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英語でさるく 那須省一のブログ

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グギ氏評伝

 一週間ほど宮崎の郷里に戻っていた。いつものように長姉の家に。山の中腹にある農家だから朝晩は時に肌寒さを覚えるほど涼しい。パソコンでのネットが不能なため、情報機器から解放されて読書三昧の日々を送ることができた。
                 ◇
 田舎に持参したのは『評伝 グキ・ワ・ジオンゴ=修羅の作家』(第三書館)という本だ。「現代アフリカ文学の道標」という副題が付いており、800頁を超える分厚さ。著者はアフリカ研究が専門の大学教授、宮本正興氏。図書館で偶然目にしたが、ケニアの著名な作家の評伝で、昨年秋に刊行されたばかりとあっては読まないわけにはいかない。
 日本でグギ・ワ・ジオンゴという作家の名前を知っている人は稀だろう。アフリカに多少なりとも関心のある人なら彼の代表作 “A Grain of Wheat”(『一粒の麦』)は必読だ。1938年ケニアのリムル生まれ。有力部族の一つ、キクユ族(宮本氏はギクユと表記)の出身で、東アフリカで64年に初めて英語で小説を書いた作家であり、63年の独立後のケニアの政治の現状を厳しく糾弾する作品で当時の独裁的なモイ政権から疎まれる。私が新聞社のナイロビ支局に勤務した80年代末はすでに欧米での亡命生活を余儀なくされていた。
 評伝はグギが母語のキクユ語で作品を書く(発表する)ことに抱いているこだわりを詳述していた。彼にとって英語は植民地時代の名残であり、言語としての重要性はキクユ語、さらには東アフリカ一帯の共通語、スワヒリ語が上回る、と彼は考えている。この点が他のアフリカ出身の作家と異なるところだ。例えば、グギと並び、アフリカを代表するナイジェリアの作家、チヌア・アチェベ(2013年死去)やノーベル文学賞受賞のウォレ・ショインカたちは英語で作品を書き、発表することに特段の抵抗はない。
 評伝からグギの言葉を拾うと————。「イギリスの植民地主義者がはじめてケニアへやって来た1885年、彼らはケニア人の文学は邪悪である、ケニア人の文化は悪魔であると宣伝した」「ケニア文学を発展させたいなら、ギクユ語、ルオ語、カンバ語、ソマリ語、ギリアマ語、もちろんスワヒリ語も含めて、ケニアの民族諸言語で書かれるべきだ」「ギクユ語やスワヒリ語で小説を書けば、私は農民や労働者と直接の対話を持てることになる。私は農民や労働者が消費できるような文学を生産したい」
 82年に発表された “Devil on the Cross”(『十字架の上の悪魔』)は実に面白い作品だ。ケニアの新興ブルジョアがいかに民衆から富を略奪しているかを自慢し合う破天荒な物語で、最初キクユ語で書き、それを著者自身が英語に翻訳。著者の持論の是非はともかく、英語で書かれてこそ海外の私たちも味わえる。
 私は作家本人には会ったことがないが、特派員時代にリムルの家を訪ねたことがある。彼がリムルに残した奥さんがいて、応対してくれた。ケニアの伝統的な家屋の壁に、作家が亡命せざるを得なかった独裁政権のモイ大統領の肖像画が普通に掲げてあったことを覚えている。ケニアは今は複数政党制になり、グギ氏も2004年に一時帰国しているが、暴漢に襲われるなど不本意な帰郷となったようだ。アフリカの多くの国々と同様、政治腐敗や犯罪の多発に苦しむ祖国の現状は彼が夢見た平等な社会の理想郷からは程遠いのが実情だ。

