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英語でさるく 那須省一のブログ

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母音は五つに過ぎないが・・・

 幾らか春めいてきた気がする。昨日は本当に久しぶりに暖房なしでソファーに寝そべり、読書に勤しんだ。もう何度も書いているが、私の住むマンションの5階は西日が半端ではない。日の光が私のつぶらな瞳を直撃するのを避けるために、ハンチングを目深にかぶり、本に向かった。これからの季節は午後の遅い時間がポカポカとして嬉しい。私にとっては至福に近いひとときだ。
                  ◇
 今読んでいるのは、『新華僑四〇年の履歴書 この日本、愛すればこそ』(岩波現代文庫)。書店でたまたま目にとまった本であり、著者は莫邦富(モー・バンフ)氏。1953年生まれだから私と同世代だ。作家、ジャーナリストで、上海外国語大学卒業後の85年に来日。『新華僑』『蛇頭(スネークヘッド』など著書多数。今回初めて知ったが、日中関係ではかなり知られた人物のようだ。
 莫氏は高校生の頃、あの文化大革命に遭遇する。広く知られている通り、中国の人々が知的欲求を満たすには過酷な時代だった。下放から休みで上海に帰郷した際に、著者は書店で日本語ラジオ講座のテキストに偶然出合う。以下の記述がある。テキストを開けてみた。五十音図がある。ひらがなの「あいうえお」などは訳の分からぬ奇妙な符号にしか見えない。だが、その符号の下にあるローマ字表記は読めると思った。a 、i 、u 、e 、o ・・・すぐ読めたので、かえって不思議に思った。日本語はこれほど簡単でわずか五つしかない母音を使って構成された言語なのか。人間の豊かな感情を表わすのに必要なたくさんの言葉を、日本人はどうやって作り上げたのだろう。この母音の少ない日本語を使って愛という繊細かつ微妙で豊かな感情を若い女性はどうやって吐露するのだろう。
 中国語の独学に苦悶している身として、この述懐にはしばし考えさせられた。母音のくだりは著者の指摘の通りだが、日本語には縦横無尽に使える係助詞がある。だからその分、語順にはそう束縛されることはない。中国語にはそうした自由さはないのではないか。私はいまだに中国語が単語の「ぶつ切り」の寄せ集めにしか思えないことがある。もちろん、そのうちに係助詞などなくとも十分流麗な言語であると感じられるようになるのだろうが。
 著者は上海外大で教えていた81年に日本政府の一か月間の研修招待で初来日する。そして4年後の85年には大学の指示で今度は留学を命じられる。行く先は古都京都の京都外大。京都外大を初めて訪れた際の記述が印象深い。
 著者は昼時のキャンパスを見て、涙をこぼしそうになったという。涙腺が緩くなったわけではない。学生たちがキャンパスで思い思いにランチを頬張り、談笑する光景にショックを覚えたのだ。文化大革命を経験した著者には大学でのそうした光景は考えられないことだった。悔しかったのだ。なぜ私の大学時代にはこうした平和なひとときがなかったのか。それを考えると、自分たちは時代に恵まれていなかったのだと思い、抑えきれず涙がこぼれそうになったのだ。
 先述した通り、私は莫氏と同世代だが、私の学生時代は実にのほほんとしたものだった。莫氏のそれと比較することすら憚られる思いだ。

"Look at me."

