英語でさるく 那須省一のブログ
記憶力
- 2016-11-22 (Tue)
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また東北地方が激しく揺れた。津波警報まで出た。内憂外患。これから日本に暮らす人々は大変な時代を生き抜かなくてはならない。愚禿凡夫の私にできることは・・・?
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安倍首相が訪米し、次期米大統領に就任予定のトランプ氏と非公式に会談したことを民進党首脳が「朝貢外交」だと批判した。私はともするとこの朝貢を「ちょうぐ」と頭の中で読んでいる。どうということもない話だが。
英字紙「ジャパン・ニュース」で、トランプ氏の長女、イバンカ嬢が、彼女の娘、つまりトランプ氏の孫娘があのPPAPを歌っているビデオをインスタグラムに投稿したとか。イバンカ嬢は娘の歌を聞いたら「ずっと耳に残るわよ」(may be stuck in your head all day)と警告していた。ピコ太郎のあの歌は私も嫌いではない。日本の芸人の英語が世界中で「受容」されていること自体が素晴らしいと思う。誰も彼の英語の発音やイントネーションが怪しいなどと言っていない。参考までにイバンカ嬢が警告している「耳にずっと残る」類のリフレインを英語ではearworm と呼ぶらしい。
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図書館で日本文学の書棚を漁っていて、ふと坂口安吾(1906-55)の単行本を手にした。特段好きな作家というわけではない。『堕落論』とかいう代表作で知られる作家であることは知っているが、その代表作は読んだことがない。昭和期の作家の短篇をまとめた文庫本か何かで二、三の作品は読んだことはある。『桜の森の満開の下』という短編は幻想的な怪異小説で、深山の満開の桜の花の下を通ると、人はなぜか狂気に追いやられるということが述べられていて、妙に印象に残っている。
図書館で手にした本は坂口安吾の短篇集の『アンゴウ』(鳥有書林)。「シリーズ日本語の醍醐味①」とうたっている。椅子に座り、パラパラと頁を繰った。幾つかの作品を読み、満足してそろそろ本を本棚に戻して帰ろうと思い、最後に末尾にある編者の解説に目を走らせた。編者は表題作の『アンゴウ』と収録作品の一つ『無毛談』をぜひ読んで欲しいと書いている。どんでん返しもあり、読後感がまた格別と推奨している。「安吾がいかに小説づくりが巧みで、しかも心やさしい作家だったかがよくわかるだろう。文章も読みやすい。人をいとおしむ気持ちが端々ににじみ出て、切なくなる」と。これら二つを読了する前に本棚に返すところだった。再び腰を落ち着けて読書。
『無毛談』はなるほど面白かった。自分自身の禿げの話から入り、お手伝いさんの下半身の話まで見事な起承転結。表題作の『アンゴウ』は最初の数行を読み始めて気がついた。お、これは前に読んだことがある。結末も何となく覚えている。先の大戦から帰還した男が妻の不貞を疑る物語で、結末は男の疑念などかなたに吹き飛んでしまう親子の情愛が描かれていたような・・・。改めて再読した。間違いなかった。
編者の解説の言葉に偽りはなかった。『桜の・・』とは全く異質の読後感だった。しかし、『アンゴウ』を最初に読んだのはそう昔ではない。それなのに、すっかり読んでいたことを失念するとは。嗚呼、情けなや!