『ハムレット日記』

 先に大岡昇平の『野火』を読んだことを書いた。岩波文庫のその本には『ハムレット日記』も収められていた。父親である先王を叔父に毒殺され、母親の王妃をも奪われた王子ハムレットが復讐を果たして果てるシェイクスピアの悲劇『ハムレット』を下敷きにした作品だ。なるほど、こういう「料理」の仕方もあるのだと感心した。
 実は少しく考えていることがある。とある文学作品(短編)を読ませて、余韻(複数の解釈の素地)のある結末部を学生に自由に拡大創作させる手法だ。読み手の読解力・文章力が問われることになる。『ハムレット日記』を読みながら、そのことを思い出した。
 末尾の解説によると、大岡はこの作品をデンマークの王子ハムレットが王座を狙うマキャベリストとしての試練と没落を描く政治小説に仕立て上げたのだという。ハムレットは日記に以下のように綴っている。「今日のデンマークがあるのは、父上の永年の御苦心の結晶である。その王国を憎むべき弑逆によって奪われ、現に王座に座っている者が、殺人者とその共犯者であるとすれば、子としてこれが放っておけようか」
 父親の敵討ちに冷めた部分もある。「古い土地にかじりついている貴族、フランス流の口舌の猿真似する廷臣、どら声の軍人、嘘吐きの坊主どもが、柄になくデンマークの宮廷の体裁を整えようとあくせくしている有様は、浅ましいというほかはない。かかる宮廷に王として臨むことに、どれだけの値打があるというのだ」「クリスマス、聖歌、正餐、新年の謁見、賀宴————(中略)人々は人生がどこまでもこのまま続くと確信したかのように、晴れやかに着飾り、その衣装と同じくらい晴れやかな顔付で、参列し、行進し、挨拶し、酒を飲み、肉を食った。儀式は生活の意味をしばらく見失わせる。しかし宴果てた後、再び始まる毎日の生活の惰性が、元と同じ流路しか見出せぬところに不幸がある」
 確かに意欲的な作品だったが、私にはだいぶ前に読んだ福田恆存訳のストレートな『ハムレット』の方がより楽しめたように思えた。拙著『イギリス文学紀行』でも言及したが、父の無念、母の裏切りの前に苦悶するハムレットが次のように独白する場面が印象に残っている。「その気になれば、短剣の一突きで、いつでもこの世におさらば出来るではないか。それでも、この辛い人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらしてのぼって行くのも、なんのことはない、ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。旅だちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然、見たこともない他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世の煩いに、こづかれていたほうがまだましという気にもなろう・・・」
 原作では失意のうちに夭折した恋人オフィーリアの墓穴を掘っている墓堀人と、英国に追放される寸前でデンマークに戻ってきたハムレットとの会話が読ませる。相手がハムレットと知らない墓堀人は、尋ねられるままに、ハムレットは狂気を癒すために英国に送られたが、向こうで快癒しなくても大丈夫、あそこにはそんな人間ばかりだとうそぶく。
 大岡は墓堀人に次のような軽妙な歌を歌わせる。「王様が王冠(クラウン)をなくしたら、道化(クラウン)になんなさった。世も末だよ。王様が王冠をなくした。天地がひっくり返った。王様はおかわいそうに、道化になりなさった」。こういうくだりはさすがに原作にはない。王冠(crown)と道化(clown)の発音が似ているのを活用している。我々日本人にはその違いの聞き取りが悩ましい発音の語彙だ。

『文章読本』

 毎日暑い日が続いている。窓の風鈴が涼しげな音を奏でている。夜中はさすがにクーラーに頼らざるを得ないが、日中は自然の風と風鈴の音で何とか今のところはしのげる。子供だましのような音一つでこれだけの効果があるとは・・・。
                  ◇
 芥川龍之介(1892-1927)の短編に続いて、谷崎潤一郎(1886-1965)の文庫本『文章読本』を読んだ。ノーベル文学賞の候補ともなった明治生まれの文豪の作品は代表作『痴人の愛』を随分以前に読んだ。その他には随筆の『陰翳礼讃』を数年前に読んだことがあるだけだ。『文章読本』でマーカーを付けた印象的な記述を以下に・・・。
 文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすら~と云えるかどうかを試してみることが必要でありまして、もしすら~と云えないようなら、読者の頭に這入りにくい悪文であると極めてしまっても、間違いはありません。
 全く同感。大学の授業で学生たちによく語っている。自分の書いた文章を(心の中でいいから)読み返してみてください。車の運転で言えば、道が凸凹でがたぴししていませんか。そうであれば、それは悪文かもしれませんね。
 谷崎が推奨する文章のお手本として志賀直哉((1883-1971)の『城の崎にて』が出てくる。谷崎は「故芥川龍之介氏はこの『城の崎にて』を志賀氏の作品中の最もすぐれたものの一つに数えて」いたと述べ、作品中の一節を挙げ、その良さを解説している。私も志賀直哉は好きな作家の一人だ。短編『小僧の神様』は何度も読み返したことのある作品だ。谷崎がそしてあの芥川龍之介も志賀の作品を高く評価していることを知って意を強くした。
 このブログでも以前に志賀の文体論について述べたことがある。それをここで再録すると————。短編『リズム』の冒頭部分。「偉(すぐ)れた人間の仕事――する事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。(中略)いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。
 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという聯想(れんそう)でいうわけではないがリズムだと思う」
 
