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英語でさるく 那須省一のブログ

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脳裏に残る光景

20160311-1457668138.jpg まだ少しもやもやした感じのまま昨日帰福した。食欲がなく、完調ではない。何を食っても美味いと感じる私にとって食欲がないのは異常事態だ。
 それでも、予定通りに最初の旅を終えて、ほっとしている。幾つかの収穫はあった。まず、最初に、現在の韓国語の力ではとても自然な会話は無理ということが分かった。状況に応じてどう言えばよいか、ある程度の基礎的表現をきちんと身に付けることが重要であることを認識した。これまでは行き当たりばったりの学習法だった。
 釜山の人々は親切だった。ホテルのロビーでこの10年だか20年だかの間に、釜山を訪れること250回以上と語っていた日本の老婦人がいらっしゃったが、なるほど、釜山訪問が病みつきになる人がいるのはもっともなことだと納得した。第一、物価が安い。例えば、釜山から尋ねた統営。高速バスで2時間程度の旅だったが、料金は日本円にして約1,200円。日本だったら、少なくとも3倍ほどの料金となるのではと思う。
20160311-1457668096.jpg 韓国を訪ねる我々日本人は過去の歴史を忘れることはできないだろう。それで萎縮することもないが。釜山では『ぐるぐるプサン』でも紹介されていた「釜山近代歴史館」にも足を運んだ。19世紀末から明治日本が朝鮮王朝を侵略した歴史の一端がビデオやパネルで紹介されていた。かつて中高の授業でもざっと習ったつもりだが、改めて日本が当時の朝鮮の人々にもたらした災いを思わざるを得ない。明治維新を経て、脱亜入欧、富国強兵の掛け声で、朝鮮の国土を侵略し、朝鮮の民を隷属させても是とする思いはどこから生まれたのか。国家レベルでは我々は今なお、そうした過去の「清算」に悩まされている。
 歴史館の受付には係りの婦人が何人かいたが、こちらが日本人と分かると、日本語の小冊子を持ち出して親切に応じてくれた。私が釜山の他にもどこか訪ねたいと語ると、他の人も集まってきて、どこがいいかしらねと額を寄せて考えてくれた。彼女たちの親日感は決して上辺だけではないことが伝わった。
20160311-1457668184.jpg 釜山最後の夜の食事は南浦洞・ジャガルチ市場の一角のレストランで「焼き魚定食」を食べた。体調不良のため、快食とはいかなかった。食事を済ませ、ホテルへの帰途、交差点で見た光景が実は今も脳裏を離れない。これも冒頭のもやもや感につながっている。
 交差点で屋台のそばにうずくまり、一人の老婆が野菜を売っていたのだ。老婆といっても、そう年ではない。乱れた髪や衣服から老婆の印象を受けた。物乞いではない。彼女が坐している前には僅かとはいえ、野菜類が置いてある。一見して新鮮ではないことが分かる。道行く人は誰も彼女に視線を留めないようだ。私は一瞬、ポケットの10,000₩を彼女に与え、野菜を幾つか手にしようかと考えた。いや、野菜はいらない。でも、何か買わないと物乞いにお金を与えたことになる。そんなことを瞬間的に考えたが、彼女の狼狽に私のしどろもどろの言い訳、通行人の好奇の目、そんなものを考えると、萎えてしまった。
 彼女に「小僧の神様」的な幸運をまた期待させるような行為に出て、一体何になるのか。それこそ残酷な行為ではないか。彼女のような哀れな存在を目にしたことは初めてではない。アフリカでは時として目にした光景だった。なぜ、今回は今も脳裏から消えないのか。彼女が日本人のように映ったからなのか。自分が齢を重ねた証なのか。

