Home

英語でさるく 那須省一のブログ

«Prev | | Next»

sekoi=petty, cheap, stingy

 舛添東京都知事が遂に辞任に追い込まれた。家族同行の休暇先のホテルで果たして「会議」を行うものなのか。「家族会議」なら分かるが。「会議」に同席したと言われる人物を舛添氏は最後まで明らかにすることを拒絶したが、一部報道によると、出版社社長だったこの人はすでに故人となっていて、また、政治とは無縁の人で関心事は競馬だけだったとも言われる。いずれにしろ、舛添氏が苦しい言い逃れを余儀なくされていたのは見ていても明白で、最初の小さな嘘がやがて身の破滅を招いた自業自得以外の何物でもなかったのであろう。
 驚いたのは16日の読売新聞の社会面。米ニューヨークタイムズ紙がこの辞任劇を報じていて、日本人が舛添氏の行動に対して抱いた感想は「sekoi(せこい)だった。それはケチの意味」と解説と伝えていたことだ。「sekoi」という日本語表現が米紙に出たのはこれが初めてではとも思いつつ、これはしかし、まさに今回の騒動の本質をずばり言い当てた表現だと感心した。ニューヨークタイムズ紙の記事は以下の通り。
 If anything, the public’s antagonism appears to have deepened. The word that has perhaps been most frequently used to describe the episode is sekoi, meaning cheap or petty. That Mr. Masuzoe might nickel-and-dime taxpayers and contributors for spa trips seems to have struck a rawer nerve than if he had engaged in wholesale theft.このくだりを乱暴に訳すと、「舛添氏の取った一連の行動は逆に人々の反感をあおったようだ。この出来事を説明するのに恐らく最も頻繁に使われた表現はせこいという語で、みみっちいとかケチという意味だ。税金や政治資金を温泉旅行にこっそり流用したやり方があだとなった。彼が仮に大金を横領という悪行をやっていたとしても、これほどの反感を買わなかったことだろう」という感じか。
 日本語から英語に借用される語はkaraoke, kawaii, emojiなど時代を映す鏡でもある。しかしながら、この sekoi はそうなって欲しくないと思う。理由は言わずもがなだ。
                   ◇
 中国語の教室も3回目の講座が終了。母音と子音、声調に続いて、1から10までの数の言い方を教わった。カタカナ表記すれば「イー、アㇽ、サン、スッ、ウゥ、リゥ、チー、パー、ジゥ、シー」となる。英語の音素をカタカナ表記で原音に忠実に表せられないように、中国語もカタカナ表記には限界がある。
 嬉しかったのは中国語の先生(中国人)が「皆さん、暇があれば、この1から10までの発声練習にできるだけ励んでください。中国語の発音の大事な要素を習得できます。これからの学習に役立ちます」と言われたことだ。実は英語の授業でも私は学生に全く同じことを説いている。1から10まで、つまり、one から ten までカウントアップし、次に逆にカウントダウンしていく発声練習だ。慣れたなら、できるだけ早く言う練習をする。そうすれば、口の構造が英語をしゃべりやすいものになる。この発声練習をやるだけで、凄く英語の会話力アップに直結すると私は学生に説明している。ほぼ同じことを中国語の先生に言われ、心強く感じた。かくして、私はこれからはしばらく、家事に勤しみながら、道を歩きながら、プールで歩きながら、「イー、アㇽ、サン・・・」と口ずさむことになる。

"double down"

