かも。何だか「旧友」と別れるような気がする。
20190405-1554429203.jpg 移ったホテルの部屋は12階。通告されていた通り、とても狭く、スーツケースの置き場に困るほど。窓もない。だから部屋の中にいると下界の様子が全然分からない。それでもここを選んだのは宿賃が格安だったから。個室が確保されてきちんとした浴室や多チャンネルのテレビがある部屋を求めれば、これが望みうるベストの選択ではと思う。フロントのスタッフの対応も安心できるものだった。
20190405-1554429238.jpg 金曜日朝。前夜は残念ながらなぜかあまり熟睡できなかった。空腹を覚えたのでとりあえず、朝飯を食べようとフロントに向かった。このホテルでは出かける時は必ず鍵をフロントに預けるように言われている。朝飯のため出かけると(英語で)言うと、スタッフの女性が「今日は休日だから街中の食堂は開いてないでしょう。コンビニに行けばいいですよ」と言う。ああ、そうなの。ふと、フロント奥のカレンダーに目をやると、4日と5日が真っ赤に染まっている。あれ、昨日も休日だったの?と尋ねると、そうですとの返答。なるほど、だから昨日は家族連れが街中にあふれていたのかと合点が行った。
 本日5日は清明節だとか。そう言えば、昨日近くのレストランの外壁に「清明節 休息一天」という張り紙を見かけた。「清明節には一日休みますよ」というお知らせだろうかと推察はできたが、それが今日だったのか。確かにホテルの外に出ると通りはどこも閑散としていた。少し小雨もぱらついている。コンビニの手前でパン屋さんが営業していたので飛び込む。クロワッサンのようなパンを2つと牛乳を買う。締めて115元(約440円)。女店員さんが「パスポートをお持ちでしたら割引できますよ」と(英語で)言う。もちろんパスポートを持って朝飯食いには出かけないので持っていない。これからは持って出ようかな。
 新しいホテルは来週から通う大学に近いので選んだのだが、前日暇つぶしに辺りを散策してみると、すぐそこに台北を代表する観光スポットの一つ、「中正紀念堂」があることに気づいた。中華民国の初代総統である蒋介石が祀られ、市民が憩う公園ともなっている。中正とは彼の本名(蒋中正)に由来するという。
20190405-1554429269.jpg これまでの旅でもそばを通ったことはあるが、足を踏み入れたことはなかった。大孝門から中に入る。実に広々とした空間が広がっている。家族連れ、若者、外国人旅行客で賑わっていた。蒋介石の座像がある本堂へ石段を上る。座像の両脇に衛兵が立っている。微動だにしないのでマネキンかなと思って近づいてみる。マネキンにしては実に精巧にできている。まるで生きた人間のようだ。感心しながら見やっていると、かすかに前後に揺れたような気がした。あれっ、ひょっとして人間? 近くで日本語が聞こえてきた。「皆さん、よくご覧ください。瞬き一つしないでしょ」というガイドらしき人が説明している。やはり人間だ。ホテルに戻ってネットで検索してみると、鍛え抜かれた軍の兵士の精鋭が一時間交代で衛兵を務めているのだとか。なるほど、瞬きさえ許されていないのか。

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