英語でさるく 那須省一のブログ
ヘタフライ
- 2014-07-21 (Mon)
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暑い夏が到来した。はあ・・・。スポーツジムのプール通いがすっかり日課になった。午後遅くか、日によっては午前中から出かけ、1時間程度はプールに浸かっている。仕上げはサウナに水風呂。サウナと水風呂が楽しみで通っているようなものかもしれない。
何を隠そう、私は高校を卒業するまで、泳ぎが苦手だった。金槌(かなづち)だったと呼べるかもしれない。恥ずかしい話だが、我が母校、宮崎県立妻高校は50㍍プールを擁し、水泳教育が盛んな高校だった(と記憶している)。何しろ、高校1年で100㍍、2年で200㍍、3年で400㍍泳げなければ、夏休みに「補習」があったのだ。泳ぎが苦手な連中は病院の診断書か何かを持ち出して補習を免れていたような気がするが、正直者の私は連続3年間、女子生徒に混じってこの補修に付き合わされた。
3年の夏休みはさすがに男子学生はごくまれだったような気がする。受験勉強もあるし、最後まで水泳の特訓に付き合う気持ちなどなかったからだろう。私は付き合った。クロールでも平泳ぎでも何でもいいのだが、50㍍プールを4往復する泳力は私にはなかった。当時は平泳ぎでごまかしごまかし泳ぎ、何とか「合格」させてもらったような・・・。
泳ぎができないことは小学生の頃からずっとコンプレックスだった。山間部で育ったからプールなど高校に入るまで経験がなかった。田舎の川では夏には魚を銛で突くのが楽しみだったが、川幅が狭く、岩場がそこらにあるので、潜るのさえできれば、溺れる心配はなかった。ところが高校に入り、50㍍プールを見やると、途中に岩場などないではないか!
社会人になり、東京の新聞社に入り、スポーツジムのメンバーとなり、プールに入って、初めて水泳にそれもクロールに本格的に取り組んだ。分かったことは要するに、息継ぎさえできれば、クロールができるということだった。洗面器に水を入れ、顔を付け、水の中で息を吐き、顔を上げて息を吸う練習を繰り返した。実際にプールでやってみると、何とか泳げるではないか。スピードさえ気にしなければ、1時間ぐらいは楽に泳げることに気づいた。これでようやく泳ぎのコンプレックスから解放された。新聞社の特派員時代にはスーツケースには必ず、海水パンツとゴーグルを入れ、機会があれば、海やホテルのプールで泳いだ。
と書けば、今では泳ぎが凄く達者になった印象を与えるかもしれないが、そうではない。今でも下手だ。レーンが空いていなければ、まず、そのレーンには入らない。ウォーキングレーンでひたすら歩いてその日は終わりということもある。泳ぐスピードが遅いから、迷惑をかけたくないのだ。
その私が今取り組んでいるのは、ヘタフライだ。勘違いしないで欲しい。バタフライではない。バタフライと呼ぶには下手過ぎるので、自称ヘタフライ。顔馴染みになったおばちゃん達にヘタフライの由来を説明したら、大いに受けた。自分としてはこのヘタフライが大いに気に入っている。本来ならバタフライはクロールに次ぐ速さの泳法らしいが、私のヘタフライはゆっくり、水をかき、キックして、体を水面上に起こし、息を吸い、沈む泳法。隣のレーンの平泳ぎのおばちゃんよりも遅い。スピードは全然気にしない。クロールより、平泳ぎより、何だか全身を使って泳いている感じで、お、これはいい、という泳法なのだ。
ヘタフライ。この夏はこの泳法で健康作りに励もうと思っている。
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聖書読了
- 2014-07-17 (Thu)
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福岡はこのところ、雨模様の曇天が続いていたが、木曜日の今日は青空が少し窓の外に見える。ふと気づくと、セミの鳴き声がかまびすしく聞こえる。ああ、本格的夏の到来だ。
アメリカで出版されたThe Way (The Living Bible) というタイトルの聖書を読み始めたと書いたのはいつのことだったか。ブログをたどると、昨年4月にそう記している。気が向いた時に本棚から取り出し、ベッドに寝転んで読むという読書スタイルもあって、数日前にようやく読み終えた。怠惰極まりない読み方であり、これを果たして「読了」と表現していいのか甚だ心もとないが、一応、そういうことで許して頂こう。