 熊本地震から2か月が過ぎた。NHKテレビからは大きな余震の恐れを警告する放送は流れないようになった。安心していいのだろうか。八代市周辺では震度5弱の揺れが数日前にも起きているが、福岡で揺れを感じなかった私はネットでそれを知るまで全然気づかなかった。折も折、政府の地震調査委員会が今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率分布の予測地図を公表。日本は地震の巣のようだ。千葉市では烈震の確率が実に85%、宮崎市は43%だった。私の故郷は宮崎の山間部で岩盤も丈夫に思える。やがては故郷を終の棲家にすることが脳裏をかすめる。
 尊敬するキリスト教の牧師さんは私たちが今、終わりのときを生きていると説いている。聖書が語りかける黙示録(Apocalypse)のときを生きていると。頭を垂れて神に祈るしかない。やがて間違いなく来るであろう大地の激しい揺れを少しでも鎮めてくださいと。
                  ◇
20160615-1465948104.jpg ニュースがエンターテインメントと化しているかのような米CNNテレビはあまり見たくないのだが、フロリダ州の銃乱射テロ事件以来、どうしてもチャンネルを合わせてしまう。14日の放送では、乱射テロ事件で犠牲となった49人の簡単なプロフィールを一人一人顔写真付きで紹介していた。20代から30代の若者たちだ。あの夜、ナイトクラブに足を運んだ時、彼らはまさか数時間後に自分の人生が狂信者により無残に幕を下ろされるとは思いもしなかっただろう。犠牲者の名前を読み上げていた、いつもはクールな男性キャスターはこみあげる涙を抑えるのに苦労していた。
 この事件は当然のことながら、大統領選に少なからぬ影響を及ぼし始めているようだ。単独犯の容疑者はアフガニスタン出身の移民二世。移民規制が持論の共和党のドナルド・トランプ氏はそれ見たことかと、イスラム過激主義に対する対策強化のボルテージを上げている。アメリカや同盟国へのテロの歴史がある国からは当面、移民受け入れを禁止すべきと。
 トランプ氏は過去にイスラム教徒の全面的移民禁止を訴えており、それが共和党の指導層でも物議を醸すと、若干のトーンダウンを見せていたが、今回の事件で再び持論を声高に叫び始めたかの観がある。
 インターネット新聞の「ハフィントンポスト紙」は表紙で “Madman-in-Chief”と報じていた。トランプ氏が11月の本選で大領領に選ばれるようなことにでもなれば、“Commander-in-Chief” ならぬ “Madman-in-Chief”とは痛烈な風刺だ。その下の見出しの一つに “Doubles down on Muslim Ban” という表現が見える。“double down” とはトランプ氏のニュースで私は初めて目にした表現で、最近よく出合う。辞書には載っていない。カードゲームで使われる表現で、劣勢の客が一気に負け金をチャラにするため、賭け額を倍額にする行為を指す。上記のケースでは「さらに強気に出る」といったような意味合いか。
 日本にとって最重要な同盟国のリーダーとなる米大統領職。敵対するメディアとは言え、“Madman-in-Chief” と形容されるような人物に就任して欲しくはないのは当然だ。「古参」のメディアでも最近はワシントン・ポスト紙がトランプ氏批判のトーンを強めており、これから何が飛び出してくるかしれない。

アメリカでまた惨劇!

 アメリカでまた銃による惨劇が起きた。フロリダ州のゲイ(同性愛者)の人々が集うナイトクラブで男が銃を乱射し、50人を殺害、50人以上を負傷させたという。この種の事件が日常茶飯事のアメリカでも、あの同時テロの9・11以来、最大の死傷者が出る惨劇となった。犯人の男はイスラム過激派組織のイスラム国(IS)への忠誠を口にしたらしいが、ISとの関わりの程度は不明で、犯行自体は単独犯のようだ。
 オバマ大統領は事件後、この犯行が “an act of terror and act of hate” と非難したが、その通りだろう。願わくは、事件が現在進行中の米大統領選で謙虚さの微塵もない人種差別主義的考えの大富豪を利することがないように!
                  ◇
 イギリスで欧州連合(EU)残留の是非を問う国民投票が今月23日に迫った。かの国ではこれはBrexitと呼ばれることは知っていた。私はこれを頭の中で「ブレクシット」と理解していた。数日前に読売新聞を読んでいると、関連の記事が出ていて、Brexitがキーワードとして説明されていた。その記事ではこの語に「ブレグジット」とルビを振っていた。不思議に思ってBBC放送にアクセスして調べてみると、本当だ、確かに「ブレグジット」と言っている。Britainとexitの合成語なら、「ブレクシット」の方が自然かと思ったが、どうもそうではないらしい。日本語表記だと「ブレクシット」の後ろの「シット」があまり芳しくない語を想起させるから、「ブレグジット」の方がいいかもしれない。
 その国民投票の行方は混沌としているようだ。一般庶民の間では移民の流入、失業率の増加などから、EUに対する不信感が根強く、離脱を求める空気が強まっているとか。経済界はEU離脱がイギリスの経済に重大な悪影響をもたらすと懸念しており、この懸念はEU諸国だけでなく日本など国際社会でも共有されている。私は土壇場ではEU残留派が多数を占めると思っているが、どうもそうは楽観視できなそうだ。果たして結果は・・・。
                 ◇
 中国語の母音の発音に手こずっている。最初は簡単だと思ったが、CDを何度も聞いていて、そんなに簡単ではないことに気づいた。単母音の数は6つ。カタカナで書くと、「アー」「オー」「ウー」「イー」「ウー」「ユィ」の6つ。「ウー」が2つあるのだが、この区別が難儀だ。どちらも日本語の「ウー」とは微妙に異なる。最後の「ユィ」は初めて耳にし、口にする音だ。韓国語の単母音は7つ。「ウ」と「オ」の発音が2通りあって少し厄介だが、まあ何とかなっているかと思う。
 中国語は母音の複雑さに加え、声調(tone)がある。これは実に難解だ。実は私は大学1年生の時に中国語の講座に1回だけ出席したことがある。この時、先生が声調の説明をした。私はこんな複雑な言語はとてもマスターできないと思った。第2外国語でドイツ語を履修し始めていたこともあり、それ以降の出席を断念した。もし、あの時、あきらめずに学び続けていたら、と思わないでもない。日常会話ぐらいは軽くこなす力はついていたのではと。致し方ない。時計の針を逆戻しにはできない。何度も書くが、Better be late than never(遅れても何もしないよりはまし)との思いで自分に鞭打つしかない。