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麻雀
- 2016-11-18 (Fri)
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米大統領選でpopular votes と呼ばれる候補者の得票数の最終集計はまだ確定していない。一部報道によると、electoral collegeと呼ばれる選挙人争いではドナルド・トランプ氏に敗れたヒラリー・クリントン氏が得票数ではトランプ氏を最終的には2百万票近く上回ることになるかもしれないという。得票数では上回っても大統領選では敗退するケースは過去にもあるが、この矛盾的な選挙人制度を廃止して明快な得票数による大統領選に変えようという声も出ているとか。皮肉なことに今回の大統領選で選挙人制度の改革を叫んでいたのがトランプ氏で、その彼がこの制度の「恩恵」を受けて当選することになるとは・・・。
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中国語を学習していて、あ、この語知っているぞと思うことがしばしば。例えば数の数え方。イー・アル・サン・スー・・・。2(二)はアルだが、場合によってリャンとも言う。思い起こせば、この数え方は学生時代にとある遊技(game)で親しんでいた。「麻雀」だ。
当時は先輩や仲間を通して2はリャンと呼ぶことを教わり、「リャンワン」「リャンソウ」「リャンピン」などと呼んでいた。深く考えることもなく。四万は「スーワン」、五万は「ウーワン」七万は「チーワン」などと。今から考えるともったいない話だ。あの頃から中国語に興味を覚え、コツコツ学習していたら、今頃は中国語の大家となっていたかもしれない。少なくとも英語と同様の力ぐらいはつけていたことだろう。返す返すもったいない。
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実は麻雀は今も楽しんでいる。賭け事としてではない。テレビで見る娯楽としてだ。ケーブルテレビで麻雀がよく放送されるチャンネルがあり、退屈な時は時々視聴している。家族を路頭に迷わせる類の賭け事ではなく、気晴らし程度の「健全」な賭け事を楽しむ人のことを英語では recreational gambler と呼ぶらしいが、私の場合はrecreational gambler よりさらに「健全度」がアップする recreational watcher だ。
学生時代は本当によく麻雀をした。今では懐かしい思い出だ。風邪をひいて熱を出して安下宿で寝込んでいても、友達が自転車で誘いに来れば、喜んで出かけていた。それも徹夜麻雀。博才がないのかよく爆砕した。情けないことに、ひと月の苦労した家庭教師のアルバイト代を一晩で吐き出したこともある。そう悔しく思った記憶は残っていない。十分楽しかったからだろうか。いや、単にアホだったに過ぎない。
つい先日、深夜の麻雀番組を見ていたら、大御所の女優がゲスト解説者として出演していて、「麻雀ほど面白い遊戯はないと思う」と嬉しそうに語っていた。彼女は麻雀大好きで知られる。彼女の打牌をテレビで見たことがあるが、たいした腕前ではないようだった。それはそれとして、確かに麻雀は面白い遊技ではある。事実、自分が実際に打牌していなくとも、テレビで「観戦」しているだけで十分楽しめる。
一つだけ不思議なのは麻雀番組を見るようになって、この世界にもプロの人たちが多数存在していることだ。プロ雀士と呼ばれている。個人的見解だが、将棋や囲碁と異なり、運の要素がどでかい麻雀ではプロという存在はあり得ないのではとも思う。
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男子三日会わざれば・・・を願う
- 2016-11-13 (Sun)
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これも軽い虚脱状態と呼べるのかもしれない。海の向こうで信じ難いことが起きた。米大統領選。あろうことか傲岸不遜のドナルド・トランプ氏が新大統領に選ばれてしまったのだ。よその国の出来事である。それも民主的な選挙を経てのことだから、こちとらがやいのやいのと言う資格は微塵もないのは承知している。がそれにしてもだ。
思わず、ニュージャージー州に住む恩師に「弔電」のメールを送ってしまった。冗談が過ぎるかと思ったが、文面はただ一言。”Please accept my condolences.”(お悔やみ申し上げます)。恩師からは11月8日がinfamy(恥辱)の日として歴史に刻まれるかもしれないと深く危惧するメールが届いた。文面からはアメリカの同胞が下した選択を憂える気持ちがよく伝わってきた。恩師にとっても相当のショックだったようだ。
非常勤講師をしている大学で同僚のアメリカ人講師に同じ言葉を告げると、彼は私の皮肉を理解して、日本の葬式で「お悔やみ申し上げます」と言われたら、普通どのように応じるのだと逆に質問され、こちらが答えに窮してしまった。
それはともかく、今回の大統領選はトランプ氏が勝利したというより、ヒラリー・クリントン氏が敗北した選挙戦だったという気がしてならない。経歴・資質から見たら、ヒラリー氏ほど「準備万端」の候補者はいなかったことだろう。それでも敗北した。巷間言われているように、米社会の中間層・貧困層にずっと巣食っていた富裕なエリート層やエスタブリッシュメントに対する反感が反ヒラリー票へと一挙に噴き出した感がある。
獲得した州ごとの選挙人の数からみると、290対228とトランプ氏が圧勝したように見えるが、popular votes と呼ばれる全体の獲得票数ではヒラリー氏がわずかといえトランプ氏を上回っている。ヒラリー氏はそこにわずかな慰めを見いだすことはできるだろうが、いやそれにしても彼女が敗退するとは・・・。
さて、年明け以降、日本の最大の同盟国、アメリカはどうなっていくのだろうか。どう変遷していくのだろう。新大統領が選挙戦中にまき散らした暴言をそっくり実行に移していくことだけは勘弁してもらいたい。不思議なのはあれほど傍若無人な振る舞いを見せていたトランプ氏が当選後は一転、ロープロファイル(low-profile:低姿勢)の言動を示していることだ。ひょっとして彼は自分が新大統領に選ばれるとははなから思っていなかったのでは、とさえ思えてしまう。今になって初めて自分の肩にかかった責任の重大さに気づいたのでは・・・。むしろそうであって欲しいと願う。何事もその道の専門家の良識ある意見に耳を傾けていけば、世界を迷路に導くことはないだろう。むしろ、歴史に名を残す大統領となるかもしれない。いや、これはあまりにも楽天的過ぎるか。
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らっきょう酢の魅力にはまって一年近くなる。飽きっぽい私には珍しく、ほぼ毎日、野菜のらっきょう酢漬けをありがたく食している。本日は大家さんからまた少し野菜を頂いた。その中に水菜があった。ふとらっきょう酢に漬けてみたらどうだろうと思い、水洗いした水菜を適当に切って、らっきょう酢に漬け、冷蔵庫に。数時間して取り出して食べてみると、信じられないほど甘くて美味。改めて、らっきょう酢、恐るべし!