この聖書の冒頭には時系列の読書方法が示されていた。なるほど、そういう読み方もあるのかと思い、そのアドバイスに従って読み進めた。「創世記」(Genesis)の1から22までを読み、次に「ヨブ記」(Job)、それから「創世記」の残りの部分、続いて「出エジプト記」(Exodus)、「詩篇」(Psalm)の90、「レビ記」(Leviticus)・・・という順に読み進め、もちろん終幕は過去に何度も読んだことのある「ヨハネの黙示録」(Revelations)だった。
印象に残った文章はマーカーを走らせている。幾つかを以下に記したい。「キリギリス」の身には実に心強い教えだ。
My whole life is but a moment to you. Proud man! Frail as breath! A shadow! (神よ、私の人生などあなたに比べればほんの一瞬。人間とは何と思い上がった者であることか! 吐く息のようにか弱く、その正体は影法師に過ぎないのに!) Psalms 39(詩篇39)
Look at the birds! They don’t worry about what to eat—they don’t need to sow or reap or store up food—for your heavenly Father feeds them. … And why worry about your clothes? Look at the field lilies! They don’t worry about theirs. (空を飛ぶ鳥を見よ。彼らは食べ物のことなど案じてはいない。彼らは種をまき、収穫し、貯蔵することもない。天にまします神が餌を与えてくださるからだ。{中略}衣服のことをなぜ心配するのだ。野に咲くユリを見よ。彼らは身に着けるものを案じてなどいない) Matthew 6 (マタイ伝 6)
Because our acquittal is not based on our good deeds; it is based on what Christ has done and our faith in him. So it that we are saved by faith in Christ and not by the good things we do.(我々が神の赦しを得るのは我々が善行をしたからではない。キリストが我々のために十字架に架けられたからであり、キリストを信じるからこそ、赦されたのだ。すなわち、キリストへの信仰ゆえに救われたのであり、我々が行ったと思っている善行ゆえではないのだ) Romans 3 (ローマ人への手紙 3)
Do you want to be truly rich? You already are if you are happy and good. After all, we didn’t bring any money with us when we came into the world, and we can’t carry away a single penny when we die. So we should be well satisfied without money if we have enough food and clothing.(あなたは真に裕福になりたいと思っているのか? 幸せで心地好く感じているなら、あなたは既に裕福なのだ。詰まる所、我々は生れた時にお金など持って生まれてきたわけではない。息絶える時に、一銭たりとも手にして旅立つわけではないではないか。だから、今食べて、着る物に不自由がなければ、お金がなくとも、十分満足すべきなのだ) Timothy 1-6(テモトへの手紙1-6)
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クラウド・ナイン
- 2014-07-11 (Fri)
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サッカーのワールドカップの主催国で強豪のブラジルが準決勝でドイツに歴史的大敗を喫した。大学で同じく非常勤講師をしているアメリカ人の女性講師は “It was a slaughter.”(虐殺的大敗北)と評していた。確かにサッカーの強豪国同士の試合スコアとは思えない7対1。野球ならどういうスコアが該当するのだろう。素人だから分からないが、何となく25対3ぐらいのスコアが頭に浮かぶ。