 『文章読本』の中にもリズムという語が出てくる。次の記述だ。「文章道において、最も人に教え難いもの、その人の天性に依るところの多いものは、調子であろうと思われます。昔から、文章は人格の現われであると云われておりますが、(中略)しかもそれらの現われるのが、調子であります。されば文章における調子は、その人の精神の流動であり、血管のリズムであるとも云えるのでありまして、(以下略)」
 谷崎が『文章読本』で特に訴えたのは「含蓄」の大切さ。彼は「云い過ぎ、書き過ぎ、しゃべり過ぎ」を戒め、(彼が生きた時代の)現代人が書く文章では「無駄な形容詞や副詞が多い」と嘆いている。これは古今東西の文豪たちが戒めていることである。イギリスの作家、ジョージ・オーウェルもアメリカの作家、マーク・トウェインも似たようなことを論じている。(それらの言葉は続きで)

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『蜜柑』に思う

 滅多にならない玄関の呼び鈴がピンポン。大家さんだった。家庭菜園の野菜はいかがとの訪問だった。今回はミョウガにナス、トマトなど。「これはどう。美味しくて栄養がありますよ」と渡されたのが、ムラサキという葉っぱもの。熱湯でさっとゆでて、ポン酢で食べるとの由。早速教えられた通りにやってみる。なるほど、さっぱりして美味い。しまった。遠慮せずにもっともらっておけば良かった! 齢を重ねて知る野菜の有難さだ。
                 ◇
 芥川龍之介(1892-1927)の文庫本(集英社文庫)を買った。現代風の表紙になっており、『地獄変』や『羅生門』ほか短編が幾つか収められていた。
 室町から戦国時代にかけての史実に材を取った『奉教人の死』は良かった。作家の心境を綴ったと思われる『蜜柑』も良かった。『蜜柑』の冒頭に「私の頭の中には言いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落していた」とある。精神を病み、昭和2年に35歳の若さで自死を選んだ作家の人生に思いを馳せざるを得ない。
 その「私」が乗り込んだ二等客車の前の座席に駆け込んできたのは、三等の切符しか手にしていない「いかにも田舎者らしい娘」だった。「私」は「この小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった」とけんもほろろの書きようである。「私」はトンネルを通って走っていく汽車の座席に身を委ね、小娘の存在を絶えず意識しながら、「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」を思い、うつらうつらしていく。ふと気がつくと、娘は不可解にも汽車の窓を開けようとしている。トンネルに差しかかったところで窓が開き、「私」は流れ込んで来る「煤を溶かしたようなどす黒い空気」にむせび苦悶する。憤懣やるかたない「私」がその直後に目にしたのは、トンネルを抜けた「貧しい町はずれの踏切」の柵の向こうに、「揃って背が低い」「頬の赤い三人の男の子」が佇んでいる光景だ。彼らは汽車に向い一斉に歓声を上げる。窓から半身を乗り出した娘はそれまで懐に抱いていた「暖かな日の色に染まっている蜜柑」を男の子たちに五つ六つと投げ込んだ。「奉公先へ赴く」途中の小娘は、見送りに来ていた弟たちの労に蜜柑で報いたのだ。「私」は「ある得体の知れない朗らかな心もちが湧き上がってくるのを意識した」とある。
 読者の私もほっとした。私は「奉公」という語感を辛うじて理解できる世代だろうか。思うに、昭和の繁栄はこういう小娘とその弟たちが担ったのだろう。
 『秋』は数年前にアメリカかイギリスを旅している時、携帯していた電子辞書に収蔵されており、それで読んだことがある。独特の文体が印象に残っていた。次のような文章だ。「彼女は・・・我知れず耳を傾けている彼女自身を見出しがちである」。「夫は夜寒の長火鉢の向うに、いつも晴れ晴れと微笑している彼女の顔を見出した」。「彼女はふと気がつくと、いつも好い加減な返事ばかりしている彼女自身がそこにあった」。英語だと I found myself …. She found her …という構文の文章が頭に浮かぶ。
 「瑣末な家庭の経済の話に時間を殺すことを覚えだした」という文章もあった。「時間を殺す」は英語のkill time の直訳だろう。作家は英語やフランス語に明るかった印象がある。自然と英仏語の表現を自分の文章に取り込み、活かしていったのだろうと推察される。

“Go Set a Watchman”

