英語でさるく 那須省一のブログ
大リーグ佳境に
- 2016-09-17 (Sat)
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大きな台風が九州に向かって来ているようだ。本日はまだ爽やかに晴れ渡っているが、この好天もほどなく終わるのか。晴れている間にせめて洗濯をと洗濯機を回した。秋は一年で一番好きな季節だが、台風だけは頂けない。
大リーグもプロ野球も佳境に入った。プロ野球はクライマックスシリーズにやがて入るが、セパ6チームしかないのに3位のチームまでが日本シリーズに進出できるチャンスを手にするというこの制度も全く頂けない。セリーグで言えば、勝率5割を切っているチームが圧倒的な優勝を飾った広島カープを短期決戦で倒して日本シリーズに駒を進めることも可能。30チームが火花を散らす大リーグだったらまだしもプロ野球では無理がある。日本の視聴者が大リーグを観戦するのが普通になっていけば、プロ野球の魅力はますます薄れていくのではないかと考えている。
◇
まあ、そんなことは私の知ったことではなく、大リーグはプレーオフに進出できるワイルドカード争いが熾烈になっている。私は日本人選手がいるチームに声援を送ってきたが、明暗を分けつつあるようだ。まず、田中将大投手のニューヨークヤンキースはかなり難しくなった。同じアメリカンリーグ東地区のボストンレッドソックスとの大事な試合を立て続けに落とした。特に15日の試合は9回表まで5対2とリードしていたゲームを逆転されて失ったのが痛かった。ヤンキースとレッドソックスは日本で言えば、巨人と阪神のようなライバル関係。両チームの関係を表現する際によく使用される語はarchrival。敢えてカタカナで書けば「アーチライバル」。「宿敵」という語が頭に浮かぶ。
上記のゲーム終了後にヤンキースのジョー・ジラルディ監督は “This one hurts. We were in a pretty good position into the ninth inning and weren’t able to close the deal.”(手痛い敗戦だ。9回までゲームを支配していたのに、抑えきることができなかった)と振り返っていた。ヤンキースはシーズン中盤に主力選手を相次いでトレードに出しており、今シーズンの苦戦は予想されていたが、それでも終盤に来て猛追していただけに熱烈なファンはがっかりだろう。私はテレビで衛星生中継のゲームを見ていて、ジラルディ監督の試合後半でのリリーフ投手の小刻みな交代戦術にも疑問を感じていた。田中投手はアリーグでは防御率1位の好成績を上げているだけにプレーオフ進出が望み薄になったことは残念だろう。
ヤンキースはともかく、その他の日本人投手が活躍しているチームはプレーオフ進出がほぼ確実な情勢だ。前田健太投手のロサンゼルスドジャースはナショナルリーグ西地区の優勝が確実。ダルビッシュ有投手のテキサスレンジャーズもアリーグ西地区制覇が目前だ。面白いのはアリーグ西地区2位でワイルドカード争いに食い込んでいるシアトルマリナーズだ。ここでは岩隈久志投手がエースとして活躍。監督やチームメートの信頼も厚いようだ。彼は現在、大リーグ5年目で自己最高の16勝11敗。まだ後、数試合の登板が予想され、チームの頑張り次第ではワイルドカードを手中にする可能性も残されている。イチローが去って以来、精彩を欠いていた観のあるマリナーズがプレーオフ進出を決めれば面白いと個人的には大いに期待している。日向市出身の青木宣親選手も貢献し始めている。
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横泳ぎは英語で?