不覚の熱発

 参った。風邪をひいたみたいだ。昨日は一日寝込んでしまった。会社を辞めて以来、風邪一つひかないと豪語していたが、それをひいたようだ。思い当る節はある。
 月曜の夜、シャワーを浴びたついでに下着類を洗濯したのだ。裸で。水洗いした下着類をシャワー室に干して、ベッドに潜り込んだが、やはり、必要以上に裸でいたのが良くなかったようだ。一夜明けて外出しようとした時点で身体が普通でないことに気づいた。薬局の看板が出たお店に入って、症状を訴えた。といっても私の韓国語はまだそうしたことはできない。微熱があること、頭が重いこと、咳はないことなどを説明した。店主はカプセルの風邪薬(2,500₩)を手渡してくれた。その場で服用しようとすると、食事の後に服用せよと由。
 それで朝食を食べようと思ったが、食欲は全然ない。でも、薬を飲むために、何か食べなくては。通りかかった食堂に入って、これまで食してきた朝食を頼んだが、さすがに二口、三口食べると、もうギブアップしたい。シングルライフのプロとしては、たとえ、他人が作ってくれた食べ物でも残すことには心が痛む。できるだけ完食したい。しかし、病気の時には致し方ない。私はおばちゃんに、風邪で体調が悪いから料理を残したこと、そもそも薬を飲むために食事しようとしたのだ、というようなことを拙い韓国語で説明したが、どこまで分かってくれたか。
 ホテルに戻った。この日、行きたいところはあったのだが、とても行けない。倒れ込むようにベッドに潜り込んだ。その後は夢うつつの状態が続いた。過去の長旅では必ず体温計に抗生物質などを持参していたが、今回の短い旅にはそこまでは考えなかった。私の平熱は35.7度。36.2度ぐらいになるときつく感じる。おそらく36度後半に上がっているのではないかと思う。せめてもの救いはまだ悪寒がきていないことだ。私の場合、「悪寒、あかん、意識朦朧」となる。悪寒がないということは、おとなしくしていればまだ何とかなる。それを頼りにベッドで横になり続けた。
 夕刻、さすがに空腹を覚えた。薬が効いているのか分からないが、また薬を飲まなくてはならない。それでコンビニに行って何か食べ物、そうだ、食欲がないから、果物でいいや、と思い、ホテルを出る。寝ていたので気づかなかったが、いつの間にか、冷たい雨が降っている。どうも今回の旅は雨にたたられる。とりあえず、海苔巻き弁当にリンゴ、ミカン、牛乳、水を買い求める。締めて15,450₩。海苔巻きは一個口にしてあとは諦めた。リンゴとミカンを食べ、牛乳を飲み、薬。そしてまたベッドに潜り込んだ。
 熱があるから、夢うつつ。途中で目が覚めた。窓を見やると薄明るい。ああ、もう夜明けが近いのか。今日一日を無駄にしたな。でも、うっかり風邪をしょい込んだのだから仕方ない。無理してこじらせたら、もっと大変だ。そう自分に言い聞かせながら、窓を開けると、夜明けという感じではない。時計を見ると、9時48分。午前ではなく午後だった。そうか、まだ夜中なのだ。ああ助かった。まだ熱がある。もっと眠ろう!
 心がけが悪いから、風邪をひいたのか。それとも、この地は豊臣秀吉の時代から日本が戦火をもたらした地。そういえば、私は前日「李舜臣将軍銅像」を訪れた際、祈りといったことをしなかった。罰が当たったか。