 今年の全英オープン(The Open)は大混戦の中、アメリカのベテランプロ、ザック・ジョンソンがプレーオフの末、初優勝を果たした。日本人でただ一人決勝ラウンドに進んだ松山英樹選手を声援していたが、終わってみれば、首位からは7打の大差をつけられた18位タイ。月曜にずれ込んだ最終日は民放の放送はなく、ケーブルテレビのチャンネルだったため、彼のプレーはあまり映されないこともあって途中で観戦を放棄。それにしても、日本から大挙して参戦した日本人プロは松山選手を除き、誰一人決勝ラウンドに進めなかった。アメリカやイングランド、アイルランドの20代前半のアマの若者たちは上位で奮闘していたが・・・。ゴルフに関する限り、彼我の力の差は歴然としているようだ。
                 ◇
 このところ、母国のアメリカに帰国、悠悠自適の日々を送っている大学時代の恩師からよくメールが届く。『アラバマ物語』という翻訳で知られる “To Kill a Mockingbird” の著者、ハーパー・リーの最新作にまつわるメールだ。恩師は私が少なからずこの作家に関心を抱いていることを知っている。
 今も健在な作家の最新作は “Go Set a Watchman” (注)という名の小説。いやこれは最新作と呼べるかどうか。彼女が “Mockingbird” を1960年に発表する前に書かれていたもので、今回、草稿が残っていることが判明し、刊行されたとか。話題を呼んでいるのは前作との「落差」だ。“Mockingbird” では、人種偏見の根強いディープサウスと呼ばれるアラバマ州で、白人女性をレイプしたとして逮捕された黒人を弁護した勇気あるアティカス・フィンチが登場する。その彼が “Watchman” では白人至上主義者のグループ、KKK(クークラックスクラン)に近い人種差別主義の考えを抱いていたことが描かれているとか。“spoiler alert!”(物語の内容が露呈するので用心あれ!)の警告を付していた書評はアティカスを “polite racist”(礼儀正しい人種差別主義者)と評していた。
 アメリカは今もなお、血なまぐさい人種対立のニュースが絶えない。南部のサウスカロライナ州のチャールストンでは白人至上主義の若者が黒人教会を襲撃して、9人の黒人を殺害する事件が発生して、アメリカ社会を震撼させたばかりだ。半世紀以上前に発表された“Mockingbird” はこの人種問題をとらえた、アメリカの現代文学を代表する作品の一つとして評価され、多くの人々がアティカスに理想的白人像を見ている。
 部屋の本棚を探せば、どこかに “Mockingbird” があるはずだ。2011年のアメリカの旅でもこの作家の存在を意識する取材の場があった。それは “In Cold Blood”(『冷血』)のトルーマン・カポーティゆかりの地を訪ねた際に、友人のカポーティの題材取材を姉のように手伝ったリーのことを懐かしそうに語ってくれた老婦人に会うことができたからだ。
 ハーパー・リーは1926年4月生まれだから現在89歳。今は施設のようなところで元気に暮らしているとのニュースを読んだ記憶がある。恩師のメールで読んだ新聞報道によると、“Mockingbird” 以来久々の作品となる “Watchman” は早くもベストセラーになる兆しがあるとか。(注)は続で。

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『野火』

 台風は福岡には被害をもたらすことなく過ぎ去ったようだ。台風の通過もあって暑さが幾分和らいだが、週間天気予報を見る限り、これからの最高温度は軒並み30度を超えている。クーラー頼みの日々がいよいよ本格化するのだろう。寝苦しかった数日前の深夜、クーラーをこの夏初めて使ったが、す、涼しい! 
                 ◇
 郵便受けに毎日のように何やら印刷物が投げ込まれている。普通はごみ箱に直行の扱いだが、時に手に取って眺めることもある。簡単な料理法などが書いてあることがあるからだ。そんな印刷物の一つに「カレーライス」の簡単レシピ(recipe)の特集が載っていた。私にはとても簡単とは思えないものもあって、投げ捨てようとして、思わぬ語句が目にとまった。「やわらか大根ポークカレー」。「大根」(Japanese white radish)。以前はそう好きでもなかったが、健康を意識し始めた最近では大好物となった食材だ。味噌汁の具材としているほか、おろし金ですって胃袋の友になってもらっている。
 その大根が大好きなカレーにも使えるとは! 早速書かれたレシピに忠実にこのカレーを作ってみた。大根は「2cm角に切って(他の具材とともに)表面が透明になる程度に炒める」とある。あとは同じだ。例によって、蜂蜜をたっぷり鍋にぶち込み、ぐつぐつと煮込む。出来上がり? 申し分ない風味のカレーだった。これでまた乏しいレパートリー(repertoire)に一つ変化球が加わった。
                 ◇
 大岡昇平の『野火』を読んだ。前回の項で書いた『日本近代短編小説選』(岩波文庫)でこの作家の『出征』が掲載されていて、印象に残った。その「余韻」で買い求めた次第だ。記憶が正しければ、高校時代の国語の教科書に彼の代表作『俘虜記』の一部が抜粋されていたような。『野火』は戦争小説を超えた文学として高く評価されている作品だという。先の大戦で帝国陸軍からフィリピン戦線に補充兵として送り込まれた田村一等兵の凄絶なサバイバルの物語だ。いや、サバイバルと表現するのは違和感があるかもしれない。
 肺病やみとなった田村は分隊長からも穀潰しとして追放され、収容される見込みは皆無と承知している野戦病院に向かう。病院とは呼べないような惨憺たる状況の施設だが。林の中の小道をとぼとぼ歩きながら、田村は死の予感からか奇怪な思いにとらわれる。自分がこの道を通ることはもう二度とないだろうと。「してみれば我々のいわゆる生命感とは、今行うところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか」と。まさにその通りだろう。現代に生きる私たちにしても、この程度の生命感しか持ち合わせていないのではないだろうか。
 一種狂気の世界に追い込まれた田村はその後、成り行きから無辜のフィリピン女性を殺害し、最後には僚友を射殺する羽目にも陥る。餓死寸前の飢餓状態ではその僚友の兵に「猿だ」と言われ、僚友が射殺した日本兵の人肉も貪る。
 今年は戦後70年。日本がいかに愚かな戦争にのめり込み、アジアの同胞に、そして自国民に悲惨な人生を強いたか、その愚劣さに改めて思いを馳せた。