 大学の定期試験の評価作業も終わり、新学期が始まるまで静かなときを過ごすことができる。蓄えが豊かであれば、非常勤講師などの仕事に頭を悩ますこともないのだが、そうもいかない。だが、仕事がなければ、世間とは全く没交渉になる。小人閑居して不善をなす。健康である限りは仕事があるだけでありがたく思うべきだろう。とはいえ、しばし自分だけの時間に没頭できるのは嬉しい。
                  ◇
 新聞社勤務時代の同僚からメールが届いた。安倍・トランプ会談の際に両首脳がメディア用に披露した握手の光景(http://www.bbc.com/news/world-europe-38935923)を見たかと。凄く笑えるもののようだ。BBCやCNNが何か流していたのは知っていたが、そう興味もないので、見てはいなかった。それで改めて見ると、確かに爆笑ものだった。思い出すと、今も込み上げてくる笑いを抑えることができない。
 BBCの記事には “Look at me” Trump and Abe’s awkward handshake という見出しが付いていた。日本のメディアがこの握手の光景をどう報じているか知らない。BBCでも awkward と報じていたが、なぜそうなったのかまでは詳述していなかった。事情はこうだ。日本のメディアが写真(動画を含め)撮影のため、「こっちを見てください」と口々に叫んでいたため、日本語を解さないトランプ大統領が安倍首相に「連中は何と言っているんだい?」と尋ねた。安倍首相は、彼らは” “Look at me.” と言っているのだと「手短に」訳した。大統領はこの発言を首相が自分を見てくれと言っているのだと誤解して、にっこり微笑んでしばし首相を見つめた。美女に見つめられるのならともかく、相手がトランプ大統領では・・・。安倍首相の困惑し切った表情がいやはや笑える、笑える。
 願わくは真剣な交渉の場で、致命的な意思疎通のズレが起きないことを。
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 前回紹介した定期試験の英訳問題。「あなたはイチロー(選手)を知っていますか」という文章の英訳を課せられたら、おそらく多くの日本人がためらうことなく、次のような英文にするのではないだろうか。“Do you know Ichiro?”
 しかし、これだと「あなたは(個人的に)イチロー選手を知っていますか?」という意味合いとなってしまう。メディアで一挙手一投足が話題になるあのイチロー選手を知っていますかという、普通の意味で尋ねるとしたら、“Do you know who Ichiro is?” あるいは “Have you heard of Ichiro?” と尋ねるのが正解だろう。そうすれば、英語のネイティブスピーカーは “Yes, I know him.” とか “Yes, of course. He’s a famous baseball player.” などと応じるかと思う。
 昔、クレジットカードのCMでプロゴルファーのジャック・ニクラウス氏が “Do you know me?” と視聴者に語りかけるのがあった。あれは本人がテレビ画面を通して直接視聴者に語りかけているのだから不自然ではないのだろう。
 外国語学習には思わぬ「落とし穴」が待ち受けている。中国語を独学していてそう思うことがしばしばだ。中国語では漢字の「トリック」みたいなものだ。

昭和92年なんだ!

 日めくりカレンダーを貰ったので、柱に取り付けている。気づくと何日もめくっていないことがあり、慌てて何枚もめくることがしばしばだ。昨日もそうだった。めくりながら、嗚呼、明日は私の誕生日だ。63歳か。そう思いながら、日めくりカレンダーの上部に目をやると、平成29年、そのわきに昭和92年と記してある。え、昭和が続いていたら、昭和92年になるのか、今年は! 私は昭和29年の生まれだ。今年は平成29年。そして昭和なら昭和92年。何だか数字のマジックみたいに思えてしばし考え込んだ。
 その平成も天皇陛下の生前退位の希望を受け、やがて新しい元号〇〇になるようだ。平成の世は幕を閉じることになる。平成はどういう時代だったと記憶(記録)されることになるのだろうか。私たちの世代は昭和の世に青春時代を送り、平成の世に仕事に精を出した。やがて来る〇〇の世に高齢者として生きることになる。昭和の世は紛れもなく戦争の時代であり、アジアの民衆に現在に至る禍根を残すこととなった。平成は幸いにも戦争を経験することなく泰平の世ではあった。新しい〇〇の世は政府・民間レベルで近隣諸国と親密な友好関係を構築することができるのだろうか。
 私は新元号の〇〇29年まで生きていることはないだろうが、(本当は生き長らえているのではないかとも思えて仕方がないのだが)その時に社会の第一線で活躍している人たちが、私の世代とは全く異なる感慨を抱いていて欲しいと切に願いたい。
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 長年愛用してきた冬物のジャケット。左ひじのところが少し綻びてきた。着心地が良くて温かいのでお気に入りのジャケットだった。少し虫食いもあり、もう捨てるしかないかと思ったが、捨てるにしのびず、ジーンズの修復を頼んだことのあるリフォーム店に持って行き、相談してみた。そのお店のおばちゃんと話していて気づいた。私はそのジャケットをもう30年以上も着ていることを。東京にいる頃購入して、アフリカ特派員だった時代にこれを着て南アフリカ取材にも出かけたことをよく覚えている。
 30年以上も着続けることができたのだから、もう十分もとは取ったと言えるだろう。それでも、目立つ綻びさえ上手く隠せれば、普段着としてならまだ十分利用可能。断捨離で不要なものは少しずつ捨ててきているものの、なぜかこれは・・・。
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 平成25年4月以来教えていた大学での非常勤講師職が今月で終わる。私が教えていた学科の廃止に伴う措置で、残念ながらのお別れだ。先週最後の定期試験を実施した。丁度4年が経過したことになり、私も「卒業」の春を迎えることとなった次第。
 この4年間の非常勤講師職は非常に勉強になった。学生よりも私の方がより多くのことを学んだのではないかとさえ思っている。私なりに一生懸命に教えたつもりだ。少しでも役に立ったことを祈りたい・・・。定期試験で出した英訳問題を一つ。「あなたはイチロー(選手)を知っていますか」。これは英文ではどう表現するのだろうか。英語を教える教壇に立っていなかったなら、こうした問いを真剣に考えることもなかったのではないかと思う。教えることは学ぶことでもあった。

I throat sore.?