ワールドカップに関してはまあ、サムライブルーの日本が敗退した時点で大半の興味は失せてしまっていた。日本人選手が大活躍している大リーグがあるではないかと。このブログでも書いたが、ニューヨークヤンキースのエースとなった感のあるマー君こと田中将大投手の活躍を楽しみにテレビ観戦していた。
それがあろうことか、残念なニュースが飛び込んできた。マー君は右ひじの不調を訴え、15日間の故障者リスト(DL)入りしたというニュースだ。その後、チームドクターを始め専門医の診断で、彼は右ひじの靱帯を損傷し、一部を断裂していたことが明らかになった。復帰には今後少なくとも6週間のリハビリ期間が必要だという。それでも回復が思わしくなければ、手術を受けることになるとか。トミー・ジョン(Tommy John surgery)と呼ばれる手術で、そうなれば今シーズンの登板は不可能、早くもシーズンオフとなってしまう。
ダルビッシュも凄かったが、彼をしのぐスーパースターの出現で大リーグファンからも熱い視線を浴びていたマー君。今秋にはプレーオフ、ワールドシリーズにも出場できるかもと期待していただけに、今回の戦線離脱は残念でならない。
ジラルディ監督もマー君の離脱を惜しみながらも、彼がリハビリ後の8月中にはチームに復帰し、また大黒柱の活躍をしてくれることに大きな期待を寄せていた。大リーグのホームページ上にも多くのファンの声援が書きこまれている。
I just now learned of the bad news with Tanaka and feel like someone ran over my dog. I had been blogging for almost a full year for Cashman to get Tanaka and when it happened I was on cloud 9. On top of that he was having a Cy Young type of season and an All Star too. Will just pray that surgery won't be necessary. They did report the tear was small and he is in excellent condition with no history of injuries.(タナカの不運なニュースを知ったところだ。愛犬が車にひかれたようなショックを受けている。私はヤンキースのキャッシュマンGMがタナカを獲得するようこの一年間ずっと訴え続けてきていた。だからそれが実現した時、至福の境地にあった。かてて加えて、タナカはヤンキースに入団して以来、サイヤング賞級の活躍をして、オールスターゲームにも選ばれていた。今となっては彼が手術を必要としないことを祈る。靭帯の損傷は大きなものではなく、過去にそうした負傷も経験しておらず、状態はいいと聞いている)
“be on cloud nine” とは “very happy” “extremely happy” (至福)を意味する慣用句だ。
大リーグもプロ野球も多くの投手がトミー・ジョンの手術を受け、カムバックを果たしている。とはいえマー君が手術の必要なく順調に回復することを祈ろう。その間は彼のチームメートのヒロキこと黒田投手やマリナーズでこれも活躍を続けているクマこと岩隈投手の応援に勤しもう。
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台風一過?
- 2014-07-10 (Thu)
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九州はこのところ、台風8号襲来のニュースが大きな扱いを受けていた。新聞などでは7月に日本列島に接近する台風としては「過去最強クラス」(気象庁)と報じており、憂鬱な気分で過ごしていた。(福岡に住む私はもう過去形で書いてもいいのだろう)
私は世の中で嫌いなものがあるとすれば、台風は間違いなくワーストスリーの中に入るかと思う。台風シーズンが近づくと、しょっちゅう気象情報(今は天気予報とは言わないらしい)のサイトにアクセスしている。衛星画像を見て、台風の発生状況を確認する。台風が九州に向かっていることが分かると、(無駄な抵抗であることは分かっているものの)スクリーンの衛星画像に念を送り、台風が九州及び日本を直撃することのないように祈る。