- 2016-09-12 (Mon)
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韓国語、中国語の学習を始めて以来、英語で書かれた小説の類を読む時間がぐっと減ってしまった。「二兎を追う者は一兎をも得ず」(If you run after two hares, you will catch neither.)ともいうから、これは致し方ないか。凡夫の私には韓国語と中国語だけで十分「二兎」になっている。
間もなく始まる後期の英語の授業の一つでは短編小説の翻訳について語る予定であり、久しぶりに書店の洋書コーナーをのぞいた。何か参考になる新刊は出ていないか。あった。“The O. Henry Prize Stories” (The Best Stories of the Year 2015) という短篇集だ。実は授業では米文学に足跡を残した短編の名手、オー・ヘンリーの作品を紹介するつもりでいる。この作家の名を冠した米文学の賞があるとは知らなかったので、迷うことなく購入した。
「オー・ヘンリー賞」とはアメリカとカナダで刊行された雑誌に掲載された短編の中から毎年、20人の作家の秀作を選出しているのだとか。現役の作家の作品だから、いろいろと参考になる現代英語表現が見つかるかもしれない。頭から読み始めてみた。最初の作品は特段秀作とも思えなかったが、二作目は良かった。実父と姉を相次いで失った語り手の女性が死後の世界に思いを馳せる次の文章が印象に残った。私たちは肉体が朽ちることですべてが終わるのだろうか。死後の世界があるのだろうか。It’s such a strange thing—that once you are dead, you do know the answer, if you know anything at all. But whatever the answer is, you can’t communicate it to the ones who are still alive. And before you die, you can’t know, whether we live on in some form, after we die, or just come to an end.
三作目は東アフリカのケニアが舞台となった短編。アメリカからバケーションでやって来た冒険好きの若いヒロインとケニアに長く住むイギリス出身の白人入植者の夫婦のやり取りがさもありなんという筋立てで、懐かしく思いながら読み進めた。ページを繰る手がとまったのは、地元の人々やリゾート客が足を向けないインド洋に面した静寂な入り江でヒロインが一人泳ぐ場面で、彼女の得意な泳法が書かれている。Liana considered herself a strong swimmer, of a kind. That is, she’d never been comfortable with the gasping and thrashing of the crawl, which felt frenetic. But she was a virtuoso of the sidestroke, with a powerful scissor kick whose thrust carried her faster than many swimmers with inefficient crawls (much to their annoyance, as she’d verified in her college pool).
私はプールで横泳ぎをよくやる。他にしている人を見たことがない。横泳ぎをしながら、時々英語では何と呼ぶのだろうかと思っていた。なるほど、sidestroke と呼ぶのか。私はヒロインのようにクロールをしている人々を嫉妬させるほどの名手でもない。文字通り「下手の横好き」なのだろう。
上記の短編は以下、横泳ぎが顔を常に水面の上に出した泳ぎ方のため、せわしい息継ぎの必要がなく、沈思黙考ができる(contemplative)とその利点を述べている。その通り。クロール(crawl)は気ぜわしい泳法で息継ぎに忙しく、考えごとをするには不向きだ。平泳ぎ(breaststroke)も息継ぎは必要で私にはせわしい。だから私はゆったりと漂うような横泳ぎを好む。もっともあくまでプールのレーンが空いている時の話だが。
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「謝謝」と「感謝」の間
- 2016-09-05 (Mon)
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台風一過の月曜日。爽やかな秋晴れとはいかないが、それでも部屋の温度計は27.6度。これなら扇風機もいらない涼しさだ。これからしばらくは大好きな秋が続く。読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋だ。食欲の方は田舎に帰省したり、釜山に旅したこともあって、らっきょう酢から遠ざかっていた。数日前、久しぶりにゴボウとゴーヤ、ダイコンを酢漬けした。タマネギにニンジン、キュウリあたりが加われば万全か?