統営を訪ねて

20160307-1457353807.jpg 福岡を発つ前には、釜山の他にもう一か所は訪ねたいと思っていた。ホテルのベッドで寝転んで、ガイドブックを手にさてどこに行こうかと思案していて、南海岸の統営という地が目に入った。「トンヨン」と呼ぶ。豊臣秀吉の朝鮮出兵のゆかりの地と書いてある。いや、地元の人々に言わせたら、ゆかりの地などと呑気に言って欲しくはないことだろう。旧日本軍による植民地支配に先立つ、400年ほど前の日本の侵略の史実を物語る地だからだ。
20160307-1457353889.jpg ガイドブックには「統営には鉄道や空港はないのでバスを利用すること」と記してある。釜山から2時間程度の短い旅程。車窓の光景に郷愁を覚える暇もなく、あっという間に統営着。港町だ。取り急ぎ、身軽になるため、宿を探す。小さい観光案内所があった。中年の女性が一人。「安宿を探しているのですが」と韓英日語で私。今回の旅で痛感しているが、一般の人は英語も日本語もほぼ悲しくなるほど通じない。それは日本だって同様だから致し方ない。彼女は日本語の観光案内地図を奥から引っ張り出す。一生懸命の姿勢が伝わる。そのうち、彼女が受話器を突き出した。男性の日本語が聞こえる。「どちら様ですか?」と私。「私は統営の市役所の職員です。ホテルをお探しなんですね?」「はい。40,000₩程度のホテルがあれば嬉しいのですが」といったやりとりの後、彼はモーテルを紹介してくれた。
20160307-1457354223.jpg20160307-1457353968.jpg ラブホテルみたいな外観のモーテルだが、中に入るとビジネスホテルのよう。身軽になってとりあえず、港の周辺を歩く。対岸に白くていい感じの建物が見えた。ガイドブックで確認すると、南望山公園にある市民文化会館。歩いて行ける距離だ。湾岸から坂道を上ると、後期高齢者とおぼしき大勢の一団とすれ違った。韓国のお年寄りをこれほど目にしたことはない。皆さん、人生の苦労を顔中に刻んでいらっしゃる。
20160307-1457354064.jpg ガイドブックには公園の一角に豊臣秀吉が送り込んだ水軍を撃退した、救国の名将、李舜臣(イスンシン)将軍の銅像が立っているとある。ところが、いくら歩き回っても、像らしきものに行き着かない。20代の若者が歩いていたので、彼に助けを求める。彼は少し英語を解したので、私は英語で「豊臣秀吉の水軍を破ったあなたの国のヒーローだよ」と説明したが、どうも要領を得ない。ガイドブックの「李舜臣将軍銅像」という漢字を見せても思わしくない。スマホみたいなもので調べ始めた彼は「えーと、あなたはヒデヨシの像を探しているのですか?」。ハングル文字一辺倒の韓国の若者世代は漢字が読めないという記事をどこかで目にしたことを思い出した。ほどなくして彼は「え! イスンシンの像ですか!。それなら分かります」と話し、石段を上がったところに私を連れていってくれた。石段の登り口には何の案内も出ていない。これでは初めての人は独力では行き着けないだろう。
 不思議なことに、私が写真を撮って、振り返ると、若者の姿はかき消えていた。私にお礼を言わせる機会も与えず。歩きながら彼が語ったところではソウルに住むサラリーマンで、高校生だった10年ほど前に大阪に観光旅行で行ったことがあるとか。公園からの帰途にゆっくり話をしようと思っていたのだが・・・。慎ましい性格ゆえに無事に案内を済ませたので立ち去ったのか。私がデジカメをのぞいていたのは数十秒程度に過ぎない。すぐに振り返ったら、彼は消えていた。その後、私の脳裏には次のような疑問が何度も浮かんでいた。“Who was he? Somebody in the heaven sent him to help me here? Can’t be. But …”