宮崎はかつて台風銀座と言われた。私の実家は山深い地の小さな川沿いにあり、台風が来るといつも川の水が恐ろしいほど増えた。子供の頃には台風が来るのが嫌でたまらなかった。今もそうだ。だから、今度の台風8号にも念を送り、進路変更や勢力が弱まることを祈った。
今、この項を書いている木曜日朝、窓の外は穏やかだ。曇天ではあるが、雨は降っていない。何だか拍子抜けだ。福岡市内の小中学校は本日は全校休校措置とテレビのニュースは伝えている。私が通っている近くのスポーツジムも昨夜、引き揚げる時、フロントの職員が「明日は台風で臨時休業となりました」と利用者に声をかけていた。
台風の勢いがピークで通過した沖縄県では大きな被害が出ているようだ。前線が刺激されて、遠く離れた長野県では土石流が起き、中学生の男の子が死亡している。
予測可能な自然災害については、注意報とか警報の類は多少大げさ過ぎても構わないとは思う。しかし、強風域にあったはずの福岡では、少なくとも私が住む地区ではほとんど台風の猛威を感じることはなかった。多分、暴風雨は台風の南側で強く、幸い、北側ではそう激しくはなかったのだろう。福岡では少なくとも、メディアが連日報じていた「大型で強い」台風と感じることはなかった。
参考までに、太平洋上で発生する台風(typhoon)は日本や米国、中国など太平洋に面した14か国・地域で構成する台風委員会が、加盟国の言葉を使って順番に命名している。動植物や自然現象にちなんだ名称で、我々が台風8号と呼んでいるこの台風の呼び名はtyphoon neoguri (タイフーン・ノグリー)。ノグリーとは韓国語で「狸」を意味するとか。
もう一つ付記しておきたい。台風が九州(日本)に来ないことをいつも祈っていると書いたことと矛盾するように思えるかもしれないが、日本のメディアの報道を見ていて、いつも感じることがある。それは台風の進路が日本を逸れて韓国やフィリピン、あるいは中国などに向かった時点で、日本の台風報道は停止する。だが、台風は消えてなくなったわけではない。向かった先で甚大な被害をもたらすことも少なくない。気象情報を伝えるNHKのアナウンサーが末尾にひとこと、例えば、「この台風は今回はフィリピンに上陸すると見られています。フィリピンで大きな被害をもたらさないことを祈りたいと思います」とか言ってくれればなあ・・・などと感じるのだ。
まあ、そこまで期待するのは無理な相談なのだろう。
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かんじゃだめよ!
- 2014-06-28 (Sat)
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このブログでサッカーのワールドカップ(W杯)のことを書くのはおしまいと思っていたが、蛇足にもう一つ書いておこう。日本が敗退した翌日のスポーツ新聞を読んでいたら、当然のことながら、ザック・ジャパン(サムライブルー)の惨敗を酷評する記事がさまざま掲載されていた。その中で目を引いたのが、「俺よりうまくなったら聞いてやる」「横柄さ目立った長友、香川と“本田組”」という見出しの敗因分析記事だった。
ザック・ジャパンは昨年10月の東欧遠征でW杯に出場しないセルビア、ベラルーシに相次いで完敗した。本田選手は試合終了後恒例のサポーターへの整列しての挨拶に加わらず、守護神の川島選手から「プロだろ、挨拶に行け」と注意されると、「(サポーターへの感謝の)気持ちを持っていれば十分でしょ。言われたくないわ」と年長の川島選手の忠告を一蹴した。川島選手は本田選手の胸ぐらをつかみ、一触即発となったが、周囲の選手が割って入って事なきを得たのだという。この記事は、本田選手が同じヨーロッパでプレーする長友、香川両選手を仲間に引き入れ、他の選手からの意見に対しては「俺よりうまくなったら聞いてやるから」と意にも介さなかったなどと述べている。
スポーツ新聞の報道だ。本田選手の主張(反論)は掲載されていない。ただ、こうした記事が一次リーグ敗退が決まった直後に出たことに複雑な思いを抱いた。この記事が述べている通り、チームに微妙な不協和音が流れていたのだったら、勝てないのは当たり前だったのでは。こういう記事はW杯開幕前に読んでおきたかったとも思った。そうだったなら、これほどの期待をサムライブルーに抱きはしなかっただろう。後の祭りだが・・・。