 中国語と韓国語の独学に勤しむようになって以来、NHKのFM放送や音楽CDに耳を傾けること、それと小説の類の読書に割く時間が激減している。残念な気がしないでもないが、一日の日の長さと個人の能力には限界があるので致し方ない。
 先日、とあるところから、2月中旬に佐賀市で催される文学のイベントに行きませんかとのお誘いのメールが届いた。芥川賞受賞作家と直木賞候補作家という二人の女性作家による公開対談があるのだという。恥ずかしながら二人とも初めて目にした名前で、その作品は当然、読んだことがない。まあ、佐賀だと遠いし、読んだことのない作家だから、出かけることはないかと思っていたら、福岡から車で行くので同乗可ですよとの「二の矢」のメールが飛んできた。
 あ、それなら行こう。私に運転をさせてもらおう。久しく福岡周辺ではハンドルを握っていない。ナビがありさえすれば、佐賀へのドライブも快適だろう。
 それで、さすがに作品を読んでおこうと思い、図書館から手頃な本を借りてきて読んだ。これからの活躍が期待されている作家のようだ。藤野可織氏と千早茜氏。藤野氏は2013年に芥川賞を『爪と目』で受賞。千早氏は同年に『あとかた』で島清恋愛文学賞を受賞している。どちらも読み応えのある作品で面白く読んだ。『あとかた』の淡々とした性描写が印象に残った。裏表紙に目をやって気づいた。二人ともに私が新聞社に入社した頃に生を受けている。光陰矢の如し。出典の中国語だと「光阴似箭」。箭は「矢」。声調を無視してあえて乱暴にカタカナ表記すると、「グアンイン スージエン」。
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 その中国語。最近気になったのは次の文章。我嗓子疼。まず、嬉しいのは句点の 。が日本語と同様の 。であることだ。世界広しといえども、文章を区切る際にこの 。を使っているのは日本語と中国語だけではないかと思う。(他にもあるかもしれないが・・・)
 「嗓子」は「喉」を意味する。「疼」は「痛い」。我嗓子疼。これも声調を無視して乱暴にカタカナ表記すると、「ウォサンズトゥン」。日本語だと「私は喉が痛い」となる。英語にそのまま落とすと、I throat sore. となる。もちろん、これは直訳的に該当する語を当てはめただけであり、自然な英文にすると、I have a sore throat. とか My throat hurts. といった文章になるかと思う。
 私が何を言いたいのかと言うと、中国語の我は日本語だと私、英語だとI であり、my ではないということだ。英語では上記の文章でI の直後にthroat と続けることは無理がある。中国語は自然に続けることができる。日本語は係助詞があるので、私「は」喉「が」と言えば、何の差し障りもなく自然な文章となる。この点だけを見れば、日本語を母国語とする我々は中国語により容易に近づくことができると感じる次第だ。英語だとIと冒頭に発すれば、その後にはthroat と続けることができないので、構文をまず考えて言葉を選ばなくてはならない。I …. have a sore throat. と。
 声調・ピンインにてこずってはいるものの、私は今も日々、中国語に「近しみ」を感じつつある。果たしていつまでこの「近しみ」が続くのか不明ではあるが・・・。