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Pleasure to learn
- 2016-11-01 (Tue)
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大リーグもワールドシリーズを残すだけであり、日本人選手も出場していないから、興味はほとんど失せている。プロ野球は日本ハムファイターズが優勝して閉幕。一応テレビ観戦は怠らなかったが、あまりにあっけない結末となった。広島カープファンには後味の悪い幕切れとなったことだろう。
久しぶりにスカッとしたのは海の向う、アメリカのゴルフツアーの大会だった。松山英樹プロが圧勝で米ツアー3勝目を飾った。海の向うといっても、大会はお隣の中国・上海で行われていた。2日目から首位に立った松山選手は最終日も果敢なプレーで他を寄せ付けなかった。これからの活躍が楽しみだ。2位タイに終わったダニエル・バーガー選手(米)の次の賛辞が松山選手のプレーの素晴らしさを雄弁に物語っている。“Hideki played just unbelievable and it was a pleasure to watch. You can learn a lot from watching Hideki play.”(ヒデキは信じられないほど良かったよ。彼のプレーは見ていて楽しかった。彼のプレーを見ているだけで凄く勉強になる)。このブログでかつて手厳しいことを書いたような記憶もあるが、それはそれ、許してもらおう。
嬉しかったのは彼が中国で勝利したことだ。中国のゴルフ好きな人々、特にこれからゴルフを楽しみたいと思っている若い世代に強烈な印象を残してくれたのではないかと密かに期待している。卓球の愛ちゃんや体操の内村航平君もそうだが、日中の埋めがたい溝を埋めていくのにスポーツの場で彼らのような若いスター選手の活躍が果たす貢献も少なくないのではとも思う。松山選手の優勝を伝えている米ゴルフツアーのホームページに掲載されていた写真に、彼がこの大会を裏方として支えたのであろうと思われる上海の若者たちと一緒に笑顔で収まっているのを見てその感を強くした。
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中国語。最近は韓国語よりもこちらの方の学習に費やしている時間が多いかもしれない。といっても、NHKのラジオ講座に毎朝毎夜、辛抱強く付き合っている程度の勉強に過ぎないが、それでも「刺激」は十分だ。ただ、発音を覚えたつもりでもそれが全然脳内に残らないのが残念でならない。ただ勉強自体は実に面白い。
基本独学ではあるが、中国語に関しては、少し離れた、といっても歩いて行ける距離にある私立高校の一般市民対象の中国語講座にも通っている。不定期に開講されており、全16回の半ばを過ぎた。受講生は高齢者を中心に6人前後で少ない。この講座で中国人の講師の生の発音にじっと耳を傾け、自分の発音の至らなさに気づかされている。ありがたや。
興味深いのはNHKのラジオ講座の中で中国人の先生が教室で学生に「山中さん、あなたは・・・?」と尋ねるシーンで、中国語では「山中(Shānzhōng)、・・・」と、我々の感覚では呼び捨てになっていることだ。講師の説明によると、中国語では名字を敬称なしで呼んでも特段の無礼には当たらないとか。下の名前、つまりファーストネームなら分かるが、名字の呼び捨てでも構わないとはどうも合点がいかない。
この辺りの事情は段々と理解を深めていければと願っているが、それでもやはり、漢字でつながっている言語だからと「予断」を持っていては足をすくわれそうだ。
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秋は新学期!