アガシかアジュモニか

 日曜日朝の釜山はまた雨模様。ネットで見ると福岡も同様の天気のようだ。時差もないし、釜山周辺と九州北部は文字通り、一衣帯水の雰囲気だ。雰囲気と言えば、今朝朝食を食べた後に行った小さいカフェのママさんは私がコピー(コーヒー)を注文すると、アメリカーノ、コイメ、ウスメ?と尋ねた。「濃いめ」と答えたが、まさか、韓国語でそういう語があるわけではあるまい。こちらを日本人と推察したうえでの確認だろう。
 なぜ、日本人と思いましたか? 「プンウィキ」との由。すぐに「雰囲気」という語が頭に浮かんだ。漢語に基づくこの種の語は本当に心強い。ところで私はなぜかすぐに日本人と分かるようだ。一目で韓国人と分かる人もいるが、私はその逆のケースか。
20160306-1457270936.jpg 今朝の朝食はホテル近くの定食屋。韓国語では「テジクッパ」(6,500₩)。韓国語でも綴りたいが、ハングルを書くのは一苦労なので、カタカナ表記で許してもらいたい。壁のメニュー一覧の真っ先に書いてあった食事だ。先客もこれを食していたようだ。すぐに目の前に運ばれてきた。昨日の夕食と似てなくもない。これも美味かった。例によって緑の唐辛子が付いていた。改めて食べると、今度は全然辛くない。それで分かった。唐辛子のそばにあったニンニクが辛いのだ。一緒に口にしていたから勘違いしていたのだ。
20160306-1457270967.jpg 朝食後はホテルで時間をつぶす。福岡ではケーブルテレビでKBSの「全国のど自慢」のような番組を楽しんでいた。NHKの「のど自慢」にそっくり。最近は番組改変の影響で放映されなくなっていた。KBSの「のど自慢」は語学の勉強のために見ていた。この国の世相もうかがえて面白い。それで、釜山に来たらぜひテレビで見ようと思っていた。果たせるかな、正午過ぎ、テレビのチャンネルをカチャカチャやっているとお目当ての「のど自慢」が映った。老若男女、楽しそうに歌い、踊っている。日本の演歌によく似た歌もある。ここでもまさに「一衣帯水」を感じる。
20160306-1457271000.jpg 「のど自慢」を楽しんだ後、釜山の最大の繁華街「ソミョン」(西面)に出かける。地下鉄を利用。Tマネーと呼ばれるプリペイドカードを購入していたので楽だった。地下鉄は車内の光景を含め日本とそっくり。車内上部の駅名案内は日本語併記。主だった駅は日本語でもアナウンスがされる。九州新幹線でも韓国語、中国語で車内アナウンスがされているが、異国からの訪問者の立場に立つと、有難さが分かる。「おもてなし」の心だ。
20160306-1457271043.jpg 夕食は『ぐるぐるプサン』に紹介されていたホルモン店。一人でお店をのぞくのは気が引けることもあるが、私は「シングルライフ」のプロだ(全然嬉しくないが)。この夜のお店も愛想の良いおばちゃんがいた。飲むつもりはなかったが、「これサービスです」と牡蠣の小皿を出してくれる。誘惑に負けて「ソジュチュセヨ」(焼酎をください)。まあいい。帰福したら、また簡素な生活に戻るのだ。おばちゃんは少しだけ日本語を解した。それで、今回の旅で気にかかっていたことを尋ねる。このような場合、あなたを何と呼んでいいのですか。日本なら「おばちゃん」か「お姉さん」だが、彼女は「アガシ」(お嬢さん)と呼ぶには少し無理があるようだ。彼女は少し考えた後、「アジュモニ」(おばさん)でいいですよ」と答えた。アルゲッスムニダ(了解しました)。でも、勘定(38,000₩)を済ませ、お店を出る時には「アガシ」と呼んでも構わないと宣われた。

スンデクッパ

20160305-1457188322.jpg 前項で書き忘れたが、私が落ち着いたのは釜山の南浦洞と呼ばれる地区。釜山港に近い繁華街だ。土曜日朝、そう空腹も覚えなかったが、朝飯はどこにいても大切。チェックアウト後に開いているお店に飛び込んだ。丁度食べ終えようとしている客がいたので、その客の朝食を指差し、同じものを注文した。韓国ドラマを見ていて小皿が所狭しと並べられる朝食をいつも不思議に思っていたが、なるほどこういうことかと納得がいった。
 私が注文したのはシジミスープ定食(8,000₩)。今この項を書いていて、はてどういう味だったかどうも思い出せない。でも決して不満を感じるような味ではなかった。満腹感を覚えて店を出たことは間違いない。
20160305-1457188359.jpg 20160305-1457188404.jpg天気予報では土曜日も雨模様だったが、幸い、この日は曇り空ながら、雨が降ることはなかった。それもあってか、南浦洞は朝から大勢の人々で賑わいを見せていた。さすがは首都ソウルに次ぐ韓国第2位の都会に相応しい。光復路という名のメインストリートや「ここにないものはない」と言われる国際市場を歩く。私はその土地がどういう土地柄であるかはしばし街角に佇んで行き交う人々の顔を見れば分かると思っている。果たして釜山は圧倒的に笑顔が多かった。親子連れであれ、若いカップルであれ。日本でこのような笑顔を目にすることができるか。きっとできるのだろう。日本では意識して「観察」したことがない。
20160305-1457189041.jpg 歩き回ったのでお腹が空いた。普段は昼食抜きだが、限られた日数の異国なので、お昼を食べる。何を食べるか決めていた。『ぐるぐるプサン』で推奨してあった「ミルネンミョン」。冷麺のような食べ物だ。岩手・盛岡に勤務していた頃、冷麺にはまったが、それを少し思い出した。甲乙付け難いが、ミルネンミョンは上品な味わいで癖になりそう。テーブルにはお箸だけでスプーンがなかったので、おばちゃんにスプーンを求めてスープも飲み干した。私が勘定(5,000₩)を終える頃に入店した初老の客は、手元にきたミルネンミョンの丼を持ち上げると、勢い良くすすった。そうか。直接すすってもいいのか。今度は私もそうしよう。
 初めての土地ではその土地の人がどう食するのか実地に見学するのが一番手っ取り早い。夕食はこの日投宿した新しいホテルの受付の男性が推奨してくれたお店に足を運んだ。そこで食べたのは「スンデクッパ」(?)。何と訳していいのか分からないが、お店のメニューに日本語で「豚の腸詰汁をかけたご飯」と書いたものがあった。きっとこれだろう。お店のおばちゃんに尋ねても韓国語しか話せないので、要領を得ない。近くに座った人の食べ方を見ているとだいたい分かった。付いているご飯は最初にどっと鍋に入れること。小皿の一つには緑の唐辛子が二つ入っていたが、これを男性客は芥子を付けて二口で食した。私は少しずつ食いちぎったが、さすがに全部は無理だった。
20160305-1457188435.jpg 今日は飲むつもりはなかったが、一通りはお酒も経験しておきたい。メニューに「ソジュ」(焼酎)とあったので注文した。日本の焼酎より度数は低いようだ。飲みやすい。食事を終えた後もちびりちびりやっていると、おばちゃんがキムチをサービスしてくれた。隣に座った若い娘さん二人はこちらが韓国語に不自由な観光客と察したようで、立ち去り際に笑顔で “Have a good time!” と声をかけてくれた。カムサハムニダ! 勘定は納得の10,500₩だった。嗚呼、明日もこの店に来ようかな!