騒音天国

 天神に行く用事があり、出かけた。用事を済ませて、少し空腹を覚えたので、昭和通に面した食堂に立ち寄った。定食屋のチェーン店のようで、過去に二、三度食べたことがある。味はまずまずだと思う。
 この日注文したのは「しょうが鍋定食」(890円)。食べていて気になることがあった。店員さんの客対応の言葉だ。彼女は客が来店するたびに「いらっしゃいませ。こんにちは」と声をかけていた。こうした「忙しそうな」歓迎の声を背後で聞いているのはそう心地良いものではない。第一私は「いらっしゃいませ。こんにちは」という挨拶の言葉はないと思う。これでは返す言葉がない。なぜ、「いらっしゃいませ」だけではだめなのか。あるいは「こんにちは」だけでもいい。
 おそらく店のマニュアルにこの挨拶が明記してあるのだろう。だから、店員さんに何の「落ち度」もないのだが、私はこういう挨拶の言葉は気になって仕方がない。テーブルの隅にお店の印象を書くカードがあったので、上記のことを「優しく」書いて彼女に手渡した。彼女には変なおじさんだこと、ぐらいにしか思われなかったかもしれないが・・・。
 日本は無駄な「騒音」が満ちている社会だと思わざるを得ない。JRや地下鉄などで「エレベーターの手すりにおつかまり下さい」などと何度も繰り返し流されるテープには全く意味がない。あれにどれほどの意味があるのだろう。何か事故が起きた際の責任回避のための措置だと思わざるを得ない。必要な情報はきちんと伝えることが重要なのは言うまでもないが、あのように不必要な情報を常時垂れ流していて、いざという時の警告が利用者に即座にスムーズに伝わるのだろうか。
                 ◇
 韓国語ドラマを暇に任せて見ているが、あきれてしまうドラマがある。日本語では「変わった家族」というタイトルで放映されている。もちろん、少しでも「生きた韓国語」を学ぼうと時々見ているだけに過ぎないのだが、あまりにべたな内容にあっけにとられながら見ている。日本でこのようなドラマは今も作られているのだろうか。私は日本のテレビドラマは全然興味がないので分からないが、さすがにこういうものはないのではと思う。
 前にも書いたような気がするが、韓国は主だった俳優が頻繁に作品に名を連ねているようだ。私には名前を知っている俳優は皆無に近い。私のようにつまみ食いのようにしかドラマを見ていない身には、同じ俳優が似たような役柄で出ていると、頭が混乱することもしばしば。「ヒェー。勘弁してくれー」と叫びながら、画面を眺めている。
 「ヒェー。勘弁してくれー」は英語だと “Give me a break!” がまさに打って付けの表現だろう。
                 ◇
 トランプ米大統領。今さらながら、ハフィントンポスト紙に痛快な記事があった。ニュースキャスターのキース・オルバーマン氏がオンラインの番組で次のように断じている。 “This man is not of sound mind. It’s time for Donald Trump to resign as president.”
 トランプ大統領は就任してまだわずか一週間。辞任要求の声はむべなるかなだ。

"big league, bigger league"

 アメリカに遂にトランプ大統領が誕生した。現実を粛々と受け入れるしかない。アメリカ国民の選択だ。ヒラリー氏が投票総数では最終的に300万票近い得票差をつけていたこともやがて歴史の脚注(footnote)として扱われる程度のものとなるのだろう。
 新大統領が就任演説で何を語るのかぐらいは生で聞いておこうと、夜更かしして就任式典の様子を米CNNと英BBCの間を「往復」しながらテレビで見た。残念ながら彼の演説は一言で言って夜更かしする価値はなかった。後でビデオでも見れば十分だったと感じた。レトリックだけ。それも何の新味もないつまらないスピーチだった。あれを聞いて感動した人が果たしているのだろうか。いや、始めから彼のスピーチにいくばくかでも期待した方が無茶だったと言うべきだったかもしれない。そういう意味では逆に予想を裏切らないトランプ氏らしい大衆受けだけを狙った陳腐な演説だった。
 トランプ氏が口にする英語表現のレベルの低さは欧米メディアでも手厳しく評されてきた。読売新聞でも彼の英語の文法はアメリカの「小学6年生レベル」と見なされている、と報じた記事を読んだばかり。過去には次のような記事を目にしたこともある。Whether it’s buildings or walls or deportations, Donald Trump likes largeness. When describing scale, he’s given to an odd descriptor: To the untrained ear, it sounds like “bigly.” But, as NPR and others have noted, it’s not: At a weekend event in Virginia Beach, he said that he would “cut taxes big league, cut regulations even bigger league.”
 トランプ大統領が好んで使う英語の特徴の一つは他ではあまり見ない独特の表現法。上記の記事で言えば、「税金を大幅に減税する」と言いたい時に big league という表現を使っている。私は初めてこの表現を耳にした時、bigly と聞こえ、変わった英語を使うなあと思った。後になって big league だと知った。そうか、メジャーリーグ(大リーグ)並に大きくやってのける、という意味なのだと。
 私は大学の授業で学生に「トランプ氏の英語を手本にすることを薦めることはできないが、反面教師として考えれば逆に参考になるかもしれない」と話している。「反面教師」はネットで調べると、negative exemplar という語が出てきた。これも調べていて初めて知ったことだが、「反面教師」という語は第二次大戦後に中国から伝来した外来語だとか。「本家」の中国語では「反面教員」(fǎnmiàn jiàoyuán)と呼ぶらしい。
 トランプ大統領は就任早々、選挙戦を通じて敵対関係にある主要メディアを責め立てている。俺様の就任式典に大勢の人々が集ったが、お前さんたちメディアはそれをあまりに過少に報道していると。しかしながら、2009年のオバマ前大統領の就任式典と比較した写真を見ると、トランプ氏の就任式典に集った人々の数が格段に少ないことは一目瞭然。それに比べ、就任式典の翌日に全米各地で催された女性の地位向上を求めたデモ行進は凄い熱気に包まれたようだ。就任式典翌日という前例のないデモ行進が盛り上がったのは言わずもがなトランプ氏への異議申し立ての意味合いがあったことは間違いない。
 トランプ氏がこれから「4年間もつか」という賭けがあったとしたら、私は絶対にもたないという方に賭けるだろう。あ、いけない、私はギャンブルから一切足を洗ったのだった。

