英語でさるく 那須省一のブログ
an enabler って?
- 2016-05-11 (Wed)
- 総合
熊本地震は震度1以上の余震がやまない。NHKテレビでは依然、「今後も当分は最大深度6弱程度の激しい揺れに警戒して」という気象庁の警告を伝え続けている。我々庶民には分からない地下の動きがあるのだろう。彼らがそう言い続けているのは単に万が一の可能性を考えてのことか。駅やデパートなどのエスカレーターでの「手すりにおつかまりください」という程度の警告と考えたくなるのだが、こと地震に関してはそうもいかない。NKKテレビからこの不気味な警告が早く消える日が来ることを願いたい。
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韓国語のドラマを楽しんでいる。しかし、今日はさすがに途中でチャンネルを切り替えてしまった。なぜか。あまりにストーリーが「露骨」だったからだ。見ていたドラマは、韓国語学習のために、時々つまみ食いのように見ているもので、全体のストーリーは承知していない。別れ別れに育った姉妹が中心にいるドラマで、美人で気立てのいい妹が憎くてたまらない姉が色々意地悪するのだが(この種の筋立てがあまりに多くて私は辟易気味)、展開があまりにステレオタイプでさすがに見続けることができなかった。
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アメリカ大統領選の候補者選び。共和党の指名をほぼ確実にした不動産王のドナルド・トランプ氏の動静が依然賑やかだ。早く化けの皮がはがれないものかと思っているが、彼は英語の勉強にはいろいろと題材を提供してくれる。最近の報道では、彼が民主党の有力対抗馬、ヒラリー・クリントン氏に悪罵を浴びせている言葉に辞書を引かされた。彼はヒラリー氏を次のように非難したと報じられた。“She was an unbelievably nasty, mean enabler, and what she did to a lot of those women is disgraceful,” he thundered, offering no evidence.
もちろんこれは、夫のビル・クリントン大統領(当時)のかつての賑やかな女性関係を背景に、妻のヒラリー氏が夫のそうした女性遍歴を「助長」したという非難だ。enable(可能にさせる)を名詞化したenabler という語には普段あまり出合わない。私の電子辞書には「(アルコール依存症・薬物依存症などの人を)精神的に支える家族や知人、エネイブラー」と記載されている。トランプ氏は「(悪事を黙認する)助長者」のような意味合いでこのenabler を使っている。
少し前までよくのぞいていたアメリカの風刺番組に「デイリーショー」というのがあった。今でもあるのだが、司会者が変わったので今は全然見ていない。前の司会者はジョン・スチュアート氏。そのスチュアート氏がネット新聞「ハフィントンポスト」に載っていた。その記事に付記されていたビデオで久しぶりにスチュアート氏の毒舌を楽しんだ。
記事の見出しは “Jon Stewart says Donald Trump can’t be President because he’s a ‘man-baby’” というものだった。彼は次のように痛烈にトランプ氏のことを揶揄っていた。“I don’t know that a man-baby can be president. Character is destiny, and he is the most thin-skinned individual.”(大人でありながら赤ん坊のような気質の人が大統領になる資格があるのだろうか。性格は今さらどうしようもないものである。彼ほど自分に対する批判に激しやすい人はいない)。私は全くもって同感だ。
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英語はリズムで
- 2016-05-07 (Sat)
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この連休期間中に読んだ本で有益だったものを二冊記しておきたい。語学学習者にはとても参考になる書だ。私には大いに参考になった。
最初の一冊は英語学習に関する『英語は「リズム」で9割通じる!』(青春出版社)という本。著者は英語教育に明るい竹下光彦氏で、2013年の発行。竹下氏は英語の発音や文法にあまり拘ることなく、むしろ心がけるべきは「正確なリズム・アクセント」であり、それを正すだけで驚くほど英語の会話力がアップすると訴えている。