NHKラジオ講座も9月の新しいテキスト。中国語は簡体字を眺めているだけで心が弾む。これだけでいかにも新しい漢語の世界が目の前に広がっていると感じる。合わせて掲載されているピンインと呼ばれるローマ字表記を頼りに発音を試みる。これが実際にどう発音されるのか。ラジオ放送が楽しみになる。テレビを見ていて中国人がとても流暢な英語をしゃべっているのを見てこれまで不思議に思っていたが、中国語の複雑な発音の世界に触れて、何となく理解できるような気がする。
読み終えたばかりの『はじめての中国語』(相原茂著 講談社現代新書)。例によってマーカーを走らせた部分を拾うと————。
日中同形語といっても、字形が共通(あるいは類似)なだけで、発音はまったく別物! 目で見て分かった気になると、「見て極楽、聞いて地獄」というハメになりかねません。漢字は両刃の剣です。
日本語とのもう一つの違いは、SVOの語順でした。ただし、文頭のSは中国語では義務的なものではありません。英語のようにIt とかTheyなどの形式主語を無理に立てる必要はなく、この点はむしろ日本語に似ています。主語の必要度を大雑把に述べれば、「中国語は英語のように義務的ではない、しかし日本語ほど自由に省略もできない」といえましょう。
これは中国語中のもう一つの大きな特徴ですが、ほとんどの動詞(フレーズ)や形容詞(フレーズ)が、そのままの形で目的語にも主語にもなり得るのです。
日本が生んだ世界に誇る文豪、夏目漱石は漢文に秀でていて、終生、漢文に親しんだという。今の世に生きていれば、日本人の若者が英語だけでなく中国語も学習すべきと訴えていたかもしれない。かもだ。『中国人の論理学』(加地伸行著 ちくま学芸文庫)に興味深い記述がある。最末尾の第六章「<名>優先の日本人と<実>優先の中国人と」の中で、著者は日本人と中国人との相違について次のように説明している。
中国人にとってことばは常に実質を持っていて、中身が濃い。だから、中国人から言わせると、日本人のように何度もお礼のことばを言うのは、その一回ごとの中身が薄い、すなわち誠意がないということになる。けれども、日本人にしてみれば、何度も何度もお礼を言うのが、誠意を表すことになるのであるから、帰国後、礼状も出さないと言って怒るのがしぜんである。これを、ことばを成り立たせている形式と内容とに分けて言えば、中国人は内容を、日本人は形式を、より重視すると言える。
私は日本人と中国人の言葉は精神の基部においてかなり異質のものがあるのではないかと思っている。上記の辺りを読んでその感をますます強くした。いつか中国を旅するようになった時に改めて考えてみたいことの一つだ。上記の文章に続く関連の記述は続で。
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やっと帰福
- 2016-09-01 (Thu)
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やはり午後の便もキャンセルとなった。ほぼ一日を港のフェリー待合室で過ごし、結局、南浦洞のホテルに引き返す羽目に。海の上の自然現象はどうしようもない。これも神様の差配(providence)と思って受け入れるしかない。
ホテルに引き返し、なじみになったフロントの人にもう一泊これまでと同じ料金でと頼み込む。他にやることもないのでいつか行ったサウナ付き銭湯に行く。夕食は何を食べようか。そういえば、今回の旅では魚を食べていないことに思い至った。釜山に来て海の幸を食べないのは片手落ちだろう。過去に何度か足を運んだことのあるジャガルチ市場に出かけた。ビルの一フロアに居酒屋風の店がひしめき、ヒラメの刺身と寿司が美味い店がある。
私の隣の男性4人組の食事風景を見ていると、コップに焼酎をまず注いだ後、その上からビールを注ぎ足して飲んでいる。確か「爆弾」という飲み方だったような。若い方の男性は例によってあっち向いてほいといった感じで顔を横に向けて飲んでいる。長幼の序あり。斜め前方には夫婦3組とおぼしき男女6人のグループ。日本語が聞こえる。日本からやって来た60代後半、いや70代の仲良し夫婦連れがシニアの旅を楽しんでいる風情だ。生涯独身の私には望むべくもないことだが、ふと思った。私が60代後半か70代に達した時、彼らのように気のおけない連中とああした旅ができるだろうか。私にとっては高校時代の同級生の顔が何人か頭に浮かぶ。皆がその時も健康であることが一番肝心だろう。