「適度の理解」

 暑くなってきた。去年の手帳にはうかつにもいつクーラーのスイッチを入れたのか記していない。ブログを読み返すと、7月9日の項で、マンションのエレベーターを降りた途端に、ムッとする外気に触れ、「おや、これはもう夏の空気だ。これから本格的夏の到来だな」と感じ、「まだ扇風機で何とか済ませているが、いよいよ冷房の出番か」と書いている。とすると、まだあと1か月程度は我慢することになるのか。できるかな?
                 ◇
 『英語で話すヒント——通訳者が教える上達法』(小松達也著・岩波新書 2012年)という本を読んだ。著者の小松氏は日本初の会議通訳エージェントであるサイマル・インターナショナル創設に参加した同時通訳者として名高い人だ。
 拙著『英語でさるく』でも書いたが、私は学生時代、小松氏に面談し、同時通訳の仕事をしたい希望を伝えたことがある。この時、小松氏に同時通訳者の世界がいかに厳しいものであるかと諭され、新聞記者の仕事を選択した。当時のことを思い出しながら、著作を読んだ。
 「はじめに」に次のようにある。英語の話を聞く場合も、100%分かる必要はありません。「完全な理解」というのはそもそも無理なのです。外国語話者が目標にすべきは、適度の理解(reasonable understanding)だと言われます。「適度の理解」とは、細かい点は落しても大意をつかむこと、話し手が何を言いたいかを捉えるということです。
 さらに「聞き取り」に関して次のように書いておられる。事実、「全ての単語を聞き取ろうとする」というのが第2言語での聞き取りにおける最大の問題なのです。流れてくる音声の中から2つでも3つでも単語が聞き取れれば、話し手が発した音声以外のいろんな情報を活用してかなりのことを類推できるからです。聞き取れない単語があったからといってがっかりすることなく、聞き取れた単語を中心に前後関係から何を言わんとしているのかを類推する、という態度が大切です。
 全く同感だ。同時通訳の世界でさえすべての単語を聞き取ることが必須でないのであれば、私たちが目指すゴールラインは下げてしかるべきと言うつもりはない。小松氏の言う類推とはイマジネーションでもあるだろう。イマジネーションを働かせることで英語力はぐっと身に付く。私はそう思う。だから、私はこのくだりを読んで嬉しく思った。
 ただし、私には同意できない指摘もあった。発音に関する項で、小松氏は英語が中国語やフランス語などと比べ比較的平易であることから、次のように述べている。英語の発音は日本語話者にとって大きな問題ではない、と私は思っています。英語の母音の数は日本語より多いのですが、母音も子音もだいたいローマ字と同じように発音されますから、英語の綴りの通りに発音すれば、ほぼ通用します。中には、laugh(笑う)[ラフ]、やwomen(女性の複数形)[ウイミン]のように綴りとは違う発音をする単語もありますが、数は非常に限られており、たいていは綴り通りで大丈夫です。
 私は英語は綴りの通りに発音していれば、それで事足りるとは思わない。むしろ、英語の音素と日本語の音素は根本的に異なるという認識から学習を始めることが大事ではないかと思っている。もちろん、似ている音素はあるだろうが。

"a historic mistake"