例えば、can, can’tという助動詞の入った文章。著者は次のように指摘する。——注意することは、can の場合、会話では「キャン」という発音が「クン」のように聞こえるケースもあるということです。ゆっくり発音するときは「キャン」となりますが、日常会話の速さで話されるときは、ほとんど「クン」と聞こえます。一方、「できない」という意味のcannot「キャノット」、can’t「キャーント」は、いつでも強くはっきり発音されます。ですから、「アイ・キャーン・カム」のように聞こえたら、それは I can’t come.(来られません)の意味であることが多いのです。逆に、「アイ・クン・カム」のように、canがはっきり聞こえないときは、I can come.(来られます)の意味であることがほとんどです。——
上記の指摘は実際に日本人がよく戸惑うことだ。著者はまた英語を話す際には「腹式呼吸法」での発声を推奨する。——日本人の発声法はどちらかというと胸式呼吸をする人が多く、歌でいえば鼻歌のように聞こえる話し方をする人が大半です。この場合、どうしても調音点(音を作り出す器官の部位)での音階が高くなり、自信を持って話しているように聞こえません。英語のネイティブの発声を聞いていると、腹式呼吸の人が多く、音程も低いので、とても自信たっぷりに聞こえます。——。私も全く同感だ。ディープな発声の英語を聞いていると、内容がたいしたことがなくとも、聞き入ってしまう。私は腹式呼吸の発声はできない。
もう一冊は韓国語の学習関連書で『韓国語をいかに学ぶか 日本語話者のために』(平凡社)。著者は大学の先生で野間秀樹氏。2014年の発行だから最近出された書と呼んでいいだろう。例えば「丁寧な表現」に関して次の指摘。著者は「―
韓国語と日本語では表現に次のような差(丁寧化のマーカーのこと)があることになる。そしてこの違いは、実際の<話されたことば>では大変な頻度で現れているわけである。日本語に見られない、韓国語に特有の、この丁寧化のマーカー ―요/―이요 は、学習にあたっては、その圧倒的な使用頻度の点に鑑みても、日本語との表現の違いに鑑みても、当然のことながら、初級の早い段階で導入するのがよい。<話されたことば>の実際の言語場において自然なやりとりができるかどうかの、決定的な肝となるものである。
この説明で疑問点が解消した。韓国語のテレビドラマを見ていて、「
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これも無理を承知で
- 2016-05-05 (Thu)
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本日は子供の日。窓の外は明るい陽光が降りそそいでいる。この二三日、押し入れの布団や毛布をベランダで干している。気分もいい。これで地震の憂いがなければチェゴ(최고:最高)なのだが・・・と思っていると、久しぶりに揺れを感じた。震度1かな?
『ペリー提督日本遠征記』(“Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan”)について追記。幕末が迫っていた19世紀半ばの日本の社会が、幕引きの要因ともなった米艦船・黒船を率いたペリー提督側の視点から描かれていて、「お歯黒」など当時の風習が興味深く書かれていることなどは既述した。追記したいのは、明治維新の陰の原動力ともなった幕末の志士、吉田松陰の密航の企てが言及される場面。松陰が弟子の金子重之助と一緒に、下田に投錨していた米艦船に乗り込み、密航を試みるものの失敗に帰する経緯だ。
もちろん、ペリー提督たちにこの二人の素性が詳しく分かっていたわけではない。それでも、二人の青年のたたずまいが強く印象に残ったことは間違いないようだ。次のように記されている。「彼らは教養ある人物であり、標準中国語を流暢かつ端麗に書き、物腰も丁重で非常に洗練されていた。提督は彼らの来艦の目的を知ると、自分としても何人かの日本人をアメリカに連れていきたいのはやまやまだが、残念ながら二人を迎え入れることはできない、と答えさせた。(中略)提督の回答に二人は大変動揺して、陸に戻れば首を斬られることになると断言し、とどまることを許してもらいたいと熱心に懇願した」
鎖国体制を辛うじて維持していた幕府は外国への旅を企図する民は誰であれ極刑に処していた。ペリー提督にとっても幕府の不信感を招く行動に出るわけにいかなかったことは理解できる。しかし、もしペリー提督が有為のこの二人を匿い、アメリカへの帯同を許していたならば、明治維新期の日本はどうなっていたのだろうかと思わざるを得ない。いまさらこのような「たられば」は詮無きこととは分かってはいても。