- 2016-10-25 (Tue)
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ブログのアップにだいぶ時間が経過した。(この例えが合っているかはともかく)水は低きに流れるがごとく、人間楽をしようと思えばいくらでも安きに流れるもののようだ。記事を書く仕事を辞めて久しいが、私は今も結構頻繁に原稿書きに追われる夢を見る。新聞記者時代の名残であることは間違いない。目覚めてほっとする自分がいる。あ、俺もう記事など書かなくていいのだ。そもそも新聞記者ではもうない。組織に属していない身の気楽さをありがたく思う一瞬だ。はかない一瞬の喜びでしかないのだが。
中国語と韓国語の独学で大いにお世話になっているNHKのラジオ語学講座。7月頃から聞き始め、正直、どちらもついていくのが青息吐息だったのだが、10月の声を聞いて思わぬ変化があった。全然知らなかったのだが、9月でワンクールが終わって新しい講座が開講したのだ。これが実に手取り足取りといった感じの基礎から教えてくれる。韓国語は比較的に基礎を習得していたので復習の感覚で臨める。中国語は声調、発音の基礎から学べて助かっている。しかも前週の放送をパソコンで聞けるサービスもあることを最近知った。いい時代だ。それでも中国語の声調は実に難解そのもの。何度覚えたつもりでも、テキストを伏せるときれいに記憶が消えている。実に難儀だ。
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少し前に紹介した “The O. Henry Prize Stories” (The Best Stories of the Year 2015) を読み終えた。これは凄いと感じる作品はなかったかのように思う。これなら志賀直哉の『小僧の神様』でも読み返していた方がはるかに心地良かったかもしれない。とはいえ、英語の勉強にとっては参考になる表現にいくつか出くわした。例えば、次の表現。But she knew better than to say that. この文章が出てくる状況はざっと以下の具合だ。老年の域に達している男が俺はいつだって人生を楽しんでいると豪語する。付き合っている女はあなたにとっては気楽なものでしょうよ。だって、お金に全然不自由していないあなたは家政婦に自宅を任せているし、仕事では秘書だって雇っている。でもそう言うと、男の気分を害するのは必定なので口をつぐむ。それで上記の文章が出てくるという次第だ。
だから、訳文としては「彼女はそれを口に出して言うほど馬鹿ではなかった」ということになる。こういう慣用表現は辞書には載っていないだろうなあと思いながら、愛用している電子辞書を引くと、know better than ~ で「~するほどばかではない」という訳し方が載っている。なかなか優れものの電子辞書だ。
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毎秋お世話になっている福岡市の健診ドックの結果が出た。肝機能を含め概ね良好だったが、「血液中の脂質」(LDLコレステロール)が問題となっていた。改めて見ると腹囲もやはり恥ずかしい。これは本人が一番自覚している。焼酎などアルコール類を一切断って1年と10か月。それで安心していたら、またぞろ体重が増えてきていたからだ。プールで定期的に軽く泳ぐ程度ではだめなようだ。いつも座っている(sedentary)生活を続けていると、こうなることは分かっていた。もう一つ規則正しい運動の日課を加えた方がよさそうだ。うーん、何をすべ!?
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ライダーカップに思う
- 2016-10-02 (Sun)
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寝不足だ。久しぶりにテレビにくぎ付けになり夜更かしをした。米ミネソタ州で行われている米欧の一流プロゴルファーの団体対抗戦「ライダーカップ」(Ryder Cup)を見ていたからだ。隔年に実施され、米欧のトッププロが名誉をかけて対戦する3日間の団体戦の大会だ。出場する選手に特段の賞金が出るわけでもなく、ただただ国と地域のプライドをかけてプレーする。大会が近づくと、アメリカとヨーロッパのトッププロはそれぞれの代表メンバー12人に選ばれるか否かで一喜一憂すると言われている。
ネットで改めて調べると、ライダーカップは1927年にイングランドの大富豪、サムエル・ライダー氏の肝いりでスタート。当初は米英だけの団体戦だったが、英チームにヨーロッパの国々が加わるようになったとか。おそらくイギリス一国だけではアメリカに対抗できなくなったからだろう。私はロンドン特派員だった90年代にたまたまテレビでこの大会を見た。それまでは「ライダーカップ? それ何?」という感じだった。しかし、欧米のゴルフの名だたるトッププロがお金ではなく、名誉をかけて火花を散らす熱いプレーを見て魅了されてしまった。
金曜夜にケーブルテレビをカシャカシャやっていたら、ゴルフチャンネルでライダーカップを生中継しているのに気づいた。普段はこのチャンネルはほとんど見ていない。運が良かった。今年のライダーカップの大会会場は米ミネソタ州のゴルフ場だから、日本との時差は14時間。代表選手全員のプレーを堪能しようとすれば3日間の徹夜を覚悟しなければならない。実際、それに近い週末を過ごす羽目になった。