私の後ろのテーブルに座った男性と目があった。日本人かと思ったが、常連客のようでお店のおばちゃんと親しそうに話している。韓国人だった。最初は一人だったが、ほどなく男女二人が加わり、大きな声で会話しながら飲食しだした。私が一人で寂しげに見えたのだろうか、そのうち、タコを細かく切り刻んだものとかカニをおすそ分けしてくれた。カニが実に美味かった。こういう気持ちのいい出会いがあると旅は楽しい。
さて一夜明けて再び釜山港。今朝は何とかフェリーが出るみたいだ。ほっとする。今日から9月。大学の後期の授業も後半から始まる。前期は楽だったが、後期は4コマの授業で初めて担当するものもある。だいたいの計画は頭の中にできているが、まだ細かく詰めてはいない。これからじっくり考えなくてはならない。他にもいろいろとやることはあり、8月中には帰福したかったのだ。
釜山港―博多港は概ね3時間の航路。帰途は今この項を書いている。釜山港を出て45分ぐらい経過した頃に突然、船が停止した。詳しいことは分からないが、乗員の説明によると何かエンジントラブルが起きたらしい。ドキッ。船が波間に漂い始めた。時に大きく揺れる。気持ちがいいものではない。スピードを上げて走行している時には気づかないが、結構波が高いようだ。どんぶらこどんぶらこと左右に大きく揺れる。私がフェリーを選んだのは格安料金もあるが、鉄の塊が空を飛ぶ飛行機より、船はずっと安全との思いがあるからでもあり、まさか、海の上で恐怖を味わうことになるとは・・・。隣に座った若い韓国人カップルも不安そうにしている。乗員の説明を英語で簡単に伝える。真剣に聞いていた。
5分ほど停止していたエンジンが再び息を吹き返し、フェリーは一路博多港へ。嗚呼良かった。健康で生きていること。旅の終わりに改めて考えさせられた。
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アリナミン
- 2016-08-31 (Wed)
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水曜早朝。約一週間の釜山滞在を終え、帰福のフェリーに向かった。語学的には収穫が少ない旅となったが、願っていた再会が果たせなかったこともあり、致し方ない。釜山港でタクシーを降り、フェリーの受付に。順調に手続きを済ませ、出国審査も終え、出発ロビーでコーヒーを飲んでいると、何やら、雰囲気がおかしい。フェリー会社の人があたふたとやって来て、対馬海峡周辺の波の状況により、出航便がキャンセルとなったという。
この日朝6時頃に起きてホテル(3階)の窓から外を見た時、はす向かいの商店のひさし状のカバーが激しく波打っていた。あれ、強烈な風が吹いているぞ。日本の東北地方を駆け抜けた台風の余波かな。海は大丈夫かな。地理的に距離があるから、まあ、たいした影響はないだろうと踏んでいた。だから、チェックイン直後にキャンセルを伝えられ、やっぱりなあとがっかりした。
同じフェリー会社の便は午後3時過ぎにもある。この便に切符を振り替えてもらい、これを待つことにした。この便もキャンセルになる可能性はあると言われたが、6時間以上も経過すれば、波も収まるかもしれないと望みを天に託した。
港のフェリー待ち合い所では他にすることもない。読書にいそしむ意欲もわかない。それでパソコンを開き、この項を記している次第。釜山最後の夜はK氏に付き合ってもらった。キューバから訪韓中のジャズのグループの演奏会があるので行きませんかと誘いを受けたので同行した。演奏会の前にK氏と一緒に食事しながら、いろいろ話をした。面白く聞いたこともあった。これはいつかきちんと整理して記したい。