 熊本地震は相変わらず、余震が続いている。私が住む福岡では体で感じることはなくなったが、ネットの気象情報欄で確認すると、今もずっと続いているのが分かる。NHKテレビではあの不気味な警告が繰り返されることはなくなった。しかし、今後もまだしばらくは「最大震度6弱程度の激しい揺れに警戒を」という警告は生きているのだろう。激震の後、忘れた頃にまた激しい揺れが襲来する話をどこかで聞いたような。
 気象庁の地震情報にアクセスすると、毎日、日本のどこかが揺れているのが分かる。テレビの旅番組でヨークだったか、イングランドの古い町並みが紹介されていた。レンガ造り、石造りの住家は日本にはない味わいだが、熊本地震のような揺れに見舞われたら、とてももたないだろうと思えた。同じ島国ながら、大地の戒めを憂える必要のない地に住む人々が羨ましい。うだるような夏の暑さからも無縁の地だ。
                  ◇
 ネットで読んだワシントン発の新聞記事で、米大統領選で民主党指名をほぼ手中にしているヒラリー・クリントン氏が共和党の候補となるであろうドナルド・トランプ氏を痛烈に批判したとあった。トランプ氏を大統領に選ぶ、すなわち「米軍最高司令官にするのは歴史的な間違いだ」と。「歴史的な間違い」という表現が気になった。彼女が口にした言葉は “a historic mistake”。英語の試験の解答ならこれで「正答」だが、私にはどうも “a historical mistake” の訳のように聞こえてしまう。「間違い」との表現が平板で物足りなく感じる。私がこれを試験問題として出題して、「重大な禍根(を残す)」とか「あってはならないこと」と意訳した学生がいたら、「秀逸な訳」とほめるだろう。
                  ◇
 『英語とはどのような言語か』(長谷川恵洋著・文理閣 2014年)を読んだ。参考になったことは多々あるが、一点だけ紹介すると。
 「英会話は人称代名詞のキャッチボールである」との項で、著者は「日本語に在るのは『人称詞』であって『人称代名詞』ではない」と述べている————。日本語には英語の人称代名詞に相当するものが存在しないのである。そう考えるのが妥当であろう。そもそも「私」「あなた」「彼」などの言葉は、西洋語の人称代名詞を日本語に置き換えるために、明治期に便宜的に作り出されたものであり、それ以前の日本語は主語を明示しないのが普通であった。(中略)先生に「あなた」と言ってはまずいことについて先に述べたが、そもそも目上の人や知らない人に対して無難に使える2人称の言葉が日本語にはない。だから主語を言わないことが多い。そのほうが無難だから
 どの人称代名詞を選んで使うか考えるたびに、自分と話し相手との関係について考えなければならない。いちいち相手との関係を気遣うのも面倒だから、多少あいまいになっても人称詞なしで会話を進行させるということがよく行われる。

 そう親しくない目上の人をどう呼ぶか、困った体験が数限りなくあるのは私だけではないだろう。「~さん」との呼びかけは残念ながら万能では決してない。「先生」や「部長」・・・。肩書きが幅を利かすことになる。二人称がyouで万事が済む英語は、なかなか使い勝手のよい言語だ。国際共通語(lingua franca)の位置を占めているのはむべなるかなだ。

物は言いよう!?

 蒸し暑くなってきて生ビールが恋しい季節となった。と書いても、実際に飲みたいと思っているわけではない。この欄で何回か書いている通り、去年の正月明け以来の断酒は依然続けている。別に無理しているわけではない。はるか昔に禁煙に成功した時もそうだったが、飲酒や焼酎のことが頭の中から消える、思い浮かばないようになれば、何のことはない。後はごく自然に時が流れていくだけのことだ。失恋の痛手から立ち直るときと似てなくもないか。その人の存在が消える、頭に浮かばなくなれば、思い煩うこともなくなる。
 ただ、残念に思うこともある。自宅近くを散策していて、雰囲気の良さそうなお店に出くわした時などがそうだ。嗚呼、こういった店で一人静かに焼酎のオンザロックを二三杯もやれば、心地好い酔いに浸れるに違いないなどと思う。まあ、そのうちにたまにはいいかと思ってはいるが、まだ当分は慎もう。
 時々脳裏をかすめる表現がある。フランク・シナトラが言ったと伝えられる言葉だ。正確に覚えているわけではないので、ネットで調べてみると、次のような文章が出てきた。
“I feel sorry for people who don’t drink. When they wake up in the morning, that’s as good as they’re going to feel all day.” (酒を飲まない人たちを可愛そうに思うんだ、私は。だってそういう人たちは朝起きた時が既にベストの状態であり、それ以降良くなるなんてことはないんだろうから)。二日酔いの気分は最悪だが、段々と回復に向かい、やがて朝のむかつく気分が嘘のよう、なんてのは、確かに酒飲みの「専売特許」みたいなものだろう。
                 ◇
 週末にテレビで楽しみに見ているのがある。韓国語ドラマではない。これは語学の勉強のためにしょっちゅう見ている。競馬放送だ。競馬ギャンブル自体は昨年4月以来、すっかり足を洗ったことは既に書いた。賭け事とは縁のない生活を続けている次第だが、これも決して無理をしているわけではなく、やりたいとは思わないのだ。
 ただ、馬が走るのを見るのは好きだ。私が契約しているケーブルテレビでは午後から中央競馬会(JRA)のレースを見ることができるため、読書の傍ら、レースを観戦している。テレビでは競馬専門紙の記者たちが予想を語っているが、あまり当たらないようだ。勝ち馬を当てるのを仕事としている人が予想しても外す。さらに、競馬には馬主に厩舎関係者や騎手、多くの人の思惑が交錯する。こちらが手にするのはごくわずかな情報。所詮素人が当てるのは至難の業だ。私が競馬から足を洗った一因でもある。
 それでも、これまで長い間競馬を楽しんできたので、馬券は買わないで予想だけはする。スポーツ新聞や競馬新聞を買うこともない。JRAのホームページで出馬表は読める。これで十分だ。自分なりの予想をした上でレースを楽しむ。自分の推理力を楽しみ、元手はゼロ。儲けにはもちろんならないが、損をすることも絶対にない。お膳立てはJRAがすべてやってくれる。これほど贅沢な遊びはないだろう。JRAは国民に馬券を買わせようとあの手この手のコマーシャルをテレビで流しているが、その手に乗ってはいけない。
 さて、競馬の祭典とも言える、日本ダービーが今年もやってきた。日曜日。18頭の3歳駿馬が一生一度の栄冠を目指して駆ける。予想するだけで十分楽しいから不思議である。