アウトロー

 帰福する前に郷里で小中学を一緒に過ごした幼なじみたちと宮崎市内で恒例の飲み会。風邪か何かで女性陣2人がドタキャンしたとかで、今年は私を含め6人が集まった。3次会まで盛り上がった。カラオケも楽しんだ。確か、カラオケは去年のこの集まり以来。何曲歌ったか覚えていないぐらい歌った。楽しかった。
 長姉の家では大晦日と3日だかに焼酎を大きめの茶碗に一杯頂いた。それで十分満足した。幼なじみとの飲み会でもセーブ気味に飲みたかったが、さすがにそういうわけにもいかない。注がれるままにあおった。翌日は寝起きの時にちょっとだけ二日酔い気味だった。
 さて、今年はどうしよう。禁酒の暮らしは2年が経過した。「石の上にも三年」というから今年一杯は続けようかと思っている。今年一年飲むことができるのは8月のお袋の命日、それと今年再会を考えている宮崎のゴルフの旧友や南大隅町の知己との懇親会の場だけにしたい。日にちで数えればたかだか数日に過ぎないだろう。これぐらいは神様も容赦してくれるに違いない。
                 ◇
 正月は穏やかで寒さに震えることはなかったが、帰福してからぐっと冷え込んでいる。この週末は特に寒かった。風邪やインフルエンザの本格的季節到来だ。そこでふと思った。自分はこのところ、風邪一つひいていない。風邪で寝込んだことなどないのでは。なぜだろうと考えた。病気になる「余裕」がないということかもしれない。思い当るとしたら、そう、よく食するようになって一年以上が経過した「らっきょう酢」の存在だ。
 ほぼ毎日のように、らっきょう酢に漬けたゴボウとかニンジン、ダイコン、タマネギなどを食べている。小腹が空いた時にはおやつ替わりにもしている。これもあと一年ぐらい無病状態が続いたら、私の健康はらっきょう酢のお蔭と「証明」できるかもしれない。
                 ◇
 土曜日の紙面で楽しみにしているのは英字紙「ジャパン・ニュース」の四コマ漫画「オフィス・ケン太」。これは結構英語の勉強になる。ネットでも読めるようだ。興味がおありになれば、以下のサイトまで。http://the-japan-news.com/news/article/0001242050
 読売新聞では日曜日にスポーツ英語の紹介のコラムを連載しているが、こちらはたまに目を通す程度。15日の紙面では野球用語の「インコース」を紹介していた。ホームベース上をボールが通過する際の「インコース」「アウトコース」は日本独自の表現であり、正しい英語では “inside” とか “outside” と表現することが説明されていた。
 このコラムではさらに、日本人がよく口にする「アウトロー」という表現は英語ネイティブには通じないと記されていた。英語では “low and outside” と言うべきだと。なるほど。違和感を覚えたのはその後に「アウトローは、日本人がoutlaw(無法者)と取り違えやすい発音で、誤解を招く恐れも」と書いてあったことだ。これは全く逆だろう。日本人が好んで使う「アウトロー」はネイティブには outlaw(無法者)と勘違いされる可能性があるということだろう。仮にoutlow という語があったとしても、outlaw とは発音が微妙に異なるもののだ。

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