マッコリに敬意

20160304-1457093285.jpg 金曜日朝、久しぶりに早起きして、JR博多駅を経由して、路線バスで博多港中央埠頭に向かう。午前9時発のJR九州高速船「ビートル」に乗船する。
 乗船時間は約3時間。カフェみたいな憩いの場があるに違いない。軽い朝食でも摂り、コーヒーを楽しもうと思っていたが、乗務員に確認すると「そういう場はありません。航海中は安全のため、シートベルトをして座席にお座りください」との由。そういえば、時々、新聞紙上で博多―釜山を行き来するフェリー船が航行中に海洋生物(鯨?)と衝突して、乗員乗客が負傷する「事故」のニュースを目にしている。シートベルトを締めて、釜山観光案内本に目を通す。
20160304-1457093678.jpg 今回の旅に持参した案内本は2冊。一つは『わがまま歩き韓国』(実業之日本社・2013年刊)。もう一冊は『ぐるぐるプサン』(書肆侃侃房・2012年刊)。私はこれまでこの種の観光案内本を手にして旅したことはないが、もうそう「強がる」こともないだろう。
 『ぐるぐるプサン』は1¥=14.28₩(ウォン)のレートで計算している。私が数日前に銀行で両替したレートは1¥=9.30₩だった。この差に気づいた時は少しがっかりしたが、手元に残っている2006年のソウル訪問の時のレートは1¥=7.78₩。それを考えれば、まあいいかと思えてくる。とにかく、この旅では1,000円=10,000₩で計算しようと思う。だいたいそんなところだろう。
 さて、海洋生物との衝突もなく、ビートルは無事釜山港に接岸。お昼過ぎで空腹だったため、その足でターミナルビル内のカフェでコーヒーにサンドイッチを食べる。しっかり「コピチュセヨ」と発声したので、「鼻血」と間違われることはなかった。まずは無難な旅立ちとなったが、釜山は生憎の雨。傘をさして歩き回ったが、さすがに興ざめ感は否めなかった。この日はとりあえず、『ぐるぐるプサン』で「格安」と紹介されていたホテルを訪ねたが、ホテルはリノベーションしたみたいで名前も変わり、宿賃もそう格安でもなく、シングル1泊6万₩。とりあえず、今日はここに泊まろう。
20160304-1457093358.jpg20160304-1457093397.jpg
 チェックインを済ませた後、ホテルのすぐ近くにある龍頭山公園に行き、釜山タワーに上がり、釜山の街並みを俯瞰した。うまく表現できないが、確かに日本の街並みに似ているようでもあり、どこか違うような。天気が良ければきっと素晴らしい景観が楽しめたのだろうけど、雨で遠くはもやっており、これも少しがっかり。その後、ロッテ地下商店街などを歩き、夕刻に待望の夕食。ホテル近くの定食屋といった感じのお店で、石焼ビビンパを注文した。『ぐるぐるプサン』で釜山では(当時)「センタッ」と呼ばれるマッコリが人気と書いてある。私はこのブログでも書いている通り、今は酒は特別の場でもない限り断っている。今年は1月7日に宮崎市で郷里出身の幼馴染と飲んで以来、一滴も飲んでいない。だが、初めての土地ではその土地の酒を飲むのが「礼儀」というものだろう(勝手な理屈)。それで「センタッ」を注文した。度数は焼酎に比べはるかに低いようだ。美味い。あっという間に750ミリリットルの中瓶を飲み干した。
 マッコリの肴で焼き魚を注文したこともあり、勘定は締めて15,000₩。帰路の私の頭の中は早くも、嗚呼、明日は何を食べようか。再び煩悩の日々となりそうだ。