閑話休題。ウルグアイのFWスアレス選手が対戦チームのイタリアの選手の肩にかみついたとしてW杯決勝トーナメントを含む向こう4か月間の出場禁止処分を食らった。
私はこの試合は見ていない。CNNにアクセスしたら、メインニュースの一つとして報じていた。BBCもそうだった。映像を見る限り、彼が相手のデフェンダーの左肩にかみついているのは明らか。それも、かなりの敵意を抱いてかみついている様子が分かる。私は最初、口を開けたところに相手の肩があったのだろう、不可抗力だったのだろうと思っていたが、映像を見るとそのような推測はついえてしまう。
さらに、スアレス選手はこのかみつき行為でよく知られていたことも知った。過去に二度ほど出場禁止処分を受けているのだ。興奮すると、相手チーム選手のプレーをかみついてでも阻止したい思いに駆られる性分なのだろうか。彼はイングランドのプレミアリーグに属するリバプールで活躍するスター選手だ。私も名前ぐらいは知っていた。このブラジル大会でもウルグアイがそのイングランドを一次リーグで破る貴重な2得点を上げている。
サッカーは発祥の国、イングランドではなぜか、”the beautiful game” と呼ばれる。定冠詞のtheが付いている。他のスポーツと比べても、傑出して「美しいゲーム」ということだろう。スアレス選手の行為はどこから見ても、「美しい」とは形容できない。CNNは記事の書き出しで、Luis Suarez may have bitten off more than he can chew this time. (スアレスは今回、咀嚼(そしゃく)できる以上のものにかみついたのだろう)と揶揄っている。揶揄られても仕方がない恥ずべき行為だった。
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これが日本の実力か
- 2014-06-25 (Wed)
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我らがサムライブルーはブラジル大会で一勝もあげることができずに、一次リーグでの敗退が決まった。やはり、初戦のコートジボワールに逆転負けしたのが痛かった。私はサッカーに関しては門外漢だから、専門家諸氏の冷静な見解をこれから新聞やテレビで拝読・拝聴するが、ベスト16、さらにはベスト8進出へと期待を持たせた戦前の一部解説者のあのはしゃぎまくりは一体何だったのだろうと思わざるを得ない。サッカーに関する限り、一流国のレベルからは日本はまだ遠いということなのだろう。
まあ、サッカー(フットボール)発祥の伝統国、イングランドにしても一次リーグを二戦連敗で散っており、そう日本の敗退を責めるわけにはいかないだろうが。
サムライブルーの再建はいいとして、私は自分の肉体を「再建」しなければならない。海外放浪の旅を続けている間は日々ナップザックを背負い歩き回っていたから、いい運動となっていた。太ったと感じることはなかった。ところが、机に坐して仕事をするのが日課となって一年と半年・・・ふと気づくと腹回りが少しくたるんできている。勤めていた時代にはいていたズボンがはけないウエストサイズになっている。
この危険性は十二分に承知していた。だからこそスポーツジムの会員となって、時々プールで泳いでいた。(この頃は歩く時間の方が長くなっているが)。尊敬する大学の先輩の言に従い、5年ほど前から実践している昼飯抜きの一日二食の生活も依然守っている。でも、やはり、その程度ではカロリー的には「入超」となっているようだ。
悲しい。別にスリムアップした体になりたいなどとは露思っていないが、余分な脂肪は勘弁してもらいたい。嘆いてばかりもおられないので、ずっとうっちゃっていた腹筋運動の小道具を引っ張り出してきた。これから、毎日腹筋運動を課して、ウエストサイズを締めることにした。果たして効果のほどは・・・。
このブログ「英語でさるく」と名付けていることを思い出し、この辺りで本日記したことにまつわる英語表現を少し————。体をあまり動かさず、座って仕事(作業)することの多い状態を英語では sedentaryと表現する。「セドゥンテリー」のように聞こえる発音だ。辞書では「座業の」という訳が載っている。My work is sedentary. などと使う。
続いて肥満。すぐに fatness という単語が頭に浮かぶが、新聞などを読んでいると、obesity という単語の方がより目につく。発音が少し厄介だ。「オゥビィースィティ」と聞こえる。私には何となく、「米びーつ空にして、オゥビィースィティ」と覚えたくなるような単語だ。「肥満の」という形容詞は obese 。