ライダーカップの生中継を見ていてなんだかなあと思ったことを記しておきたい。それはアメリカのギャラリーの異様なまでの自国選手への応援だ。ヨーロッパで行われる時にはヨーロッパの開催国の人々がヨーロッパチームに声援を送る。しかし、今回の米大会のような熱狂的な声援まではなかったように思う。それほどアメリカの観衆の自国チームに対する声援は凄まじかった。対戦相手を威圧するような度が過ぎた声援は「紳士のスポーツ」(gentlemen’s sport)と呼ばれるゴルフにはふさわしくない。
日曜朝は午前5時だか6時だかに疲れ果ててしまったのと、見ていて(聞いていて)不快に思うほどの「USA」の大合唱に嫌気がさして、いつの間にか寝入ってしまった。目覚めて朝刊を広げると、読売新聞のスポーツ面にはライダーカップの記事はなかったが、ジャパン・ニューズには掲載されていた。ヨーロッパチームは初日の出だしのプレーでアメリカチームになぜか圧倒された。その中で孤軍奮闘したのはヨーロッパチームの大黒柱で英北アイルランド出身のスター、ローリー・マキロイ選手。彼がプレー後に語ったという言葉が記事で紹介されていた。“I’m not fazed by anything that is said by the crowd. And I’m not fazed by anything that the U.S. team throws at us.”(ギャラリーが何と叫ぼうが屁の河童さ。どんな展開になってもアメリカチームには負けやしないよ)
ライダーカップのギャラリーの熱狂はともかく、アメリカ国民の愛国心はあの9・11テロ以来、ますます燃え盛っているように見える。傲岸不遜の大富豪が主要政党の大統領候補にまで上り詰めるという異常事態も「同根」であるという気がしないでもない。
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漢詩の世界
- 2016-09-25 (Sun)
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中国語を学習していて感心するのは、中国の人々はよくまあ漢字だけで微妙な意思疎通まで巧みにこなすのかということだ。我々日本人にはひらがな、カタカナがある。そんなこんなことを考えていて、ふと、確か高校の頃だったかに、漢文とかの授業があったのではなかったかと思い至った。田舎の実家に帰れば、昔は牛小屋だった倉庫に当時の教科書の類はしまってあるような気がするが・・・。
それで無性に漢文を読みたくなった。しかも格調高い名文の漢文を。書店で探すと、まさに打って付けの本があった。『漢詩鑑賞事典』(石川忠久編・講談社学術文庫)。2009年に刊行され、今春に第14冊が出されたばかりのようだ。「はしがき」に次のように書かれている。「漢詩は世界最高の詩歌である。人類の宝と言ってもよい。(中略)唐の初めに完成した詩は、雄大な流れとなり、李白、杜甫を始めとする詩人が雲の如く現れ、(中略)。わが国は、唐の最盛期に遣唐船を往来させてこの高級芸術に取り組んだ。(中略)この高級芸術に接した、わが国の貴族を始めとする知識人たちは、すっかり魅力に取り憑かれ、以後弛まず学んで江戸時代に至るや、(中略)。江戸から明治へと、漢詩はもはや外国の詩歌に非ず、和歌や俳句と並び日本の詩歌の一つとなったが、やがて西洋式学校教育制度の普及と、役に立たないものを切り捨てる富国強兵的思想の抬頭とによって、漢詩文の比重は次第に下がり続けて戦後に至る。戦後の漢字制限、漢文教育の軽視が“漢詩文”に潰滅的打撃を与えたことは周知の通りであろう」
還暦が過ぎた今、上記の文章を読むと、「目から鱗」の思いに至る。それでは漢詩の世界に足を踏み入れよう。隠逸詩人として名高い陶潜(陶淵明)(365-427)。陶潜という名にはピンとくるものはないが、陶淵明なら耳にしたことはある。彼の作品の中には「歳月不待人」(歳月は人を待たず)など、日本語でも「定着」している表現があった。『飲酒』と題した五言古詩の中に「采菊東籬下 悠然見南山」という一節が出てきた。作品の「補説」で、あの夏目漱石が『草枕』の中でこの漢詩を称賛していることが紹介されていた。
本棚から『草枕』を取り出す。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」という書き出しの作品だ。冒頭に近いところに次のくだりがあった。「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。(中略)ことに西洋の詩になると、人事が根本になるから所謂詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。(中略)うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。
英語の先生でもあった漱石の頭の中では漢詩は同じ「東洋」の世界の身近な文学だったことが分かる。私の夢はいつの日か、返り点など頼らずに、中国語ですらっと漢詩が読めるようになることだ。今はとてもそういう日がやって来るとは思えないが。
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