「生きていることが愉しい」時代?

 台風シーズンの到来だ。気分がふさぐ。(なぜ気分がふさぐのか以前に書いたような記憶があるが、また説明するのは難儀だ)。地球温暖化(global warming)の影響だろうか、台風のスケールも発生回数も増しているような気がする。今世紀末には今では考えられないような規模の巨大な台風が日本に襲来することになるという。その頃は自分たちは生きていないと気にもとめないのは罰当たりというものだろう。パソコンの衛星画像のスクリーンを見つめ、太平洋上の台風の雲に向い、“Get lost!”(失せやがれ!)と叫んでいる。
                 ◇
 先週から岩波文庫の『日本近代短編小説選』の昭和編を何冊か買い求め、暇に任せて読んでいる。太平洋戦争をはさんだ時期に活躍した作家の力作が紹介されている。名前を知っている作家もあれば、初めて目にしたような作家もいる。
 二年ほど前に読んで強く印象に残っていた作家の名前をここでも再び目にした。自伝的小説『放浪記』で知られる林芙美子(1903-1951)。当時読んだのは長編『浮雲』と短編『風琴と魚の町』など。私はこのブログ上で「いや、実に存在感逞しい作品だった。もっと早く出合っておればと悔やまれた」と読後感を書いている。『日本近代短編小説選』に掲載されていたのは『水仙』という作品。編者の冒頭の文章では、女工や売り子などさまざまな仕事を転々とした林は「戦時中は軍国主義には疑いの目を向けながらも従軍作家としてしばしば戦線に赴き、兵士たちを激励。戦後は、この負い目を抱えながら、荒涼たる現実をあてどなくさまよう人々を描く。(中略)何本もの執筆を抱えた絶頂期に心臓発作により亡くなった」と紹介されている。
 『水仙』も期待にたがわない作品だった。日本占領下の台湾で生まれ、駆け落ちで東京に出て来た19歳の少女、たまえが戦中戦後の混乱の中、自分を捨てて逃げた男との間にできた一人息子を抱え、生きていくために綱渡りのように男を求めて暮らす様子が描かれている。息子も流されるように時を過ごすだらしない若者に。そんな自堕落な息子にたまえは「金持の娘でもだませないものかね・・・」と語りかけるような母親だった。「ママは悪党だな・・・」と切り返す息子に、母親は「悪い事ならどんな事でもいまはかまわないような気がした。いま十年も経てばそうした気力もなくなってしまうのだ。偽善の道徳というものに、まだみんなが迷っているような気がする。偽善のなかで、支配や権力や富の好餌を得ようと人間はししふんじんの勢いでいる。その人間たちの生活力のなかには、湯気の立つような和楽がある。笑いがある」と考える。
 持て余していた息子が北海道に働きに行くことになり、厄介払いを済ませた母親は気分が落ち着く。師走の暮れなずむ商店街で彼女はキャンディーと瀬戸物の醤油瓶の小瓶を万引きする。彼女にはポケットの重さが心地良かった。急に若返ったような錯覚にも陥る。広告塔からは甘い流行歌が聞こえてくる。新聞社の電光ニュースも最新の政局のニュースをきらきらと走らせている。
 彼女は「ふっと、生きている事も愉しい気がして来た」と書かれている。そういう時代だったのだろう。貧窮を極めていても「生きている事が愉しく」思える時代・・・。

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