最近の授業でも紹介したのだが、BBC放送は、夜の就寝時に部屋を真っ暗にして寝る女性と部屋の明かりを残して寝る女性とでは、明かりを残して寝る女性の方が肥満になりやすいとの調査結果が出たと報じていた。少しでも明かりが残っていると、人類が太古から持っている体内時計(body clock)を狂わせ、ホルモンの分泌に影響し、肥満をもたらす要因となっているのだとか。
私は部屋の電灯を全部消さないと眠れない質だ。この調査結果には少し安堵した。
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諭吉翁とおッ母さん
- 2014-06-20 (Fri)
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サッカーのワールドカップは金曜日朝、日本にとって残念な結果となった。解説者諸氏はテレビでこのところ、日本は必ずギリシアに勝てると請け合っていた。FIFAランクではギリシアは12位、対する日本は46位。向こうだってまだ二次リーグ進出の可能性は残されているから必死になってやってくるだろうし、ギリシアのテレビでも似たようなことを言っているのだろうと思っていた。ふたを開けてみれば、お互いにゴールネットを揺らすことなく引き分け。日本には最終戦に条件付きでわずかながら望みをつなげているとはいえ、相手は強豪コロンビアだ。現実は非常に厳しいと思わざるを得ない。
サムライブルーの不振で気分もblue(憂鬱な)に感じながら、ブログをアップしている。『福翁自伝』という本を読了したばかり。福沢諭吉(1834-1901)の自伝だ。『学問のすゝめ』の著者が幕末から明治にかけて生きた偉人であることは承知していたが、これまで彼が書いた本はまともに読んだことがなかった。「食わず嫌い」とも言うのだろうか。
私が諭吉翁を敬遠していたのは、彼が掲げた「脱亜入欧」論による。明治日本は確かに「脱亜入欧」の考え方で欧米の先進国の仲間入りを果たした。それはそれでまことに結構だが、そうした考え方のどこかに「アジアは後進世界。お手本にするべきものは何もない」との傲慢さが巣食い、日本のアジア侵略の伏線となったのではないかとずっと思っていた。
だが、ある書を読んでいて、『福翁自伝』(岩波文庫)は日本の自伝本の最高傑作と評されているのを知り、興味を覚え、購読した。諭吉翁が功成り名遂げて明治30年、64歳の時に口述筆記の形で著したのがこの本だという。期待以上に面白かった。
諭吉翁は幕末、大分・中津藩の下級武士の家に生まれた。生まれがその後の人生を鋳型にはめたように「縛る」封建社会が嫌でたまらず、青年諭吉は自由を求める気持ちから「洋学」(蘭学から英語へ)の道に進む。尊王攘夷か佐幕か、開国かで揺れる幕末で、政治的な動きには一切関知せず、自己の開明だけを志した彼の生き方はあっぱれだ。幸運にも恵まれ、欧米への洋行で見聞を広め、慶応4年に慶応義塾を開設し、多くの有為な人材を輩出する。
世人が明治新政府の役人となり、立身出世を夢見たのに対し、諭吉翁は終生、栄達、富を求めず、飄々と生きている。彼が現代の日本に蘇れば、どのような教育思想を掲げるのであろうか。「脱亜入欧」の帰結とも言える今の日本を見て、彼は何を思うだろうか。諭吉翁は『福翁自伝』の中で余生に手がけたいことの一つに「全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること」を挙げている。自分自身のことはさておき、新聞の社会面を日々賑わす事件や不祥事の数々を考えると、及第点をもらうのは難しいかもしれない。現在進行中のワールドカップの試合会場で日本人ファンがゲーム終了後に観客席のゴミ拾いに精を出した光景はきっと翁を喜ばせたことだろう。
諭吉翁は故郷中津藩のしがらみには頓着しなかったが、夫が若くして病死したため、子ども5人を女手一つで育て上げ、町人や百姓にも分け隔てなく接した母親には深い情愛を抱いていたようだ。諭吉翁は母親のことを「おッ母さん」と呼んでいたことを知った。当時は武家でも母親に対するごく普通の呼称だったのだろう。私も亡きお袋はずっと「おっかさん」と呼んでいた。私にはとても懐かしい呼び名だ。
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