the lesser evil

 このところの蒸し暑さで寝苦しい夜が続いていたこともあり、少し体調を崩してしまった。クーラーをつけるには早過ぎると思い、扇風機のお世話になっているが、どうも風邪のような症状で、咳が出て、微熱がある。食欲もあまりない感じだ。人間とは現金なものだ。余震が続いている時は早く終息して欲しいと願い、蒸し暑くなってくると、もう少し涼しい初夏が続いて欲しいと願う。
                 ◇
20160525-1464154554.jpg 海の向こうの米大統領選。米東海岸に住む恩師からは毎日、関連のニュースがメールで送られてきている。購読している英字紙、ジャパンニュースも連日報道しているが、いささか食傷気味だ。最近の記事で印象に残ったのは、民主党指名候補争いで本命のヒラリー・クリントン氏を激しく追い上げているバーニー・サンダース上院議員がクリントン氏を痛烈に批判した記事だろうか。Sanders told ABC’s “This Week” program that Americans should not have to choose between “the lesser of two evils” in the Nov. 8 election. サンダース氏は11月8日の米大統領選で有権者がどちらの候補がより少しはましかという悲しい選択を迫られることのないようにもっていく必要があると訴えている。
 共和党の候補指名を手中にしたトランプ氏にはともかく、クリントン氏にとっては屈辱的な一言だろう。自分が evil であると酷評されたわけだから。”Choose the lesser of two evils.”(同じ悪でもましな方を選べ)とは時に目にする風刺の効いた表現ではあるが、嗚呼、遂にここまできたかと思った。まあ、十二分に予想された展開だが。米CNNテレビに出演したサンダース氏はさすがにこの点を突かれると「私がそう言っているのではない。米国民がそう考えているということだ」と弁解していたが、クリントン氏は傲岸不遜のトランプ氏と同じ世界に生きている富裕者というのは彼の本音だろう。
                 ◇
 八百屋さんの壁のビラで知った私立高校提供の中国語初級講座が開講した。上記の通り、微熱があり、少し辛かったが、大切な初回の講座なので出かけた。先生は中国人の男性で流暢な日本語を話す人だった。初回は中国語の単母音と声調の説明。すでに初級の入門書で知っていたことだったが、ネイティブスピーカーの人から説明を受けて、よく理解できた。この日の受講者はわずか7人。高校生も3人いた。次の講座は再来週で、来年2月まで飛び飛びに全16回の予定。地道に学習を続ければ、講座が終了する頃には基礎の基礎を身に付けているかと思う。いや、そう期待している。
 参考までに日本語の母音はご承知のように「あいうえお」の5つ。韓国語の単母音は7つ。中国語の単母音は6つ。大きな違いはないように見えるが、これが大きな違いを生む。これまで何となく感じてきた疑問。なぜ、中国人はあのようにきれいな英語、時としてネイティブのような英語をしゃべれるのか。韓国人もまた日本人と比較すればずっと上手に英語をしゃべれるのか。この疑問が日本語、中国語、韓国語の音韻の上からも説明ができるような気がしている。その辺りはおいおいこのブログでも書いていきたいと願っている。

«Prev | | Next»

過去の記事を読む...

Home

Search
Feeds

Page Top