『遠征記』は次のような記述もある。「この事件は、知識を増すためなら国の厳格な法律を無視することも、死の危険を冒すことも辞さなかった二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、実に興味深かった。日本人は間違いなく探求心のある国民であり、道徳的、知的能力を広げる機会を歓迎するだろう。(中略)この日本人の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!」。そこまで感じていたなら、連れて行ってくれたなら良かったのに! 松陰は安政の大獄に連座し、江戸で刑死。金子重之助はその前に牢死している。
時代劇のドラマを見ていて、時として憤りを覚えるのは、お殿様や上役の逆鱗に触れた下級武士が切腹を命じられるとか、主君の死を受け、臣下が殉死することがごく当然の義務と見なされた、といった理不尽な行為がまかり通っていたことだ。士農工商というあこぎな身分制度は言わずもがなだ。今の世の中はそれに比べれば格段にいいと思う。とはいえ、例えば100年後の人々が2016年前後の日本を見て、「ああ、昭和から平成という時代を生きた人々は何と愚かで不幸だったことよ」と哀れに思うことはないのか? 地震台風の災害は別としての話だが。まあそんなことを夢想してみてもこれも詮無きことなのだろう。
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無理は承知で
- 2016-05-02 (Mon)
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世はゴールデンウィーク。こちとらはほぼ毎週ゴールデンウィークだ。などと軽口をたたいている世情でもない。熊本地震は相変わらず、深度1から3の余震が絶え間なく続いている。NHKテレビによると、気象庁は依然「最大深度6弱程度の激しい揺れに警戒」と言い続けている。震源地から距離のある福岡に住んでいても不気味な警告だ。震源地周辺に住んでいる人々にとっては、NHKテレビの定時のニュースを見るたびにストレスがたまる一方だろうことは想像に難くない。
前例のない地震ゆえに予測や説明が困難であることは分かる。それでも何か、もっと他の言い方はできないものかと思う。第一、私はこれまで本震に続く余震は段々とエネルギーを放出していくのであり、大きな地震が起きることは当面はないと思ってきた。どうも今回の地震はそうではないらしい。被災地を再び「深度6弱」の地震が襲えば、どれほどの(人的)被害が出るのか想像だにしたくない。もっと被災者の側に立った分かりやすい説明(警告)が欲しい。それができないのが現状かもしれないが、憤りにも似たもやもや感が募る・・・。
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オバマ米大統領が恒例のホワイトハウス記者会主催の夕食会で披露したスピーチが話題となっているようだ。主賓となるのはこれが最後となるオバマ大統領がジョークのターゲットとしたのは想像通り、低次元の中傷合戦となっている野党共和党の大統領選指名争い。読売新聞によると、オバマ大統領は来賓として出席していた共和党全国委員長の姿を見つけると、「すばらしい選挙戦になっておめでとう。この先もぜひその調子で」と声をかけ、共和党指名争いの混迷ぶりを皮肉ったという。
大統領選の指名を争っている候補者で夕食会に出席していた唯一の人物は民主党のバーニー・サンダース上院議員。サンダース氏はヒラリー・クリントン前国務長官との指名争いで劣勢に立つが、オバマ大統領はサンダース氏の奮闘を称賛した上で、しかし次のような軽口を放った。サンダース氏にとってはブラックユーモアと映ったかもしれない。朝日新聞のネット版では次のように報じていた。————「来年のこの時期は、ほかの人がこの場所に立つだろう。『彼女』が誰であるか、だれも予想できない」と述べた。後任に、現在唯一の女性候補であるクリントン前国務長官が就くだろうと示唆した形だ————
面白い文章だ。幾分唐突に出てくる印象の————『彼女』が誰であるか、だれも予想できない————。私はこのくだりを読んで、オバマ大統領の実際の発言を確認したくなった。CNNのネット版に跳ぶと、次のような文章に遭遇した。He also weighed in on the speculation surrounding the 2016 race, joking, “Next year at this time, someone else will be standing here in this very spot. And it’s anyone’s guess who she will be.”