準備万端!?

 いよいよ金曜日朝、韓国・釜山に旅立つ。例によって貧乏旅行だから、なるべく安上がりの旅を目指す。博多港から高速フェリーに乗る。フェリーの会社に電話を入れて料金を確認する。親切な係りの人がネットだと安いチケットがありますよとの由。普通に購入すると、片道13,000円だが、一番安いのだと往復で4,900円のもあるという。それは凄い。早速(今頃になって切符とは遅すぎるのだが!)ネットであれこれやって見ると、近々の出発予定ではさすがに4,900円のものは入手不可能。それでも9,900円のチケットが購入可能なことが分かった。これなら、私がよく利用している宮崎への新幹線・長距離バスの往復交通費14,000円よりずっと安い。
 クレジットカードを使っての予約に手こずった。間違って割引のない往復26,000円の切符を買う寸前までいったため、フェリー会社に電話する。係りの人が今度も親切に応対してくれ、無事9,900円の往復チケットをゲット。ただし、これは復路も期日指定。致し方なく、とりあえず復路を10日とした。この日の便に必ず乗船しなければならない。
 銀行でとりあえず、5万円を現地通貨のウォンに両替。準備万端に思える。韓国を訪れるのは3度目だが、釜山は初めて。今回の旅とは状況が全然異なる。できるだけ韓国語でコミュニケーションを図ろうと思っている。はてさてどういうことになるやら。
                          ◇
 韓国の旅で読もうと思っていた本を読み終えてしまった。『英語の歴史』(中尾俊夫著・講談社現代新書)。大学の授業の参考になると思って購入したのだが、1989年の「第1刷」(2012年第23刷)という本のゆえか、「性差別語」に関する記述など時代の推移を感じることが少なくなかった。例えば、次のような記述。manhole「マンホール」は女も落ちるからpersonholeにすべきとか、history「歴史」はherstoryにせよ、といった馬鹿げた提案はなされていない。著者の指摘する通りだ。ただし、herstoryに関しては、私の電子辞書には何とこの語が記載されている。「(女性の視点から見直した)歴史;女性史」<historyに対抗して作られた語>と紹介されている。
                          ◇
 米大統領選の候補者選び。スーパーチューズデーと称された10余州の予備選・党員集会で予想通り、民主党はヒラリー・クリントン氏、共和党はドナルド・トランプ氏が圧勝したようだ。共和党では上院議員のテッド・クルーズ氏も2州で勝利する善戦を見せたが、このままではトランプ氏の勢いを阻止することは難しい雲行きだ。トランプ氏のスピーチは「明快」で、エスタブリッシュメントと言われる既存の政治・政治家に飽いた人々に受け入れられているのはよく分かるが、彼の主たる発言はポピュリズムそのものだ。「化けの皮」が剥がれる日が必ず来ると信じたい。彼の常套文句 “I’ll make America great once again.” を皮肉った「ニューヨーク・デイリー・ニュース」紙の記事の冒頭の文章には思わず笑った。「座布団1枚!」
 For folks across the nation, the election of Donald Trump would make America grate — again.(アメリカの国民はトランプ氏が大統領に選ばれることにでもなれば、不快感がいや増すことになるだろう)。greatとgrateは同音異義語。片や「偉大な」であり、片や「不快感を及ぼす」。もちろん、国際社会に対して感じる恥辱の思いからの不快感だ。

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