ジャズ演奏会を楽しみ、K氏に別れを告げた後、地下鉄でホテルに向かった。今回の旅では南浦洞の光復路と呼ばれる大通りに立つ屋台で何度か食事した。お店のおばちゃんと韓国語で悪戦苦闘した。情けなくなるほど話が通じなかった。NHKの初級のラジオ講座のテキストが分かる程度ではやはり、現実の会話には太刀打ちできないということを再認識させられた。最後の夜も屋台をのぞこうと思ったが、屋台にいけば、焼酎をまた飲むことになる。お腹は満たされており、真っ直ぐホテルを目指した。
ホテルがすぐそこまで来たところで、いつも以上の人だかりを目にした。明らかに何かの撮影が行われている雰囲気だ。好奇心に駆られ、近くに立っていた若い女性に誰か有名なスターでも来るのかと尋ねた。多分英語で尋ねたかと思う。彼女はそうだと答え、手にしていたスマートフォンでその男優の写真を見せてくれた。見たことのない顔だった。知っているかと聞くので、日本では有名ではないようだと答えた。すると、彼女は日本人ですか。私日本語少しできますと言った。発音が良かったので、どこでその日本語覚えましたかと尋ねた。彼女は「アリナミンの歌で覚えました」と嬉しそうに言った。「アリナミン?」。そんなコマーシャルソングがあったかしら?と私は面食らいながら、必死に考えた。「アリナミン、知りませんか。彼女日本の大スターでしょ?」。3度目の「アリナミン」の発声で、彼女が意味しているのは「アムロナミエ」であることが分かった。
彼女は小学校のアートの先生で、英語と日本語に興味があるという。私の名刺を手渡し、メールを交換することを約した。漫画のあられちゃんのような元気のいい子だった。
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海雲台
- 2016-08-29 (Mon)
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週明け月曜の釜山はとても気持ちの良い天気だった。雨を覚悟していただけに嬉しい誤算だった。本日は知人に紹介して頂いたK氏にお世話になった。彼が住む釜山近郊の観光地、
実は最近、韓国語学習の意欲は少し陰りを見せ始めている。中国語の存在が大きくなりつつあるのだ。今回の旅に一冊だけ、新書版の本を持参したが、これが韓国関連ではなく、中国もの。『はじめての中国語』(相原茂著 講談社現代新書)。以前にざっと一読したことはあったのだが、今改めて精読している。中国語と日本語の類似、相違点が興味深く説明してあり、釜山まで持参してしまった。間もなく読み終わる予定だ。もちろん、この本を読破したところで中国語が分かるようになるわけではないが。
◇
K氏の案内で訪れた先の一つはBexcoと呼ばれる海雲台にある国際コンベンションセンター。ここで「九州フェア」と呼ばれる催しが開催中だった。さてさて何が展示してあるのだろうと興味津々で足を運んだ。ところが、写真を撮る気にさえならなかった。平日の月曜日だったことも関係しているのだろうか。来訪者は数えるほど。それぞれの県のブースが設けられていて、浴衣姿のアルバイトの韓国人若者が応対していたが、お粗末なパンフレットが目立つ程度。暗い会場はだだっ広いだけで華もなく、あれでは来場者がぜひ次の休暇は九州へと思いを募らせることなど望むべくもない。主催・共催団体もよく分からなかったが、あれで「九州フェア」とは・・・。
◇
K氏に会う前にふと思った。私の服装は大丈夫かと。私のこの時期の服装はジーンズにポロシャツ、それに長年愛用しているお気に入りのベスト。ベストをよく見れば、あちこちに綻びが見られ、耐用年数はとっくに過ぎているかの感あり。そう言えば、このベストはもうかれこれ20年は愛用している。それで釜山で新しいものを買うことにした。雑貨屋が軒を並べた国際市場の衣服店をのぞいた後、大通りに面した若者の姿が多いお店に入った。すぐにこれはいいというブルゾンが目に入ったので、試着して購入。
面白かったのはこの衣料品で相手をしてくれた女の子。片言の英語でのやりとりとなったが、人懐っこい笑顔でとても好感が持てた。私がブルゾンをはおりながら、「私いくつに見える?」と尋ねた。彼女は「フォーティ」と答えた。私が「シックスティツー」だと言うと、本当に驚いていた。悪い気はしない。アフリカでは30代でも通じた。