なるほど。普段から代名詞が重要な要素となる英語ならではのジョークだろう。日本語のスピーチならば、「来年のこの時期は、ほかの人がこの場所に立つだろう。その人が誰であるか、だれも予想できない」といった文章が頭に浮かぶが、「その人」では全然このジョークは成立しない。上記の記事(翻訳)でおかしみは十分伝わるが、話し言葉となった場合はどうだろう。私はなかなかすっきりした言い回しを見つけられずにいる。
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そこまで言うか!
- 2016-04-27 (Wed)
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熊本地震の「余波」でブログをアップする意欲も失せている。ケーブルテレビの韓国語ドラマや大リーグのテレビ観戦もほどほどの状態。一つには地震発生以来、NHKテレビを見ることが圧倒的に多くなっていることがある。やはり地震報道はNHKに頼らざるを得ない。パソコンでもしょっちゅう気象庁の発表をフォローしているが。
海の向こうでは米大統領選の指名候補争い。米国に戻った大学時代の恩師から定期的に最新のニュースがメールで送られてくるが、こちらも見出しを眺める程度であまり以前ほどには熱心に読めないでいる。本日(水曜日)、久しぶりにCNN放送を比較的長く見た。ペンシルベニア州やデラウェア州など北東部5州で行われた民主、共和両党の指名候補争い予備選の投票結果が例によって賑々しく報じられていた。民主党ではヒラリー・クリントン氏が4州で勝利し、民主党候補の座をほぼ手中にしたようだ。
共和党では不動産王のドナルド・トランプ氏が全5州で圧勝した。トランプ氏が共和党の候補者となる可能性が一段と現実味を帯びてきた感がある。この日の勝利宣言での彼の発言を聞くと、これも例によって鼻高々、高慢な発言のオンパレードだった。目の敵にしているクリントン氏のことを「詐欺的ヒラリー」(crooked Hillary)と揶揄し、彼女の強みは女性候補であるということだけであり、それでも彼女は女性有権者からさえも嫌われていると言いたい放題だった。(crooked:発音は我々の耳にはクルーケッドのように聞こえる)
トランプ氏の言葉を聞いていると、米作家サリンジャーの名作 "The Catcher in the Rye" (『ライ麦畑でつかまえて』)に登場する主人公、ホールデン少年のことを思い出した。少年が生きていれば、トランプ氏こそ「インチキ野郎」(phony)の親玉と酷評するのではないかと思えたからだ。
米メディアで異彩を放っているインターネットの新聞があることも記しておきたい。毎日、アクセスしている「ハフィントンポスト」(http://www.huffingtonpost.com/)。このネット新聞はトランプ氏に関するニュースを政治欄ではなく、エンターテインメント欄で報じていたほど。トランプ氏に関するニュースの末尾には今も必ず、次のような編集長の「警告」の文章が添えられている。この文章を初めて読んだ時には考え込んでしまった。「ドナルド・トランプ氏はしばしば政治的な暴力事件をあおる発言を繰り返している。彼は常習的な嘘つき(a serial liar)であり、甚だしい外国人嫌い(rampant xenophobe)、人種差別主義者(racist)、女性蔑視者(misogynist)であり、かつすべてのイスラム教徒のアメリカ入国を拒絶すべきだと、ことあるごとに訴えている人種偏見に満ちた人物だ」
ハフィントンポストは水曜日、創設者で編集責任者のアリアナ・ハフィントン氏がテレビ局のインタビューに答えるビデオのクリップを紹介していた。この記事の見出しは、“HuffPost will cover Donald Trump as ‘a Buffoon and Dangerous,’ even if he’s the nominee” という見出しだった。“buffoon” とは「道化者」「馬鹿者」という語だ。トランプ氏への侮蔑感が滲み出ている。
今回の候補者指名レースは米社会の両極化が透けて見えるようでもある。もっとも、半分以上の有権者が投票しない国政選挙区もあるどこかの国が偉そうに言えることでもない。
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鎮まれ、鎮まれ!
- 2016-04-17 (Sun)
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大学の前期の授業が始まり、最初の授業を終え、帰宅した木曜の夜、自宅マンション(5階)が揺れた。洗面所で歯を磨いているところで、おや、地震かな。これが「熊本大地震」の幕開けだった。震源地から距離があり、熊本県内の被災地には比べるべくもないが、金曜夜は私が住んでいる福岡も結構揺れ続けた。(携帯電話のあの不気味な警報音が相次いだための)睡眠不足もあり、週末にかけて行動意欲を著しくそがれた。プールに行く気にも、ブログをアップする気にもなれなかった。
私の田舎は宮崎の山間部だが、熊本県に背中を接した県境にある。大地震発生の初報から「他人事」ではなかった。一人暮らしの老齢の長姉に電話する。「S姉ぇ、揺れちょるや?大丈夫や?おじこたぁねぇや?」「家は頑丈な作りだから、幾ら揺れても心配ねぇ。ひとっつもおじねぇど!」。まずは一安心。 (おじねぇや?=怖くない?)
熊本市内に住む友人も幾人かいる。その人たちに何の助けにもならないことは承知の上でメールを携帯電話やパソコンから送った。すぐに返信が返ってきた。「元気ですよ。ガスと水道がとまって困り果ててはいますが、頑張れるだけ頑張ります」という文言にほっとするとともに、こちらも勇気づけられた。
日曜日は快晴に恵まれた。熊本の被災地もそのようだ。土曜日夜は幸い大きな揺れはなかった。何とか余震もこのまま終息に向かい、落ち着きを取り戻してくれないものかと心から願う。NHKテレビでは問題の活断層の南西部の地下では活発な活動が見られ、少なくともあと一週間は「激しい揺れに警戒」と報じ続けている。そうならないことを祈る。
それにしても今回の「熊本大地震」は不意打ちの感を否めないが、新聞やテレビが伝えるところによると、こうした直下型の地震は日本国内ではいつでもどこでも起こり得るものらしい。我々はそういう時代に生きているようだ。英語で昔を懐かしく回想する時によく使われる “The good old days are over.”(古き良き時代はもう終わった)という表現が頭をよぎった。読売新聞の17日の紙面によると、「政府が想定するM7.3の首都直下地震では、最悪のケースで死者2万3000人、経済損失は95兆円と国難とも言える被害が見込まれている」とか。何とか対策を講じることはできないものか。
日曜日の紙面では「人工知能」(AI)の特集も載っていた。米英社が製作した人工知能がまだ当分は無理と見られていた囲碁のトップ棋士との最近の対戦で圧勝した。人間の脳の働きを参考にした「ディープ・ラーニング」(深層学習)と呼ばれる仕組みを取り入れた成果だという。人工知能はやがて人間の能力を凌駕することになるとも。人工知能にそれほどの親近感は感じないが、それほどの可能性を秘めているのなら、ぜひとも破断が近づいている危険な活断層の察知や南海トラフ地震の予知などに八面六臂の凄腕を発揮してもらいたい。現代の我々から見たら、それは「神」の領域に近い業だろうが・・・。
今夜、というか明日未明(月曜未明)は大リーグでニューヨークヤンキースのエースとなった田中マー君とシアトルマリナーズで存在感を示しつつある岩隈投手が初めて投げ合う。マー君はマリナーズのトップバッター、日向市出身の青木選手とも対戦することになる。普通だったらとても楽しみな一戦だが、あまり心弾む気分ではない。
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釜山の魅力