買い物ついでにもう一つ。釜山に到着する前から靴がどうも気になっていた。左の靴だ。足首の辺りが少し痛いのだ。改めて左靴の後部を点検すると、薄い金属板のようなものが外に出てきていて、これが足首に触れていたことが分かった。道理で痛いはずだ。靴も買い替えろというお告げかもしれない。それで靴も新しくした。ポロシャツも二つ、下着も二つ新しく購入した。私は今回は釜山にショッピングをしに来たのかもしれない。
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言葉通じずとも
- 2016-08-28 (Sun)
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これも前に書いたかと思うが、釜山の人はよく笑う。街を歩いている家族連れやカップル、レストランや屋台で食事しているグループ。屈託のない笑顔があふれている。私の限られた経験で言うなら、世界で釜山の人ほど笑い興じている人たちはいないのではないかと思える。韓国経済はそれほど活況を呈しているわけではないと聞くから、なぜこれほどの笑顔なのか私には分からない。釜山の土地柄とも呼べるものだろうか。
今回行こうと思っていたところがあった。テレビドラマでよく出てくる銭湯だ。低温サウナがあって、貸与のTシャツに短パンを着用した男女が共用の部屋で寝そべったり、食事したりしている。別にエロチックな体験を求めているわけでは毛頭ない。日本にはないああいう憩いの場を一度体験してみたかったのだ。できれば写真にも収めたいと。
ホテルの人にそんな入浴施設は近くにないかと尋ねると、目と鼻の先にあるとの返事。着の身着のままでいいとのことで喜んで出かけた。一階で入場料金5,500₩ を払って二階に。二階の更衣室に上ったところでなんだか感じが違うなあと思ったが、もう遅い。日本でも普通にある男専用のサウナだった。私の質問が舌足らずだったようだ。
サウナで汗を流しながら、同じ年配の客と二人切りになったので、つい、言葉をかけてしまった。「日本語か英語かおできになりませんか?」。「ええ、日本語分かりますよ」といった感じで、彼は軽く頷いた。「私は日本から来たのですが、ここはテレビドラマによく出てくる男女共用の入浴施設ではないんですね?」。彼はまた深く頷いた。ただ、言葉が出てこない。しまった。彼は日本語など分からないのだ。しばらくして彼はサウナを出て行った。
サウナ自体は嫌いではないので、水風呂とサウナを数回出たり入ったりした後、備え付けの歯ブラシでもないのだろうかと辺りを見回していると、先ほどの客が近づいてきた。寝転びたかったら、隅っこにそういう場所があると手振りで教えてくれる。私が横になる場所を探していると思ったらしい。いや、そうではなく備え付けの歯ブラシがないのかと探しているのだとこちらも手振りで返す。どうやら歯ブラシはないようだ。諦めて湯船につかっていると、店の人が私に歯ブラシを持って来てくれた。どうやら彼が声をかけて特別に頼んだようだ。私は洗い場にいた彼を探してお礼を言った。
釜山の人はよく笑うだけではない。外国からの来訪者にかくも親切だ。いつのことになるか分からないが、私はやがて中国にもさるく旅に出かけたいと考えている。果たして中国でもこのような経験をすることができるだろうかとふと考えてしまった。
この日のランチは何度か食べたことのある冷麺に似たミルミョンのお店。5,000₩。期待にたがわず美味かった。食べる前にはさみを器に突っ込んで麺を何回か切ることも忘れなかった。こうすると、麺を気持ちよく啜りあげることができる。お店のおばちゃんが私の顔を覚えていて、「釜山によくお見えになるんですね」と尋ねてきた。そういう質問だったかと思う。この程度なら私も理解できる。ええ、これが今年3度目の訪問ですと答えたが、思ったほどはすらすらと答えることができなかった。レーメンを作るおじさんも私がこの店を気に入っていることが分かるようで、笑顔が優しい。毎日食っても飽きない味だけに、釜山にいる間はランチはここにしよう。朝昼のメニューはこれでいつも同じになった次第。
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