- 2016-04-08 (Fri)
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韓国にはまりつつある。いや、正確には釜山にというべきか。釜山に魅せられる人にはそれぞれさまざまな理由があるのだろう。
ジャガルチ市場や国際市場をぶらぶら散策する。猥雑な雰囲気の中にしばし身を置くだけでリフレッシュされる。ありとあらゆる物品が所狭しと並べられている。日本円だと100円、200円単位の物もある。商いの原点がそこにあるように思える。コンビニやスーパーでの買い物に慣れた身には購買意欲をかきたてる物は少ないかもしれないが、心惹かれるのはどうしてか。日本人や日本社会が忘れ去った、忘れ去ろうとしている「何か」があの市場にはまだ漂っているからかもしれない。
腰の曲がった老婆がはいつくばるように店番をしている姿には私は頭を垂れたくなる。しがない旅にある自分には買えるものはしれている。だから、せめて夕刻に商店街に出る屋台の食品を夜食としてせっせと買い求めるのが関の山だ。拙い韓国語の練習の場でもある。
明日は帰福の日だ。最後の日はどこに行こうかとロビーで思案していると、ホテルのマネージャー氏が釜山には静かなお寺もありますよ、喧騒から離れた静かな雰囲気も味わい深い、と言う。そう言えば、例のガイドブック『ぐるぐるプサン』にどこぞの寺のことが出ていたような。改めて頁を繰ると、梵魚寺(ポモサ)というお寺だった。今自分がいる南浦洞地区からは遠いが、地下鉄で行けるという。本日は好天にも恵まれたし、行ってみよう。
地下鉄に乗ること40分余。駅名ともなっている梵魚寺で下車。駅の近くからバスも出ていて、大半の人はバスを利用しているようだったが、このところ運動不足の私は歩きたい。なだらかな坂道をゆっくり歩くこと約45分で梵魚寺に着いた。山頂に近いから空気が涼しく、汗ばんだ肌もそう気にならない。本道の裏手に山の湧水をひいた水飲み場があり、何杯も頂いた。梵魚寺でもらったパンフレットを読むと、このお寺も16世紀末に豊臣秀吉軍の侵略を受け、お寺が焼失する被害を受けた。現在のお寺は1614年の再建だとか。
お寺への道すがら周辺の景色をデジカメで撮ったが、山桜が散り始めている頃でとても良かった。日本の桜とは異なる印象を受けたが、それでも桜は桜。多くの人が喜々としてシャッターを切っていた。
釜山最後の夜の夕食は『ぐるぐるプサン』に紹介されていたジャガルチ市場の魚専門店をのぞいた。だだっ広いフロア全体が似たような魚の専門店だ。ガイドブックには釜山ならではの新鮮な刺身や鍋が食べられると記されている。私が着席した折は客の姿はまばらだったが、そのうちどんどんグループの客がやって来る。市場ならではの圧巻の光景だった。
私はヒラメの刺身と鮨を注文した。最初にテーブルに広げられたのはお馴染みの小皿。カボチャやチジミをつまむが美味い。ヒラメの刺身も悪くない。これならソジュ(焼酎)も頼まなくては。仕上げの鮨も美味かった。締めて33,000₩。納得の値段。
週明けからはまた普段の生活に戻り、禁酒、粗食の日々だ。この次に釜山を訪ねるのはいつになるのか。いずれにせよ、釜山への足は往復4,900円という超格安のフェリー便を再度利用したい。今回の旅ではそこそこ韓国語を使ってみて、まあ、通じないこともなかった。次回はさらに磨きをかけよう。
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